2020年01月22日

一瞥体験

あの瞬間は忘れようがない。

一切の重荷から解放されて、自己が宇宙大に広がったあの瞬間だ。


解放された重荷は、それまで担いでいたことさえ忘れていたものだった。

あの瞬間に初めて、いままでどんなに重い鎖に縛られていたのかが解った。


肉体も消えていた。

いまから思えば重たい身体を引きずるようにして持ち運び、空腹やら性欲やら休息やら、絶え間ない欲求に四苦八苦しながら、よく頑張っていたものだ。


もう二度とあの身体には戻りたくない。

この無重力の解放感にいつまでも浸っていたいと思った。


解放感だけじゃない。

人生では決して味わうことのない、目くるめく快感と、あらゆる種類の喜びが無尽蔵に湧いてくる。

肉体と精神から解放されるというのは、これほどまでに甘美な経験なのか。


しかもこれが、あらゆる人間の実相だったとは驚きだ。

人は皆、誰一人例外なく魂の奥底にこの歓喜を携えていたのか。


さながら人生の苦悩は、この歓喜をより深くするために溜めこんだ蒸気圧のようなものだ。


すべては上手くいっている。

そしてあらゆる存在は、最初の最初から救われていた。

この体験を神と呼ぶのだろう。



これが一瞥と言われる体験です。

一瞥という言葉が表すように、それは一瞬の出来事であり、気がつくとまたもとの状態に戻っています。


したがって一瞥体験は無意味だと言う人がいますが、それは体験を知らない人か、ある種の気づきを一瞥と勘違いしている人の言葉です。


一瞬でも真実の次元を垣間見れば、もう二度と同じ人ではありません。

真実を覆っていた鉄のカーテンがいったん開くと、

それはフカフカに柔らかくなり、

たとえまた真実を覆ってしまったとしても、

その向こうが透けて見えるようになるからです。


実は、一瞥も恒常的な悟りも同じものなのです。

時間という錯覚の中からは別物に見えるだけの話です。


一瞥体験



さて、本当に一瞥したかどうかを確かめる基準があります。


人生からあらゆる苦悩や、イヤな感情が無くなる。

そんなことは起きません。


ストーリーが完全に消えて、いまここだけを生きだす。

そんなことは起きません。


無欲になって人への施しだけを生きるようになる。

そんなことは起きません。



それでは一瞥を確かめる基準とは何なのか。


それは、

真理への探究が終わるということです。

これだけは完全に終わります。



今日の最後に、一瞥後に起こりがちな過ちを紹介しておきましょう。


それは先ほど紹介した甘美な体験が、一瞥した高次元の感覚だと思いこみ、もう一度同じ体験を追い求めることです。


あの甘美な感覚は、一瞥の副産物のようなものであり、それ自体が重要なのではありません。

ここはしっかりと整理しておかなければなりません。


そして元の状態に戻った後は、あの次元が失われてしまったような気がしますが、一度でも垣間見れば、すでにあなたの一部として定着しています。


だから、あいかわらずストーリーに巻き込まれても、巻き込まれていることを知っているし、

情けない行為や、尊敬できない思いが湧いてきても、自分を卑下することがなくなるし、

何が起きていても心の底には絶対の安心感が流れているはずです。




今日は一瞥について書いてみました。

このブログを読んだり瞑想や講演に参加したりするうちに一瞥したという人の報告は、数十にものぼります。

その中には、一瞥体験の後、講演や書籍で活躍している人たちもいます。


このような現象は、今後ますます広がっていくと予感しています。



そして最後に伝えておきます。


一瞥は誰にでも起きることではないかもしれません。

タイプによっては一瞥がなくとも、徐々に真理の次元が開かれていく人もいるようです。


だから焦ったり、体験自体を恋い焦がれたりしないでください。


起きれば起きる


起きなければ起きない


どちらにせよ、あなた自身が真理であることに変わりはないのだから。



・・・・・・・・・



今夜も人生を一旦脇に置いて、いまここの静寂に一緒に入って行きませんか。

Web瞑想会にあなたをご招待します。


21時になったら

https://www.ustream.tv/channel/rh5rrpCfAuq

にアクセスしてください。






Posted by Toshiro Abe at 09:10│Comments(36)
この記事へのコメント
あれ?

もしかして、悟りと言われる一別体験は
もしかして彼方から来るものなのですか?

自分の意思で得るものじゃなくて

大いなる力が与えるものと言うか


だから躍起になって求めても


来る人には来るし
こない人には来ないのですか?


で、彼方からのプレゼントだから

来ても来なくても安心してなって事ですか?
Posted by としあき at 2020年01月22日 09:40
阿部さんが意地悪にみえた(笑)
Posted by 美佳 at 2020年01月22日 09:42
おはようございます❗

一瞥体験に憧れている自分がいます。

最近になって追及を止めました。

阿部さんのメッセージに救われています。

ただ、感謝をお伝えします。

追伸 びんでんうんそわか ですが、3日間での一万回ではないとのこと、ありがたいです。

眉間に皺を寄せたりはしませんが(笑)コツコツ続けます。
Posted by よしおさん at 2020年01月22日 09:45
四苦八苦とは、仏陀が初めての説法・初転法輪で説いた

生まれることの苦しみ
老いることの苦しみ
病むことの苦しみ
死ぬことの苦しみ

怨み憎む者と会う苦しみ
愛する者と別離する苦しみ
求めても得られない苦しみ
肉体と精神を構成している五つの集まりの苦しみ

のことです。

肉体と精神を構成している五つの集まりの苦しみから解放されることを
仏教では解脱と呼んでいます。

肉体と精神を構成している五つの集まりの苦しみから解放されて
自己が宇宙全体に広がっている永遠の光である事実を実感することを
仏教では悟りと呼んでいます。

胸の中心に存在している永遠の光である自己が
勢いよく回転しながら光の輪を発することを
仏教では「法輪を回転させて光を発する」と呼んでいます。

法輪の回転が加速されるほど、光が遠心力で宇宙全体に大きく広がっていき
宇宙全体に広がっている解放感を感じます。

「 仏陀の初めての説法 初転法輪 」
http://manikana.la.coocan.jp/canon/tathagata.html
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2020年01月22日 10:01
体験はないけど、大丈夫感が以前より強まってきてるから、ま、いいか。
感謝( ´∀` )
Posted by きゃさりん at 2020年01月22日 10:39
あべにゃん、おはにゃん、にゃんにゃんにゃん♪

今日もバシッと書いてあるけど、私に言ってるのかにゃ?

いえ、あらゆる人に向けてだと思うにゃ。読んだ人みんなに沸き起こるものがあるにゃ

なんか太字のとこがあった。探究を終わりにしろって。。

いやいや、探究が終わりになることが悟ったことの証って。。これはあれじゃない?自我も全体の表れってこと。。


じゃあさ、なんで自我をなくすような努力をするの?自我がなくなれば苦しみから解放されると思うから?

自我に自我をなくすことは出来ない。そこに注力するのではなく、与えられた生を、いまを、いちばんいいと思うことをするってこと?

いちばんいいもなにも、こうしたいって強い思いにかられるときもあるし、自分なりに探るときもあるし、いろいろ。

そういうすべて、ありのままに体験することが人生の醍醐味で、すでに神の表れって捉えていいのでしょうかね。。(*^^*)


私は私でいいのだ~\(^o^)/

あべにゃん語録のあれが好き。

みんな違ってそれでいい♡
Posted by おいも at 2020年01月22日 10:47
そう、あの感覚は忘れることはありませんが思い出すこともありません。

私の中の引き出しの奥にあるもの。
Posted by まぁるいこころまぁるいこころ at 2020年01月22日 10:55
一瞥体験だけではないですが、所謂、神秘体験というものに対して、いつも不思議に思っていることがあります。

体験を望んでも起きない人がいる一方で、望んでもいないのに起きる人がいるのは、何故なのかな?と。

阿部さんが望んでいたか?は別にして、何故、阿部さんに起きて、他の人に起きないのかな?と。

そこには、何か理由があるのかな?と。

今日の阿部さんのメッセージが意地悪だと感じた人もいるかもしれませんが、阿部さんが一瞥体験を起こしている訳ではないので、一瞥体験を起こすことができる力を持っている神様が意地悪だということになるかもしれませんね^^;

望んでも起きない人もいれば、望んだことがないのに、起きてしまう人もいます。

神様は意地悪なのか、それとも、気紛れなのか。。?

どちらにしても、この世に偶然は無し、完璧な"いま"が在るだけなんですよね。。

その"いま"に徹すれば、何も起きていない。。
一瞥体験でさえも、それを体験した"わたし"はいない。。

このブログのメッセージを通して、阿部さんには多くのことを教えて頂きました。
いつもブレないメッセージをありがとうございます♪
Posted by いつもありがとうございます♪ at 2020年01月22日 11:10
模察と申します。

一瞥は、彼方からこちらに来るものではないです.....
70億すべての人が、いつもいまここで体験しているのに、あまりにも当たり前すぎるから無視して忘れているだけなのです。

3日間雨が降り続いているが、一瞬雲間から青空が顔を覗かせ、青空が変わらずに雲の上に広がっていることに気付く

自分でメガネを自分の頭に乗せたことを忘れて、あわててメガネ!メガネ!と探し、頭の上にあることに気付く

こんな様子で、産まれた時からず~っと離れずにあったことを忘れてて、今さらながら思い出すようなことではないでしょうか。

真理を自分の外に探しても見つからず、諦めて自分の中を探したら、自分の中に産まれた時からず~っとあったこれだと見つけられると、二度と外を探すことは止みますよね。
真理は、片時も自分を離れることはないから大丈夫、安心してください。
でも、真理を見つけられるのは"いまここ"だけです。
いつか未来やどこか彼方ではありませんよ。
Posted by 模察模察 at 2020年01月22日 11:45
夜の瞑想会に参加します^^
上手くつながれますように
北海道は小晴れです。
なむびゃくだぎょう~~
Posted by さつき姫 at 2020年01月22日 11:58
一瞥への興味もありますが、
日々少しづつ何かに気付いて、その度に
(それまで、「これでいいか」と思っていたにも関わらず!!)
楽になっていく実感を重ねる人生も良いものです(笑)
たぶん、一生をかけてこうしていくと思うのですが、
最後の最期で、どう感じるかが楽しみです。
Posted by ただの「自分」 at 2020年01月22日 12:04
有難うございます。
朝焼けや夕焼け、風、雲、月、星、鳥の声、花、肌に触れる布、静かに走る車、周りの人の笑顔、見廻りしてるスゴミ顔の猫…
日常の中の幸せやほころぶ瞬間瞬間。
「ありがたいなぁ」「幸せだなぁ」と感じられる時間が増えてます。
仕事も人間関係も経済も何かが劇的に変わったわけではありませんが、流れに任せて大丈夫な安心感があります。
阿部さんのブログが毎日毎日しみていってるからだと思っています。
感謝m(_ _)m
Posted by hero at 2020年01月22日 12:20
>真理への探究が終わるということです。

>これだけは完全に終わります。

はい、その通りですね。

しかし、人間にとっては、一瞥は、入り口かもしれません。

真実は明らかですが、エネルギーの世界は、人間にとっては、まだまだ神秘の世界でしょう。

それについて言及している人は、まだまだ極少数です。
(一瞥体験は、多いですが。。)

原因体のその先へ進める人は、もはや人ではないのかもしれませんね。
Posted by うふふ^^ at 2020年01月22日 12:26
>どちらにせよ、あなた自身が真理であることに変わりはないのだから。

それがわかって、安堵する気持ちと、これでいいと自分で自分が分かることが本当に嬉しいですっ!(*´-`*)


私が見ている世界では阿部さんは尊師です(^-^)

阿部さんがいなかったら(方向指示器的存在)がいなかったら、道を踏み外してたか体験が起きても気づかないで、相変わらず夢の中を夢と気づかずに過ごしてたと思うと、阿部さんに感謝です♪(^-^)


『ただいつも、あるがままにある』

こんな言葉に響く自分をスールしないで、『生きるって何だろう。鳥って何で飛ぶんだろう』と物思いにふけってた、そこをぶれないで生きてこれた、自分にも、
そう与えてもらってた環境にもありがとうと思えます(^-^)

思い出してくれて、ありがとう全て(*´-`*)


コレ以外はリアルじゃないこと。全て夢とわかっている何かが埋没する事もあるし、夢を夢と知っている見ているままに、あるがままにある

それでしかなかったし、それ以外は起きなかったんだな~とそこに寛いでいる安堵する自分に感謝(^-^)

ホームはここに在り続けていた(*´-`*)
Posted by ともこ at 2020年01月22日 13:23
阿部さん こんにちは
今、奥山亜美衣さんの訳したOSHOの本「あなたの魂を照らす60の物語」を読んでいます。
OSHOの本は手元にあるのは阿部さんから購入した「究極の旅」とこの本だけですが、心の底から(今まで底だと思っていたさらに奥の場所のから。それこそ魂に触れる感覚で。)熱い涙が出て来そうになったり、笑ってしまったり。。。この本さえあればいいと思える本です。

そんな”読み物”として大切な私はまだ探求中なのかもしれません。
書を捨てて、街へ出よ。ではないですが、本を捨て自分を生きよと言われている気がします。
自分と重なって生きる。生きているうちに1秒でもこの瞬間を多く生きれますように。
ワークと亜美衣さんの訳した本の内容が重なるところがあって面白いです。
今日もありがとうございます。
Posted by mike at 2020年01月22日 13:27
>このブログを読んだり瞑想や講演に参加したりするうちに一瞥したという人の報告は、数十にものぼります。

ということは阿部さんの瞑想や講演に参加することは、起こる人には起こるきっかけを与えていることになりますね。誰に起こるかわからないところが、わくわく感があっていいですね。
Posted by 美佳 at 2020年01月22日 13:44
望んでも起きないのは?
望んだ空です( ̄▽ ̄)
望まないのに起きるのは?
スケジュールです( ̄▽ ̄)異常!
(解脱もこの限りです)
別に大人物になるワケじゃなしw
人間オシマイなダケ( ̄▽ ̄)
「観覧車のあらゆる位置を経験」して
サイクルが終われば解脱です。
最終履歴が物乞いDEMO同じ。
否応無く解脱します←解説でわ?
紆余曲折大きく脱線した期間「も」
離れてまた縁を結ぶ事になる野茂
その人には必要な予定( ̄▽ ̄)
(スケジュールは個々に異なる)
聖なる予定調和に過ぎないのに、
「偉くなっちゃった人」は
何で真っ直ぐ行かねーんだ世?
ジレちゃうワケですが、
自分を棚に上げ過ぎです( ̄▽ ̄)ネ
より大きく脱線もしていた恥ず…
振り返れば何事も、
"逸れ"があってのイマなのです空。
拗らせれば何でもハシカ( ̄▽ ̄)世
Posted by Ciel at 2020年01月22日 14:04
慢性的な苦悩DEMO
愛されてないDEMO
無価値疎外感DEMO
しょーがないヤツやな( ̄д ̄;)←出張
「最も誤解が強い部分」を
「ひっくり返された」だけ。
だから感想マチマチでShow?
苦は無かった(T ^ T)クク苦
全ては愛だった(T ^ T)アイーン
全ては私であった(T ^ T)ワンです
…さて置いて( ̄▽ ̄)←オイw
ソレが無かったらダメポだった…
ワケです( ̄▽ ̄)ネ?
無しで進める人は優秀な人です。
比較を持ち出すなら( ̄▽ ̄)世♪
Posted by Ciel at 2020年01月22日 14:12
ふと思い出して、帰ってこれるSpaceと言うか場所と言うか、自分の中に寛げる空間が向こうから来てからはどこかでリラックスしてる感じがあります。
全くない時もありますけど…
でも少しの時間でもまたリラックスする所に帰れる。
Posted by シャギー at 2020年01月22日 14:22
今日も更進ありがとうございます。

一昨年の秋、智子さんからガネーシャマントラを伝授していただいた夜のことです。
子供を寝かしつけたあと居間のソファに座って、教えていただいたマントラをイメージしたとき説明不能の幸福感に包まれました。

今日のブログを読んで言葉にできなかった感覚がよみがえりました。いまも禅サンガのおかげで安全に精神の道を歩めています。
この人生で阿部さんに出会えたことじたいが奇跡だと思っています。

一日おきのサンガのレッスンもありがたいです。
Posted by ココア at 2020年01月22日 15:21
じゃあさ、この間言ってた『成長するのが怖いのです。』ってどういうこと?と思って~

『居心地は悪いかもしれないけれど、いずれ慣れます。

しかもその分だけ苦しみが減っているので、さらに真実へのシフトに向かっていくことでしょう。』


ここのことかなあって。

ブログを見つめてしまいそうな予感と共に、真実へのシフトに向かっていくことがどんなもんか知りたいなあ。でした(*^^*)


・・・・・・・・・・・・

このコメントをしながら思うことがあって、それは、エネルギーが肉体のどの箇所に在るかによって感じ方が変わるのではないか?ということなんです。

(最近の私はマインド、ハート、肚というなようなことに関心が向いているなあと自覚しました。だから何というわけではないのですが、赴くまま。。)


それで、

『居心地は悪いかもしれないけれど、いずれ慣れます。

しかもその分だけ苦しみが減っているので、さらに真実へのシフトに向かっていくことでしょう。』


この『真実へのシフト』の部分が、私としては二通りに読めるのですが、


一つは、マインドやハートから肚に寛いで、そこで何らかの感情が浮上し浄化する過程が起きるということ。

居心地が悪いことが起きるのはなぜかを探りたいのですが、

マインドやハートに在ったエネルギーが肚に下がっていく?潜っていく?エネルギーの動きは解らないですが、移行する過程で起こり得ることなのか?と推測しました。


これをマインドやハートから肚に還る道とすると、

もう一つは、肚からハートやマインドに立ちあらわれる道。


マインドやハートや肚も浄化して、肚に寛ぐことが出来れば出来るほど、存在を生きるということが起こるんじゃないか?ということなんです。


それが『真実へのシフト』の部分が、二通りに読めた内容でした。


いっぽうは肚に還る道


いっぽうは肚から立ちあられる道



いずれにしても肚に寛ぐこと。


それが、いまここに寛ぐと同義?と思っていて、いまここについて考察したかった?

たぶんあれです。非二元のメッセージは、肚に導くメッセージなんじゃないか?と思ったこともあった為と思います。


坐禅や瞑想は行によって肚に寛ぐこと。

非二元のメッセージは、描写する言葉やエネルギーによって肚に導くこと(?)


私の勝手な整理ではあるのですが、共有したいことでもありました(^^)


~追伸~

恒常的な悟りってあったけど、それはエネルギーがずっと肚に在るってこと??


あべにゃんのブログで探究が終わらないおいもでした(笑)

いえいえ、ブログを参考に、存在を生きるってことに対しての探究は終わらないんじゃないか?ということが伝えたかったのだと思います(^^)
Posted by おいも at 2020年01月22日 15:22
「わたしはいない」というノン·デュアルティのメッセンジャーの方々が現れ、彼らが語る非二元(不二一元)のメッセージを聞いた時、それは「わたしは誰か?」という問への究極的な答えの片面しか言い表していないと感じ、100%の満足は起きませんでした。
「わたしは誰か?」と聞いているのに、「わたしはいない」は、確かに、真理ではありますが、それを聞いた人の中に、スッキリしないモヤモヤが残るのは、完全な答えではない証拠でしょう。

わたしは誰か?

この問いへの答えが直接体験を通して明らかになり、問いとしての意味を失った時、探求は完全に終わります。
それまでは、一瞥体験が起きようが、クンダリニーが目覚めようが、神と遭遇するというような神秘体験が起きようが、謎が残っている限りは、探求は続くことでしょう。
そして、わたしは誰か?が明らかになったとしても、更に奥があり、この宇宙の多次元世界は、人間にとっては、まだまだ神秘に覆われています。
中には、多次元を体験している人もいますが、あまりに日常生活と遊離しているので、一般に理解されることはないでしょう。
それも、起こることが起きて、そうなっているだけなのですから、この世は、知られているようで、本当には知られていないことも多く、あるがままでありながらも、同時に、人間にとっては、摩訶不思議な世界でもありますね。
Posted by 夢幻宇宙 at 2020年01月22日 17:06
いつもありがとうございます。
ちょっと聞いてほしいお話があります。
今から45年前、小学2年生の頃に不思議な体験をしました。授業中机に空いていた小さな穴をボーっと見つめていると視野がだんだん狭くなりピーと言う耳鳴りと共に全てが見えなくなりました。ピーと言う音だけ聞こえてました。数秒で終わりましたがとても気持ちが良かったのです。いったいこれは何だったんでしょう。
もしかして一瞥体験??小学2年生で??
後に数回同じ事が起きました。全て子供の頃の授業中での話です。
Posted by ひかり at 2020年01月22日 18:06
一瞥体験してる人はいません。
生まれてもいない。死んでもいないのですからね。
幻想の中の阿部さんでありさらに神秘体験をさせただけ。
そのお方が彼方。
全部他力なんですから皆さん忘れましたか。
他力のなせる技ですよ。そう阿部さんはおっしゃってますからね。
誰がなるかはわかりません。
たぶん他力がサイコロ振ってるだけでは?ま冗談ですが。
模察さん彼方でしょ。
阿部さんの話では?わからなくなる。混乱させないでください。
わたし的には一瞥よりはやく気楽になるほう断然いい。
ので、南無〜に掛けてます。
Posted by いまが楽しみ at 2020年01月22日 18:20
一瞥を味わうと幸せだよ〜と言われれば、そりゃあ普通は味わいたくなりますよねぇ。
でもそれが味わえるかは運次第!って言われちゃあガックリもしますわな。

だから一休さんはこう詠んだのかもねー

『釈迦といういたずら者が世に出でて
多くの者を迷わするかな』
Posted by パンマン at 2020年01月22日 18:53
一瞥体験をしたことやそのような世界を知っているということ自体を、
一時期は「特別だ」と考えていました。
自分には価値がないと思っていたので、
そう考えることで優越感を創り出して
なんとか埋め合わせていたのです(^^;)

今となっては、経験していてもしていなくても、
知っていても知らなくても
「どっちだっていいよ~♪Let it be~♪」です(^^)

そして今でもマインドのささやきは聞こえてきます。
「そういう風に告白できる自分は特別だね」と( ̄▽ ̄)。
Posted by けせらせら at 2020年01月22日 19:09
あべさん

文章が上手ですね。
よくわかります。

ありがとうございます。
Posted by あん at 2020年01月22日 20:38
わ〜素敵❗️
Posted by 花 at 2020年01月22日 22:10
今日もweb瞑想に参加させて頂きありがとうございました。

智子さんのガヤトリーマントラが本当に居心地よくて瞑想に入りやすくなります。

皆さまと一緒にやる瞑想は本当にパワフルに感じました。


阿部さん、智子さんの衣装もとっても素敵で、

最後に流してくださった曲とバックの背景も素敵だなぁと思いました。


阿部さん、智子さん、参加された皆さま

本当にありがとうございました。
Posted by さとみさ at 2020年01月22日 22:36
たしかに一瞥の話しは迷いの元かもしれませんね。
起きないときの馬のニンジン、起きたら起きたでエゴのエサにならないようにしたいですね。
Posted by 美佳 at 2020年01月22日 23:02
阿部さん、智子さん、Web瞑想会、ありがとうございました♪

一粒万倍日、天赦日という言葉自体、生まれて初めて聞きました^^;
よくわかりませんが、とにかく、今日は吉日ということなんですね♪

だからなのか?30分、あっという間に過ぎました。

お二人の会話の中で、鏡の瞑想のお話がありましたが、鏡の瞑想はしたことがありませんが、普通に生活していて、目にするモノが透けて見えることがあります。
特に、ボーと見ていると、手前にあるモノが透き通って来て、その後ろに在るモノが手前のモノと重なって見えたりします。
目が(頭が?笑)おかしいのかもしれませんが、最近は、瞼を閉じていても、瞼が薄い膜のようになって、目を閉じているのに、周りの景色がボンヤリと見えることもあります。
だからと言って、どうってことないのですが。。。^^;
鏡の瞑想のお話で、顔が無くなるお話をされていたので、書いてみました。

久しぶりに、静かな時間を持つことができ、また、しっかりとエネルギーチャージができました^^

ありがとうございました♪
Posted by Sukshma Sharira at 2020年01月22日 23:17
私は神でありこの世で経験している私はキャラクターで全体である神がプレイヤー。死によって全てがゲームであったとわかり再度チャレンジするが記憶は消されていてまた、必死にキャラクターとして死まで全うする。その繰り返しが輪廻転生。全てはゲーム。だから、あらゆる障害に深刻になるのはバカげている。トラブルと遊べばいい。どうせ、全てはゲーム、幻想。実際には何も起きていない。
Posted by 近藤博文 at 2020年01月22日 23:45
今夜もありがたく瞑想会に参加させてもらいました。丁度、心が悲鳴をあげていたところで、連日怖い夢ばかりをみていましたね、直近の夢は、高級高層マンションの最上階に住んでいて嬉しい夢のはずが、実際、自身は高所恐怖症なもんで、洗濯干すのも恐る恐るベランダに出るわけですが、、何故か、外階段?なるものから突然カンガルーが侵入してきて、悲鳴をあげながらもw双方共に落ちないように、入ってきた階段にカンガルーを誘導するという、本日のブログの記事とは一切関係のない一瞥ではない謎の恐怖体験発表で申し訳なくも思いますが。
当の本人は目覚めると汗びっしょりで、朝からもうクタクタですよ、
なもんだから思考も落ち着かなくて騒がしく、そんな時は何をしても空回りしてる感じで進むべき方向性までも見失ってしまう始末です、
何が足りないんだろう、って、いちょ考えておりましたが、、
今夜、その答えが明確になりましたね、
ズバリ!瞑想、忘れておりました(^^;;
わかっちゃいるけど、どうにも口先だけの自分がいるわけです。

でもこうして今宵も瞑想会に無事参加させてもらえて、より良い瞑想に導かれました。途中自身が抱えている困難な問題も見え隠れしては、静寂に戻るの繰り返しではありましたが、身体は随分と楽になりましたよ!今夜は特に一粒万倍の素敵なお話しまで聞けてラッキーでしたし、良い音楽にも触れ、肩の力が抜けていくのを感じました!ほんとうにありがとうございます!
今夜も黙っていたらイケメンの阿部さんwと、いつ見てもお美しい魅力的な智子さんの仲睦まじいお2人のお姿と和やかなトーク展開で、、わたしもいつの日かは!良きパートナーが今、この地球上においてw何処かで待ってくれているものと信じw希望をもっていきたいと思いました笑

明日から、またゆる〜い感じで気楽に瞑想を取り入れて、皆さんと一緒に歩みを進めていきたいとあらためて思いました。
今年もどーぞヨロシクお願いします(^^)
Posted by Rock With You at 2020年01月23日 03:48
悟りが開けると真理の探求が終わるのですか。なるほど、そうなんですね。
何もかもうまくいく・・なんてことがないのは残念ですけど、因果関係を読み取れるようにはなるかもしれませんね。
興味深いお話をありがとうございました。
Posted by bbおばさん at 2020年01月24日 10:01
阿部さんの一瞥体験も起こるべくして起きたことであり、それが他の誰かに起きていないことも、起こるべくして起きていることなんですよね。

ただそれだけなのに、一瞥体験した阿部さんは、わたしの中では、何か特別なイメージがあります。
それも起きていることで、問題がある訳ではないのですが、それはとりもなおさず、わたしの中に、一瞥体験は特別という想いがあるということの表れなのかもしれませんね。

それを体験した人はいないのに、神秘体験を特別視するということが起きていて、それが起きた人を特別だと思ってしまう。

どのような体験も体験でしかないし、個々の体験に優劣は無いのに、あまり起こらない現象が起きたりすると、その現象に出会った自分は特別に選ばれたかのような錯覚が起きることがあります。

その錯覚も起きていることなのですが、今は、この錯覚が自分に起きていることに違和感があります。
これまでは、無かった違和感です。
何処かに、驕りがあるということの表れなのかもしれませんね。。。

これも起きることが起きているだけであり、そういう想いが湧いただけなのですが、その想いは一種の拘り、偏った考えであることは否めません。
今、気付いたことで、手放せるといいのですが。。

体験は確かに起きましたが、だからと言って、自分が偉くなったわけではありませんし、特別な訳でもありません。
いろいろなことがわかったとしても、それもただ起きただけで。。。
わたしがやったことは、何もないですし、わたしはただ受け取っただけ。。

それなのに、いつの間にか、大きな誤解が生じていました。

これも、わたしがやったことではありませんが、今は、悪い見本だったと思っています。
阿部さんにも、いろいろとご迷惑をお掛けしてしまいました。
起きたことは変えられませんが、心からお詫び申し上げます。
本当に、申し訳ありませんでした。
Posted by エゴのつぶやき at 2020年01月29日 00:43
エゴのつぶやきさんのコメントを読んで、私も同じだと思いました。

一瞥とかワンネス体験とか・・・は、今には無関係。と、言葉にはできますが、ずっとどこかで、私は特別的な思惑がありました(笑)

でも、今は「バタ足ノン・・・」のおかげで、ラクになりつつあります。
特別な体験をしたはずの自分が、全然特別でもなかった。これが、わかると、こんどこそは・・・本来の自分自身に至る・・・(はずw)希望が出てきました(笑)

金森さんの書籍もブログも、よく読むと一瞥とかの意味なき意味が読み取れることに感謝しております。阿部さんも、言い続けてきて下さり誠にありがとうございました。。。
Posted by チームtheドラゴン at 2020年01月29日 08:16
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