2017年01月13日

誰も死なない

毎朝こうしてPCの前に座り、何も書かれていない真っ白なページを開き、さて何を書こうかと考えながら、ぼんやり過ごす時間。


窓の外はどんより曇り空。

遠くに見える海も、今日は色を失くしている。


何を書こうか。


何故書くのか。


そう、生意気にも、人様の苦しみが少しでも軽くなればとの思いで、毎朝こうしてモニター画面に向かっています。




人は、生きることに苦しみ、老いや病に苦しみ、そしてやがては死んでいく。

これら代表的な四苦に対する処方箋は、すでに2500年前にインドの覚者から与えられています。

彼は「自分への固執から解放されること」と説きます。



私の肉体


私の思い


私の家族


私の人生


という「私」からの解放。


違う言い方をすれば、そのような「私」など存在していないことを見抜くこと。

「私」という幻想こそが、すべての苦しみの根源なのだから。



言葉にすれば簡単ですが、このような情報を「私」が読み、解釈しているから、その本当の意味は伝わりようがありません。

2500年前から、このジレンマは変わらず続いてきました。


自分という存在を、どの次元で感じ取るか。

全体から切り離されて、独り生きている「私」が自分なのか。

それとも、自分はこの存在全体そのものなのか。



誰も死なない


命は個々が持っているのではなく、大きな命の中で個々が生かされているのです。

「私」が命を持っているのではなく、大きな命が「私」を生きています。


「私」とは、命がこの世に表現されるための媒体に過ぎません。

生きているのは「私」ではなく、大いなる命のほうです。

そして、その大いなる命こそが、本当のあなたなのです。



我々は通常、表面的な「私」を自分だと思っていますが、その一方で、自分がいまも生きて在るという感覚も持っています。


目を閉じて、ゆっくり深呼吸してみましょう。

あなたの人生の全てを横に置いても、そこに残る疑いようのない存在感があるでしょ。

その存在こそが、永遠の全体意識そのものであり、本当のあなたです。



肉体が無くなっても「それ」(本当のあなた)は在り続けます。

そもそもいまの肉体が現れる前から、「それ」はあった。

早い話が、あなたは生まれたわけではないのです。

生まれていないのだから死ぬこともない。



このような情報は、存在全体に溶け込んだ時に理解することになります。

それを仏教では涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)といいますが、そんなに難しいことではなく、本来のあなたの在りようのことです。


涅槃寂静において初めて、四苦は綺麗さっぱり消えてなくなると釈迦は説きました。


2500年前の異国の覚者に頼らずとも、この真実は我々一人一人の中にいつもあります。

「私」への固執から存在全体に溶け込んだとき、誰もの中で明らかになるシンプルな真実です。




でも、「私」という幻想を見抜こうとすると難しい。

見抜こうとしているのが「私」だから。


したがって、力を抜いてリラックスすること。

完全な受け身になって、すべてを手放すような感じです。


そのような状態によって、「私」は薄れていきます。

やがて完全に消えた時、そこに残るのが全体です。


そしてそれこそが、本当のあなた。




今日も心が平安でありますように。






いつもありがとうございます。

まずは左のお猿の温泉をポチっとして、行った先にある「リーラ」をクリックして戻ります。

次に右のボタンをクリックして、同じくそこにある「リーラ」をクリックして戻ります。

それで完了です(^^)


誰も死なない    



・・・・・・・・・・・


【お知らせ】


名古屋のトークライブは3月、博多は4月、札幌は5月に予定しています。


大阪 2月19日

東京 2月26日

沖縄 2月28日

名古屋 3月20日

博多 4月30日

札幌 5月21日


準備ができしだい、参加お申し込みを開始します。



Posted by Toshiro Abe at 10:48│Comments(70)
この記事へのコメント
生まれてもないからね^ - ^

リラックスしようとしなくても
リラックスは自然と起きています^ - ^

行為的ではないのですよね^ - ^
Posted by れいこ at 2017年01月13日 11:05
「したがって、力を抜いてリラックスすること。

完全な受け身になって、すべてを手放すような感じです。


そのような状態によって、「私」は薄れていきます。

やがて完全に消えた時、そこに残るのが全体です。


そしてそれこそが、本当のあなた。」


意識を鮮明に保ったまま

眠ってしまうようにハートに安らいで

心身をリラックスさせることですね。


眠りに入る

瞑想に入る

どちらもハートに入っています。

(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2017年01月13日 11:12
阿部さん、昨日の質問に答えて下さり、ありがとうございます♪

実相は、五感を通した顕在意識ではわからないようになっているので、
人間の実在感がリアリティを持ってしまっていますが、
それが、錯覚だと理解できれば、
(多分)お釈迦様が言わんとされたことにも、合点がいくと思います(^^)

そのリアリティが、私たち人間の顕在意識に支えられているということは、
人間が寝ている時には、実在感のリアリティは消えていますから、明らかだと言えますが。
しかし、実在感のリアリティが消えたからといって、
この世は、無ということではありません。

この世が夢とか幻という表現は、何も無い、という意味ではありません。
そこが、説明するにも、理解するにも、難しいところかもしれませんね(^o^;

しかし、書かれたことの大筋は、その通りだと思います。

生も死も、人間には、リアリティをもっていますが、
それは、完全なる自我の錯覚。。

そもそも、自我自体が、錯覚の塊なので、仕方ありませんね(^o^;

ご回答、ありがとうございました(^o^)
Posted by リアルな生とリアルな死* at 2017年01月13日 11:15
ここまで丁寧に順序立てて?書いてくださって
なぁんてお優しい、嬉しい。
もう、いっぱいです。ありがとう。
Posted by ミシェル at 2017年01月13日 11:33
今日の記事で思い出しましたが、
少し前に記事にされていた、
何故、人間は、生まれてくるのか?という疑問についてですが、
今日の記事が、その答えだと感じました(^o^)

誰も生まれてはいないので、
何故、生まれてくるのか?という問いは、
成り立たない、ということになりますね♪

命題不成立?

このように考えると、
この世は、本当にジョークですね(笑)
Posted by 大いなるジョーク* at 2017年01月13日 11:37
リラックス、リラックス

まずは落ち着いて深呼吸から始めます

今日もありがとうございます  ^ ^
Posted by 洲鎌直喜 at 2017年01月13日 11:46
誰も死なない。

誰も生まれていない。

誰も彼もアレもコレもリアルに感じられるのに、その実体は雲のような、霧のような、

真っ白〜

今日の窓の外は真っ白です^^
Posted by 雪光 at 2017年01月13日 11:55
今日の文章綺麗(^^)
Posted by pino at 2017年01月13日 11:56
阿部さん。こんにちは。こちらは、非常に良い天気です。今日も興味深い、
記事ありがとうございます。

>完全な受け身になって、すべてを手放すような感じです。

うーんと、この、「すべてを手放すような感じです。」が最近だんだん解ってきた感じがします。

>肉体が無くなっても「それ」(本当のあなた)は在り続けます。

そもそもいまの肉体が現れる前から、「それ」はあった。

早い話が、あなたは生まれたわけではないのです。

生まれていないのだから死ぬこともない。

これ、何回かうかがった気もしますが、そうなんですね。へーはー!!!
Posted by 永井新吾 at 2017年01月13日 12:11
それは、
今しかないから。

ですよね(笑)^_^
Posted by 前田笑弥 at 2017年01月13日 12:22
本当のあなた=純粋意識=気づき

これを求めてマントラ神様、マントラ高次(周波数・振動数)に寄り添ったって
いいじゃないか。にんげんだもの。

マントラって平たく言えば神様のエナジー、高次のエナジー




因果もなく泡ぶくが湧いて消えていく そして死んだら無

っていう方もいたり、いろいろな教えがイニシエからあるんですね。なるほど!

私にとってなんか感応してるのか、ただ好きなのかわかりませんが、

*さんの死とは「長い眠り」この表現がわかりやすいのでおかりします。

肉体があるときの熟睡も、肉体脱いで長い眠りの死も、エネルギーレベルの無意識下にマインドのプログラム(いろいろあり)が停滞している限り、無意識が存在する。
マインドのプログラム、そしてself(私という感覚、分離感、幻想、錯覚、脳ペテン師工作員)が薄くなり、そして、消えた時、無意識の存在も消える。

無意識が消える=純粋意識、気づき、本当のあなたのみとなる。

無意識下のマインドが消え、selfが消えた時、長い眠りの死と再生を繰り返す輪廻という幻想錯覚2元から目覚める。

よって悟りを得るまで輪廻の幻想は続く。


この教えに感応するわけです。私の場合。
Posted by ぼたん椿☆ at 2017年01月13日 12:27
ありがとうございます

健康に不安を感じ、新年明けてから検査の日々です。今日もこれから病院へ…
検査の痛みは?癌だったら?

阿部さんのブログが一番の処方箋
気が楽になりました
まな板の上の鯉になります
痛み、不安、辛さ、恐怖は私から生まれるのですよね
私なくしてみます

なんでもドンと来い!

こんな時にナチュラルハイになれるのは
阿部さんのおかげ

東京公演に逢いに行きます!
Posted by ランちゃん at 2017年01月13日 12:29
*さんへ
ご質問への返答が遅くなり申し訳ございませんでした。
私の登る山道の教えをちょいだししたときご質問をいただきました。歩む道が様々な人々が集合されているところでためらいと、恐縮もありましたが、世界にはさまざまな教えがある中の一つの側面として頂ければと思います。
強制する意志は一切ございません。

selfとは、自己、私という感覚、私があるという感覚、分離感、幻想、
子供の頃は感覚で生きているが、成長の過程で刺激、ショックを受けていく中で、感覚器官の神経伝達スピードが速くなる。ある域値に達した時、分離感覚(錯覚)が起こり、selfが生まれる。なにかになろうとする時selfは生まれる。selfはそれ自身では存在しない。selfが良いものでも悪いものでもない。self,分離感は、私と世界を隔て苦しみを生む。selfは拡大したい、存続したい、生き残りたい、存在を維持したい。selfがselfに気づくことはない。自分が幻想などと思えない。分離感を作り出している「私」という感覚は、外界を捉えるために働かせる感覚器官がある特定のスピードで協調しあっているために起こる錯覚。恩寵により脳、感覚器官の神経伝達スピードがスローダウンさせることで、「私という感覚」「分離感」「私という錯覚」が消える。


mind(心情・考え・観念・条件付け=プログラム①過去世、カルマ②先祖の記憶③胎児期の記憶④6才以降の記憶⑤地球意識のプログラム 地球は生きた有機体で思考層があり、人類のカルマが地球磁場に存在する。ラーマクリシュナ、ラマナマハリシなど覚者が最後癌で亡くなるのは個人のカルマではなく人類のカルマから⑥太陽系、惑星のプログラム⑦銀河系、ブラックホール⑧スピリット④以外無意識のプログラムで私には変更不可、恩寵により変更可④のみ意識的なプログラムで私により変更可。

mind(プログラム)がselfに流れてきて、selfがmindをキャッチするとき、それは肉体、7つのエネルギー体に蓄積停滞し、無意識に情報として残る。感情、考え、概念、条件づけ、思い込み、症状、病気、外側の世界に苦しみとして現象化する。
Posted by ぼたん椿☆ at 2017年01月13日 12:42
もうひとつ、よくわからないことがあります。

図々しくて申し訳ありません。

阿部さんがおっしゃる"いまここ"と、
この大いなる命は、同じひとつのものですか?

よく、阿部さんが、"いまここしかない"とおっしゃるので、
大いなる命は、いまここ、と考えても差し支えないですか?
Posted by 大いなる命といまここ* at 2017年01月13日 13:01
このキャラクターは死んだらなくなるわけですけど、
それはキャラクター目線の話 ☺︎

本来の本質は、キャラクターではなく、その原動力のようなところである大いなるいのち。

大いなるいのちに気持ちを馳せれば、なんだか壮大な気持ちになれる。
細かいこと気にしない。みたいな。

逆へ行くと、細かいことが気になってきてしょうがない(笑)

健康のためには、大いなるいのちに想いを馳せて ボーッとしているくらいがいいのかもしれません。

さあさあ、温泉でも入りにいこう〜♪

もしくは大草原でも見に行こう〜♪

大きな風に吹かれてみよう♪

わたしは 家でうさぎと戯れます m(_ _)m
Posted by 薄茶色 at 2017年01月13日 13:13
先日阿部さんは、スピリチュアル的認識に3段階あるとおっしゃっておりました。
勿論認識に3段階あるとは思いますが、やっぱり私たちは意識で、この世は
ただ起きることが起きるとすらならば、
TEDで成功者が自信満々に語っている成功法則やメソッドは、
ただ幻想を信じ切った大人たちが幻の中で、幻を本物だと思って
熱く語っているだけなのでしょうか?
そう考えると、よく宗教を怖いとか馬鹿にしている人も、世界中の仕事は真面目にしなあかんよと世の中で解いている人々もさほど変わらず、幻を本物だと思っている麻薬患者のように思えますがそうなのでしょうか。
Posted by お聞きしたいこと at 2017年01月13日 13:16
存在に対しての無である相対の無
主体も客体もない絶対の無

昼間…私が消えると…
私と世界の分離も消えて
世界だけが在る、全体だけが在る

相対の無

夜間…睡眠中…私が消えると…
何もない

絶対の無


そんな感じでしょうかね


無☆無☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月13日 13:29
いろいろな教えは細かいとこつけば、違いはあるけど、手段として「どんなじぶんであろうとそのままでいる、いまにある、気づく」と究極の目的は、どこも一致している気がする。


啓示は、東大生の理解を幼稚園生に話すのではなくて、幼稚園生の目線、
物理的時間空間のある地上2元の目線に変換して話してくれてたりして。

それがいろんな教えバージョンがあって、一人一人感応するところが違うだけだったりして

それで幼稚園生は、言い争ってたりして
Posted by ぼたん椿☆ at 2017年01月13日 13:49
お聞きしたいこと さん

それらの人達が、

私のやっていることは正しい
私の経験こそが正しい
私の考えていることがだけが正しい

として語っているのなら、私は正しい病の中毒患者ではないでしょうか?

私こそ(だけ)が正しいと絶対視する信念は幻想です
Posted by 模察模察 at 2017年01月13日 14:01
甲賀忍者さん

相対の無というのはあくまで概念上のもので、昼間や夜間という時間的なものではありませんよ。

実相は、色即是空 空即是色
つまり、絶対として色(在る)であり空(無)であるのです。
昼間や夜間などといった時間概念も幻想で、どの瞬間においても色即是空 空即是色です。
Posted by 模察模察 at 2017年01月13日 14:07
阿部さんのお陰で随分楽に生きられるようになりました。

小さい頃から「死」への恐怖が強く 私の命はいつの日か亡くなるんだ〜と考えただけで気が変になっていました(≧∀≦)

でも 「私は命」。。。
命が私を生きている。。。というメッセージを頂いてから 何とも言えない安堵感に包まれました。

わたしの中でパラダイムシフトが起こった瞬間です。。。

いつも 色々な気付きを有難うございます
Posted by Atsumi at 2017年01月13日 14:18
いま買出し終わりました
ウコッケイの酢卵と
カブときゅうりの漬物と
サツマイモを干して干し芋を作ります…

阿部さん
目の前のこと以外幻想なんでしょうから(^^)


ワクワクアドベンチャー、まだまだ続く?(笑)
Posted by トモコ at 2017年01月13日 14:28
名古屋は?っていっておきながら実はどこにもいけない私、でも、そんな私はそもそもいない。

いや〜、娑婆はきついです。もうね、きつすぎて強制終了を願ってしまうこともあります。でもまあ、リラックスすることでなんとかかんとか切り抜けます。だってほら、どうせこの世は冗談みたいなものなんだもの。

いつもありがとうございます。
Posted by クゥ at 2017年01月13日 14:43
いつもありがとうございます。
出だしの
>毎朝こうしてPCの前に座り
が、
>毎朝うんこしてPCの前に座り、
と読めてしまいました。
今日は攻めているなぁーと思ったんですが、
勘違いでした。
今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2017年01月13日 15:04
「大丈夫」なんて言葉は届かないかもしれないときもあるけれど、
それでもやっぱり、何者であっても本当は最初から救われている。

どんなストーリーがあったとしても、本質には影響を与えられない

存在にはかすり傷も付きもしない。

存在は 奥の方からすべてをただ 見ているかのごとく。

それはしだいに広がってゆき、 全体そのものとなるかもしれない。

しかしそんなことよりも、気楽になることがまずは一番なんだとわたしも思う。
Posted by 薄茶色 at 2017年01月13日 15:39
先日遠くに住む大好きだった人が亡くなりました。

 あの街へ行っても、もう彼はどこにもいないと思うととても寂しく、悲しい。

 彼と過ごした日々の記憶は宝物になりました。
Posted by コーヒー&ナッツ at 2017年01月13日 16:38
阿部さん。「それ」(本当のあなた)は、魂(ソウル)の事ですか?
Posted by 永井新吾 at 2017年01月13日 16:39
ぼたん椿☆ さん

詳しいご説明、ありがとうございます♪

興味深くコメントを拝見させて頂きました。

人の意見は、千差万別、マインドの数だけありますね。

全宇宙には、いろいろな次元があるのでしょうね。

人間は、この次元しか知りませんが、
それも仕方のないことだと思います。

実相は、あらゆる次元を在らしめているこの宇宙で唯一の実在です。

ですから、すべては、実相の形ある顕れです。

人間は、それらを識別し、固有の名前をつけました。
自分たち自身をも、人間という名で呼んでいます。

しかし、それらは、すべて、名前と形が違うと自我が認識し、識別して決めているだけで、
この決めつけ、ルールは、地球上に暮らす人間の世界でしか通用しません。

人間は、地球でしか生きられないので、
それはそれで何も困ることはありませんから、
それでいいのであれば、それでいいのですが、
名前がついたことで、自分たちは、この宇宙で唯一の実在とは別の存在だと勘違い(錯覚)するようになってしまいました。

目に見えない高周波のエネルギーも、
自我にはわかりませんが、物質世界には存在しますね。
 
しかし、それも、肉体があるとしている自我の錯覚が、
見誤りを起こした幻のひとつだと言えます。

実相は、こちらからすると、何もない無のように感じますが、実はそれが実在で、
こちらの物質的な世界の方が、実は、実体のない幻なのです。

もちろん、これは、一意見ですので、
誰の同意も必要ありませんが、
こんな意見もあるということで、書かせて頂きました。

ぼたん椿☆さんのご意見も、参考にさせて頂きます。

ありがとうございました(^o^)
Posted by 実相と虚相* at 2017年01月13日 18:03
こんばんは(・ー・)ゞ

コメントありがとうございます <(_ _)>

rakuniさん

たしかに。余計でした

1日のうち、どのくらい 完全に今に在れてる のか気になりました!

覚者なときもある
ストーリーにハマる時もある

それでいいんですよね(^ー^)

僕はほとんどストーリーにハマってますが、、 まあいいです。

今に在る ときは自転車に乗って街を走ってるだけで楽しく 神秘的に感じたりするんですが、

今に在る とか 覚者 って言葉 的を得てるんでしょうかね。

まるまる さん

24時間
誰でもないってもしかして菜穂さんですか??はは

とりあえず
ありがとうございました (・ー・)ゞ
修行します
Posted by 大阪府 at 2017年01月13日 18:39
阿部さんに、ずいぶん苦しみを軽くしてもらいましたよ。
楽にしてもらいましたよ。
本当に感謝しています。
ありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。(^_^)
Posted by とん at 2017年01月13日 20:33
模察さん

コメントありがとうございます
滋賀も今日は寒くて、明日は雪が降るようです

お茶を一杯、どうぞ~



昼間は…ただ在る…

夜は…ただ寝る…


これが悟りの基本でしょうかね


ブッダ☆ブッダ☆


おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月13日 20:45
yeah!(๑˃̵ᴗ˂̵)/彡˚⁺˳✧༚・*:.。.:*・゜゚・*
へへへへへへへ波へへへへへへへ波へへへへへへへ波へへへへへへへ波


*:.*・゜゚・*:.'・*:.。. .。.:*・゜゚・>* ))))><<〜〜〜*・*:'・*:. .。.:*・゜゚・*


……〜〜〜->>河豚◎3*・:*:.。:・* .。o .。.

⚪︎
⚪︎ .*・゜゚・*.。. >* ))))><<<〜 ::*・ ……
・*:.。.:* ・''・*:.。. .

*:.。 … 〜〜〜 > ><((((*く⚪︎








つつく (´・ω・?`)))))><<<〜 〜 ……
Posted by 大操業祭 at 2017年01月13日 20:53
>私の肉体

>という「私」からの解放。

いまだに、これがどういう感覚かがわかんないです(笑)
「これって、どんなんだろ~?」というワクワク感だけは持ち続けつつ、
こだわらない事にしてます。

そんな自分でも、『思考』とか『頭』に偏ってても、

>したがって、力を抜いてリラックスすること。
>完全な受け身になって、すべてを手放すような感じです。

これを心がけ、深呼吸したり、ストレッチしたりで、どんな状態でも、
その時なりにちょっと気分良くなる事くらいはできてるので、
それでいいんだろうと思ってます。
Posted by ただの「自分」 at 2017年01月13日 21:26
今日の記事で、阿部さんは、
誰も、生まれていないし、死なない、
と書かれていますが、

とすると、
 
誰が、昼間、ただ在るのですか?
 
誰が、夜、寝るのですか?
 
そして、誰が、悟るのですか?

誰も、生まれていないのに?(笑)
Posted by わたしは誰か?* at 2017年01月13日 21:42
模察さん

> どの瞬間においても色即是空 空即是色です。

熟睡中にも色はあるんですか。
Posted by rakuni... at 2017年01月13日 23:42
肉体からの解放とは、肉体感覚が無くなることです。
肉体感覚が無くなることで、肉体も錯覚が生み出してる幻だということがわかります。

肉体感覚が無くなるとは、ちょうど、部分麻酔で、身体の一部、或いは全身の感覚が無くなるのに似ています。

そう考えると、想像しやすいと思います。

理屈から言っても、感覚は、感覚神経によって脳に情報が伝達され、
その情報を脳がキャッチして、脳内で感覚を再現している訳ですから、
この神経回路が遮断されれば、体性感覚は無くなります。
(それが、麻酔の効果です)

麻酔もしていないのに、それがどうして起こるのか?という原因については、まだはっきりとは言えませんが、
おおよその仕組みは、そういうことだと思います。

すべての感覚は、神経回路を情報が伝達される働きによってもたらされています。
そして、その神経回路が正常に働くには、重力が関係している、という説があります。

無重力の宇宙空間では、感覚がマヒし、体性感覚が無くなることが報告されているそうなので、
わたしたちが感じているリアルな実在感は、重力が関係している可能性があるかもしれませんね。。

いずれにしろ、見えない力によって(それが重力かどうかはわかりませんが)、
本当は無いのに、あたかも在るかのように、
そこにリアリティを感じる錯覚が起きている可能性は、十分あると思います。
Posted by 錯覚の原因* at 2017年01月14日 00:04
だ・か・ら

その答えを知りたければ

わたしは誰か?などと問うておらずに

はよ寝ることです(笑)

午前2時の丑三つ時、自我の自分は完全に消滅して
その答えそのものになっているわけですから


ブッダ☆ブッダ☆


おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月14日 00:17
阿部さん、私は人が人生を生き、そしてその中でそれを超越したものに触れ始める媒介こそが愛だと思います。

なので、愛について、また書いてほしいと希望しています。(過去記事でも書いてらっしゃると思いますが。)

今日もありがとうございます。
Posted by PONONANDA at 2017年01月14日 00:23
源泉(存在・いつもある精神統一)が夢(もし?私)をみさせ

源泉がそれをおわらせる

じつは自分はなにもしていなかった

すべてパーフェクト

オートマチック

https://m.youtube.com/watch?v=-9DxpPiE458
Posted by なう at 2017年01月14日 06:59
「天上天下唯我独尊」 って
「宇宙に自分はただ一人だから尊い」 ってことじゃなくて
「宇宙のどこもかしこも ただひとつとしての自分であり
 比べようもなく 全てを生きている 命として尊いんだよ」 ってこと?

毎日毎日 この ちっぽけな体と頭で 意識が起動されて
間違っても 朝起きたら 違う人になってるなんてことはないし
そんな宇宙規模の 壮大な感覚も 一回だって体感したことないから
どこかにあるユートピア的な 夢物語なんだよな~ はぁ・・・
Posted by be at 2017年01月14日 09:03
甲賀忍者 さん

それでは、
寝ている状態は、生まれてもいなし、死にもしない、という自分の本当の正体と同じだということですね?

確かに、お釈迦様の涅槃寂静も、もう二度と目覚めることのない永遠の眠りについた状態ですものね♪
(阿部さんも、涅槃寂静は難しいことではない、と書いていますし?笑)

しかし、そんな簡単なことなら、どうして、お釈迦様は、毎晩寝ればわかる、と言わずに、
弟子たちに、多くの教えを説いたのでしょうか?
その後の、多くの仏の教えを説いた人々も、
寝ればわかる、と言わずに、仏の教えを説いた多くのお経を遺したのでしょうか?
阿部さんも、そうは言いませんし、
寝ればわかると言っている聖者は、知っている限りでは一人もいません(^o^;

クドクド説かずに、たった一言で終わってしまうのに、
何千年も、このことを言っている人が、一人もいないのは不思議ですね?(笑)
 
それはそうと、寝て起きると、苦しみがまた戻ってきてしまいますが、
それは、お釈迦様が説かれた苦しみの消滅と言えるのですか?
確かに、寝ているときは、苦しみや悲しみは、(一時的に)消滅していますが、
人間は、毎日寝ていますが、
寝るだけでは、苦しみが完全に消滅するとは言えないように感じています。

人間は、寝ている時よりも、起きている時間の方が長いので、
寝ている時だけ、真実にある、としても、
起きている時は、そうでないなら、
その気付きは、多くの人の役には、ほとんどたたないと感じますが、
甲賀忍者さんには、それで充分だということなのですね。。。

寝ればわかるということに、???が浮かんだので、いろいろ書きましたが、
それをご本人が信じていることには、異論はありません。

ありがとうございました。
Posted by 一時的な解放と永遠の解放* at 2017年01月14日 09:37
刻。

丑三つ。


放り投げた、掛け布団。

部屋の隅っこに押し出された、まくら。

丸められた、敷き布団。

.....

いなかった。

(消えたのか)

.....

ジャー    ぐゔぼぉゔぼぉ

バタン。


冷えるのぉ〜。

(いた)


闇夜にパンパン。

かしわで。

習慣のよお。
Posted by 日和る at 2017年01月14日 10:02
大いなるジョーク*さん
>何故、人間は、生まれてくるのか?という疑問についてですが
>誰も生まれてはいないので命題不成立?

「私」が生まれていない事と「人間」が生まれてくる事は、別問題です。

大いなる命といまここ* さん
>"いまここ"と、この大いなる命は、同じひとつのものですか?

大いなる命もいまここも「もの」ではないので「同じひとつのもの」でもありません。

お聞きしたいこと さん

自己啓発と真実の探求は 目的が違うので 良し悪しを比較する対象になりません。

永井新吾さん
>「それ」(本当のあなた)は、魂(ソウル)の事ですか?

大いなる命から「飛び出してきた心」が「色々」に入って「躍動する」。
この「心」が「魂」と言われているものの方だと思っています。

わたしは誰か?*さん

誰も、生まれていないし、死なないので。甲賀忍者の書いている通り。
「ただ(唯)」が「在って」「ただ(唯)」が「寝ます」。

錯覚の原因*さん
>麻酔もしていないのに、それがどうして起こるのか?

その身体の感覚そのものが「夢」だからです。
もしも「本当ならば」麻酔でもしなければ「なくなりっこない」訳ですけれど。

rakuni... さん 
先日のコメ 読んで頂いたのに わかりづらくて すみません。
ありがとう、精進します。。
横れすですが。
「熟睡」は「熟睡」と名付けた時点で「色」です。
この頃の話題ですが。
「無我」は「色の中の無我」の話なので「熟睡は無我」は「否定できない」話です。
ただ「その信仰」を押し付けられる必要もないので「理解する必要」もありません。

大阪府さん

菜穂さんでもないし、ノンデの信者でもありません。

ybさん。(省略しても通じると知ったまるまるである)

遅ればせながら、暖かいレスポンスありがとう。いつも感謝してます。
Posted by まるまる at 2017年01月14日 10:05
ねる。


[練る ]

<意味>

こねくり回すこと。   

とことんがつくと、とことんこねくりまわすの意となり、極みをあらわす。




``
Posted by 日和る at 2017年01月14日 11:35
まるまる さん


>「私」が生まれていない事と「人間」が生まれてくる事は、別問題です。

>誰も、生まれていないし、死なないので。甲賀忍者の書いている通り。
「ただ(唯)」が「在って」「ただ(唯)」が「寝ます」。

この二文は、矛盾していませんか?

誰も生まれていないのなら、人間も生まれていない、ということではありませんか?
それから、”ただ(唯)”って、何ですか?
”ただ(唯)”と言われても、よくわかりません^^;
わたしたちは、”ただ(唯)”なのですか?
この世に、”ただ(唯)”が在るのですか?
(まったくわかりません。。。スミマセン)

>大いなる命もいまここも「もの」ではないので「同じひとつのもの」でもありません。

(言葉の問題があるようなので、書き直します^^)
それでは、大いなる命=いまここ、ですか?

>その身体の感覚そのものが「夢」だからです。
もしも「本当ならば」麻酔でもしなければ「なくなりっこない」訳ですけれど。

夢だから、と結論づけるのは、簡単です。
そういうことを書きたいのではなく、
条件さえ揃えば、誰にでも起こり、それによって、
この肉体が在るという確信が揺らぎ、
そのことで、はっきりと、この世は夢だとわかることになるのではないか?と思っています。

自分の肉体でさえ無い、ということがわかれば、
自我は消滅せざるを得ないでしょう。

ただ、どういう条件でそれが自分に起きているのか?は、
まだはっきりとしていないので、今の段階では言えない、と書いただけです。
Posted by ?問答* at 2017年01月14日 12:35
まるまるさん

熟睡中はそれを「熟睡」と名付けることはできないと思います。
なので、熟睡中に色があるのか疑問は残ります。
Posted by rakuni... at 2017年01月14日 12:50
*さん

はじめから誰もいないので
熟睡中も、食事中も、散歩中も、ずーっと解放だけがあるのですが

自分が存在していると思っているほとんどの人に
これを言っても?になるので、まずは

自我の自分が消滅している熟睡中がまことの悟りで
自分がいると思って、この現象界を生きていることの方が夢である

というのです

そうすれば

自分が存在していることは夢であって
起きているようで起きていない

解放だけがずーっとある
ということがわかりやすいでしょ?



今、手元にありませんが、
ラメッシさんが誰がかまうもんか?という本の中で
熟睡が覚醒状態ということを言っていたように思います



(自分が存在していることも含めて)
存在している全てのことは現れては消えて行く幻で
存在でないものだけは…無だけは…不生不滅

そして

その無は、毎晩毎晩の熟睡中に訪れている

僕にとってはこれで十分でありまして

本当に熟睡中に自我の自分が完全に消滅しているのか?
ごく僅かに自我が残っているんじゃないの?

ということはあまり重要ではありません



痛みに関しては、必ず、
お医者さんの診療を受けていただきますように


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月14日 14:14
問答*さん
>この二文は、矛盾していませんか?
誰も生まれていないのなら、人間も生まれていない、ということではありませんか?
それから、”ただ(唯)”って、何ですか?
わたしたちは、”ただ(唯)”なのですか?
この世に、”ただ(唯)”が在るのですか?

人間を含む、森羅万象(諸行無常)の方が「唯(ただ)」です。
なので 唯(ただ)は 生まれて、死ぬ。得て、失われる、という定めがある「方」です。
「全ては唯一(ひとつ)」とは「私+私以外」なので「生まれない私」と「ただ」で「全て」。←ここで「事実」。
ヴィッパサナーの「鑑賞者(私)」と「ムービー(ただが起きてる)」の関係。起きることだけが起きてる。
ここで「気づき」の第二段階。

で、真実は「私(無)」のみだった、という事から、じゃあ「ただ(唯)」とは何なのか?の探求。
において「ただ」とは「私」から飛び出した「私の心(想い)」であったのだ、という方向。
ただは「想い(愛)」なので「非存在」=無我。「何も起きてない」←ここで「真実」。
ここで「気づき」の第三段階。

>それでは、大いなる命=いまここ、ですか?
大いなる命が「生まれない私(一)」で いまここが「ただ(唯)」。

> 夢だから、と結論づけるのは、簡単です。
そういうことを書きたいのではなく、条件さえ揃えば、誰にでも起こり、それによって、
この肉体が在るという確信が揺らぎ、そのことで、はっきりと、この世は夢だとわかることになるのではないか?と思っています。
自分の肉体でさえ無い、ということがわかれば、 自我は消滅せざるを得ないでしょう。
ただ、どういう条件でそれが自分に起きているのか?は、まだはっきりとしていないので、今の段階では言えない、と書いただけです。

はい。「本当(事実)」には条件が要らないんですよ。だから、条件が揃う必要も 勿論ない。
で、逆に「自我は その条件(ストーリー設定)が無ければ 存在出来ない」から あなたは「自らの自我の存続延長の為に 条件を探してる」んです。
もっと言えば「あなたの身体に心が絶対定住しているならば」麻酔でも打たない限り「感覚が不在になる」って事が「在り得ない」んです。
すなわち「麻酔も打たないのにも関わらず、感覚が不在になってしまった」という「すでに経験した事実」は
「心(感覚)」があなたの身体の中に「定住していないのではないか?」と疑う方が「自然」なんですよ。 
対してあなたは「自分の自我を疑えないから」「自我が自分である為」に「心が身体に定住している条件」を探してる。んです。
はっきりしてないのは「自分という自我の存在」の方なのに「真実がはっきりしてない」と思い込みたい。
「嘘で誤魔化しきっている」んですよ。これがストーリーの魔力なんだけど。

rakuni... さん
>熟睡中はそれを「熟睡」と名付けることはできないと思います。
なので、熟睡中に色があるのか疑問は残ります。

そうです。
熟睡中に熟睡を名付けられないから「睡眠」から出てきた後に「あの時」を「熟睡」って名付けているよね?
起きてる時にしか「熟睡」は「熟睡」とは言えない訳だ。
だから「名付けた時点」で「色」。
熟睡中と言える「その場」は名づける前だから「無」かもね?
Posted by まるまる at 2017年01月14日 14:33
まるまるさんへ。

>大いなる命から「飛び出してきた心」が「色々」に入って「躍動する」。この「心」が「魂」と言われているものの方だと思っています。

お答えありがとうございました。すみません。一つ聞かせてください。
「色々」ってなんですか?もしよろしければ、お教えください。
Posted by 永井新吾 at 2017年01月14日 15:51
前阿久根市長で市議会議員の竹原信一さんのブログ「住民至上主義」のなかでも度々“自分”について言及しています。なかなか参考になり面白いと思いました。
Posted by かんかん at 2017年01月14日 16:00
まるまる さん

いろいろ解釈を書いて頂きまして、ありがとうございます。

一点だけ。

>「本当(事実)」には条件が要らないんですよ。だから、条件が揃う必要も 勿論ない。

自分の身体が、無条件に、消えてしまう、という現象が起きる理由を知りたい、と思っているのは、
一般的に、よく起こることなら、もう誰かが、その原因、理由を解明してくれているように思いますが、
どんな本にも、書かれていないように見受けられるので、
(少なくとも、そのような文献、情報にいまだ出会っていません)
個人的に、自分に起きている現象の原因と理由を知りたいだけです。

これは、ある意味、人体実験なのです。

たまたま起きている、ということはないと思っています。
この世で起きている現象ですから、そこには何らかの条件があると思っています。
(因果の法則、原因と結果の世界での出来事なので・・・)

クンダリニーが上がった時は、身体が全部無くなりましたが、
今回は、それとは違い、クンダリニーは関係ないようです。

身体が、自然に穏やかに、消えいていきます。
(微細エネルギーが関係しているようですが、
 どうして、微細エネルギーが関係しているのか?が、よくわかりません)

これも、夢の中で起きていることだと思っていますが、

例えば、いつもは静かな心臓が、訳もなく、バクバクしたら、
その原因と理由を知りたい、と思うことは自然だと思います。

自分の身体に起きている現象の原因と理由を、
当事者の本人が知りたいと思っているだけです。

しかし、それが、はっきりと突き止められても、
個人的に納得するだけですが・・・笑
Posted by ?問答2* at 2017年01月14日 17:38
まるまる さん

もうひとつありました!^^;

>大いなる命が「生まれない私(一)」で いまここが「ただ(唯)」。

「生まれない私(一)」って、どういう意味ですか?
何のことを指しているのですか?

阿部さんが書かれた”大いなる命”は、この宇宙の唯一の実在のことだと理解していますが、
まるまるさんも、同じですか?
(もし、違うのなら、それに対するご説明もお願いいたします)

ということは、真の実在=「生まれない私(-)」ですか?

よく、わかりません><;

もし、良かったら、もう少し、ご説明をお願いします。
Posted by ?問答3* at 2017年01月14日 17:51
>このような情報は、存在全体に溶け込んだ時に理解することになります。

ふーん、どういう世界なんでしょうね。
Posted by ひよどり at 2017年01月14日 17:59
甲賀忍者 さん

ご丁寧なご説明、ありがとうございます^^

頂いたコメントについて、以下の部分が気になりましたので、
失礼とは思いましたが、書かせて頂きますね。

>はじめから誰もいないので
熟睡中も、食事中も、散歩中も、ずーっと解放だけがあるのですが

>はじめから誰もいないので、

はい、その通りだと思います^^

>熟睡中も、食事中も、散歩中も、ずーっと解放だけがあるのですが

この”解放だけがある”とは、解放された状態がある、という意味ですか?
それに、解放=無、ということですか?

解放が”在る”としたら、”無”ではありませんよね?

”無”しか無いのなら、解放も無いんじゃありませんか?

解放とは、縛られた状態が解けることを指す言葉なのではありませんか?

最初から、束縛も含めて何も無いならば、解放もあり得ませんよね?

人間は、有限であり、束縛された、自由ではない存在なので
(と多くの人が思っていると思います。
それは、少なくとも、時空と因果の法則に縛られているからだと言えますね)
その人間が、実は、そうではなかった!となって、初めて、解放が起きるのではありませんか?

何も無い次元では、解放も無い、とは言えませんか・・・?
(そう言えば、ノン・デュアルティストが、そんなことを言っていたような記憶ですが・・・^^;
ノン・デュアルティは、”無”についてしか語らないので、まったく興味ありません。
この世は、”無”ではありません。本当に、”無”だったら、夢も幻も起きません)

>僕にとってはこれで十分でありまして

>本当に熟睡中に自我の自分が完全に消滅しているのか?
ごく僅かに自我が残っているんじゃないの?

>ということはあまり重要ではありません

そうですか。。。
了解しました^^

>痛みに関しては、必ず、
お医者さんの診療を受けていただきますように

アドバイス、ありがとうございます^^
実は、今は、痛みは、ほとんどありません。
田舎暮らしを始めて数年したら、奇跡が起きたように、難病は良くなりました^^
なので、病院へは、もう何年も行っていません。
不思議ですが、こういうことが起こると、
病も、自分が作っていたのだ、ということが、はっきりとわかりますね♪
本来は、”わたし”もいない、身体も無いのですから、
病などあるはずはないので、当たり前と言えば、当たり前なのでしょうが・・?(笑)
このことに気付くために、この”わたし”には、いろいろな経験が必要だったのでしょうね。。
これもストーリーですが、ストーリーのエンディングは、思ったより、静かで穏やかなので、有り難いです^^
Posted by 一時的な解放と永遠の解放* at 2017年01月14日 18:24
永井新吾さん
「色々」ってなんですか?

「色」の複数形です。
世界って「色」が単色じゃなくて「色々」っていうだけの事です。

問答2*さん

>個人的に、自分に起きている現象の原因と理由を知りたいだけです。

あなたの質問の答えが「個人という自分は誤解(夢)」で「大いなる命だけが生きている」という、この記事だと思うんです。けど。
ご自分でも「これも、夢の中で起きていることだと思っていますが、」って書かれている訳だし。。
それでも「私が話していることは そういう事じゃなくて」と言う部分を 想像してみると。
あなたが頭の中で、ある妄想を描いてて、その原因と理由を知りたいとか、「**の体が本当に消えてしまう」という事が現実に起きていて、
その原因を解明したいという話をしてるならば、その相談先は「大きく医療」の分野なのかな?と私は思います。

>そして、その大いなる命こそが、本当のあなたなのです。
「生まれない私(一)」は、本当のあなたって言い方が好みじゃないので 別表現にしました。
「唯」と「一」で「唯一」になるのが小洒落てるな~って思って 使っただけです。
Posted by まるまる at 2017年01月14日 22:55
はじめから誰もいないので、解放ということもあり得ない

そうですよね。それは菜穂さんの本の中にも書かれていたと
思います



ノン・デュアリティが無しか語らないというところはよくわかりません



自分が寝ている時に、脳波を測っている人がいて
あなたには微妙に自我が残っているままだったと言ったとしても

爆睡した時なら、そんなことは気にならないのでしょうね(笑)

それでは今晩もおやすみタイムがやってきました

午前2時にあいましょう(ブッダ)


おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月14日 23:09
>>模察さん

確かにその通りだと思いました。
ありがとうございました。

>>まるまるさん
自己啓発と真実の探求は違うんでしょうか?
どちらも真実を求めて、それぞれ自分がいる段階においての答えを出している。
どちらもその人から見れば正しいのかもしれませんが、真実という点だと、
ワンネスなどの方が正しく思えてしまいます。
そこが分かりませんでした。

ありがとうございました。
Posted by お聞きしたいこと at 2017年01月14日 23:58
>その原因を解明したいという話をしてるならば、その相談先は「大きく医療」の分野なのかな?と私は思います。

ご心配頂きまして、ありがとうございます^^

ラーマ・クリシュナも、最初は、気が狂っている、と評価されていたそうなので、
人の評価は、そんなものでしょう(笑)

精神的な病は、今のところ、持っていないと思っています。
病院へ行くとしたら、歯医者ぐらいでしょうか?

クンダリニーが目覚めたり、身体が消えていく(前三昧状態)が起こることが、
まるまるさんには、精神病の一種に思えるのですね?^^;

この世の中には、自分が体験したことがないことでも、体験している人も沢山います。

UFOを観たことのある人や、(幽)霊を見たことがある人。。。等、
両方とも、体験したことはありませんが、体験した方々から、そんな話を聞いたことはあります^^;

その人の世界では、実際に起きたことで、嘘をついているということでもないと思いますが、
ただ、私は、同じ体験をしたことがないので、話についていけないので、
それ以上、そういう話に突っ込んでは行きませんが(笑)

何故なら、いくら話を聞いても、体験がないので、わかりませんし、興味も湧かないからです^^;

>「生まれない私(一)」は、本当のあなたって言い方が好みじゃないので 別表現にしました。
「唯」と「一」で「唯一」になるのが小洒落てるな~って思って 使っただけです。

あ~そういうことなんですか!
どーりで、わからないと思いました!
個人的に使われている表現だったんですね!

なので、書かれたことが、まったく、理解できませんでした!(笑)
Posted by ?問答のおわり* at 2017年01月15日 00:53
甲賀忍者さん

> はじめから誰もいないので、解放ということもあり得ない
>
> そうですよね。それは菜穂さんの本の中にも書かれていたと思います

書かれていましたでしょうか。
記載箇所を明記したほうがよいと思います。

大和田菜穂さんは、著書「すでに愛の中にある」
69ページに下記のことを書いています。

> 目覚めと解放はまったく違うことを意味します。
> (中略)
> 目覚めはある意味経験的で、その経験のあとに個人が
> それを自分の経験として所有します。
> (中略)
> この経験は解放とは関係ありません。
> (中略)
> 解放が起きたときは、その経験を自分のものとして所有する人は
> もういないのです。解放とはエネルギー的なシフトです。
> 収縮した個人的なエネルギーが「全体」に解けて消えることです。
> 「全体」だけが残ることです。
>
> 第5章 目覚めと解放 - 目覚めと解放の違い

「解放ということもあり得ない」という話は上記の内容とかみあいません。
Posted by rakuni... at 2017年01月15日 01:16
>はじめから誰もいないので、解放ということもあり得ない

>そうですよね。それは菜穂さんの本の中にも書かれていたと
思います

そうなんですか・・・?

この身体が”わたし”だと思い込んでいる人間が、
その思い込みが、ボロッと取れた瞬間は、解放感が起こると思いますが・・・?

この世にいる人間で、物心ついた時から、誰もいない、と結論できる人間はいないと思いますよ(笑)
そういう存在は、(多分)、人間という形をもって地球に在ることは、ないでしょう。

>ノン・デュアリティが無しか語らないというところはよくわかりません

そうですか。。。

言葉で語ると誤解が生じてしまいそうですが、
ご参考までに、こんな文をご紹介させて頂きますね。
(この宇宙の源は、”無”ではない、ということが書かれています)

『智慧の道(ジュニャーナ)を修行する人は、これではない、これでもない、と感覚を通してわかる智識を次からつぎへと捨てていって、そうして最後にブラフマンを知ることができる。
ちょうど階段を一段一段上がって屋根にのぼるようなものだ。
ところが、もう真理を体得(つか)んだ人は、つまり屋根の上に上がってしまった人は、さらにあの御方に近づいて、それ以上のものを見ているんだ。
その人はね、屋根と同じ材料の煉瓦やセメントで、一つひとつの階段もつくってあるのだということがわかるんだ。
これではない、これでもない、と打ち消しつくして、最後にはブラフマンとして感じとったもの、それ自身が、一つひとつの生物(たましい)と世界に成っているんだよ。
真理(かみ)をつかんだ人というのは、無性無相の”それ(タット)”が、ありとあらゆる性質と色相なんだということがわかっている。
屋根のてっぺんに人は長いこと居るわけにはいかないから、また下りてくる。
三昧に入ってブラフマン智を得た人びともまた下りてきては、生物や世界に成っているのは、”それ”、ブラフマンそのものだということを納得するわけだ。
”私”がすっかりなくなるわけにはいかない。
私がとりもなおさず、”それ”で、”それ”が生物、世界、あるとあらゆるものだとわかる。
これを大覚(ヴィジュニャーナ)というんだよ。』
(ラーマ・クリシュナ 不滅の言葉 より)

おやすみなさい!^^
Posted by タット* at 2017年01月15日 01:24
まるまるさん

度々すいません。

> 熟睡中と言える「その場」は名づける前だから「無」かもね?

色も空もないということですか

(空即是色なので空だけの状態というのはないと思います)
Posted by rakuni... at 2017年01月15日 03:01
2 26

ユタ
Posted by みちばた at 2017年01月15日 09:13
まるまるさんへ。了解いたしました。ありがとうございました。
Posted by 永井新吾 at 2017年01月15日 09:22
問答のおわり*さん
>>その原因を解明したいという話をしてるならば、その相談先は「大きく医療」の分野なのかな?と私は思います。
>ご心配頂きまして、ありがとうございます^^

「心配」してません。この感受は誤解です。

>ラーマ・クリシュナも、最初は、気が狂っている、と評価されていたそうなので、
> 人の評価は、そんなものでしょう(笑)

「心配」が誤解なのですなわち、この文章も誤解によって進んでしまった文章です。
「人の評価はそんなものだ」という決めつけも 厄介な思い込みだと思います。

> 精神的な病は、今のところ、持っていないと思っています。
> 病院へ行くとしたら、歯医者ぐらいでしょうか?
>クンダリニーが目覚めたり、身体が消えていく(前三昧状態)が起こることが、
>まるまるさんには、精神病の一種に思えるのですね?^^;

私がわざわざ「大きく医療」と書いたのに あなたはそれを「精神の病」って決めつけて 読み続ける訳ですよ。
で、結果的に「まるまるは私を精神疾患と断定してる」とまで 誤解が進んでいく訳ですよ。
こういう独りよがりの思考回路って 仲良くできるものも出来ないというか 困りものだなと 思います。

>この世の中には、自分が体験したことがないことでも、体験している人も沢山います。
>UFOを観たことのある人や、(幽)霊を見たことがある人。。。等、
> 両方とも、体験したことはありませんが、体験した方々から、そんな話を聞いたことはあります^^;
>その人の世界では、実際に起きたことで、嘘をついているということでもないと思いますが、
>ただ、私は、同じ体験をしたことがないので、話についていけないので、
>それ以上、そういう話に突っ込んでは行きませんが(笑)

「個人的体験は全て夢の中の出来事なんですよ」という話をし続けているのが このサイトだと思うんだけど。
だから「その個人的体験は夢(だから辻褄も合わないし、理由もないし、説明もつかない)」って話したら、
「私の個人的体験は夢じゃなくて」という「返し」が来たから じゃあ、ここじゃわかんないねって事。

>何故なら、いくら話を聞いても、体験がないので、わかりませんし、興味も湧かないからです^^;

もしも、自分に起きている「つじつまの合わない現象を精神世界の方から理解の糸口を見つけたい」と考えているならば、
こういう「自分ではないものに起きている事(すなわち 全体理解)」に少なくとも「興味」を持たないと難しいと思います。
全体に対して 興味が沸かないのが「個人的趣向(自我)」の大好物だからです。

>>「生まれない私(一)」は、本当のあなたって言い方が好みじゃないので 別表現にしました。
「唯」と「一」で「唯一」になるのが小洒落てるな~って思って 使っただけです。
>あ~そういうことなんですか!
>どーりで、わからないと思いました!
>個人的に使われている表現だったんですね!
>なので、書かれたことが、まったく、理解できませんでした!(笑)

例えば「本当のあなた」という言葉も「大いなる命」という言葉も「個人的」であって。
全ての言葉は「個人的」だから悟り(個人的ではないもの)は「不立文字」なんですね。
でも「個人的言葉」だって「何を表現しているのか?」という本体を知っていれば「どんな表現も理解できる」。
例えば「月」を個人がそれぞれの表現で 色々な言葉で示す。
「丸い」「白い」「黄色い」「冷たい」・・どう表現しようと「月の事だ」とわかっていれば「伝わる」。
あなたは「そういう事」がわかってないから、エクスクラメーションマークを4つも付ける事となる。
赤なら赤って書いてくれなきゃわからないじゃないですか!と 興奮する。
でも「赤」って書いてたって それぞれの頭の中にある「赤色」は「違う」んだよね? わかるでしょう?
何故「!」を4つもつけて 主張しているのか? わからないよね?
だから(笑)なんてつけて「理解できなかった自分」を失笑する必要なんて 無いと思うんだよね?

みんな「無知」だから(例えばあなたのグルさんもね?) 自分を貶める必要が無いし、
その理解されない体験も精神世界では「辻褄があう」から 精神科に通う必要もないよ。
でも だからこそ「悟りの探求」では「辻褄を合わせる必要がある」すなわち「事実化」していく必要がある。
と私は思うし それが「禅」という「互いを分かり合う為の」メソッドなんです。

PS。今日の阿部さんの記事でも説明がされていますけど。
あなたの立ち位置は まず「この世の夢性」を把握して その後「世界を楽しむ」という方に続けるんだと思いますよ。
そうしないといつまでも「私に起きた わけわからない不思議な出来事を理解されない」という苦しみが残るんじゃないですか?
「夢だから辻褄なんて合わないんだ」という理解が起きれば それで 大体 いいんじゃないですか?

rakuni... さん

そうです。空も色もない所で「無」です。
対照する二つが同時に停止する(例えば 世界と自分の両方が停止する所)。
Posted by まるまる at 2017年01月15日 10:30
rakuniさん…

その次のページに書いていますよ

収縮したエネルギーである私は、幻想ですがとてもリアルで、
表面的にはとてもパワフルに感じられます。

それと同様に、

実は目覚めも解放もストーリーの中のことであり、
実際にはそのようなことに起こりません。

あるのは常に、これだけです。

何でもないものがあらゆるものである☆トニー・パーソンズ
p21

目覚めとか解放などというものはないのですが、
これらの用語は
誰でもないものに起こっているように見えるだけの、
何かを描写するために使われています。



はじめから誰もいないので、
自分が消えた~ということが起きても、
それは起きたようで起きていないということでありましょう

(^_-)

~僕の解釈~


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月15日 10:56
甲賀忍者さん

確認できました。読み落としていたようです。
ありがとうございました。
Posted by rakuni... at 2017年01月15日 11:48
>と同時に、その夢を見ていた主体は、いまも変わらず在り続けていることを直感しました。

ウパニシャッドやOshoは演技者で在れと言っていますが、正にそのような主体に成り切って演技して見るのも面白いかも知れません。
その時に、もし外からの刺激に対してストレスを被るとすれば、それは演技させられているキャラの自分の方であり、キャラなる自分を演じてるという行為自体の方は人では無いので、ストレスは受けようがない分けでして・・・。
つまり、我々が舞台で悪者としての自分を演じるなら、浴びせられる観客の怒りを飼うのは演じさせられてるキャラの方の自分であり我々自身じゃなく、逆に演技している我々には歓びなのかも知れません。(小笑)

キャラとは我々が演じている自分自身のことであり、それはまた、我々が上から糸で操っている人形とも言えます。
苦しんでいる自分自身は糸で演じられている人形なのであり、それは隣のヤッサンが苦しんでるのと大差く、操ってる我々自身は傷付くことも無いので、だから安心して人形を演じていられる(苦しみを味わっていられる)んだと思います。

それはまた、苦しんでいた過去を再現して味わっているのと同じ事であり、我々は今更に苦しむのは嫌かもですが、実際の我々を離れての行為なるがゆえにそれも可能なんだと思います。
これは目覚めには未だ遠いのかも知れませんが、もしこれが目覚めた覚者と同じ感覚であるなら、なかなか良い方便かと思う分けです。

やがて作業興奮に突入するなら、我々が自分自身を演じてるという意識(演技)はマインドフルネスとなって潜在意識に入り我々と一体化し、そして覚者が持つような自然な感覚へと変容するのではないかと、このような推測をしてる次第なのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(u_u;)ヒロシデス
Posted by It's a SONY ♪♪ at 2017年01月15日 12:55
甲賀忍者さんの書かれている通りです。

しかし、人が書いたことを理解することと、
収縮したエネルギーが拡散して、ただひとつに溶け込むことは、
同じではないと思いますよ(^^)

そのことを理解している"わたし"の消滅が起こると、
誰かの文を引用しなくても、ご自分の言葉で、いろいろなことを語れるようになると思いますよ。
阿部さんや大和田さんのように♪

完全に理解したならば、あとは実際にそれを掴むことだと思います(^o^)

肉体を離れるまで、ストーリー(人生)は続きますから、
最後まで、楽しまれて下さいね♪

ありがとうございました♪
Posted by 夢の世界の消滅=目覚め* at 2017年01月15日 13:44
アチャ!
ページ間違えちゃった(>_<)
Posted by It's a SONY ♪♪ at 2017年01月15日 14:48
だからよぉ

そのことを理解しているわたしの消滅は
毎晩毎晩の熟睡中に起きているわけです



もちろん

はじめから自分はいないということですから

布団をかぶって、ぐっすりと眠れば自分は消滅する
ということもストーリーで
起きているようで起きていないわけですが…

しかしながら

自分が存在していると思っているほとんどの人にとって
自分はいないということの一番わかりやすいストーリーである
と思っています


ありがとうございました
Posted by 甲賀忍者 at 2017年01月15日 15:03
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