2019年12月24日

本音を生きる


実際には、生きることはとても単純で簡単なことです。

あらゆる生き物がそうやって生きています。


ところが人間だけは生きることがとても複雑になってしまいました。

それは家族や社会や様々な関係を生きるために、自分を押し殺してしまったからです。


一人一人に個性があるように、わき起こってくる衝動も違います。

その衝動は必ずしも社会や他者が求めているものではないかもしれません。


そんなとき人は、自分の衝動を押し殺して、社会用の偽の自分を生きてしまいがちです。

社会の中でしか生きられないので社会を優先してしまうのです。


ところが皮肉なことに、人は自分の本当の気持ち(本音)を生きたとき、幸せや、生きがいや満足を得られるようにできています。



いま、ごまかしがきかない時代が訪れていて、それは個人の生き方にも影響を与えだしています。

否応なく本音でしか生きられなくなってしまった人もいることでしょう。


これはいま訪れている、大きな変化の波の一面です。


勇気をもって本当の自分を生きた時、大いなる流れの中にあるので、物事はいまよりスムーズに展開し始めます。

でも人はそれを信じられず、最も安全でベターだと思われる古い生き方を選んでしまいがちです。


それも悪いのではないですが、喜びや心の満足は得ることができませんし、何かが滞っている感覚から逃れられません。


たった一度の人生、どう生きたいかだと思います。


本音を生きる


たとえば引き寄せの法則の大きなポイントは、自分を生きるということです。


多分このことを引き寄せの法則の提唱者は、

「素直に願う」

という言い方にしているんだと思います。


素直と言うのは、本当の自分の気持ちと言うことです。

これが法則の隠された真実です。


したがって指導する側の役割は、あれこれの理論を説明することではなく、昨日も話したように、その人を心の檻から外に連れ立つことだと思います。




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もし興味がある人は、今日の内に申し込まれた方がお得だと思います。


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Posted by Toshiro Abe at 13:00│Comments(18)
この記事へのコメント
模察と申します。

>勇気をもって本当の自分を生きた時、

おっしゃる通りです.....が、どの様な類の勇気を持てばいいのかが難しいですよね。

不安や恐怖、恥と向き合うことを恐れて、安全でベターだと思われる古い生き方を選んでしまいます。

古い生き方を選んだ瞬間こそ安心しますが、勇気をもって不安や恐怖や恥と向き合うまでは何度でも繰り返し起こります。

それらは、本当の自分の「目覚めなさい」というシグナル(声)で、目覚めるチャンスなのかもしれません。

それらと向き合わずに逃げ回ることを今度こそ諦めなさいと。

不安や恐怖や恥と戦おうとする勇気ではなく、それらの感情は既に起こってしまったのだから諦めて向き合う(受け入れる)勇気ではないでしょうか。
Posted by 模察模察 at 2019年12月24日 14:44
"装い"を見逃す人は皆無です( ̄▽ ̄)ネ
包装紙で隠して(気をつかって)
"合わせてるだけ"だからです( ̄▽ ̄)世
オベッカが見苦しいのも、
偽りだからでSHOW( ̄▽ ̄)根
本音(っても気づいてます特に子どもは)
を出さずにはいられない程、
装い(不自然=無・理)が行き詰まってw
自作自入の鍵なし牢獄が←オイ⁉︎(汗)
崩壊寸前なのです( ̄▽ ̄)ネ?
万人元より引き寄せマスターですから、
出所するだけでOKなのです( ̄▽ ̄)可?
Posted by Ciel at 2019年12月24日 16:58
本音
のつもり
素直
のつもり
やってみてはじめて、つもりだったことに気づいた。
私の場合はすんなりとは届かない本音。
気づかせるためにしんどいことが起きているような気がします。脱ぎ捨てて脱ぎ捨てて脱ぎ捨てて…。
もっとシンプルでいいんだろうなぁ♡
Posted by hero at 2019年12月24日 17:42
ZENサンガのYouTubeを拝見させていただきました。覚醒剤の質問をしていた方は納得したのでしょうか。「本来、全ては他力であり、自力エゴは後付け。自我は本来無い。自分で選んだ気になっているだけ。」というのがZENサンガの結論であったように思います。覚醒剤をした人もエゴでは無く他力により自力でしたようになっているだけで、背追い込んできたものは全て自力でなく他力だから自分のせいじゃないということならば覚醒剤をした人も他力、すなわちさまざまな縁や力があってのことでありその人が悪いということではないということになるように思います。そう解釈してよろしいのでしょうか。自力なら何時何分に何処で何をするかも決め、その通りに実行できる。しかし、そうはならないのは他力であるからだということでした。だから他力=愛であり、最初から許されている。他力しかない。自力は何もない。諸行無我。自分の意思は一切働いていない。他の働きがつくりだしている。結局、ニュースや新聞で善悪と言われている人たちは幻であり自力は他力の後付けである以上、善悪などは存在せず覚醒剤をした人も人を殺めた人も全ては許されている。何故なら他力だから。
一つわからなかったことは、全ては感情を経験したいから自我が出来事を作り出しているということです。罪も善行も全て幻である。最初から許されていた。それを知るために生きている。
ここでの自我が出来事を作り出していると他力の関係性が分かりにかったのと、
自分を守る事と他人をジャッジすることをやめたら人はほとんどすることがない。ともおっしゃっていましたがこれも他力ゆえと解釈してよろしいのでしょうか。失礼したします。
Posted by 近藤博文 at 2019年12月24日 18:06
檻なんて、足枷なんて、束縛なんて、本当は最初から無かった。。。

あると思って、自分を縛っていたのは、自分だった。。
しかし、これが明らかになったとしても、ストーリーはこれで終わる訳ではない。
まだ続きがあるのだ。

自分を縛っていたのは、自分だった、という「自分」は、実はいなかった。。。
自作自演の「自」は幻で、ストーリーを作り、それを演じる主体なる「わたし」はいない。

”大いなるひとつ”という力が、あらゆるモノとして顕れていて、顕れであるあらゆるモノは、”大いなるひとつ”の力により、存在そのものとなっている、謂わば、虹のような実体はない幻なのだ。

宇宙のすべては、源である”大いなるひとつ”が実在するが故の幻影であり、”大いなるひとつ”の力(これを絶対他力ということがある)が幻影を在らしめている。
よって、この無限の力無くしては、この宇宙は存在しない。

無いのに、在ると感じていることは、錯覚以外の何ものでもないのだが、自我そのものが錯覚であるがために、自我はこの錯覚から目覚めることはできない。
「自分は存在する」という感覚、意識は幻想だが、その錯覚が起きていること自体は、”大いなるひとつ”が実在する証でもあるのだ。
(故に、人間に起きているこの錯覚が無くなることはない)

宇宙の実相が明らかになるプロセスにおいては、次元の扉を通過する必要がある。
起きているストーリーを、俯瞰的に客観的に観る視野を獲得することは、次元の扉を開く鍵となる。
物質次元は、顕れの次元だ。
顕れの中に、真の実在である「永遠のわたし」はいない。
Posted by 永遠のわたし at 2019年12月24日 19:20
不思議なこと。

>実際には、生きることはとても単純で簡単なことです。
>あらゆる生き物がそうやって生きています。

と、

>ところが人間だけは生きることがとても複雑になってしまいました。
>それは家族や社会や様々な関係を生きるために、自分を押し殺してしまったからです。

て、どう違うのでしょうか?
なんでって、自分から見れば、『人間』以外の『生き物』も、
『それぞれの社会的ルール』に従って生きているように見えるからです。

特に『縄張り』って、全ての生き物に共通してますよね。
侵したなら殺されたって仕方が無い、て辺り。
『人間』と、『人間』以外の『生き物』、どう違うのでしょうか?

自分が思うのは・・・・・『人間』以外の『生き物』って、
たぶん、『本音』で生きているんでしょうね。『好き』『嫌い』だけ、て感じ。
なので思うのは、

>そんなとき人は、自分の衝動を押し殺して、社会用の偽の自分を生きてしまいがちです。

こういうのも、『本音』をベースにすれば・・・つまり、本気で大切な人のためなら、
挨拶や礼儀等の『社会的対応』に苦を感じるはずも無い、て気がするんですよね。
気に入らない奴相手には一刀両断、みたいな(笑)
いつの間にかそれが『逆転』して、『社会的対応』をベースに生きるのが当たり前、
て感じになってきたのが、『苦』の元って気がしますねー。
Posted by ただの「自分」 at 2019年12月24日 20:30
『たった一度の人生、どう生きたいかだと思います。』


たった一度の人生、どう生きたい?

いまはねえ、働きたくない。働かなきゃって義務感から解放されたい。

「働かなきゃ」って思うわけではないけど、義務感とか責任感とかで動いてるのかな?私に割り当てられた仕事があってそれに対してやらなきゃという感じ?やっぱ責任感か?
 

割り当てられた仕事。私が許可するより量の多い仕事。

減らすように要望しても却下されてしまう現実。そこに労働力の不足を感じ、それが分かるからなるべく協力したいと考えるが、魂の領域では納得していないからなのか、いまの状態が続けられないような事態が発生している。


本当に望んでいるのはそっちなのかもしれない。そりゃそうだ。働きたくないのだから。

働きたい分だけ働いて、働きたくない分は働かなくていい。としたい。

働ける人が減っていると思われる日本社会でこれを実現するにはどうしたらいい?って思う。

大局的には運営されていくように流れていると思うけど、それはこの私には知り得ないことかもだけど、

神を信じて、世の中全体がうまくまわっていくことを願いたいと思う。


そのために、私という糸は、どこを通っていったらいいですか?

・・・・・・


私という糸はなにを望んでいるの…

あなたの望む世界を教えてちょうだい…そうしたらあなたの通る道へ導ける…


レストランに行ったらオーダーしないと食べたいものが出てこないように、人生もオーダーしないと出せなくて神様が困っちゃうとか?(^^)


じゃあじゃあ、やっぱりまずはお休みが欲しいでーす(*^^*)

ぐったりぐっすりこの世から解放される休息(*^^*)


あとは、働きたい分だけ働くのでもまわっていく社会体制作り。

無理しない、ほんと自分のペースで好きなように暮らすのでいい社会、世界。

それが実現されるまでに皆で助け合える社会、世界(*^^*)


おいもの思いでした~☆
Posted by おいも at 2019年12月24日 21:33
ホリエモンこと堀江貴文さんの本で「本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方」(阿部さんの今日の記事のタイトルと一字違いですね)というのが、とても面白いです。
言っていることだけでなく、生き方も阿部さんにシンクロしているところが、何とも興味深く、ベストセラー本なので、読んだ方も多いと思いますが、机上の空論ではなく、実体験から生み出された人生観なので、とにかく、熱いし説得力があるし、学ぶことろ大だと感じました。
彼のお金に関する話も、とても素晴らしく、どこか阿部さんのお金に対する考えと通じているような印象を受けました(^^)
Posted by 「本音で生きる」 at 2019年12月24日 22:53
>本音・・・というものが、自我のわがままであるなら、いつまでも問題は続くのでしょうね。それは、阿部さんの言われる本音とは、似ても似つかない個人の欲でしょうからね(笑)

阿部さんが言われる「本音」とは、自我の思惑も、言語の意味合いも、感情的なものも、欲望も持ち得ない、内面にある「広い意識空間」から湧きおこる、言葉無き言語、言語無き想い、真に人を経験させているものからの「そのまま」であるのだろうと、読み取りました。

それは、確かに「美しい」
Posted by チームtheドラゴン at 2019年12月25日 08:21
近藤博文さん

頂いたコメントを読んでの感想ですが、大方内容はその通りです。

でもまだ頭で解釈しているので、理屈で納得できても人生に反映していないと感じます。

であれば、理屈をいったん横に置いて色(しき)の世界を生きるのです。

その際、あなたに浸透し始めた非二元の真実は気楽さに貢献してくれることでしょう。

しょせん絶対他力だからというようなニュアンスは出て来ようがありませんし危険でさえあります。

真実の次元が自分に定着するまでは、しっかりと地に足をつけて生きることをお勧めします。

>自分を守る事と他人をジャッジすることをやめたら人はほとんどすることがない。ともおっしゃっていましたがこれも他力ゆえと解釈してよろしいのでしょうか。

そうではありません。人は一両日中、そのことをやっているということの指摘です。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2019年12月25日 09:58
知らない内に、何らかの形で、望みは全部、叶ってしまいました。
なので、もう望んでいることは何もありません。
今は、ただ在ること、これだけで充分に心地好いし、これ以上の歓びはありません。
老境なのかもしれませんが、あとは肉体が朽ちるまで、この歓びと共にあるだけです。
引き寄せの法則を実践したわけではありませんが、自分は自分という宇宙の創造主だという想いが湧いたことがあります。
その時は、本当にその通りに、物事が展開した感覚がありました。
しかし、今は、その自分も消え、あるがままに落ち着いています。
経験と共に、人間の意識は変わる、ということなのでしょう。
起こる体験や変化のひとつひとつが、人生の醍醐味、生きる歓びであり、神のギフトなのかもしれませんね。
Posted by 神のギフト at 2019年12月25日 10:59
私は脱サラをし今年の10月から個人事業をしています。しかし、ほとんど客は来ません。このことについて、私が起こしたことじゃない、そのようにただ起きた、すなわち全ては幻想であり他力、すなわち自力は何もない、諸行無我。という結論にいたりました。阿部さんのおっしゃった「しょいこんできたものは全て自分のせいではなく他力」。この言葉にかなりの方(全員)が涙を流すくらい喜んでいたとおもいます。
本来すべては他力であり、自分で選んだ気になっているだけで自力、エゴは後付けであるとのこと。
あのZENサンガの内容が全てではないということでしょうか?
他力=実在=愛
さまざまな縁や力があって私が存在している。自分や自分の力は何もない。幻想である。すなわち、他力しかない。
質問していた方に言っていた、自力なら何時何分に何処で何をすると決めた通りになるがそうならないのは他力だから。
今、自分にとって今後を左右する局面にあります。これほど、真剣に人生のありかたについて考えた事はありません。
Posted by 近藤博文 at 2019年12月25日 11:41
自分を守る事と他人をジャッジすることをやめたら人はほとんどすることがない。ともおっしゃっていましたがこれも他力ゆえと解釈してよろしいのでしょうか。

そうではありません。人は一両日中、そのことをやっているということの指摘です。

このことについて他力ゆえ自分は守られているから守る必要はないし、他力は愛、和ゆえ他人をジャッジすることはなじまないと受け取ったのですが、、、。
Posted by 近藤博文 at 2019年12月25日 11:55
近藤博文さん

そうですね、他力は愛ゆえにジャッジは馴染まない。

ところが自我はジャッジしかできない(笑)


この違いは分かりやすくていいですね。


仕事でも何でも、上手くいかないときは何かのズレが生じていたりします。

そのことを冷静に見極めることも大切で、なんでも「起きることしか起きない」という態度でいるべきではないと思います。

人事を尽くして天命を待つ

この態度ではないでしょうか。

メッセージと一見矛盾して見えるかもしれませんが、矛盾しなければ何事も危険です。

この世には生真面目すぎて言葉に縛られている人を多く見かけます。

だから真理に関心が高まった人にはガイドが必要だと思っています。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2019年12月25日 12:47
今日の記事本当にタイムリーでした。

数ヶ月前突然お腹の底からぐわっーっと
何かが込み上げてくる感じで
上司に今年いっぱいで仕事をやめますっ!と
勢いよく言っていました笑

貯金もないし、もう少し働いてからとか
いろいろ迷っていたのですが
勝手に口から声が出ていました。

その後も少し辞めるのを延ばして欲しいと言われ、また迷い出し
そろそろ返事をしないとなーと思いながら
出勤したら
社長に誰かが事実ではないですが
私を貶すような事を言ったらしく
社長自ら電話をしてきて
辞めろ!と言われました。

あ、もう辞めろって事だなと思いました。
今日で終わりです笑

本当にやりたいことは
今やってるネット販売(アクセサリー)を
更に広げて服や小物など
何でも作りたいものを作って販売する傍ら
大きな流れに任せて大丈夫って事を
多くの人に伝えて行きたいです。
Posted by koko at 2019年12月25日 12:58
あなたに浸透し始めた非二元の真実は気楽さに貢献してくれることでしょう。
非二元について前から腑に落ちないものがあります。私たちは二元の世界に生きています。生と死という概念、場所(空間)という概念、はじましもおわりもない。しかし、非二元と言葉にした時点で概念化していて説明するには無理があるように思うのです。
「あらゆる概念がなくすべて。」
私たちが存在する意味は何でしょう。全て(神)は何故この世界を造ったか。全て以外のものになりたかったということではないでしょうか。ブッタは「この世は苦(思い通りにならない)」と言葉を残しています。それが、私たちが存在する意味なのではないでしょうか。非二元が本当かどうかよりこの世界のルール、二元の世界に存在していることには「理由」があると思います。ワンネスがどうではなく、私達は二元に存在している以上、二元の事だけを考えて生きていけばいいとおもうのですが。私には非二元やワンネスは体感していないのでわかりません。非二元、ワンネス、他力、引き寄せ、これらが頭のなかでごちゃごちゃです。セミナーや講演会に参加されてる方は理解されてるんでしょうか。瞑想をすればわかるようになりますか。バカですいません。わかるようにおしえてください。お願いします。
Posted by 近藤博文 at 2019年12月25日 14:23
阿部さん、近藤さん申し訳ありませんが、横からすみません。

「人事を尽くして天命を待つ」

人事を尽くすは、文字通り、自力です。

>メッセージと一見矛盾して見えるかもしれませんが、
一見ではないです。
全部他力なら、矛盾です。

「絶対他力lと、「決まってる」は同じように思います。
そこで、一切自力が出てこないのが阿部さんの論ですね。
ですが、目の前のことを一生懸命やる、人事を尽くすは

自力です。

だって自分はいないからは無しです。
意識はあるのだから


>矛盾しなければ何事も危険です。
この言葉は意味がわかりません。

これも未承認でしすか。
Posted by よみはじめ at 2019年12月25日 19:03
この記事に、勇気をもらいました。これからは、本音を生きる人生を選択します!ありがとうございます。
Posted by Whity at 2019年12月25日 23:25
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