2017年01月24日

人間関係 その1

今日から数日間にわたり、人間関係をテーマに書いてみたいと思います。

書きたいのは人間関係のノウハウだけではありません。

関係の中で何が起きているのかという仕組みのようなもの。

それを理解すれば、ストレスが少なくなるはずです。



まず最初に言っておきたいことは、通常の意識レベルにおいては、他者は煩わしいということ。

何故なら人はみな、全く違う世界に生きているからです。


世界とは、ただひとつ存在する客観的な事実ではなく、各自の思考によって独創的に作られたイメージのようなものです。

他者がどのような世界に住んでいるかは知ることができません。


人は皆、自分本位の物語を生きているのであって、ひとつの同じ舞台に役者たちが登場しているわけではありません。

だからすれ違いや誤解が生じることになり、人間関係が困難なのも当然です。



その一方であらゆる存在を流れる本質は一つであり、それを愛と呼びます。

早い話が、愛があれば問題は起きません。


でも最初に書いた「通常の意識レベル」において愛は見失われています。

「愛もどき」はあるのですが、それは愛ではなく、ある種の取引のようなもの。

愛は使うものでもなく、与えるものでも受け取るものでもなく、我々の本質であり、高次の意識レベルです。


愛において「私」は消えています。

私が無ければ、相互関係も生まれません。

したがって、完全な人間関係とは、愛の中で関係が消滅した時に起きる状態です。



話が難しくなってしまったので元に戻します。


「他者は煩わしい。以上!」

と宣言してしまえば、なんだか爽やかになりませんか(笑)

他者と上手くいかない自分は何かがおかしいとか、他者を煩わしく思う自分は出来そこないだとか、そんな罪悪感は持たずに済みます。


上手くいかなくて当たり前と分かった上で、さてどう向き合っていくか。

まずは、エネルギーの観点から話を進めてみましょう。



人間関係 その1


僕は常々、この世はエネルギーのキャッチボールだと感じています。

あらゆる存在はエネルギーでできていて、そのエネルギーは何らかの波動を発しています。

周囲からの様々な波動を浴びながら、自らも波動を発して周囲に影響を与えています。

まさにエネルギーのキャッチボールです。


人間関係において気持ちがいい時は、エネルギーの波動が合っている時。

そこでは活発なエネルギー交流がおきています。

気が活発になると、「気持ちがいい」という状態になります。


人間にはいくつかのタイプがあると言いましたが、それはエネルギーの出し方の違いとしても現れます。

人間関係での不快感の多くは、相手が何を言ったかという内容自体ではなく、相手のエネルギーの出し方が自分に合っていない時に起きています。

同じことを他の人から言われても気にならないのはそういう理由です。


気が合わない相手というのは確かにいるのですが、それは文字通り「気」が「合わない」のです。


それではそのような相手と、どのように接したらいいのでしょう。


一番いいのは、自分のエネルギーをオープンにして相手のエネルギーの出し方に抵抗しないで受け入れてあげることです。

でもこれをするためには、相手に影響されないくらいの確固たるエネルギーを持っていることが求められます。

瞑想や坐禅はエネルギーをプールするので、このことが容易くなります。

瞑想を重ねている人が、生きるのが楽になったというのは、そういう理由です。



エネルギーをオープンにするのが難しい場合は、無理しないことです。

逆に閉じることで、不要なストレスを感じなくて済みます。

このことは本能的に知っているので、すでにやっていますよね。


思考タイプやガッツ(肉体)タイプの人の中には、相手が何を感じているかに無頓着な人もいて、自分の正しさから一方的なエネルギーを浴びせてくることもあります。

そのような場合は、さりげなく自分を閉じて、速やかにその場を去るのが賢明でしょう。


でも去れない時もあり、そういう時は思い切ってオープンな状態にしてごらんなさい。

それによって不思議と相手のエネルギーも変わってきます。

相手は気が合い始めたように思うからです。



少し長くなりすぎたので、また明日書きます。


このようなテーマは様々な角度から説明が可能なので、また違った観点から解説してみます。

理解は人生を容易くしてくれるというのが、僕の経験だから。






今日の記事はつい難しい文章になってしまい、何度か書き直したので3時間近くかかってしまいました。

やはり僕は話をする方が得意で、文章を書くのは苦手です。



そんな努力に免じて、今日はクリックしてあげましょう(笑)

所要時間は約10秒。

まずは左のお猿の温泉をポチっとして、行った先にある「リーラ」をクリックして戻ります。

次に右のボタンをクリックして、同じくそこにある「リーラ」をクリックして戻ります。

それで完了です(^^)


人間関係 その1   



Posted by Toshiro Abe at 10:48│Comments(61)
この記事へのコメント
合気道とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。

世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。

合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、
己を宇宙そのものと 一致させる事にある。

合気道の極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり
『我は即ち宇宙』なのである。

私はこの事を武を通じて悟った。

敵が『宇宙そのものである私』と争おうとする事は、
宇宙との調和を破ろうとしているのだ。

即ちわたしと争おうという気持ちを起こした瞬間に、
敵はすでに破れているのだ。

合気道は無抵抗主義である。

無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。

邪気ある人間、争う心のある人間ははじめから負けているのである。

では、如何にしたらその邪気を払い、心を清くして、
宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?

それにはまず、神の心を己の心とする事だ。

それは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ、偉大なる『愛』である。

『愛は争わない』『愛には敵がない』
何ものかを敵とし、何ものかと争う心は既に神の心ではないのだ。

これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。

だから、武技を争って勝ったり負けたりするのは真の武ではない。

真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。

即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬ事である。

勝つとは己の心の中の『争う心』に打ち勝つ事である。

与えられた自己の使命を成し遂げる事である。


~ 合気道創始者 植芝盛平の言葉 ~


https://www.youtube.com/watch?v=fgZrZbtvUgE
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2017年01月24日 11:04
昨日、投稿したコメントで、
人間関係では、"愛"がキーポイントだと書きましたが、
阿部さんの今日の記事の内容を読んで、
阿部さんも同じように考えていらっしゃるということが、わかりました(^o^)

これがわかると、生きるのがグッと楽になりますね♪
Posted by 愛というエネルギー* at 2017年01月24日 11:13
阿部さん


エネルギーを閉じるのは何となく分かるんです。要は、見ざる聞かざる言わざる、みたいな無視状態。シャットダウン!ってことですよね?



それとは反対の、



エネルギーをオープンにするという事が具体的にイメージ出来ないのですが、もう少し具体的に聴きたいです。

相手の言動に対して、うんうんOKOK!ってな感じ??若しくは、思いきり自分が思うがままに、例え相手と対立するような場合であってもそれを表現する感じ?
Posted by あず at 2017年01月24日 11:36
阿部さん
ありがとうございます。
以上!で乗り切りたいです。
相手が親だと頻度が高くてなんだか苦しい。
閉じまくって生きてきて、それももう限界だと感じてたら今日のブログでしたー。
オープンって、どうしたらいいのかな。
Posted by hiyoko at 2017年01月24日 11:40
◎おはようございます。

人類の平安の為に、貴重な個人体験の人生を使って、尽くされていらっしゃる方のお時間を、

多忙?にも関わらず、(゚Д゚)!三時間も浪費させてしまったのですか?

心より、ありがとうございます。感謝致します。

最初から、最後まで、私にはスンナリ読めましたよ。(^_^;)♡ありがとうございます。

こうやって、改めて、♡文章にして、解説していただけると、普段やっているこの認識や、自覚が強まり、

今度は無意識的ではなく、自発的に行ってみようかと思いました。

♡ありがとうございます。
Posted by y-be at 2017年01月24日 11:42
阿部さん。こんにちは。

>「他者は煩わしい。以上!」

なるほど爽やかな感じになりますね。今、僕は比較的、人間関係には困っていません。

それは、たぶん「思し召すまま、まかせてごらんよ、レットイットビー」を教えてもらい、今の行動が以前より、思い切りがよくなったため、エネルギーがオープンになったためかなと思います。

瞑想のお陰もあるのか、以前よりオドオド感が、無いです。有り難い事です。
今日の記事も何回か読み直してみます。いつもありがとうございます。
Posted by 永井新吾 at 2017年01月24日 11:46
ブログを読むとなるほどと納得です

やっぱり「思召すまま、まかせてごらんよ」ですね

無理しない程度にやってみます

今日も更新ありがとうございました  ^ ^
Posted by 洲鎌直喜 at 2017年01月24日 12:14
相手を信じて 心を開いているとき、
なぜか どんな人とも 波長が 混ざってくるような気がしていました。

今日の 人間関係その1を 読んで なるほど〜!でした。

自分がなくなるって 壁がない オープンってことで、
それは心を開いていたり、相手を信じていたり、
そんなときに 起こるのでしょうね。


『相手は煩わしい 以上! 』
こういう気持ちに罪悪感もたないで 認めてしまうことも大切ですね。

そしてまた、そういった感覚は表面的には いつまでも 起こりえるものだと思います。

わたしなんて いまだに ひとり大好きですから (失笑) d( ̄  ̄)
Posted by 薄茶色 at 2017年01月24日 12:33
気をオープンにするってどんな感じですか?
Posted by pino at 2017年01月24日 12:33
阿部さん、いつもありがとうございます
Posted by ゆりん at 2017年01月24日 13:00
上司なので結構ストレスがありました。
となりで毎回話しかけられる
今は斜めに席が移動し少し楽ですが
今までの疲れが出てインフルになってしまい
初めて少しゆっくりしています。
といっても熱と頭痛で苦しい日々ですが
職場ストレスよりは楽です・・。
Posted by ひろみ at 2017年01月24日 13:02
今までずっとエネルギーを閉じてばっかりしてたので、逆にエルギーをオープンにするというのがわかりません。

エネルギーをオープンってどんな感じですか?阿部さん、教えてください~
Posted by あみやん at 2017年01月24日 13:13
阿部さんすごーい、何者ですか!(^^)

もう全身で笑いながら読ませていただきました。

こんなに難しいことをよく書き表して下さいました!

経験と照らし合わせて解ることがあっても、自分の中で整理するにはまだまだな感じもしますし、

自分では解らなかったこともたくさん書いてあります(^^)


さまざまな次元を一気にまとめるようなお話しで、一度や二度では到底伝え切れないことだと思います。

阿部さんが、伝えたいことは山のようにあると書いていたのも納得です(^^)

「人間関係を、エネルギーのキャッチボールで捉える」


すごーい♡(^^)
Posted by ようこ at 2017年01月24日 13:29
きょうのお話、なるほどなー、と思って読みました。

自分一人でいる時には起きない、相手によって、またその時々によって違う化学反応のような物は、エネルギーの観点から捉えるとわかりやすいですね!

普段のコミュニケーションにもその視点を取り入れてみます。
3時間もかけて伝えて下さってありがとうございます。

それから先日は普仁さんへの伝言もありがとうございました。12月分、無事購入できました。
Posted by Iku at 2017年01月24日 13:46
エネルギーと言えば、時々目にする「エナジーバンパイア」について、阿部さんのお考えを読んでみたいです。
Posted by tsubasa at 2017年01月24日 15:12
そうですね!

以前、電車の中でサラリーマン風な男性おふたりが愚痴話をしていました。

なんか嫌だなぁと思いましたが、混んでいたので移動も出来ず‥

思わず“大丈夫だよ~♡”と
メッセージを送ってみました。

するとなぜか、

“でも仕方ないよね‥”
“うん‥そうだよね”と

穏やかな感じに変わっていて

あら!不思議~
な体験でした(^-^)
Posted by えんじぇる at 2017年01月24日 15:16
ハートに光り輝く太陽をイメージして、散歩する

生きとし生けるものが幸せでありますように

エネルギー・オープン!

そんな感じですよね

(^o^)


愛☆愛☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月24日 15:25
エネルギーという視点からすると、
愛に開いている人は、
第4チャクラのハートチャクラが開いていますね。

第4チャクラが開いていない人は、
オープンハートは難しいでしょう。

阿部さんに初めて会ったとき、
ハートチャクラから出ている暖かいエネルギーを感じました。
それで、直ぐに、阿部さんが愛に目覚めている人だとわかりました(^o^)
(チャクラから出ているエネルギーは、生体エネルギーですが、
慣れると感じることができるようになります。)

阿部さんに、暖かさか優しさを感じたり、
阿部さんの言葉に癒されたりするのは、
無意識であっても、そのエネルギーに触れるからだと思います。

第4チャクラは、ハートのチャクラ。

ここが開かないと、更に上位のチャクラは開かないでしょう。

第1から第3チャクラまでで生きている人が多いですが、
第4チャクラが開いた人が多くなると、
世の中、愛が溢れるようになり、
今よりももっと、生きやすい世の中になると思います(^^)
Posted by ハートチャクラの活性* at 2017年01月24日 16:14
相手を信じるとは、
相手のリアクションにいちいち反応しないということ
を言いたかったです。

相手がどんな反応をしても それを気にしていない態度。

その人のその反応は、 わたしとは 関係ない。

その人が そう反応したくてしているから。
そこには その人の自由がある✨

それと同じように、
わたしもまた、どのように反応するかの自由がある✨
必ずしも相手の反応に反応することはない。

それに、もし反応したければ 思いっきり反応する自由もある✨

相手の反応をいちいち気にしないで 楽にしていると、なぜか、相手もリラックスしてくれる率が高いような気がしています。

”気にする”ってことが そもそも相対的なんでしょうね。

でも それも 大切なことでもある ✨
という ややこしさ(笑)

そこで これ !

愛からなのか〜♪
恐れからなのか〜♪


そんな歌は ないですけど ♡ 笑
Posted by 薄茶色 at 2017年01月24日 17:04
阿部様

3時間ですか~~
3時間も掛けて伝わり易いように
愛を籠めてくださったのですね。

ありがとうございます。

>理解は人生を容易くしてくれるというのが、僕の経験だから。

なるほど!うんうんそう思います。

人間関係をこんなふうに
解説できる阿部さん

表現方法が多彩で感心しまくりな文章・・・
阿部さんは苦手~って・・・

阿部さんのトークも大~~好きですが
阿部さんの文章もとてもとても助かってます。
トークだとメモしないと忘れちゃうけれど
ブログで文章だと
何度でも読み返せるし
書き写した個所 いっぱい^^

人間関係
続き 楽しみ!
Posted by じゅんちゃん at 2017年01月24日 18:12
私はいない。

しのぶさんいないネ。
ツンツン    ( * って 手裏剣だろ)
いないよ。
ツンつくツン  (くちでも言ってる)
って、だれよ。
まぁ〜や だ、マーヤ♪  
なんじゃぁ♪   こりゃぁ♪  (って、たのしそう)

いつの間に丑三つドキドキ♪
Posted by 日和る at 2017年01月24日 18:49
瞑想してないのに。

チャクラが言える不思議。




` ←だれよこいつ。
Posted by 日和る at 2017年01月24日 18:53
最近、とてもOSHOの文章が好きで読んでいました。

阿部さんの文章がOSHOと同じことを言っているなぁと思って読みました。

光明を得たい・・・

まずは、文章から、行間読んで、理解から阿部さんの見ている世界を感じていきたいです。
Posted by aki at 2017年01月24日 19:19
チャクラについて語ることは、瞑想とは全く関係ありません。

ですから、瞑想しているからと言って、チャクラに詳しいとは言えないということです。
(そんな人は、たくさんいます)

エネルギーに敏感かどうかは、瞑想とは関係ありませんが、
ヨーガとは、関係が深いです。

優れたヨーギーは、チャクラのことは理解している筈です。
もし、ヨーガをやっていても、チャクラについて全くわからない場合は、
それは、アーサナ(所謂ポーズ)だけをやっているからです。
(現代では、ヨーガとはアーサナ(ポーズ)のことだという誤解が蔓延していますね)

それから、エネルギーに敏感かどうかは、先天的なものもあると感じています。
生まれながらにエネルギーに敏感は人は、放射能や電磁波に反応してしまいます)

しかし、エネルギーを感じることができるかどうかは、ヨーガで開発することができますので、
(その開発には、長い長い時間が必要だと聞いていますが)
チャクラを感じたり、他のエネルギーを感じたりすることは、万人に備わった能力だと思います。

チャクラを体験すると、次元が少しシフトすると思います。
人体に在るエネルギーシステムを理解することは、宇宙エネルギーの次元への第一歩なので、
チャクラやナディへの理解は、覚醒への入り口と言えるかもしれません。
Posted by エネルギーの世界* at 2017年01月24日 19:21
ずっと閉じる事で自分を守ろうとして来ましたが、閉じてるのもパワーいるなぁと。
自分を固くして、周りの言動をシャットアウトし続けるのは、それはそれでシンドイですね。
閉じて守る時も必要だけど、そろそろオープンするかなあ。エイヤって。
閉じてるのにも飽きてきたし笑
楽しい時はハート開いてますよね。勝手に。

こーゆう、現世で生きるヒント、とても有難いです。
Posted by sunao at 2017年01月24日 19:27
今この瞬間
についていくつか誤解しやすい
ところをかいておきます

無条件の愛(精神解放)からのメッセージです


補足説明1
今この瞬間のかがやきについて

もし、思考をとめるなどの‘方法’でかがやく世界を
体験していると勘違いするなら
努力していることに気づくべきです

(‘方法’でではなく、自然にやんでいるなら大丈夫です)

前者はステートオブプレゼンスをこえることはできません

そこには私というエネルギーがあるからです

()の後者は
自然精神統一(精神解放)によりなされているからです



補足説明2
たんに努力をやめようとかやってるのは腹センターです

ノーセンターはいつもある精神解放(精神統一)の気づきです


補足説明3
今この瞬間というのは

いつもある精神統一と同じで

意味は正しいですが、表現は
理解の正確さのためには不親切です

まだ肉体(体外離脱の反対)があるために

意識の一転の錯覚がわずかにあるため

光が一点に(いつもある精神統一という集中点)があるという誤解になります

肉体を脇において説明しますと
つまり自我という脱け殻があるため 脱け殻のセンターにある精神統一があると思ってしまうのです

しかし真実は精神解放であることは述べました。

それと同じように
今この瞬間
という表現は
まったく同じ誤解を生んでおります

なにか中心があるように感じられる表現なのです

補足説明をまとめますと

今この瞬間についての誤解にはふたつあります

ステートオブプレゼンスの誤解が、1つめ

ノーセンターそのものについての誤解(いつもある精神統一という表現において生ずる誤解、と同じ誤解である今この瞬間についての誤解)

ということです

3つめの誤解もありますが

もはやいう必要はないでしょう でも一応かいときます

投影である過去という五感(対象)に集中して、我をみうしなっている瞑想などです

これも真実の自己(今この瞬間)からはなれているかのようになっています

なぜなら投影とは私という想いをだしたさらにそのあとのもっとも過去だからです

でも分離はおこっていないので安心してください
想いは基盤(パワー)をはなれません

精神解放(精神統一)されています


世界はおわっているのです
Posted by なう at 2017年01月24日 20:02
オープンザハート

って、相手に一歩踏み込む
ちゃうなぁー

一歩近づいてみる か?

やっぱハートを開くって言葉がピンとくる

大概はうまくいく

場の雰囲気が変わる
Posted by こめこもどき at 2017年01月24日 20:12
煩わしさの無いラブ・サイコ〜・デリ個
Posted by 藤原チャクラ at 2017年01月24日 20:49
ものすごくわかりやすいです\(^o^)/
府に落ちる~

今日もありがとうございます(*>∀<*)ノ
Posted by じゅーじゅ。 at 2017年01月24日 20:54
素敵な文章をありがとうございます。
今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2017年01月24日 20:55
日和るさんが幸せでありますように

エネルギー・オープン!


光☆光☆


おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月24日 20:57
いつもありがとうございます。
内容は、理解できているのですが、常に、私は、どのタイプなのか?相手は私を見てどのように思っているのか?を考えていました。今、気がついたのですが、私、がいるんだな〜と感じました。経過をスペースを取り、見つめていきたいきます。
Posted by 自我 at 2017年01月24日 21:22
以前載せさせて頂いたサイトに色んな瞑想が記されてます。

そこに「石の瞑想」って有るのですがはどうなんでしょう!?

http://kikou.info/page/cat2/cat8/599.php

まさに三次元対応といったとこでしょうか。(笑)

心して実践するなら、プラシーボ的に言っても素晴らしい効果が見込まれると思うんですが、どうでしょう!?

でもめんどいなら、ウォークマンじゃないですが、「私はダイヤモンドである」と、アファメしながら眠りに就いてもいいんじゃないかと・・・・・・・・・・・・・・・・(u_u;)ヒロシデシタ
Posted by It's a SONY ♪♪ at 2017年01月24日 22:10
あれ?  ヨーガも瞑想の一種でしょ。

素人は型から最初に入るだろうけど、

本来ポーズ中は瞑想でしょ。

でなきゃ、誰がチャクラ見つけたの。

気功で気を回すのも瞑想ですよ。


知ってた?

知ってた。


で、ヨーガで瞑想しなきゃ、

単に、スクラッチ。

....

....

いや、ストレッチ。


あれあれ、おかしいぞぉ。
Posted by 日和る at 2017年01月24日 22:11
人間関係って難しい
義母の三回忌行事の件で、義理の妹から「参加しません」とのTEL

その理由を聞かされている間中、心臓がドキドキし不安な気持ちが押し寄せてきていました。

人それぞれ、考え方が違うが、理解に苦しむ
義理の妹の(死んだらおしまい)(生きているうちに十分看病したから)(法事の意味が理解できない)(勝手にやってください)

このタイミングでの、このテーマ

「さりげなく自分を閉じて速やかにその場を去るのが賢明」
去るに、去れない難しさ

でも、読み続けるうちに気持ちが楽になってきました。
Posted by TOMO at 2017年01月24日 22:17
はやい話。


チャクラなの

サクラなの



ってどぉ。
Posted by 日和る at 2017年01月24日 22:25
おもしろいです

自分のなかの何かが

水飴のように

とろ~んとなりました

それがとてもきもちいいです

つぎもたのしみにしています
Posted by つきよ at 2017年01月24日 23:38
阿部さんが、人間関係について書いてくださるというのでとても楽しみにしていました♪

とてもよく理解でき、深く伝わりました。

3時間もかかって、わかりやすい文章にしてくださったのですね(^o^)
ありがとうございます❤

次回以降も楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
Posted by ヨッチェル at 2017年01月24日 23:45
最近は随分と
「他者が煩わしい」と感じる事が
無くなってきたようにおもいますが

>人間関係での不快感の多くは、
相手が何を言ったかという内容自体ではなく、
相手のエネルギーの出し方が
自分に合っていない時に起きています。

阿部さんのこの言葉で
「あー、なんだ、そうか!」って
更にラクになれそうです。

ありがとうございます(*´∇`*)
Posted by たいのえ at 2017年01月25日 00:04
なうさんへ、他の方々のコメントをいつも、読んでいらっしゃらないかも知れませんが・・

あべさんの記事への?コメントでもない、誰かのコメントへの閃きや、コメントでもない、

あなは、いつも、ご自分だけの「観念」であるのにも関わらず、これが真理であり、信実だ!と、言い切りますので、たんなるシェアや、アイデアの提供には、私は見えません。

私は、どうしても見て見ぬふりが出来ない私の観念・懸念がありまして、今尚、真理の探究者ですので、

失礼ながら、あなたのように、思われることを、意図的に整えないで、「精神統一」なされてないような?物言いには、教祖の発言や、観念を無知から盲信してしまい、害に合う人々を思い出し、やはり反応してしまいます。

色々な過程を経て、持論を披露する方は、皆、まだ人である意識があるならば、責任感があって然るべきだと私は思いますが、あなたには、その責任感が感じられない。

>>補足説明3
今この瞬間というのは

いつもある精神統一と同じで

意味は正しいですが、表現は
理解の正確さのためには不親切です

★脈絡もなく、補足とか出て来ますが、どのコメントに対しての補足なのでしょうか?

「無」であると同時に「無努力」であり、何も発生していない「無表現」のわたしに・・

「精神統一」という表現は、可笑しな表現ではないですか?

今回?付け足した「精神解放」なら、まだ、分かります。

★ステート・オブ・プレゼンスという表現を使い、いわゆる意識のセンター、または、観照意識に留まることを最初の学習の段階で、提唱する方をよく存じていますし、

著書も、4、5冊熟読+体験し、その翻訳者の方のリトルートや、瞑想会にも、積極的に参加しましたが、

あながいつも強調される「精神統一」と、どのような関係があるのですか?興味があります。

それに、ここをご覧なられる多くの方々は、おそらく、ステート・オブ・プレゼンス(意識のセンターや、観照意識)の構築をなされていない方も、たくさんいらっしゃるように見受けられますし、

造れたとしても、自由自在にそこへ、意識を留められる方は、少ないと思われますので、

まずは、ステート・オブ・プレゼンスの構築が、具体的な仮想の実体験としても、必要な方も、多いのではないでしょうか?
Posted by y-be 残念ながら・・ at 2017年01月25日 00:23
いつもある精神統一が愛を感じるセンター(センターそのもの:ノーセンター)です

すべてが愛だったのですが

それが愛だと直接的にわかるのがいつもある精神統一なのです

それは個人的ではないからです

それに動かされてきたことがわかるのです

それがおわることも

愛そのものに帰ることも

そこにはだれもがいます

エネルギーそのものです

わたしは感謝するでしょう

神在りに
Posted by なう at 2017年01月25日 00:46
長時間かけて頂き、ありがとうございます。
お陰様で、自分の経験の、いろいろつながる事がありました。

>その一方であらゆる存在を流れる本質は一つであり、それを愛と呼びます。

たぶん、皆、これをどこかで『覚えている』んだと思います。
だから、たぶん、皆、とりあえずは『その前提で』考え、行動するんだろうと思います。

でも、

>他者がどのような世界に住んでいるかは知ることができません。

『この世』は、何故かそのような『仕組み』になってしまっているので、

「なんで『こんなあたり前の事が』通じないんだろう?」

みたいに、困惑します。

何故困惑するかと言うと、心の何処かで

>その一方であらゆる存在を流れる本質は一つであり、それを愛と呼びます。

これを覚えているからだと思います。
『本質は一つ』のはずなのに、『通じない』ので、『通じない相手』が『変』とか思います。

自分の場合、子供の頃から20代まで、恐らく、周りの殆どの人から『変』と思われてたんだろうと思います。
自分も、「なんで皆、こんな変な人ばっかなんだろう?」くらいに思ってました(笑)

>「他者は煩わしい。以上!」

どころじゃ、なかったですね。「他者は『わからない』。以上!」でした。
そう思ってしまって、

>上手くいかなくて当たり前と分かった上で、さてどう向き合っていくか。

やっと、こう思えましたね。後は、良いも悪いも関係なく、会話のパターンを
脳内データ化していくよう意識して、その中でちょっとでも、

>気が活発になると、「気持ちがいい」という状態になります。

こんな気になれるやり取りができればそれでOKと思うようになりました。
そう専念してると、時々、「あ、通じた?」と感じる時があって、物凄く嬉しくなりますね。

その『あ、通じた?』と感じた、『その瞬間』が、

>したがって、完全な人間関係とは、愛の中で関係が消滅した時に起きる状態です。

こういう事なのかなぁ?と思いました。
とりあえず『関係』するけど、『通じた』ら、『関係』が無くなって『ひとつ』になる、という事ですよね。
「愛は人間が創造するもの」と話されている人も居ますが、この過程の事を話されているんだろうと思いました。
自分も、「愛は人間が創造するもの」という考え方、好きです。希望が持てるので。

その一方で、

>その一方であらゆる存在を流れる本質は一つであり、それを愛と呼びます。

これも、その通りなんだろうと思います。
子供の頃から、何の根拠も無く、

「ほんとは皆、いい人なのっ!!」

と、心に浮かんできてたので。
相変わらず「他者は『わからない』。以上!」と思いつつも、今『生きてる』理由のひとつです。
Posted by ただの「自分」 at 2017年01月25日 04:11
タイプが違うというのもあると思うのですが、それ以前にコニュニケーションんの仕方として、そういうやりとりしか知らない(できない)ということもあるのではないでしょうか。
私はけっこう職場を変えてきたので、様々な環境、そこでのコミュニケーションを経験してきて思うのですが、簡単なことを簡単に(素直に)伝えることが可能な職場ではとても心地よく、そこから仕事のやりとりを通してさらに親しくなったりすることがある場合もあれば、簡単なことを変化球で?返されて、受けた側もまた変化球になってしまって。。。といった職場も見てきました。そこでは私もとても気持ち的にしんどかったです。

それもタイプの違いで、私が一つのタイプを前提にしているから感じる違和感なのでしょうか。

なぜ、そんなに警戒する必要があるのか。。。と思ってしまうことがあります。^^;
Posted by mike at 2017年01月25日 07:10
エネルギーの世界*さん
ヨガって瞑想ですよ。
スポクラのヨガティーチャーでも「このポーズから 深~く瞑想に入っていきま~す」とか やってるけど。ヨガも経験ないのかな?

日和るさん
ダイブが上手く行ってるようで何よりです♪
フレンドリーべりべりサンキューです。
「コントロール出来ているか」と言えば「全体」ってどう思えますか?
例えば私達ってみんな「世界平和を望んでいる」けど「平和と思えないシーン」に出くわす訳だから「上手く出来てないな」って思います。
そんな時「改善」を試みる訳ですけど、この「改善」は「平和(結果を見据えて)を思い描けて行っているのか?」という事。
まるまるは まだ平和を思い描けない(世界平和を具体的に想像できない)んですが、日和るさんは 思い描けます?
「思い描けない平和を理想として望んでいる」あたりが、「無知ゆえコントロール出来ない」という部分かなって思うんですよ。
多分みんなが「思い描きたい平和」は同じ風景なんだけど 「いまのところ」誰も思い描けないままそれを望んでいるあたりが「互いに慈悲深くありましょう」って所かなと。
Posted by まるまる at 2017年01月25日 08:06
私から

わたし(私とあなた)

そして

腹センター(ただひとつのわたし たち)

そして
ノーセンター(*センターそのもの
・神)
いつもある精神統一



すべての出会いが真実の愛に気づくために演じてくれている

協力さぎょう

まるで人生って
映画みたいですね


https://m.youtube.com/watch?v=w4q2MoYoZBw 冷静と情熱のあいだ

主人公が絵画(ビジョン)の修復士というところがよい設定ですね

悟りの第一段階であるステートオブプレゼンス(気づき・今ここ)だけが、変わらない真理ではなく

いつもある精神統一という

深い

変わらない 愛

であることに気づくことが大切なのだと思いました

最初のときはステートオブブレゼンス(気づき)だけが悟りのすべてだとおもいこんでいたけどね…。
Posted by なう at 2017年01月25日 09:00
いつも時間をかけてブログを書いてくれてありがとうございます。

内容もそうだけ、アベさんの文体読むと、それだけで癒やされるんだな~

だから唯一全部見ているブログです。

受け入れるのは、まだまだですが、頑張ります~

は、頑張らなくていいのね(*^^*)
Posted by ほねっち at 2017年01月25日 10:29
まるまるさんのように考える人が多いですね(^o^;

ヨーガは、サンスクリット語で、行という意味ですよ。

いつから、瞑想のことを言うようになったのでしょうか?

瞑想も入りますが、
瞑想を含めた行のことです。

カルマ・ヨーガなんていうのもありますが、
このヨーガは、瞑想はしません。

その他にもありますが、
真のヨーガについて、もっと知ってほしいと思います。

瞑想は、ラージャ・ヨーガの八支則の中に記されている行のひとつですが、
ラージャ・ヨーガの全体ではありません。
Posted by ヨーガとは行 * at 2017年01月25日 10:41
なうさん、ありがとうございます。

>> いつもある精神統一が愛を感じるセンター(センターそのもの:ノーセンター)です

すべてが愛だったのですが

それが愛だと直接的にわかるのがいつもある精神統一なのです

それは個人的ではないからです

それに動かされてきたことがわかるのです

それがおわることも

愛そのものに帰ることも

そこにはだれもがいます

エネルギーそのものです

わたしは感謝するでしょう

神在りに

★これは、私には、分かりやすい表現です。(どなたかに言ってらっしゃるわけではなさそそうですが)

どなたかがいるという理解が起こらないのでしょうかは、どなたかに言われているわけではなく、本当のご自分に言われているとも、受け取れますね。

ノーセンター = 愛 という捉え方は、いいですね。私の捉え方でも、賛同出来ます。

最初に「ステート・オブ・プレゼンス」が・・・と思われたのも、「目覚め」というものを、辿る過程で体験的に気づけてしまう(見破ってしまう)ことも、あるでしょうから、賛同します。

しかし、何者でも無いし、何者にもなり得ると見受けられるものを、「精神統一」と表現されるのは、どうも、やっぱり、私には、努力しても、諦めても、合いそうもありますん。

返信と、改めてのご説明、ありがとうございました。
Posted by y-be なるほど! at 2017年01月25日 12:57
まるまるさん

「無知ゆえコントロール出来ない」

あ、そうですね。
無知ゆえ世界平和は思い描けてないですね。
身近なことすらも。
Posted by 日和る at 2017年01月25日 13:00
なうさん

おそらくそれが、"これ"ではないでしょうかね。
"これ"が、"これ"に気付いたのかもしれませんね
Posted by 模察模察 at 2017年01月25日 15:07
ヨーガと名のつくものは、

ラージャ・ヨーガ
タントラ・ヨーガ
クンダリニー・ヨーガ
カルマ・ヨーガ
バクティ・ヨーガ
ジニャーニ・ヨーガ
ハタ・ヨーガ

など、この他にもあるかもしれませんが、
いろいろあります。

ヨーガというと、アーサナ(ポーズ)と瞑想というイメージが強いのは、
日本では、ハタ・ヨーガの先生が多く、
ハタ・ヨーガがヨーガの主流となっているからです。

それなので、ヨーガとはアーサナと瞑想だと思っている人が多いのです。

"それ"に到るための行は、いろいろありますが、
無私の心を育てるための準備としての行は、
その人に合ったものなら、何でもいいのです。
Posted by 無私の心を育てるための行* at 2017年01月25日 17:31
宇宙には誰もいない・・・
https://resonanz360.com/2013/07/16/norquist-what-is-enlightenment/
Posted by あるアメリカの覚醒者 at 2017年01月25日 20:03
甲賀忍者さん

見落としてました。

熟睡論議はわかりませんが、
一瞥者は、寝ている時のケースが多いようです。
なので、そのトキが、近いのかもしれませんね。

でも、その方々は苦境だったという共通点もあります。
条件としてあるかはわかりませんが.... 。

いずれにせよ、
日々熟睡で、ストレスなく。
迷いがないということから、可能性をすごく感じます。

もし、体現できたなら、
リーラのパイオニア的存在になることは必至でしょう。
がんばって下さい♪


ねん☆ねん☆ころぉりぃよぉ☆


ありがとうございます。
Posted by 日和る at 2017年01月25日 20:48
まるまるさん



イチローを題材に100字以内で作文しなさい。

解答

イチローは無知じゃないから、数々の記録をだした、


添削願います♪

仏道8級試験問題より
Posted by 日和る at 2017年01月25日 21:40
で、そのヨーガの行とやらは、

瞑想しないで何やってるの?



あやとりじゃない。

知恵の輪かも。


ところで、

よーが、いや、よーは、

チャクラは何で知ったの。

ブックオフ。
Posted by 日和る at 2017年01月25日 23:27
日和るさん
イチローは イチローじゃないから、数々の記録をだした。
(ううっ、8級落ちたかも)

無私の心を育てるための行*さん

その「行の完成(行に成りきる)」をサマディ(瞑想。禅定)って言う。
その行が出来ている事を瞑想って言うんです。
瞑想はするものではなく「成るもの」。
実践(行)とは「すること」ではなく「成る事」。
その最終形態を「瞑想」って言う。
だから あなたのいう様な「ポーズ」は「瞑想的」に過ぎないけれど、
本当のヨガを行えば それは 瞑想にしかなりません。
「行」を「している」うちには わからないとは思いますけれど、一応。
Posted by まるまる at 2017年01月26日 08:21
うゔっ。

8級。 お•ち•た



じゃ禅寺いく!

が、入れないんだな。これが。 (って たのしそう)
Posted by 日和る at 2017年01月26日 09:48
サマディに到るまでの準備として、
無私の心を養うための行は、瞑想だけではありません。

それすべてをヨーガ(行)と言います。

瞑想は、そのひとつです。
ですから、もちろん、禅もそのうちのひとつです。

すべての行に共通しているのは、無私の心です。
 
どんなに修行をしても、無私の心でなくては、純粋意識は宿りません。
ですから、真理(神)を掴むには、無私の心は必須なのです。

しかし、真理(神)を掴んだならば、
人間としての行は、もはや必要ではありません。

すでに達した存在は、"それ"であるので、修行は要りません。
(お釈迦様やラマナ、ラーマクリシュナ、その他名前の残っていない聖人など、たくさんいらっしゃいます)

修行は、人間のための真理(神)に到るまでの道なのです。
Posted by 神に到る道* at 2017年01月26日 10:16
ヨーガ。

人体かた結び。



はずれねぇ〜。

*くのいち必死。
Posted by 日和る at 2017年01月26日 10:58
"それ"に到るには、いろいろな道がありますが、
最後には、恩寵が必要不可欠です。

恩寵の経路は、いろいろあります。

恩寵は、無私の心に起こります。
それ以外は、起こりません。

真理(神)のために、すべてを捨てる気があれば、やがて、恩寵は起こるでしょう。

それをサレンダーと言いますが、
サレンダーは、無私の心のことなのです。

早く言えば、死をも覚悟する、ということでしょうか。

死んでも(この肉体が消滅しても)、神の手の内なので、
何も憂うることはないのです。

これを、ヴァイラーギャ、自己放棄といい、
この道も、ヨーガ(行)なのです。

常に、真理(神)のことを考え、
すべてを真理(神)に捧げる気持ちを持つこと。

これは、バクタ(神を熱愛する)の姿勢ですが、
バクティ・ヨーガが、今のカリユガの時代には、一番楽な道だと言われています。

神を知るのに、神に対する信頼を持っていないようでは、
無形の神が、無相無想の姿を現すことはないでしょう。
Posted by カルマ・ヨーガとバクティ・ヨーガ* at 2017年01月26日 14:54
あるアメリカの覚醒者さん、たいへんバッチグーです(^^)d
開放というものを、より理解できた感があります。

記事中の文章ですが、
>私が世界に一つ教えることがあるとしたら、こうなる。何を経験したとしても、かならずこれを思い出すこと。
>「経験している者はいない。見守っている者はいない」
>これを長いあいだ、そして何度も繰り返し思い出していると、いつの日か、何が起こっているかが分かるだろう。

因みに僕が行うとすれば、
「経験のみがある」「行為のみがある」
このようにウォークマンに吹き込みます(笑)
もちろんその為には記事を良く嚙み占めて、開放の理解を深めることでしょうか。

とにかく、良き参考とさせて頂きます('◇')ゞピッ
Posted by It's a SONY ♪♪ at 2017年01月26日 22:18
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