2020年01月23日

続・一瞥

一瞥に関しては誤解も多く、正確な情報があまりにも少ないのが現状です。

にもかかわらずこれから先ますますこのような体験をする人が増えていくでしょうし、やはり何かしらのガイドは必要かと思います。


言うまでもなくこのような体験は、体験する人が消えた時に起きるのですが、それでも強烈な印象は残り続け、その後の自我やマインドの構成を変えてしまいます。

二度と同じ人ではいられないと言ったのはそのことです。



そして真理への探究が終わります。


探求が終わると言うと、すべてが分かったからだと思うかもしれませんが、実際にはその逆です。


この地上界では何一つ分からないし、分からなくていいということが分かります。


そんなことよりも、いまこうして目の前に展開しているあるがままの真実に落ち着き始めます。

これ以上も以下もなく、すでに明らかな真実と共に生き始めるのです。


ところが人は、この唯一の真実を見失って、「いまここ」以外の全てを知ろうと躍起になっています。



実際のところ人間は、生命や宇宙に関して何一つ分かっていません。


計算上ではビックバンという説に行きつくのでしょうが、おそらくはそう遠くない将来、また新しい説にとって代わることでしょう。

そして永遠に仮説のまま残るのです。


時間と空間を前提にした科学には、時空間を超えた世界は解明できません。

そして生命も宇宙も、時空を超えた存在なのです。


これは科学的アプローチ(客観)によっては知ることはできず、内なる体験(主観)によって明らかになります。

なぜなら生命も宇宙も、我々そのものだから。


人間のあくなき探究心はこれからも続いていくでしょうが、真理は探している当人そのものだと知った時に探求が消えます。


続・一瞥



現代はとてつもなく大きな変化の時代だと、様々な分野の専門家たちが異口同音に言っています。

僕も全く同感です。


その中でも最も大きいのは、人間一人一人のパラダイムの変化ではないでしょうか。

「個から全体へ」

これがキーワードです。



この変化は文明の歴史的必然であると同時に、全体意識が個別意識に影響し始めたということだと思います。


ですからこの先、いままで以上に多くの人たちが一瞥を迎えるでしょうし、あるいは瞬間的な気づきでなくても、知らぬ間に全体意識と融合していたという人たちも増えていくことでしょう。


人間の不安をあおる情報が氾濫していますが、それらは分離したマインドの特性であり、実際には想像を超えた明るい未来に向かっています。


そしてあらゆる人々も、あらゆる存在も、最終的には大きな悦びの中に帰っていきます。


根拠は何かって?


一瞥すればわかる。



あはは、最後は煙に巻いたような言い方になってしまいましたが、これだけは命を懸けて伝えておきます。



大丈夫


心配ないからね。







Posted by Toshiro Abe at 09:12│Comments(53)
この記事へのコメント
個から全体へ

闇から光へ

心配から安心へ

不安から平安へ

幻想から真実へ

現れから源へ

分離感から一体感へ

頭の中の想念から胸の中の光へ

無常の現象から永遠の光へ

「わたしは小さな肉体である」という思い込みを捨てて
「わたしは大きな宇宙である」とハートから感じるほど
ハートが光り輝きながら大きな宇宙に広がっていき
ハートから大きな安心感、大きな解放感を感じることができます◎

わたしたちはみんなハートから宇宙全体に広がっている永遠の愛の光です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2020年01月23日 09:23
読みながら、なぜかほーっとして身体が緩んでいきました。

とにかく、大丈夫なんですね。

ありがとうございます。
Posted by サチ at 2020年01月23日 09:27
一瞥すればわかる

大丈夫

なんくるなるさ


阿部さんの発信は

時空を超えた存在


阿部さんに

  いまここから

   ありがとう
Posted by CHUYOSUPACE at 2020年01月23日 09:27
模察と申します。

阿部さんはブログで何度もご自分の経験を書かれていますが、
その一つの記事です。

『究極の静けさ』2007年12月29日
https://abetoshiro.ti-da.net/e1898814.html

いまから13年前のこの記事のどこに"彼方"が出てきますでしょうか?
全て、いまここの様子と阿部さんの内面の描写です。
一歩も"此方"を離れていません。
これを読んで「阿部さんは彼方から一瞥を授かった」と思い浮かぶなら、それは読み手側が勝手に誤った解釈です。

この記事で一番注目して頂きたい文章を抜粋します。
『このまま呼吸が止まって死んでしまう、このまま疲れ果てて麻痺してしまう、そんな地点に至るまで、全身全霊を込めてのたうちまわったんです。』

一瞥や悟り体験が素晴らしい経験となるのは、その前に死を覚悟するような地獄の苦しみの体験があります。
一瞥体験を素晴らしい体験だからと追い求める方の多くは、それより前の体験を無視します。
地獄の苦しみが深ければ深いほど、ギャップが大きいので一瞥体験は素晴らしいものとなります。

「本気で素晴らしい一瞥体験をしたければ、本気で死を覚悟して苦しめばいい。」
死と引き換えにする覚悟もなしに、素晴らしい体験だけを求めてもねぇ...私"模察"のホンネです。

コメント欄にも時折、地獄の苦しを勇気を出して書いてくださる方がいらっしゃいます。
そういう方は、一瞥体験を求めていらっしゃる人ばかりではありません。
ただただ楽になりたい一心です。
楽になるためには自死も厭わない様子。
文字通り"死と引き換え"する覚悟です。
しかし、身体を捨てては駄目です。
身体があるからこそ阿部さんのブログを読めるし、自分の考えを横に置いて、ただ静かに素直に触れてさえいれば、きっと内面において素晴らしい体験を味わえます。
Posted by 模察模察 at 2020年01月23日 09:47
阿部さんの『大丈夫』は最強の経文❣️
Posted by Jotho at 2020年01月23日 10:11
阿部さんお疲れ様でした。

差し出がましいふぉろーです。認証されずとも構いません。

見性・再見性しても苦悩は消えませんでした。過度な期待はされないで下さい。
(自己存在を識ることは真実ですが。)

そんなことよりも、今、思考から離れて、肉体感覚や存在感に注視を向けて
そこに居座ることで、苦悩はなくなりました。。。
一瞥に意識を向けること自体が苦悩に陥りやすいものです。
一瞥した個人が、あっという間にできあがってしまいます(笑)
本末転倒とは、こういうことだと経験以後を省みて思うのです。

>大丈夫・・・私もそう思います。というか、確認済です。
Posted by チームtheドラゴン at 2020年01月23日 10:19
今日の記事は朝の6時に書き上げて、アップの予約をして寝て、いま復活。

そしたら郵便が届いていて開けたら、本でした。

「バタ足ノンデュアリティ」

金森将さんという方の本です。

金森さんからは何通もメールをもらっていて、僕の活動への感謝を綴ってくれていました。

あるとき、本を出版の話が来たそうで、それが決まった日に見た僕の写真に羽が生えていたとか(笑)

きっと売れるのだと思います(^^)

いま数ページ読みましたが、やはり時代が動き出した、そんな気がします。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2020年01月23日 10:26
チームtheドラゴンさん

一瞥という言葉の解釈が各自で出来上がってしまっているもたいですね。

言葉は難しい。

さて、検証しても苦悩は消えません。

苦悩は人間の一部であり悪いものではありません。

ただそれを個人的なものとして受け止め無くなり、長続きしないだけです。

苦悩がなければ人生は味気なくなってしまいます。

どうも人間は、いいものを引寄せて、イヤなものを遠ざけようとしますが、それもふくめて在るがままに落ち着くことが悟後の修行と言われるものです。

悟後の修行についてはまた書いてみたいです。

と言いながら、たぶん忘れる(^^;)
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2020年01月23日 10:34
一瞥??

17歳の時、似たような??体験があります、、、。

身体から意識が抜けた?? 意識が身体を感じず、意識が宙にあり

時間が無く、「ただある」の意識状態、、、、。

一瞬でもあり永遠でもあり、、、、。

「なんだこりゃ、、、、、」、、、と、、、。

当時、創価学会に入会して、一生懸命に友人を思って、祈っていた時でした。

これが、こくうえの儀式の状態か???と後から思いましたが、、、。

いまは、創価学会を卒業していますが、、。

宇宙即我、我即宇宙、、、、まさに、と、いった感じでした。

その後は、一般常識、社会常識の洗脳に、どっぷりつかりながら、

「いまここ」です。
Posted by みつ at 2020年01月23日 10:46
阿部さん・・・忘れないでいて下さい。ま、督促?wはしてみます(笑)

阿部さんのお立場も、活動も、意図も、書かれる内容も重々承知しております。
私達は幸せの中で生きられますので、そのことを今後も広く広められて下さい。
お互いが・・・通じ合えるというのは、今の場面ですね(笑)
とりあげてくださり、感謝します。。。
Posted by チームtheドラゴン at 2020年01月23日 10:56
プププッ(°▽°)
「たぶん忘れる」って。
阿部さん!大丈夫です!!!笑

一瞥。。。。衝撃の事件後に味わった事があります。でも、そのあとその効力は薄まった気がします。←薄まるって感じるのはストーリーに埋没している時間が長くなった、過去がどんどん重いものに感じるようになって来たからです。
わかっちゃいるけどやめられないこの感じ。
ま、どーでもいいので放って起きます!


そして、さらにボヤいて帰ります。
今日の泥酔クリスチャン夫は呑めない日1日目みたいです。体調悪そうですが何故かわたしはほっとしております。^_^
何かの修行か??と言うほどウイスキーを飲み続ける夫。面白すぎます!ハハハ(°▽°)
Posted by きみこ at 2020年01月23日 10:56
「一瞥すればわかる」

そう、わかるんです。

わかったらチカラが無くなります。


「オールオッケー!」

そうなります。


これは個人個人のベストタイミングで起きるので気楽にいれば大丈夫〜^ ^
Posted by まぁるいこころまぁるいこころ at 2020年01月23日 11:23
ネット社会になったことで、多くの人が同時に情報を共有できるようになり、そのことが人間の意識の変化に大きな影響を与えていると感じています。
阿部さんが発しているようなメッセージに出会うことは、一昔前なら、そう簡単なことではなかった筈ですが、今は瞬時に繋がり、距離や時間を超えることができますね。
狭い範囲ですが、わたしが知っている本当に目覚めた人は、極普通の一般人です。
大和田菜穂さんも、今は有名ですが、少し前までは、一人の探求者であったことを、彼女自身が話されています。
今はコメント投稿されていませんが、このコメント欄でも、わかっちゃった人は何人かいらっしゃいました。
彼らも、ブログはやっているようですが、特に目立ったことはせず、今も、多分、普通の生活をされていると思います。
そう考えると、知っているだけで、阿部さんを除き、意識変革が起きてしまった人が、この日本だけでも数人はいることになります。
これは、よくよく考えると、スゴイことなのかもしれませんね。
スゴイと書いたのは、これまで無かったという意味で。
あるがままに落ち着いてしまっているので、そういうものだと思っていましたが、体験を通して、真実の次元、この世のカラクリを知ってしまった人達が増えている、ということは、これまでの地球の歴史上無かったことなのかもしれません。
それも、全体の流れであり、起こることが起きているだけであり、あるがままなんですよね。。
そして、究極的には、何も起きていない、神の戯れ、リーラ。。

全体に還るまで、残り時間がまだあるようなので、このまま、神が見させて下さる夢を楽しみたいと思います(^^)
阿部さんのブログは、楽しい夢の一つです。
これからも、楽しんで活動されて下さいね。
いつもありがとうございます♪
Posted by いつもありがとうございます♪ at 2020年01月23日 11:24
模察さん
紹介文ありがとう。数日探されたようですね。
引用の部分は、読むと阿部さんの意図した演技だと読めますよ。
その流れが功をさしたような。
それから、
彼方の言い出しっぺは、阿部さんです。
最近数年よく使われてます。
また、紹介記事の、「僕が何かをしてるわけではありません」と書かれてます。
これはどなたでしょう。思うところ彼方ですね。
彼方が他力ですね。
南無〜の念仏が楽でって親鸞さんがおしゃったのでしょう。
「しらん」とは言わせません。
Posted by いまが楽しみ at 2020年01月23日 11:30
阿部さんの至福描写は 絶望中の至福描写と同じだから 一瞥体験は「絶望した事」って言えると思うし、昔 阿部さんも そう表現していた時期があった。
絶望と聞くと 苦しそうだけど 苦しいのは絶望前の「諦めきれなさ」であって、絶望そのものではない。
「死」も同じ事。
諦めきれなさは「自力さ」で「自分がこうなりたい」「こうありたい」「こうなら幸せ」等々「希望の類全て」の事。
絶望と表現すれば「私はいない」と同様に それは「望めない事実」になると思うけど、同じ事でも「一瞥」と表現すれば、とっても漠然と「キラキラした感じ」が漂うので 面白い。

じゃあ絶望すればいいのね、と思っても私達は「絶対的セーフティーガード」の「囲い」を持っていて「絶望を望む事」はしない。
模察さんの張ってくれた過去記事にあるように、何かの拍子に「タガが外れて」囲いの外に放り出されて「絶望」は来る。
自制心が外れて「止めるすべもなく なすすべもなく」というのが「お任せ」。
「絶望しよう」なら それは「自力」であり「絶望したい」なら「望み」だから それは「絶望」にはならない。
同様に「お任せしよう」も「お任せしたい」も絶望(一瞥)とはならない。

なので 禅の修行は この「囲い」を小さくしてしまう事だ。
厳しいルールをつけ 尚且つ 絶対従う。これで「囲いを狭める事」で「我」の暴発を待つ。
小さくてぎゅうぎゅう詰めの方が 早く「暴発する」可能性が高いということ。
仕組みを言葉にすると理に適った、とっても「わかる」話だと思うけど 実践すれば 敵(我)は手ごわい。
ただ 一瞥とか絶望とか そういう至福体験の「最善(最短)のやり方」は存在する。
上記の修行に公案もつければ「悟る」もある。
Posted by まるまる at 2020年01月23日 11:33
一瞥体験にも競争心がわいてくるのはなんだろう(゜ロ゜;ノ)ノ
Posted by としあき at 2020年01月23日 11:38
阿部さんの「大丈夫」
大好きです。
苦しくても、大丈夫。
Posted by ゆき at 2020年01月23日 11:57
阿部さん みなさん おはようございます

模察さんがコメントで紹介して下さった阿部さんの過去記事を読みました。
以前一度講演会で直接お聞きしたことがあった内容でした。

>今思えばそれは意識的な狂気の解放だったんです。

本当の自分を生きる  自分と重なって生きる
これがたった一つの願いですが、それが”理性で制御されてきた”ものの向こうに置き去りにされたような気がします。
それを外すのは勇気がいりますし、周囲はそれをみておかしくなったと思うかもしれないけど、
実は抑圧して生きていることこそがまさに狂気を作り出してしまうんですね。

自分を制御する。。。ああ、まさに。
歴史で勉強した人類の迫害は狂気だとわかるけれど、個人の中で起こっているそれは見えないのでわからないですものね。その原因である社会というものも目に見えないですし。

阿部さんのように一気にではないかもですが、光を当てていこうと思います。自分の中の闇(狂気)に。^^

だからこそ本当の意味で健全な心身とあり方を保てる阿部さんやサンガの存在があってよかったです。ありがとうございます。
Posted by mike at 2020年01月23日 12:07
んだネ。いきなり切り替わるわけでなく、だんだんと腑に落ちるというか、もうどうでも良くなってきますね。
焦らないというか。
んだネ~。
Posted by デブ1号 at 2020年01月23日 12:13
阿部さんへ☆

最初は苦しすぎてすがるような気持ちで、最近は「フムフムフム☆」と、何年も毎日ブログをのぞいていたら、さすがにちょっと気が楽になってきました^^
緊張・不安・恐れの三本柱でガチッと成り立っているような自分だったのですが、ジワリジワリといつの間にかゆるんできたようで、とても嬉しいです^^
Posted by ほし at 2020年01月23日 12:18
阿部さん、ありがとう♪
Posted by haruu at 2020年01月23日 12:25
〉ですからこの先、いままで以上に多くの人たちが一瞥を迎えるでしょうし、あるいは瞬間的な気づきでなくても、知らぬ間に全体意識と融合していたという人たちも増えていくことでしょう。

ここのメッセージが特にぐっときました。

なるほどねーってそう言うことかあって。

それが可能な時代なんだあ

刷新されてく感じ。

バージョンアップされてく感じ?

個と全体の融合の一体。



でも、個人的にはスマホの全機能は全く使えてない。
一部しか使えてない。

難しい事は分かりませんし、そんな勉強もしたことないし、
そんな本も読んでないので、未知の世界はさっぱりわかりません。

全体意識にも幾層の次元があってピンからキリまであって
全機能に適応していくタイプとそれなりに適応していくタイプと個人個人によって差はあるけど、調和してるみたいな感じなのかなあ?

難しそうな世界はその分野に興味ある人にお任せして、
わたしはここを生きるとします。

ほんまは、安心しかなかったのに、不安から世界を生きて、物事決めて、
行動してたんやな。

いまだ、きづいてへん物事に付着した思考があるけど、それなりにこれとつきあって、仲良くしていかなあかんな。

瞑想があるし、阿部さんの書かれるメッセージはあるし、
もし、家族に一瞥が起こったら、阿部さんの書かれるメッセージをみせてあげれば、いいし、一瞥の知識だけでも知っておくとお得かもしれん。

まずは、全体意識の感覚に気づいていること、思考ととらわれて忘れていても、そのうちすぐに全体意識に戻れ帰れるようにみんながなってくのだろあなあ。
そうなると全体がひとつやわ!!
元々ひとつやったことみんな感じだすんやろな。

すげー時代がやってきそう。
Posted by すみませんのひとりごと at 2020年01月23日 12:33
阿部さん、心から感謝申し上げます!!!

阿部さんのファンのみなさんへ

阿部さんから、な、な、なんと、コメント欄で本の宣伝をしていいよなどと〝神のような〟お言葉をいただきました!!!

お言葉に甘え、拙著『バタ足ノンデュアリティ』の紹介をさせていただきます!

私、東京の世田谷でケーキ店を営んでいる者でございます。

幸運に恵まれ、先日1月11日に、ナチュラルスピリットさんからノンデュアリティの本を出させていただきました。

「ノンデュアリティは、ふわふわしたものなんかじゃないんですよ、私たちの日常生活のお話なんです。」

「深刻さはいらない。あなたはもっと好きなように生きていい」

というメッセージを発信させていただいております。


まだ発売したばかりですが、

「読んだだけで、変化が起きているようで……」とか、

「そういうことだったのか!」とか、

「わかってきて、なんだかドキドキします」とか、

「非二元についてこれ以上わかりやすく解説できる人がいるのだろうか。初心者さんにもおすすめ!」

といった声があがっています!

興味のある方は、ぜひ手に取ってみてください。

あなたのノンデュアリティへの認識が変わると思います。

それにしても、阿部さんの器のデカさは、宇宙なみです!


本(アマゾン)
https://www.amazon.co.jp/dp/4864513279?SubscriptionId=AKIAIBX3OSRN6HXD25SQ&tag=naturaspiritc-22&linkCode=xm2&camp=2025&creative=165953&creativeASIN=4864513279

金森将のブログ
https://ameblo.jp/shokanamori/


ノンデュアリティライター
金森将
Posted by ノンデュアリティライター金森将 at 2020年01月23日 12:34
阿部さんは地球転生が終わったら、次どこ行きますか?

って、ZENサンガにいつか参加できたらチャットで質問してみたいです。
Posted by ジャンムラ at 2020年01月23日 12:50
模察と申します。

>また、紹介記事の、「僕が何かをしてるわけではありません」と書かれてます。
>これはどなたでしょう。思うところ彼方ですね。

書かれていることを素直に読めばですよ、
「諦めました」、「何もしません」、「お任せします」などの様子しかないですよ。
阿部さんが、阿部さん自身に向かって言ってることですよ。
阿部さんの内面の様子を言葉で描写しているのですから。
この記事の中に『"彼方"と書いているだろ。読みとれないお前がおかしい』と言われても私には無理です(笑)
だって書いてないから"彼方"なて浮かんでこないですもの。

それとも、阿部さんが彼方に存在する”誰なんだかわからないさん"に向かって宣言しました、とどこにハッキリと文字にして書いてありますか?
不思議ですね。思考って。
書いていないことを想像で膨らませて、それが事実となってしまうのですから。
Posted by 模察模察 at 2020年01月23日 12:56
か、金森さん本人からのコメントーーーー!!Σ(・ω・ノ)ノ!!!

めっちゃ爆笑やん!

阿部さんのブログが個人的理由で読むのがつらくなったとき(笑)
金森さんのブログにお世話になったことがあります。
人気ブログランキングから阿部さんと金森さんが同時日に退会されていて、びっくりした記憶があります。

うわおー!

金森さん本人からなんて、スゲー!

ここのブログの昔からのコメント欄にはたまにびっくりする人のコメントごあるから超貴重だと思う。

やっぱ、阿部さんすげー!

尊敬のまなこパート2

アップしないでや~!
Posted by すみません。 at 2020年01月23日 13:00
金森将さん

はじめまして、模察と申します。

昼休みにブログの方を訪れて、いくつかの記事を読ませて頂きました。
お蔭様で、スッキリハッキリしました。
これからもご活躍をお祈りしております。
ありがとうございました。(礼よりも本を買わなきゃですね 汗)
Posted by 模察模察 at 2020年01月23日 13:07
その本を読んで、その情報に触れて、気が楽になるのは、いいですね♪

不安にさせたり、恐怖心を煽るような情報もありますから。

最終的には、一人一人が目覚めていくしかないと思っていますが、そのための準備として、ある程度、真実についての情報に触れることは、プロセスとしてはアリだと思います。

何にせよ、神のご計画が少しづつ形として顕れてきているようで、面白いですね。
これからの全体の流れが、楽しみになってきました♪

かんながら たまちはえませ。。

21世紀は、ズバリ、目覚めの時代と言えるかもしれませんね〜(^^)/
Posted by 目覚めの時代 at 2020年01月23日 13:15
今日も生かされております(*^^*)


大丈夫

心配ないからね。


この言葉の根拠が究極的過ぎです(*^^*)

だからね~あべにゃんの懐を大きく感じるのだと思う。

宇宙大?神様級?全体レベル?


私としては、この夢が有り難い。。(*^^*)


全体もそう申しております♡
Posted by おいも at 2020年01月23日 13:27
『バタ足ノンデュアリティ』、Amazonで気になって注文し、昨日から読みはじめて、今朝読み終わりました。
ノンデュアリティのこと、しみじみ味わっていた時に、金森さんのブログが更新されて、阿部さんに紹介されているとのことで驚きました!

すべて自分がしているのではない、勝手に起きてくるというのは、少し前からそうなのかなと思い始めていて、今回本を読んで、ジタバタしても仕方ない、なるようにしかならないしと気持ちが楽になり身体からも力が抜けています。
Posted by olive at 2020年01月23日 13:38
模察さん
は、自力を主張してるんですね?
なんだ早く言えばいいじゃん。
いったりきたり(他力がかくれてます)
いいじゃないですか。
ブログリンクは他力本願ですから。
で、よそ見しないで!ね。
Posted by いまが楽しみ at 2020年01月23日 13:45
「大丈夫」
「心配ないからね」
阿部さんのこの言葉に何度救われたことでしょう!
一瞥体験された方の言葉は本当に強いですね!揺るぎがないというか。

そして一瞥体験のない私は、何度救われてもまた忘れて、「現実」という名の幻想に何度も取り込まれてしまう。
私達は人間というゲームをしているから深刻さは要らないというけれど
ちっともゲームを楽しめていない。
こんなしんどい、いや〜な思いを体験したくて、わざわざ人間として地球に生まれてきたんか、私の魂は…
って思ってしまう。

救われた⇔落ち込んだ、を振り子のように行ったり来たりして、あるがままに落ち着かない。
まだまだ頭で理解しようとしているから、何かあったらすぐ動揺して「どーしよう⁉︎どーしよう⁉︎」ってなっちゃうんですね。
Posted by グレース at 2020年01月23日 14:11
ステマにやられた( ̄▽ ̄)
マネーフォレスト園長(伏せ字)
ゴールドと訳せない(傾向アリ)
身の上陽水です(*☻-☻*)←待機自動
誰も知らない夜更かし♡バレた時♪
部屋の角から不適なパパが出る♪

ホタルはリバーサイド♪ 
介添え…リバーサイド♪
食事はレバーサンド♪←あるのか?
(某`ω´)ネタ振(釣)られたん蛇~
Posted by Ciel at 2020年01月23日 15:11
阿部さん、今日もほっとするメッセージ、ありがとうございます。すぐに不安になる情報に惑わされてしまいます(*_*)
阿部さんの瞑想会はいつも一人でする瞑想とはまるで別物で、意識が吹っ飛ぶような感覚です。昨晩もとても心地よい時間でした。毎回眠くなって、後半のお話を聞けずに寝てしまいます(^^;
いつもありがとうございます!
Posted by miz at 2020年01月23日 16:00
「恨んでいる人に対して親切に接し、相手が喜ぶようなことをするのです。そうすることで奇跡が起こります。」という阿部さんの言葉に従って今日苦手な人と仕事をするとき、傷つけられないように身を守るのではなく、にこやかに接して親切にしました。

今日はそういう態度で接すると決めていたからその人に会うことがそれほど憂鬱に感じませんでしたし、ちゃんとうまくできてすごく嬉しいです。また生きるのが楽になりました。阿部さんいつも、愛のある言葉を綴ってくださりありがとうございます。いつも感謝しています。
Posted by 江本真名美 at 2020年01月23日 16:14
 阿部さんのブログで金森さん

 夢のようなコラボレーション✨✨

 とても幸せな気分です

 阿部さん改めてありがとうございます
Posted by ららみ ♥ at 2020年01月23日 17:28
阿部さん、いつもありがとうございます。昨日の瞑想も大変気持ちよかったです。さまざまな形で、たくさんの機会を与えてくださり、感謝しかありません。

金森さん、ブログ少し拝見しました。
あれー!
これも、あれも、「私」が考えているのではないのか?という、なんとも気楽な感覚があります。
早速、本、購入させていただきます!
Posted by Mango at 2020年01月23日 18:34
初めまして。
いろいろな情報を読み不安になっていましたが、阿部さんの大丈夫の一言に、今日のブログの後半に、とてもほっとしました。
安心できました。
ありがとうございました。
Posted by あさひ at 2020年01月23日 19:22
模察と申します。

自力で死を覚悟して悟ろうとし、それを諦めると開きます。
自力を諦めるから、言葉では他力でいいのでしょう。

では、他力が分かったからと言って何もかも他人の責任だとして生きていきますか?
お釈迦様が最後に残した言葉は、自灯明法灯明ですが、法(真理)を頼りに自分で判断し、その結果は全て自分で責任を取りなさいということです。
これを自力と言えばそうなのかもしれませんが、所詮言葉で自力だ他力だと解釈したところで法(真理)には至りません。

法(真理)は、いまここに止まらなければわからないままです。
彼方とは、
1 話し手・聞き手の双方から離れた場所・方向をさす。また、現在から遠く離れた過去・未来を示す。あちら。あっち。
2 ある物に隔てられて見えない場所・側などをさす。向こうがわ。

彼方に思いを巡らすといまここから離れるばかり。
阿部さんも彼方を使われたことがあるのでしょうが、言葉の綾ではないかという気はします。
本当のところわたしにはわからないことですが。
Posted by 模察模察 at 2020年01月23日 20:42
ビッグバンは、既に様々な否定があるようですね。
思うのですが・・・たぶん、数学、科学、物理学等を、本当に極めている専門家の方々は、
意識のどこかで、その探求には必ず限界があることを悟っているのではないでしょうか?

とりあえず、てけとーにぐーぐるせんせーに質問しまくってみると、

サイエンスライターの憂鬱(現代物理学事始め)
http://kaoru.to/essay/essay_23.htm

>最近、脚光を浴びている「ループ量子重力理論」では、とうとう時空そのものが消えてしまった。宇宙に存在するのは「スピン・ネットワーク」と呼ばれる数学的な「前提条件」にすぎず、そこから「時空」概念が二次的に派生するのだ。
> 物理学は、単独で存在する「モノ」を次々と葬り去り、関係性のネットワーク、いいかえると「コト」のほうが重要になってきた。そして、今や、モノの
「容れ物」であった「時空」さえもが主役の座から引きずり下ろされ、物理学の究極理論からは、「モノ」の痕跡が完全に消去された感がある。


>時間と空間を前提にした科学には、時空間を超えた世界は解明できません。

既に15年以上前に、『物理学』も、そこから抜け出し始めているらしいですね。
・・・・・え゛?
2005年って、もう、15年も前???うっそだぁ~~~ぁあ???(爆)
Posted by ただの「自分」 at 2020年01月23日 21:03
なんかわからないけれど、大丈夫な気がします。( ´∀` )
バタ足、、、の本買ってみます。楽しみです。感謝。
Posted by きゃさりん at 2020年01月23日 21:34
>そしてあらゆる人々も、あらゆる存在も、最終的には大きな悦びの中に帰っていきます。

これまで、誰にでも例外なく、数えきれないほど、気の遠くなる回数、繰り返されてきたことなので、その通りになるのでしょうね^^

>大丈夫

>心配ないからね。

死は平等ってことですね♪^^
Posted by 永遠の宇宙 at 2020年01月23日 22:14
人間は肉体にある諸感覚知覚器官の能力を超えて、この宇宙を認識することはできません。
(例えば、人間には、紫外線は見えませんが、紫外線を認知できる生物もいます)
それ故、人間がその脳で認識している宇宙は限定されてしまいます。
それは、人間のせいではありません。
私たちは、そのように創られているのですから、仕方がないのです。

また、この認識という脳の働きは、人間に生じている「分離感」という「錯覚」の中で起きています。
ですから、認識そのものが「錯覚」だと言っても過言ではないでしょう。

この「錯覚」が生じているのは、肉体なので、肉体が消滅すると、当然、「錯覚」は消滅します。

肉体の働きが生じている間に、一瞥体験によって、「分離感」という「錯覚」が一時的に消滅すると、それまで「錯覚」に覆われていたこの宇宙の実相が顕わになります。
この現象は、元々そうであったにも拘わらず、人間の認知能力不足のために認識することができなかったこの宇宙の実相(本質)、及び、己の実相(本質)が明らかになることです。
この実相(本質)は、永遠に変化することがなく在り続けるこの宇宙で唯一の実在であり、私たちは誰でも、いつでも、コレです。

この実相(本質)は、「分離感」という「錯覚」が消滅する一瞥体験や三昧の中で、触れる(超越感覚として掴む)ことができます。
その時の感覚は、人それぞれのようですが、阿部さんの昨日の記事「一瞥体験」に書かれたような感想を持つ人もいます。
一時的な分離感(錯覚)の消滅によって、解放感や至福感が生じることがありますが、それも分離感があってこその体験と言えるでしょう。

>そしてあらゆる人々も、あらゆる存在も、最終的には大きな悦びの中に帰っていきます。

今も、誰もが、この大きな歓びの中にいます。
これは、真実なのですが、エゴである「わたし」には、とうていそうは思えません。
しかし、この真実を覆ってわからなくしているのは、エゴ(わたし)という幻想だけなのです。
Posted by 永遠の宇宙、永遠のわたし at 2020年01月24日 01:33
クリーック!!がないよ~
ないとないなりに、しっくりこない?!

「人は自分の作った世界を生き」てるんだなーと思います。
「マインドは経験と思考を区別できない」でしたっけ?
思った瞬間、世界はそうなってしまう。よくも悪くも。
大海原の大時化の思考も、深い海の底にいたらまったく別のもの。
同じ海の水でひとつなのにね。

イラナイ物をさいきんガンガン捨てまくっていますが、阿部さんのあの本のオマケCDが出てきたんでひさしぶりに聴きました♪まだ捨ててません(笑)
Posted by 南部鉄瓶 at 2020年01月24日 03:34
>そんなことよりも、今、思考から離れて、肉体感覚や存在感に注視を向けて
>そこに居座ることで、苦悩はなくなりました。。。

まったく同感です。解釈、判断、評価など主観を交えず、ただ見る、ただ聞く、ただ五感で感ずる、するとそこにどっしりとした安らぎが生まれ、苦悩がなくなりますね。そこに居座ってしまっていいんだって気がつくのにちょっと時間がかかりましたが、練習すれば誰にでもできると思います。「一瞥すれば・・・」なんて期待に生きるより、今すぐに、この瞬間にできることをしたほうがいいと思います。天気予報を淡々と聞くだけでも安らぐようになりました(笑)もっと言うと、ただの事実を示した数字データを見るだけでも安らぎます。思考(主観)から離れるってもの凄く心地良いです。
こうするようにしたら、思いもよらない形での面白い展開というのが起きるようになりました。これも楽しみのひとつです。
Posted by 美佳 at 2020年01月24日 08:01
一瞥体験。

結局。

今ここ。

「一切無碍」に勝るものは何も無い。
Posted by 無羅 at 2020年01月24日 08:58
あーべーにゃん、こにゃにゃちにゃん♪


おいもも本のアイデアが浮かびました(*^^*)


タイトルは♡オーラのクリーニング屋さん


副題は。。悟後の修行はこれっきゃない☆ 


です♡
Posted by おいも at 2020年01月24日 12:25
阿部さんの「大丈夫」で、どれだけ安心し心が軽くなったかわかりません。
ありがとうございます。
Posted by maiko at 2020年01月24日 12:30
阿部さんがご紹介して下さった金森さんのブログを初めて拝見しました。

まだあまり多くは読んではいないのですが、金森さんの「一瞥体験」が、とても興味深く、面白かったです。

一瞥体験を美化?することなく、自然体で好感が持てました^^

阿部さんが仰るように、『これから先ますますこのような体験をする人が増えていくでしょう』ということを実感しました^^

本当に、新しい時代がやって来ようとしている、いえ、やって来ている、ということなのでしょうね。

自然界でもそうですが、解氷したら、一気に春が訪れますね♪

そして、いよいよ春が来たら、待ちに待ったお花見が楽しめますね~^^
Posted by 黎明から東雲、そして有明へ at 2020年01月24日 22:54
一瞥体験の、体験談を、読ませていただきまして、僕が、一瞥体験した(だろう)と
思っていたあれは、本物じゃなかった!と少し、ブルーに…。「ああ、これまた、来世あるのかも、と」勘弁してくれ、という気持ちと、いや。諦めちゃダメだ。少数だけど、新しいタイプの一瞥体験を、体験しただけかも?笑
希望を捨てず、私の体験談と考察を
書いてみたいと思いますが、不思議なことが、私に起き始めたのが、よく覚えてませんが、八年前(2012年)くらいからだと、記憶しています。たしか…いまここの、本を買ってみた頃だったと、記憶してます。調べてみまさしたら、ありがたいことに、アセンションの始まりらしいとのことで、紆余曲折ありまして、不思議なことは、ノートに、書き留めるようにしてましたら、2019 2月に、テレビで作家(ラジオDJ)が、
朝の、五時からやられている宗教番組に、たまたま、ゲストで出ていて、三冊くらい小説を、書いているのだが、まったく売れないと。で悩まれまして、かなり絶望を感じて、多摩川の、土手を歩いていたら、あまりにも夕日が、美しい太陽を、見ていて、(宗教体験)私が、太陽を見ていると同時に、太陽の私が、人間の私を、見つめて輝いている、人間の体を離れて太陽と、一体化した感覚を、持ったとのことで、私は
この話が、あまりにも素敵で、NHKの、この一時間番組を、半分以下にしまして
編集して、ビデオに残しては、チョクチョク観てましたら、放送から、一ヶ月後
いつものように、何も考えず観てましたら、ある日あれ?これあの作家の方が、太陽と一体化したというのなら、、同じ人間の私にも、もしかして当てはまるんじゃないか?と気づいた瞬間に、「•」「ああ、すべての魂は、同じ存在で良かったのか
敵も味方も、本来は、ないのか。」と
幸せな感覚に包まれていました。
これを、私は一瞥体験だとしたらと、思っていたのですが、頭で理解するのではなく、意識が、肉体を離れるとか、宇宙と一体化するとか、物理的な作用を、ともわないと、ホントに理解したことには
ならないのですね、ただしばらくは、家族と、会話をするときに、おかしな話ですが、私が私に、会話しているのだなと。笑、ただ違うのは、性別と、年齢…
足が早い私と、足が対して早くないわたしが、左ききの、私と。利き腕の違うわたしが、私とわたしで家族をやり、食べさせていただき、日常を日々過ごしていたのだな。と、なんか幸せなある意味ちょっと危険な領域に、二週間くらい(ゾーン)に、入ったりまた、冷静になったりしてました笑、で、いつものように、
スピリチュアルのブログを、探してましたら、かんながらさまの記事が、話題に
あげてましたので、立ち寄った次第です
PS.スピリチュアルでは、他の惑星の方々(異星人の方)の扱いは、どういう
解釈なのでしょうか、ワンダラーとか(••)いつもありがとうございます 
Posted by 1025 at 2020年01月25日 05:49
阿部さんへ

一瞥の後の最大の疑問・・・何故、あの空間に生きられないか?

金森さんのブログを読んで、ぴんとくるものがありましたよ。
最初からひとつだから、ふたつに分けようがないし、気が付きようもない。
のニュアンスを読み、同じことだと思いました。

最初からあの空間にいるのだから、別の空間をつくる必要などありようもない。
特別な空間を創っていたのは「私」でした。www

おそまつな意見や感想の数々、お見苦しくも面倒な思考智の数々。
お詫びすると共に、思考智から感覚智への移行を試みてまいります。
色々な意味で、ありがとうございました(笑)
Posted by チームtheドラゴン at 2020年01月25日 09:33
>一瞥という言葉の解釈が各自で出来上がってしまっている・・・(阿部さん記)

1025さんも、混乱してるように思います(笑)
過ぎ去った過去はどうでもなことでしかありませんが、一瞥とワンネス体験との違いは、あります。そして両者を神秘体験と位置付けても構わないとも思います。識るという以外に「核心」がないのです。

要は、今その体験の「渦中」にあるか、記憶・イメージとなっているか?
記憶イメージ化してるだけなら、やはり素敵な体験程度で終わらせていいし、
根源でも、ワンネスでも、今の自分と照らし合わせておかないと、それ自体が悟りであると、多くの人が勘違いしているようです。
今。イメージの中に酔いしれているとしたら・・・思考の渦中です。

阿部さんも、金森さんも、その状態を・・・抜けましょう。と言われているように私には思えます。
Posted by チームtheドラゴン at 2020年01月25日 11:51
一瞥の記事、とても為になりました。
勝手にですが、阿部さんの誠実さと優しさが伝わってきます。
いつも優しさと、優しい気持ちにして下さってありがとうございます
(^_^)

そしてnike瞑想 とてもいいです。
Posted by 徳永 at 2020年01月27日 22:37
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