2018年07月23日

肉食と菜食

昨日は奥平亜美衣さんとの「奥義直伝」ライブ。

彼女との共通点はほとんどありませんが、ひとつだけあります。


それは「アミ 小さな宇宙人」という本を読んでから、肉を食べなくなったということ。

彼女の亜美衣という名前も、この「アミ」からきているそうです。



食べ物についての考えは人の数だけあるので、様々な異論があるでしょうけど、今日は僕自身がどう考えているかを書いてみます。

やや過激な表現になりますが、関心がある方は読んでみてください。



先に断っておきますが、阿部は完全な菜食家ではありません。


むしろ肉の味は好きです。

肉が入っていたほうが美味しい料理は沢山ある。

でも積極的に食べることもありません。


好きなのにどうして食べないのかと言えば、「食べるのがイヤだ」というのが一番近い答えです。


それでは、なぜ食べるのがイヤになったのかと言うと、「アミ 小さな宇宙人」を読んだのと、殺されていく実際の映像を見たからかもしれません。



だからと言って、動物を食べるなと言いたいのではありません。

我々は他の命を食して生きる定めにあり、何も食べないわけにはいかないからです。



今朝いただいたパンマンさんからのコメント。

「動物を殺して食べるのが嫌な人は、なんで植物を殺して食べることは平気なんでしょう?」


パンマンさんが本当にこのことに疑問を持っているのか、それとも肉を食べるなと言う人への抗議なのかは分かりませんが、僕ならこう聞き返します。


「動物を殺して食べるのが平気な人が、なんで人間を食べるのは嫌なのでしょう?」


なぜ人を食べないのかという問いに、論理的な答えはありません。


あえて言えば

「嫌だから食べない」

のではないでしょうか。


一昔前までは、この地上に食肉文化の人達も存在していました。

彼らは嫌ではなかったのでしょう。


そんな彼らに、人を食べるのはいけないことだと説得することはできません。

それは動物の肉を食べる人を説得できないのと同じことです。



「動物を殺して食べるのが嫌な人は、なんで植物を殺して食べることは平気なんでしょう?」


これは正しさの問題ではなく、どこで線引きするかの感性の問題だと思います。



僕はこう思います。

稲を刈ったり、植物を採取して食べ物にするプロセスを見せるのと同じように、動物を殺して食べ物にするプロセスを見せて、それでも食べたい人は感謝して食べればいいし、イヤな人は食べなければいい。

これは他の命をいただく我々の、他の命への最低限の礼のような気がします。



そういえば昔、ビートルズのポールマッカトニーが

「みんな屠殺現場を見るべきだ。そうすれば食べたい人は減るだろう」

と言っていました。


僕も同意見です。

いまは「屠殺」と検索すればすぐに動画が出てきます。



自分は肉を感謝して食べているという人は、ぜひ見て欲しいと思います。

きっと感謝の質が深まります。



そんな場面は見る必要がないという人もいるでしょう。


正しさを押し付ける気はありません。

ただ自分が何をしているのか、自覚を深めて生きるのは大切だと思います。



食べものの話は難しいですね。


西洋文明が入ってくる前の日本人が、動物に対してどんな感情を持っていたかを調べるのも面白いと思います。

家畜にも名前を付けていたあたりに、西洋との違いが見え隠れします。




話は変わりますが、明治以前の日本人の心をもう一度取り戻すことに強い関心があります。


神仏習合とはいったいなんなのか。


なんとなく自分は、そのことの役に立てる気がしています。



先日は天河で久しぶりに白衣を着て、気持ちよかったので写真を載せておきます。

なんだか嬉しそうでしょ?(笑)


肉食と菜食










Posted by Toshiro Abe at 10:20│Comments(71)
この記事へのコメント
どちらにしろ

心を平和にしていくことが大切ですね^^
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2018年07月23日 10:38
阿部さん

コメント取り上げて頂き恐縮です。
好きなものを必要な量だけ感謝して食べればいいと思ってます。
命を食べる、ことは人間に生まれちゃった宿命だと思ってます。

余談。屠殺も見てますが、青々とした稲穂を大型機械の刃でガンガン切り取っていくのもなかなか凄惨だと感じます。
声が聞こえないだけでみんなギャーッと言ってるのでは。
Posted by パンマン at 2018年07月23日 10:40
追伸。

ちなみに今度天河神社に行こうと思ってますので、もしかしたらその後は私も肉食から遠ざかるのかもしれません。
肉食推奨派でも否定派でもないので、流れのままに。
Posted by パンマン at 2018年07月23日 10:47
西洋文明が入る前の日本では何故食肉を禁じていたのか、西洋文明が入ることで日本の何が変わったのか、何が失われ何を得たのか興味あります。
Posted by ムジャ at 2018年07月23日 10:57
まるで前から着てる人みたい(*^▽^*)しっくりきてる\(^o^)/
Posted by きゃさりん at 2018年07月23日 11:02
私も同じく「アミ 小さな宇宙人」を読んでお肉を食べるのが嫌になりました。

それまで薄々感じていたことでしたが、リアルに自覚するきっかけになりました。

ほんとたま~に食べる機会がありますが、昔のように美味しいと思うこともなくなりました。
どうしても頂く時は心の中で命をありがとう。と深く思います。

人間の行いで動物が自然に反した形で命を失うようなことや、痛々しい事件を耳にするとどうしようもないくらい苦しくなります。屠殺の動画も怖くて見れません。。

動物と人間が対等な世界が訪れますように。
心から動物と人間が調和して生きられることを祈ります。
Posted by あみやん at 2018年07月23日 11:26
私も阿部さんとおんなじかな。感じてること。
ただ、感覚を言葉にするのは難しいなあと思います。
私はお肉食べるようになりました。前は全然食べなかったので。

法律がなくても人間を食べることには躊躇します。
それが感性かなと思います。

純粋な生命としては動物も大丈夫なんだけど、生は、やっぱり人間に近いコンテンツで体感してると感じます。動物に思考はないけど、感情はより人間に近くリアルなシステムだと感じる。

人間だけの線引きが謎ですね。(デンジャラス

やっぱり 感性につきると思いますけど。
で、どんな感性でも間違ってないことは確か!
ユニークなキャラクターは輝いています。

コレでいいのだ。

天河の阿部さん、なんか かわいい。笑
Posted by 薄茶色 at 2018年07月23日 11:38
1950年(昭和25)学校給食が開始され、

パンや牛肉によるアメリカの「食」民地政策により、

日本人とお米を分断する政策が始まる。

さらに、日本人と天皇の一体感を脅威と感じたGHQは、

国民と天皇を分断する為、国家神道(皇室神道)の

祭祀日に由来する「祭日」を廃止した。

または、名称と主旨を変えて祝日とした。

春季皇霊祭→春分の日、明治節→文化の日、

新嘗祭→勤労感謝の日、…等々。

新嘗祭は、天皇が五穀の新穀を天神地祇に供え、

自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する「神人共食」の儀式。

「寝食をともにする」という言葉があるが、

人は会う→ご飯→お泊まり、の順で、 人は仲良くなっていく。

…変な意味ぢゃなく(^_^;

神社にある神殿の形は

米蔵から来ているという説もある。

米=神の化身であり、米を食することは

大自然(神)との一体化を意味する。

米は神の御贄から租税(年貢)となり、

やがて貨幣(大正大判)になった。


大判は、稲穂の稔りを表す黄金色にし、

形も米俵に似せて造り、表には藁を思わせる節目を施した。

天正大判で米一石が買える。

一石は米俵2.5俵で、人ひとりが一年間で食べる量。

日本人と米は神話の時代から繋がっていて、

天孫降臨の際、天照大神(アマテラスオオミカミ)は

邇邇芸命(ニニギノミコト)に「三種の神器」と「稲穂」を授けた。

FOOD(フード)は風土であり、

豊かな稲穂が実る景観をマルコポーロは

ジパング(黄金郷)と言った。

まさに、日本人にとって米は宝なのだ。



産業革命以降、「食」に対しても

利益や効率化を求める様になってから

何かが狂い始めたのだ…。


長々と失礼しました。(^_^;
Posted by ☆潤 at 2018年07月23日 11:50
いつもありがとうございます。
善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2018年07月23日 11:57
昨日のコメントにも書きましたが、人間には選択の自由があります。

肉を食べるのも食べないのも自由です。

阿部さんの書かれたように、それは正しさではなく、好みの問題と言えます。

人は、大抵は、何を食べるか?を正しさよりも、好みで決めているところが多いと感じます。

私の場合は、ただ単に、お肉が食べ物に見えないだけなので、仕方ありません(見るだけでも駄目なので、お肉売り場の前は通らないようにしています、笑)

人が何を食べようと構いません。
ただ、自分が食べられないだけなので、他人に押し付ける気持ちはありません。

ただ食べなくなって気付いたことは、これまでに親しくなった人たちが、ほとんどお肉を食べない人たちだったということ。

お互いに同じような感性を持っているということは、親しくなってからわかったことなので、とても不思議に感じています。
お肉を食べない人と馬が合うのは、何となく波長が似ているからなのでしょう。

阿部さんのブログを五年以上も読んでいるのは、そこに漂う心地好い波動を感じているからなのかもしれませんね(^^)

先日、最近お肉を食べるのをやめてみた人から言われたことですが、会った人が肉食かどうか?匂いでわかるようになったということでした。

そうなんですよね。
体臭も違いますし、全体から漂う雰囲気も違いますし、意識も違ってきます。

動物と植物の持つエネルギーが違うので、そうなるのは当然なのでしょう。

草食動物のように、草食人間が増えていけば、きっと、世の中が変わっていくことでしょう。

そのために、少しですが、自主活動しています。
宇宙人アミの世界のように、少しでも、平和で穏やかな生きやすい世の中になるといいなと思っています(^^)
Posted by 真理世 at 2018年07月23日 12:00
正真正銘のveganの人の意見を聞きたい。
中途半端な形でしか命と関わっていない人の文章は読みたくない。
卵だって、命の死骸。筋子、たらこだって命の塊で醤油漬けされてるじゃないか!
中途半端な菜食とか肉食とかそんな文章読みたくたない。
わたしは全部、ガッツリいただいてます。
だから、泣きたいです。
いつも、ものすごく。
こうしか生きられないのが悔しいです。
Posted by 反論まもこ at 2018年07月23日 12:25
あべさんのおっしゃる通り。よく言葉にして表現してくれてありがとうございます。

「話は変わりますが、明治以前の日本人の心をもう一度取り戻すことに強い関心があります。」
私もです。おそらく多くの人がそうではないでしょうか。今の世界は西洋文明が主力の世の中ですが、おかしいこと、自然じゃないこと?が多々あります。

あべさんのメッセージいつも楽しみにしています。:)
ありがとうございます。
Posted by こ at 2018年07月23日 12:31
阿部さん、こんにちは。
北東北も梅雨明けしました。こちらの夏はお盆とともに終わる…けどまだ暑い暑い。

私はのんべんだらりと大らかに何もかも口にしますが、たまたま身の周りに菜食の人が複数います。すごく厳密なヴィーガンの人の考えだと(細かいとこ違ってたらごめんなさい。)絹製品はカイコという生き物の生命を奪ってるから着ない、革製品も身につけない、リンゴはリンゴを木から捥いでもリンゴの樹は死なないから可、タマネギは一個のタマネギという生命が死ぬから不可…ってすごくあるんですね、レギュレーションが。
自然薯は地下茎で他の芋とつながってるから可?サツマイモは不可?って、からかう気はまったくないですが、ビフィズス菌の入ってるヨーグルトは?味噌の麹菌は?日本酒は納豆は…?ってなってくると、私はいつも思うのですが、『生命とは何か』『生物とは?無生物とは?』ってことに至ります。

…私は「すべて」が何もかもつながって「ある」のだから、立ったり歩いたり、食べたり飲んだり出したりが生命なのではなくて、地面も海も空も「生命」なのかなー、とボンヤリ思います。
Posted by 南部鉄瓶 at 2018年07月23日 12:31
>「動物を殺して食べるのが平気な人が、なんで人間を食べるのは嫌なのでしょう?」

以下、気分が悪くなる人が多いだろうことを書きますので、ご注意ください。

今や、『血』は、当たり前のように分け与える時代になっています。
技術の進歩で臓器等の元になる『細胞』も分け与えることができるようになりつつあると思います。

ここまでは前置きで、以下、気分が悪くなる人が多いだろうことを書きますので、ご注意ください。

アンパンマンは、自分の顔を皆に分け与えます。
そういうことが『当たり前』な世界があっても、不思議ではないと思います。
ドラゴンボールに出てくるナメック星人は、手足がちぎれても、体力を
消耗はしますが、再生できます。
その応用で、体力のある側が、消耗している側に対して、
自らの肉を分け与えるのが『当たり前』な世界があってもいいと思います。
自分も時々、さほど苦も無いなら、この腹の脂肪を分け与えられないか?と思うことがあります。

何故、『食べる』ことが『命を奪う』世界、と『この現実』がなっているのか、
そもそもの根本的なこととして、自分は不思議なんです。
いいじゃないですか、上に書いたように、お互いにお互いの体を
『食べ合って』『分け与え合う』ことが『当たり前』な世界があっても。

もちろん、阿部さんが伝えたいのは、『食べる』『食べられる』そのものという
問題ではなく、『命の尊厳』なのだろうと思ってます。
『与える』ことなく、一方的に『奪う』のは何事・・・という感じでしょうか?

でも、いいのではないでしょうか?
「はたらく細菌」という漫画を読むと、人間は、体の半分以上を
『細菌』に提供しているそうですから。
それを知ってか知らずか・・・たぶん知らないでしょうけど・・・
いわゆる『悪玉菌』でさえも、『外敵』であるサルモネラ菌等が入ってきたら、
それと闘うそうです。単に自分の居場所を守ってるだけでしょうけど。
自分は、それらの『自分の体』を維持しているものたちに、
しばしば感謝しながら生きています。

もし、座禅や瞑想を極めたり、逆に、病気等で何も感じられなくなったなら、
山で坐って、虫や動物に食べてもらえたら・・・と思っています。
それまでは、自分を維持してくれるすべてのものに、感謝しながら
頂いて、生き続けると思います・・・・・
それとも、実はもう『ブレサリアン』の時代に入ってきているでしょうか?
Posted by ただの「自分」 at 2018年07月23日 12:32
>「嫌だから食べない」

阿部さんも奥平亜美衣さんも、過去の経験から物差しが変わって嫌いだから食べないだけで、肉食が正しいとか間違っているとか判断はしていないってことですね。
単純に嫌だから、気分が悪くなるからしないのでしょう。

考えてしまうことは、
「嫌だから食べない」を単純に引っくり返すと「好きだから食べる」なのですが、"好き"という感情は無意識にエスカレートしてしまいがちってこと。
肉が美味しいと思う人は多いと思いますしそれは何も問題はないのでしょうが、好きという欲望の赴くままに食べ過ぎることは、それだけ多くの動植物を殺さねばなりません。
そのことに意識が向いているかどうかではないでしょうか。

食べ放題の焼き肉屋さんで、何皿も頼んで大食いしていたテーブルが御勘定で席を離れた後を見ると、皿の上には焼かれないままの生肉や生野菜が大量に.....
思わずタメ息がでます。

肉にしろ野菜にしろ貴い命を頂戴するのですから、せめて残さないで有り難く頂きたいものです。
Posted by 模察模察 at 2018年07月23日 12:51
何かしら、人の心の奥深くの水面に小石を投げてくれる阿部さんに、感謝します。

因みに、私はたまに肉をいただきます。

必要な人に必要なだけ、有り難く命をいただける様に、不必要な殺生はやめて、肉の価格を上げてしまえばいいのに。
と、思いました。
Posted by Joy at 2018年07月23日 12:54
☆潤さんのお話しに同感です。勉強になりました。
ありがとうございます。
戦後、アメリカが日本文化の根本的な部分を破壊したのは大きいと思います。また、天皇が祭祀王でおられることをご存じの方も少ないのかもしれませんね。
Posted by neo at 2018年07月23日 13:06
>動物を殺して食べるのが嫌な人は、なんで植物を殺して食べることは平気なんでしょう?

これは理詰めではなく感覚でわかること
おそらくパンマンさん本人も感覚ではわかってる。
それが伝わるような聞き返し

豚や牛と同じように人肉を食えないのは何故か。

という質問をコメントしようとしましたが、抗議に近い議論になってしまうので止めました。
今回は、阿部さんと同じことを考えたのが嬉しいということをコメント。。

批判になりますが、以下、結局書きます(パンマンさん向けではないです)。
批判はやめた方がいい、誰かが語った将来の展望に乗っかり、
現状を批判したり、考えの異なる他人を批判したりするのは
波動を下げるので止めた方が良いと思います。
Posted by rakuni... at 2018年07月23日 13:18
昔、スピリチュアルリズムというもをずうっと学んでいたのですが、

肉体死後の人たち、または、元からそこに居る霊格の高い・・たとえば、偏りのない捉え方ができ、

差別のない慈愛が備わっている「意識的存在」たちによる、地上人(地上世界で苦しんだり、翻弄される霊たち)への指導の数々なのですが、

それらは、予め彼らの計画に沿って派遣された者や、それを感知できる人が、

地上人には伝わらない?彼らの周波数帯での、その表現や話の触媒役や、翻訳機となって、

関心を持つ者(霊性の者)たちの前で、

その肉体を持っているがゆえに、見えない、聞こえない、知ることができないこの世界の舞台裏や、その仕組みを伝えたり、、

いわゆる自動書記によって人類に、それらの事実が広く知れ渡るようにと、色な形態の文献に残したりしたものを読んだり、人間社会や自然界に照らし合わせて、学んでいました。

その時に覚えて、心得ていた事があります。

どうしても、食べたいのなら、なるべく苦しまない方法で処理したり、

或いは、痛みや苦しみの意識や認識が鈍いものや、まだ未発育の小魚などを捕まえて、食べるというものでした。(といっても、現代は既に処理・加工され、商品として陳列されてますが)

卵とか、牛肉、チーズとかで満足する事もしましたね。

犬や猫などのペットもそうですけど、動物たちは、我々から見て、明らかに人間と同じような痛みや苦しみを感じられるようですし、

恐怖や不安を察知すれば、逃げ出したりもします。

植物にもそれがあるだろうと分かれば、動物愛護の観点から菜食主義を行われている方たちも、菜食すら止めるかも知れませんね。

私は、植物だけでなく、小魚や、虫たちも配慮したかったので、太陽光で生きる方法や、不食を目指しましたが、

何を殺し、何を食す者たちも、根源からの働きや、その「神」が創造し続けているのは、紛れもない事実だと分かりましたので・・

今は、小食&菜食中心の食生活ですが、時に寄りけり、都会のストレスや不安に寄りけり、付き合う人たちに寄りけりで、たまに肉を食べます。

というか、コンビニや、飲食店などで、肉が入ってないものを探すのも、毎回大変ですね。(^_^;)
Posted by y-be at 2018年07月23日 13:18
連続ですいません。<(_ _)>

これも、載せて欲しいのですが・・

☆バシャールがうまいこと言ってます。

自分に無理にやらせる事はありません。あなたの波動が上がるにつれて、

あまり肉を食べたいと思わなくなるでしょう。

というのは、肉というのは、密度の濃い波動を持った、ある意味、重く感じさせるものだからです。

体の中の毒素は、波動の磁石のように働きます。

ですから、その低い波動に合った食べ物を食べたくなるのです。

 

低い波動と言いましたが、それは動物が下等だという事を言っているのではありません。

単に、波動の密度として濃い、重たい物だという事を言っているだけです。

ともかく、あなたの体のシステムの中に毒素が少なくなってくると、あまり肉を食べなくなってきます。

《 バシャールのいる星エササニでは 》ある動物が別の動物を殺すことなど、ありません。

感受性が鋭く、動物とコミュニケートすることができる人は、

動物を食べたいという気持ちはなくなるので、いますぐ肉食をやめることができます。

と、いうことだそうです。
Posted by y-be at 2018年07月23日 13:25
阿部さん、ちょうど私も先日、主人が仕事上、体力付けたいから赤身の牛肉食べたいとスーパーで勝手に牛赤身をかごに入れたので、うわっ(´д`|||)と一瞬拒否反応……(わんこを愛し始めてかれこれ20年、四足を食べたくなくなり野菜や海の幸、肉は鶏肉を少しの食生活、たまに主人が豚や牛を欲しがります、体力必要な仕事なので私も妥協……)そしてその日、家の中に入ってきた蟻をコロコロで虐殺する私……なんか、一瞬ですが、ボーッと思い耽り、主人とぶつかる気も失せました(苦笑)出てきた言葉が「ありさんって痛いかな、ギャーって悲鳴あげてるんかな?一瞬で命を亡くしてつらいかな、声出してくれたらわかるのに、虫だから、きっと鳴き声は出してるよね、小さすぎて聞こえないだけかな、ぶつぶつぶつぶつ…」主人「…………」スルーされ(笑)
そして、翌日も一匹の蟻を部屋で見つけ、さすがに躊躇し殺せませんでした。。
でもきっと大量に入ってきたらまたコロコロしてしまう気がします❗(殺虫剤でシューっとか。)


肉食、に関してはきっと

想像力、でしょうか……

全てが命、自分自身、だと思えば、自然と口に入れる物を身体に必要な最低限の物にする理性は動物にさえあります。
私達人間はきっと獣以上に欲が強いですね。人間だけ、かな、必要以上に欲してしまうのは。

(主人が体力を補う為に買った牛肉、一キレだけ、美味しく頂きました。)

でも、自分だけなら買わないです。(鶏肉も主人がいるから、買いますね)
きっと主人も殺戮場面を見たら食べなくなると思います。

やはり、想像力と思いやり、で
食事内容は自然と変わる気がします。
自分が口にする物を
知らないって罪、でも、想像すればわかること……

わんこを愛し、たまに可愛すぎて食べたくなりほっぺたを噛んだりして(あまがみ)スキンシップします、その時、あ、嫌いな物を口に入れる事は難しいだろうと思い、口に入れる行為は愛だと感じました……

だから、口にする物の過程を知り、必要な量を美味しく頂く事は、一番大切な知恵かな、と思います。

まとまりのない文章になりましたm(__)m
Posted by ノリコ at 2018年07月23日 14:46
こんにちは。
阿部さん、とっても素敵なお姿ですね。
宮司さまの瑞々しさに通じるものがあるなあ、と…。

食べ物や、生活する上で、他種の命の尊厳については、ずっと悩みどころでした。
「嫌な感じ」を感じ切ってしまうと、食べられるものは無くなり、まともに生活できなくなってしまうので、普段は敢えて考えないようにしています。

傲慢な人間として生きなければならないのが、悲しいです。
Posted by towa at 2018年07月23日 14:50
似合ってます(^^)d
Posted by 宮城 徹 at 2018年07月23日 14:55
南部鉄瓶さん

そういう考えの人達がいるんですね。
なんかそこまでいくとゲームみたいですね。
これはアウト!
これはセーフ!
これは?アウ、、、いやセーフ!!
みたいな。

すべてが生命というのは同感です。
何を食べてもそれは絶対に生命なんだから、
何を食べるにしても感謝して食べればそれでいいんだと思います。
Posted by パンマン at 2018年07月23日 15:28
阿部さんと全く同意見です。

私も少し前から
肉断ちしてます。

ずっと肉を食べる事に
抵抗を感じていたのですが、
やはり味が好きなのと、
日頃のお付き合いの関係で
なかなかやめる事ができなかったのです。

あるきっかけで、
思い切って肉断ちしてみたら、
身体の調子が良い気がします。

でもこれは
自分が決めてる事なので、
他人には強制どころか、
あえて主張もするつもりはありません。

さりげなく、
気づかれないようにしてます

説明も面倒なので。

私のライフスタイルなので、
この事についても色々と言われる場面も
なるべく避けたいです。
Posted by かず at 2018年07月23日 15:34
お肉や、動物性の食品を食べないようにした時期があります。でも、完全に食べるのをやめるのは家族と食卓を共有する上で難しかったかなあ。あとは旅先でやめることとか。それで自然と元の食生活に戻ってしまいました。

そのあと、何年も経ってからやはり動物性の食品を控えた時期があるのですが、この時は体に不調が出たため、お肉でも乳製品でも、食べたいと思ったら食べることにしました。

必要な栄養素は個人差があると思うし、継続や定着するまでに試行錯誤もあると思うので、考えるとなかなか難しいことだなと感じます。

先日、天河にお邪魔したときは、お肉は控えました。なんとなくそうしたかったので。乳製品は摂りました。

家に帰ってからも、お肉は控えようという気持ちがあります。ただ、食べたいと思うときもあると思うので、また食べるかも。

ただ牛肉は、私の場合消化不良を起こすようなので、ほとんど食べることはありません。

ステーキのお店がオープンして、こういうの食べる人いるんだと思いましたが、私もトンカツ食べてた(笑)

牛はダメだけど豚や鶏はいいっておかしな話ですよね。でも、私の場合そんな線引きになってる??

必要な分をいただくというのが、今思う理想です。

いつお店に行っても、食肉が並んでいなくていいと思う。いただくにしても、最低限必要な分だけというスタイルを取り入れるだけでも、命が無駄になることがなくなり、私たちの健康面でも良い結果に結び付く気がします。


せっかく良い機会をいただいたようなので、お肉控える方向を続けたいと思います☆
Posted by ぶどう at 2018年07月23日 15:35
うちには愛犬がいるので、動物にも喜怒哀楽があると考えています。
犬も牛も豚も鳥も、そこに何の違いもありません。

お肉は当たり前のように食べていますが、肉屋で売られる前はちゃんと体が
あって命があったのですよね。
うちの愛犬のように。
多分、そこを見ないようにしてきたのだと思います。
スーパーで売られているのだから買って食べるのは当たり前の行為だと。

一匹の牛が亡くなる瞬間、他の牛が一斉に泣くそうです。
そんなことに目をそむけているのです。
見る勇気か゛ないのです。

ユートピアは、食べなくても生きていける世界、互いの命を大切にできる世界。悲しみも苦しみもない世界。
何億年も前にあった気がしています。思いつきですが。

阿部さんの笑顔は、初めて七五三の着物を着せてもらった子供のような笑顔で、笑えました。
Posted by 風 at 2018年07月23日 15:41
いつもありがとうございます。

どこからが命か?

知らず知らず踏みつけられているダニ、蟻、ミミズ

細菌、アメーバ、ウイルス

たぶん全てが精一杯、今を生きている。
Posted by まっす~ at 2018年07月23日 16:08
お写真素敵です。
色んな考えがあるとしか言えないです。好き好きかな?
Posted by らら at 2018年07月23日 17:32
こういった内容で、罪悪感を抱いたり、自分が間違っていると感じて、自分に起きてるいまを否定しそうになったり、など、そういうことが起こらないといいなあと思いました。(その上で、ということで話してくださった阿部さんだったのですけれども❣️)
では、巣穴に帰ります…(๑¯ω¯๑)サササッ 
Posted by 薄茶色 at 2018年07月23日 18:05
阿部さんこんばんは。
私は未だ肉食しております。
しかしいづれこの世界から肉食がなくなると考えております。
自分のこと棚に上げて傲慢承知で、以下、他力本願の解決案を考えてみました。

1、植物性タンパクから作る人工肉を、更に本物に近づけて、食べると幸せ感に包まれる物質を混ぜ、本物よりもずっと安く販売する。
2、コンビニレジ横のチキンやフランクフルトからこの人工肉に切り替えてみる。
徐々に徐々に品目を増やしていく。
3、スーパーや精肉店でもこのニューミートを健康食品として積極的に売り出す。
4、家畜のゲップが地球温暖化の最たる原因であることから、その方面の予算を使って畜産から他農産品生産への切り替えに対し補助金をだして促していく。

などなど、思いつくまま書きましたが、技術革新が世界をあっと驚くほど変えてきましたから、この問題もなんかそんな解決の姿があるんじゃないかと思うのです。
Posted by an at 2018年07月23日 18:16
この流れで皆さんにお聞きしたいのですが、
お酒はどうなんでしょう?
良い酒、悪い酒とかあるんでしょうか?
それとも酒全般がNGとか?
Posted by パンマン at 2018年07月23日 19:23
まっす~さん

ほんとですねー。
すべてがせいいっぱい今を生きているんですねー。

なんか
うれしくてせつなくて
ココロがさわさわとしています。

ああ、こんなきもち、
とっても久しぶりに感じています。

よかったー。
ありがとうございます。
Posted by ミドリ at 2018年07月23日 19:54
皆さんに申し訳なく思いますが、今日のコメント欄ぐらい読み応えが、あった課題もありません。僕は、屠殺の写真の涙を流す牛さんの画に思わずぐっときました。しかし牛丼なんか、大好物ですし、せめて少しは感謝の念を持つべきだと。今日の皆さんのコメントが、とても素晴らしいお話でした。なんか考えさせられました。ありがとうございました。
Posted by 永井新吾 at 2018年07月23日 20:01
肉食とか菜食とかそんなことより、お金がいつもピーピーなので肉も野菜も喰ってません。
これだと、自然に波動が高くなってるのかしら?
お金がピーピーなので昨日の講演会は2時間かけて両国まで徒歩で向ました。
帰りも2時間かけて徒歩で帰りました。
お金がないことはマイナスですが、そのお陰でお気に入りの場所をめっけられたりして起きることはいつもベストだって
思いました。
お金がないことで、暴飲暴食もできないので肉をがっつりは喰ってはいません。
自然とそんな風にしむけられてるような気もします。
田舎は養豚業が活性化しています。
養豚業と直売所でそのお肉を売っています。
年に数回豚汁やら焼肉やらを無料提供してくれます。
直売所の中には神棚があります。
そのお家は物質的にも人間的にも豊かな波動に包まれてます。
豚さんがそのお家を守ってあるように思いました。
子供の同級生のお宅です。が。
Posted by 原田 at 2018年07月23日 20:04
誰かの例え話でありましたが…
お風呂で手を湯船の中に沈めて指だけを出して、親指は親指で、人差し指は人差し指で、それぞれの指が独立してそれぞれに個があるかの様に幻想していると仮定して、肉食は強い指が弱い指を食べている、草食は指ではなく髪の毛や体毛を食べている、と。
そんな風に例える事ができるのではないでしょうか。

「この体全部が自分だった」と分かったのでしたら、やっぱり阿部さんの言う様に、言う事に、自然と近づいて行くのだと思うのです。

「何をしても良いんだよ」というメッセージに対しても、「それじゃ人を殺しても良いの?」と言う人がいますが、親指が人差し指や小指を殺めるというのも変な話で…

先ほどのように、この体全部が自分だったという体験があれば、それまでの質問が全く意味をなしていなかった事に気づくと思います。

仮に体験がなくても、この指の例え話で大概のことは説明ができるなぁと思います。
Posted by SGT346 at 2018年07月23日 20:13
昨日の瞑想会でお名前の出ていたマツコさんは
肉肉しいものや獣ぽいのは食すのが苦手だそうです。
餃子とかハンバーグとか命のありのままがが見えない段階のものは食せるようです。

それから、智子さんにテレビ局から瞑想の件で依頼があったようですがTV局と意図が合致せず残念でしたね。
でも、智子さんにならマツコさんきちんと対応すると思うけど。それとも阿部さんも一緒だと、ジョークで打ち解けてうまく瞑想にもっていけたのでは?

ホ・オポノポノの瞑想法はこんな感じでTVに取り上げられてました。
見る気もおきないとおもいますが一応貼っておきます。


https://youtu.be/CjpCaFoftBg
Posted by れっこ at 2018年07月23日 20:26
むかし、「生きてこそ」という映画で、雪山に飛行機が墜落してしまい、救助も食べる物もない中、亡くなった同胞の人肉を仕方なく食べるという、極限状態の物語りがありました。(たしか実話を元にした映画だったと思います)


普段は食べ物に恵まれているから人肉を食べる必要性なんて皆無だけど、この映画は強烈だったことが思い出されました。m(__)m
Posted by ぶどう at 2018年07月23日 20:31
今日も暑かったのですが、風があって助かりました。

天河神社でも、気持ち良い風が吹きましたね。

阿部さんの白装束姿、まぶしかったです☆

直視出来なかったので、写真でみれて良かった(^^)
Posted by ぶどう at 2018年07月23日 20:36
『話は変わりますが、明治以前の日本人の心をもう一度取り戻すことに強い関心があります。

神仏習合とはいったいなんなのか。

なんとなく自分は、そのことの役に立てる気がしています。』


そうなんですね。。この予告的な発言も気になります。

ご神事の時、柿坂宮司さんが宗教について話してくれていたの思うのですが、私よく聞き取れなかったんですよね。。

もしかして、その話とも関係がありますか?

なにかの機会に、柿坂宮司さんのお話含め、阿部さんから教えてもらえたら嬉しいです☆


今日は気になること全部にコメントしたくて。。多くて失礼いたしました(^_^)
Posted by ぶどう at 2018年07月23日 20:43
私も、もう何年も、家ではなるべくヴィーガン(動物性の物を食べない)な食事をしてます。動物性の物を控えるようになって、頭痛と月のものの痛みが無くなりました。あと、太らなくなりました。たまに、卵とかスイーツが猛烈に食べたくなった時などは、少し食べてますが、お肉はホントに求めなくなりました。確か、「魂の絆」(同じタイトルの本があるので、間違えないように注意) という本に、「植物や果物は、一族全体の繁栄を願ってるので、食べて欲しがっている(食べられると種を運んでもらえるから)」みたいな事が書かれてあったような(うろ覚えスミマセン)。葉物野菜や根菜類はどーなる?と、つっこまれそうですが(^-^;
でも、果物や植物は、鮮やかでカラフルで、目に付きやすく、見るからに食べて欲しそうな感じがあるというか、野菜を食べるのと、生きている動物を殺して食べるのとは全然違うと思います。人それぞれ考えも違いますし、押し付ける事は出来ませんが…。ただ、私には、動物性の食品控えめが凄く合ってるので、これからも続けて行こうと思います。
Posted by みやた at 2018年07月23日 20:56
色々な考え方や認識の人たちが実際にいて・・

それらは、さながら、自然界の色々な動物や生き物たちの立場や、その道理を聞いてるみたいでした。

それらの事実をあるがままに受け止めて、思いましたことは、

肉を食べて行けないとか、殺しては行けないとかの発想や倫理観が出てきますが・・

ようするにそれは・・

自分や自分たちが“それをされたら絶対”嫌な事を・・

他者はもちろん、動物や他の生き物たち対しては、

行ってしまっても、あなたの人間としての?良心は、いいのか?・・という事ではないでしょうかね?
Posted by y-be at 2018年07月23日 22:14
自分はかつて、いわゆる『屠殺現場』で働いていました。
いろいろな事をやらせていただきましたが、主な仕事は『電殺』。
豚を電気ショックで気絶させ、その後はどんどんと・・・

当初は「肉が食べられなくなるかも」と言われましたが、
自分は逆に感謝が深まり、美味しくいただけました。

そして、この経験を周りの人にも伝え「貴重な話が聞けた」と感謝されています。
Posted by ATS at 2018年07月23日 22:20
自分はかつて、いわゆる『屠殺現場』で働いていました。
いろいろな事をやらせていただきましたが、主な仕事は『電殺』。
豚を電気ショックで気絶させ、その後はどんどんと・・・

当初は「肉が食べられなくなるかも」と言われましたが、
自分は逆に感謝が深まり、美味しくいただけました。

そして、この経験を周りの人にも伝え「貴重な話が聞けた」と感謝されています。
Posted by ATS at 2018年07月23日 22:20
反論まもこさん

生粋のフルータリアン(本人いわく「スーパーフルーター」だそうですが)でしたら、

元東大教員、3100日フルーツ物語
https://ameblo.jp/fruit-mizuki/

こちらにいらっしゃるようです。

ジョブズとフルータリアン(再掲・一部改変) | 元東大教員、3100日フルーツ物語
https://ameblo.jp/fruit-mizuki/entry-12084778266.html

>お肉中心の方が、いきなり果実だけの食事にしたら、栄養不足で倒れることでしょう。
>腸内環境は食べるものによって変わるためです。
>私がビタミンB12などの必須ビタミンを全く摂っていなくても生きていけるのは、腸内細菌のお蔭だと考えています。

と書かれているように、バランス感覚もある方だと思います。

ちなみに自分は、以前にたまたま

“フルーツしか食べない男”研究者驚愕の腸内環境に | Narinari.com
https://www.narinari.com/Nd/20180449111.html

の記事で知っただけですが、

>中野さんによると、果実食中心のためたんぱく質の摂取が足りていない中野さんの腸内には、空気中の窒素をタンパク質に変える菌が確認され、大学の研究者が「一般の人と全く違う」と驚愕したという。

を読んでひっくり返りそうになりました。人間の体ってスゲー(汗
Posted by ただの「自分」 at 2018年07月23日 22:34
阿部さん、かっこいー‼️(@^^)/~~~
キラキラ✨と輝いていて神々しい❤️
Posted by あまてらすあまてらす at 2018年07月23日 22:43
私も四足の生き物のお肉を食べることに抵抗はあります。
ただお魚は大好きなのでたくさん食べます。
阿部さんはお魚は食べますか?
お魚を食べることについてはどう考えてますか?

そしてふと重大な事に気がつきました。
私の家の飼い猫は歳が進むにつれ食が細くなり
原材料の多くを穀物が占めるキャットフードは
あまり食べなくなりました。
やはり猫は肉食なので、肉類が体に合っているようです。
猫は健康のために肉類を食べる必要があるようです。
猫のために肉類が主原料のキャットフードをあげているんです。。。

阿部さんのお家も猫を飼っていますよね。
ご飯はどうしていますか?
菜食主義で猫ちゃんワンちゃん、または肉食のペットを飼っている皆さんにも聞きたいです。
菜食主義で肉食のペットを飼うって矛盾が起きてしまいますね。。。

遥か遠い記憶のユートピアがまた実現するころには
肉食のペット用の植物由来のご飯が出来るのでしょうか?
そこに猫ちゃん達の居場所はありますか?
野生の肉食の生き物さん達はどうなるんだろう。。。
Posted by おにゅう at 2018年07月23日 22:56
ヴィーガンになった友人は、FBで屠殺の写真やら動画をバンバン載せる。
一種のカルト化を感じる。
ものすごい罪悪感を肉食の人に与え、ヴィーガンは地球を救うとか…w
ますます肉食をやめることが出来ない…w

なんでもバランスが大事だと思います。
人間は雑食なので。

ヴィーガンの友人は骨が弱い。
それが食生活からきたものなのか、年齢なのかはわからない。腕をひねってはヒビが入り、今月は足首にカストをしていた。

イエスは招待された家で、出された物を全て食したと言われる。

農耕民族、遊牧民族の歴史も食生活に大きく関係しているし、自分が健康でいられる食生活を選んでいくほかないのでは?

菜食主義が他の雑食主義wより精神的に勝っているとかいうのは論外。

特に日本人は年齢がいくと肉食から菜食へ移行する人が多いように思う。自然に食べなくなるみたいに見えます。

P.S 阿部さん本当に嬉しそうだw
ご苦労様でした。
Posted by 遊 at 2018年07月23日 23:05
殺される動物は本当にかわいそうです。
動画を見る勇気はありません。
早くもう違う次元へ移り変わってほしいと思っています。
何もわかってもないし、何もできてもいないけど、今のシステムが終わって全ての命が奪われたりすることがなくなればいいのに。
小さな祈りでも何か役にたつのでしょうか。
Posted by すもママ at 2018年07月23日 23:29
ステーキが大好き!
という人の創造主による完璧な創造が起きている

肉は嫌だから食べない!
という人の創造主による完璧な創造が起きている

そんな感じでおります

世の中を少しでも良くするために
自分の命をかけてまで世の中を変えて行こう!

という人も含めて

創造主による創造はもう既に完璧でありまして

目の前に広がる世界を変える必要は何もない

そんな感じでおります

完璧☆完璧☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2018年07月24日 00:21
宇宙人アミは
飲酒も嫌がっていた記憶があります。

肉食は敬遠するようになっても
飲酒はイヤじゃないってところが
阿部さんのカワイイところですね(´▽`)
Posted by 寛裕 at 2018年07月24日 01:12
今は、飽食の時代なんですね。

だから、こういうテーマで、いろいろな意見が出てくるんでしょうね。

亡き母から、戦前、戦中、戦後直後の食べ物がほとんどない時代の話をさんざん聞かされて育ったもので、
日本の歴史においても、今の私たちからは想像もできない質素な食事が当たり前だった時代がつい最近まで続いていたということを時々思い出します。

食事にかけるお金も無いし、売っている食べ物も、流通の関係で限られていました。
ですから、腐りやすい肉やお魚、乳製品を手に入れることは、とても難しかった訳です。

そういう理由で、少し前までは、良いも悪いもなく、好きも嫌いもなく、手に入るものを食べるしかなかったと思われます。

ご馳走は、盆と正月くらいで、江戸時代に日本を訪れたシーボルトは、著書の中で、少量の玄米だけで、おかずはほとんど食べなくても、元気でよく働く日本人のことを褒めています。

飢饉が起きれば、沢山の死者が出る時代は、遠い過去の話となり、今の私たちは、その時代と真逆の状態の中で、飽食から来る多くの病に冒されています。

食べ物に限らず、いろいろなことを自由に選べるこの時代に生まれ育ったことを感謝すると共に、何を自分は取り入れるか?取り入れないか?の選択は、自分自身にかかっていると感じます。

その結果は、自分が蒔いた種なのですから、自分が受けることになりますが、それでも、選択肢の無かった時代に比べれば、選択の自由がある本当に有り難い時代に生きているな、としみじみと感じます。

そういう意味でも、物質オンリーの時代から、少しづつ、精神の時代に移りつつあるのかもしれませんね。
Posted by 真理世 at 2018年07月24日 02:53
菜食主義が偉いと勘違いしてた。
Posted by hiro at 2018年07月24日 08:24
全ての生き物の食べ物は、植物だと言うことを
読んだことがあります。確かに肉食の動物も草を食べた動物から、草食していますね。

人間一人が一年に、一俵の精白しすぎないお米と、本当の塩があれば、生きていけると言う伝聞が日本にはありました。
私は、普段お米に雑穀(あわ、ひえ、きび、、)を2割ほどと塩を入れ、いただきます。お味噌汁と漬物、野菜で完璧です。これは、30年前から実践して、自らは勿論、子供5人を無病で育てた人の研究のおかげです。お米は、すごいのです。
動物性のものを食べなくてもいいのです。
太っていた人や痩せた人は、必ずちょうどいい体重になりますよ。
Posted by ミシェル at 2018年07月24日 09:49
先ほどの補充をさせてください。これは基本ということで、外食もします。

それと、なたね油などで揚げ物は頻繁、炒め物もします。重要なのは、砂糖を一切食べないこと。お菓子は、身体を温める甘酒で大体なんでも作れます。
Posted by ミシェル at 2018年07月24日 10:14
〉 食べものの話は難しいですね。

ほんまやなあ。
やっぱ、瞑想の中でしかひとつになれないものなのだなあ。
Posted by かやの at 2018年07月24日 10:38
今年に入ってから食の安全を考えるようになり、ふとヴィーガン食についても興味が向いて、ヴィーガン用のレシピや食材を目にする機会が増えました。
けど健康をキープするためにはかなりの手間と覚悟が必要だとも思い、興味がありつつも時間と予算から手軽な現代食に留まっています。
人が食の質を意識できるようになるには、波動の高さの様なものが必要にも感じます。私は閉塞感や仕事の息苦しさを乗り切るのにどうしても糖を摂ってしまうのですが、糖の危険性を食のセミナーで聞いてから改善しようと思いつつも、今日を乗り切るためにどうしてもストレスから口にしてしまったりします。
飢饉や精神的欠乏感がなく余裕が出てきたときに、人々の食への意識が変わるかもしれないですね。


先日の奥平さんとのコラボ講演参加させて頂きました。阿部さんの紹介以来、奥平さんのファンでもあります(^^)
阿部さんがよく言うように、お二人のトークはバランスが良くて、考え方がとても好きです。今回は特に結婚観についてが(笑)
お2人に同意でした。
Posted by タエコ at 2018年07月24日 10:56
迷いとは
いつも 目の前に訪れる
道は いくつもある
どちらを選ぶかは 己のみ

洗脳という言葉 が出てきました

宗教でよく 言われる 洗脳
それは 宗教に限らず 
いつも誘い込む思い込み

もっと 自由になりましょう
無理することなく

嫌なら いやでいい
もっと 心を軽くして自分を
自由にしていて いいのでは?

なんて いっても
皆 一蓮托生 
中心の点 に 行くのだもの 
Posted by 無有 at 2018年07月24日 11:15
わたしは
その動画絶対見たくない、想像でもうダメだ。
あと、植物とか稲とか刈るのもダメだ、痛そうで辛くなる。
アミの本も読まないように一生気をつけないと、そんな怖いかんじだったのね。知れてよかった。

わたしは生き物だけでなく実は物のことも大丈夫か心配になるし、
物も生き物的に思ってるというか、区別がないというか
そういう点ではセンシティブすぎて
もっとなんでも平気でいる感じのわたしだったら本当はいいのかもとも思う。

わたしはそういえばあんまりお肉食べないけど、本当はもっとシーフード食べたい。でも、貝とか、生きているので本当にもうお料理できない。なんで、そこまで熱い痛いことさせてまで貝を食べるのか
作っていてわからなくなったから。というか、本当に無理。。。

お野菜って生きたままわたしの歯に噛まれて粉々になって痛いのか?
もう怖いです。。。悪くて。。。
Posted by あべさーん at 2018年07月24日 11:34
付け加えて
わたしは、花束とかもらうの小さい頃から大っ嫌いです。
生きてるの切って、花瓶とか入れてどんどん体が死んで行って
辛いです。
そこまでして花瓶に入ってもらってるのに、
ずっと真剣で見るでもなし
わたしの感謝や喜びが、
お花の体当たりの全人生をかけかた?ものに対等でない。
しかも他力(お花にとって)でそうなってるし

でもできればお花が花束やらにされてるのは
見たくないです。綺麗でも、痛そうで怖いのが強い。

そのことで前のダンナさんとすっごい喧嘩になった。
わたしの気持ちはわからんそうです。
お花もらうのが嫌だという気持ち。

元々全部他力かもしれんけど
Posted by あべさーん at 2018年07月24日 11:43
以前から気になっていました。「肉食を否定する方は、植物の命を奪う事は気にしないのか」と。
今日ここへ来てその答えが、また食事についての自分の姿勢も見つかりました。

この記事を読んで、まず動物が屠殺される動画を見てきました。私がよく口にする鶏・豚・牛が所謂「食肉」になる過程です。
勿論動画で見ただけで命を奪う事の全てを知れたとは思いません。吹き出る血や動物達の悲鳴を感じる事はできても、内臓の匂いや肉を割く感触までは再現されませんから。しかし自分はそこから目を背けて生きてきたのだと、自分が見たくないからそのプロセスを人に任せてきたのだと気づきました。

見終わってまず肉を食べるのをやめようと思いました。即ち、他の命を奪って生きる事はやめようと。
ならば悲鳴をあげないから魚は食べて良いのか?いや、魚介類にも命はある。血を流さず匂いもしないから植物は食べて良いのか?いや、植物も刈り取られた瞬間に全ての気孔が開く。すぐ死ぬ事は無いにしても、やはり刈られた事は植物にもわかっているのだろう。

そうすると今度は食べられるものが無い事に気づきました。摂取できるのは岩塩ぐらいでしょうか。そうなるといずれ私は死ぬでしょう。
では他の命を奪わないために自分の生を放棄するのか?
私が長い間漠然と疑問に思っていた事はこれでした。

今の私はこの問に「否」という答えを出そうと思います。即ち肉も魚も野菜も加工食品も等しく、感謝して美味しく頂くという事です。
食卓に並んだ食事だけではありません。私に届くまでの過程で関わった全ての方、牧場主さん、漁師さん、農家さん、業者さん、店員さんにも感謝をしながら食事を味わおうと思います。
命を奪う責任も他の方に押し付けるのではなく、スーパーに並ぶ食材は全て私が命を奪ったのだ、その上で私は自分の生のために頂くのだ、という事を忘れません。

最後になりますが拙い文才により長文になってしまった事のお詫びと、この素晴らしい体験をさせて下さった阿部さんに最大の感謝を。
私の生に於いて最も重要な体験の一つでした。本当にありがとうございました。
Posted by 食べます at 2018年07月24日 12:12
私の意見は【食べます】さんが書いてくださってるのと
同じなので商略しますが

お花の事を書いてる方がいらゃったのでお花の話をしたいと思います。

小さい頃、どこでどう知り合ったか記憶に無いんですが、
何度か遊んだ名前もしらない子を思い出しました。

その子のお母さんは野の花が好きで、
遊んで帰るときによく花を摘んで帰ったそうです。

本当かどうかわからないですが
その子はお花の言葉がわかると言っていました。

摘むまえに必ず
そのお花に「摘んでいい?」って聞くんだけれど、

返事は100%「いいよ」だと。
でも、その言葉を発する時、
いつも少し悲しそうなんだと言ってました。

それを聞いて子供心に

「でも嫌なのに何故、拒否をしないんだろう、嫌なのに運命を受け入れるんだな」
「ひょっとしたら、お花の世界には拒否というものが無いのかも知れない」

と、思い、
とても切なくなった記憶を
今回の阿部さんのブログで
思い出しました。
Posted by たいのえ at 2018年07月24日 14:10
こんばんわ
わたしも阿部さんと同じ理由で肉を止めました。

かれこれ3年立ちますが、会社行事の飲み会等は。本当に食べるものが、なくて
出るのが苦痛です。

マイノリティなので、あるそんなに親しくもないひとに肉食べない話をしたら
お金かからなくていいですねーと言われムッとしました。(ざけなんよ)

魚には、痛覚がないと訊いたことがありますが魚はたま食べるくらいで
大豆製品が主なタンパク源です。

今は。1日2食ですがいずれ1日1食にしたいです。

組織にいると人と違うだけで変人扱いされるのが、嫌です。

フルータリアンは、知ってしましたが、自分でタンパク質つくれるなのは凄いですねー!

にんげんて、未知なる能力があるのですねー!

肉やめて、胃腸の調子がすこぶる良くて、体重も減りました。
いまは、少し太りたいくらいです。痩せすぎは、貧相ですから。肉を食べずに太る方法ないかな。


阿部さんの可愛い笑顔
素敵です!!
とてもろくじゅう、うん才には、見えません。
Posted by none meat らぶ at 2018年07月24日 21:01
この記事で映画「ある精肉店のはなし」を思い出しました。一昨年位前だったか考えさせられる映画という事で小さな映画館で上映していました。肉を食べる事について考えさせられる内容でした。上映後館内に拍手がわきました。観る価値はあると思います。
Posted by きよ at 2018年07月25日 04:44
阿部さん、ありがとう♪

スカッとしました!
Posted by セブンイレブン♫ at 2018年07月25日 08:19
生きるもの全てが、基本的には何かしらを食べていかなければ生きていけないこの地球。
命を奪う瞬間から、食事を頂く事で感じる事まで全て含めて、感じる思いは人それぞれだと思います。
多分、その感じた思いを感じる為に、この地球を選んで生まれてきたのかもしれないですね。
Posted by 鈴 at 2018年07月25日 11:23
いつもありがとうございます。

ミドリさん

「うれしくてせつなくて」

そんな感じだと思います。

全てを受け入れる勇気

その上で自分が何を選択するのか?

そのとき、自分の都合ではない、きれい事でもない、「大きな宇宙愛」を感じることができるのだと思います。
Posted by まっす~ at 2018年07月25日 17:17
どんなにあがいても
私たちは他者の命を頂いて生きています。
それは食べ物だけでなく
着るもの住まうもの日用品に至るまで。
もちろん今は
自然素材意外の選択も可能でしょうが
私たち自身が自然由来なため
やがて息苦しくなると思います。

白か黒か ではなくて
必要なものを必要な分だけ
他の命を頂いているという認識が
大切なような気がします。
他の命のおかげで生かされているという
この法則には本来
他の命に対する感謝や畏敬の念を
私たちが忘れないためのような気がします。
ある本に書かれていたのですが
(うる覚えですが)

頂いたその命を生かす生き方をしているか

とても重いです。
Posted by りん at 2018年07月25日 18:53
敏郎さんの嬉しそうな表情を見て私も嬉しくなりました✴

あんなに楽しい御神事に参列できて私の人生の在り方に凄く影響がありました。

今度は一泊してあの地をゆっくり満喫したいです。
Posted by ゆん at 2018年07月27日 09:36
苦しくなるとあべさんのブログを見るけど、見たら見たで最後は苦しくなる。

僕もあなたも全く同じレベル(?)というメッセージはそうなんだろうけど、発信する側と受け取る側という構造がある以上、どうしてもあべさんやあべさんが紹介してる人たちが素晴らしく、ある意味権威にのように感じてしまう。

あべさん達にも探求の不快感があるのは分かってるけど、その強烈さや頻度が私よりも少ないんだろうし、それだけでもかなり特別じゃん!めっちゃいいやん!みたいな。

そんで、自分がそうなれないのは、瞑想も続かないしお肉もやめられないし、屠殺の画像を見る勇気もないからなんだとか思ってしまう。
その一方で、そのように裁くのがマインドですとか、でも思考の在り方で豊かになれますとか、なんか全て関係ありませんとか、真剣に救いを求めて読んでる分、読めば読むほど混乱するし苦しくなるよ!

別に読まなきゃいいだけなんだけど、つい読んでしまうよ!
もういいかげんやめたい!
楽になりたい!
全てのメッセージが無くなって欲しい!
Posted by あきら at 2018年07月28日 01:08
お肉、、、私もあんまり食べないです^^;
屠殺も見たことないし、これからも見ることもないと思いますが。
それも、起こることが起きているですよね^^;
自分が作ったストーリーの中の一つのキャラクターが牛さんだったり、豚さんだったり。
でも一つ言えるとしたら、命が短くて羨ましい。
一瞬にして命奪われるのと、徐々に弱っていって、ひどいのに、しんどいのに、身体が苦しいのに、心が折れそうなのに、長〜く生かされるのと、どっちがいいのやら^^;
とにかく早くこのカルマから抜けたい^^;
Posted by ゆっこ at 2018年07月31日 16:39
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