2010年06月23日

時空を超えて

さて、それじゃあ昨日の続き。

あなたの中にいる「その人」と、僕の中にいる「この人」を、もう少し探ってみよう。


ヒントは時間の中にある。


あなたの一番遠い記憶はいつのもの?

幼稚園か、その前か。



僕が覚えている一番古い記憶は、おそらくは1歳か2歳の頃。

当時住んでいた家に、夜になって、浮浪者の男が入り込んできた。

父が彼を追い払う姿を、僕は叔母さんに抱かれて、じっと見ていた。


おそらく僕はまだ喋れなかったと思う。

でも、その男が可愛そうだと思った。

とてもクリアな意識で、それを見ていたのを覚えている。

それを見ていたのはいったい誰か。

「この人」だ。


「この人」はあの時も、いまも、何も変わらずに僕の中で僕を生きている。

体は成長し、変化してきたけれど、「この人」は歳をとっていない。

子供のころも、青年期も、そして壮年期も、いつも変わらず「この人」が僕の中から外を覗いていた。


たとえ、80歳になっても、90歳になっても、それは変わらずに在り続けることだろう。


老人に聞いてみればすぐにわかる。

自分は何も変わっていないと言うことだろう。


それは死ぬまで変わらない。

いや、実は死んでも変わらない。


「この人」は、生死を超えていて、生まれる前からここにいたし、死んでからもここにいる。

それはいつも、いまここで、純粋な意識としてあり続けている。


あなたの中で、僕の中で、あらゆる生き物の中で、あらゆる現象の中で生き続けているもの、それがあなたの中の「その人」であり、僕の中の「この人」だ。


そして肝心なポイントは、それこそが、本当の自分だということ。


それ以外の自分は、様々な印象を組み合わせて作った、幻想に過ぎない。

その幻想を脱ぎ捨てて、本当の自分を再発見したとき、僕たちは生死を超え、時間を超え、空間を超えることができる。



あらゆる時間に、あらゆる場所に、あなたは存在し続けている。

それが「いまここ」という言葉の、究極の意味です。




今日もここに来てくれてありがとう。


これからも、できる限りの表現を駆使して、あなたが何者なのかを伝え続けていきます。





この情報が多くの「この人」に届きますように。

ご協力よろしくお願いします。

時空を超えて   時空を超えて




・・・・・・・・・・・・・・




今日は、いくつか業務連絡があります。


6月26日「名古屋いまここ塾」は満席のため、受付を終了しました。

6月27日「東京いまここ塾」は、残り席わずかです。



名古屋、東京、大阪、それぞれ「いまここ塾」の前後に、瞑想伝授経験者対象の瞑想会を開きます。

もしまだ連絡が来ていない人は、阿部宛にメールください。



Posted by Toshiro Abe at 08:36│Comments(37)
この記事へのコメント
おはようございます。

心がきゅん!となる記事でした。
とてもとてもわかりやすいです!
VIVA!いまここ!!
Posted by 麻美 at 2010年06月23日 08:47
阿部様
よ~~くわかりました。 どうもありがとうございます。
私もあなたも彼も彼女も あの子もこの子も
木も花も鳥も猫も犬も み~~んなわたし すなわちつながってるのですね。 そうおもったら全てがいとおしくて かわいくて 自分のなかの
富士子ちゃんも 阿部さんも み~~んな 全てに愛を感じます。人もものも
大事にしたいなって思う。 ありがとう。
Love 富士子
Posted by 富士子 at 2010年06月23日 08:50
おはようございます。
阿部先生に向かうのは、私の中の『この人』が一番『今ここ』に気づきの頷きを頂き 嬉しいからだと思います。
普段、忙しいとか、問題解決最中とか『この人』とカラダとがわからないほど 余裕なく過ぎていました。
ゆとりがあった子供の頃 ピュアな『この人』が いつも全体を観察し 私の中で囁いていました。最近 『この人』が消え直 『自分』という感じで 自分を客観視する余裕さえ消えていました。
今 改めて 『ありがとうございます』
Posted by かな at 2010年06月23日 08:56
おはようございます。

今日のお話読みながらピン!と来ました(^O^)


ホントだ!!
いつの時代の私もいまここの私の中にしか居ないって・・・・そしてその私って意識以外の何者でもないって・・・(^w^)


なんかそう思うと物質である肉体が邪魔なんですけど・・・・今すぐにでも脱ぎ捨ててしまいたいくらいです(ToT)
Posted by あんじゅ at 2010年06月23日 09:02
敏郎さんおはようございまっしゅ。

幼いころの意識、「かわいそうだと思うのは、このヒトなのか、自我なのか」なんてね。ちょっと思っちゃったりもしちゃいます。
見ている人は、もう疑いの余地無くこのヒトなんでしょうねぇ。

ぼくは、幼いころ、自慢の三輪車で、一人で、しかも道路で!遊んでいたとき、宮城県沖地震が発生し、周りのブロック壁がバッタバッタと倒れてくるという記憶があります。
不思議に、道路の真ん中で、「大丈夫」だと知っていて、ブロックが倒れていくのを、ただ眺めてるんです。

不思議ですね。

これって作られた記憶なのかな?と今思って、母に電話で聞いてみたら、母は妹をおんぶして買い物に行っていて、ぼくのことはほったらかしだったそうで、すごく心配したことだけ思い出せるそうです。

同じ地震があったら、確実に今の僕のほうがパニクルな。


それを見ているそのヒトが、阿部さんのおっしゃるいまここなのでしょうね。
Posted by ss at 2010年06月23日 09:08
そうなんです、世界に自分しかいないこの感覚ってなんだろう~。
あなたの中にいる「その人」について初めて答えてくれたのが阿部さんでした、すごく安心しました。
自分はこのままでOKなんだ…ありがとうございます。

今日もみんなが素敵な一日でありますように。
Posted by はな at 2010年06月23日 09:12
今日もありがとうございます。
さあ、にっこり家事をはじめましょうか~~!です。

記事には関係ないのですが
お友達の、向禅師のブログは今見られないのですよね??

なんか英語の表示がでるんですけど・・
もうおんぼろPCでなくなったので、うちのPCのせいでは・・
ないですよね??(笑)

残念です~~

いつかお話聞いてみたいです・・

禅の世界は書とか絵とかの作品ではなじみがあるのですが
(一休とか白隠とか・・)
本物の生のお坊さんには、お目にかかったことがないので
いつかいってみたいです。

天河にもいってみたいし~
もう、行きたいとこだらけです。(笑)

沖縄のいまここ塾にも行ってみたいし
(ついでに美ら海水族館と、綺麗な海にも。笑)

あ~~旦那さんにたくさんボーナスでますように!と
祈るのみです・・(笑)

なんて、あせらず楽しみに、いつか行ける!と信じてます。。

ではみなさま、素敵な一日を・・
Posted by ゆみ at 2010年06月23日 09:28
 阿部さん、みなさん、おはようございます。

今日のメッセージも、コメントも最高でーす!! 

最近の娘の言動がおもしろくて、紹介します。 

夕食時、ふいに娘が 「お母さん、ばぁば、なんで懐かしいって思うか知ってる?」

ばぁば・私、「? ううん、わかんない。 なんでだろう?」

娘 「それはね、その時その時に自分がいたからなんだよ。」 

ばぁば・私 「へ・へぇ~~~~(驚) 」

そして、またもくもくとご飯を食べる娘でした。 

それ以来、ばぁばと私は娘に一目置くようになりました。 

後日、娘が 「あれねー、ラピュタの歌がヒントになったんだよ。」 と教えてくれました。

彼女なりにアレンジして吸収したんだと思います。 面白いので、そのまま流

れにまかせて育てていこう。 と決めたこのごろです(^^)
Posted by 千春 at 2010年06月23日 10:20
いつも 表現を駆使して 忍耐強く発信して下さり有難うございます。
気づけそうで 分かりそうで 醒めそうで
つかめない  わからない  ぼけている 

こうして ブログを見て マインドとハートが
少しづつですけど 阿部さんのいうところの世界に近づいていそうな気がします。
Posted by so-ra at 2010年06月23日 10:22
阿部さんこんにちは。
ずっと前から拝見していましたが、コメントするのは初めてです。

子どもの頃、ときどきふと「"私"ってなに?」という疑問(というか感覚?)にと襲われることがありました。
阿部さんが書かれたように、まさに「私の目の奥から外を覗いている『この人』ダレ?」という疑問です。
その疑問は前触れもなくやってきます。
すると途端に、自分の身体が、目の部分に穴が二つあいている段ボール箱に変わり、その穴から外を覗いているような感覚になるのです。
それは、身体と精神が分離してしまったような奇妙な感覚でした。

"私"ってこの段ボール箱の身体なの?
それとも、その穴から覗いているのが"私"なの?
もし"私"がお母さんの身体から覗いていたら、それは"私"じゃなくなるの?
"私"って一体なに...?

この経験は7歳ごろから11歳くらいまで続いたと思います。
あの「段ボール箱の穴からのぞいている感覚」はいまだに覚えています。
あの頃はわからなかったけど、どれも"私"なんですね。
Posted by p at 2010年06月23日 11:07
妙に冷めた視線;目線で…物事をシビア観ていたアタシは、常に…60歳の感覚が有ったんですが・・・;;
今も、そうなんですが・・・。
きっと60歳を迎えた時、年齢に見合うモノの見方が出来て…周りと上手に付き合えるようになるのかなぁ~~~って・・・そんな風に想ってます。笑

が、今の年齢のまま…ずっと、居る感じは、否めないモノで・・・
子供達の成長も見ながらに???
過ぎてきた時間が消えて、前から…この年齢だった様な…変な感覚もずっと有りましたねぇ~~~~~。笑

容姿なんて、自分の一番いい時代で止まってます。恋する気持ちも18歳で止まってるんですょ~~~。笑
「鏡ミロ!」って、言われそう~ですねっ(ーmー;)いやだゎ。
Posted by ☆なっちぃ~☆☆なっちぃ~☆ at 2010年06月23日 11:27
僕も3才の頃に、近くから母にお椀を投げてしまい、母の上唇が切れ、血が吹き出したことを今でも鮮やかに思い出します。母は亡くなったのですが、そのことを思い出すと今でもすまない気持ちで一杯です。

「「この人」はあのときも、今も、何も変わらずに僕を生きている。」と阿部さんから指摘されて初めて「この人」を実感できる感じです。それを感じている僕のなかの「その人」が本当の自分なんですよね。わかりやすい例えで説明してくれて、ありがとうございます。

最近のブログはとても本質的なことを伝えていると思います。私の内面も、いろいろな変化を見せています。最近急激に心が穏やかさを感じています。阿部さんのブログで、そのような人がとても多くなっているかもしれませんね。

沖縄では、今日は慰霊の日で学校も休みです。夕方の慰霊の日コンサートに行く予定です。「水曜の会」の瞑想会に参加できなくて残念です。
いつもありがとうございます。
Posted by matasan at 2010年06月23日 11:47
ちっとも可愛げのなかった子供の頃を思い出して涙がでてしまいました。不覚にも、オッサンなのに‥

指摘頂かなければ気がつきませんでしたこの感覚に。

ありがとうございました。
Posted by 古古米 at 2010年06月23日 12:16
ここのコメント欄のひとたちはいつも
みんないい人たちですね。
理解もすばらしくて、うらやましいです。

自分はなかなかおっしゃることが
わからなくてすみません。
質問です。

阿部さんは
色んなことを、断定なさっていますが、
その確信はどこから来ているのでしょうか?
瞑想から、浮かんできたことですか?

スピリチュアル系の話ではみんな
同じことを言っているのですが、
大勢がそういう着想を得たから、
真理だと言う根拠がわかりません。
ただの脳の作用かも知れないし・・・。

ここのみなさんは、阿部さんのようには
体験していない人が多いと
思いますが、
なぜ簡単に、賛同できるのでしょうか?


変な質問ですが、
昨日食べた鮪の刺身も自分と同じもの?
生き物ではありませんが、
車の車体は?
生きているものだけが
ひとつなのですか?
(子供はテディベアとひとつに
なって遊んでいたりしますけど・・・)

すみません、変な質問で。
Posted by wakuwaku at 2010年06月23日 12:19
阿部さん   いつも素敵なメッセージをありがとうございます

ああ、そうだったんですね!!
昔の人が、「唯我独尊」と言った意味は「この人見っけた」と言う意味だったんですね、

今日もありがとうございます。
Posted by 陽満里 at 2010年06月23日 12:20
不思議ですね~

つい先日 全く同じ内容の記事を他のブログでアップしました

流れるままに・・・

いつも ありがとうございます^^
Posted by Wing at 2010年06月23日 12:22
wakuwakuさん

ここで伝えていることは、知識ではなく自分の内なる体験によるものばかりです。

火に手をかざしたら熱かったという経験以上に確かな感覚ですが、そのことを僕から聞いても、聞いた人にとっては単なる情報のひとつに過ぎません。

そこがもどかしいところです。


ここで僕の話に賛同する人の書き込みが多く見えるかもしれませんが、見ている数万人の中の十数名が書いてくれているだけです。
その数が多いとは思いません。


ここに書きこまなくても、僕と同じ経験と理解を持つ人はいるでしょうが、国民の数から見れば、まだほんの一部です。

しかしこの先、急激に増えていくと予感しています。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2010年06月23日 12:58
こんにちはー。

あ、生死がない。
生まれたとか死んだとかない。
時間も、空間も超えている。

自分がどこまで深く理解してるかわからないけれど、阿部さん、ありがとう!(*^_^*)


そこで疑問。
「この人」しかいないのに、ひとりの異性に対しての、
「この人がいてくれないと、生きていけないっっ!」
という、圧倒的で絶対的なこの気持ちは一体…?…なんでこういう気持ちが発生するの?


別次元なこと、かなぁ…?
Posted by sai at 2010年06月23日 12:58
そう、僕たちはひとーーつ!!

きのうのメッセージは頭をスコーンと打ちぬいてくれました♪

随(かんながら)神 読み終わりました
阿部さんを突き動かす
大きな随神を感じることができました

気になってブログも読みました
まさに事実は小説よりも奇なり

阿部さんのように先に目覚めてしまった人達が
目覚めたいと願う人達を引き上げ
さらにその流れが全体をのみこんでいく
そうなっていくといいな~と思います

すべては完璧すぎて
偶然の仮面を忘れることは絶対にないから
つい疑って不安になってしまうのですが
やっぱりすべては随神なのかな、と

そしてこうして阿部さんが変わらずっと
伝え続けてくれていることは
宗教でもなんでもなく
すごーく自然であたりまえことだなと
あらためて思いました

あと瞑想とか座禅とか

1日に少しでも静かな静寂な時間を持つこと
これが本当に大切なんだなーと
ひしひしと伝わりましたー!
Posted by シャワー at 2010年06月23日 13:11
頭で『いまここ』をわかろうとしているだけで、
本当の意味はまだ知りません。

母が瞑想を始めてから、何故か何もしていない
私や猫に幸せなことが沢山あり、
愛や幸せを毎日実感できるようになりました。

それがキッカケなのか・・・・環境は全く変わらないのに、
仕事やプライベートどんな時でも何もなくても、
「あ~幸せ」と思えるようになり、
心が愛で満たされているのを実感できています。

そしてこれからもそれが続くのだと確信しています。

(彼氏募集中ではありますが)
幸せを実感できるようになってから、環境も変わってきました。

うつ病になってしまい、毎日励まし、愛を与えてきた同期が
今月から会社に復帰して笑顔で頑張っています。

元ヤンの同期が怖い顔をしながら、毎日日課の様に
「抱きしめてー」と抱きついてくるのでおもいっきり
抱きしめています。(女性です)

それから突然思わぬ昇給をしました。

そしてそして猫が病気から復活しました。

愛に沢山気付くことが出来る様になりました。

他にも沢山ありますが、何より自分がいつでも幸せで、
相手も幸せになっていることが一番実感でき、
幸福感を味わっています。

幸せになっている努力が出来ているのかなと感じます。

でもまだ『いまここ』ではなく、
前ほどではありませんが、
環境に振り回されることも多くあります。

でもリラックスをして本来の自分を知ることを
楽しみにしています。

これからも自分のために相手のために
愛と調和に満ちた世界を感じていきたいです。

阿部さんの言葉に一つ一つが私を自然に戻してくれています。
本当にありがとうございます。
Posted by まつ at 2010年06月23日 13:50
阿部さん、こんにちは。

今日、1つ気づいたことがあります。
以下の文章を読みました。
(文章を勝手に引用させてもらいますが、ご容赦ください。)

 ↓  ↓  ↓

素直な状態から外れてきているよって・・・

辛い思いをしなければ、私は傲慢である
ということに気がつかなかったでしょう。

傲慢であった頃の私が、一番傷つけていた
人がいます。

それは自分でした。

まぁ、たくさんの人を嫌な気分にさせたかも
しれませんが、一番傷ついていたのは自分
だったと思います。

*************

この文章を読んで、ああっ、これは自分のことだと思いました。
しかもまだ傲慢であった頃の自分を許せていないことがわかりました。
(今もそうなのかも知れませんが・・・)
要するに自分のことを嫌っている、受入れていないということがわかりました。
自分のことを嫌いなはずはないと思ってましたので、驚きました。
(だって、自分さえ良ければ・・・みたいな考えが時々起こりますので。)
これから対応を検討します。
Posted by ウルトラマン at 2010年06月23日 14:55
一番古い記憶は、幼稚園で、ある友達を故意に傷つけたという濡れ衣を着せられたこと。

そしてそれを親に言えなかったこと。

辛さのあまり、記憶を封印したのか、その時どうしたのか忘れてしまったけれど、母に愛されたい一心でありのままの自分でいられなかった私は、今よりも大人びていたかもしれません。

そのとき、すべてを見ていた「その人」が
今も静かにすべてを見ているのですね。
Posted by ラベンダー at 2010年06月23日 15:04
こんにちは^^
自分の一番古い記憶を辿っていたら、
忘れていた幼い頃の思いが色々リアルによみがえってきました。
まるで昨日のようですね。

素直に感じて、それを怖れることなく、表現したことが
身近な人に押さえつけられて(否定)いたこと、沢山あったようです。

そして、思い出せば出すほどに
今の自分と何も変わらない感覚があって
それがまさにそれか~って^^
なーんだ変わらずずっとそれだ~って^^

きょうもやっぱり幸せです☆

ありがとうございます。
Posted by tomatoma at 2010年06月23日 15:41
阿部さんのブログを毎日見るのは、「思い出している」感じがあるからです。
心の奥から、うわ~っ!と出てきそうになったり、いつもに戻ったり、
空の上から、「思い込みにとらわれている自分」を認識したり・・・。

何だか、いろんなステージから観ているような感じの今日このごろです。

さっさと明らかに覚めたいと思っていますが、スカッ!とオープンになれないです。妙な意識を脱げないでいます。

スッポンポン!になりた~~~い!
Posted by りんりん at 2010年06月23日 15:54
さっぱりわかりませんでした。
「本当の自分」というのがよくわからなくなりました。
心身ともに一致してるのが「本当の私」だと思っているのだけれど・・・。
そうすると、時間が短く感じられて時間の枠からはずれているような気がします・・・。
その人もこの人も私の中で統合されているのでわからないのだろうか。
たまに、その人かこの人らしき方が出て来るときがあるような気もしますが・・・。
Posted by めいメイ at 2010年06月23日 17:21
皆んなが「ひとつ」だと気づいたら、敵も味方も存在しない事に気づくだろう。
そこには何の境界線もなく、全てが一体となっている。
そこに存在するのは、不平等でも差別でも格差でも無く、“愛”だけであるという事実に・・・^^
Posted by 近藤 at 2010年06月23日 19:51
こんにちは!
今日の記事、とてもよくわかりました。
無になる心持ちでした。
自分の中でなく、全てが静かです。
自分のという表現ができなくなった気がします。
何もない、でもあります。
阿部さん、この感覚を感じさせてくれてありがとうございます。

先日は東京での阿雲の呼吸に参加させてもらいました!
とても楽しかったです。
また生でお二人のお話を聞きたいです。
ありがとうございました(^^)
Posted by じょんた at 2010年06月23日 20:17
読んで 思った言葉

『ありがとう』

それを 伝えます。
Posted by ちいこ at 2010年06月23日 20:50
千春さん、

お子さんの感性、素敵ですねえ~~!!
ほんと、そのままこのまま、すくすく大きくなってね~ですね。。

子供のいうことは、ほんと、宝ものみたいにきらきらして
いますよね。。。

メモしとかないと忘れるんだけど!(笑)

忘れた名せりふ、数知れずの母でした~(笑。ずぼらなので)
Posted by ゆみ at 2010年06月23日 21:56
pさん

>子どもの頃、ときどきふと「"私"ってなに?」という疑問
 (というか感覚?)にと襲われることがありました。

僕もそういうことがあったんですよ!
で、そういうことがあったことを最近よく思い出すんですよ!

pさんのメタファー「段ボールの穴から・・・」という感覚も
似ています。小学校4年か5年くらいですから10歳か11歳か
ですね。

友達たちと何かしているとき、フッと「あれ?自分ってなんだ?」
とか『「自分」なんてどこにもいないんじゃないか?』なんて
いう状態になったんですよ。

今でもあの出来事はなんだったのかよくわからないんですが
「この人」が本当の自分に気付いたってことなんでしょうかね~。

同じ感覚を持つ人がいらしてあまりにも嬉しかったので
初めてコメントを書き込みました。

これからもよろしくお願いします!
Posted by m_april at 2010年06月23日 22:19
ー永遠ー

ですね!

きようもありがとうございました。

おやすみなさい。
Posted by hiro-k at 2010年06月23日 23:41
m_aprilさん

>友達たちと何かしているとき、フッと「あれ?自分ってなんだ?」
とか『「自分」なんてどこにもいないんじゃないか?』なんて
いう状態になったんですよ。

そうそう! 同じ体験をされてたんですね!
今までわかってくれる人がいなかったので、とてもうれしいです!
実は私も阿部さんの記事を読んで、阿部さんも同じような感覚になってらしたのかな、と思ったので、初めてコメントする気持ちになったんですよ。
こちらこそ、これからもよろしくお願いします!

「私」は単に身体だけでできている存在じゃないんだ。
私の中にいる「この人」は、とりあえず「私」の身体に入っているけれど、どの身体にも入りえるものなんじゃないか。
「私」には(空間的にも時間的にも)境目なんかないんじゃないか。

こんなようなことが、理論としてではなく感覚としてわかった最初の体験だったのかもしれませんね。

皆さんのコメントを見ても、子どもって、誰に教えられなくてもすごい体験をしているんだよな〜、とつくづく感じます。
Posted by p at 2010年06月24日 00:17
☆wakuwakuさんへ☆

<<このみなさんは、阿部さんのようには
体験していない人が多いと
思いますが、
なぜ簡単に、賛同できるのでしょうか?>>

子供さんがいらっしゃるのなら、話は簡単ですょ^^¥
観察してれば、解ります。

<<三つ児の魂百まで>>
産まれてから、3歳頃迄に記憶した事は…病気やらのトラブルが無い限り・・・忘れないんだそうです。

金さん銀さんが、あの年齢まで…歩いたり、話したり…トイレやお風呂やお箸を持つ事が出来ていたのを合わせてみれば解ると想いますが。

赤ちゃんは、最初から、、、歩ける訳でもなければ???
水だってコップから飲めませんょね。
勿論、お箸は愚か、スプーンだって???
ご飯をすくう事さえ出来ません。

歩く事も、立つことも??
走りまわる事だって出来ない。
寝返りを打つ事も出来ません。

先日の、「自転車」を乗りこなすまでの経緯での事を、どなたかが、コメントされてましたが・・・???
自転車云々の前に…出来ない事だらけ???だった事を・・・体験して、マスターしてきてる訳ですょね。。。

でも、大人に成ると???
「その行動は、当たり前に出来るコト」なので、意識せずとも??
体は、勝手に動くんですょね??
殆んど…無意識です。

「あっ、俺…歩けてるや!」「うおっ、、、溢さないで、用を足せてるジャン!!!」なんて???
逐一、大袈裟に…感動なんて、しませんよね???

でも、其処が「ミソ」なんですょ。
大人に成ってる!

って事は、障害が無い限り…今でも、何気ない暮らしで行ってるんですょね^^¥

そこに、「賛同」が在る。
それだけですょ。。。
皆さん…経験なさってるんですょ。。。

当たり前過ぎて???
忘れてて…。


だから、目覚めた人なんて…偉い訳でも何でも無いんですょ。。


皆同じレールの上なんです。笑
下も上も無いんですょ。。。


だだ、その想い出す事が、安易であるか否かの差があるのは、シンプルに事を捉えて???
「腑に落ちるか???」
「いやッ・・・でも、じゃ~・・・アレは?ソレは?だったら、コレは???」って、自分でコンガラウ事を…どんどん付随させてるだけですょ^^¥


モノの出来上がる迄を説明する迄もなく???
「自然の中に在る」モノから、手や知恵や、労力や時間を費やして出来上がったのが、「物」何ですょね???

何にも無いトコロに、チチンプイプイのプイ!って、出来上がるのは…「想像」とか「幻想」「想い」とか、そんなモンですけど??
「物」にも、命は宿ると思いますょ^^¥

建物も、人が住まなければ…廃墟と成って死んだも同然。

ですが。。。
リメイクしたり人の手やココロが入り込めば???
物は、活かされるんですょね^^¥

ベアで遊ぶ子も…癒しを貰えてる筈ですょね???
作り手の命が、吹き込まれてるからでは無いんでしょうか。。。
大人が、ダイヤモンドを大好きな事と何等、変わりませんよ???笑

「ただのぬいぐるみ」と言ってしまえば???
ダイヤだって、磨かなければ???
「ただの石」なんですから。

命を吹き込まれるから、活かされるし…価値も付く。
ぬいぐるみの出来上がる工程のみならず「原材料も…自然に、存在してた物を加工した!」
それだけだと思いますょ~~~☆^v^☆
Posted by ☆なっちぃ~☆☆なっちぃ~☆ at 2010年06月24日 01:45
やっぱり、「その人」でしたか・・・(笑)
子供の頃から疑いなくいました。私の中に・・・

ただただ、見ていました。
時々自我が「その人」に気付き、
「おまえは誰?」・・・「わたしは何?・・・」
・・・と、やっていました。

「その人」に自我が気付き始めると、どうにもならなくソワソワ感が出てきて
おかしくなりそうでした。

でも、「その人」のお陰で、今は安らぎと平安、一体感、愛でいっぱいです。
いやいや、愛そのものなんですね・・・

今、ここに縁できて、阿部さんに出会えて、みんなに出会えてほんとうに良かった。

Thanks a lot !
Posted by ななこ at 2010年06月24日 02:12
↑ 
私の子供の頃の感覚も、pさん、m-apuri さんの感覚と同じ様な感じだと思います。

私は、一人になり「姿鏡」を見た時によくこの感覚になっていました。
自我がソワソワして嫌な感じなのに、誰もいないとわかると私は良く、鏡の部屋に行き静寂の時を確かめていました。ずっとそのままにいると静かになって自分がいなくなる感じ・・・気が遠くなり、す~~~っとなくなっていく感じになるのです。鏡には姿が映っているのに、自分がいなくなるような・・・

この事を一度、祖母に話した事がありました。
その時、祖母は「変な事を言う子だ!」と言い相手にしてくれなかったので、それ以来この感覚は誰にも話したらダメなんだ。と思いました。

ずっと封印し続けていましたが
今は「その人」が感じている光の体験を繋げていくことで真実が見えてきた様に思います。


そして、千春さんのコメントにもとても共感できます。
うちの娘も4歳の頃、私の自我がMAXに暴れていてどうにもならない時に私にいいました。(この時の私は、鬱状態でした。)

「お母さん、ひとつの心で生きればいいのだよ。ぜんぶひとつなんだから」

        ・・・・・・

その言葉の重みに私はその時、時間が止まったのです。
千春さんのお子さんも本当の事を口にしているのだと思います。
Posted by ななこ at 2010年06月24日 02:43
平気で犯罪を犯せる者は「その人」との繋がりが切れた「ロボット状態」もしくは「抜け殻状態」なんでしょうかね。
つい先日、そういう者に遭遇し、危うく被害に遭いかけたのですが、一応ヒトの形をしている「それ」をとても「ヒト」とは思えませんでした。
Posted by ひのもと桜 at 2010年06月24日 17:29
6/27(日)東京『いまここ塾』に参加します。

前後に行われる瞑想会について質問です。

対象の瞑想伝授者とはどのような方ですか?
私は瞑想にとても興味がありますが、参加はできないのでしょうか?
また、時間などの詳細が分かれば教えてください。
Posted by いのり at 2010年06月26日 06:49
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