2010年06月10日

続・「それ」

昨日の「それ」の話の続きです。


「それ」って何だかわかりましたか。

あなたを生かしているものです。


あなたの名前や、年齢や、職業や、経歴や、顔や、体型や、性格や、健康状態や、経済状態や、思考や、感情や、それらのものを全部取り去ってしまった後に残るものです。


いま挙げたものたちは、表面的なものばかりです。

表面的なものは変化していきます。

変化していくようなものは、本当の自分ではありません。

その奥に「それ」はあります。


表面的なものには、何一つとして同じものがありません。

全員の顔が違うように、あらゆるものが違い、しかもそれらは一回きりの現象で、2度と繰り返しません。

そこが宇宙の神秘であり、凄いところです。

僕もあなたも、この宇宙が始まって以来初めての現象です。

しかし、その唯一無二の存在が自分だと思ってしまったら、それは違います。


僕たちは、それを生きている命です。

命こそが本当の自分です。

命こそが「それ」であり、それは永遠にあり続けている実体です。


表面的なものは絶えず変化し、生成と崩壊を繰り返しています。

そんな表面的な要素と自己同化してしまうと、生死という概念ができます。

でも実際には、僕たちはそのような変化を超越した存在なのです。


表面的なもの(体や心)と自己同化していると、自分が命を持っているような気になります。

死ぬことを、命を落とすなどと言いますが、それは自分と命が別々のものだと思っているからです。


あなたが命なのです。

それは失うようなものではありません。

持ち物ならば失いますが、自分自身を失うことはできません。



死こそが最大の幻想です。

そこから、ほかの多くの幻想が生まれています。


まだ書きたいことがあるのですが、この続きはまたにします。

 


今日もここに来てくれてありがとうございました。





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Posted by Toshiro Abe at 09:31Comments(43)

2010年06月09日

「それ」

今日もまた一日が始まりました。


日常の活動に従事している自分の心の奥に、何もしていない静寂があります。

そこは海底のような場所です。

海がどんなに荒れても、全く影響されていません。

どんな時も慌てず、騒がず、ただゆったりと安心しています。



「それ」は、物心ついたときからいままでずっと自分の心の奥に存在していました。

いつもあるので気がつきませんが、それこそが本当の自分です。


実際には物心がつく前から「それ」はありました。

いやそれどころか、生まれる前からありました。

そして、死んだ後も在り続けています。

「それ」は、生まれもせず、死にもせず、いつもいまここで永遠に存在し続けています。



ここで重要なのは、あなたの「それ」と、ぼくの「それ」は、まったく同じひとつのものだということです。

この地上には「それ」しか存在していないのです。


もう一度言いますが、「それ」が本当の自分です。

僕たちは本質において、ひとつなる存在です。


だれも見捨てられていません。

みんなが「それ」だからです。



人生に目的があるとしたら、唯一、自分の中の「それ」を見出すことです。

それ以外のことは、仕事の成功も、恋愛も、地位も、名誉も、来ては去っていく砂上の楼閣に過ぎません。


したがって、幸せな人生も、不幸せな人生も、それほど大きな違いはありません。

ポイントは、どのような人生を歩んだかではなく、まさにいま、「それ」を見出しているか否かです。


もし「それ」を見出せなければ、たとえ世界中の富を手に入れても、何も得なかったのと同じことです。


もし「それ」を見出せば、たとえ一文なしだとしても、すべてを得ています。

なぜなら、自分がすべてであることを知ったからです。


「それ」はいまもここにあります。

「それ」はあなたの本質なので、どこにも行くことはありません。


僕がいつも「大丈夫だよ」と言うのは、どんなに「それ」から遠く離れてしまっても、実際にはまったく離れてなんかいないからです。


だから安心して自分の思いのままに生きてください。

死んだって同じことだと思えば、気楽に生きられるでしょ。

なんだっていいんですよ。


あなたはいつだって100%守られ、100%愛されています。

それ以外に真実はありません。




今日もここに来てくれてありがとうございました。




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・・・・・・・・・・・・




6月12日(土)10:00から、名古屋駅前ミッドランドスクエアで新刊「随(かんながら)神」のトークショーとサイン会をします。

特別ゲストは雲 黒斎さんです。

詳しくはコチラから。



同日14:00と18:00は、黒斎さんとの名古屋コラボ講演会です。

詳しくはコチラから。



6月26日(土)17:00から、名古屋いまここ塾があります。

詳しくはコチラから。




今月は名古屋月間ですね(^o^)   


Posted by Toshiro Abe at 09:27Comments(42)

2010年06月08日

反感覚悟の記事です

いま飛行機の中です。

こうして飛行機で移動する生活にも、ずいぶんと慣れてきました。



時折、機体が大きく揺れます

どうやら気流が悪くなっているようです。

もしこのまま墜落したら・・・そんな想いが頭をよぎることもありますが、不思議と恐怖心はありません。

死ぬ時は死ぬ、そう思っているからだと思います。


「死ぬ時は、死ぬのがよろしい」


すべての出来事は決められていますが、「死の時」はその象徴のように思います。



精神世界や宗教観について何も語らなかった父が、生前いつも話していたことがあります。

「人間、死ぬ時は決まっている」

それは彼の哲学というよりは、経験からくる確信のようでした。


満州で敗戦を迎えた彼は、ソ連軍に捕えられシベリアに抑留されました。


経理事務ができたことで、重労働をまぬがれたものの、その生活は想像を絶する過酷さだったようです。

実はその頃の生活については、ほとんど何も語らなかった父ですが、唯一語ってくれた話があります。


捕えられていた同じ監房に、同郷の後輩がいて、その彼が病にかかり、死の兆候が現れた時のことです。

その兆候とは、彼のベッドから白い糸のようなものが床に垂れ下がったことでした。

最初は何かと思っていたそうですが、よく見るとそれは、彼の身体にいたシラミだったのです。


シラミは自分が寄生したこの身体が、まもなく死ぬことを察するのだそうです。

そして引越しするというわけです。

その数日後、彼は息を引き取ったということです。


それからというもの、ベッドから白い糸が垂れると、この仲間はもう死ぬと覚悟したそうです。


いまでは考えられないような過酷な現実です。


その父は、何人もの仲間が目の前で死んでいく様を見て、「人間が死ぬ時は決まっている」と直感したと言います。

そんな話をする時の父の顔を見て、そうかもしれないと思った幼き日を覚えています。



そしていま僕は、同じことを感じています。

死だけではなく、あらゆるできごとが、大きな仕組みの中で決定されていて、それが刻一刻と運行されているということを。

人間が自由意思と呼ぶ選択の能力さえも、すべては大いなる仕組みの中で機能しているということを。


したがって死ぬ時は死ぬわけです。



さてここまで書いてきて、いまからどうしても書きたいことが出てきました。

このブログはいろんな人たちが見ているので、これから言うことに反感を持つ人もいるかもしれないけれど、自分の心に従って書くことにします。



それは自殺についてです。


各地のいまここ塾講演会には、身内を自殺で亡くした人達が何人かいます。

そんな人達に僕が話すのは、自殺をした人も、病で死んだ人も、事故や犯罪に巻き込まれて死んだ人も、死は死に過ぎないということです。

どのように死んだかは、この世でのストーリーであり、死というのは全く違う次元への移行で、それは人間の想像をはるかに超えています。


自殺した人はあの世で苦しみ続けるとか、地獄に落ちるとか、そのようなことを断定的に言う識者がいますが、そのような人の著作を読むと、そのほとんどは知識の集大成であり、本人が体験的に見抜いた真理に乏しいことが見て取れます。

体験からくる一次情報ではないのです。

そのような情報に惑わされて、二重三重に苦しむ遺族を何人も見てきました。




僕は内なる体験から伝えます。

どのような死に方をしても、全ての人は常に愛され、見守られ、救われているということを。

自殺した人たちも、もちろん救われています。

大いなる存在の愛と救済は、無条件なのですから。


罪や罰といった人間界の倫理と、真理は何の関係もありません。

犯罪者と被害者が同等に扱われることは不条理だと言う考えも人間界のものであり、真実は真実で何も揺らぐことがありません。




あなたの人生を応援しています。

もう悩まないでください。


身内を自殺で亡くし、罪悪感の中で暮らしてきたあなたに伝えます。

あなたのせいではありません。

誰のせいでもありません。

事はそのようにして起こったのです。



すべてを司る、大いなる意志を信頼して下さい。

その存在は、「何があっても大丈夫」と、あなたに伝え続けています。





飛行機が那覇に近づいてきました。

この記事は明日の朝、アップすることにします。


またこの続きを書く日がくるでしょう。




今日もここに来てくれてありがとうございました。

どうか、本意が伝わりますように。





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Posted by Toshiro Abe at 08:57Comments(114)

2010年06月07日

笑いは神秘の力

人気ブログランキングに参加して、沢山の人がこのブログを訪ねてくれるようになりました。。

上位にあれば目立つので、新しい人が覗いてくれる可能性が高まるのです。

本当におかげさまです。

ありがとうございます。



ランキングに参加するもう一つの面白さは、数あるブログの中から、素晴らしいサイトに巡り合えることです。


僕が言うのもなんですが、サイトの質がそのまま順位に反映しているわけではありません。

順位にかかわらず、素晴らしい内容のものもあります。


今日紹介するのは、人気ブログランキング、スピリチュアル部門13位に位置する、「ぐるぐるお笑いスピリチュアルセラピー」です。


人気ブログランキングへ



最初に彼のブログを見つけた時は、徹夜で過去ログを読み漁り、笑いすぎて翌日お腹が痛かったのを覚えています。

そもそも僕がランキングに参加するのを決めたのも、黒斎クンのブログと、彼のブログがあったからです。

仲間になりたいと思いました。

深刻さが蔓延しているこの世にあって、ユーモアはとても大切だと思います。


笑いはハートからやってきます。

笑いは僕たちを一つにします。

笑いは存在全体からやってきます。

笑いは人を開放します。

理論は人を打ち負かそうとしますが、笑いは共にあろうとします。

10個の教えより、たった一度の笑いが、真実に触れさせてくれます。

笑いは神秘です。

人間だけに与えられた、神からの贈り物です。


「ぐるぐるお笑いスピリチュアルセラピー」は、まさにそんな波動を分かち合いながら、確実に真理へと誘ってくれます。


だから僕は彼のブログが好きなのだと思います。


みなさんもぜひ一度ご覧ください。

面白い記事満載ですが、たとえばこれ。

傲慢な勘違い

ここに出てくる画像、大好きです。


そしてそこに置かれているランキングボタンを、ポチっと押してください。

こうしてランキングに参加していると、順位だけではなく、みんなから力を貰っているような気になれて、とても嬉しいものなんです。




話は変わりますが、昨日の黒斎クンとのコラボ講演会に来てくれたみなさん、本当にありがとうございました。

僕たちも時間を忘れて楽しませてもらいました。


今週末は名古屋で黒斎クンとのコラボがあります。

詳しくはコチラから。



その日の午前中には、名古屋駅前のミッドランドスクエアーで、「随(かんながら)神」トークショーとサイン会があります。

特別ゲスト 雲 黒斎

詳しくはコチラから



最近は全国を駆け回っているけれど、本拠地の沖縄のことも忘れたわけではありません。

いまも変わらず、火曜日と水曜日は、講演会を続けています。

明晩は久しぶりに、中城村の吉の浦会館で行います。

早くも250回になります。



ブログを媒体にして、多くの人と出会うことができました。

あらためてネットの存在に感謝します。



今週も楽しくいきましょう。


力を抜いてリラックス。

なるようになるから、心配ないね。



ここに今日紹介した「ぐるぐるさん」のお笑いブログがあります。
 ↓




こちらの応援もよろしくお願いします。

   


Posted by Toshiro Abe at 08:48Comments(46)

2010年06月06日

いまどこ塾

いま名古屋です。


街を見下ろすホテルの一室で、PCに向かい、何かいいこと書かなきゃって、けっこう力が入っている僕です(笑)

リラックスが一番なんて言っているのにね。


たいてい、メセンジャーが伝えていることって、自分自身が一番学ぶべきポイントだったりします。

だって、もし自分の中で完全に消化して、自分の一部になっている資質であれば、それをことさら重要視しないと思うんです。

当たり前だから。



たとえば、僕自身を振り返ってみても、「いまここ」を生きるのがとても苦手です。

すぐに思考に取り込まれて、あーじゃーこーじゃ考えてしまいます。

思考の吸引力は凄くて、ほんのちょっと油断しただけでも、いつのまにか支配されてしまいます。

終わってしまったことや、まだ起こっていないことや、幻想、妄想は得意技です(^o^)


食事をする時も、目の前の食べ物に心を込めるどころか、食べていることさえ忘れて、気がついたら食べ終わっていたり。

そんな時は、「あれっ?いまどこにいたんだ?」って我にかえったりします。


「いまここ塾」ならぬ、「いまどこ塾」塾長です。


だからこそ、「いまここ」を生きることの大切さを、こんなに繰り返し伝えているのだと思います。



昔はもっとひどかったですよ。

だって、自分が思考の世界にいることにさえ、気がつかなかったんですから。

いまは少しマシ・・・かな?



そんな僕がまぎれもなく「いまここ」にいる時間は、こうしてブログを書いている時と、講演中と、瞑想の時間です。


このような意識を、いかに日常生活の中で維持していくか。

それが禅の修業の全てです。

それは禅寺の中だけではなく、どんな人の生活の中でも可能なことです。

向禅師と話をすると、まさにそのことで意気投合します。



だから今日も伝えます。


「いまここ」を生きましょう。


そうすれば、どんな問題も悩みも、一瞬にして消えてしまいます。

まさに「一瞬にして幸せになる方法です。

なーんてね、さりげなく宣伝。



言うまでもなく、過去も未来も、頭の中だけ(思考の中だけ)にしかありません。

あらゆる問題も、悩みも、頭の中で作り出しています。


頭(思考)を使わないというのは、呆けているのとは違います。

むしろ、研ぎ澄まされた意識が、あるがままの事実を正確に捉えている状態です。


1秒後のことも、1秒前のことも持ち込まない。

それが「いまここ」です。

そうすれば、たちどころに問題は消えます。

何度でも何度でも、「いま」に戻ってきましょう。



えっ?そんなことはもう知っているって?


それを知っていることと、それを生きていることは全く違います

僕たちは知的に理解すると、すでにそれが身についているような気がしてしまいます。



これを読んでいるいま、どんなあなたですか。


文章を読むという行為と一つになっていますか?

それとも、何か他のことを漠然と考えながら読んでいますか?

あれこれと判断しながら読んでいるのでしょうか。


もし何かしらの判断を交えながら読んでいたとしたら、「いまここで読む」ということに成りきっていません。



まさにいま何をしていようと、それをやっていることに成りきる。

行為と一つになる。

そんな姿勢が入口です。



今日も一日、このことを心して生きてみます。




これから東京に向かいます。


今日もいい日でありますように。






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Posted by Toshiro Abe at 09:06Comments(46)

2010年06月05日

みにくいアヒルの子

昨日はたくさんのコメントありがとうございました。

僕と同じような感覚で、疎外感を持ちながら生きてきた人と繋がれました。

これもネットの恩恵ですね。


このブログだけを見ると、同じような人がずいぶん多いように見えるけれど、世の中全体からみれば、ごく少数派です。

その少数派を集めてしまう力が、ネットにはあるんですね。



僕たちは少数派ゆえに、肩身の狭い思いをして生きてきました。

でもだからといって、自分を卑下することはありません。



昨日の書き込みにこのようなものがありました。


ゆあみさんです。


生きるって大変ですよね。私の場合は浮いた異質感というよりは、陥没したような劣等感にさいなまれてきました。

今でもそうです。昨日もそうでした。人に軽く扱われたり、大事にされなかったり。。。これは自我のせいなのかな?

そういう風にする人には、怒ってもいいんですか?それとも右の頬をたたかれたら、左の頬を差し出さないといけないんでしょうか?

それともこれはただ起こっているだけのことなんでしょうか。

自我のせいだとわかっていながら、そこから飛び出せません。




対人関係で理不尽な扱いを受け、それに対する自分の反応を自分で責めていたら、あまりにも自分が可哀そうです。


ここでは2つのことを指摘させて下さい。



ひとつ


精神世界からは多くの学びがありますが、その言葉に縛られてはいけません。

言葉は意味を伝えるための仕掛けであり、それ以上のものではないのです。

たとえそれが聖者の発言であれ、僕のような者の言葉であれ、そこから意味を汲み取ったら、言葉自体を持ち運んではいけません。


それはちょうど河を船で渡った後に、船のおかげで向こう岸に着いたからと言って、陸に上がった後も船を持ち運ぶようなものです。


言葉は真理の岸に誘う船です。

理解した後まで、頭の中に持ち運ぶのは間違っています。


もし僕から何かのメッセージを受け取ったら、僕のこともさっさと忘れることです。

大切なのは受け取った意味なのですから。



そしてもうひとつ


他者の自分に対する態度は、そのまま自分が自分に対して取っている態度だと思ってください。

もし人が、自分を馬鹿にするような態度で接してきたとしたら、自分も自分に同じことをしている可能性があります。


もしあなたが自分を敬っていたら、人はあなたを軽く扱うことができません。

自らが発している波動が、周囲の自分に対する態度を決めるのです。



僕たちのような人間は、つい自分を卑下してしまいがちです。

自分が社会に十分に適応できないことを、子供のころから身を持って感じてきたからです。


でもそれはむしろ、精神霊的に何かに目覚めていたからであり、決して劣っていたわけではありません。


その役目は、まさにこれから発揮されるのです。




まずは自分自身を敬うことを学んでいきましょう。


ちょうど、みにくいアヒルの子のようだと思ってください。

いつか純白の翼をはばたかせて、大空高く舞い上がるのですから。


あなたも僕も、そんな時代を選んで生まれてきました。




今日もここに来てくれてありがとうございました。





この情報が多くの人に届きますように、ご協力お願いします。

         


Posted by Toshiro Abe at 09:16Comments(70)

2010年06月04日

同胞のみなさんへ

僕は子供のころから、周囲の子供たちと馴染むのが苦手でした。

みんなが楽しそうに遊んでいても、どうしてそんなことが面白いのか、いつもひとりだけ違和感を持っていました。

自分だけが異質な感じがして、誰にも言えない劣等感を抱えながら生きていました。

それは激しい劣等感でした。

自分は生まれてくるべきではなかったと思ったことさえあります。


これが目覚め前の僕の姿です。




さて、ここまで書いてみて、ずいぶん前に書いた記事を思い出しました。

それは、このブログを訪れてくれる同胞たちへのメッセージ、そう、他ならぬあなたへのメッセージです。



きっと僕と同じように感じて生きてきた仲間が、ここにはたくさん集まってくれているような気がして書きました。



今日は、その記事を再掲します。



・・・・・・・・・・・



今日はいつもと違うニュアンスでお話しします。

荒唐無稽な話に聞こえるかもしれませんが、一種の寓話だと思ってくれて構いません。


日本だけで1億3000万の人がいますが、このブログにはその中のほんの一握りの人が入れ替わり訪れてくれています。

ネット環境が奇跡的な速さで整備されたので(それはこれから話すことから見れば、予定通りの進行ですが)、多くの人が自分の欲する情報に出会うことが可能になっています。


その中から様々な縁やタイミングによって、ここに来てくれたのがあなたです。

実はあなたは最初からここにたどり着くことが決まっていたのですが、そんなことよりももっと大きな使命があなたにはあります。



そんなあなたの特徴を述べてみます。

あなたは子供のころから、周りの子供たちとは少し違っていました。

それは自分のほうがおかしいからだと思い、周りと合わせることに苦心したはずです。

人が面白がるものが自分には面白くなく、それでも面白がる振りをすることで、なんとか社会の仲間入りをして生き延びてきました。


にもかかわらず、いつまでたっても消えないのは、金銭や物よりも、この世にはもっと崇高な求むべき何かがあるはずだという考えです。

社会の秩序はまことに薄っぺらな偽善によって保たれているように見えましたし、権威を振りかざす者たちには常に反感を持ってきました。

そんな幻想に服従することなど考えられないことでした。



なぜそんなあなただったのでしょうか。

それはあなたの中に、真実の宇宙秩序や、根源意識の記憶が消えることなく残っていたからです。

この地上に役目を持って遣わされて来たのだから、そんな記憶が残っていてあたりまえです。


そんなあなたは、若いころから様々な宗教団体を覗き見したり、精神世界を謳った会に顔を出したりしましたが、どれも自分を満足させてくれるものではありませんでした。

どこに行っても、何を見ても、自分を心から納得させてくれるものがありません。

この世とは、そして人生とはこんなものだというあきらめも出かかりましたが、それでも自分の中にある高い理想は捨てきることができませんでした。

すっかり眠りこけた魂たちの中にあって、その記憶を携えて生きるのは大変な労力を要したはずです。

でもあなたはここまでやってきたのです。



さて、そんなあなたに朗報があります。

ずっと無意識の層に閉じ込められていた、自分の本当の姿と役割を思い出す時が近づいています。

まだ完全に覚醒した者はわずかですが、この先想像を超えたスピードで覚醒の連鎖が始まっていきます。


目覚めた後、あなたは迷わず自分の使命を生き出すことでしょう。

僕たちが同じ一つの存在であることを多くの人に伝えるために、そして多くの人を目覚めさせるために、一見理にかなわないことを始めるかもしれません。

でもそれを行う能力が、すでに自分に備わっているのを知り、ますます自分の生き方への確信を持つことでしょう。



一足先に任務を思い出した一人として、あなたがここに辿り着いたことを歓迎します。



2009年1月3日

あなたの仲間(3次元ネーム阿部敏郎)



・・・・・・・・・・・・・・



あれから一年半。

また多くの仲間と出会う事が出来ました。


そしてあの時予感したように、いま目覚めの連鎖が始まっています。

このブログが、わずかでもそんな流れに貢献できることを願い、これからも毎日の更新を目指していきます。


みんなが、みんなを認め合って、みんなで力を合わせて、みんなで楽しく幸せに暮らす世の中が好きです。




今日もここに来てくれてありがとうございました。




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・・・・・・・・・・・・



次週12日の名古屋コラボ講演会の前に、名古屋駅前のミッドランドスクエアで講演会があります。

特別ゲスト 雲 黒斎

詳しくはコチラから。  


Posted by Toshiro Abe at 09:00Comments(153)

2010年06月03日

時間という幻想と、私という幻想

あらゆる出来事は、来ては去っていきます。

10年前に心を悩ましたあの問題は、どこに行ってしまったのでしょう。

そしていま、また新しい問題がそれに取って変わっています。

大きなことから小さなことまで、日々様々な問題が生じています。


ところが、そんな人生の表面的な出来事の奥に、何一つ変わらない、静かな存在が鎮座しています。


それが本当の自分です。

それは生まれることもなく、死ぬこともなく、宇宙が誕生した時から、ずっと「いまここ」にありつづける純粋意識です。


宇宙が誕生した時という言い方は誤解があるかもしれません。

実際には誕生などありません。

始まりもなく終わりもないのです。


始まりとか終わりとかは、時間という概念の中で起こります。

130億年前にビッグバンが・・・という説は、時間という概念の中で、人間によって作り出されたものです。

実際には永遠のいまがあるだけです。



「時間」という幻想から、「私」という幻想が生まれます。

過去から未来にかけて時間が流れていて、その流れの中を、固定化した「私」という存在が旅をしているという考え方です。

極めて多くの人が、このような考え方をベースにして、「私」や「私の人生」を捉えています。


でも実際には、「私」というのは固定化された実体ではなく、この瞬間の刹那的な経験に過ぎません。

いまこれを読んでいる「あなた」という経験、仕事で上司から怒られる経験、家に帰って子供の笑顔を喜ぶ経験・・・

それらはすべて「いまここ」で生じては滅している、その瞬間だけのものですが、そのような経験を記憶として持ち運び、一本の線で結び、それを経験した「私」という継続した実体があると信じてしまったのです。


ちょっと難解な表現になってしまいましたね。



何が言いたいのかと言えば、簡単な話、

「あなたはいない」のです。




( ̄д ̄ ) は?




「あなたはいない」のです。




( ̄д ̄ ) 何ですか、それ。





また昨日に戻っちゃいました(笑)



所詮言葉で表現できないことを、僕ごときがトライしても限界がありますが、その真実を見抜いた時、あらゆる苦悩から解放されます。

そして、まさにいまここで、すべてを手に入れた王様のように、豊かで、安心した境地が訪れるのです。

それが「本当のあなた」であり、それは、「それまで自分だと思っていたあなた」が消え去った時に現れます。


その時、すべてを理解します。

「な~んだ、そうだったのか」


ここに書かれた文章は、そんな気づきのきっかけを願ってのもので、議論の対象にするためのものではありません。



大切なのは、学ぶことではなく、知ることです。

自分の存在を知ることです。

それは愛を知ることと同じです。



Love is you, 

you and me,

Love is knowing  we can be.





最後まで読んでくれてありがとうございました。



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よろしくお願いします。


   



・・・・・・・・・・・・




黒斎クンとのコラボ講演会「阿雲の呼吸」

東京公演(6月6日)が近づいてきました。


昼の部は売り切れです。

夜の部の受け付のみ行っています。

詳しくはコチラから。


PS
昼の部に申し込んだ方で、夜の部に移行してくださる方がいたら大変助かります。




来週12日の名古屋コラボ講演会の前に、名古屋駅前のミッドランドスクエアで講演会があります。

黒斎クンも遊びに来てくれます。

詳しくはコチラから。  


Posted by Toshiro Abe at 09:06Comments(74)

2010年06月02日

あなたはいない

今朝も早く起きて記事を書いていました。

内容は


「あなたはいない」



( ̄д ̄ ) は?



「あなたはいない」



( ̄д ̄ ) 何ですか、それ。



だから「あなたはいない」っていう話を書いたんですよ。



( ̄д ̄ ) それってどういうこと?



「それってどういうこと?」って聞いているのは、あなたの意志じゃなくて、大いなる意志がそう聞くようにあなたに仕向けただけなんです。

あらゆる衝動や動機は、彼方なる次元から送られてきます。

なぜそのタイミングで、そのように思ったか、なぜそのように決めたかは、全部彼方なる次元の計らいです。

でもあなたは、それは自分の自由意志だと思っています。


あなたに自由意志なんかありません。

そもそも、あなたはいないんですから。



( ̄д ̄ ) は?



あなたはいないんです。



( ̄д ̄ ) 何ですか、それ。





だから「あなたはいない」って言ってるんですよ!!!




また最初からやり直しですか。


このことを知的に理解することはできません。

時空を超えた深い洞察の中で、体感的に知ることができます。

それを目覚めと言います。


そしてその目覚めさえも、彼方なる次元の計らいです。


あなたには、どうすることもできません。

だって、そもそもあなたはいないんですから。



( ̄д ̄ ) は?



あなたはいないんです。



( ̄д ̄ ) 何ですか、それ。



もうやめときます。

勝手に考えてみてください。




人生は単なるハプニングの連続です。

起きる事が起きています。

僕たちは、そのゲームに参加していますが、実際には何一つやっていません。

ただの登場人物です。



いままでの人生で何が起きてきたとしても、何一つあなたのせいではありません。

あなたがやったのではなく、ことはそのようにして起きたのですから。


したがって、どんな罪悪感もその人の思い込みです。

罪悪感は何の役にも立たないので、すぐに手放して下さい。




で結局、早起きして書いた今日の記事はボツにしました。


読み直してみても、



( ̄д ̄ ) は?



って思われるのがおちだからです。



またいつか紹介します。


「あなたはいない」


これがどういうことなのか、ゆっくり考えてみてくださいね。





今日もここに来てくれてありがとうございました。




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・・・・・・・・・・・・




黒斎クンとのコラボ講演会「阿雲の呼吸」

東京公演(6月6日)が近づいてきました。


昼の部は残り僅かです。

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Posted by Toshiro Abe at 09:03Comments(87)

2010年06月01日

あんまり面白くない話

最初にお知らせです。

今夜の沖縄いまここ塾は、那覇市てぃるるです。

来週は中城の吉の浦会館になります。


・・・・・・・・・・・・・・・・


さて、今日も何か書いてみます。


今日の話は、あんまり面白くないと思います。

夢も希望もない話です。




僕たちの中には、かなり頑固な観念が巣くっています。

たとえばその中の一つが、「何者かに成らなければいけない」というものです。

毎日同じことの繰り返しで、ひとりぼっちで、何をするでもなく、ただ時が過ぎていくような人生には意味が無いと考えます。

その一方で、自分の天職を見つけ、好きなことで身を立て、ソウルメイトと出会い、愛を成就し、多くの人から慕われるような人生に憧れます。


意外かもしれませんが、どちらの人生もあまり変わりがありません。


もし前者の人生に価値が無いとしたら、後者の人生にも価値はありません。

そもそも、人生に価値などありません。

それはただ、そのようにあるのです。


食べて、寝て、起きて、働いて、遊んで、食べて、寝て、起きて・・・

そして死んでいきます。


その間に、どんな所で暮らし、何をしたかなど、悠久の時の流れから見れば、一瞬の泡のようなもので、何の意味もありません。

100万人から愛されたとしても、数十年も経てば人の記憶からも消えていきます。


束の間の喜びと、多くの問題と、絶え間ない希望と、そして絶望と。

そうやって大騒ぎして一生を暮し、そのあとは消え去るのみです。


くどいようですが、そこに意味も価値もありません。

もし意味や価値があると言う人は、その人自身がそれを創り出しただけの話です。


このような話は耳触りが悪く、一般受けしません(笑)

でもこれが事実であることを、みんな心のどこかで知っています。


意味は内在しているのではなく、人が付け加えたものです。

そのために「神」を持ち出したり、「宇宙」を持ち出したりもしますが、それらはすべてイマジネーションの産物に過ぎません。



それでは何の為に生きているのでしょうか。

あえて言うとしたら、人生に意味が無いことを見抜いて、人生を超えていくことに意味があるのかもしれません。

それを徹底して見抜けるかどうかです。


少しは人生への期待を残しながら、同時に真理の道を歩んでも、どっちつかずで終わってしまうことでしょう。

そのような人の、いかに多いことか。

残念ながら、あっちもこっちもというわけには、いかないのです。



どうですか、そろそろ全部捨てさって、出家しませんか。


おっ、危ない世界に入ってきましたね。


本当の喜捨(財産を捨て去ること)とか、出家とかいうものは、物理的な意味ではなく、心理的なものです。


たとえば、家族を捨て、財産を放棄し、社会を離れ、一人ヒマラヤの洞窟に籠もったとしても、その洞窟の中で、

「私は財産を放棄した。私は社会や家族を捨て去った」

と考えていたら、まだその人は財産や社会にしがみついています。

社会にいながらにして、まったくそこに影響されていない境地、それこそが本当の出家です。


しかしこのような考え方も、簡単に利用されがちです。

実際にはあらゆる現象に執着しながら、自分はそれを捨て去ったと思いこむことは可能だからです。


自己欺瞞を剥ぐことが、精神の唯一の道のように思います。



いつの世も、安易な救済が人気を得ます。

特定の拝み方や、特定の言葉(たとえば「ありがとう」とか)を繰り返せば、幸せになれるなんて言われると、お手軽だし、つい飛びついてしまいます。

それが悪いとは言いませんが、夢の上塗りはもう十分です。


的を射た道を行くには、まずは真実を見極めなければなりません。

それは自分の人生への、希望や期待を落とすことになるので、狭い道かもしれません。



でも安心して下さい。

夢を見続けるのもよし、夢を捨て去るのもよしだからです。

究極的には、全員最初から救済されていますから、なんだっていいんです。


でも僕は、これを最後の人生にしようと思っています。

ここには何もないことを知ったから。



死ぬときに笑顔で


それじゃあね、バイバイ(^o^)/

って逝かせて下さい。


イクの好きです。


もしかしたら、

イク~!!って言って、逝くかもしれません。



何を書いているのか分からなくなってきたので、今日はこの辺で。



最後まで読んでくれてありがとうございました。




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Posted by Toshiro Abe at 09:10Comments(97)