2021年05月08日

何故?

奈良県の天河神社に「禊殿」と呼ばれる場所があります。

ご神体は神殿の背後にある高倉山という小さな山。

日本列島の中で最初に隆起した場所で、頂上は水晶で出来ているそうです。

僕が天河にご奉公していた30年前、この禊殿が大好きでよく来ていました。

不思議な光の玉に遭遇したこともあります。



さてコロナ騒動が起きる前に天河で瞑想リトリートをさせてもらったとき、通常は閉ざされている禊殿の扉が全て開かれ、そこで瞑想させてもらいました。

その時、いまでも忘れられない小さなエピソードがあります。


参加者の一人が宮司さんに

「私たちのために何故ここまでして下さるのか」

と訊ねた時、宮司さんが言ったのは

「何故はないんです」

という一言でした。



「何故はない」

いつも漠然と感じていることを見事に言い表してくれた言葉でした。


これはすべてに言えることです。

私たちはあらゆることに何故の答えを探しています。

そもそも何故生きているのかさえ知らないで生きているのだから。


人生の意味を考えるのが哲学かもしれませんが、何千年経ってもいまだに答えはありません。

「生」をマインドで説明することは不可能なのです。

何かを説明するためには、その対象より大きいか、超越していなければなりません。

マインドという卑小なものが、広大な「生」を説明できるはずがないのです。


マインドを超えた時、その答えがあります。

その答えとは皮肉なことに

「答えなど必要ない」

というもの。


全体と一つになった時、誰もがそのことを感じることでしょう。

「生」は神秘であり、解明すべき対象ではないのです。



だから生きるとしましょう。

どんなに困難でも、どんなに不条理でも、ただ生きるのです。


答えなどありません。

いまと一つになるくらいまで徹底して生きるのです。

いつか必ず死ねるので、それまではこうして与えられた機会を生き切りましょう。


死と共にすべてが霧のように消えてしまうのなら、何のために生きるのかとマインドは言いますが、そんなことを考える暇があったら、心のままに生きることをお勧めします。


何故?



この一年間、僕は天河で暮らしています。

大好きな沖縄を離れて、快適な我が家を離れて、何故天河に暮らしているのか。


何故?(笑)



天河の神に呼ばれたのではないか。

何かこの地でやるべきことがあるのではないか。


自我が喜びそうな理由はいくらでも見つけられますが、ただこのように起きているのであって、この流れを信頼して生きることにします。



全体から見れば誰もの人生は完璧です。

そこに「何故」が入り込む余地はありません。

全てはこのようにして起きているのだから。


あなたを生かしている源を信頼してください。

何が起きても源の思召しです。


大丈夫、あなたは一瞬も見失われていないから。



・・・・・・・・・



6月のハートマントラ瞑想の日程が出ました。

詳細はコチラです。









Posted by Toshiro Abe at 10:30│Comments(25)
この記事へのコメント
なんでなんで、、と言って人生を生きてきたようなものです。
でも、はて?どうなっていたかったのか、、どんな人生?
やっぱり、今の生き方が合っていたと。
流れのままに行くことを、教えていただいてから、
もっと合っていく感じです。
Posted by ミシェル at 2021年05月08日 10:51
宇宙全体が宇宙のすべての現象を運行しています◎

宇宙のすべての現象が宇宙全体によって運行されています◎

小さな部分にとらわれるほど大きな全体を感じられなくなり
不安定になり苦しみます→(>_<)←

小さな部分から解放されるほど大きな全体を感じられるようになり
安定して安らぎます←(*´▽`*)→

宇宙全体との一体感は大きな安心感です◎

永遠に果てしなく広がる宇宙を感じるほど
永遠に果てしなく広がる安らぎを感じます◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2021年05月08日 11:01
心が欲しているものって
いったいなんだろぅ?

心のままに
生きるってどんなだろう?
Posted by としあき at 2021年05月08日 11:01
結局は何にもわからないってことですよね❗
Posted by 近藤博文 at 2021年05月08日 11:45
あんなに食事や生活に気を付けて
検診にも行っていたのに病気になります。
原因を探しても治療にしても
お医者さんにも実は分からない。

やっぱり起きているってことですね。
それに対処していくしかない
何か楽になりました。(^_^)
Posted by モルゲン at 2021年05月08日 11:54
いま、海を眺めながら読ませてもらいました。「何故」を問わずに、ひたすらに生きてみます。日陰で風がふき心地よしです。幸せです。
Posted by 尚太郎 at 2021年05月08日 12:00
いつもブログを書いてくださり、ありがとうございます。
今日の記事は今の私には、まさにドンピシャで驚くとともに、心に響きました。
求めている答えって、心が静まれば、すぐに来るものなのですね。
ありがとうございました。
Posted by Kaorio サンガ at 2021年05月08日 12:04
たしか、宮司さまのコメントをわたしも天川ワークショップで耳にしたような…、記憶が曖昧でスミマセン(笑)。

あの頃は体調も悪く、まだ仕事の内容も未確立なときで、あれから数年、だいぶ心境も変わりました。

理由なき、人生の旅という感じでしょうか。笑。健康になりました。

天川村にも船岡山という小山があったように記憶してますが、わたしも京都の船岡山にいます。(意味はたぶん同じで、神道的な背景があります。)

最近は地理風水や方位の智慧も、講座に含み始めて、実は目覚めた後の生き方と、土地やライフスタイルというテーマです。

超マニアック向け動画のなかで、目覚めた後5年くらい?大変だったと仰っていたのが、私はすごく共感で、本当にやるべきことがなくなっちゃったという心境のあと、何をライフスタイルとするかの探究でだいぶ苦しんでしまいました…(笑)

それで、それ自体を仕事のメニューにしてしまいました。("招福ひよこ堂"で提供してます。)単純な結論となりまして。笑。

奈良南部には天川を含めてまた何度も何度も行ってみたい。談山神社とか色々土地が面白いらしいですね。
Posted by 招福ひよこ堂@Kyoto at 2021年05月08日 12:11
かっこいい~♪

あべさんが紹介したくれた一休さんの話を思い出します。。

なんだっけ(笑)

どこにも行っていないことを教えるよみたいな話(^^)

(失礼すぎてスミマセン(^^;)


今日、私のいまの想いをまとめるいいセリフが思い浮かんだの~。

それは、「すべては愛の不足の中で」です(^^)


映画のタイトルになりそうじゃない?(笑)


まさに~いつの時代も~、地球上で織り成されるストーリーは、愛の不足の中で(^^)

この人生すべてに付けられるタイトルだと思いまーす☆(^^)

でも…


それこそが愛のあらわれ?(^^)
Posted by おいも at 2021年05月08日 12:15
頭の中に湧き起こる想念が、身体を動かす命令のように働き、行為となります。

人の無意識の行為、意識的な行為、どちらであっても、必ず、想念に基づいています。

その想念は、その人が生まれ持った精神的傾向(ヴァーサナ)によって決まります。
しかし、その人が生まれ持った精神的傾向(ヴァーサナ)が、何故そうなのか?は、誰にもわかりません。
それ故、その人が何故それし、それをしないのか?を答えることはできないでしょう。

敢えて言うなら、そうしたいから、ということぐらいでしょう。

今は、10年前に引っ越しして、心安らぐ地で暮らしていますが、周りの人達に、反対されたり、驚かれたりしました。
何故、そんな所に?という訳です(笑)
それは、そうしたかったから、そこに住みたかったから。
それ以外の答えはありません。
今も、その選択に満足しています。
生まれ持った精神的傾向(ヴァーサナ)は、自分で変えることはできないでしょう。
心の声と言われることがありますが、心の声とは、この精神的傾向(ヴァーサナ)から生じています。
心の声には、いろいろありますが、多かれ少なかれ、また、ハッキリと認識することもありますが、認識できない場合でも、私たちの行動は、心の声に従っています。
この仕組みからすると、自由意志はあるようで、ないとも言えます。
心に浮かんだことは、自分の心に浮かんだと、人は解釈するので、自分が意図したことになり、それを自由意志と呼ぶのでしょう。

しかし、その根底には、常に、幸福感が結びついていることでしょう。
それをすると、幸せを感じるから、または、感じると思われるから、人はそれをすると言えます。

今は、天河に住まわれている阿部さんも、きっと幸せを感じていらっしゃるのでしょう。

幸せには、理由は要りませんね。

加山雄三ではありませんが、あ〜幸せだなぁと思えれば、幸せなのです。
本人が、幸せだと感じることが、その人の幸せなので、何が本当の幸せなのか?は人によりますし、人が推し量ることはできないでしょう。

人は、何らかの形で、自己の幸せを願い、それを求めて行為しており、それが、誤った方向に向かうこともありますが、人生とは、途切れることのない自己の幸せの追求なのかもしれませんね。
Posted by 幸せの追求 from M-online at 2021年05月08日 12:35
ヤバイ

バスの中で泣きそうになりました(;_;)

阿部さん、ありがとうこざいます。
Posted by はなこ at 2021年05月08日 13:34
>あなたを生かしている源を信頼してください。
>何が起きても源の思召しです。

そして、その信頼の下に生きていれば、
「あ、こういうことだったんだ」
という形で「何故?」が腑に落ちることもありますよね。
自分のはしょおもないことばっかですが、確かにそんな時、あります。
Posted by ただの「自分」 at 2021年05月08日 14:09
>あなたを生かしている源を信頼してください。

何が起きても源の思召しです

あべさんこんにちわー
北海道も桜が咲き始めましたよ。
これから明日にかけて?黄砂が降るらしいです。

なぜ・・はないのですね?
答えはないということでしょうか。
ただ今ここがあるだけ?
なぜはたくさんあるのですが・・こたえはなし?

いい人だった父が何であんな若く病でなくなったのかとか
どうしてというようなこともみな。

今日の春の一斉清掃日にちょうど大雨が降りだし、外作業が終わったら見事に晴れ間が出てきて、皆さん唖然!・・としてましたよ。おかしかったです。。
ずぶぬれで戻ってきてお風呂に入って、いい感じでコメント書いています。

庭の千島桜が2分咲きで、明日は母の日です。
日曜礼拝もあります。今はただ幸せです。ありがとう。
Posted by さつき姫 at 2021年05月08日 14:44
いつもありがとう。

尚太郎さんって沖縄の方ですか?

もし僕が知ってる尚太郎さんならお伝えしたいことがあるので連絡ください。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2021年05月08日 15:18
>「何故はないんです」
>これはすべてに言えることです。

仏教では これを「無条件」と言ったりします。
わかりやすいのは「条件付きの私」は自我、「無条件の私」は無我です。

条件付きは「取引のある状態」を指し「制限」があります。
その制限によって自分は死んじゃうし 制限が外れた時は自我が死んじゃう。
無制限が自由ならば 制限付きは不自由という事ですね♪

例えば「嫌われたくないから 同調する」のも「嫌いだから無視する」のも取引です。
いずれも「過去を引きずっている」からの取引で 自由な行動を制限します。
「過去を持つ」事で「純粋」は不純となってしまう訳です。
まっさらな「いま」なら 絶対に起きない事象を「取引による制限」は「描いてしまう」のです。

無条件に いま起きる事が 起きています。
あなたが何かで在ったり(何ゆえ)、何かを観ようとしたり(何ゆえ)すれば みえない。
Posted by まるまる at 2021年05月08日 19:39
こんばんわ、すべては信頼の中にあるんですね。そのことをもって、暫し今と向き合ってみます。
Posted by makotoazuma at 2021年05月08日 20:10
今は、奇跡のコースにどっぷりとハマっている僕ですが

去年の夏頃に、このブログのコメ欄で
阿部さんが奇跡のコースのレッスンの解説をしているということを読まなかったら

この分厚い本を手にすることはなかった…

神秘☆神秘☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2021年05月08日 20:32
「はぁぁ~、なんで私ってこんな人間なんだろう」とついつい自問自答してしまいます。一向に分かりませんが、それでいいんですね。ちょっと油断すると頭の中が言葉でいっぱいになるので、もっとボーーーッと生きなきゃな~。

私は俯瞰という言葉がとても好きなのですが、自分が全体の一部であることを悟るというのは、まさに俯瞰するということなのでしょうね。私は常々、今を懸命に生きる健気な鳥類に憧れてますが、鳥にならずとも、人間の私のままでも世界を俯瞰できるのですね。どんな景色が見られるのでしょう? 想像しながら、今夜も頭を空っぽにします!
Posted by キビタキ at 2021年05月08日 22:19
突然のコメント失礼致します。

4年間付き合っていた彼から、連絡が途絶えて1ヶ月が過ぎました。
些細な行き違いからLINEの返信がなくなりました。
電話にも出てくれません。

もう彼を手放そうと思います。

とても辛い決断ですが、彼に"何故"を聴けないままです。

4年間の楽しかった思い出がフラッシュバックします。

貰った指輪を返す決心をします
Posted by ヤノッチ at 2021年05月09日 06:38
どのくらい前だったか、頭の中が四六時中おしゃべりでいっぱいなことに気づいたときはとてもショックでした。
あまりにショックでそれを止めようと思ったこともありましたが、瞑想を教わってからはまたこだわらなくなりました。
瞑想中も言葉はたくさん溢れてきます(笑)
でも、例えば今日のブログにあるようなことについて考えようとすると、考えるほどに自分の中から言葉が奪われていって、どんどん静かになっていくような気がすることがあります。
Posted by コンドウノリカズ at 2021年05月09日 07:33
>マインドを超えた時、その答えがあります。

・・・あります!わかる・・・としか書きようのない場面があります。
で、マインドがそのことをどんなに考え込んでみても、それはもう「わからなく」なっています。総てを受け入れるしかないのだと考えてもいいし、その存在感に一切を委ねてもいいし、尚も探究し続けてみてもいいのでしょう。

>何故はない・・・これは、格言でも理想でも、気休めでもない。
その答えを得た方の悟りの言葉ではないかと思います(想像です)

>どんなに困難でも、どんなに不条理でも、ただ生きるのです。
・・・これは、多分にサービス精神に充ちた阿部さんのメッセですね。
これができないから・・・頼りにしています(笑)
Posted by AQU@ at 2021年05月09日 08:54
こちらこそありがとうございます。今年の4月から単身赴任で沖縄県の南大東村に住んでいます。阿部さんのことは吉の浦会館での「いまここ塾」の頃から夫婦で参加したことがあります。都会?(本島)の喧騒を離れて、折に触れ阿部さんのブログや書籍を読ませてもらってます。妻は智子さんのマントラ伝授を受けたことがあります。妻の方が熱心に瞑想も行っていましたが、あらためて今の私にそういう環境が巡ってきたのかと驚いています。これからも身を任せ折り合いをつけながら生きてみます。本当に救われていることに感謝でいっぱいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 尚太郎 at 2021年05月09日 09:07
阿闍梨の塩沼さんが、嫌なことに遭遇したときに、
「なぜ」という思考が出てくるのをぐっとこらえるのが大切だと言っておられました。
Posted by ワンネス at 2021年05月11日 12:17
こんばんは✨ 私は、もともと猫が好きなわけではなかったのですが、今は、好きです。流れを信頼して、いくようにします。阿部さん、いつもブログありがとうニンニン。
Posted by さしすせそ。 at 2021年05月11日 23:23
こんばんは✨ 私は、もともと猫が好きなわけではなかったのですが、今は、好きです。流れを信頼して、いくようにします。阿部さん、いつもブログありがとうニンニン。
Posted by さしすせそ。 at 2021年05月11日 23:24
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