2011年11月19日

幼いころ

どのあたりから書き始めようかと迷いましたが、人格の形成に最も大きな影響を与えたであろう幼少期を書かずしては、全体の輪郭がボケてしまうように思いました。

そこで断片的な記憶をもとに、久しぶりに自分の幼少期を思い出してみることにしました。


数時間かけて、じっくり振り返ってみて驚いたことがあります。

僕の幼少期には楽しい思い出がほとんどないのです。

場面の多くは無彩色で、そこに流れる感情は寂しさと、情けなさです。

きっと楽しかったこともあったのでしょうが、それ以外の場面が圧倒的に強くて、見えなくなってしまったのかもしれません。


最も古い記憶は、裸電球に照らされた小さな部屋で、数人の大人たちに抑えつけられ、身体に針を刺されている場面です。

ガラス製の太い注射器のようなものが吊るされていたのを覚えています。

周囲には親も身内もいません。

僕は体中の力を振り絞って泣き叫んでいます。

当時は浜松に住んでいましたが、東京の病院が安心だということで、そこに一人で入院することになったと後から教えられました。

肺炎だったようです。

完全看護という言葉で親は安心したようですが、実際にはこの言葉から連想されるような、つきっきりの看護体制が取られたわけではありません。

入院は数週間でしたが、幼心には永遠にも似た長さに感じました。

ある朝、目を覚ますと、数メートル先にぼんやりと人影が見えます。

そこには母が立っていました。

その時母が着ていた洋服を、しばらくしてから僕が言い当てたことで母が驚いていましたが、迎えに来てくれたことが相当に嬉しかったのでしょう。



【豆知識】
ちなみに、1950年に「看護を看護婦の手で」というスローガンで「完全看護制度」が発足しますが、その名称が、入院患者を看護婦が完全にケアするという誤解を与えてしまうということで、1958年に「基準看護制度」に改められます。
基準看護とは、何人の入院患者に、何人の看護婦があたるかを明確にしたものです。
いまでも「完全看護」という言葉を使う人がいるようですが、正確には8年間しか存在しなかった名称のようです。
僕は1953年の生まれで、入院したのが2歳か3歳のころなので、まさにこの言葉が生きていた時代でした。



次の記憶は、それから間もなくして、長い間親戚に預けられたことです。

貧しさからのことだったようですが、預けられた親戚も貧しく、その一家は牧場で住み込みをして、小さな家に暮らしていました。

僕と同じくらいの子が3人もいたのですから、僕を預かるのは大変だったと思います。

その家に入るには牛舎を通らねばならず、自分よりもずっと高い位置に大きな目をした牛が並んでいるのが怖くて、いつも走って家に入りました。

当時の写真が何枚か残されているのですが、笑顔の写真は一枚もなく、どれも寂しそうな顔をしているので、余計に当時が寂しく記憶されているのかもしれません。


いま3歳くらいの子を見ると、何も分からない幼子にしか見えませんが、当時僕は、大人が何を考えているのか、なぜそのように振舞うのか、全部わかっていたように思います。

わざととぼけた態度をとっていましたが、人の心が読める不思議な子でした。



その親戚からやっと引き取られ、3歳で浜松に帰った時、親は違う家に引っ越していました。

昭和32年くらいのことで、まだ戦後の貧しさが続いていましたが、その家は描写することができないくらい、あまりにも粗末な家でした。

それから2年後に起きる、有名な伊勢湾台風のときは、家の屋根が全部吹き飛ばされ、頭に座布団をかぶって、向かいにあった砂糖会社の事務室に避難しました。

事務室の机に顔を伏せて眠るとき、今日はこんなに綺麗なところで眠れると嬉しく思ったことを考えると、どんな家だったのか想像がつきます。

夫婦共働きで、当時子供は僕一人だったのに、なぜ家がそんなに貧しかったのかわかりませんが、一生懸命に働く母のことを、とても愛していました。



その家での思い出は、ここに書くのも憚れるくらい暗いものばかりです。

最初に書いたように、きっと楽しいこともあったのでしょうが、なぜかこのような思い出しかないのです。

当時の出来事は、その後の僕の人格形成や生き方に影響を与えましたが、貧しさや寂しさが子供にどのように影響するかは人それぞれで、その経験を受け取る側の資質や、それ以外の見えない要素がたくさんあるように思います。

僕自身にとっては、もし一言で言うとしたら、不屈の精神のようなものが育まれたと思います。

しかしその不屈さは、あまり健全なものではなく、社会での孤立感や、不信感、敵意のようなものを含んでいます。


まったく違う環境に育ったとしたら、どのような人間になっていたのか興味があるところですが、人生に偶然はなく、「もしも」はないことをいまは知っています。






つづく







幼いころ   幼いころ



Posted by Toshiro Abe at 10:58│Comments(60)
この記事へのコメント
もしも はないんですよね
なぜ 今 この人たちに囲まれてこの体験をしてるのか
偶然はないんですよね。
Posted by とも at 2011年11月19日 11:04
あべっち~おはようございまーす(´∀`)ノ


幼子はいまここを生きているって言いますけど、あとから思い出すと寂しい思い出ばかりなんですねぇ、あべさんは。


でも、やっぱりその経験が、いまにつながっているんですねぇ


続きも楽しみにしてます!
Posted by ss at 2011年11月19日 11:10
ドラマの冒頭から衝撃的なシーンですね。


ここ最近、僕が巡回しているブログで、立て続けに
過去の経験やカルマの解放・浄化キャンペーン
みたいなムーブメントが起こってて、

ここにきて、阿部さんの自我ストーリーを
お聴きできるのも、また不思議な何かを感じてしまいますね。


僕のブログでも紹介しましたが、いろんな人の
いろんな経験、カルマのお話を共有するのって、
意識の進化的にも、すごく意味のあることだって
思ってます。

もしよろしければ、僕のブログ記事でいろいろと
ご紹介させていただいてますので、みなさん、
参考にして頂けたらと思います。

http://ameblo.jp/0329yoshi/entry-11082603478.html


阿部さんへ
もし不適切なら削除して頂いて構いません^-^
Posted by YoShi@左脳系スピリチュアリスト at 2011年11月19日 11:14
子供の頃苦労している人の方が、spiritualな成長をしていると思います。
というか。そうゆう事をすべて経験して、他の境遇の人々を助けてあげられる人間となるべく人生なのだと思います。

阿部さんが、今の自分に満足しているから、過去のことを、公言出来るのでしょう。
阿部さん、良かったですね!
人の世界が分かるから、人を救うことが出来るのですから、素晴らしい経験が出来たのですね。
Posted by 今日子 at 2011年11月19日 11:19
阿部さーーん

ハグ★
Posted by tara at 2011年11月19日 11:39
おお~、すごい幼少期ですね。

続きも楽しみです。

27日は名古屋の講演会へ行けることになりましたのでよろしくお願いします。
Posted by ハンズ at 2011年11月19日 11:44
阿部さん、今日もありがとうございます。同じような体験をして来ました。
Posted by ゆず at 2011年11月19日 11:47
幼子は認識を視聴覚に頼るよりも、
振動を振動のままダイレクトに感じるやり方をよく覚えていて、
まだ手放していないのかも知れませんね。
子供が分からないのは所謂、字面や社会通念なんかだけで、
本質的なことは殆ど把握していて、大概の事はバレてそうです。

しかし話の内容は暗いのに初っ端からもう面白い。
同時に、こういう内面の探求は誰もがやってみるべきじゃないかと思いました。
正直私はやりたくなったので、ちょっとメモ帳開いて真似してみます(笑)

『悟りの書』なんてものがもしあるとしたら、
それは意外と幼少期のアルバムなんかだったりしてね!
Posted by 相川 美晴 at 2011年11月19日 11:51
今ここで感じておられる「悟り」とは、あながが経験されたかつての記憶の集積、すなわちリアリティに他ならないのです。お解かりですね。もうそろそろそのコトについてお話しされる時期がやってきていることにお気づだと存知ます。
期待しておりますよ。
天路Tenro
Posted by Tenro at 2011年11月19日 11:55
セミナーで拝見した大爆笑を誘う明るい阿部さんからは、想像ができない生い立ちに正直少し驚きました。

と同時に、阿部さんは悟れるぐらい選ばれし特別な人。華やかな世界にいられる人。自分とは違うのだ…とどこかで思っていたことに気づきました。

誰もが、痛みもさびしさも抱える、同じ一つ。

つい自分の苦しみは、誰にも理解されない性質のものだと思ってしまうものですね。

また一つ気付けました!
Posted by ららら♪ at 2011年11月19日 11:56
人生は幻想だと思わずに生きているけれど
潜在意識では存在の真実を知っているから
こういう話が何だか気になる、、
という人には(以前の自分です)
阿部さんの自叙伝はとてもいいと思えます。

続きを楽しみにしています(^^)/
Posted by カンナ at 2011年11月19日 11:57
阿部さんから滲み出る穏やかな品の良さから「愛に溢れた恵まれた環境で育っていらっしゃったんだろうなぁ」でした…こんなにも貧困の中でお育ちになられていたなんて衝撃です。私は娘と息子がいますが、母親にとって男の子って無垢で太陽のような存在で可愛くて可愛くてたまりません。可愛いトシちゃんを手放さざるを得ないお母様はさぞかし辛かった事でしょうね(:_;)。これからの展開が楽しみです。昨日のblogも素晴らしくて瞑想が違う次元で出来たように思います。ありがとうございます。
Posted by saorin at 2011年11月19日 12:02
そう、何故か同じテーマだね。
他人のテーマであり自分のテーマ。
Posted by ぷ~すけ at 2011年11月19日 12:04
おはようございます

時代もあるんでしょうけど、すごいな~(><;)

続き楽しみにしてま~す
Posted by コハナ at 2011年11月19日 12:07
う~ん、く、暗い

今の阿部さんからは想像がつきません

(●^o^●)
Posted by 直弘です at 2011年11月19日 12:14
冒頭から重すぎる・・・OTZ

けど、過去を振り返るとろくな思い出しか
思い出せないのは自分も全く同じです
いい思い出もあるにはあるのですが
悪い思い出というのは、やはり印象が強いですね


いつか、その思い出の呪縛から
本当の意味で開放される日が
くるといいなと常常思います
Posted by まこもこまこもこ at 2011年11月19日 12:19
雨をよいことに、何もせずまったりと過ごしていました。
阿部さんの今日の話を読ませて頂きながら、ある種のホコリが淀んでいるような匂いがしてきます。私も経験としては異なりますが、
複雑な環境の中で、大人達の心模様を感じながら「子供らしくない」と言われながらも「そんなの平気」とうそぶいて自分のことを守って生きてきました。こどもは無邪気だ、という決めつけた様な言葉には今でも違和感があります。今日は何か心がウルウルしています。阿部さんありがとうございます。ちょうど雨降りでよかった。
Posted by きょうちゃん at 2011年11月19日 12:19
あべっちに対する価値判断を手放し

すっかり自分が阿部敏郎であることを受け入れて読むと味わい深い

ですね

今、滋賀も雨が降っています
Posted by 甲賀忍者 at 2011年11月19日 12:41
人それぞれ経験を選んで生まれて来ますね。
最近、やっと私も過去の私といまの私とは全く関係のないことを実感できます。
また起こったすべての事が、いまの自分の為に必要な事だったとも思えます。
私も、mixiの日記に自我伝書こうと思います。
Posted by 由未 at 2011年11月19日 12:56
阿部さんこんにちは(^O^)

いよいよ自我伝、はじまりましたね。
幼少の頃からずいぶんと色んな体験をされているんですね。
阿部さんの著書「さとりの授業」を読ませて頂いた時に
なんとな~く、阿部さんは小さな頃から色んな事があった方
なんじゃないかな~と感じていました。
ブログには書けないような体験もされているんでしょうね。

幼少の頃の体験がその後の人生に大きく影響したと
今日のブログに書かれていましたが、その通りなんでしょうね。

そうであったからこそ、今の阿部さんという人の
人間としての厚みというか、優しさが培われてきたんだじゃないかな
と感じています。

阿部さんがおっしゃるように、起こる事や体験に何一つ無駄なんて
なくて全て必然であり、自分の為なんでしょうね…。

これからも阿部さんのブログを楽しみに読ませて頂きますね。


東京講演会にも時々は参加させて頂きます。
またお会いできる日を楽しみにしています。
Posted by はなえ at 2011年11月19日 12:58
公演で目にする阿部さんは、落ち着いていて陽気でお茶目で
充実した大人の人、という感じで、
とてもそんな幼少期を過ごされている方とは思わず、びっくりしました。

そうであれば一層、過去を幻として受け留める(というか過去への執着を
捨て去るというべきでしょうか)ことは、難しかったことでしょうね。

まだ過去を自分の(自我の)現実として捉えてしまう私のような人間に、
大いに参考になる話だと思います。
ただこれを見て、一層自分の過去というストーリーに囚われる人が
増えやしないか、それが心配ですが・・・。

ブログでこのようにご自分の話を(それもあまり思い出して楽しくない話)を
公表するには、勇気も労力も要ったのではないか、と思います。

これからも阿部さんを応援しています。
ありがとうございます。
Posted by まかろん at 2011年11月19日 13:36
こんにちは、阿部さん。

いよいよ、書き始まりましたね。
惨めだった自分の過去を、これだけたくさんの人が見ているところで
さらけ出すって、並みの勇気ではできないと思います。
それも、本当は、きれいに飾りたいであろう阿部敏郎ファンの前で。


応援します。
今日もありがとうございます。
Posted by 還暦を過ぎたヒッピー at 2011年11月19日 14:03
うちの父は還暦のときに、7歳の頃の貧しく悲しい話を涙ながらにしてくれました。
話したらなんだか楽になったと言っていました。
父の場合は日常の中で、その思い出が頭をよぎるとイライラしたり元気をなくすことがあったようです。
人に話すまでに何十年もかかって、 そんな強い苦しみは私にはなかったから、親にすごく感謝しています☆☆
今日の記事を読んでそんなことを思いました。
Posted by ロイヤルブルー at 2011年11月19日 14:18
>僕自身にとっては、もし一言で言うとしたら、不屈の精神のようなものが育まれたと思います。

>しかしその不屈さは、あまり健全なものではなく、社会での孤立感や、不信感、敵意のようなものを含んでいます。

・・・そうですか。
 そこからいまの阿部さんに至るまで、どのようなおもいがあったのか、とても興味があります。

私の小さい頃は、喘息がひどくて発作が起こるたびに、
なぜ!どうして!
こんなに苦しい想いをしなければならないのか!
と思っていました。
何十年たった今でもくすりを持ち歩いてはいるものの、発作はもうほとんど起きません。
でも、体力的にも精神的にもストレスが溜ってくると、
今でも苦しさにばかりフォーカスしてしまい、フリーズしてしまう事があります。
もう手放したつもりなんだけど。・・・(苦笑)
しかし、そのカルマに気付けた事は、阿部さんのおかげだと思ってます。
・・・つづき、期待してしまいます。
Posted by hiro-k at 2011年11月19日 14:40
Dear阿部さん*

>まったく違う環境に育ったとしたら、どのような人間になっていたのか興味があるところですが、人生に偶然はなく、「もしも」はないことをいまは知っています。


はい……*

でも、私。

まだ辛い…*
痛い…*
哀しい……*
o(^-^)o

貴方の物語を読んでいて…*

自分の古傷が
今開いている…*

今はもう、
そうでは無いのに…*

今は

哀しささえ、
いとおしいと思える事が
救いです……*

阿部さん*
貴方は大丈夫……?

もし、古傷が傷んだら

貴方の愛する方が
抱き締めてくれますね(^-^)


私の場合…*

凍えて…*
震えて…*
人が怖くて…*

そんな
傷だらけの私を
抱き締めてくれたのが

私のAmourでした…*

やっと探していた人に
巡り逢えた感覚…*

Amourがいてくれたから

今…*
私が在ります(^-^)

Amourは阿部さんと同い年。
1953生まれの良い男です♪
V(^-^)V



三次元の人生は
幻ですが

痛みは
この世界では現実。

お腹すくし、
寒いし、
痛い……*

でも*

何よりも……*

現実なのは

人を思う心…*
慈しみの心…*

きっと…
本当の真実は
唯、そ、れ、
だからなのでしょう(^-^)

時空を越えて…*
哀しみを越えて…*
Posted by *おねむ* at 2011年11月19日 14:59
これ いいですね。 阿部さんが振り返りそのときの事を体感しなおすと 私たちも自分の人生を体感しなおして、皆さんそれぞれの カルマの解放が訪れるかもしれませんね~

WOW たのしみ~  皆さんのカルマの解放・・・・・  またまた軽くなるかも・・・

私もこの前肺炎にかかったときに訪れましたが まだあるかもだな~ 一緒に体感しなおそ~っと。。。
Posted by 脱力ママ at 2011年11月19日 15:51
阿部さん 素敵な自叙伝のスタートですね。
私の幼少期の思い出と なんだか
似たようなニュアンスを感じ、不思議と懐かしさが
こみ上げてきました。

アリガトウ
Posted by ハイハット at 2011年11月19日 16:21
 こんばんは。

阿部さんの中で整理のついていることなのですか?
読んでいると過去の事になっていないような印象を受けます。
差しさわりがあるのでわざとぼかして書かれているのでしょうか。
Posted by よくわからない at 2011年11月19日 17:45
阿部さんの幼少のころの記事を読んで、僕の
幼少のころを思い出してしまいました。

3,4歳のころだと思うが、悪さをして
どのような悪さか覚えてないのですが、

父に押入れに閉じ込められたことが、
ありました。泣き叫んでもあけてくれません。

そのせいだと思いますが、閉所恐怖症になってしまいました。
還暦を過ぎた今でも治っていません。
幼い子にこいうことはすべきではありませんね。

阿部さんは、幼少のころはとても裕福な家庭に
育った、と感じを受けていましたが。

小さいころ、不幸を持った人たちほうが、スピリチュル
な目覚めに達する人が多いのでしょうか。
Posted by matasan at 2011年11月19日 18:16
重たい思い出ですね・・・。
今の阿部さんからは、連想できないほどの境遇だったんですね。
ご両親も大変だったんだろうな・・・

なんだか阿部さんの幼少の頃の貧しさは、私の両親の子供の頃の話と重なります。

うちの両親の場合は、母は、貧しかったけど、周りもみんな貧しかったから、気持ちの重さはあまりなかったと言っています。
父は、家族との愛も感じられず、周りの家よりも更に貧しい家だったようで、今も恨みと淋しさを抱えたままです・・・

阿部さんが、その後どのように心を解放していくのか、とても興味があります。

この話を書いてくれて、ありがとうございます。
Posted by たーにゃ at 2011年11月19日 18:19
僕も幼少期は暗い時代でした。共感してしまいます。
これからどう展開していくのか楽しみです。
Posted by 僕は愛されたいんだー at 2011年11月19日 18:20
阿部さん、ありがとうございます。
暗く壮絶な子供時代、だからこそ育まれたもろもろ。
全ては必然・・・。無駄はないのですね。
もしも、は無いということが今はっきり分かります。
もしもを考えなくなって、心のスペースが増えました。
続きも楽しみにしています。
Posted by nurse at 2011年11月19日 18:38
阿部さんの人生ドラマ、いよいよスタートですね☆

ほとんど同じ年代なので懐かしい匂いを感じます(笑)
あの頃はほとんどの人が貧しく色々な意味で大変な時代でした。
親たちは「食べる」ために・・ただ「生きる」ために一生懸命だったように感じます。

それにしても息子を長い間ひとりで入院させてしまう巡りあわせ、親戚に預けなくてはならなかった巡りあわせを経験されたお母さまも、当時はどんなにか苦しく切なかったことでしょう。

でもすべては完ぺきなシナリオだったんですよね。
何一つ無駄はなく、良い悪いもなく、起きるべきことが起き続け・・・いろ~んなあんなことやこんなことがあって・・・こそ、いまの阿部さんの存在があるわけで☆

わたしも子供時代のころを断片的に思いだし、ちょっと泣きそうになりました。
阿部さんの物語を拝見しながら「解放」していきます。

貴重な機会に感謝です!ありがとうございます。

これからのストーリー展開楽しみにしています。
Posted by あかり at 2011年11月19日 19:12
涙が出ました(;_;)

自分のなかの同じような部分に響いてきて..




(^^)/さぁ つづき、いってみよー!
Posted by sai at 2011年11月19日 19:57
子供は親や大人に好かれようとしますからね。
犬のように。

だからわかるんですよね。
Posted by ひでぶ。 at 2011年11月19日 20:06
>saiさん
先日、レスありがと♪
Posted by ナラヤナ at 2011年11月19日 20:20
人生のまとめに入ろうなんて思ってないでしょうね?やめてくださいよ。

でもいつも正直でいてくれてありがとう。
Posted by 洋 at 2011年11月19日 20:30
今から、東海テレビで
ワンピースやりますね。

現代っ子は当たり前のように観ています。

私の時代はドラゴンボールだったなぁ…
Posted by ルフィー at 2011年11月19日 21:04
今日、ふと また 阿部さんにあって 阿部さんの声聞きたいな、
そう思ってました。

また 東京の講演会に 参加したいと想います。

全てが決まっている 

その流れで 出会えたことに 心から感謝です。
Posted by pao at 2011年11月19日 21:44
生きていくうちにはいろんなことがあり
どれもこれも自分が経験するはずになっていたことを経験してきた
今のこの歳になってやっと気づくことなのかもしれない
でも今ふりかえってみるとなんだかほんの一瞬だったように思える
あれこれのこと
私はずっと。。そこに自分がいない気がしていた
早くその日々が過ぎるように数えていた。。
悩みや苦しみは永遠のように感じ、楽しみや喜びは一瞬に終わる気がしていた、今でも時々そう感じるときもある
私はこれからどこにいくのだろう
私はこれから何をするのだろう
会える人に会いにいくのか、いける場所に行くのか
一瞬一瞬を大切にしなくちゃ。。もう永遠に時間が続くわけのない
時にきているのだから
今日もありがとうございました
私も幼いころを思い出していました
Posted by まるまる at 2011年11月19日 22:05
幼少期・・・

私も暗かったな。。。

全ては必然だったのですね。ホント、そう想います。

阿部さんは学生時代、ホントに有名人で人気者で
女子高生にも絶大な人気があって、憧れの的でした。

お昼休みの卓球、楽しかったです。
私は負けてばかりだったけれど。

懐かしいです。^^
Posted by 松原 at 2011年11月19日 22:31
昨日は何のためにあるんですか。
Posted by ゆうこ at 2011年11月19日 22:47
昨日の世は前世なり。
Posted by プレアデス星人 at 2011年11月19日 22:52
阿部さんこんばんは~

私が今、子育て中だからなのか・・・小さな阿部さんを思うお母様の気持ちも
痛いほど感じられます。

ただただ小さな阿部さんを抱きしめてあげたいな~
Posted by Jinn at 2011年11月19日 23:01
mixi 阿部敏郎のいまここコミュhttp://mixi.jp/view_community.pl?id=3190891 イベントトピックより転載。↓

この度、第2回『いまここ忘年会』in大阪を盛大に開催したいと思います。

僕達は、この一年を忘れることはできないと思います。
地震、津波、そして原発事故。
いまここ関連の人にとっては、天河神社でのアセンション。
おそらくは節目の年として、後世の人に語り継がれるのではないでしょうか。

そんな一年休むことなくブログを更新してくれた阿部さんにちょっと感謝し、お互いの労をいっぱいねぎらいませんか?
あと、やっぱり横の繋がりを造るのって大事だと思うのです。


場所は、千年の宴 西中島南方駅前店
http://www.hotpepper.jp/strJ000694613/map/
そろそろ違う店にしようとも考えてるのですが、もうしばらくはここで開催します。
豆腐料理が美味しいです。

開催日 :12月4日 日曜日
時間  :18:00~
電話  :06-6305-4088 
住所  :大阪府大阪市淀川区西中島3‐23‐9 中里第2ビル3


お気づきの方も多いと思いますが、大阪でのコラボ講演のある日です。
場所も会場の直ぐ近くなので、講演の帰りに寄って頂きたいと考えております。
講演に参加される方は、ぜひこの機会に忘年会の方にも参加お願いします。

なお、今回は募集期限を設けています。参加人数の増えることが予想されるため、あらかじめお店に予約しておく都合上です。
参加の方はここか、僕かゆるけんさん(bokumaeken@yahoo.co.jp)に直接メール下さい。
目安の数だけでも把握しておきたいです。
でも、当日気まぐれで参加したくなっちゃった場合は、直接お店に来て下さい。
ギュッギュッってすれば、なんとか座れると思います。

もう一つ、『いまここオフ会』(←11月22日同じ時間・場所で♪いまここオフ会で席を取ってます^^)と『いまここ忘年会』が同時進行してる。どっちに参加すれば良いのか分からないと迷っている方もいるかもしれません。
そのような場合は、迷わず両方参加することをお勧めします。
Posted by ゆるけん♪ at 2011年11月19日 23:20
阿部さん、こんばんは。

僕には、丁度今日のブログに登場していた幼少期の阿部さんと同じ年頃の一人息子がおり、拝読していると我が子の姿と重なって胸が締め付けられる思いがしました。

僕は自分がこの年頃の記憶を昨日のことのようによく憶えていますが、たまに何気ない日常の中で、当時のままの自分が一人の大人として社会の中に突然置かれてしまったような気持ちになりとまどってしまうことがあります。
Posted by アマチ at 2011年11月19日 23:30
興味深く阿部さんの自叙伝を読ませていただいてます。
阿部さんは戦後の貧しさをまだ引きずっている頃に生れたのですね。

私の父母もたまに戦時中の話をする時がありますが、焼け野原にポツンと残った松菱もついに解体されることになりました。
時代の移り変わりを感じますね。

でも、全て偶然ではなくて、完璧にことが進んでいるのですよね。

その後の阿部さんの人生のお話を楽しみにしています^-^
Posted by tomo at 2011年11月20日 00:31
奥の深い自叙伝になりそうですね。
スタートから引き込まれました。
続き楽しみにしています!!
Posted by 多田 at 2011年11月20日 01:24
阿部さぁん〜♪
ぎゅー!
はぐはぐ〜!



手に取るようにわかる私がいます。。。


私はもっとずっと緩い感じでしたが


あちこち引っ越しして貧乏暮らしの中
体育館の隅で家族四人で卓球台を見ながらご飯をもくもくと食べていたのを思い出しました。。。


寂しさと
屈辱の日々を過ごしていました。。。そのころは屈折してましたから(笑)


今思うと感謝しかない経験でしたし
楽しかったことも思い出したりしますが………



ヽ(´ー`)ノ


必然ですね、全て計画的ですゎね〜




love☆Peace
Posted by 香摘実 at 2011年11月20日 01:46
今日(昨日)の記事は自分の子どもの頃をふり返るいい機会になりました。
父親不在の我が家もなかなかのものでしたから^^
(台風のとき近所の人に家をぐるりと縛ってもらったことがあります←飛ばないように→家の中には5歳のぼくがいる)

人生に偶然は無い
そのことを「知っている」わけではありませんが
人との出会い(特に昔の恋人との出会いと別れ)は、今となってみれば「ああ、そういうことだったんだ」と思えるときがあります。
ただ「偶然は」と思ったのも私で、「無い」とそれを打ち消したのも私なので、なんかヘンな感じです。
もう、必然も無いということでチャラにします(笑)
Posted by ぐるくん at 2011年11月20日 05:04
重くて、暗かった「 世界の歴史 」

【 鬱積・蓄積した歴史的感情 】

いよいよ明けますねぇ。。。。。

阿部さんの自叙伝をみつめて、己から沸き上がる感情を見つめています。

己と己とが戦って、人と人とが戦って、国と国とが戦って、
憎しみ・恨み・悲しみ・罪悪感・絶望などなど・・

すべての長い歴史の【 鬱積した感情 】を、こうやって温かい方々とともに【 見つめる 】ことで

いよいよ開けますね。
いよいよ明けますね。
いよいよ目覚めですね。

阿部さんの過去を開くことは、全世界の過去を開くこと。
長い歴史の中で【 鬱積・蓄積した感情 】を開きますねぇ・・
こうやって阿部さんの歴史を、みんなといっしょに頂くことは
みんなのなかの【 鬱積・蓄積した感情 】も同時に見つめることですもんねぇ~

阿部さん、

あなたの悲しみは私の悲しみ。
あなたの苦しみは私の苦しみ。
あなたの過去は私の過去。

ともに見つめさせていただき、ありがとうございます。
Posted by 真 at 2011年11月20日 07:27
http://blog.livedoor.jp/kokyonokaze/

ぜひ!ごらんくださいませ。
Posted by おすすめしまっする at 2011年11月20日 07:38
もしもと、偶然がないなら母の交通事故は偶然ではなかったんだと、悲しく思います。
でも人生に落胆せずに希望を持って生きます。
阿部さんが、金沢で公演している頃、同じ金沢の病院で看病(付き添い)してます、今回 公演に行けなかったのも必然なら、非常に残念です。
Posted by ちびた at 2011年11月20日 08:09
これはよく私と似てるな~
Posted by たいよう at 2011年11月20日 14:06
経済成長著しい時代に幼少期を過ごした「私」(仮)は、貧さは無かったですが、両親との間に「違和感」をずっと感じていました

それの大まかな答えを阿部さんとの出会いで見出すとは(笑)

もしも… 未だに全てがそれ前提で丸め込んで来ます。ユックリ息吸って~ 私は静か ユックリ息吐いて~ 私は微笑む

これほんと助かります。

あ、私が親に何したか分かりますよね(笑)
Posted by ミカエル at 2011年11月20日 20:55
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Posted by TorsborpSurse at 2013年06月13日 18:26
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Posted by TorsborpSurse at 2013年06月13日 20:59
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Posted by TorsborpSurse at 2013年06月14日 01:54
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Posted by TorsborpSurse at 2013年06月14日 10:32
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ジーンズは同じUggの靴底と
Posted by TorsborpSurse at 2013年06月14日 14:45
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