2016年01月07日

あるがままを生きるってどういう意味?

先日、向老師と話をしていて面白い話になりました。

向さんの今年のテーマは「ありのままを生きる」とのことです。

この言葉はよく耳にしますが、本当の意味を知っている人は少ないと思います。


ありのままって何だろうって考えたことないですか。

ありのままでいようとすると、いったい何がありのままなのか分からなるし、自然体であろうとすることの不自然さは、まるでジョークのようです。


我が家の同居者たち(猫族)は、誰を見てもみんなあるがまま。

いや猫だけではなく、考えてみれば人間以外の動植物はみんなあるがままを生きています。


いったい彼らと何が違うのか・・・ここに「あるがままを生きる」という言葉のヒントがあります。


あるがままとは自分を意識していない状態、自分を忘れた状態、自分という感覚が消えた状態で初めて起きてくることなのです。

したがって

あるがままの「自分」

という言葉はちょっと的外れの表現になります。


「私」という感覚の消滅というと何だかすごく難しい気がしますが、我々は日常的にそれを経験しています。


たとえば睡眠中。

その時はまさにあるがままであり、時間感覚も消えています


あるいは、何かに熱中しているときもあるがままで生きています。

そういう時も時間を忘れています。


あるがままとは、時間を超越した「いま」の中で起きることなのです。


で、ここまで書いてみて、なぜ向さんが「あるがままを生きる」ということを、あえてテーマに選んだのかわかりました。

禅とは時間を超えた「いま」を生きることなので、要するに禅を生きるということなんですね。


それではなぜあるがままを生きようとするのか。

一つは、それが真実の生き方だから。

もう一つは、我々が探し求めている幸福は、その状態の中にしかないからです。


なんでも少しずつ新しい習慣を身につけていくことで自分のものになっていきます。

まずは自分がどれくらい不自然な自分を作り出して生きているかを知ること。

その不自然さの分だけ不快感と苦悩を抱えています。


幸福を求めて生きるのは人間の常ですが、いままで一生懸命にそれを求めて生きてきて、どれくらい実現したでしょうか。

欲しいものを手に入れて、どれくらい幸せになりましたか。


まだまだだと感じているとしたら、求める方向が間違っていたということです。

それなのに、いままでのやり方を手放せないのが、これまた人間の性(さが)です。

そろそろ事実を認めて、方向転換してみませんか。


そうしたくたって、できないって?

そりゃそうです。

いままでのやり方は物ごころついてからずっと繰り返してきたのだから、急には無理です。

でもチャレンジする価値はあります。


確かに普段の心がけが必要かもしれないけれど、いままでの人生で頑張ってきたことに比べれば、ずっと簡単。

いったい自分が、いままでどれくらい頑張ってきたか知っていますか。

多くの人は、信じられないくらいの努力と忍耐を使って生きてきています。


それに比べたら・・・・ね(^^)



・・・・・・・・・



記事をアップしたあと、頂いたコメントを読んでみて、文章で伝える難しさを感じました。

「あるがまま」

あるがままでないことさえも、あるがままなので、この言葉はどのようにでも使うことができますね。

すごく大事なことだと思うので、また違った説明を工夫してみます。





Posted by Toshiro Abe at 10:44│Comments(53)
この記事へのコメント
え?今年はありのままで、、、?
では、向さんは、今まで「禅」を生きて来ていたわけではなかった、という事でしょうか?
Posted by Sachikonz at 2016年01月07日 10:50
想念は浮かんでは消える


静寂の意識はずっとある


浮かんでは消える想念に巻き込まれず

ただ静かであることがあるがまま


浮かんでは消える想念をコントロールしようとせず

ただ浮かんでは消えるままにさせておくのが

あるがまま


BE AS YOU ARE
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2016年01月07日 10:52
Sachikonz さんがそう感じたのだから、他にも同じように感じた人がいたかもしれませんね。

禅僧とは沢山会ってきましたが、あんなにあるがままの人を他に知りません。

それなのにあえて「あるがまま」をキーワードにするということは、この言葉の中に沢山の真実が含まれているからだと思います。

今日のブログはそのことの解説でしたが、わかりにくかったかもしれません。

確かに、向さんが初めてそのことを生きだしたみたいな文章になってしまいましたね。

またいつか違った角度から書いてみます。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2016年01月07日 11:10
すごく阿部さんらしいし、

とても分かり易いです。

少なくとも瞑想を習慣にして

悪い方向に向かうことは

なさそうですね(⌒-⌒)/
Posted by 内村周真 at 2016年01月07日 11:12
「ありのままスイッチ」があって、
「ありのままスイッチ」オン!
「ありのままスイッチ」オフ!
なんてできるわけじゃないから

玉ねぎ状態の「ありのまま」があるのかな?
外側からだんだん
より深い「ありのまま」に
なるのかな?
Posted by Mark at 2016年01月07日 11:38
あるがままというのはじょうたいでもなく、
そのままなんじゃないでしょうか?
なにをしていても、それ自体がすでにあるがままです。
方向転換したり、
瞑想したりチャレンジしたり、
禅に生きようとしたり、、、
これらは余計にあるがままに対して目を背けている。
そう感じます。
Posted by ash at 2016年01月07日 11:41
ashさん

あるがままという言葉は、とても分かりやすそうで分かりにくい言葉です。

不自然さもあるがまま、人為的なものもあるがまま、思考もあるがまま・・・

実は起きていることはすべてあるがままです。


今日伝えたかったのは三昧的生き方についてです。

わかりやすい言葉こそ、わかりにくくて、文章の限界を感じます。

ここはすごく大切なので、もう少し工夫してみますね。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2016年01月07日 12:01
禅は    いい 。






どっち?
Posted by 日和る at 2016年01月07日 12:04
現実の認識が歪んでいて(嘘を信じている等して)、そのためにあるがままになれないことがあると思います。
例えば家の外に熊が居ると信じている状態と信じていない状態では緊張感も違うし実際の行動も違ったものになるでしょう。
こういうのは実際に見て確認するまでは終わりません。
Posted by N at 2016年01月07日 12:17
今夜、俺は自分のゲームを強制的に終わりにする。
何年も苦しんでバカみた。
色々やったが何も変わらなかった
Posted by ゴクウ at 2016年01月07日 12:25
伝えるのが難しいって、先日発売された
生きるのが楽になる「覚り」の道の歩き方
の117ページに書いてある事とはまた違うのですか?
(勝手に引用するのもどうかと自我が判断しているので、宜しければ補足をお願いします)
Posted by 通りすがり at 2016年01月07日 12:32
いつもありがとうございます。

ディズニーの映画以来、
「あるがまま」って何?
と思っていましたが、
今日の記事で、
なんとなく理解できたような気がします。

説明してくれと言われると、
まだまだできないんですけど(笑)

今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2016年01月07日 12:34
>あるがまま?

ややこしいテーマですね。問いかけ自体が、不自然(笑)

あるがままで いましょう。。。え? 今は あるがままじゃないの?みたいな(笑)

何もない・・・状態。
Posted by AQU@ at 2016年01月07日 12:48
あるがままは、そのままなので、そこから逃れられるはずもなく、
在るがままにいようとチャレンジするのは、
逃れられないあるがままを否定しようとチャレンジしている。
そんな風に感じます。

睡眠中の経験だけでなく、どうしようもない不安を抱えていても、
怒りを抱えていても、
やはり、それはあるがままなんですよね。

熱中していようが、三昧であろうが、
落ち着かなくて意識が分散していようが、

やはりそれもあるがまま。
Posted by ash at 2016年01月07日 12:56
>不自然さもあるがまま、人為的なものもあるがまま、思考もあるがまま・・・

>実は起きていることはすべてあるがままです。

阿部さんのコメント欄のコメントを読んで、よくわかりました^^

すると、”あるがまま”でない人は、いませんね?(笑)

意味においては、”起きることが起きている”と同じような気がします。

頑張りも、努力も、忍耐も、すべて”あるがまま”(笑)

ただ”起きることが起きている”

そこには、”わたし”はいません(^^)
Posted by H at 2016年01月07日 13:10
阿部さん、いつもありがとうございます。

「ありのままを生きる」とは、大和田さん風に表現すると、「ライフの表現そのままである」ということでしょうか。つまり「かんながら」ですよね♪
Posted by 黒崎顕 aka たこぴゃろ at 2016年01月07日 13:12
ashさん

そんな否定的な自分

やはりそれもあるがまま。
Posted by P at 2016年01月07日 13:20
日和るさん、

あなたのコメントは、僕には難しくてよくわからないことが多いんだけど、もう少し言葉を補足してくれるとわかるかも。

そういう僕の言葉もわかりにくいかも(笑)


Nさん

人生は全部熊の幻想みたいなものかも知れないですね。


ゴクウさん

よかったら僕にメールくれますか?

imacocoa@nifty.com


通りすがりさん、

いま本を確かめようと思ったら、本が手元になかった。

また確かめてみます。


ほったんさん、いつもありがとう。

その映画実はまだ見ていないのだけど、自分を押さえ込んでいた人が一気に自分を解放するみたいな話でしょうか。

そういうあるがままと、今日伝えたかったのは、またちょっと違う。


AQU@ さん、

書いたときはシンプルな気持ちだったけど、だんだんややこしくなってきた(^^;)


ashさん、

あなたが言うことはいつもそのとおりだけど・・・こんな僕だということで(^^;)


Hさん、

ほほほ、そのとおり。


黒崎さん

そういうことですね。



こんなふうにみなさんにレスするのは楽しい。

今日は時間がなくなっちゃったから、次の機会にまた書かせてください。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2016年01月07日 13:25
僕がコメント書いている間にPさんからのコメントが。

無視したわけじゃないからね。


今日も沖縄は初夏みたい。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2016年01月07日 13:29
あっ、もう一言。

ブログのコメントって、ほんらいはこうして双方向でやり取りしたほうが立体的になるね。

僕はただ、そのまんまを書いていけばいいんだと改めて思いました。

いつもは

「そうじゃないんだけど」

なんて思いながら、そのままにしてきたけれど、ブログにコメントを貰うなら、ちゃんと答えるのが相互理解になりますよね。

ほんと、文字情報は難易度が高い。

それじゃ、出かけてきます(^^)/
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2016年01月07日 13:38
難しく思えてしまうのは、スピリチュアルで言われる「あるがまま」が、二つの視点からのものを、ごちゃ混ぜにしてるからなんですよね。

一つは真理からの視点。
ここからの「あるがまま」は…
人間意識でやってきた意味付けとジャッジを取ったもの。
ただ事が起きている、それだけが、あるがままです。
思考も感情も入り込まない。

もう一つ、人間意識(自我)の視点からの「あるがまま」は、意味付けもジャッジも(思考も感情も)、自分に起きた全てのものを言います。

この全てを受け入れる(自分を全面肯定)していくことは、「私」という自我を剥がしていくので、お勧めなんですよ。
簡単なようだけど、なかなかしぶとい自我君にも、会えますし(笑)
Posted by カララ at 2016年01月07日 13:43
ほほほ(^o^)

これも、起きることが起きたってことで。。。?(笑)

しかし、言葉って、難しい( ̄0 ̄;

コメント欄、侮れませんね!(笑)
Posted by H at 2016年01月07日 13:52
不自然な「自分」が落ちていくと、「あるがまま」が現れる。

「あるがまま」に気づく。

「あるがまま」が本当の自分だったと分かる^^
Posted by 雪光 at 2016年01月07日 14:24
「あるがまま」とは、いろんな雑念や障害を持ったまま、今自分がやるべき目標に向かって行動することだと僕は思っています。
悩んで布団のなかにいても現実社会の壁は解決しません。「あるがまま」行動、活動、思考することが生きる知恵と思っています。
Posted by 空太 at 2016年01月07日 14:41
先日逝去された漫画家水木しげるさんの著作「人生をいじくり回してはいけない」を今読んでいますが、この文言は「あるがままを生きる」と似ている感じがします。
阿部さんの言われた「降参して生きる」(そんな風には言ってないか(笑)も近いようなー。もう止めときます。
今日もこのブログを訪ねてよかったです。
Posted by オトナコナン2016 at 2016年01月07日 14:49
人生のどこかで

自分という感覚が何かが

問題の唯一にして最大の焦点であることに思い至って

その僅かな影に敏感になることだけでも

ひょっとしたら大きな出来事なのかもしれない・・・ですね。

何かのシェアになればm(_ _)m
Posted by 内村周真 at 2016年01月07日 14:52
阿部さーん!
最近やる気がぜんぜん起きません!笑
やらなきゃならないことは頭の片隅にあるのですが、なぜかやる気にならない(汗)こういう時期がたまにあるのです。やらないとどんどん堕落していくようで不安になります。
でも、明らかにやる気出ないが起きている(笑)
なんなのかもう、あきらめてフラフラしようかな。笑

ちょうど今、こんな感じでした!ヽ(;▽;)ノ
Posted by 薄茶色 at 2016年01月07日 15:00
事実か頭で解釈された世界か
じぶんも含めほとんど皆が現実か想像か見分けることができなくなってをる。頭でいいか悪いかって分別し判断した世界をほんとうだと思い込んでしまうから、混乱し物事を正確に見れなくなる。

いまだけってとこに徹する。そこしかないし、すべての言葉も表現もそれだけを伝えたいがためにある。事実はとてもシンプル
だから言葉にとらわれる必要もないと思う
Posted by 空いろ at 2016年01月07日 15:36
私の娘は、ありか
だから
わたしは 『ありのまま』っていわれています(笑)

寝ている時
美味しい物を食べている時

あるがまま…です

それ以上 なにがあるのかなぁ?
Posted by りり~ at 2016年01月07日 17:01
あと20年もたったら

宇宙人が地球にやって来るんじゃないのでしょうかね

\(◎o◎)/

そしたら

みんなの時間感覚なんて一発で吹き飛びますよね

今の時代だけ味わうことが出来るのでしょう

退屈という奇跡~


宇宙人☆宇宙人☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2016年01月07日 18:00
げっ、わからない?

どれ?

が?

昨日のは確か、めんどくささで途中やめたし、..... 酒も少々。

ひっくるめて、いわれると  ね  ぇ〜
でも、書いた  とたん  アップされるのも
あったけど  ..... なぁ〜。

応えんのは分かってるから
大方、語り尽くしてもまだ語る、どんだけ繰り返すって
ツッコんでもまだ繰り返す、いやトコトンちょい文変えて語る
おなじコトばっかの。

いや、たまにはいいこというけどハンドルがぶれまくって
読み手を欺いてるってわかりま専科の一瞥者や
常連さんに発してるのが
ほとんどだけど。

ね。


全部?

あぁ、筆が止まるなぁ(〜って、筆じゃないけど)

誰もツッコまないしぃ〜....... さ (っていきなり東京弁)

ま、やめよっか。

(こころの声 ありのまま)
Posted by 日和る at 2016年01月07日 18:04
「あるがまま」の認識を妨害するのは、「思考への執着」のみです!
「あるがまま」を概念(思考)として理解しようとする事も、思考への執着です。

如何なる思考でも捉えられないものが、「あるがまま」であり、文字通り、「そのまんま・・・・あるがまま」ですね!^^
Posted by 近藤 at 2016年01月07日 19:15
おお~っ!!
新年早々に、動画のアップありがとうございます(*´з`)ゞ♪
のちほどじっくり拝見いたしますデス。
ところで長文に成るのですが、今回だけは一気に投稿させて頂きます。

大空さんの言われてるのは自己観照状態だと思うのですが、
けど、ただ浮かぶままにさせておくと、やばいような気もしたりして。
僕は自己に介入しながらも、つまりエゴ行為をしつつも(コントロールしつつも)そのエゴ行為を眺めている状態。
この同時体験的な生き方こそ、あるがままに生きることだと思う次第なんですが・・・!?
真理「神」に乗っ取られれば(サレンダー)、観照状態が開放と成るのかもですが、とんでもないモノに乗っ取られてしまうと、観照状態は開放では無くて、精神の怪崩と成りかねないかと(汗)

今から貼るのは異常な話でして、作り話なのかも知れません。
でも異なった方面からの話が重なってるようなんで、あるいは実話じゃないかとも思えます。
怖くて洒落にならないかもですが、一応貼ってみます(滝汗)

http://chikatomo.doorblog.jp/archives/39930322.html
http://chikatomo.doorblog.jp/archives/27551377.html
http://chikatomo.doorblog.jp/archives/27551904.html
http://chikatomo.doorblog.jp/archives/27715411.html

彼女は、おそらく悲しみのどん底で我が子の名前を叫んだんでしょうかね!?
けど、自己観照(悲しみを離見)しながら叫んでたとすればまだ救いもあるのかもですが、しかし味までも感じてる分けなら、完全に鬼に乗っ取られていたのかもで!?
これはおそらく、サレンダーではなくて操られているだけかと。
この三次元下で自分をコントロール出来なければ、正に悲劇ではないかと。
もしそうなら、こんな生き方はご勘弁願いたい分けです(爆汗)
まぁ僕なら鬼を道ずれに、マグマ(火熱地獄)にグランデングするかもですね(小笑)
もしかしたら何らかの効果が、無きにし在らずかもで(≧▽≦)

しかし大和田さんを見てるとですね、「空」と「色」を同時に体験しているような、或いは自覚出来ない速さで「空」と「色」の出入りを繰り返しているというか、そのような憶測に浸る始末です。

コメントはよろしかとです( ゚Д゚;)ゞ
Posted by 茶呆り~ら♪ at 2016年01月07日 19:43
認識じゃない。汁物はいないって体験だから。
知ったら最後、分別界へ。
いまは不思議(思議できない)、無理会(理解の無い)、
ところ
ほとんど誰でも無意識に頭で理解しようと言葉を用いる、そこじゃないっていくら言っても分からない。この教えは理解での追究に非ず
聞けば聞いてないのに聞いた気になる。「いましかないんですね」って理解してしまう
禅僧に百千万回あらゆる仕方でなぐられようが、わからず屋はわからず屋
Posted by 空いろ at 2016年01月07日 19:47
今日ね、ありのままになりました。美容院に行ったら、とっても面白い本に出会ってね、夢中になって読んで、面白くて、人目も憚らず、大笑いしてしまいました。笑いがこみ上げてきて止まらない!こんなに笑ったのひさしぶりでした(^-^)v町田康さんの「猫とあほんだら」っていう本です。町田さん、阿部さんに似てると思いました。作家歌手詩人、保護猫預かり。飼い猫四頭。捨て猫ちゃんのお話しとか写真とか、とにかく、あっけらかんと面白い本です。
私は、犬と猫を飼っています。犬を飼い始めた時、犬の先生(獣医さん)から、犬は今に生きている。過去を悔やんだり未來に期待したりしない。と教えられました。潔い生き方だなぁと思いました。以前、保健所から引き取った犬と暮らしたことがあります。癌で半年しか一緒に暮らせなかったけど、一瞬一瞬が濃いというか、犬って凄いなぁと思いました。最期は自分で死ぬ時を決めて死んでいきました。
犬と散歩している時、お空をみたり鳥の声を聞いたり、風の音や匂いを感じたり、ありのままになります。言葉にできない幸せを感じます。(⌒‐⌒)
Posted by チョコママ at 2016年01月07日 20:07
少し理屈を。。

「あるがまま」が二つの意味で使われるから、混乱するのかもしれない。

ひとつは、二元の観点での「あるがまま」
分離意識が薄れている状態

> いや猫だけではなく、考えてみれば人間以外の動植物はみんなあるがままを生きています。

> ...

> たとえば睡眠中。

> その時はまさにあるがままであり、時間感覚も消えています

> あるいは、何かに熱中しているときもあるがままで生きています。


もうひとつは、非二元の観点での「あるがまま」
分離意識も含めて、すべてがそのままで「あるがまま」

> 不自然さもあるがまま、人為的なものもあるがまま、思考もあるがまま・・・



それから、

> それではなぜあるがままを生きようとするのか。

> 一つは、それが真実の生き方だから。

については、非二元の観点では、どんな生き方も真実を生きてるわけで
なぜ、その生き方がよいか、という話はストーリーでしかない。

でも、ストーリーだから意味がない、というわけではなく、
何かのストーリーによって人生が楽になるなら、
それはそれで有り難いこと。

> もう一つは、我々が探し求めている幸福は、その状態の中にしかないからです。

分離意識がある限り、不幸がつきまとうなら、
幸福とは「不幸を忘れた状態」と言えるかもしれない。
ただ、この幸福は、(結婚など)二元の幸福イメージとは
程遠くて、なんだかつまらない。
Posted by rakuni... at 2016年01月07日 20:52
どおりで〜(≧∇≦)眠るときには幸せな気持ちになるんだね(笑)睡眠って最強のありのまま☆
Posted by モモちゃん at 2016年01月07日 21:14
>あるがままとは、時間を超越した「いま」の中で起きることなのです。

いつだって、”時間”を超越している。
いつだって、「いま」しかない。

”時間”とは、人間の認識の中にだけ存在出来る一種の”思考の産物”。
その人間の認識を支えているのが、”記憶”。

”記憶”が無ければ、”過去”はない。
”過去”が無ければ、常に、「いま」しかない。

瞬間、瞬間、顕れては消えて行く現象とそれへの反応が在るだけ。
その反応すべてを連続したものとして認識しているのが、”わたし”。

顕れては消えて行く現象に対する瞬間瞬間の反応を、
人は、連続したモノとみなし、それをストーリー(人生)と呼ぶ。

認識者である”わたし”(自我意識)がいようと、いまいと、現象と反応はそのまま存在する。

それは”在る”ままに、存在する。
それが、「いまここ」
「いまここ」は、在るがまま。

しかし、現象と反応は、顕れては消えて行く夢のようなモノ。
真の実在(サット)とは言えない。

真の実在(サット)は、ただ「在る」だけ。

永遠であり(時がないため不生不滅)、
不変であり(物質ではないため変化しない)、
普遍であり(全てに遍在している)、
無二であり(全体であり、ひとつである)
この宇宙で唯一の実在。

その真の実在(サット)から、
「在るがまま」である「いまここ」(アサット)が顕現している。
Posted by H at 2016年01月07日 21:39
いつもありがとうございます。

DOなのか?BEなのか?

BEを表現するのが難しいですね。
Posted by まっす~ at 2016年01月07日 21:59
でもさ、阿部さん、すべて持ってるじゃん。健康な体、愛あふれる家族、お金、名声、ワクワクする仕事。たしか、阿部さんは金も地になる、ワークしてましたよね? ごちゃごちゃいうより、二元のライフを充実させる方が、先じゃないのかな? 結局、スピたんしてる人って、2元の現実上手くいってない人が多いと思う。
Posted by Mickey at 2016年01月07日 22:01
ルシファー?
という客人に、すぐさま飛び込んだことは、皆さんが無闇なやりとりをせずに済んだので、良かったと思っています。



ゴクウさんへの対応も、素早くて良かった。


『 苦悩 』

苦悩の原因はすべて
自我の中にあります。
外側にはないんですね。

自我、マインド(思考)の
中にある「 価値観 」
が原因です。

「こうあるべき」「こだわり」
「握りしめているもの」
 を 捨てて
 自由になりなさい。
 そういう意図で
 起こることが起こされた。

今の苦悩は、その

「 こうあるべき 」に

気づくために
   あるのです。





二元
(あの世この世)の真理
がんばるな世♪
Posted by 愛ラ-雲国際アジアンホテル- at 2016年01月07日 22:15
日和るさんて 突っ込んでいいんですか?
何時も楽しく読んでますけど
なんか独特テンポが好きです。

私のイメージでは 強い女性かな…と
間違っていたらスミマセン。
Posted by 打ち水 at 2016年01月07日 22:59
智子さん
スープの素にしましたが作りました。とっても美味しかったです。
ほっこりうれしくなりました。
Posted by モルゲン at 2016年01月07日 23:21
わたしも疑問~。

ノンデュアリティ的に(っていうのも、究極の真理に対して「~的」
っていうのも変ですが)、すべてはただ起きているわけだから、
あるがままじゃない、ってこと自体がなくない?

「あるがままで」に、似たものに、「執着を手放せそう」とか、
「価値判断するから苦しい」、とか、決定論的なことを言った
すぐあとで、何か自我的には、(コントロール)できることがあるみたいな
表現が続いて出てくる。

これ最近の疑問だったんだ。

ぜひ、続きにチャレンジしてください。

ことばで表現できる限界に着ているのかしらね。

こうやって、コメントをいま書いている自分はあるがままなのかしら?
とか、もうわけわかんないよね。

最近は、「自分の好きな自分になる言動をしよう」 を心がけてて、
結構調子いいです☆
Posted by TT at 2016年01月08日 00:50
あるがまま

確かに言葉は難しいっすね

気付きを得て思ったこと。

今しかない、ってのはよく分かるし
表現もそれが適切と感じる。

その今、今、今、これ。
呼吸と呼吸の間の間、静寂。
思考も感情も前面に出てこれないあの
静寂。

この静寂で全てを捉えていく。

これまた静寂は静寂なんだけど、
静か、だけではない、あの深遠さ。
思考がそれにふれる前。

そこを徹底的に生きる。


あるがままというのは
そういうこと。

どういう事やねん!

やっぱり、言葉はここで限界だね(笑)


ん~難しい(笑)
Posted by むむむ at 2016年01月08日 01:00
日和るさん☆おはようサン


まだまだ探求したい~という方は

瞑想や座禅をすればいいし

もうそろそろという方は

ノン・ディアリティということでいいんじゃないの?

沢山の人がいてみんなそれぞれですもんね


日和るさんのコメを楽しみにしている人も多いと

思いますよ


楽しみ☆楽しみ☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2016年01月08日 06:12
打ち水さん

おはよおサンです。

間と余韻が大好きです♪

先の動画で保江教授が間に素粒子論を述べたのが興味深いです。
キャホ嬢の目に触れたのは、ひとりで笑ってしまいました。

間で、素粒子をプチプチ読み手のほほに当てて、じわぁ〜と余韻を残す。
すでに実践してる    かも。

密かでなくストレートに楽しんでます。
みんな「場の空気」は体験済み、
あれは飛び交ってるのでしょうね ........ きっと 。
そこで、あらゆる思考や感情が発生し浮かぶんじゃないかと。
ストーリーの種として .... (SFチック?)。

さて、打ち水さんの問い。
逆に間を生み、勘違いしてたかと、
固唾を飲んで冷や汗もので待ってる  ヒト  数名
いるかも知れません。


あれ?
アップしようとしたら甲賀忍者さんのコメ。
おはようサンです。
ついで....ですけど ...... ありがとうございます。






濁ること無く
ある我まま


ぼくは      オ ト コ 。の個。
Posted by 日和る at 2016年01月08日 08:07
「あるがまま」とは「無選択」ってことではないでしょうか?
Posted by Sleeping B. at 2016年01月08日 09:14


むむむさんのは

核心 そのもの  大ヒントだと思ふ
Posted by 日和る at 2016年01月08日 09:18
あ、私も日和るさん面白いと思っていました。江戸川乱歩みたいとか。昨日は怒ってるのかなぁ?と心配していました。
Posted by チョコママ at 2016年01月08日 09:25
あ、

チョコママさん も

どおも ありがとサン です。




みたびの 「あ」  でした。
Posted by 日和る at 2016年01月08日 11:54
安心してください
見ている人は誰もいませんよっ
見てる人も見られている人ももともといないんだから
ただひとつのコレがあるだけ!(*≧▽≦* )
Posted by プリン at 2016年01月08日 12:20
すべて全自動で自然に起きていて、ほんとうはなにも起こっていない



http://www.youtube.com/watch?v=r36VVYG6lm0&sns=em

ガラケーなら
http://www.youtube.com/watch?v=r36VVYG6lm0&sns=em&page=13

2時間6分から2時間10分

の4分間


ここでいってることは

いしきに気づいたら
すべてはその中で起きており
そのイマジネーションは
私(第一想念)
によるものであり
私の想いである
ここでの会話(あらわれ)
は話の「内容にかかわらず」等価値である
私からみれば話の内容はジャッジが起こるだろう
しかし
いしきからみれば
話の内容は価値の上下は意味がない
それらは私経由のイマジネーションエネルギーでしかないから
みな同じである
いしきに融合されておりほんとうは個別には存在していない

だからジャッジはありえないみずからの一部であるから

ネットでやりとりされるコメントも同じことである
Posted by なう at 2016年02月01日 10:20
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