2020年01月08日

師と弟子

はなさん

>まことの関係とは真理に向かうための師と弟子の関係以外にないというところ、また記事に書いてほしいです。


確かにここは重要なポイントですね。


まず僕が言う師とは、何かを教える人の事ではありません。

真理を説くとか、無欲を説くとか、釈迦がこう言っただとか、そんなものは大したことではありません。


もし誰かが無欲を説いているとしたら、その人は説くことを通して何を欲しているのでしょう。

そして、それを学ぼうとする人は、無欲を身に付けてどうなろうと言うのでしょう。


究極の安楽でしょうか

悟りでしょうか

解脱でしょうか。


もしそういうことを求めているとしたら、この世で得られる金銭や名誉より、もっと素晴らしそうな絶対的な価値を求めていることになります。

これ以上の強欲があるでしょうか。

師とは、何かを教える人ではなく、特定の境地に誘う人でもなく、ましてや聖者とか覚者とかいう特別な人に仕立ててくれる人でもありません。



師とは、いまここで完全に開いている人のことです。

それは資格でもなければ、特定の人格でもなく、まさにいまどうかということに尽きます。


したがってあるときは弟子の役をやっていた人が師になったりします。

師をやっていた人が、弟子になることもあります。

早い話が師とは、完全に開いた場を作る人のことなのです。


師と弟子
竜馬と土方歳三


僕が知る限り多くの師は、師を演じています。

固定された自己など存在していないのに、なにかを達成したかのような特定のキャラを身にまとっているのです。


彼らは固定された自己が存在し、時間の中を生きていると信じています。

ならば、彼らが見出した真実とは一体何なのでしょうか。


このような場合、師も弟子も完全に夢の中にいます。

それはそれで良いでしょう。

所詮、人生自体が夢なのだから。



師と弟子によるまことの関係とは、完全に開ききった関係のことです。


そこには安心と喜びと信頼があり、その時、全く当たり前な偉大なる真理を共有することになります。


それを愛と呼ぶ人もいます。





Posted by Toshiro Abe at 10:55│Comments(21)
この記事へのコメント
わたしが宇宙全体に大きく開かれるほど
宇宙全体に大きく広がる平安を心から感じます◎
←(*´▽`*)→

あなたが宇宙全体に大きく開かれるほど
宇宙全体に大きく広がる平安を心から感じます◎
←(*´▽`*)→

みんなが宇宙全体に大きく開かれるほど
宇宙全体に大きく広がる平安を心から感じます◎
←(*´▽`*)→←(*´▽`*)→←(*´▽`*)→

わたしたちはみんなハートから宇宙全体に広がっている永遠の愛の光です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2020年01月08日 11:07
頭は、ぐるぐるしてますが、ミトコンドリアは、なんだか感じているようです。
( ´∀` )
Posted by きゃさりん at 2020年01月08日 11:12
いつもありがとうございます。

今年初めて禅サンガに参加しました。形から言えば阿部さん、向さん、柿坂宮司様などに弟子入りした形になるんでしょうか?
まぁ頂いているメールの教え、あまり実践できてないのですが先日阿部さんと向さんの対談の配信を見て「これだ!」と思いました。
中身については実は私も痛感していて、他の方から聞いたような話もあったのですがお二人が醸し出す雰囲気、オーラのようなものを感じて「あぁ。私はお二人にこうして行くべき場所へ行く道筋をつけてもらっているんだなぁ。」と思いました。
まだなんとなくわかりかけ始めてきただけの私ですが、真理に導く師弟関係ってこんな関係なのかな?となんとなく感じました。

ではこれからも書きたいことを書き、したいことをなさってください。
Posted by TSY at 2020年01月08日 11:19
模察と申します。

私にとって、阿部さんは言わずもがなですが、こちらのブログに集われる皆様が師です。
普段、偉そうに教えを書かせて頂いてますが(汗)、皆様から気付きを与えて頂いてます。

自分は馬鹿ですから、すぐに教えを忘れてしまいます。
でもこちらで、色々な物の見方に触れることで、学んで思い出させて頂いてます。
皆様、いつも有難うございます。
どうぞこれからもよろしくお願い致します。


>師と弟子によるまことの関係とは、完全に開ききった関係のことです。
>そこには安心と喜びと信頼があり、その時、全く当たり前な偉大なる真理を共有することになります。
>それを愛と呼ぶ人もいます。

このことに照らすと、私の一番の師は、今頃家で寝ている雌のチワワです。
(以前も同じこと書いた記憶が....苦笑)
Posted by 模察模察 at 2020年01月08日 11:32
いまここで完全に開いている、、、
うわぁお!!!
最高です!
Posted by AYAKO at 2020年01月08日 11:43
今日もブログありがとうございます。

師弟関係は、特定の個人と個人との間に起こることだと今まで思っていました。
『師とは、完全に開かれた場を作る人』
ならば、
その時々で、あらゆる者が師になりえますね。
そうなら赤ちゃんや小さな子供、動物や小さな草花も私の師です。
師という考えに広がりが生まれました。
ありがとうございます。


NIKI瞑想のマントラについて質問させて下さい。
私は今までOSHOの瞑想をやってきましたが、マントラを使って瞑想をしませんでした。
マントラの必要性がわかりません。
マントラについて教えて頂ければ嬉しいです。
もし必要ならいつか伝授して頂きたいと思っています。
よろしくお願いします。
Posted by とーしぇん at 2020年01月08日 11:43
いいね!
Posted by あーさん at 2020年01月08日 11:45
仕事中にしばしば、
『学んでる』つもりで言った言葉が、教える側に何かを『教えてる』らしいと感じたり、
『教えてる』つもりで、話した言葉、相手の言葉から「あ。」と気付く『学び』が起こります。
そういう瞬間、確かに『仕事の流れ』の一体感を覚えています。
『その流れ』は『業務マニュアルのフローチャート』を越えてますね。
『間』をすっとばされて起こるのに、自然と『間』が補間される感じで、
『業務マニュアル』に「あ、これ足らないよね」とか気付くことも多いです。

>それは資格でもなければ、特定の人格でもなく、まさにいまどうかということに尽きます。

>したがってあるときは弟子の役をやっていた人が師になったりします。

>師をやっていた人が、弟子になることもあります。

とは、そんな感じかなぁ、と思います。
『教えるモード』と『学ぶモード』が切り替わるのではなく、
『教えつつ学び』、『学びつつ教える』が、
開かれた場で『同時に』起こっている感じではないでしょうか?
Posted by ただの「自分」 at 2020年01月08日 11:48
あ~ 違っとった

人間同士では有り得ない気がして、深読みし過ぎました…
(⑉´• •`⑉)恥ず

ならば、それはもう、阿部さん、柿坂宮司、向禅師の関係性でしょうか

(なんたって住吉三神ですから…ダハッ)
Posted by bIues♬ at 2020年01月08日 12:29
ヨガの講習で
先生役になったり、生徒役になったり
する事があります。
それぞれ異なる気付きがあって
面白いなぁと思います!
Posted by しゃぼん玉 at 2020年01月08日 12:39
今ここで完全に開いている人。。

真っ先に、阿部さんのことが、頭に浮かびました。

完全に開く、オープンハートって、できそうで、なかなかできることじゃないですよね。。

もし私だったら、完全に開き直ることぐらいかな。。。?(シャレニモナッテイナクテ、スミマセン。。^^;)
Posted by 師弟を超えて。。すべてはひとつYH at 2020年01月08日 13:48
全く無駄が無い!

思わず大笑いをしてしまいました

感謝感謝❤
Posted by yaboi at 2020年01月08日 13:59
阿部さん

記事に取り上げてくださってありがとうございました。

師が弟子になったり弟子が師になったり、完全に開ききった関係

コースのテキストでも同じような言葉があったなあと思いだし
また阿部さんとつながり心があたたかくなりました。

昨晩ははじめて瞑想会では、突然始まった智子さんの「故郷」の
演奏にあたたかい涙が溢れました。
ありがとうございました。
Posted by はな at 2020年01月08日 15:25
昨日、ドキッとすることが起きて、不安がボン、と大きく膨らみ、でもいま、いまは何も起きていない、と口に出して言い聞かせ、深呼吸を繰り返しました。
今日は脱落してます。
考えも浮かばす、体も動かないので、ごみ捨て行けませんでした。

開いている人と一緒にいると、別世界にいるような安らぎを感じたことがありますが
そんなことかな。
Posted by 風 at 2020年01月08日 16:27
昨晩は、瞑想会に招待してくださり
ありがとうございました。

日々、様々なストーリーに巻き込まれ、必要以上に深刻になることがあります。阿部さんのブログに訪れる事で(主に就寝前)、社会的な役割りから解放され、気楽な状態に戻れます。
Posted by 浩太郎 at 2020年01月08日 20:28
完全に開いた場?とは何でしょう?

誰かとくだらない冗談を言いあい、お腹抱えて笑ってる時とか。

娘を撫で回してゴロゴロしてるひと時とか。。

そんなよくある日常のリラックスした場面が浮かびますけど、それは完全に開いた場なんでしょうか?
Posted by はなこ at 2020年01月08日 20:52
つりバカ日誌のスーさんとはまちゃん

あれ、ゆるみますね〜(^^)
はまちゃんに憧れます(^_^)
Posted by shon at 2020年01月08日 21:48
>師と弟子によるまことの関係とは、完全に開ききった関係のことです。

完全に開ききった「まことの関係」である「師」と思える存在は、わたしの場合は、心の中にいます。

何においても、これ以上の存在はいないので、もはやこの世で、「師」を求めることはありません。

この世界は夢なので、こんな夢もあるのでしょう。

この宇宙のすべては、ひとつなる実在の無限の顕れ。

阿部さんが腹を抱えて笑っちゃう存在も、阿部さんも、わたしも、あの人も、この人も、誰もかれも、何もかもが、やがては消えて行きます。

時間制限付きの夢なので、それぞれが主人公として、夢の世界を存分に楽しめるといいですね♪
Posted by 夢幻宇宙YW at 2020年01月08日 22:50
禅サンガに初めて参加しましたがブログからも垣間見える阿倍さんの透明さを知ることができました。
ずっと探していた人に巡り合えた思いです。
向さんと交わされる何気ない会話のレベルの高さに魂が何度も震え、今年に入って私の人生が何段階も引きあがった感じです。
これだから人生は楽しい。
Posted by 公務員 at 2020年01月09日 07:33
まさにシンクロで、
今日のblogのテーマと重なる禅サンガの過去動画をちょうどみていました。(2017.6/3 空への誘い 1時間29分あたりから)

阿部さんが、開くことは一対一の関係の中で起きること

というようなことを話されていました。

「師」といったり「弟子」という呼称で聞くと「人」という認識をしてしまいそうですが、これは「場」=エネルギーの現れ の状態を同時に指すのだろうと理解しました。

もとはつながる同じ「場(現れ)」である私たちなので、
片方の開いてる状態が、もう片方の閉じてる状態に共鳴させる動きを起こすことを「開く」と表現されてるのかなと思いました。

開いてもらうことも、開かせることもできる私たち

誰もが奇跡を起こせるってそういう意味だったのかな。
Posted by ak at 2020年01月09日 09:10
Love(*´ー`*)
Posted by ともこ at 2020年01月09日 12:20
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