2021年02月08日

社会から超社会へ

この世が、かくも惨めなのはなぜでしょう。

なぜ誰も幸せになれないのか。

社会的な名声を得ても、財を得ても、本当の幸せを生きている人は極めてまれです。


それは成功者と呼ばれる人たちの顔を見ればわかります。

彼らは人工的な笑顔を振りまくだけで、その奥に喜びを感じません。


なぜでしょう。


この世には人を幸せにしない何かがあるのでしょうか。

世界を陰で支配する者がいて、我々をコントロールしているからでしょうか。

もしかしたらそうかもしれないと思えるくらい、一般庶民から大統領まで、みんなが心の内に神経症を抱えて、社会の奴隷になっているようです。



このような状態を作り出している原因は、社会そのものにあるのではないでしょうか。

社会は、その人がその人であることを許しません。

教育のすべては、人が個性を放棄して、善良な社会人になるように作られています。


教育の名のもとに、あるがままの自分は否定されます。

そしてあるべき自分を目指すように仕向けられるのです。


その結果、自分が何を感じているかではなく、何が受け入れられるかが重要になります。

自分にふたをして、欺瞞にあふれた表面的な自分を生きだすのです。


本当の自分を抑圧するのだから神経症になるのも当然であり、そこには惨めさしか残りません。


社会から超社会へ


このような仕組みが、見えない支配者による陰謀の結果なのか、自然発生的なものかは別として、本当に幸せになりたければ、まずはこのからくりを理解することが大切です。

社会を生きるか、自分を生きるかを選ぶことです。


すでに洗脳されてしまったいま、社会ではなく自分自身を生きると決めるには大変な勇気がいります。

社会全体があなたを阻むかもしれません。

周囲からの非難も免れないでしょう。


それでも自分を生きることを決めれば、幼い頃に持っていた開放感を再び手に入れることができます。

幼いころは、他の誰かになろうなんて考えなかったはずです。

だから自分自身でいられました。



伝えたいのは、反社会的に生きるべきだということではありません。

それではみすみす社会との軋轢を作り出すだけです。


反社会というのは、社会の一部に過ぎません。

同じ土俵の上で戦っているだけだから。


反社会ではなく超社会でいることを提案しています。

社会を超えて初めて、自由と喜びが手に入るからです。



誰もが選ぶことができます。

自分を拒否して社会から称賛される生き方を選ぶか。

それとも自分を正直に生きるか。


例えば、

好きでもない人と好きでもない生活を続けるのか。

それともリスクを覚悟で自分の人生を生きるのか。



僕は欺瞞の人生を生きるよりは、世間から非難されるほうがマシだと思っています。

100%できるわけではないけれど、社会の規範から外れる自分がいても、むやみに否定したりしなくなりました。


だって社会は人工物であり、僕は自然の産物だから。


社会は共同幻想であり、僕はリアリティだから。


社会より僕のほうがずっと価値があると感じています。

それはあなたも同じこと。



お互い社会に譲り渡してしまった主導権を取り戻すことから始めてみませんか。

そこにこそ本当の幸せがあるのだから。


これが風の時代と言われる生き方の一側面だと思います。


必要なのは、幻想からリアリティへ向かう勇気です。







Posted by Toshiro Abe at 09:50│Comments(24)
この記事へのコメント
いつもありがとうございます。

「自分を正直に生きる」事がこんなに安心できる事かと感じています。
フッとその安心感が揺らぐ時は「自分に正直じゃないかな?」と気づき、瞑想が助けてくれます。

前に阿部さんの著書で、向和尚さんが「マライアカリー(笑)のHERO」は禅の心だ、と書かれていたのを、思い出しました。そして昨夜たまたま聞いた「ホイットニー·ヒューストンのGreatest Love Of All」も同じ事を歌ってる❗と気づきました。
阿部さんの瞑想がお休みだった昨夜。目を閉じて、ホイットニーの歌声を自分の体の中の宇宙に響かせました。
Posted by maicolo at 2021年02月08日 10:12
確認ですが、

>教育のすべては、人が個性を放棄して、善良な社会人になるように作られているのです。

で書かれている『個性』と『自我』は、全く違うものですよね?
『個性』は『社会』とか関係なく起こってくるものであり、
『自我』とは『社会との関係性』(だけではないとは思いますが)により起こってくるもの、て感じで。

そもそも、このへんを混同しがちなのが、『あるがままの個性』を生きられない
原因の一つではないかと思います。
Posted by ただの「自分」 at 2021年02月08日 10:13
おはようございます。
おいたんの言ってることを思い出して、本当にそうだなあと。
6年間色んな人に出逢って、そうだなあと。
久々にまたブログを読んでます。
Posted by ザクト at 2021年02月08日 10:25
背負っている荷物が重いほど、歩くのが苦しくなります→(>_<)←

背負っている荷物が軽いほど、歩くのが楽になります←(*´▽`*)→


背負っている心の荷物が重いほど、歩くのが苦しくなります→(>_<)←

背負っている心の荷物が軽いほど、歩くのが楽になります←(*´▽`*)→


心の荷物とは後天的に植え付けられた不自然な価値観です。

後天的に植え付けられた不自然な価値観を手放していき
先天的な生命の喜びによって生きるほど、生命本来の喜びを取り戻していきます◎

不自然に生きるほど苦しくなり
自然に生きるほど安らぎます◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年02月08日 10:28
阿部さん
いつもありがとうございます。

9期よりお世話になりこの一年かなりいろんなお話しを伺えました。
なるほど〜とかそうなんだ〜なんて理解しようとしていましたが、やっぱり未だにぐるぐるしています。

でも、先週の阿部さんのメッセージは私のような「理解」として捉えようとしている人にとって、ありがたい感がぐゎ〜と湧き上がったと思います。

命のことは実体がない分、まだよく理解できないけれど、今はこうして生きてるので、阿部さんのメッセージや瞑想に寄りかかりながら大丈夫なんだから。ってこの世を楽しく過ごすほうが今はいいじゃん!って思えました。

わからないことはわからないです。

でも、大丈夫ってだけわかれば充分かな。

ありがとうございます^ ^
Posted by すいり at 2021年02月08日 10:42
阿部さん自身が、今、本当に幸せかどうかをたまに挟んでくれるとうれしいなぁ。
「俺はいつも本当の幸せを生きているぞ!おまえらもそうしろ!」
「うるさい!そうでもない時もあるから、俺は瞑想するんだ!」
くらいは言ってほしい(^^)
Posted by 言うこと聞かないのが阿部さんのいいところ♪ at 2021年02月08日 10:49
阿部さんのブログを読み始めて、随分と経ちますが、今日ほど

「それとも自分を正直に生きるか。」

この言葉が私に突き刺さったことはありません。

まさにちょうど「会社、辞めよう」と真剣に考え始めたところでした。
でも思考はすぐにこの言葉を引き出します。

「会社を辞めたら、お金に困る」

この一言が心を満たして、心が萎えてしまいます。

とは言え、ストレスで体調をくずし、朝9時の就業時間が
近づくにつれ、ドキドキと鼓動が激しくなり、めまいがしそうに。

これ以上は身体は無理と言っていることに気づきながらも、
今日も出社しています。


書を書くことが大好き
ピアノを弾くことが大好き
エレクトーンを弾くことが大好き


自分に正直に生きるならば、
これを生活の、人生の、喜びの、<自分の>中心にすればよい。

わかっちゃいるけどねぇ~~~
Posted by むつみ at 2021年02月08日 11:16
この2、3日で色々と苦難に見える事がありました

今も辛く自分を責めてる気持ちもあるのですが今朝長いこと覆ってた硬い殻を破って孵化した感覚がありました
私を生きだすスタートになると感じています
Posted by 黒猫 at 2021年02月08日 11:55
いつもありがとうございます。
社会に馴染もうとがんばってきましたが、自分には会社で働くということがとてもつらい、とても苦手だということが心の底からわかってしまいました。
これまでも休み休み、ごまかしごまかし、どうしてもダメなら転職しまくって働いてきましまたが、幸い現在仕事をせずともしばらくはなんとかなる状態なので、社会というものからいったん離れてみようとやっと決心しました。
それに、仕事をしていると、ストレスで余計に無駄遣いしてしまい、悪循環だと気づいてしまったのもしばらく休んでみようと思った理由のひとつです。
休んでみて、まず感じたのは、自分の身の回りを整えることの大切さです。
掃除、洗濯、炊事などなど、自分を大切にする作業を仕事のために疎かにすることがとても不自然に感じ、私は今まで何か騙されていたのではないかと思うほどです。
阿部さんたちのお話や瞑想のおかげで、「ねばならない」から少しずつ脱出し始めているようです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by こうや at 2021年02月08日 12:00
今日の阿部さんのメッセージ、
いつも以上にしびれました!
ありがとうございます。
この春から、『自分を生きる』
選択をします!
ちょっと、怖いけど。
Posted by かつみ at 2021年02月08日 12:17
放課後のお子さんたちを預かる仕事をしています。
学校で「社会に役立つ人」になるよう訓練を受け、家庭で「〇〇さん家の子」としての型はめを受ける子どもたち。(そうでもない家庭もあります。)
子どもたちにとって自分のまま今を楽しむ場になっているといいな、と思いながら子どもたちと過ごしています。
Posted by sien at 2021年02月08日 12:21
阿部さん、素敵なメッセージをありがとうございます。
リアリティを生きます♪
Posted by haruu at 2021年02月08日 12:27
すごーい(*^^*)

すごいすごいすごいすごーい♪

よくわかるー♪

内容がドンピシャで入ってきました☆


神様は、無理難題を申される(笑)

お導き、よろしく頼むで~☆(*^^*)
Posted by おいも at 2021年02月08日 13:11
超社会…

十牛図のその八、人牛俱忘のように、目の前に広がる世界も自我の自分も消えてから、再びこの社会に戻って来ると超社会を生きる人になるのでしょうかね。

自我の自分のまま超社会を生きる!と言えば
ルールを破り、法律を破って、オレは社会を越えた凄いヤツ~と言いそうな…
(これは悟りではありません。)

向さんが好きなら、禅で…
ラマナが好きなら、真我探求で…
奇跡のコースが好きなら、赦しで…

この社会を越えていくのでありましょう。

道☆道☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2021年02月08日 13:55
本日の記事、深く共感します。

学校教育や親の価値観を小さいころから押し付けられ、知らず知らずのうちに社会的に立派な人間にならなくてはならない、という意識になっていました。
やりたくもない勉強を頑張り
他人と比較され
立派になれない自分を卑下し
死のうとまで考えました。

何かが違う、そんなモヤモヤがいつもありました。

親の期待とか世間の目とかもうどうでもいい、、自分がやりたいことをやろうと決め、同級生たちが大学を卒業し立派?な仕事に就いていくのを横目に私は大学を中退しました。

今はのびのびと生きていますが、小さいころからの洗脳から自分自身を開放するのは、かなり大変な作業でした。
まだ開放しきれていない部分もありますが(笑)

今、社会からの圧力がますます強くなってきているように感じますが、
阿部さんのいう「死ぬときは死ぬ、死なない時は死なない、以上」

これからも自分自身を信じ、心の赴くままに生きていきます。
ありがとうございます。
Posted by けんぼー at 2021年02月08日 15:13
「この世がかくも惨めなのはなぜでしょう」

そういう眼鏡で見れば、そう見えるのでしょう。
違う眼鏡をかけて見れば、世界は違って見えることでしょう。
眼鏡を変えると、そのことがわかると思います。

今は亡き両親ですが、ある時まで、口煩く、支配的で、子供の個性を理解できない石頭の親としか思えなかったのが、あることがきっかけで、それは彼ら独特の愛情表現だったことを知りました。
彼らの態度が変わった訳ではなく、私が彼らの態度の背後にあるモノに気付けなかっただけなのだとわかり、自分の物事の捉え方、見方に問題があることに気付きました。
私自身は無知だったので、自分で眼鏡をかけ替えることはできませんでしたが、慈悲深い神は、あることを通して、自然と眼鏡を掛け変えて下さったのです。
それからというもの、自分の見方次第で、世界は変わるということを学びました。
あの時、眼鏡が変わらなかったら、両親に対する誤解は解けないままでいたことでしょう。
表に現れているモノだけを見て判断し、その奥にある本当に大切なモノに気付くことなく終わっていたと思います。
私は悪くない、悪いのは、私を理解してくれない両親だという想いを、抱き続けたことでしょう。
両親との和解をきっかけに、世の中とも和解することになり、その先に、神との和解も起こりました。
眼鏡を掛け変えると、すべてが変わって見えるのです。

本当に、世界は、惨めでしょうか?

神は、この世界に現れています。

今掛けている眼鏡を通して世界を見ると、人間として現れている神の奮闘ぶりが愛おしく見えます。

人間は、心の底では、本当に大切なモノを知っていて、それを守りたいと思っている生物です。
自分の中にある永遠に変わらない神聖なモノ、愛や誠実、正直さや純粋な気持ち、平和や命を尊ぶ気持を、創造の歓びの中で、この世界で試そうとしているのです。
時には、失敗を通して、学んでいます。
そして、内なるモノと外側の世界が衝突することなく融合すると、そこに歓びが生まれ、分裂すると、苦しみが生まれるのでしょう。
人生は、この二つの相反する世界の関わりのバランスによって、味わいが違ってくると言えます。

人は、パンのみに生きるに非ず。
しかし、パンなしに、生きること敵わず。

このバランスを取って生きることは、人間にとって、永遠のテーマ、取り組まざるを得ない課題なのでしょう。

この世界で、自分は、どう在りたいのか?
何をしたいか?ではなく、行為を通して、どう在りたいのか?

世界劇場で、自分は何を演じ、それを通して、何を表現したいのか?
社会は、私たちが、想い、感情、行いを通して、自分を表現するための劇場なのです。
それ以上でも、それ以下でもありません。
多くの人々は、社会が主役なのではなく、主役は、そこに生きている人間だということを、忘れてしまっています。

一人一人が主役のマイストーリー。
誰もが、この世で自由に自分を表現し、自分が演じる人生劇場に満足して終われると良いですね♪
Posted by 永遠の課題 from M-online at 2021年02月08日 17:32
超社会を生きる。あるがままの自分を生きる。ものすごく勇気がいるけれど、自分というこのキャラを本当に愛するにはそれっきゃないですよね。
Posted by サンガ福神漬 at 2021年02月08日 18:29
楽しくなりました!
この時代に生きていてよかったな!あべさんのメッセージに出会えてよかったな!と。
有難うございます!
Posted by 国華 at 2021年02月08日 19:03
本当の自由と喜びは、超えたところにありますものね!

自分の価値を見出すのも放つのも自分。

誰一人として価値のない人なんていない。

だから、それぞれの色で世界を彩り豊かにしていきましょう〜
Posted by まぁるいこころまぁるいこころ at 2021年02月08日 20:53
あべさんこんばんわ。
北海道はマイナス26度でした(当地)
寒くてびっくり!
今日は少し緩みましたが。。
>むつみさん
ストレスがへって体調がよく過ごせるようになるといいですね。
もっとストレスの少ない職場とか・・何かよいご縁がありますように。
>sienさん
たまたま同じお仕事。?ですねー。
私は諸事情でたまたまつきましたが今は体力勝負の日々です。
お子さん方のパワーはすごく日々ばてそうに汗。たのくるしい??
すみません脱線です。
今日もよき一日。
Posted by さつき姫 at 2021年02月08日 21:59
社会が作り出していると思われる「ねばならない」も自分が作り出している「ねばならない」も同じ。
>社会は人工物
>社会は共同幻想
と認めることからなんでしょうね。
瞑想をするとそれを認められる、眺められる感じがします。
Posted by 美佳 at 2021年02月08日 23:09
今日は、本当にタイムリーな記事でした。

好きでもない人と好きでもない生活を続けるか?orそれとも自分に正直に生きるのか?幻想からリアリティへ向かう勇気。

自分軸で中心へ、ハートに書き留めておきたい言葉です。そして、自分に正直に生きたいです

阿部さん、今日もありがとうございます
Posted by ヨッチェル at 2021年02月08日 23:17
今までは、伝統に倣ったり、例え苦しくても、そういうものだと無意識に受け入れて従って来たものがあるかと思います。
苦しいなら、上手くいかないのなら、まず、何がおかしいのか、何を思い込まされているのか気づき、理解する必要があると思います。
(なぜかスピ界隈では、疑問を持ってはいけない…というような風潮も見かけますが。)

風の時代ですものね^ ^

風のエレメントは、情報・知性・思考・コミュニケーション。縦ではなく横の繋がり。
情報を共有し合い、鵜呑みにせず、自分で考えることが大切だと思います。誰かに付き従うのではなく。


自分軸を大切にしながら(得意な分野も、人それぞれですものね)、

相互に協力・理解し合いながら、皆で良い世界を創っていけたら…と、思っています。

土(地)の時代から風の時代への流れは、
まさに囚われから解放、そして既存の枠から自由になることを表しているのかもしれませんね。

(固定観念だけでなく、物理的なものに対する見方も変わってくるとは思いますが…)


もちろん、土(地)のエレメントより風のエレメントが良いという訳ではありません。これから、どこが(どの領域が)クローズアップされてくるか、ということです。流れを読むと見えてくるものがありますね。
Posted by ロータス at 2021年02月09日 11:38
阿部さん、いつもありがとうございます。

この記事は、私が救われた記事のひとつで、「すべては計画通り」の表題の記事と共に、今もブックマークして読み返しています。
当時はコメントする勇気がなかったのですが、今日はなんとなく書きたい気分になりました。この場をお借りして、お話させてください。

みんな、ひとつの光から生まれて、ひとつの光に帰っていく。みんなは自分で、自分はみんなで、大いなる光の計画によって、すべてがコントロールされている。
だから私は、すべてを天に任せて安心して生きていけばいいんだなぁ。

と、最近、より深く理解できるようになりました。

でも、私が自由に羽ばたくには、まだ厄介な足枷があります。
実の母親のことです。

ずっと虐待されていました。暴力を受けて、成長して力で抵抗できるようになると暴言を吐かれて、髪をむしられ腕を引っ掻かれ、お風呂は冷たい水、ご飯も必要最低限のものも与えられず…周りには気づいて貰えなかったので、自分から助けを求めて、逃げました。高校生の時に、施設に入ったんです。
もう理不尽すぎて…あんなのから生まれた人間だなんて、絶っっっ対に!認めたくありません(笑)
その憎しみと言ったら、今まで私をいじめてきた奴やストーカーしてきたヘタレ男に対するものの比ではありません(笑)

つい最近までは、そうは言っても高校生になるまで私を育ててくれた肉親である母を、私は捨てたんだ…という良心の呵責がありました。
親を大事に、感謝を、という宣伝文句が世に溢れる毎年の母の日は正直辛かったし、感謝できる親を持っている人が羨ましかったです。
でも、この記事を読んで、親を捨てただなんて苛まれなくても良いんだというメッセージを受け取って、心が救われました。

でも、母への憎しみだけはどうしても消えません。母を呪ってしまいます。
体の傷を見ると、嫌なことを思い出してイライラします。忘れることができません。
時々母に追われて必死に逃げる悪夢も見ます。
すべてを忘れ、許し、癒して新しい自分として再出発したいと思うのですが…なかなかできません。母にそっくりな自分の顔も憎いです。

きっと、私のこの心の傷を本当に解決するのは、時間ではなく、愛なんだろうなぁ。
と思います。
それは母からの愛情ではなくて、私から母への愛です。
でも、母を愛することが、母の幸せを願うことが、母と離れて9年経った今も、どうしてもできません。

本当は気づいてるんです。もう、あとは私の心が母を許せるかどうかだということを。
虐待されていたトラウマなんて、本当は今、ここにないのも知ってるんです。今ここにあるトラウマは、私の心が勝手に作り出しているだけなんです。
分かってるんです。だからこそもがいています。

母は戦後のアメリカ万歳政策で、洋画を見て育ち、アメリカに憧れていました。母はクリスチャンでしたが、ものすごく排他的で、神社仏閣や日本史が大好きな私は、歴史本も大河ドラマもすべて自由に楽しめませんでした。鳥類の観察も、夢中になりすぎてピアノの練習が疎かになるからと、禁止。
体の傷より、好きなものを否定されたことが特に、じくじくと生々しく心の傷になって、今でも血が滲んでいます。今、それらをすべて自由に楽しめるのに、です。

♪体の~傷なら~ なおせる~けれ~ど~
こころの~痛手は~ 癒せは~しな~い~♪

母と縁を切って、無事に高校を卒業して9年…いい加減、一歩踏み出さなきゃな~。と思うのですが。
どうしたらこの傷を癒せるのだろう。
これこそが、私の今世の最大の課題です。

というわけで、「かんながら」神宮には、まだまだこれからたくさんお世話になります。
阿部さんにまだ会ったことのない新参の小娘ではありますが、阿部さん、どうか私の事応援してくださいm(_ _)m

ずっとブログを静かに読んでいたのですが、最近書きたい病になってます( ̄▽ ̄;) すみません。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
Posted by キビタキ at 2021年05月19日 21:23
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