2016年04月24日

希望が持てない話

人類全体が、いまあるがままのものを見失って、ありもしない明日に取り憑かれているのは、まるでマジックのようだ。

というより催眠術かもしれない。

みんながそうだから、誰もそのことを疑わない。


たまたまいまここに目覚めた者が、「夢から覚めよう」と声をかけても、それさえも明日の目標になってしまう。


なぜこれほど明らかな真実を、人類規模で見失うことができたのだろうか。

すっかり眠りこけていると、自分が眠っていることに気が付かない。

人類全体が催眠術にかかっているなどと言えば、大言壮語にしか聞こえない。


真理はあるがままに、いまも目の前にあって、いままで一度も隠されたことがないのに、真理に対する書物は山ほどある。

きっと人は、あるがままの真理より、真理について語る方が好きなのだろう。


あるがままをあるがままに見ることができたら、それがゴールだ。

そのゴールは最初から与えられていたので、スタート地点でもある。

いままでに一度も隠されたことがないのに、一度も気がつかないで死んでいくなんて。


まずは、この人生が幻滅しか与えてくれないことを見抜くこと。

意味を後付して、人生に意義があるかのように思いたくても、それらが独りよがりの慰めだということを見抜くこと。

少し過激な表現になってしまったけれど、人生が無意味であることを見抜くことが基本的な第一歩になる。


このアプローチに徹底しようとした仏教は、西洋では厭世主義(ペシミズム)に見られてきたけれど、実際にはこの道しかなく、最も誠実な教えだと思う。

しかし仏教さえも、人生の意義を深めるための道具にされ、素晴らしい明日を約束してくれる教えになってしまった。

一般受けはしないけれど、まずは人生に幻滅し、明日への希望が一切絶たれることが必要なのだ。

その時初めて、あるがままのいまに目を向けるチャンスが訪れる。


この夢が、目覚めたくなるくらい悪夢になったとき、それが仏の膝元だ。


もうこのあたりで、いいんでねえ?

十分に悪夢だと思うけどな・・・



人生に希望はない!!


あはは、言い切ってみればなんだか爽やかでしょ?


さあ、ご一緒に


「人生に希望はない!!!」


はい、真理へのチケットを差し上げます。

やっと、あるがままのいまに目を向けることができるようになりました。

皮肉なことに、ここには求めていた全てがあります。


苦しみが消えた世界にようこそ。


真理! (天地真理じゃない)

汝の名は「至福」




Posted by Toshiro Abe at 11:10│Comments(105)
この記事へのコメント
一人じゃないって~
素っ敵なこっとね~♪

もぅ、思わず唄ってしまったでは
ないですかぁ~(笑)
Posted by J at 2016年04月24日 11:22
いいですね♪
Posted by 章記 at 2016年04月24日 11:26
ひとりひとりに

いま ここ しあわせ

マウントレーニア

(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)(*´▽`*)

https://www.youtube.com/watch?v=BtCBkzIJCXI
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2016年04月24日 11:34
人に生は無い。夢も希望も明日も 何も無い

あるがままの生が あるだけ。それさえも意味は無い・・

何も無くて全部が ここに在る。 そして起きていて起きていない・・
Posted by EMI at 2016年04月24日 11:46
全ては完全、ありがとう!^^
Posted by 近藤 at 2016年04月24日 11:46
へぇー、
俺の波動が変わると、阿部さんの波動も変わるんだなぁ。
面白~い。

なんか宇宙的な感じになってきましたね。(^_^)
Posted by とん at 2016年04月24日 11:49
希望はない!(サッパリ)
じゃあ「いま」を楽しまなくちゃ!とまたがんばらないようにしないと(笑)
でも、ちょっとずつ悩まないようになってきた気がします。
いつもありがとうございます。
Posted by はるみ at 2016年04月24日 11:57
ちょうど読んでいたスマナサーラさんの本にも、「人生は虚しい、苦しい、最後は死ぬだけだ」
をたくさん書いて貼っておきなさいとありました。
Posted by ミッシ at 2016年04月24日 12:02
真理について語る人のいろんな話を聞いてきましたが、どうやっても、最終的に阿部さんの言っていることに行き着いてしまいます。
もう、他の情報はおまけみたいなものに感じてきています。
それでも、つい希望を求めたくなる私がいますが、


「人生に希望はない!!!」
と認めます。受け入れます。諦めます。


チケット頂きました!

あ、そういえばうちの母の名前も真理だった。。
子供の頃、苦しくてたまらなかったのにずっと身近にヒントがあったなんて。。
灯台もと暗し。
Posted by あみやん at 2016年04月24日 12:07
あべさん。

本当に人生に希望はなかったです。

これに気づいた時に思考は減滅しました。

それから、今の現実を受け止め、ただ生きているのですが。

何かをきっかけに、また、希望を持ち始め。。。
毎度、同じパターンを繰り返し。。。

あっ、また、思考に囚われている
って気づき、また、元に戻りと
グルグルの輪から出れなくて。。。

その状況が私の今。

そうやって過ごしていました。

すると、今度は、新しいパターンがやってきて、

最近、毎晩、身体が、不安、恐怖を感じ突然震えだし、汗だくで、

まるで、
得体の知れない、底なし沼にいる感覚。

その時、思考は何もなく、
ただ、恐怖とともに過ごすと消えていくんです。。。

これも嫌だけど、
今起きていること。

悟りとか目覚めとか、目指す!って、以前はカッコつけて、真性の探求とか言っていたけど。

今、静かで穏やかな気持ちで在りたい。


ただ、それのみ。

よほど、不安と恐怖の底なし沼の体験が恐ろしかったからだと思います。

何が起きているか知りたいとは思うけど、
勝手に起きているから、
避けらないし。

こんな感じを体験すると、日常で起きている、様々な問題に悩むどころではなく、

まずは、あの恐怖とは逆な
透明で平和で在ることが
一番にくるから、

思考の作るドラマや幻想は、
限界がなく、
本当に邪魔なんだと思う
今日この頃です。
Posted by ふーみん at 2016年04月24日 12:10
あまち真理!
ツボりました\(^o^)/
冴えてますね~

私は素直だから集団催眠術かかりやすいんですよ♪
Posted by あき at 2016年04月24日 12:16
更新ありがとうございます。

いつも阿部さんに思うことは、自分は特別な存在であるというスタンスではなく、皆に真理に目覚めて欲しい
そんな、優しさを感じます
特別になって知識に埋没する人もいますが
知識より体験するために存在しているのだから
Posted by 尚 at 2016年04月24日 12:23
模察さん

宜しければ で良いのですが

今日の記事の感想お聞かせ願いませんか?
Posted by そうなんでしょうか at 2016年04月24日 12:26
そこへ行くためのはしごなんていらない
どこかへ行くためのはしごなんているわけがない

それは全くの無努力…それは全くの無時間…

風を感じて…耳を澄まして…
今ここに在るものと共にこの瞬間に存在する

完全に今ここに在る時には静まり返っている
完全に今ここに在る時には
自分が存在しているという思いは消えている


はじめから全体だけが在る


真理☆真理☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2016年04月24日 12:26
いつもありがとうございます。
 
しんりではなくて、
まりでいこうと思います。
 
今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2016年04月24日 12:33
>人生に希望はない!!

そもそも、

「人生」

て、何でしょう?

こう書いてる自分としては、「生まれる」前から定義され続けてきた概念の事だと思ってますが、
人によって違う気がします。
Posted by ただの「自分」 at 2016年04月24日 12:39
力が抜けちゃいます。

希望はない。
真理より、真理を語るのが好き。

なんか、ああ〜って思いました。

やっぱり、私たちは、ここに体験したくて来てるんだろうなあ。
だけど
ここまでわかっていながら
何で、苦しくなっちゃうのかな。

今日も起きてから、
「すべてこれで良し」にするしかないのかなって思いました。

今書いてて思ったんだけど、
なぜ、wake upの起きると、happenの起きるは一緒なんでしょう?!
しかも前者は「目覚める」ときだし。
英語と日本語で考えると面白いですね〜。
漢字も。
起、って字は
己が、ルームランナーみたいなのの上で走らされてる感じ?!
夢から覚めることさえも、自分の意志じゃなく「起こる」ことなんですね。
やっぱりあれこれ考えていたいのかな。
まあいっかー。
Posted by きょうちゃん at 2016年04月24日 12:52
なーんにもない!(*^▽^*)(笑)
Posted by AYAKO at 2016年04月24日 13:23
いいね!
Posted by 引っ越しなう at 2016年04月24日 13:54
希望がなければ、絶望もない。
Posted by ハート at 2016年04月24日 14:28
「人生に希望はない」
この記事を読みだした途端、ラジオから希望の光という歌が流れ出し、すべての者に希望を♬ってフレーズがリフレインされている(笑)
Posted by はらちん2016 at 2016年04月24日 14:28
希望がなければ、絶望もない。
Posted by ハート at 2016年04月24日 14:29
うっすら涙が、爽やかでもあり。感動です。わたしは大袈裟病なのです。
Posted by 高橋 at 2016年04月24日 14:41
まさに、ここにあった。
Posted by まさとん at 2016年04月24日 14:44
「覚醒」「悟り」という希望が残っているんです。
Posted by mm at 2016年04月24日 14:46
阿部さんが変なツッコミ入れてるから、そのあと真理ってのが人の名前に見えちゃうじゃないですか〜(笑)

同じ言葉でも違う意味づけで読んでみるとそこに面白さが生まれますね。それこそ ストーリー上で遊んでいるという感じなのかもしれません。

人生が無意味であるという言葉は、受け取り方がなかなかむずかしいものかな?とかんじます。

ここでいう人生とはストーリーの事を指していますね。
そうじゃなくて、意味は存在自体の方にあるんだよってことですね、おそらく。
Posted by 薄茶色 at 2016年04月24日 16:09
でも 存在自体に意味があるって言葉もなんかちがうんですよね。。
意味があるって感じじゃない。ここはもう感じるしかない領域なのでしょう
Posted by 薄茶色 at 2016年04月24日 16:14
こう書いてる自分としては、

「人生(という脳内ストーリー)に希望はない!!
 (何故ならば、脳内ストーリーは、制限しか生まないから)」

と()内を補足すると、その通りだと思います。

本当はそんな追加のストーリーを付け加えない方がいいんでしょうけど、
それで気が楽になるなら、こんな感じで好きなように補足してもいいんじゃないかなと思います。
Posted by ただの「自分」 at 2016年04月24日 17:44
阿部さん‼︎ いつも ありがとうございます。

人生に希望は無い‼︎

チケットいただきました‼︎
Posted by Rika at 2016年04月24日 18:09
ここに来るとホッとします。
いつもテレビやスマホで自分を恐怖させる事柄を観た時、すぐにその世界へ入ってしまいます。思考が優先して、心配と責任追求と、解決策を考えている。
それが当たり前でしたが、この頃ふと立ち止まる様になりました。「あ、目の前にあるのは、スマホの画面で、それを握ってる手の感覚がある。」って。
そういう事が、ストーリーから出る一歩になってるかな?
Posted by かず at 2016年04月24日 18:26
完璧ですね。
Posted by でめ at 2016年04月24日 18:45
そうなんでしょうかさん

感想ですか?
うーん…
阿部さんのおっしゃる通りです。が、感想です。

このことに気付くと、そこから転じて生や人生が在ることそのものが素晴らしいことに気付き歓喜が湧き上がります。
生や人生の意味が分かるわけではなく、在ることそのもの奇跡と無限性に気付くんですね。

意味(理解しようとする)を求めるということは、思考に耽っていると同義なんです。
非二元を理解しても辿りつけないのは思考してるからです。
夢も希望も思考です。

思考しない人は世界にはほとんどいないので、70億人総集団催眠状態です。
よく新興宗教に入ってる人を指して洗脳されていると揶揄しますが、そういう自分も洗脳や催眠状態であることに気付いてないんですね。
勿論、私も洗脳されてますよ(笑)
言葉や常識を長年刷り込みましたから。
ですが、模察はそうやって洗脳されてきたことには気付けました。
気付いてるのはたったそれだけのことなんです。
Posted by 模察 at 2016年04月24日 18:49
最近の記事は
私が女性ならきっとこう言う

阿部さん、もっと来て!

失礼しました・・・。
Posted by おでん具 at 2016年04月24日 19:29
 真理(天地真理じゃない)

受けた~~

そしてその後の Jさんの

一人じゃないって~~(^^♪

に繋げたコメント


上手い!
上手い!

天地真理
知らない人いますよね・・・
若い方はね~
ふふふ・・


今日の講演
ありがとうございました。

今日は 若い方多かったですね。

質問で
東京オリンピックの単語が出たとき

阿部さん
「東京オリンピックと聞くと39年のオリンピックと思ってしまう」

ここも笑い~~

若い方も多かったから
前回の東京オリンピックは知らないだろうな~

さて、
会場出た後


「これしかない!!」

目の前の景色をしっかり感じること
忘れずに呪文・呪文


今日も
いっぱい 笑って楽しかった~

「これしかない!!」

に特化した講演
印象に残りました。

ありがとうござました。
Posted by じゅんちゃん at 2016年04月24日 20:40
近所に、動物に虐待した人がいます。
その犯人は、まだわかっていないので、
絶対に許さない!見つけてやる!という気持ちがあります。
でも、あるがままをあるがままに見ることができてしまったら、
犯人を憎む気持ちが無くなって、
許してしまうのではないかと、恐れています。

理を知りたいと思いながらも、
自分で真理を見ないようにしているように感じます。

阿部さんは、動物に虐待している人のことを、
憎む気持ちが沸いてきても、すぐに消えるのでしょうか?

何度も人生に幻滅して、
その度、気づきがあったり、一瞥体験をしたけど、
すぐに、今ここから離れてしまって、
また苦しんで、また幻滅してる。
もうこんな繰り返し、飽き飽きしてるのにな~。
Posted by はっぱ at 2016年04月24日 20:52
近所に、動物に虐待した人がいます。
その犯人は、まだわかっていないので、
絶対に許さない!見つけてやる!という気持ちがあります。
でも、あるがままをあるがままに見ることができてしまったら、
犯人を憎む気持ちが無くなって、
許してしまうのではないかと、恐れています。

理を知りたいと思いながらも、
自分で真理を見ないようにしているように感じます。

阿部さんは、動物に虐待している人のことを、
憎む気持ちが沸いてきても、すぐに消えるのでしょうか?

何度も人生に幻滅して、
その度、気づきがあったり、一瞥体験をしたけど、
すぐに、今ここから離れてしまって、
また苦しんで、また幻滅してる。
もうこんな繰り返し、飽き飽きしてるのにな~。
Posted by はっぱ at 2016年04月24日 20:52
人生に 希望はない

その中にいるのだから
Posted by 無有 at 2016年04月24日 23:15
欲望のままに生きて来て、、、

最後に訪れたのは
退屈と絶望!
そして虚しさ・・・

今日の阿部さんのメッセージに
ココロが軽くなりました。

ありがとう^ - ^
Posted by おにちゃん at 2016年04月24日 23:28
阿部さん こんばんは

今日の講演会 具合が悪くなって行けませんでした(泣)

休みも取り、ずっと楽しみにしていたのに
チクショー
なんてこった

キボウノ持てない1日でした

いや。これから先もずっとずっと希望なんてないし、明るい未来なんてないんだな
人生意味なし教

阿部さんに今日会えたらきっと元気もらえたんだろうけど、如何せん体がゆうことききませでした

また、近いうちにやってくださいね!

(〃⌒ー⌒〃)ゞ
Posted by 小指太夫 at 2016年04月24日 23:38
昨日は独演会、お疲れ様でした。
終了予定より一時間以上、延長料金も取られず、
沢山、お話を聞かせて頂きました。

みんな笑ってましたが、やはり、
阿部さんが一番、面白がってるようでした。
ありがとうございました。
(彼女等は、結局、お茶行けたんでしょうか)
Posted by rakuni... at 2016年04月25日 00:51
今日のは、よくないね~  残念です。

人は、明日への希望が生きる力になっているのです。
Posted by abc at 2016年04月25日 03:41
瞑想、は気づきの因になりますよね

それさえも奪うことに つながりますよ。

聞けば、高額の料金と引き換えに瞑想指導をしていると、、その参加者に
どう、向き合えるのでしょうか。?
Posted by abc at 2016年04月25日 04:01
阿部さん

いつもありがとうございます。
人間すごいもんで慣れると絶望も奥底で無意識に楽しんでたりするんですよね。
絶望感が生きている実感を与えてくれた期間が長くありました。

rakuni...さん

>(彼女等は、結局、お茶行けたんでしょうか)
南半球から来た人達で合ってます?
それなら来てくださいましたよー店の予約時間もちょうど一時間ずれていてばっちりでした(笑)
Posted by マイペース at 2016年04月25日 05:44
こういう話を読むと「自分に希望が持てない」と思う。
しかし希望が持てないのはこの世界(この夢)に対してである。
人生とは世界と自分の「関わり」だ。
自分が世界に期待し「思い通りになって欲しい」と欲望し続けている。
自分が平和になるには「先に」世界が平和になる必要があるからだ。
人間は「世界(この夢)」より「後」に生まれる。
だから私達は「世界に期待する」のだろう。
しかし「私」は「世界(この夢)」より先に生まれる。
だからこそ「世界は夢」なのだ。
夢より夢をみるモノが後から生まれるなんて話は無いのだ。
私の希望は「この世界(この夢)との関わり」にあるのではない。
それ以前にあるのだ。
自分に絶望するのではない。
自分が世界(この夢)に絶望する。
Posted by ○○ at 2016年04月25日 07:19
abcさんのご意見、正論だと思いますが話のポイントを丸ごと外されましたね。
私も瞑想指導していただきましたが今日の記事の内容が深く理解できるようになりました。苦難連続の人生の中で初めての休息を頂いたのです。
いろんな考えがあろうかと思いますがその後のケアを鑑みると決して高い料金だとも思いません。
私がそれまで投資してきた諸々のヒーラーさんにお支払いした額の100分の一です。

昨日は講演会デビューを楽しみにしていたのですが身内のことで急に伺えなくなってしまいました。
「すべての思いこみから自由になる・・・」に出会って人生が変わり、いつか生で直接お話を伺いたいと思っています。
Posted by 雲に乗る at 2016年04月25日 07:30
昨日はありがとうございました。
コラボも良いですが、やはり私は阿部さんのソロが好きです。
いくつかツボにはまった話があり今朝も思い出して笑っちゃいました。

次回のご予定はお決まりですか。
もしわかっていたら早めに教えていただけるとありがたいです。
Posted by マブヤー at 2016年04月25日 07:50
模察さん ありがとうございました
>そこから転じて生や人生が在ることそのものが素晴らしいことに気付き

ここ重要ですね 阿部さんにもここまで言ってほしかったです
ここに来られている方は皆わかっているのでしょうね

はっぱさん
一瞥体験したからといって 苦悩が無くなるわけではないです
むしろ一瞥体験したが為に 現象とのギャップが広がったのでは
ないですか
阿部さんは どの様に苦悩の消滅をされてきたのか
聞いてみたいです
Posted by そうでしょうか at 2016年04月25日 07:51
これしかない。
Posted by june at 2016年04月25日 08:01
てすとー!
Posted by y-be at 2016年04月25日 08:45
てすとー!
Posted by y-be at 2016年04月25日 08:46
てすとー!
Posted by y-be at 2016年04月25日 08:46
てすとー!
Posted by y-be at 2016年04月25日 08:46
てすとー!
Posted by y-be at 2016年04月25日 08:46
てすとー!
Posted by y-be at 2016年04月25日 08:46
●今朝見て、や~凄いですね。嬉しいような、心を洗われるような。(^_^)

私は、○愛する者を守るために、○愛する者を害さなければならないとか、

○愛する生き物を、○愛する生き物が食べてしまうとか、

そういう類いの観念の「絶望感が捨て切れないのですが、

最近、何かの移り変わりで、腑に落ちさせる言葉が、降りてきまして??

では、マネさせていただいて・・


もし、わたしの嫌なことや、懸念していること、悲しんでいることを、たとえ、人間的以外でも、他のみんなが、同じように、危惧して、

それは、悲惨な事だ、変えなければいけない、変わって欲しいと、心から願い、そのような出来事を取り除くことを望む者が、多ければ、

この展開する世界は、そのように、多くの望む者・存在たちによって、変えられて行くでしょう。

しかし、そうは為らないのは、そう思う人や、意識が、存在が、ほとんどいないということに、他ならないんだということです。

ですから、あなたが、他の多くの方々、存在、世界の仕組みを嘆き続ける必要は、それほどないのです。

悲惨と思う体験をしているその多くのものたちは、その自らも、悲惨と感じられることすらも、すぐに忘れてしまい、

生きる上において、許容範囲なのです。

だから、この世界の構造は、変わらないのです。

あなたの思いは、必要な者には、尊いですが、現実には、取り越し苦労なのです。

半分、自動書記みたいな感じでしたが、

元々すべてが自動なのでしょうけど・・・
Posted by y-be at 2016年04月25日 08:47
◆新記録・・<(_ _)>七変化・・失礼しました。<(_ _)>
Posted by y-be at 2016年04月25日 08:49
コメントは久しぶりです。
でもいつも読んでいます。

>>意味を後付して、人生に意義があるかのように思いたくても、それらが独りよがりの慰めだということを見抜くこと。

そうとわかっても?さとっても?
今日はどんな日になるのか?
どんなストーリーになるのか?
わくわくもしています。
苦笑。。。。

感謝を込めて
Posted by 北の大地の女神 at 2016年04月25日 08:57
今日の気づき

いずれにしても夢の行為は起こりつづけるようにみえます

しかし

砂場で何が作られつづけていようと

夜の熟睡で砂の城が消えようと

日常生活はそのままです

真理は日常生活にノータッチです

みずからは砂場(ナンニモカワラナイ)

夢の自我が

城をつくろうと

休み(熟睡で)をとろうと

砂場にとって影響ないことである

※努力も、非努力(休もう)も

※砂場(カワラナイモノ)にとっては関係ないことなのではないか

休もうは自我が休みをとる のである

砂場は関係ない

だから

このゲームに飽きたから(もはや楽しめない感じだから)
休もう



自我が

休むわけで
砂場(現実:ナニモカワラナイ)
には

小休憩(熟睡)も
大休憩(宇宙の崩壊も再誕生も)

関係ないのである

目覚め(現実:カワラナイ)には

関係ないことである

休む必要などありません

砂は休む必要はない

なんにも影響ないから

観照する必要すらない
Posted by なう at 2016年04月25日 09:16
追記:

大和田さんはたしかYouTubeの動画で
サイレンスは覚醒ではないとおっしゃっていた
やすみたい

やすみ「たい」だからそれは欲求で
覚醒にとってのものではない
自我は遊び 夜は休みたくなる(熟睡状態)
だが
存在には
(日中の)覚醒も、眠りもない
存在(現実:カワラナイ)があるのみである
苦しみだから休みたいのだ

覚醒がいってることではないのである
[それは日中の覚醒でとても疲労したからもう寝たいのだ
という話であり、
覚醒(ナニモカワラナイ)にとっての話ではない]
Posted by なう at 2016年04月25日 09:33
雲に乗るさんへ
>ポイントを丸ごと外されていますね

私は、そのポイントに問題が隠されていると感じているのです。
Posted by abc at 2016年04月25日 10:36
『人は夢や希望を持つべきである』(常識)

私達、親や先生からこう教えられてきましたよね?
そして同じことを自分の子ども達へも異口同音に伝える。
(ポイントは、この常識が正しいのか間違いなのかを一度も吟味することなく頭から信じている。だから洗脳なんです)

人の子ですから時々挫折して、夢や希望を失いかける瞬間が訪れます。
「もう諦めよう」、「夢は叶わないのか...?」等々の想念が浮かびます。

一方で上の常識が想念として起こります(記憶の呼び起こし)
「いや、人生諦めては駄目だ。夢と希望を持ち続けなければ!」

この相反する想念を戦わせることが苦しみの原因です。
苦しみを解消するにはどうするか?
そうです。戦わさなければ良いのです。

常識だけに拘って、これしか絶対に認めないという想念が元凶です。
「もう諦めよう」、「夢は叶わないのか...?」が想念として起こったなら、あるがままです。
その想念を受け入れるのです。起こったとただ認めるだけです。
常識に照らして、この想念が起きたことに良いや悪いの判断を下す必然性はありません。
でも普段、人はこのプロセスを自動的にやっているんですね。
催眠術で、催眠術師の言葉に反応して自動的に体が動いてしまうのとそっくり(笑)
人の場合、催眠術師とは他の誰でもなく、犯人は自分自身だというですから、これはなかなか気付けないはずです。

阿部さんがこの記事でおっしゃってるのは「人生を諦めろ」と考えろではありませんよ。
「人生とは無意味である」という想念も起こったっていいことを認めれば? (戦わずに降参すれば?)」ということですから。

常識に縛られて非常識を否定するから苦しい。
ならば、常識を認め(これは簡単、誰でもできる(笑))非常識も受け入れる(降参する)ならば、相殺されて中庸となりますよね。
中庸とは無です。
何も無い、何も起こっていない。
左右、上下どちらにも振れていない。

阿部さん、毎日工夫して書かれてますよ。
いろいろな視点を提示して、「これはどうか?」、「こう言えば気付くか?」と。
今日の記事は、常識に反する非常識な概念を受け入れてみては?という願いから書かれてます。
常識を捨てて、非常識だけを受け入れるのではないですよ。
片方だけ信じたら元の木阿弥ですから(笑)
両方とも在ることを認めるんですね。
ポイントはそれだけのことです。
Posted by 模察 at 2016年04月25日 11:14
テスト
Posted by y-be at 2016年04月25日 12:36
●今朝見て、や~凄いですね。嬉しいような、心を洗われるような。(^_^)

私は、○愛する者を守るために、○愛する者を害さなければならないとか、

○愛する生き物を、○愛する生き物が食べてしまうとか、

そういう類いの観念の「絶望感が捨て切れないのですが、

最近、何かの移り変わりで、腑に落ちさせる言葉が、降りてきまして??

では、マネさせていただいて・・


もし、わたしの嫌なことや、懸念していること、悲しんでいることを、たとえ、人間的以外でも、他のみんなが、同じように、危惧して、

それは、悲惨な事だ、変えなければいけない、変わって欲しいと、心から願い、そのような出来事を取り除くことを望む者が、多ければ、

この展開する世界は、そのように、多くの望む者・存在たちによって、変えられて行くでしょう。

しかし、そうは為らないのは、そう思う人や、意識が、存在が、ほとんどいないということに、他ならないんだということです。

ですから、あなたが、他の多くの方々、存在、世界の仕組みを嘆き続ける必要は、それほどないのです。

悲惨と思う体験をしているその多くのものたちは、その自らも、悲惨と感じられることすらも、すぐに忘れてしまい、

生きる上において、許容範囲なのです。

だから、この世界の構造は、変わらないのです。

あなたの思いは、必要な者には、尊いですが、現実には、取り越し苦労なのです。

半分、自動書記みたいな感じでしたが、

元々すべてが自動なのでしょうけど・・・
Posted by y-be at 2016年04月25日 12:37
テストを送信を_(_ _)_間違いました。問題は無いけど、問題にしますよね。。すいません。

○模察さん、所々に、『金言』が含まれていますね。

おっと!・いけない!

私の価値観(仕様)では、金言だけど、

他の人の価値観(仕様)では、「理想論」なのかな?

でも、問題は、無い!
Posted by y-be at 2016年04月25日 12:41
y-beさん

金言ですか?過分なお言葉を....

<模察に起こっていること>
1)パソコンを見えている
2)阿部さんのブログにコメントを書こうという思いが起こる
3)キーボードを叩く感触を感じている
4)パソコンの画面に文字が現れてるのを見ている



<y-beさんに起こっていること>
5)パソコン(スマホ?携帯?)が見えている
6)パソコンを操作する感触が起こっている
7)パソコンの画面に現れた(模察と称したた人物の)文字を見ている
8)言葉が思いとして起こっている

細かく観察すれば切りがないですが、おおよそ起こっていることはこれだけです。

で、ですね。肝心なのは、
一見、文字(括弧4と7)を介してコミニュケーションしているようですが,実際にはそんなことは起こってないんですね。
模察に浮かんだ思い(括弧2)とy-beさんに起こった思い(括弧8)も関係はありません。

つまり模察の金言ではなく、y-beさんが認識できる思いとしてy-beさんに自然に起こったんです。
模察の金言だと勝手に(笑)結びつけているのはy-beさんの自我です。

折角ここまで書いたので悪ノリしてさらに(笑)

私が阿部さんのブログに訪れて、私とは別に存在する阿部さんという人の言葉を読んで、書いてある内容が理解できないとか間違っていると思い込むのが普通です。
が、しかし、『阿部さんの言葉』なんて別の存在は無いんですね。
『阿部さんの言葉』とレッテルを貼った思いがあなたの中で浮かんだだけなんです。

その『阿部さんの言葉』と錯覚した思いと、自分の常識や過去の経験などを照らし合わせて、理解できないとか常識に反してるとか、次々と想念が浮かんできているだけなんです。

阿部さんのブログを読んで、違和感を感じたり憤りを感じたとして、それは阿部さんのせいじゃありません。
浮かんだ思い(=ブログ記事との錯覚)に反する、信念/常識/思い込みが原因です。
違和感や憤りなどの感情を感じたらチャンス!!です。
自分が気付かずに掴んで離さない信念/常識/思い込みに気付くチャンス。
他人のせいにしたり、悪だとか間違っているだとか決めつけるのではなく、自分を見つめ、違和感や憤りの原因、自分を苦しめている真因を探るのがオススメ。
根気強くこれを続けると問題が減っていくことをお約束します。
Posted by 模察 at 2016年04月25日 14:20
しかし、まあ理屈と連想ゲームのオンパレードですね~

単純なことなんです、人は誰でも明日への希望を無意識的に持っていますよね、
それが習慣化されて気づきの妨げになっているとの解釈からの内容だと感じましたので、、書かせていただいたのです。

生きる力とは、無意識領域で働いている明日への希望でもあるのです。

これを、妨げになるという偏った意識だけで否定するべきでは無いと感じています。

それだけ なんですよ
Posted by abc at 2016年04月25日 17:35
ここに、行き着くのです
お斎を頂くときは、過去心***未来心の どの心で頂きますか?

おそらく、***といいたいのでしょう。
Posted by abc at 2016年04月25日 17:59
ここに、行き着くのです
お斎を頂くときは、過去心***未来心の どの心で頂きますか?

おそらく、***といいたいのでしょう。
Posted by abc at 2016年04月25日 17:59
abcさん

abcさんには否定すべきでないという感じが起こった。
模察には否定という思いは起こらなかった。
ただそれだけのことなんです。
どちらが正しいとか間違っているとかではなく。

abcさんが感じたことは起こった事実ですから否定はあり得ません。
ですが、ここで白黒ハッキリさせたい衝動により、どちらかが正しいとか間違っているとやり始めると問題になります。
ポイントはここです。
「夢や希望を持つなと語ることは問題である。」と問題を創造してるのは誰でしょうか?

問題の創造は苦の種です。
苦しみの原因や仕組みを知識として知るだけでもかなり気分は楽になると思いますがいかがでしょう。
Posted by 模察 at 2016年04月25日 18:34
なうさん、大和田さんの言葉もまた概念であり、そうじゃないと、人間の脳は人間の脳に伝えることが出来ない分けです。
そして、言葉を理解する為には、我々の意識をそこに故意に集中せねばならず、だから今言ってる意識とは自我意識のことであり、自我(個我)なら全体(全我)を把握するのは不可能かと。

でも追及して居たい人に対して、あれこれ言うのは愚の骨頂なんかもです(汗)
それには視点移動しないと気づけないかもですが、これもまた或る意味、気付きというか習慣が絶たれないと難しいことなんかもです。
けど追及遊びの習慣が根付いてる場合、人はそれを辞めたいとは思わないのかもですネ。
僕も同じなんでその辺は良く分かります(笑)

一般的な気付き(インスピレーション)と言うのは、自分に問うて自分が答えるという、一種のアハ体験を伴う主観ゲームな分けでして、僕らはずっとこのアハ体験を楽しんで居たい分けなんでしょう。

でも例えこのことを理解したとしても、これを絶つには、無意識下の自我が飽きるまで際限なく遊び続けるか、
それとも、今言ったことを我々が理解して尚、阿部さんが言われたように、幻滅するかどうかでしょうか。
僕は幻滅するより楽しみたいようなんで、もし僕と同じ気持ならいらぬお世話だったかもですね(爆)

しかして、敢えて追及遊びに参加するとですね、もしサイレントが沈黙では無くて熟睡を指しているのなら、覚醒と関係ないと言えばそうなのかも。
ビッグバンが神の誕生(ワンネス)なる神意識の誕生だとすると、概念的言えばそこには存在するスペースが必要であり、それが太極とか云われてる「   」、つまりカラッポのことではないかと思う分けです。
けど、カラッポなるがゆえに自分自身を体験する(自分に気付く)ことが出来ない分けでして(居ないのだから)、だからカラッポと気付いた途端、それは外側と内側に別れて外から内(自分自身)を客観的に眺めてるに過ぎない分けでしょう。

ゆえにですね、意識するとは熟睡から目を覚まして外側を自覚(認識?・知覚?)することでもあり、熟睡を太極に例えるとですね、それはまた太極から醒ますことで成り立つ神意識とも言える分けかと。
という分けでして、現実を担っているのが神意識であれば、太極は現実とは何の関係も無いと言える分けでしてハイ。

お粗末な妄想スイマセン(*^m^)ノナハッ
僕の呆話なんで返米はよろしかとデス(プッ)
Posted by 茶呆♪ at 2016年04月25日 20:02
模察さんのブログを読みたいです(*^-^*)
Posted by こじか at 2016年04月25日 21:11
マイペースさん、

そうです、そうです。南の人です。
お茶行けたんですね。良かったですね。
阿部さんもずいぶん、気に掛けていたようなので。
Posted by rakuni... at 2016年04月25日 21:15
だから、、さあ貴方も

>「夢や希望を持つなと語ることは問題である。」と問題を創造してるのは誰でしょうか?

おなじなんですよ、、攻めてるだけなんですよ 気づきませんか?

何かを否定して、何かを肯定捨て居るという発想に、、、、、なんです

いたちごっこに付き合う 気はないので このへんで おわり!!
Posted by abc at 2016年04月26日 00:37
阿部さんには、より、完成度の高い内容にと期待していたのです、、、、

弱点に気づいていただきたかっただけなんですよ! 

ただの、批判と受け取られたようですね

明日への希望の中には「生命(命)」も宿っているのです。!!

欲望の中にもね、、

気づいていない状態を 否定しちゃ 同じ穴のムジナ 敵を創造するのね。。
Posted by abc at 2016年04月26日 00:59
一言だけ。
攻めてる?誰が誰を?
自分自身をもう一度見つめ直してみてはとの呼びかけです。

自我には攻撃されているように感じるのは分かります。
このブログを訪れなければ自我も安泰。いままで通りです。
Posted by 模察 at 2016年04月26日 05:28
テスト_(_^_)_
Posted by y-be at 2016年04月26日 07:15
おはようございます。

☆、模察さん、先日は、“悪のり”ありがとうごさいます。

何がキッカケとなって、色々様々な“それ”が起こるかということですかね。

ボーッとしていても、身体のどこかや、感覚やら、五感・六感というものらからの、大小、気づかないような、刺激でも、

この発作的、衝動、“起こり”、“発現”といったものが自動的に、勝手に起こります。

ということは、『自我』とは、習性や、『習慣性』の反応や、現れや、連鎖的反応と捉えていいでしょうかね。。
Posted by y-be at 2016年04月26日 07:16
y-beさん

いいのではないでしょうか。
付け加えるなら後天的なもので、人として生まれてから形成されると思います。
Posted by 模察 at 2016年04月26日 07:58
>一言だけ。
攻めてる?誰が誰を?

>「夢や希望を持つなと語ることは問題である。」と問題を創造してるのは誰でしょうか?

私が、問題であると感じたことが、 問題だとすりかえているだけでしょう。
Posted by abc at 2016年04月26日 16:53
模察さん
>自我には攻撃されているように感じるのは分かります。
このブログを訪れなければ自我も安泰。いままで通りです。


ご立派です。

残念ながら、貴方に興味も関心もありません

そして、また私が、何処の開かれているブログを訪れようと私の自由ではないのでしょうか。

自我には、攻撃しているのに気づかない事もあるようですね。(笑い
Posted by abc at 2016年04月26日 17:22
私は、
阿部さんの言っている事は良くわかるのですよ、「そこ」に気づけば変われるけど

生きる希望も消えるのです、私はその後を振り返ってみて、今でも其処に気づく必要はなかったと感じています。

明日への希望とは生命の働きです。
同時に其処には習慣性としての働きがあります。
Posted by abc at 2016年04月26日 17:54
abcさん

>自我には、攻撃しているのに気づかない事もあるようですね。(笑い

その通りですね。
ある自我には攻撃してるつもりはなくとも、ある自我は攻撃されていることが起こる。それも自由に。
自由を持ち出すならば、夢や希望を持たずに生きることも自由であり何も問題は無いと思いますけどね。
Posted by 模察 at 2016年04月26日 18:58
>ある自我には攻撃してるつもりはなくとも、

そうですね、これなんですよ つもりが無いだけなんです

そして、自由は常に前提ですよね。
Posted by abc at 2016年04月26日 21:30
テスト
Posted by abc at 2016年04月26日 22:36
模察さん

常々思います。
あなた、生きてますか?

>夢や希望を持たずに生きることも自由であり何も問題は無いと思いますけどね。

生ける屍という文字が浮かびました。

生きるには<夢と希望が含まれている>と思いますけどね。
Posted by abcプラス at 2016年04月27日 09:05
abcさん

生ける屍ですか?そうかもしれませんね。
働いて家族養ってますけど、それが生きるってことかな?と考えると違う気もしますし。
喜怒哀楽があることが生きてるってことか?と考えるとそれも違うって気もする一方で喜怒哀楽は起きますし。
自分が頑張って生きるという気持ちは無いです。
Posted by 模察 at 2016年04月27日 09:20
生ける屍を認められる?

多くは、生きるための礎としてこのブログに来られてヒントをもらおうと
コメントしてると思います。
そのような方々にコメントする前に、
自分自身をもう一度見つめ直してみてはいかがでしょうか?

>自分自身をもう一度見つめ直してみてはとの呼びかけです。

と同じです。

尚、abcさんとは違います。
便乗させていただきました。

生きられて下さい。
Posted by abcプラス at 2016年04月27日 11:02
模察さん宛です。
Posted by abcプラス at 2016年04月27日 11:03
abcプラスさん

肉体に魂が宿ってると信じるならば、生ける屍では人として生きていないと思われるのは分かります。

ですが、魂が本当に実在するかを確かめるべく探してもどこにも見つからない。
この肉体は模察と名乗る個人の所有物か?模察とは実在するのか?何処に?
この肉体は必ず滅するが、肉体が動くことがイコール生きているということか?

こうした様々な思い込みを見直すと、生きる屍とは言い得て妙だなと率直に思いましたよ。
Posted by 模察 at 2016年04月27日 12:12
追伸

私は人はどう生きるべきだとか、人生とは何かを語っているつもりはないのです。
それを語っていると受け止められるなら、それは否定はしません。
Posted by 模察 at 2016年04月27日 12:14
>この肉体は模察と名乗る個人の所有物か?模察とは実在するのか?何処に?

その気づいてる者(?)は、阿部さんでも、私でもありません。
その気づいてる者だけのものです。所有の表現でいけないですか?


>私は人はどう生きるべきだとか、人生とは何かを語っているつもりはないのです。

そこまで言ってはいません。

>生きる屍とは言い得て妙だなと率直に思いましたよ。

人生、模察さんというキャラクターを残りいくらか知りませんが、
数十年独占するわけです。(繰り返しますが私ではありません)

その残りをそのままならやはり生きる屍でしょう。
選択は当然、いてもいなくてもご自由です。

ですが、持論(常々)の先がそこに繋がると受け止められ、
だから、コメントの受け手も「生きる屍化」することに
つながることの呼びかけです。

生きられて下さい。
Posted by abcプラス at 2016年04月27日 13:05
模察さん宛です。
Posted by abcプラス at 2016年04月27日 13:06
abcプラスさん

注意喚起ありがとうございます。
非二元のメッセージは危険ですよね。
これを真の生き方とだと理解して信じ込み、これまでの常識に沿った生き方を否定して切り換えるならば、その時は社会的に危険です。

頭での理解ではなくして空を理解して(禅病、空病)、それのみを真理として生きるのも社会的に危険です。

時折、この様な継承は書かせては頂いています。
ですが、それも起こりうることで、私も含め誰も何をすることも出来ません。

それが私に起こったとして、私にはどうすることも出来ません。
それが私に起こったとしても、全体にとっては何も問題はありません。

頑張ってこの肉体として生き続けても、肉体は必ず滅します。
肉体の死は何十年先かもしれないし、明日かもしれません。
何人たりとも死から免れることはできませんから、夢や希望という未来に生きるのも良し、いまを大事にいまを精一杯生きるのも良し。

いまに生きることを強調し過ぎると、夢や希望を糧に生きるという生き方を否定されていると受け止められることは理解してるつもりです。
その生き方は正しいのです。
否定はあり得ないし、社会的常識にはそういう生き方が正しいとされています。
それを認めながらも、そうではない生き方を認めるのが中庸です。
どちらが正しいとか間違ってるとかを判断してそれに執着しない ことも起こりうるのです。

言葉の上では、「模察は生きる屍」というは模察に対しての偏見や抽象です。
それこそまさに攻撃で、片寄った見方です。
でも、私はそれも認めて否定はしません。
模察のことを誰かが生きる屍と思ったところで、それは思いとして起こったことは事実です。過ぎたことですから否定のしようがありません。
いま否定したところで時すでに遅しです、それこそ意味はないのです。
Posted by 模察 at 2016年04月27日 13:59
模察さん

>生ける屍という文字が浮かびました。

と書きました。

>そうかもしれませんね。

そう回答されました。
私が決めつけたわけではないはずです。

>攻撃

模察さん流なら
「攻撃」の文字が浮かび、書くことが起こった。
(私は浮かんでいません)

>意味はないのです。

最後につかうより最初にしてほしい。

「時間の無駄」いいます。

なんでもただ起きた。
意味はない。

なら、書かないでいただきたい。



生きられて下さい。
Posted by abcプラス at 2016年04月27日 14:39
abcプラスさん

どうどう巡りですね(笑)
了解です。
以上です。
Posted by 模察 at 2016年04月27日 15:04
模察さん

模察さんという自我は、本質とかなり統合されていて、とても調和しているように感じます

そこから出てくる言葉は、そのエネルギーの質を顕しているように思います

素直に「ステキだなぁ」、って思いますよ(´∀`*)
Posted by かみゆ at 2016年04月27日 15:15
かみゆさん

人としては素直に有難いお言葉を頂戴し感謝します。
が、阿部さんのブログのコメント欄ですからそれだけでは済まなかったりします(笑)

それはですね。模察の言葉なんて何処にも存在しないんですね(笑)
かみゆさんが認識出来る世界にはかみゆさんさん一人しかいらっしゃらない。(この後の話がややこしくなるので 私はいない は一旦横に置いてください)

模察と署名した文字(コメント)を見ることが起こります。
かみゆさんの頭の辺りで文字を読み上げる。
文字を頭の辺りで読み上げるのと、かみゆさんがふと思いを巡らすことは区別できない筈ですし、別だという証拠は見つからない筈です。
単に、かみゆさんが模察の言葉だと分けて、そうレッテルを貼っているんですね。
ですから、模察の言葉ではなく、かみゆさんの世界で起こった言葉(思い)なのです。
でも、かみゆさんしかいない世界ですから、「私の言葉だ!」と主張しても無意味ですよね?
すると結論は誰の言葉でもない となります。
(所有という概念は幻想です)

こうしてかみゆさんだけの世界に起こった思いに対して、エネルギー的なものを感じたのならば、それはかみゆさんの信念や経験、思いなどと反応して起こっていることです。
エネルギーをポジティブに感じてもネガティブに感じても、どちらも同じです。
あなたが認識(気付く)出来る世界で起こることは全てあなたのものです。
こうしたアプローチであっても、それが腑に落ちれば、私はいないも自ずと腑に落ちることも起こるのではないでしょうか。
Posted by 模察 at 2016年04月27日 16:39
模察さん

えーっと、難しくてよくわかんないけど( ̄∀ ̄*)ゞ
ようするに、ということは上に書いてあることも、模察さんの世界で起こったこと
っていうことでいいのかな? 笑
Posted by かみゆ at 2016年04月27日 17:09
かみゆさん

正確に言いますと、模察の世界とかみゆさんの世界とに分かれてないんですね。
全体が、模察の世界と感じられたりかみゆさんの世界と感じられているのですが…
ますますこんがらせてしまいますよね。

あまり難しく考えて悩まないでください。
まずはシンプルに、模察なんていない。模察の言葉なんて存在しない。模察の世界なんて無いで結構です。
Posted by 模察 at 2016年04月27日 17:28
あははははは(⌒∇⌒)

はーい、了解(*`・ω・)ゞデシ!!
Posted by かみゆ at 2016年04月27日 19:02
模察さん


言われることは、あなた自身の 「 想 像 の 域 」 で あります。


こちらも以上です。


生きられて下さい♪
Posted by abcプラス at 2016年04月27日 19:31
多分模察さんに幾ら聞いたとしても、体験してない我々(エゴ)には、生きる希望が絶たれるとはどういうことなのか、よく理解出来ないのかもでして(汗)

多分、死に直面した時や、或いは死の淵から生還した時でないと、我々には理解出来ないのかも。
その時に成って初めて「今こうして生きていること自体が喜びだった」かと、そして「いまここ」にようやく寛ぐことができるんでしょうか!?・・・・・まぁでもその直後には死んでるんですが(爆)
或る医者が言うには、そのとき人は何かにハッ気付いたように成り一瞬微笑むのだとか。

怖いけど、そういう体験してみたいかなと・・・・・いや、やはりしたくない(苦笑)
おそらくウツ病が治った時(死の淵から生還した時?)もそのような感じに成るんでしょうかね。
良く分んないけど、どうなんしょ!?
Posted by 茶呆♪ at 2016年04月27日 20:43
茶保♪さん

お陰様で私の体はまだ健康でして、死に際に誰にでも必ず訪れるかどうかは分からないです。
ですが、死に際に悟るというか、自我からの解放は起こるかもしれませんね。

人が死を悟ったとして、その瞬間は大変な恐怖を感じ、未来はもう無いと悟って底なしの絶望を感じ、生きることを含めて全て(地位、名誉、財産、夢、希望、思い出 etc.)を諦めると思います。
その恐怖や絶望を乗り越えた先にあるものを死に際に垣間見て、微笑むのでしょうか。

究極の恐怖や絶望は、自我が滅する間ぎわで起こるようです。
自我が、自らが消える恐怖や絶望から逃れるためには、そして自我が生き残るためにはあらゆることを追い求めます。

では、それは肉体の死の間際でないと訪れないのかと問えば、そうとは限らないと思います。
肉体は生きたまま、自我だけが滅することは起こる可能性もあります。
恐怖や絶望を乗り越えた先を垣間見ることは起こり得ますが、法則的なものやHow toは無いようです。
Posted by 模察 at 2016年04月27日 21:23
>その恐怖や絶望を乗り越えた先にあるものを死に際に垣間見て、微笑むのでしょうか。

うまい! 模察さん多分そうなんですよ。
そして、全てはストーリーだったと悟るのかも知れません♪
Posted by 茶呆♪ at 2016年04月27日 21:35
これはこれは、abcプラスさん

補足をありがとうございました。m(--)m
Posted by abc at 2016年04月29日 18:00
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