2007年08月20日
もうひとつの随神(かんながら)
きのう、ふと自分の若い頃のことを思い出した。
思い出はたくさんあるけれど、どれも美化されたものばかりで、本当はみっともないことや、人に言えないようなことがたくさんあったと思うんだけど、そういうことって都合よく忘れていると思った。
毎日を生き残るのに懸命で、人に気に入られるような自分を演じ、損得ばかりを考え、心にもないことを言い、本当のところ他者に対する真心からの言動ではないから、時間の問題でメッキがはがれてしまったこともたくさんあったな。
うまく演じていたつもりだったけど、人はみんな見抜いていたんだろう。
ただ、いちいち僕に言わなかっただけの話だ。
そんな自分のことは忘却の彼方に押しやって、なんとかつじつまを合わせながら生きてきたと思う。
かんながらの物語だって、ああやって書けば主人公も心清き人物に描かれてしまうけど、その心の奥には、自分でも見たくない様々な想いが渦巻いていたように思う。
それは今も同じで、無意識に自分を正当化して生きてはいるが、まだまだ醜い面が心の底を去来していて、それを実際に見届けることさえしていないように思う。
ようするに自分を見たくないわけだ。
若い頃よりは幾分よくはなってきたが、このような傾向は一生続くんだろうか。
それとも芯の芯から潔く美しく生きられるような、そんな人格に成長できるんだろうか。
今の僕にはそのことがまだわからない。
自分の暗い面だけを浮き彫りにして、もうひとつの随神(かんながら)を書いてみたらどんなストーリーになるのかな。
よく自叙伝や人物伝のような書物があるけれど、そのような本にはどれくらい立体的な真実が描かれているんだろう。
なんだか今日は自虐的な文章になってしまったけれど、自分を見つめる難しさを感じたので書きました。
(文章は一見自虐的に見えるかもしれないけれど、実際にはかなり清々しい気分です。無意識に蓋をした世界を見つめる勇気を持ち始めたからだと思います)
少しでも心清らかに生きていきたいと願っている今朝の心境です。
さて犬の散歩でも行ってこようかな。
この子の世話をしている自分、家族の幸せを考えている自分、少しでも人の役に立ちたいと思っている自分には嘘がないのだから、そんなところも見てあげながら、今日も一日僕自身を生きようかと思うわけです。
今日もいい一日でありますように。
Posted by Toshiro Abe at 07:50│Comments(0)
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