2014年11月20日

痛みと不幸を小脇に抱えて

数年前に似たようなことを書いたときは、ブログが荒れて大変でした。

今回そのようなコメントがなかったことと、コメントの内容が濃かったことが印象的でした。

わずか数年の間に、我々の意識は、我々の想像以上に変化しているのかもしれません。


「内なる痛みは消えることはない」

「人生は苦しみであり、幸せにはなれない」


このような言葉を理解できるようになるには、多くの経験と洞察が必要だったと思います。



もし我々が、常に去来する苦しみや胸の痛みを、自分の一部として認めてしまえば、完全に受け入れてしまえば・・・


あゝ、なんて爽やかな気持ちなんだろう。

いったい、何になろうとしていたんだろう。


私は私であり、これが私の人生です。

以上!!!



自分を認めるという感覚が、初めてわかってきた人もいましたね。

その調子です。

自分を認めるというのは、内なる混乱や、持続する痛みを、それが自分の一部だと認めることです。

あるがままを認めるとは、そういうことです。

「これではいけない。もっとほかの自分になるべきだ」と思ってしまう自分を休ませてあげましょう。


その上で、あなたが必要だと思うことをやっていけばいいのです。

その時その時、一番いいと思ったことをやっていくのは、いままでと同じです。


でも何かが違います。

それは一番いいと思ったことを選ぶ基準が、他人の目や正しさという基準から、自分の思いに変わっているということ。

結果がどうであれ、その結果とともに生きているということ。

そうなれば、余計な混乱はなくなります。

不幸が前提になっているから、不幸はもはや不幸ではなくなるのです。



生きる力が消耗してしまった人、

自信をなくした人、

もう生きるのが嫌だと思っている人、


そんなあなたが感じていることや、考えていることは、たいていは経験済みです。

これからも不幸と痛みを小脇に抱えて、一緒に生きていきましょう(^^)/



Posted by Toshiro Abe at 16:05│Comments(100)
この記事へのコメント
阿部さんの流れが皆さんに大きな流れの連鎖が起きていますね。
今回で「そうかぁ」と心に響いた方がどんなにいらっしゃるか。
阿部さんのブログを読みはじめてから今、何か大きな変化を感じています。
皆さんもではないでしょうか。

素晴らしいですね。
Posted by マロン at 2014年11月20日 16:10
今の心境にぴったりだったので、少し楽になりました。阿部さんサンキュー!
Posted by トロ at 2014年11月20日 16:16
頭の中で

「どうしたら幸福になれるんだ?!」

とジタバタ戦うのをやめて

「どんなに頑張っても
 この世が変化すること・無常であることは変えられない」

と気づき、頭の中の混乱・葛藤を手放し

ハートに安住すると

求めてやまなかった平安・幸福が内側に現れてきます。


今年大ブームになった「アナと雪の女王」は

頭からハートへのシフトを促してくれる本当に素晴らしい映画でした。

(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2014年11月20日 16:22
私も世の中は確実に変わってきていると実感しました。
この話が分かるようになった自分もスゴイ。
きっと今までのこと無駄じゃなかったんですね。
さぁ、あとはレッスンあるのみ。リラックスしてありのままを認めてあげるようにやってみます。

昨日ほど笑える記事はなかったなぁー
Posted by ぴかる at 2014年11月20日 16:22
ありがとうごさいます!すごくしみる言葉でした。今、子どもと方広寺に来ています。急に雲間から夕日が山々を照らし幻想的な今です。ありがとうございます!
Posted by 浜北在住 at 2014年11月20日 16:35
こんなんあり?
(笑)
泣きました。

嬉しいのかホッとしたのか、感激して ただただ涙です。


とは言うものの・・はもう辞めました


なんとかしよう・・も辞めました


したい時だけ趣味でします(笑)


肩に背負っていた重い痛みの詰まったリュックを
小脇にかかえるイメチェンに変更・なんか少し楽しいなぁ


阿倍さん
ありがとうございます
ずっと読んできてよかった。
Posted by メロディー at 2014年11月20日 16:36
阿部さんの言葉にホッとします。頑張るの反対は感謝。頑張るのをやめて、あるがままの自分に感謝。
阿部さんに感謝。ありがとうございます。
Posted by あん at 2014年11月20日 16:48
今月初め頃
とあるワークショップで
グループになった友達数人の目を見るというワークをしたら、
みんなの目の中に哀しみを見出だしてしまいました。
ふと「みんな根源的に哀しみと孤独を持っていて、それはおそらく同じものだけど、そうなんだ、と、ただ受け入れていればいいのだ」と感じました。なぜかほっとして泣きながら「明るい諦念」という言葉を思ってました。

この数日、あの時の感覚に通じるな〜と思いながら読んでました。

それでいい、なんだろうな。
明るい諦念。
Posted by アラヤクリ at 2014年11月20日 16:52
>不幸が前提になっているから、不幸はもはや不幸ではなくなるのです。

この開き直った後ろ向きな様な前向きな姿勢いいですね!
今年最高のヒットです。

ゼロになると言うのはこうゆう事なのかも…。
Posted by エマ at 2014年11月20日 16:53
阿部さん

いつもありがとうございます。

右往左往しながらもがいてきたなか、世間の評価、常識から自分の大切にしている価値観を中心に生活できるようになりました。

それはとてもシンプルで心地よいものですね。自分の心の声に耳をすまして、ハートを中心に生きていくことはとても心地よい☆
Posted by 金田一 at 2014年11月20日 16:54
今日のブログは何度も読み返してしまうほど、とっても心地よく感じました。
阿部さんのブログはわたしの元気のバロメーターにもなっています。
いつもありがとうございます(*´ω`*)
Posted by 北の大地の女神 at 2014年11月20日 17:09
尻尾を追っかけるのは止めましょう。
ジェットコースターは楽しむものだ!
って事かな。
Posted by とーりすがり at 2014年11月20日 17:13
阿部さん、こんにちは。
この「痛み」連載は、一段と感動モノです。
皆さん同様うれし泣きです。
ありがとうございます。
Posted by みち at 2014年11月20日 17:16
私は生きる力が消耗していました。
でも、もう大丈夫です!
阿部さんのブログに出会えてから、生きる力が漲って、爽やかな日々を過ごせるようになりました。
ほんとうに、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。
Posted by ももこ at 2014年11月20日 17:18
人生は苦しみである
我々は、決して幸せにはなれない。
わが身にかえればそれが真実だとわかります。

周囲の友人たちは子育てや仕事や家族の問題を乗りこえて、
「今がいちばんしあわせ」という言葉を口にするように
なりました。

どこへもゆきつかず、何も変わらず、
自分だけが取り残されて不幸のような気がしていました。
正直に言えば、今もその思いは消えないのです。

結局幸せか不幸かは相対的なものであって、
友人たちのように、過去の自分と比べて幸せだと思えば、
そこに苦しみはなくなるのではないのでしょうか。

「人生は苦しみである」
この言葉をどう受けとめていいのか。
なんだか堂々巡りをしている自分がいます。
Posted by さはり at 2014年11月20日 17:21
不幸も小脇に抱えて

これが嫌だ、あれが最悪だ・・・と嫌なことで頭がいっぱいなとき
疲れちゃうんです。

これやったら楽しい、アレもやりたいって希望で頭がいっぱいなときも
混乱して、同じように疲れちゃうんです。

不安も希望もマイナスとプラスの方向の違いだけで
いまじゃないものを目指そうとする点では同じなのですね。
Posted by いこい at 2014年11月20日 17:21
阿部さん、いつもありがとうございます。

こんな宇宙をみたいから、こんな宇宙をみているんですね。

もう十分だと思えば、あんな宇宙をみれば良いのですね。

いまここから

こんな感じの理解で良いのでしょうか?
Posted by cristal.light at 2014年11月20日 17:42
幸せになることはできなくても
幸せであることはできますよね?

教えてくださいm(_ _)m
Posted by テンテン at 2014年11月20日 17:42
阿部さんのメッセージで心が安らぎました。ありがとうございます。直接会ったことはありませんが文章を読んで安心するのは不思議だなと思います。この間の記事はじわじわと僕の心をほぐしてくれたと思います。またこうしてコメントすることでブログを読む姿勢も変わったなと思います。
Posted by スパーク at 2014年11月20日 17:55
阿部さん、素晴らしいメッセージをありがとうございます。今日のメッセージは心にしみました。すっと入ってきました。そして、安心しました。何度、自分を受け入れることが大事だと思っても、思った次の瞬間から、どうしたら自分は幸せになれるだろう、そして今のままではだめだと思って頑張ってきました。そして、またうまくいかず落ち込んできました。こんな自分では人生は終われないと思って日々あせりが募ってきました。人と自分を比較して、自分には価値がないと思い込んできました。もう、このまま死んだほうがましだと思うこともしばしばです。
人生も後半に来て、孤独で、不安でどう生きていったらいいかわからない自分に今日の阿部さんのメッセージは救いです。
阿部さんとつながっていられて本当に良かったと思います。
ありがとうございます。
Posted by なんごく at 2014年11月20日 18:00
今の私にとってすごく大きかったこの話、有り難うございます。

分かっているつもりになって、でも気付けばやっぱり必死に何かになろうとしていました。
阿部さんの言葉は、ガチガチになった体(頭?)から思い切りあらゆる不要なものを取り払ってくれます。
長年この世界で生きてきた癖は、なかなか抜けないものだということをここのところ痛感していますが、解放される感覚を味わいたいがためにやっているのでは、と笑えてきました。

私の道に阿部さんがいて下さって本当に良かった。あぁ、また楽になった。
阿部さん、有り難うございます。
Posted by Nana at 2014年11月20日 18:23
「痛み」シリーズ、ありがとうございました。

感情で感じちゃうタイプのワタクシは、昨日、ずーっと
色々と思ったり、感じたりしていました。

あー色々とあったなって。
20代の時、痛みを隠すために色々とやったし、気張ってたなって。
今振り返れば、痛みは大きくなるばかりだったなーって。
んで改めて思うことは、
この痛みも共に、あらゆることを自分の内側に内包しながら
まさにあるがままのリアリティーを生きていくことだなって。

話はそれますが、
「THE ZEN」、最高ですね(^o^)
何回も聴いていて、自分が禅を好む理由が分かってきました。
好むなんて言葉を発する必要もないくらいです。

一切のファンタジーを捨てて、一心に自分の内に向かう。
そして何気ない日常生活において、真実を体感する。

この真っ直ぐな真の強さと、広大さ。
「生」の在り方だと確信しています。

明日の3時限目を楽しみにしています(^^)/
Posted by ポン太の助 at 2014年11月20日 18:32
門より入るものは家珍にあらず
縁によりて得るものは始終成り壊す。
Posted by 匿名 at 2014年11月20日 18:49
阿部さんの「いまここ」は日本中の方々が唱えるようになりました。行き着くところは、そこだと言う事なんですね。私も行ったり来たりの道のりを歩みました。行きつくところは「いまここ」阿部さんの優しく、さわやかにとく語らいに納得し泣けてまいります。古いわりには疎い私でした。いつも有難うございます。
Posted by 仲本勝男仲本勝男 at 2014年11月20日 18:51
やっぱり、逆境の出来事の渦中にいる時は、辛いです、痛いです。人間やってる間はそういうものなんでしょうね。
Posted by らぶらどーる at 2014年11月20日 19:00
私も、過去の目をふさぎたくなる言動をしっかりと認めて反省した時から人生は動き出しました。
その時、たくさん泣きました。惨めで恥ずかしくて情けなくて辛かった。
でもその体験が私を変えてくれました。
過去と今自分を全てを受け入れて認める覚悟と勇気なのですね。

「自分はこんなはずじゃない」という気持ちがずっと現実を否定していました。

目をそらさないで現実を見ることは簡単なようで実は難しいことなんですね。
Posted by マロン2 at 2014年11月20日 19:03
つまり、痛みとはマイナス感情と言う事でしょうかね。
チョッと屁理屈な話で、意味不明かも知れませんが、目を通して頂ければ幸いです。

とにかく何でも良いから、否定的な感情や感覚が現われたなら、それが痛みの現われと言う事でしょうかね。
とかく感情や感覚とは、外側からの刺激に反応し、特に感情は思考を介して生まれて来る分けでしょう。
けどそれ以前に、元々その様なマイナス感情が、僕等の中に存在してるという事でしょうかね。
源に元々存在として有るものだから、消えることも無いのでしょう。
では源の痛みと、反応として現われたマイナス感情とが同じものなら、源の痛みを無理に知覚しょうとしなくても、
反応として浮かび上がったマイナス感情を、認めて受け流してしまう?、その様な態度や考え方を身に付ければ、
それで良いのではと思う次第なのですが!?

とまぁ、このような結論に至った訳なのです(汗)
じゃもう、痛みの意味(効果?)も理解できているので、認めて受け流してしまうことは簡単だと思う分けです。
そういう分けで、真に有難うございました.............................ていうか、本当にこれで良いのかなと(汗)
Posted by あまのじゃく at 2014年11月20日 19:11
なんだか安心して、ワクワクしてきました。

結局、これで良かったんだ・・・

今までも これからも。

みんな不幸だったんだな。

ずっと不幸なら、未来の心配も
期待もいらない。

いま やりたいと思ったことを
やればいい。

本当はやりたいことをやれるんだ。

こんなにも自由で、こんなにも
温かさに包まれ生きていたんだな。

有り難い。
Posted by ミチョン at 2014年11月20日 19:14
不幸であることが人間の当たり前なら、
人間はたくさんの幸せを見つけてしまうだろうな…。

それに…
仮に、いまワタシが不幸せの真っただ中にいて、
小さな幸せすらまったく感じられなかったとしても、
もう不幸であることに焦ったり、不安がったり、ひがんだり、
苦しんだりしなくていいんだー。
だって不幸が人間の当たり前なんだから。
らりほー♪ものすごくいいこと聞いちゃったヨ♪
Posted by 博多っこ at 2014年11月20日 19:25
本当にそうですね。相変わらずカルト被害が酷いですが、悲壮感はないのですね)^o^(
この内容と同じ境地になったのです。それから外側の現象は変わりませんが心は随分楽になりました。
私は、この被害で絶望とへと誘われ見性するんでしょうか?
しかし。。。。。。。
●絶望は、希望が無ければ 存在できません!

絶望したくなければ、最初から希望を持たなければ良いのです。

)^o^(
Posted by カルト被害7年目 at 2014年11月20日 19:25
阿部さん、こんばんは!
今日のお話は、スッと心に入って来ました。ここ数日、「痛み」について考えて
来ました。
私にとっては心の痛みというより、悲しみに近い感じがします。
自分でもよくわからないまま、心がキュッと萎縮するときがあります。
痛みも苦しみも悲しみも楽しみも」喜びも全て私の人生!
私は私であり これが私の人生 以上!!!
開き直った私です。
阿部さん いつも有難うございます。
Posted by 女鹿 at 2014年11月20日 19:43
この痛みは無くならないという絶望感もあり、でも戦わなくていいという安心感。混乱してます。。
今までの人生、すべて痛みとの格闘でした。けんかするほどなかよしだったってことだったのかな。。
Posted by きよこ at 2014年11月20日 19:47
昨日の記事で
『すごく笑った』って
おっしゃってる方々がいらっしゃいますが
何がそんなに面白いの??って
正直 思いました…

たしかにそうだなーとは
思いましたが…
Posted by 正直に書きます at 2014年11月20日 19:55
その3つ、今リアルに持ってます。
もう嫌だーってブログ開いたところです。

みんなが同じ痛みを持っていると言われても、自分だけが不幸に思えます。というか、周りの人は幸せに見えます。
そして落ち込みイヤになります。

帰ってきた酔っぱらいさんは今もこのブログを読んでいますか?
その節はありがとうございました。
彼とは別れを選びましたが後悔してません。どんな結果になろうとも自分が愛そのものであることを忘れないで、とコメントくださってとても救われました。本当に感謝しています。
Posted by 今日だけ匿名で。 at 2014年11月20日 20:07
今日の阿部さんのお言葉で、凝り固まっていた肩の力が抜けた感じです。
感謝
Posted by an at 2014年11月20日 20:12
阿部先輩、教えてください。
「痛みはなくならない」と深く理解することが、なぜ「爽やかな気持ち」に繋がるのでしょうか?
「痛みがなくならない」と理解したとて、痛いもんは痛いし、嫌なもんは嫌じゃないですか。
例えば、「夜寝てると、ハンマーで頭をガンガン叩いて来るおじさん」がいたとして、そいつが一生毎晩現れることが事前に分かっていたとて、1ミリも爽やかな気持ちにはなれません。
「あぁ、おじさん、今日もスナップがきいてるなぁ。いいなぁ、頭頂部への鈍痛がたまらないなぁ。」とは、まったくなりません。
嫌なことは何とかしたいです。
なぜなら、嫌だからです。
Posted by すぃむら つぇん at 2014年11月20日 20:33
いつもありがとうございます。
Posted by ほったん at 2014年11月20日 20:46
なんか…こんな私でもやっと「生きる」って意味が分かってきました。
長い長いトンネルだったけど僅かな光が見えてきた気がします。

阿部さん、いつも丁寧に教えてくださって本当にありがとうございます。
Posted by yutan at 2014年11月20日 21:10
阿部さん。こんばんは。

今日は、訪れていないのですね。

私は、生きる力が消耗してしまった、自信もなくした、もう生きるのが嫌だと思っています・・・

でも、今日の阿部さんの最後の一言「一緒に生きていきましょう(^^)/」に救われました。

もう少し、生きてみようと思います。

でも、苦しみや胸の痛みを、自分の一部として認めて、完全に受け入れるってこと、この完全に受け入れることは、どうやったらいいのかわかりません。

自分を認めるというのは、内なる混乱や、持続する痛みを、それが自分の一部だと認めるってこと、この自分を認めることは、どうやったらいいのかわかりません。

あるがままでありたい。このあるがままを認めるってことは、どうやったらいいのかわかりません。

「禅プロジェクト」にて勉強中です!!
Posted by エコル at 2014年11月20日 21:12
こんばんは


    阿☆


敏☆  私   部☆


    郎☆


不幸と痛み


一緒に生きていきましょう


こちらこそ☆よろしくお願いいたします


おやすみなさいませ
Posted by 甲賀忍者 at 2014年11月20日 21:17
「人生は苦しみであり、幸せにはなれない」私にとって衝撃的な言葉でした。
まだ、消化できてないようですが、じわりじわり心に響いてきています。

かつてどん底を経験したとき、確かに「もうどうにでもなれ」とすべてに降参して流れに身を任せる覚悟ができたときから、物事が好転してきたようです。

そんな経験をしたことがあるにも関わらず、近頃では「こんな事が許されるわけはない。本来こうあるべきだ」と勝手に決めつけて、流れに抗い無意識にそんな事例に関心を持ち、そして勝手にもがいていました。

阿部さんのブログに辿りつき、そしてThe禅を受講するようになり、有難いお言葉や教えにふれる機会に恵まれ、変な力が抜けてきて日に日に心が穏やかになっています。
心からの感謝をお伝えしたく書き込ませていただきました。
本当に有難うございます。
Posted by Eki at 2014年11月20日 21:19
「The禅プロジェクト」も参加させていただきました。
まだ第1時限目しか見させていただいていませんが。
このブログも、プロジェクトも、基本的に同じことをおっしゃっていますね。
言葉が違い、例えるものが違うだけで。
30年前からいろんな本を読んで理解しようとしてきたことへのとっかかりができてきたような気がします。
まだわかりませんが、もう少しこのまま進んでこたいと思います。
Posted by オーベルシュタイン軍務尚書 at 2014年11月20日 21:24
「この苦しみも痛みも自分の一部」
なんですね(泣)

それでも生きていきたいです(*^^*)
Posted by ちえ at 2014年11月20日 21:30
メッセージ頂きました。
ありがとうございました。凄く個人的ですが、現在今日明日かもしれない母の看病のさなかにこの企画に出会ったのもハプニングだと思ってます。さいごまでなんとか聞きたい。けど、後はお任せです。看病している今まさに、心を込めて自分らしく母に接し、母も自分らしく今を生きています。
こんな時にイヤホンでスマホを聞くのは不謹慎かもしれないんですけど、
どおしても聞きたくて、参加させてもらっています。ご縁をありがとうございます。
Posted by katsuyo at 2014年11月20日 21:40
私は昔のブロガーと同じです
いま絶望感に染まりつつあります
つまらないことだらけ
つまんない
幸福になれませんから

仕事に行くのも
つまりません
くだらない毎日になりました
逆ギレです
悲しいし
やっぱりつまんない
色あせてきました
調子悪いです
まだまだ道は遠い気がします
Posted by momo at 2014年11月20日 21:44
思うがままにならない過去や未来はほって置くしかないですね。
3つとも当てはまっていますが、そんな自分を許してやります(笑)

いつもありがとうございます。
Posted by マイペース at 2014年11月20日 21:44
いつもありがとうございます。
昨日のブログ、声をだして笑ってしまいましたーーーー(^O^)
だから阿部さんは信頼できる♪
すべて「OK~」出来そうです♪
Posted by くりぼう at 2014年11月20日 21:45
いつもは拝読するだけなのですが、このたびは思わずコメントしてしまいました。
私は数年前まで、こうなりたい、という願望に凝り固まっていました。
でもある時から、『汝、苦しみに抗わず』と自分に言い聞かせるようになりました。心のなかで半眼で胡座で座る自分の姿をイメージし、なるたけリラックスに努め、ただ、汝苦しみに抗わず、というフレーズを呟いていたのです。
すると、苦しみが自分の体をスーッと通りすぎていくような気がして、心が随分と楽になりました。
今も苦しみやコンプレックスなどにもがいているときも、このフレーズに救われています。
不幸や苦しみがあると、人はとかく苦しみを排除しようともがきます。しかし、そのもがきこそが、苦しみを長引かせ、ダメージを大きくさせる源だったのです。
コメント欄に寄せた方のなかには、苦しみにどう向き合えばよいか分からず、深く悩んでいる方が多くおられるようでした。阿部さんの今回のトピックスは、古今東西を越えて人生の苦難にさいなまれてきた全ての人達へのエールです。
悩みを抱えている方々も、苦しみに抗わず、身と心を委ね、じっくりと味わう姿勢で臨まれてはいかがでしょうか。私はこの習慣で、以前よりも楽に生きられるようになり、対人関係も改善しました。阿部さんをはじめ、いまここにる全ての皆さまの平安と幸せを心から願っております。
Posted by 眠り猫 at 2014年11月20日 21:54
なんだか今日もほっとするようないい感じ。

殻いっぱいの悲しみを受け入れるというか
これがあっても?いいというのか

やっぱり阿部さんと美智子皇后と

新見南吉はおんなじことを言ってる気がするー^^。
ちょっとうれしい

そうして悲しみ(くるしみ)よこんにちわ♪
Posted by さつき姫 at 2014年11月20日 22:02
結局、何を「当たり前」と認識するか、ではないかと思います。

それと、同じ言葉でも、解釈・イメージはいろいろですよね。
「痛み」と言われれると、
「いたたまれないさ」 とか 「恥ずかしさ」を真っ先に思い浮かべる人もいれば
「悔しさ」 とか 「切なさ」、「寂しさ」をイメージする場合もあるし
思い通りにならない時の「怒り」を痛みと感じたり。

「人生不条理」そのものが痛みです。
Posted by J at 2014年11月20日 22:04
怖れがある時は…ただ
『こわいんだね。私…』

と認めるだけで心が楽になるのですね。
スゴイです(^^)
Posted by 美 at 2014年11月20日 22:16
阿部さん、今日も記事をありがとうございます。

なんでこんな恐ろしい真実が私をほっとさせるのか。

頭で考えてもわからないのですが、なんだかすごく落ち着いた気分です。

探し求めていたHOMEにいるようです。
Posted by shinshin at 2014年11月20日 22:33
自分の人生です。

自分の人生です。

自分の人生です。

全ての幸福感誰が決めた!
全ての罪悪感誰が決めた!
全ての苦悩感誰が決めた!

何が?基準なんだ!誰の基準なんだ!

受け入れる、それは・・・・誰が決めた!
認める、それは・・・・誰が決めた!


なぜ、裁く!自分の人生で、誰を?何を?裁く!自分の人生で、自分を裁く?

手離す、誰が決めた?

誰に?やらされてる?誰に?

自分の人生一生懸命。今、一生懸命。
Posted by 匿名 at 2014年11月20日 22:36
えー(*^^*)
阿部さんと一緒に生きていいのですか?


ヤバイ…なぜだか涙が流れてます(ToT)

もっと気の利いたこと言えばいいのに

記事を読んで感じたこと他にもあるのに

最後の言葉に、胸がいっぱいです…


ばかですね~自分(^o^)
Posted by ようこ at 2014年11月20日 22:39
人生は「苦宝」を探す旅、そして皆は宇宙より絶対幸せだ・・宇宙は本当は今よりもずっとずっと綺麗だったんだよ、僕達が見ている、想像している宇宙、星たちは死んだ珊瑚礁なんだよ・・・「苦は宇宙、星々の涙」・・・僕の苦しみを覗くと「苦」がある、「苦」そのものにはに大小、重い軽いもない。・・・僕の中に「苦」があるだけ、正露丸をもっともっとちっちゃくした、かわいい「苦宝」がある・・・ 日常で苦しいと感じたら、何をしていてもいいから自分の「苦宝ちゃん」を優しく静かに見つめなだめてあげよう、ついでに彼のもね・・・え!見つめる余裕がないだって?それはありえない「それは君の怠慢だよ」・・・君達は人類を代表して、宇宙のカルマ「苦宝」を探しに行け(笑)
Posted by 成歩 at 2014年11月20日 22:40
あ、一緒にって
阿部さん「僕と」とは言ってないですねー(^^)

まあこういう奴もいると思ってお許しください(^^)
Posted by ようこ at 2014年11月20日 22:49
そうですね、受け入れる方法は色々ありますね。
苦しんでいる己を、「苦しんでいいんだ」と言って抱き締めて上げるのも良いかも。
まぁでもこれは、Sの人にはむず痒いかもですね(笑)

もし人は、老衰以前に志半ばで死んでしまうとしたら、
どの様な過去だったとしても、それは実に得難い時間だったと思うのかも。
もし今その様に思えたなら、今この経験をじっくり味わっていたいと願うはず。
色々実験してみる事ですね。
Posted by あまのじゃく at 2014年11月20日 22:53
やっぱり、「生まれ変わってでも魂は成長したい、成長しなきゃいけないらしい」という観念をずっと持ってきたので(多くの人がそうだと思います)、痛みの発現の種類によっては、あるがままでなくてそれを感じないように、うまく昇華させて外にでないようにしなければならない、って構えてしまうところがあります。

子供がいうことを聞かないときに大声でどなり散らしてしまったとき、

「痛みが出てきたんだなあ、あるがままですべてよし、これはなくならないもの。このままの自分でOK!」とひょうひょうとしている?

「痛みが出てきても、それを外に出さずに昇華できるのが、魂の成長の証。次はできるといいな。(魂は生まれ変わってでもそれを学びたいと頑張るだろうし)」と考えるべきか?

どっちなんでしょ?
Posted by けいこ at 2014年11月20日 22:57
ありのままの自分でいたい。

ともすれば、すぐにあるべき自分へと意識が向かう。

人の目に対する恐怖心が根本にある気がする。

ぜーんぶ社会に刷り込まれたものなんだ。


楽になっていいんだよ。

気づける範囲でありのままでいたいと思う。

いつもありがとうございます。
Posted by 空笑風まかせ at 2014年11月20日 23:04
不幸からはのがれなれない、と、は、みんな薄々知っていると思います。
だけど、それを受け入れる勇気がなかっただけで、慰めてほしいものにすがりつきたかっただけで。
わびさびが、なんとなくわかる大人になって、阿部さんのブログと出会って初めて自分の痛みに目をむけようと思いました。
Posted by マリリン at 2014年11月20日 23:06
昨日の記事はありがとうございました。
最近よく言われる「引き寄せの法則」を、単純にネガティブ思考否定&ポジティブ思考礼賛とする誤解がよくあるのに対して、痛みが消えることはないと断言する文章は爽快でした。
同じような文章を以前に他のどこかで読んだ覚えがあるのに、昨日の阿部さんの文章は何かもっとストレートにありのままの感覚が伝わってきました。

昨日のコメント数がいつも以上に多かったことに、私と同じような思いの方々が多かったのだと共感します。普段はほとんどコメント投稿しないノーコメント派の私までこのコメントを入れるくらいですので。
これからも「聞く耳を持つ者は聞くが良い」という文章を期待してしまいます。
Posted by 空色 at 2014年11月20日 23:06
マインドの世界が作り出す問題・苦痛・痛みは、

マインド自身が持つ、『構造的』 な問題です。

マインド自身が解決することはできません。

それを理解した時、全てを受け入れることで、

次のステージに立つことが出来ます。

マインドを超えた世界を見に行きませんか。

爽やかな風と 温かい笑顔に包まれた
ステキな 航海でありますように

               では    また
Posted by 忘我 at 2014年11月20日 23:25
 えっと、阿部さんの言っている「苦しみ」は自我が常に感じている「人生苦」のことであって、病気やケガなどの肉体的な苦しみではないですよね? そこを勘違いすると阿部さんの言っていることはただの運命論になってしまうと思うのですが。
 原始仏典にでてくる「毒矢の例え」ではないですが、病気やケガは現代医学の恩恵を活かしてすみやかに治療に専念すればいいだけのことで、宿命だからその苦痛を味わいなさいと言っているわけではないでしょう。
 
 自我の苦しみと肉体の苦しみをごっちゃにすると危険なことになると思ったので、言わずもがなトは思いつつもあえてコメントさせていただきます。
Posted by 功夫マニア at 2014年11月20日 23:26
自分は、心のどこかで「大丈夫」なんだと思ってました。

でも、そんな保障はない…

自分に言い聞かせていただけでした。

「ダメ」な自分の味方でいようと思います。

ありがとうございます。
Posted by けんじ at 2014年11月20日 23:45
そうなんです^_^
そのとおりです。
自分を変えよう!と、がんばってたから、自分であることが嫌になって、でも、自分は自分だから、どうしようもなくて…そしたら、どんどんと絡みついていって、ぐるぐるになってもつれていって…
阿部さんとの出会いのおかげさまでもつれが直り、ぐるぐるしたものはだんだんとゆるんできています。
不思議なんですが…
自分のしたこと、あー、またやらかした!と思ったことについて、冷静に見つめることができるようになっています。
ありがとうございます^_^
Posted by どりっちる at 2014年11月20日 23:47
なーるほど。

阿部さんと黒斎さんのDVDの中で、阿部さんが絶望的なことをわらっておっしゃっていたことの疑問が溶けました。

痛みは当たり前で、そのまま温かく受け入れてあげたらいいんですね。

身も心も軽くなりました。

ありがとうございます。
Posted by まさとん♥️ at 2014年11月21日 00:06
一緒に生きてくださ~い!!!!

黒猫ちゃんだけとのメッセージ(THE禅プロジェクトのね)
深夜放送のDJみたい

そして明日が楽しみです

ありがとうございます
Posted by 真夏子 at 2014年11月21日 00:14
痛みは消えることはない。

泣けてきました。
今まで自分は一体何に苦悩してきたんだろうかと。
嗚呼。
Posted by とんぼ at 2014年11月21日 00:41
阿部さんは不幸と痛みを小脇にかかえて、と。
私の場合は不幸と痛みを尻に敷いて、やれ行くとするか!
Posted by Jay at 2014年11月21日 00:56
相手(特に夫)に対して、直したり変えようとしたりすると、逆に自分が辛くなることは分かってきていました「相手のあるがまま、ないがままを受け入れる。」
ところがです!?
自分に対しては???
全くやっていませんでした。。。
驚きです( ̄▽ ̄)
自分のことは本当に見えていません。ビックリして笑ってしまいました。

ありがとうございます。
Posted by 美穂子 at 2014年11月21日 01:06
殻に閉じこもりまくり。 人とまともに会話できない。

感情表現がうまくできない。 shyすぎる。

人に不快感与えてる気がする。 テンションが低い。

全部治さないと思ってました。 治そうとするのもう止めます。
Posted by pino at 2014年11月21日 01:11
痛みは消えないとハッキリと書かれたのを見て、何だか笑いが込み上げて来てすごくホッとしました。
やっと闘いを止められる、そんな感じでした。何度も何度も闘って、何度も何度も勝ったはずなのに、何度でも戻って来るもの。生きてる間じゅう闘い続けるのかと思うと、今度はすべての力が抜けて行く様な虚無感に包まれる。その繰り返しにさらに苦しんで、ずーっと疲れたまんま。どーにもできなかったそんな感じを、一瞬で違うものに変える反転でした。何だ無くならないなら、放っておけばいー、それがそれで在る様に好きにさせておけばいー、なぁんだそーなんだって、自分のバカさ加減を可笑しいって笑いが込み上げて来ました。
質問です。『存在の詩』はいつ頃出るのですか?
Posted by みか at 2014年11月21日 01:22
頭では分かっています。分かっているのですが。。
何故か、ありのまま自分を受け入れ、肩の力を抜いて、リラックスする事ができない。
ここで、長い間、足踏みばかりしているのは、私だけでしょうか。
どうにか、脱出する手がかりはありませんか。
Posted by 新人 at 2014年11月21日 02:12
安部さ~ん、全然違う話題です。動画みたけどめっちゃっ見にかったけど。安部さんのしゃべりがせかせかしてて話が入ってこない(笑)。5回くらいプレイバックしたけど、全く内容が入ってきませんでした。向さん単独の動画はすんなり入ってくるよー。感想でした。反逆とか嫌がらせじゃないですよー。
Posted by いちほ at 2014年11月21日 02:25
これはあくまで僕が思ったことですが
この世で色んな欲望と戦って消そうと努力することより、そもそも本当の幸せや愛はこの世のどこにあるかと永遠に見つからない宝探しゲームに、自分が最初から持っていたと気付くことが何より大切ですね。 そうすればそもそも苦しみのゲームをしていたこと自体が馬鹿らしくなってこの世への執着を解こうとか努力しなくても自然にやめますもんね(>_<)
この世に来た僕達はある意味病気でしたね(^^;
Posted by しん at 2014年11月21日 02:40
ただただありがたいです。
言葉達が渇いた心に染み渡るように入って行きました。
Posted by 洋七 at 2014年11月21日 03:01
幸せにはなれない

だって

今すでに幸せだから

幸せでも痛みは

あるよ

ってことかな
Posted by momo at 2014年11月21日 04:17
Jさんの書かれた、痛み=人生不条理 それですよ、それ!いや、なんかすっきりしました。ありがとうございました。
Posted by marie at 2014年11月21日 07:05
希望と欲望は違うと思う。欲望はどちらかといえば絶望に近いと思う。私は欲望だと思う。ありがとう欲望、これからもよろしく。
Posted by 名無しだよ at 2014年11月21日 08:10
希望と欲望は違うと思う。欲望はどちらかといえば絶望に近いと思う。私は欲望だと思う。ありがとう欲望、これからもよろしく。
Posted by 名無しだよ at 2014年11月21日 08:11
苦しみや痛みが、人生にもれなくセットになっているのは、これらを体験することで「愛」を見つける為なんじゃないかな?なんて思いました!
Posted by Hiro at 2014年11月21日 08:15
コメント欄をよんできました。
そうだなー。そのとおり。
ここにくつろいで、ほんの少しの勇気と共に
今日も元気です!
Posted by norinori at 2014年11月21日 08:36
阿部さん、ありがとうございます。
有り難くて胸が熱いです。
自己嫌悪、嫉妬、非難の感情に覆われ、生きるのが辛く感じておりました。
成長したつもりが、似たような悩みを抱え続け、絶望してました。
救われたと思いました。
ありがとうございます。
Posted by 智智 at 2014年11月21日 08:41
阿部さん、いつも楽しくブログを拝見しております。

私の心のグルの言葉で大好きな文言があります。

それは、

「君は君になれ!」
「あなたの、一番深い思いに素直になること」

いつもありがとうございます。
3時限目の配信、楽しみにしております。
Posted by Hiromi at 2014年11月21日 08:57
もっとこうなれば、あれが手に入れば、誰それが変わってくれたら
すべてのコントロールは、同じ根源の痛みの多様な表層に対する1人相撲なのですかね
その表層をどうしようとも、根源の痛みは自分自身と不可分であって、除去することはできない

人は物心ついてから、死ぬそのときまで、痛みを消し去った幸福な状態というのがあると信じて奮闘しているのですね
しかし、どんな人が、どのようにその表層に対する努力を達成し続け成功と呼ばれるものを手にしたとしても、終ぞ望み続けたものが手に入ることはなく、憎み拒否し続けてきた痛みと共に死んでゆく

だからできることは、痛みは消し去れないけれども、それを受け入れることで、無駄な努力で疲れるような愚かしさを捨てることだけ
その無駄を骨身にわたって思い知れば、自分の自然と為すことも変わってくる
痛みと共にある人生をあるがままに受け入れて、しかしどこか安心しくつろぎながら、ただあるがままに生きるようになるということですかね
Posted by haji at 2014年11月21日 09:02
この宇宙の
あらゆるすべては
毎瞬毎に生まれ来る完全完璧な仕組みの中で、見事な循環を繰り返し調和が成され続けています(^-^
私達の最奥に在り続け決して消えないこの痛みは形を変えては現れ来る〈正に躍動そのもの〉であり同時に私達の生に欠かせない大切なものだと思います。
その働きが
すべてを愛へと誘ってくれる大歓喜の種なのではないでしょうか(^-^〃
Posted by 星の花 at 2014年11月21日 09:20
それから‥
先日はコメントへの
返答を頂き
ありがとうございましたm(_ _☆)m
Posted by 星の花 at 2014年11月21日 09:39
阿部さん、有名になればなるほど 正直になるのが難しくなるのに 本当にここ数日の記事は素晴らしいです。いつも ありがとうございます(*^-^*)
Posted by みーちゃ at 2014年11月21日 10:30
それから阿部さん、
音声メッセージ聞きましたよ(^^)


どのお話しも、
自分に重なるところがあります。
特に、あるがままであることについてはよく理解したいです。

あるがままがどういうことなのかも知らないし、
どうやら、いままでその逆を生きてきたようだということ。


他にも、知ることが色々ありそうな感じがしてます。
もちろん、お任せしていれば大丈夫な感じも。


阿部さん、いつもありがとうございます☆
今日は外は暖かくなりました(^^)
Posted by ようこ at 2014年11月21日 11:07
おはようございます。

…。んなこと言われても、見性体験を経た人の「人生は苦」の捉え方と、無明の人の「人生は苦」の捉え方とでは、安心感が全く違います。

「怖いよう、不安だよう、苦しいよう」の我々は、どうすりゃいいんですか?
「恐れ、不安、苦しみを受け入れなさい」って言われても「ええい、死んでやる!」って人も、日本国内に三万人います。
Posted by boo at 2014年11月21日 12:23
あべさんのブログはコメント欄も楽しいですね♪

痛みや苦しみを
「どげんかせんとアカン」
と思っていたら窮屈だけど

「これが私なのだ。それがどうした」
と思ったらパァーッと意識が広がって晴れ晴れした気持ちになりました♡
Posted by りらっくまい at 2014年11月21日 12:36
今しんどい人、自分は不幸せだと思う理由の一つは、まだ見ぬ先を思い煩うこと。
それはまだ起きてはいない事であり、どうなるかも分からない事。
これだけでどんなにくたくたになるやら…
だから、その思いさえ取ってしまえば、ほんとうは幸せも不幸せもないのだと思います。
そして、幸せであろうが不幸せであろうが、私たちは”大丈夫なんだ”ということ。
たとえ最悪死ぬことになろうとも大丈夫なんですよね本当は。
それが自分を受け入れるということじゃないかと思うんです。

諦めると言う言葉は、明らむるから来ているということを聞いたことがありますけど、
未来に幸せになろうとすることが、いかにしんどいことなのかを目の前に明らかにすることなのかも知れませんね。
Posted by ぽと at 2014年11月21日 13:04
痛みと不幸を小脇に抱えて

と唱えるだけで
これから楽しく生きていけそうです。
いつもありがとうございます。
Posted by さくら at 2014年11月21日 13:12
阿部さん ありがとうございます。
この数日のブログの内容、何かいよいよここまで来たかと、それを喜んでいる
自分が嬉しいです。

心を込めて生活することを心がけてきて、色んなことがあっても今までみたいにあまり引きずらなくなり、すごく楽になっています。

痛みは消えることなく、人生は苦しみであり幸せにはなれない
のに、心からそうだったのかと、感激しています。
Posted by らんこ at 2014年11月21日 13:31
質問があります。
朝起きて目覚めると気分が悪い時とそうでない時が有るのですか
たまにとても幸福感を感じる時がもあります。

体の具合は関係なく何の感情も理由もないのですか。
阿部さんは、そんな経験おありですか?
Posted by 心夏 at 2014年11月21日 13:33
阿部さん ありがとうございます。
この数日のブログの内容、何かいよいよここまで来たかと、それを喜んでいる
自分が嬉しいです。

心を込めて生活することを心がけてきて、色んなことがあっても今までみたいにあまり引きずらなくなり、すごく楽になっています。

痛みは消えることなく、人生は苦しみであり幸せにはなれない
のに、心からそうだったのかと、感激しています。
Posted by らんこ at 2014年11月21日 13:34
人生不幸なり。

見も蓋もない前提です(笑)
でもそれで救われるのですね。

不幸で当たり前。と思えば、今の苦しい状況も新しい側面が見えてくるのでしょう。それを楽しみにしています。
Posted by おてんき at 2014年11月21日 18:44
自分の中で今のところこちらの世界での幸せは
自我(私の名前は誰々で年齢、境遇、過去未来)が居なくて
ただ、五感
(視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚)だけ感じている時だと結論付けています。
幸せは不幸の不在
ってことはやはりこちらの世界は不幸が前提なんですね…。
Posted by hc at 2014年11月22日 22:13
あべさん、いつもありがとうございます。
今日、お世話になっている人からこれからの仕事の方向性について話ししたところ
「もっとこうしたほうがいいのに」
「なんで、そちらの方にいくのわからない」と言われ揺れ動いています。

私はただ、やってみたい。
という理由だけ。

その人の言葉を思い出すたび心の中にモヤモヤがありましたが

「内なる痛みは消えることはない」

「人生は苦しみであり、幸せにはなれない」

というあべさんの言葉で
胸の中が、すうーっと楽になりました。
本当にすうーっとです。
いままでだったら、こんなモヤモヤする自分を受け入れくないと否定していたと思いますが、今は受け入れてるような気がします。

あべさん、この言葉は正に名言ですね!!
ありがとうございます!
Posted by にっこりん at 2014年11月24日 17:39
幸せでないと人生負け組のような感じがしているのが現代人でないでしょうか。何かと社会やメディアは人生は明るく幸せなものだと押し売りしてきたように感じます。つまり不幸であれば自分はどこかが何か悪いんだ。なにか間違っているんだってって感じてします。

幸せになれないというのは、求めるなとというメッセージであると感じます。

幸せを求めるから不幸が追いかけてくる。

幸せなんて所詮は刹那的な感情であり、それをつかもうとすればするりと逃げてしまう。そして逃げてしまうから余計追いかけてしまう。そしてまたそれを捕まえようともがく。光をつかむことが出来ないのと同じで絶対とらえる事は出来ない。諸行無常であるのだから、これはしかたない。

幸せを求めないものに、幸せがやってくる。

それは求めなくても良い安心感から。

いいテーマですね。
Posted by ケン at 2014年12月02日 19:29
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