2017年06月16日

心配は99%実現しない

今日のタイトルは、僕が以前に出した本のサブタイトル。

本の内容は講演録で、その中に一度だけ「心配は99%実現しない」という言葉が出てくるのですが、それを出版社さんがサブタイトルに使いました。



99%実現しないなんて、ちょっと極端な言い方に感じるかもしれませんが、よくよく見ていくと事実なんですよ。

普段我々が他愛のないことも含めて、どれくらい心配を繰り返していることか。


自分をよく観察してみると、我々はほとんど一日中、頭の中で何かを批判したり心配したりしているようです。

もちろん、よりよく生きたいからこそ、そんなことばかりやっているのですが。



しかしそうやって考えていること自体が、人生そのものです。

より良い人生がどこかにあるわけではなく、いまこうして心配していることが人生なのです。



心配は99%実現しない


老人が人生を振り返って後悔することの中に、


「人の目を気にし過ぎた」


とか


「もっとチャレンジして冒険すればよかった」


とかがあるそうですが、自分なりに冒険の人生を送ってきた身から言うと、何をやっても同じだったと言えます。


人生とは、何をしたかではなく、どんな自分だったかが大きいと感じています。



もうひとつ老人の後悔で多いのが


「心配ばかりしていないで、もっと幸せな気持ちで生きればよかった」


だそうで、こちらは納得できます。


大いに心当たりありです(笑)




心の中で心配や批判を繰り返すこの傾向は、これからも続くことでしょう。

それがマインドの習性だからです。


マインドは人生をより良くするための装置だと信じていますが、あまり信じ過ぎないほうがいいです。


いままでだってマインドの言う通り生きてきたのに、より良い人生はいまだに将来にあるでしょ。

そして将来なんて存在していなくて、いまここしかないときている。




「心配は99%実現しない」


この言葉をマインドは否定するけれど、無理矢理信じてみよう。


人生が一変するかもね(^^)







協力してくれる方は上の白蛇さんをポチっとして、行った先にある「かんながら」をクリックして戻ります。

次に下のボタンをクリックして、同じくそこにある「かんながら」をクリックして戻ります。

それで完了です(^^)


心配は99%実現しない
   
 



・・・・・・・・・・



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Posted by Toshiro Abe at 11:00│Comments(35)
この記事へのコメント
あべさん

メッセージ ありがとうございます。

スピタメの 阿雲の呼吸のビデオも
ありがとうございました。

また 観るとおもいます。

きょうは 朝から 暑いです。
あべさん ともこさん
おげんきですように。**
Posted by めい at 2017年06月16日 11:18
心配するより

安心する


不安になるより

平安になる


不幸な気持ちで生きるより

幸せな気持ちで生きる


外側の変化する現象に巻き込まれず

内側の自分の中心に安住する


シンプルでパワフルな生き方です^^
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2017年06月16日 11:20
阿部さんのこういう話大好きです!!
現実界での楽しい生き方など
ぜひブログを通して伝えてほしいです!!
Posted by けい at 2017年06月16日 11:22
ほんまに99%も不実現なのかな?
もうちょっと実現しとるようなかんじするわ

批判をずっとしてるのもしんどいけど、わたしの場合はほとんど自分の批判、今日のまつ毛のここが嫌だとか永遠と批判して疲れてるわ。。
でも、もっと嫌なのが心配だわ。
心配のほうがもっと疲れる、恐怖がセットになってるから

わたしの場合だけど
Posted by あべさーん at 2017年06月16日 11:22
心配で押しつぶされそうな近頃です。 

瞑想します。 

阿部さん ありがとうございます。 
Posted by イラ at 2017年06月16日 11:34
クリック協力隊沖縄南部広域分隊長のあらかちでございます!

本日も元気よく!クリック完了でございます!

毎日の座禅でつくづく思います。
湧いてくる思考は制御できません!(笑)

あきらめた時静寂が訪れます(^^)

心地よいと感じていましたが最近はその
感じも違うかなと・・・。

ほんと表現しちゃうとダメなんでしょうね(^^)

これからも励みま~すっ(^^)
Posted by あらかちです。 at 2017年06月16日 11:47
いつもありがとうございます。
沖縄は梅雨まっさかりのようですね。
善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2017年06月16日 12:04
ええ、無理やり信じて見ることにします 笑
Posted by クゥ at 2017年06月16日 12:13
じゃあ、私は残りの1%で苦しんでます。
どうしても振り払うことができないことがあります。恐れています。
子犬の時から苦楽を共にしてきたジャーマンシェパードは、13歳です。
獣医は「大型犬は10歳が大体の寿命だからボーナスの時間だよ」と言います。
耳は遠くなって白内障にもなっても、今の所は側にいてくれます。
でも必ず近い未来に逝ってしまうことは明白です。いまここなんて嘘、嘘。
やがて迎える犬の死を思うと時間の流れは明白です。いまここは無理、無理。
 
毎日かかさず読んでいます。頷くことが多く、感謝しています。
ただ老犬に関しては、いまここなんて何処かにいってしまいます。
大体100%、生きとし生けるもの、死ぬのではありませんか?
Posted by 東雲 at 2017年06月16日 12:34
阿部さん、こんにちは。ハイ信じます。99%心配は実現しないと。しかし東京は暑いです。今日も良き一日を。
Posted by 永井新吾 at 2017年06月16日 13:06
昨日のブログも楽しかったけど、今日のブログもすっっごくイイ‼(笑)
阿部さんの言葉って安心するんだもん(*^^*)

今度は智子さんと鶴ちゃんと3人で瞑想コラボ講演会お願いします(笑)
Posted by おはる at 2017年06月16日 14:09
ポチポチ7日目。

自分にはどストライクな記事でした(笑)
Posted by キングバンブーさん at 2017年06月16日 15:07
今日もありがとうございます。99%実現しないことを祈ります。良い一日を。
Posted by 林ゆみ子 at 2017年06月16日 15:18
嫌で嫌で仕方ない今
目が霞み肩コリコリでイラだちと緊張と不安に ハマってた今

ここに来たら 力が抜けました。リラックスありがとうございます^ ^☆
Posted by Fのために at 2017年06月16日 16:27
(体験的説明)

第一方便(ハート)と第二方便(手放す)のちがいについて

実際における、
体験的な説明をしてみます

まず
第一方便(努力を手放す)

これを実践しているとき

努力しないのでラクではあります

しかし、どことなく圧迫感というか閉塞感がともないます

世界の知覚はまとまっているようにかんじます

これがいしき(無努力)か
とおもうのです

しかしどことなく圧迫感というか閉塞感があります

※じつはこの状態は‘いしき’であり

いしき自体ではないのです

その‘いしき’とは‘わたし’なのです

だから知覚はそこにまとまっていますが

“ 苦しみ:わたし”はのこっているのです

※なぜならさいしょの
‘私は実現していない’
にもとづいていて


‘わたし’は癒されていないからです

すなわち
‘私は実現していない’

ではなく

いつもある精神統一

という気づきでなければ

その‘苦しみの状態’は終わらないのです

いつも精神統一があること(ハート)
からの分離を信じているかぎり、孤独であると感じ、苦しむのです

苦しむゆえに

なにかしようと(努力:自我をやめようと)するのですが

その根本において
ハートからの分離を信じてるのだから
最終的な癒しは不可能になっているのです

いつも精神統一はあるのです
それが奇跡です


次に第一方便(ハート)ですが

というかもう第二方便の説明のさいごの箇所
で説明してしまいましたので省くことにします



おわり
Posted by いつもある精神統一 at 2017年06月16日 16:50
色んな経験を人生にしているのでは?おっさん。
Posted by あ at 2017年06月16日 18:09
本当は色んな経験があるだけが起こってるだけなのでは?人生じゃなく、経験が起こってるだけでは?
Posted by あ at 2017年06月16日 20:28
北からミサイルが飛んで来て、日本が攻撃される

ということはストーリーであって、本当は幻

起きているようで起きていない

ただ在るだけでいい…今ここにあるものと共に…

自力で心配を消し去ろうということもせずに

ただ在るだけでいい…今ここにあるものと共に…

愛☆愛☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年06月16日 20:32
>心配は99%実現しない

自分にとって問題だったのは、
どんな物事でも、必ず2面以上の見方ができるはずなのに、
「何故よりによって『嫌な面』『悪い面』ばかりを『意識してしまってるのか?』」でした。
阿部さん、黒斎さん、コメントをされている皆様のお陰で、

「そもそも、
『「何故よりによって『嫌な面』『悪い面』ばかりを『意識してしまってるのか?』」』
という形で『嫌な面』、『悪い面』に『意識を向け続けている』から」

という『仕組み』を理解し、湧いてくるそれらをただただ流す事で、
どんな思考が湧いてきても大丈夫、と言うか、
どんな思考が湧いてきたところで
>心配は99%実現しない
という事を実感できるようになりました。ありがとうございます。


>いままでだってマインドの言う通り生きてきたのに、より良い人生はいまだに将来にあるでしょ。

これについては、自分としては、子供の頃から右肩上がりで、
『人生』が良くなり続けていると実感してますね。
子供の頃から、『自分の仕組み』を知りたくて、親は全く教えてくれなくて、
それを共有できる人も居らず、どうすれば良いかと途方に暮れてましたが、
インターネットを通して、まずはメンタルヘルスや発達障害から、精神の仕組みについての
情報を得たり話し合う機会を得て、その後精神世界という概念を知って、
更に理解が深まり、その後
「元々全部無意味だけど、だったら自分で好きに意味を付ければいい」
という意識になり、そして、意味を付けるのも負担なら、ただただ流し続ければいいと、
そんな感じで、その都度知りたい事を知っては実践し、その度効果を実感する事が
できてきたから、「『人生』が良くなり続けている」と実感できてるんですね。

その実感を精査してみると、実際には、色々知り、実践する事で、
その度、疑問や戸惑い等を解消していけてるんですね。

その時々の『今』、
「色々知り、実践する事で、疑問や戸惑い等を解消していける」と知っているなら、

>より良い人生はいまだに将来にある

と確信できるし、それでいいと思います。

『今』、正に、そうし続けていると、実感しているので。
Posted by ただの「自分」 at 2017年06月16日 20:44
今日もありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡
Posted by じゅーじゅ。 at 2017年06月16日 21:49
甲賀忍者さん

北のミサイル攻撃は幻だから、自力で心配を消さなくていい?
本当にそう思ってるんですか?
Posted by パンマン at 2017年06月16日 23:30
東雲さん

ペットは死にます。
あきらめましょう。

私も老犬を亡くしましたし、今は老猫がいます。

死んでからの悲しみを今味わうことはないんじゃないですか?
死んでから味わいましょうよ。
それよりも今はその時間を目の前のペットを見て「かわいいと思う」時間にした方が良くないですか?
Posted by パンマン at 2017年06月16日 23:37
どうなんでしょう?

いわゆる引き寄せの法則は、

自分と同じ波動の出来事を引き寄せることだと思うのですが、

心配ばかりしていると、その心配事を引き寄せてしまうのではないでしょうか

という心配をしております。
Posted by rakuni... at 2017年06月17日 00:37
一瞬で幸せになる方法のサブタイトルだ、けっこう前の本だな~、個人的に悲しいことが続いた時だったなぁ~。
と、なにげに思いました。。
記憶って、本棚の本みたいに、よく読み返すものもあれば、もうさわりもしないものもあるなぁ~と、ちょっとぼんやりと思いました。
(。・_・。)ノ☆
Posted by 上地 at 2017年06月17日 01:45
仮説

抽象(平安)へのおそれ



みずからが抽象なのだから(制限・圧迫・囲い込み感がない)

なにかほんとのじぶんをみつけようとすれば

拘束・苦しみの状態のじぶんをつくってしまう

かといって つくらなければ

恐怖をかんじる

対象としてのたしかなじぶんがないと

じぶんについての理解(:離解)がなくなってしまい

じぶんが何か(・どこか)わからなくなってしまうようになる

じぶんとは何か

わからなければこわい

しかし
何か

が拘束である

じぶん(抽象)は自由

“?何か”が非実在

非実在(:答え)をじぶんだと思い混んでいると(不明なものの方を自分だと思い込んでいる状態であり、
非実在:水のなかのつかめないぬるぬるした魚を、まだつかもうとしている。そして魚をじぶんだと思っているので)

抽象へは恐怖がある

そして

恐怖は
何か、の方が感じている感情なのであり

何かとともにあるからその恐怖も非実在

答え(非実在)とともにあるから、恐怖も非実在

抽象(制限しない・自由・幸福)が実在[答え]である


もし偽の答えをみつけたつもりになったら

私という概念
(偽の答え:何か、のほう)

が答えとなったということであり

真の答えは封印されてしまう

私が実在だとなると

私が認識できる対象もあらわれるため

意識があらわれる

そして

投影によって知覚がつくられる

身体と外部世界

そして

‘身体’がじぶんだと思い込むのである




※「私とは何か」

これはほんらいわけられるものではない

なぜならこの「質問自体」が自我そのものだからである

もう一度かこう
「私とは何か」

私とは、何か
という意味ではない

私=?何か

でしかないからだ

「私とは何か」が自我である

「」のなかに自我はひとつしかない

最初にのべた

じぶんとは何か

の「何か」


「私とは何か」そのものなのである

そして

自我はひとつしかないことがわからないと

「私とは、何か」
「何か」という対象(つまり相対的意識:自我の領域の意識)があらわれだすのである

さいしょに
「もし?」

抽象(じぶん)とは「?何」

と思ったことが

真の原因である

そのアイデアは
アイデアであるゆえ
実在ではないのである


ちなみに今日かいたコメントも
マインドの枠組みのなかにあります
したがって仮説(マインド)による話です

ほんらいは

じぶんとは何か

のじぶんも真実ではなく

「じぶんとは何か」として自我のコメントととしてくくられているものです

あしからず
Posted by いつもある精神統一 at 2017年06月17日 08:23
今日のコメントは

今朝の起床時に経験していた

ことを言葉であらわしたものである

まどろみのなかで

じぶんとは、何か?

と捜しはじめた

しかし

何かというたしなものはみつからなかった

みつからなかったとき

じぶんとは

のほう(抽象にあるはずのじぶん)も抽象にきえてしまうような気がした

いや 正確には

はじめから

抽象

だったのだろうけれど

すでにまどろみのなかで
問いがうまれていた

のだろう
Posted by いつもある精神統一 at 2017年06月17日 09:02
今朝、瞑想のような座禅のような、じぶんを整えたくて「なんとなくボケっと」してしたら、
阿部さんの『大丈夫、大丈夫♪』
そんな難しい顔してないで、笑って、甘えて楽しんでいなさから〜い
がっはっは〜って、優しい想いが飛んできたような氣がして
思わず笑ってしまいました。
こちらのブログ、一日遅れて読ませていただきましたざ、いつも大切なメッセージをありがとうございますm(_ _)m
Posted by ひだまり at 2017年06月17日 10:40
パンマンさん

北のミサイルに対して、個人が出来ることはないでしょうね

パンマンさんなら、アンパンマンのように…

北のミサイルが発射される兆候をつかんだら、
マントをつけて日本から朝鮮半島に飛び、ミサイルを破壊する
ことを考えておられるかも知れませんが

僕にはそういうことは出来ませんので(笑)
これでお許しください



何年か前に、阿部さんはボブ・フィックスさんとコラボをして
おられたのですが

確か…

自我の自分が何もしなければ、宇宙最高の叡知が働く

ということをボブさんが言っていたと思います

ですから

あたふたすることなく、ただ在る…でまいりたいと思っています

御心のままに

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年06月17日 12:18
阿部さん、いつもありがとうございます!
Posted by ゆりん at 2017年06月17日 13:42
 愛するご主人様へ
 大丈夫、私は死にません。肉体は無くなっても、私はあなたのそばにいつもいますよ。
 だから、心配しないでください。
 苦楽を供にしたと思ってくれてありがとう。
今も供に、これからもずっと供に。
Posted by あなたのジャーマンシェパード at 2017年06月17日 14:05
甲賀忍者さん

甲賀忍者さんが阿部さんやボブさんを拠り所にしていることは分かりました。
思想信条なのでそこは否定しません。

ただし、危機対応の第1原則は自助です。
自助すなわち自分の身は自分で守る。
個人ができることはない、というのは間違いです。

スピリチュアルな考えはそれが真実だとしても、現実の世界で生きる上ではその使い方というものがあります。
いつでもどこでも適用できるような万能なものではないことにご注意下さい。
Posted by パンマン at 2017年06月17日 14:12
ですよね。納得。

素晴らしいブログですね。
Posted by 大山桃子 at 2017年06月17日 17:26
東雲さん、お察し致します。

私あなたのおっしゃりたいことは、いつも、感じております。

愛犬ではなくて、恐縮ですが、私には、私に懐いて、信用してくれている鷹や、野鳥がいます。

そこに、行くと信用してくれているので、すぐそばにとまってくれて、近くで動き回って、写真を撮ったり、声を掛けても逃げません。

名前は、他の仲間に比べて、顔が白いので、「しろ」と呼んでいます。

他の仲間たちは、やや離れたところにとまったり、近づいたり、見たりすると、ほとんど、怖がって、逃げてしまうのですが、

彼、、彼女(メス)だけは、その下で、私が昼寝をしていても、ずーっと居てくれることが多く、

わざわざ、そこへ何十キロもバイクで走って、寛ぎに行ったり、長雨の後や、冬の間、彼女がやせ細ったりして、健康を害していないかどうか、定期的に様子を見に行ったりしています。

もうかれこれ、十年近い付き合いでしょうか?

出会ったときが、もう何年も生きて来たであろう成鳥でしたので、彼女も、いつ、逝ったりしないか、

スマホの待ち受け画像にしている彼女の様子を見に行ったときの、写真を見る度、思い浮かんでしまいます。

残念な事に2か月前から、4、5回ほど会いに行っても、姿を見せてくれません。

7年くらい前から連れ添ったであろうパンダ(目の回りの黒い部分が大きく丸いので)オスの鷹はある程度、近く寄って来て、姿を見せるのですが、

1日近くそこに居て、粘っても、現れてくれません。

前にも、こういうことが、同じ時期に半年ほどありましたので、産卵と、抱卵の時期なので、巣の近くから離れられないとかだったら、良いのですが・・

もし、彼女が秋になっても、姿を現さなかったら、死のうかなあ?思ったりします。

今回に限らず、それはいつも思っていることです。

しかし、その時、思うのは、私の個人としての意識たとか、肉体の命なんか、どうでもいいから、もし、叶うんだったら、

生きたいであろう彼女の命を長らえさせる代わりに、どうか私の人間としての命を(生を)取って下さいと、心の中で、いつも必死に願っていることです。

人を子供や家族のように大切に思うのも、ペットや動物を、自分の命と同等か、それ以上に思い、愛するのも、変わりのない尊い行いだと思います。

だって、今、人間やってるんですから、人間の体験や、経験をしてるんですから。

どんなに、真実や、真理を人間の特徴である理解をしたとしても、人間の心身の感覚や、感情、価値観からは、その意識の仕組みとして、仕組まれていますので、逃れられませんよね。

しかし、残念なことに、私には、他の生き物たちにも、このような思いや、愛情が起こるんです。

部屋に出入りしているヤモリたちや、普段出会いますハトや、雀や、カラスなどの、我々が思う以上の大変な食糧調達や、過酷な生活環境、外敵、病気、弱肉強食、

様々な昆虫や、植物たちに対しても、然りです。


>>「大体100%、生きとし生けるもの、死ぬのではありませんか?」

このような嘆きを、あなたが知る(感じる)のは、人間の身だから、なおさらですが、

しかし、よくみて下さい。

生きとし生けるもの、皆、生にしがみついていること、生きることに執着していることも、見て取れませんか?

人間も含めた、あらゆる生き物たちが・・・。

それが、一つや無数の命(固有の意識)が死んでも、また新たに一つや無数の命(固有の意識)が生まれて来る理由になっているように、私は見えてしまいます。

死ぬこと(消えること)と、生まれる(起こること)が、この世界、宇宙の働き、摂理をかなえているとも、見えます。

そして、それは、、

>>「大体100%、生きとし生けるもの、死ぬのではありませんか?」と、残された者(人間やってる立場にとっては)には、耐え難く、人間の感性からまともに受け取れば、とても悲しく、辛いことだと思います。

人間だけでなく、動物や、昆虫、植物の意識だって、餓えや、恐れや、苦しみ、ストレス、痛みは、起こっていると、私個人としては、見受けられてしまいます。

お釈迦さまが、本当に言ったかどうか、定かではないですが、

「意識は苦痛だ」ということですが、それが、すべてでないにしろ、それは、知る物事が、多ければ、多いほど、人間性が働いていれば、感じられてしまう自然な事だと思います。

だから物事から目を逸らし、真実から目を背ける世間?では、よく言うではないですか?

「知らぬが《仏》」


これ、大真理なんだと私個人は、思いますよ。この世界や、宇宙、そして、その仕組みを創り出した源初の《神》の在り方、働きが、そもそもそうだから、

こうなって、いるんだと思うんです。

そして、それは、誰のことでしょう?

共感しているのに、こんな話しか出来ませんで、すいません。

あなたの意識も、老犬の意識も、共に幸せで有りますよう。(_ _)

パンマンさんの励ましたも、人間としてのあなたのお立場から、考えて見て下さい。

大長文、失礼致しました。_(_ _)_
Posted by y-be at 2017年06月18日 22:14
心やマインドで起きてる事は体験します。

それ、その感情、感覚、体験する自分も存在します。

恐怖も現れます、苦しみも表れます。

でも、その感情、感覚の体験中に気付いてるもうひとりの
存在(意識)が在ります!

何か起きたら避難、安全を確保するのは必須と思う。

起きた時にどう関わるか、どう在るかが大事なのでは!
Posted by 南のミサイル at 2017年06月19日 06:33
ミサイルは飛んでこないとおもいますが、
もし、飛んできたら怖いですね。

対処の仕方は、人それぞれ違うと思いますが。

今ここの感覚で起きた事に対処すれば、恐怖も軽減するのでは?
Posted by 南のミサイル at 2017年06月19日 06:53
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