2013年01月08日

ああ、もどかしい・・・

幼年期、少年期、思春期、青年期、壮年期と生きてきましたが、自分の内側で感じている存在感(生命感)は、何も変わっていません。

自分がずっと持ち続けているこの内的感覚を言葉にするのは難しいですが、この内的感覚は僕個人のものではなく、あらゆる人に内在しています。


あなたが内側で感じている「自分は存在している」という感覚は、あらゆる人、いやあらゆる生命体が内側で感じているそれと同じものなのです。


言いたいこと伝わっていますか。


だから

「私はあなたです」

と言い続けてきましたし、


「あなたが全てです」

と言うのです。



ああ、もどかしい・・・



でも人は、この内側の存在感覚を、自分だけの個的感覚だと思っています。

その錯覚を分離意識と呼び、すべての内在感覚がまったく同じひとつのものだという発見を「全体意識」「ワンネス」と言います。


ああ、言葉はもどかしい、もどかしい。


こんなに単純な、そして明白なことなのに、伝える術が言葉でしかないなんて。


本当はギュッと抱きしめてあげて

「ほら、これがあなたですよ」

と伝えてあげたい。


あまりにも簡単な真実に、誰もが驚きを隠せないでしょう。


みんなでそれが分かれば、すべての争いはオシマイです。



個=全体

分離意識から全体意識へ


この気づきが、あらゆる人の宿命です。






ああ、もどかしい・・・   ああ、もどかしい・・・



・・・・・・・・



1月の名古屋、大阪、東京、各ソロ講演会は満席のため受付を終了しています。

キャンセルされる場合は、なるべく早くご連絡ください。


2月17日は松山(四国)でソロ講演会があります。



Posted by Toshiro Abe at 14:54│Comments(130)
この記事へのコメント
抱きしめて下さい!
Posted by クレア at 2013年01月08日 15:04
抱きしめてください!残念男ですけどw
Posted by 悠彰 at 2013年01月08日 15:07
すごいですよね!
私にとっては過去してきたあらゆる妄想よりも素敵で素晴らしい事です。だって、みんな同じひとつなんですよ!こんなに素敵な事はない。
しかもそれが絵空事ではなく、体験した人がいて、それが自分にも起きるかもしれない。

全ては一つであると考えるだけでこれだけワクワクするのですから、体験したらどうなるのか想像できません。

ついつい早く早くと思ってしまいますが悟りたいと願いつつも現象界も生きなければと思います。
Posted by マイペース at 2013年01月08日 15:14
ワンネスという言葉を知って15年以上経ちましたが
実感としてほんの少し感じることができるようになったのは
最近のことです。

ちょうど今朝のブログに「みんなが悪い」というタイトルの文章を
引用させていただきました。

「わたしはあなた」

この実感こそが本来の自然な感覚なんですね。

変わるのではなくて、戻ることをこころがけます。
Posted by 輝之 at 2013年01月08日 15:14
今年もよろしくお願いいたします。

水の中の泡。なのですね。
Posted by 小樽在住 at 2013年01月08日 15:16
伝わってます(o^^o)
「大いなるひとつ」読みました。
阿部さん、言葉でこれだけ伝えられてるんですもん、すごいと思います。
伝わってます❗
Posted by momoko at 2013年01月08日 15:18
それなのに死んでも波動レベルの村があるのですよね。
せめて死んだ後は皆ワンネスで、分離状態を笑いあうのかと思ってました。どういうこと?よくわからないです。

阿部さんもどかしいだろうなぁ。
Posted by みつばち at 2013年01月08日 15:19
自分はまだワンネス体験なしですが、こういうお話が大好きです。
阿部さん、いつもありがとうございます。
Posted by an at 2013年01月08日 15:32
みんなでハグしあいましょう!(笑)

沢山の人が抱き締められたいのに、みんながみんな待ってるんだよね。

ハグして下さい という看板を持って街に立つ実験、あれ、いいですよね。

これから挨拶はハグ。\(^_^)(^_^)/
Posted by 藍 at 2013年01月08日 15:37
僕もそうなんじゃないかと勝手に考えていました。
そうなんですね。
Posted by 洋七 at 2013年01月08日 15:38
いつもありがとうございます。
Posted by ほったん at 2013年01月08日 16:05
ワンネスの体験はまだないですが、、、

今ここ塾で阿部さんが今日のブログと同じお話をされたとき、

ああ!そうか!と本当に思いました。

多分、ブログの文章だけだったら

ふーん、そうか。

って感じになっていたと思います。

肉体が無くなっても存在があるって、こうゆうことなのか。。。
肉体っていう、入れ物なんだわ。それはそれで大事にしなくっちゃ!とも思います。

でも、今日の皆にも同じように感じているんだよ。
というのは、
そうか~、、、、とちょっと目から鱗です。
(それはここ塾のときにはたしか話されていなかった)

ほんと、ぎゅっと抱きしめて(抱きしめなくっても大丈夫だと思いますが)阿部さんが目の前にいて、言ってくれればもっと、府におちそうな気がします。

感じるってすごいですね。
Posted by 楽太郎 at 2013年01月08日 16:22
ええーっ!
大嫌いなアイツとも同じ「一つ」てこと??
そう思うと嫌だなぁ・・・。
Posted by 文鳥 at 2013年01月08日 16:58
しかも、少しずつも違わないの?
しれじゃみんな一緒でつまんない気がする(^^;)
Posted by 文鳥 at 2013年01月08日 17:00
ああ、もどかしい!

全身全霊で感得できたら!
Posted by 一空 at 2013年01月08日 17:04
思い切って、さぁお願いします!むぎゅーっと\(●^o^●)/
大丈夫です!阿部さんならきっとダンナも許してくれます(笑)

これかな?あれかな?
Posted by RIKO'S at 2013年01月08日 17:08
敏郎さん、素敵すぎます\(^_^)/

十分すぎるほどに伝わりました。

ありがとうございます。

言葉にするともどかしい・・・私もよくわかります。
言葉で伝えるには、限界がありますね。

昨年以上にハートフルで深いブログをいつもありがとうございます(^^)
Posted by ヨッチェル at 2013年01月08日 17:29
もし、あなたがあの人の立場だったらどうしますか?
⇒もし、あの人があなただったらどうしますか?
⇒もし、総てが自分だったらどうしますか?


ええ、時に忘れかけてしまいますけど、
やっぱり分離してみたところで良い事はありませんから…
折に触れて、ほら、あれは昔のお前だよとと、自分に言っています。
Posted by IV at 2013年01月08日 17:29
そこですよね!(b^ー°)
昨日ボランティア仲間二人に、その話しをしたら、すぐにわかってくれたのです。
興味をもって聞いてくれる人が増えてくる様な気がします。
阿部さんのブログを紹介していきたいです。
これからもよろしくお願いいたします。
Posted by maju at 2013年01月08日 19:09
昔ある人のファンでした.いや信者かな、そのときは、その人のほほあたりに
私がいました。  いまは、信じてないためか、感じません。

木に自分の子どもがいたり。 建物や電柱に、娘や息子を感じることが、
あります。

手に取った葉っぱにも、空間にも
 
でもそのわりには、やさしく接してないですね。もっとやさしく。やさしく

しなくては。
Posted by yui at 2013年01月08日 19:12
「個」の分離意識(思考)は、潜在意識の中まで刷り込まれているので、そうやすやすとは理解されないでしょうが・・・・・・・・しかし、「個」は存在しないのが真実です!

「個が分離した存在」という幻想が、打ち破られた時、ワンネス(すべてがひとつ)が理解されるでしょうね!^^
Posted by 近藤 at 2013年01月08日 19:15
まさにその通りでした!
『なぁ~んだ、自分なんてもともと何処にもいないじゃん!』
山中の木の根路で、いつの間にか周波数がピタリ!
まさに無我の意識空間へ

その後に阿部さんの本を読み返すと、瞬時に我が血肉に
生きることが、ホントに楽になったように思います。

その場所はなんと、京都の鞍馬山・奥の院・魔王殿
不思議でたまりません。

いつもありがとうございます!!
Posted by ベンちゃん at 2013年01月08日 19:17
みんな、いのちの中で生きているんですね。
Posted by ほこぴーほこぴー at 2013年01月08日 19:18
内側はひとつ
だだ在るだけの存在ですよね。
愛そのもの

そして、現実と思っているこの世界は
いろんな事を体験出来るスクリーンの中
それぞれの役まわりが有りますが
いろんな事を演じて体験しているのだなぁ~って
深刻は不要の意味も解り始め・・・
ワクワクすることをして、楽しい現実を心がけてます。
本当は、有る程度、自由自在なんですよねー。

思考に同化してしまったら、深呼吸して・・・落ち着いて
安らかな気持ちを取り戻します。
私はすぐ、寂しい気持ちになってしまうから要注意デス!

忘れないようにしよう
愛があるから大丈夫ってことを。
Posted by ジンライム at 2013年01月08日 19:30
老いも若きも

男も女も

どんな人種の人も

どんな国の人も

どんな性格の人も

どんな宗教の人も

どんな思想の人も


グッスリ眠っているときに体験する

想念のない平安で至福の状態は同じですね^^


グッスリ眠っているときは

わたしたちはみんな

大いなるひとつの平安・至福を体験しています。


グッスリ眠っているときは

ハートにエネルギーが集中し

想念のない平安で至福の状態になります。


ハートにエネルギーを集中させることに習熟すると

起きていてハッキリ意識がある状態で

ハートにエネルギーを集中させ

グッスリ眠っているかのような

想念のない(薄い)平安で至福の状態を体験することができます。


昨日阿部さんが

「考えないというのは、ちょっとしたコツが必要ですが、
 瞑想習慣が定着すれば誰にでもできることです」

と書いています。


考えないコツというのは

頭の中の

「あーだ。こーだ」

という想念に向かい続けているエネルギーの流れを

ハートの一点に向け続けることですね^^
Posted by 大空 at 2013年01月08日 19:36
なるほど。。。って分からないけど、これなのかもしれないし、ごにょごにょごにょ。
Posted by みき at 2013年01月08日 19:44
こんばんは


自分♪

自分♪

自分♪


僕の場合は中学生の頃まで

自分だけが自分であると思っていました

高校生の頃に

自分だけでなく他の人も

自分のことを自分と感じているんだなぁ

と見抜きました


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2013年01月08日 20:24
グッスリ眠っているときは
わたしたちは「みんな」
大いなるひとつの平安・至福を体験しています

本当にそうでしょうか…
虐待されている子供や女性、世界では宗教的概念からの虐待、アッシド・アタックで顔面を崩壊されてしまった女性、他多数・未知数…
その人達がグッスリ眠っているとき、本当に大いなるひとつの平安・至福を体験しているのでしょうか。本当にそれを信じていいのでしょうか…
私はそうは思えません。実際様々な人に会ってきましたが、グッスリ眠れる事すら難しいものです。睡眠が苦痛の方もいます。そこを「みんな」と定義付けてしまうのは、世の中の苦しみから目をそらしてしまうことと同意義なのかと思います…ぜひ、アッシド・アタックについて調べてみる事をおすすめします。今もなお怯えて眠る人は世界中にたくさんいると思っています。
Posted by HOGE at 2013年01月08日 20:29
このブログを読んで、浮かんだことは、あらゆる生命体は、
アナタのあゆる別の面を演じていいて、そのことをれば、各々、元の一つに戻って「あ~面白かった」てなるんじゃないかなぁ~。
Posted by てつ at 2013年01月08日 20:36
HOGEさん


はい、モノの見方にはたくさんありますから

HOGEさんのような見方もありますね。


わたしも見方もたくさんあるモノの見方の

ひとつですね。


貴重なご意見ありがとうございました^^


HOGEさんが平安でありますように^^
Posted by 大空 at 2013年01月08日 20:52
HOGEさん


阿部さんが今日の記事で

「ああ、言葉はもどかしい、もどかしい。

 こんなに単純な、そして明白なことなのに、伝える術が言葉でしかないなんて。」

と言っています。


わたしもHOGEさんのコメントを見て

「ああ、言葉はもどかしい、もどかしい。

 こんなに単純な、そして明白なことなのに、伝える術が言葉でしかないなんて。」

と思いました^^
Posted by 大空 at 2013年01月08日 20:58
大空さんが世界の苦しみから目をそらしているかどうかだと思います。アッシド・アタックひとつにしても、実際にどうのように調べるのか。
それについて「現実を直視」するのであれば、
グッスリ眠っているときは
わたしたちは「みんな」
大いなるひとつの平安・至福を体験しています
などとは断じて言えなくなるのだと思います。
なんらもどかしい事はありません。
Posted by HOGE at 2013年01月08日 21:17
HOGEさん

あなたの言うことは全て事実だと思いますし、何も間違っているとは
思いません、だからこそ敢えて言わせて貰いますが


まずは、HOGEさん自分の心に目を向けてみませんか?
自分が救われていないのに、人を救うことが出来るでしょうか?


(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月08日 21:42
洲鎌直喜様
なぜ、私が救われていないと断定できるのでしょうか。
ご説明願います。
救われていない人、救われている人、の違いも説明をお願いします。
Posted by HOGE at 2013年01月08日 21:45
いつもブログ楽しみに見させてもらっています。
僕は人生に対して、もの凄く怯えているところがあります。
心の中で「人生は苦しい・辛い・悲劇的な物だ」という定義があるんだと思います。
だから、常にでは無いですが時にもの凄い不安感や憂鬱感に襲われ怖くなることがあるんです。
過去に家族を亡くした経験であったり、その他苦しかった経験、またテレビに流れる悲惨なニュースに触れたり等する中で身についてしまった定義づけなのだろうなとは思うのですが。
そんな中で阿部さんのブログにはとても勇気付けられています。
読んでいると、心の中がとても暖かくなってとても安心感があるのです。
お店で迷子になって不安で不安でしょうがなくなっていた時に、お母さんが微笑みながら迎えに来てくれた時のような感覚かもですね(笑)
辛い出来事が起こった時でも、「人生は悲惨だ」ていう前提の上に立っているのと、阿部さんの言う「大丈夫だよ。怖くないよ」という前提に立っているのとでは、同じ状況でも全然違う人生になりますよね。
これから少しづつでも、今まで身につけてきてしまった人生に対する怯えを取り去って、恐怖に基づいてしまった人生への定義を変えていきたいと思います。
悩みや苦しみの大半は、頭の中の世界の話であって、実際に今目の前にあるものじゃない空想なんですよね。
やっぱりポイントは「いまここ」ですよね(^^)
これからも、ブログ楽しみにしています!
Posted by nobuya at 2013年01月08日 22:02
HOGEさん
救われている人いない人の違いは、
虐待されているかいないか という問題ではなくて、 内なる愛を見出しているいかないか ということなので。
Posted by 藍 at 2013年01月08日 22:04
HOGEさん

御免なさい、そしてお返事ありがとうございます

まず、HOGEさんが救われているかどうかは僕には、ワカリマセン
判断のしようがありません、それはHOGEさん自体が判断することでしょう


救われている人と救われていない人の違いは、簡単です
救われているか、救われていないか唯、それだけだと思いますよ?
それ以外に答えがあるでしょうか?


最後にひとつ言って起きますが、理屈で世界は変わりません
自分の意志と行動によってのみ世界は変わるのです
あなたが、もしもあべさんの言うことが間違いだと思うのであれば

今ここに批判のコメントを載せるのではなく
自分が正しいと思う、行動をとるべきです。

あなたが信じる道を進んではどうでしょうか?

(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月08日 22:05
まず、HOGEさんが救われているかどうかは僕には、ワカリマセン
判断のしようがありません、それはHOGEさん自体が判断することでしょう

ではなぜ私に

自分が救われていないのに、人を救うことが出来るでしょうか?

と言えるのですか?それは間違いだったからの御免なさいなのでしょうか?
Posted by HOGE at 2013年01月08日 22:14
ゴメンナサイと誤ったのは、あなたを救えなくて
ゴメンなさいという意味です。

これ以上の議論は無駄ですね(笑)

(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月08日 22:27
人を勝手に救われていないと限定し、その上、自分が救えなくて御免なさい。
ですか。

これもまた痛々しい現実です。
Posted by HAGE at 2013年01月08日 22:32
藍 様

私が問う内容は、虐待の事ではなく、
なぜ私が「救われていない」と断定できたのか、という事です。
虐待されている人が救われている、救われていないという事ではありません。
Posted by HOGE at 2013年01月08日 22:41
HOGEさんの質問(?)私も知りたいところです。

ワンネス、、、体験はしてませんが真実だと思っています。
きっとそこに到達してら見えてくるのかもしれませんが、

やはりこの世界にある、目も耳も塞ぎたくなるような残酷な現実に身を置かざるを得ない人々
どのように理解したらいいのでしょう?

選択して生まれてきたとか、一生はゲーム、、という言葉では
片付けられないものがあるように思います。

日本は本当に恵まれた国だと思います。
日本人として生まれた事が奇跡みたいに感じていますが、
自由意思を否定しなければ生きていけない環境に生まれてきた人たちを考えると、、、、大きな疑問が生じます。
これも分離感覚なのかもしれませんが、、、

ワンネスを体験してない者にとっての蓋をすることのできない素朴な疑問です。

もし、アンサーして頂けるのでしたら感謝です。
Posted by Ann at 2013年01月08日 22:47
HOGEさん


「人を勝手に救われていないと限定し、その上、自分が救えなくて御免なさい。ですか。

これもまた痛々しい現実です。

 Posted by HAGE at 2013年01月08日 22:32」


のコメントはHOGEさんが投稿したものなのでしょうか?


以前よくHAGEさんという人が

このブログにコメントしていましたのを思い出しました。
Posted by 大空 at 2013年01月08日 23:00
「そうか。みな一つだったんだ。忘れてた」

と言う日を迎えたいです。

でも、そう思うことにします。
Posted by なんごく at 2013年01月08日 23:01
大空様
そうです。単純な入力ミスです。
申し訳ございません。
Posted by HOGE at 2013年01月08日 23:02
HOGEさんの疑問(?)の答え、私も知りたいです。

こちらを読ませて頂いていて、
「どんなに残酷な事件も”選択して生まれてきた””一生はゲームだ””この世は夢だ”」と阿部さんはおっしゃってるのだと思っています。

次はアッシド・アタックするのが自分かもしれず、アッシド・アタックされるのが自分かもしれないと言うことです。(時間は存在していないそうなので、厳密には違うようですが)

だから一般的良識から見ると現実逃避に思え、去って行く人も多いと思います。

違いますでしょうか?
常連の詳しい方に、アンサーして頂けたら嬉しいです。
Posted by みつばち at 2013年01月08日 23:13
HOGEさん

アッシド・アタックじゃなくてアシッド・アタック(酸による攻撃)ですね。
Posted by PANDA at 2013年01月08日 23:14
日本に住んでいることは幸せだなあと思います。

ブログで「それ」について知ることができ、

「それ」はすべてであり、生命であり

生きとし生けるものは「それ」から現れていることが

強い障害を持たずに認識することができるのだから。

自分の生活や生命がひっ迫していたら、

すべてはひとつと言われても「?」ってなってしまいかねない。

幸せだなあ・・・・

前世でいいことしたかな??
Posted by 45 at 2013年01月08日 23:14
HOGEさん

誰もあなたのことを断定などしていません。
私達はそれぞれの自分の価値観で物事を見ているだけです。
それをここで言葉にしただけのことでしょう。

でもそれはHOGEさんも同じではないですか?
あなたが感じている悲惨な状況はほとんどの人が残虐と思うでしょうけども、その想いはまったく同じではありませんよね。
あなたの思考であり、感情だからです。
あなたと全く同じ感情を抱いている人という人はいません。
あなたはこの地球でたった一つの個性を持ったあなただから。
それをあなたはここで言葉にされている。

阿部さんが言われている全体、たったひとつというのは、この次元のことではありません。
だから言葉に出来なくて、もどかしいのです。

今たとえどんな状況にいたとしても、暴力の嵐の中にいたとしても、どんな人でも、あらゆる存在全て愛されている、ただ無条件の愛にいるということなのだと思います。

この次元の思考で見ると信じられないかもしれません。
ものすごい苦しみの中にいる人に、そう感じることは難しいでしょう。
でもワンネスという次元から見れば、起こることが起こっているのであって、全て必要な事が起こっているだけなのです。

限りない分離を私たちは繰り返してきましたよね。
今もそうです。
その分離の犠牲者は力の弱い女性であり子供でした。

でもこれからは、HOGEさんのような方々によって、この分離の世を一つへ戻す力が必要なのではないでしょうか。

私もコンゴですが国家ぐるみ組織レイプのことを調べていたことがあります。
HOGEさんのお気持ちは少しですが理解していると思います。

少しでもわずかな一歩でも、女性にとって地球のあらゆる生き物にとって安らぎの方向へ向かうことを信じています。
Posted by 由未 at 2013年01月08日 23:31
Ann さん みつばち さん


本当にこれは、人間としての心の底からの疑問であり、
蓋をすることはできない、蓋をしてはいけない疑問だと思います。

でも、これは、この世(あの世も含む)の成り立ちからすれば、
宇宙の秩序、宇宙の法則が、森羅万象、
いわんや人間界の全ての事象にも当て嵌まる、ということだと思います。
(以下は、人間的な感情を考慮に入れない、という前提でお話ししますので、
 ご了解下さい)

この世は相対するもので成り立つ相対の世界です。
(つまり、陰△と陽▽、裏と表、始まりと終わり、光と闇、プラスとマイナス、
愛と憎しみ、戦争と平和、山と谷、善と悪、静と動というように、
相対するものがないと、存在することができないのです)

何故、相対の世界なのか、は、この世は、”無”から始まった”有”である、
という初めから相対の世界であるからでありましょう。
もうこれは、原則中の原則、揺るぎ無い宇宙の法則です。

なので、本当に哀しいことですが、この有限界(人間が属する三次元世界)は、
この全てが相対する、相対の世界と言ってもいいと思います。
それなら、世界はいつまでたっても平和にならないではないか、
世界は愛で満たされないではないか、と思ってしまいそうですが、
しかし、この割合は、同等ではありません。
闇より光が多い、悪人より善人が多い、戦う気持ちより平和を望む気持ちが多い、と
その割合を変化させることはできると思っています。
この世には、完全に100%何かであるものは存在しません。
100%悪人、100%善人もいない、ということです。
(なので、「みんなが仏陀」と言えるのだと思います。)

これは、個人にも言えることで、
己の中の光と闇の割合、ネガティブな面とポジティブな面の割合、
善行と悪行の割合、なども、これに当てはまり、
どちらかが、100%であることは在り得ません。
でも、自分がそうでありたいと願えば、
悪より善の割合を増やすことは出来ると思います。

この宇宙の秩序、宇宙の法則を踏まえた上で、
各々の問題を解決しようとすると、
一人でも多くの人が、己の中にある仏性(神性)に気付き、
そのことにより、善なる心が増えれば、結果的に
戦争や虐待や虐めや通行魔などの悲惨な事象は、少なくなることでしょう。
眠ることさえ苦痛で苦しむ人が、少しでも減る様な世の中にしていくことが、
私達、人間がこの世を愛と平和の世界にしていくことにつながるのだと思います。

ワンネスを体験している訳でもない私が、生意気なことを書いてしまいました。
Annさん、みつばちさんのご質問へのお答えになっていないかもしれませんが、
私の意見ということで、ご了解願えれば幸いです。
読んで頂きまして、ありがとうございます。
(私が、答えるべき事柄ではなかったかもしれません。
 覚者でもない私が、しゃしゃり出て申し訳ありませんでしたm(_ _)m)
Posted by neutrino at 2013年01月08日 23:39
由未 様
誰もあなたのことを断定などしていません。
と書いてありますが
よく前後の文章を読んでください。
「自分が救われていないのに、人を救うことが出来るでしょうか?」
となぜ言えるのかどうか、ただ一点です。
Posted by HOGE at 2013年01月08日 23:39
常連じゃなくて申し訳ないのですが、いま感じていることは・・

「個=全体 分離意識から全体意識へ この気づきがあらゆる人の宿命です」 この文章に集約されていると思うのです。

戦争や虐待、貧困などあらゆる問題も関心をもって自分のことのように一人一人が考えてみましょう、そして行動してみましょう、という見方も出来るし、全体を信頼していてなるようになってゆく、だから大丈夫という見方もある、
なにごとも正解はないと思うのです。

ただ、どんな問題も自分のこととして捉える、まず自分を愛し信頼しまるごと受け入れる、そこから。
そしてその感覚を拡げていくことではないかな~、内なる平和と外を融合させてゆく、全体意識へと。

ほんとは何もなかった、はじめから大いなる存在だったと気づくまでは、

いまにいて、自然体でしっくりくることを選んでゆく、
その繰り返しではないかな~なんてことを思っています。
阿部さん、皆さん、今日もありがとうございました☆
Posted by chion at 2013年01月08日 23:41
HOGEさん


返信ありがとうございます。


HOGEさんのコメントで以前よくこのブログにコメントしていた

HAGEさんをなつかしく思い出しました^^


HAGEさんは元気でしょうかね^^?
Posted by 大空 at 2013年01月09日 00:09
ある人に抱きしめられて、内側からあたたかいものがどんどん溢れて、広がって、どこまでも広がって、とても素晴らしい体験をしたことがあります。
これが「ワンネス」なのですか?
その彼が自分の中に入り込み、内側からあたためてくれたのかもしれないと、今は思います。
それからしばらくの期間は、ひとりでもその感覚をつくりだすことができていました。世界が素晴らしく輝いて見えた毎日でした。
でもだんだんと、その感覚をひとりでは取り戻せなくなり、消えてしまいました。
その彼とはお別れをしました。この先会えることはないかもしれませんが、わたしにとってはこれからもずっと特別な存在です。
切れることはありえない、つながっているはず、と感じますが、確かでなく自信がありません。
彼にとってもわたしと共有した感覚は特別なものがあったようですが、感覚の鋭い方なので、わたしにだけのそれではないかもしれません。
わたしにとっては、彼が初めてで、唯一だと思っています。
このような体験ができたのは、彼の力だったのでしょうか?
それとも相性みたいなもの(波長)が合ったからなのでしょうか?
また、誰とでもこのような体験ができるようになるのでしょうか?
彼と再会し、あの体験を確かめたい気持ちがあり、叶わないことなのですが、あきらめきれずにいます。
まとまりのない文章で申し訳ありません。何か思うことがあれば、教えてください。
その際お返事が遅れたりできないかもしれませんが、お許しください。
Posted by ねこ at 2013年01月09日 00:33
阿部さんいつもいろんな気づきをありがとうございます。
私は今何をしなければならないのかわからなくて、立ち止まっていましたが、
今日のコメントを見て少し方向がわかりました。
私は子供の頃からいつ死んでもいい、こんな人生に何の価値があるのというう感じで生きてきました。
虐待等の家庭環境に問題があったからです。
それだけではなく、学校でも、社会に出ても、何らかのトラブルに巻き込まれて、この世に私の居場所はないと感じていました。
でも、23歳のときの出会いが私の人生を大きく変えてくれました。
今は別の世界で居るかのように最高に幸せです。
そして阿部さんとの出会いでさらに深くいろんな事が分かりかけてきました。
今私に出来ることは、自分次第で誰でもみんな幸せになれるんだよと
できるだけ多くの人に伝えていくことなんだなと思いました。
コメントされている皆様にも気づきをいただき感謝致します。
Posted by watagumo at 2013年01月09日 00:33
HOGE さん

>「自分が救われていないのに、人を救うことが出来るでしょうか?」
となぜ言えるのかどうか、ただ一点です。

ワンネスの立場から言えば、全ては救われているのでこの言葉自体が意味をなしません。

この次元から言えば、自分が迷いの中(無明)にいるのに、本当の意味で他を救うことはできないと思います。
迷いの中から迷いの人を救うのは、暗闇の中でもう一つの暗闇を消すようなものだと思うからです。

だから瞑想で思考をなくし、空の次元へ帰ること、また空の領域を広げることが地球の本当の救いとなるのだと私は思います。
Posted by 由未 at 2013年01月09日 00:35
HOGEさんは、面白いですね

僕からするとなぜHOGEさんはどうして、阿部さんのメッセージを
理解できないんだろう?
という疑問になってしまいます。

人が意見をひとつにするのは難しいですね
その人を本当に理解しようとすれば、議論をするのではなく

ただ、その人を好きになるのが1番の近道だと思います

「HOGEさん大好きですよ」、偽善かもしれませんが取り敢えず
HOGEさんのこと好きになりたいと思います
これからもよろしくお願いしますね

(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月09日 00:39
こんばんは


>ああ、言葉はもどかしい、もどかしい。


本当にそう思います。

日常生活でもよくあります。

なんでこんなに単純なことが通じないんだ~ってこと(笑)

人によって言葉の定義付けが違うということ。
人によって同じ言葉でも感じ方が違うということ。

そんなことに気付きだしたのが一年ちょっと前あたりからでした。

そして言葉が生まれた時点で分離が始まると知り、なるほどと思ったのがこのブログででした。

お互いに解り合うには、言葉の奥にあるものを感じ、言葉を超えていくしかないのかなとその時に思ったのですが、分離意識から全体意識への気付きの連鎖が広がっていけば、言葉の重要度も変わって行き、それも一気に解消されていきそうですね~
Posted by 雪光(ゆきひかり) at 2013年01月09日 01:01
阿部さん

言いたいこと伝わっていますか は、

聞く耳を持っていますか と、聴こえました(^^)

はい!

耳をよ~く澄まして聴きます!
感じます!
ありがとうございます♡


大空さん

眠りは恩寵ですね(^^)
今宵もこの恩寵に預かります♡

HAGEさんはきっとお元気でいらっしゃるでしょうね(^^)
Posted by 真在(まある) at 2013年01月09日 01:08
ねこさん


「ある人に抱きしめられて、内側からあたたかいものがどんどん溢れて、広がって、どこまでも広がって、とても素晴らしい体験をしたことがあります。」


ハートが共鳴し合って

ハートから至福のエネルギーがどんどん溢れて広がって

どこまでも広がっていった体験ですね^^


「また、誰とでもこのような体験ができるようになるのでしょうか?」


ハートが開いてハートから至福のエネルギーが溢れている人と共鳴すること

または

自分自身でハートを開き

自分自身でハートから至福のエネルギーを溢れ出させることで体験できます。


「彼と再会し、あの体験を確かめたい気持ちがあり、叶わないことなのですが、
 あきらめきれずにいます。」


「いつか彼と再会してあの体験を確かめたい!」

と叶わぬ未来に期待するのではなく

今この瞬間を充実して生きることが至福への扉です。


ねこさんが再びハートから溢れる至福を体験することができますように^^
Posted by 大空 at 2013年01月09日 01:16
>neutrino さん

ありがとうございます。
言わんとされてる事、分かるようで、、やっぱり分からない。
私の疑問は分離感覚くるもで、頭で考えているからなのでしょう。

以前娘と一緒にyoutubeで『北朝鮮』の様子を動画で見た事があるのですが、
その悲惨さに娘から、何故、何故の質問攻めに会ったことがあります。

「この人たち、こんな悲惨なところに何のために生まれてきたの?」という質問には、言葉が詰まってしまいました。
生存する為に、人間として持っている感覚をマヒさせなければならない現実。
正直酷い、、、と思いました。

私自身、人間として生まれてきた意味がない、、、これなら生を与えられない方がいいと真剣に思ってしまいました。

そういう経過があったものですから、HOGEさんの質問に便乗させてもらったわけです。

全体意識とつながっていたらもっと安心の世界でいろんな現象も受け止められる、、、とは思うのですが、、、
なにせ修行の足らない身、、、、

でも、こういう場が与えられてる事にとても感謝してます。
Posted by Ann at 2013年01月09日 01:25
ねこさん、
できますよ。
彼とハグして溶け合ったのは、あなた方が心を開いたので混ざり合えたのですね。
一人のときや 知らない人とでは心を開かないので、起きないんだと思います。
でも、一人でも心を開いたら それは起きます。
その時は、特定の誰かではなく とてつもなく大きなもの  あるいは
誰とでも ハートをつなぐことができます。

それは、警戒せず、リラックスして、こちらから心を開く時に起きます。
悟っている人は オープンハートです。

どうしたら それが出来るようになるかと言うと、
自分が警戒しなくても大丈夫だと知ること。(理屈ではなく得心するんですが)

実はほとんどの人が心を傷つけられるのを恐れていて、
ある日、それを恐れるがあまり防御のために攻撃している ということに気付きました
そんなに怖がることないんだよ と 思うと、攻撃的な人も怖くなくなりました。
怖がって噛み付いてくるのは 私が悪いからではありません。
私は傷つけないのですから。その人は恐れに向かって攻撃しています。

恐れる人は自分の考えた安全な状態以外のことを全部敵だと思っていたりします。

安全じゃないから敵だ!   ・・・違います。
みんな幸せでいたい。みんな優しくされたい。みんないい人だと言われたい。みんな愛されたい。みんな失敗したくない。

虐待する人は 愛に飢えている人でした。
いじめる人は 振り向いてかまってほしい人でした。
生きることが不器用な人は怖がっているからかもしれません。

でも、 どの人も同じくらい地球や宇宙から愛されている ということを気付いていないだけなのです。

だから、  大丈夫だよ、罪を犯したら終わり じゃないよ
いいことをした人も 悪いことをしてしまった人も 同じように 愛されていいのです。
あなたが 人を愛して許せば、心が開いて 沢山の愛が入ってきます。
特に何もしなくてもいい。 心に愛を満たすだけで充分なのです。
それは外側から入ってくるのではなく、 内側の宇宙から溢れてきます。

そっと、心を開いてください。
Posted by 藍 at 2013年01月09日 01:48
みんながいとおしくなりますね(^-^)
たくさんこの世界で遊んでみます!
Posted by まりこ at 2013年01月09日 01:57
Ann さん


分かり難いコメントでゴメンナサイ。

>「この人たち、こんな悲惨なところに何のために生まれてきたの?」

人間の目線で見れば、本当に悲惨以外の言葉が見つからない状況にいらっしゃる方々は、
世界に大勢いらっしゃることでしょう。

この状況は、宇宙の法則が当てはめられた結果だとしても、
特定の人々ばかりが、酷い目にあっているのは、
どう考えても不条理のような気がするのは当然だと思います。

世の中には、金持ちがいる一方、その日の暮らしにも困る人々がいる。
悪いことばかりする人もいれば、聖人のような人もいる。
自分が選択できることもあれば、選択できないこともある。

人間社会においても、この相反するものを、数え上げたらきりがありませんね。
そして、もうひとつ、これも宇宙の法則ですが、
いつも同じであるものは何一つなく、常に全ては、変化していく、ということです。
大雑把な言い方かもしれませんが、悲惨な状態はいつまでも悲惨であるとは限らず、
また、反対に、平安、平和である状態がいつまでも続く、という訳ではありません。
金持ちが一文無しになることもある訳ですし、一文無しから金持ちになることも在り得ます。

なので、その時点では悲惨な状況にある人でも、その前も悲惨で、その後もず~と悲惨、とは限らないのではないかと思います。
状況は常に変化しますので、好転もあれば、その反対もある、ということです。
それは、自分の人生を振り返ってみれば、一目瞭然だと思いますが、
良い時もあれば、悪い時もあったと思います。

この法則を知って、かえって世の中のことがわからなくなってしまったら、申し訳ありません。

大いなるひとつからすれば、良い悪いなど、全ての相対するものは、
二つの相反するエネルギーが生み出す現象、事象であるだけで、
人間が考えるような特定の意味はなく、ましてや、
そこに人間的判断が介入する余地はない、と考えます。

人間として生まれてくる意味は、もしかすると、
人間にとっての意味と、大いなるひとつから見た意味は、
同じではなく、全く、違うかもしれません。
(何故なら、個と全体は、これまた相反するものなので、生に対する見方も、
 正反対であることも在り得るからです。
 これは、人間である限りは、知る由もないので、はっきりとは言えないのですが)

個から見た意味と、全体から見た意味は、違う、
そんなところに、私達人間が、自分ではどうすることもできない己の運命に対して抱いている不条理感を解き明かす答えがあるのかもしれませんね。

Ann さん、以上、結局は曖昧な結論で終わってしまいますことをお許し下さいね。
私の個人的な意見にも拘らず、読んで下さり、ありがとうございました^^
Posted by neutrino at 2013年01月09日 02:10
阿部さん

>言いたいこと伝わっていますか。


悟りのような体験とも言えない体験、
感覚とも言えない感覚で捉えたナニカを
人に伝えようとすることほど、難しいものは、ないのでしょうね。

数か月毎に、繰り返されるこの質問に、
ブログの読者になりたての頃は、
正直、阿部さんが何のことを言っているのか、
何を言いたいのか、よくわかりませんでした。

今でも、コレ?アレ?状態と何ら変わらないと思いますが、
確認させて頂きたいという思いもあって、ちょっと長くなりますが^^;
書かせて頂きます。(スミマセン、いつも長くて)

>自分がずっと持ち続けているこの内的感覚を言葉にするのは難しいですが、この内的感覚は僕個人のものではなく、あらゆる人に内在しています。

覚醒したる人同士は、この内的感覚を、覚醒体験として確認しているので、
ああ、アレですね、と以心伝心で伝わるのでしょうが、
相手が覚醒体験がない場合は、何のことを指しているのかさっぱりわからない、というのは、仕方のないことと思います。
ですが、覚者である阿部さんが、”あらゆる人に内在している”と言われる内的感覚に近いものを、
日頃、私達は、無意識の内に感じているのではないか、と思うのです。

私達が、同じドラマを観て、泣いたり、笑ったり、感動したりすることを、
不思議に思ったことがあります。
お笑いなどを見ていても、同じ個所で笑ったり、
笑うタイミングは、ほとんど同じだったりで、
可笑しい理由の意味付けは、後からされるもので、
笑いそのものは、瞬間に、生じます。

感動も笑いに似て、同じドラマを観て、
多くの人が同じタイミングで感動して涙を流したりすることもあります。

これって、もしかすると、無意識の内に、
同じところ(内なる心)で感じでいるからなのかな?と思ったりします。
もちろん、個人差(個性)はありますので、
この程度なら笑えない、感動しない、という個人は、いるとは思いますが、
それでも、同じ話で笑ったり、同じ場面で泣いたり、
同じ映像を見て、衝撃を受け、心が痛んだり、ということはあると思います。

つまり、何が言いたいのか、というと(^^;)
この内在している内的感覚というのは、
私達が、あまりに”ソレ”であるので、気が付くことがなかなか出来ませんが、
私=あなた、個=全体、というワンネスという観点から言えば、
私達は、感情という表面上で共有できる笑いや感動などを通して、
私達の根底には、同じものが存在し、そこのところでは、繋がっている、
と考えることができるのではないか、と感じます。(人類の集合意識)

そうでないと、まだ学習が確立していない幼い子供が、
同じものを見て笑ったり、恐がったり、
ということが上手く説明できないのではないか、と思うのです。

これは、阿部さんのおっしゃる内側の存在感覚、とは違いますが、
これなら、悟り体験がなくても、私達は、容姿や性格は違いますが(それは個性)、
根底では繋がっている、ということを理解できるのではないか、と思います。

本当のワンネス(大いなるひとつ)は、この人類の集合意識を超えたところ、
あらゆる全てのものが、存在として共有(内在)しているところの意識に目覚めることだと思いますが、
これは、人類だけでなく、他の生物、他の無機物、森羅万象に及ぶ意識ですので、
これらすべてが、実は、大いなるひとつである、との認識に至るには、
やはり覚醒体験が必要なのだろうと思っています。

以上書いたことは、今まで阿部さんのブログや本から頂いた気付きやヒントを
自分なりに考え、まとめた完全なる私的な意見ですので、
覚醒体験のある方からすれば、思考の産物と一笑されそうな内容ですが、
私達全員が、覚醒体験を得るまで、人類の集合意識に目覚めることはない、というのであれば、
この世は、大変なことになりかねない勢いで、状況が変化(悪化?)していく、とも考えられます。
(少なくとも、近い将来、人間が人類愛に目覚めなければ、
人類の行き着く先は、今より楽観視できないものになることでしょう)
そんな悲劇的な状況を避けるためにも、
目覚め体験がなくても、万人が簡単にワンネス(人類の集合意識)を理解し、同胞愛、人類愛に目覚めることができることを、心底から願います。
(やはり、世の中が平和でないと、個人の平安は望めそうもありませんし、
 瞑想も思うようにできない、と予想されますので)

世の流れがどうなっていくかは、もうすでに大いなる意思により
決っているのかもしれませんが、
自分の中にある光の部分を増し、一隅を照らす光となるなら、
やはり、世の中は、次第に明るくなっていく、と思うのですよね。

現代に於いては、個にフォーカスして、個を生きることに焦点があてられてきましたが、
これからは、全体にフォーカスして、全体の中の個として生きる、ということに焦点があてられていくような気がしています。

個から全体へ
分化した個が、また全体へ統合されていく時代
やって来るといいですね^^

またまた、長いコメントになってしまいまして、申し訳ありません
読んで頂きまして、ありがとうございます^^
Posted by neutrino at 2013年01月09日 02:25
《ぼくの設定》

救われている人は、基本かみつかない
噛みついたとしても、その気持ちが後に引かない
噛みついても、遅くても10秒後には笑ってる

救われてない人は、
意図が違うことに対してしつこく噛みつく
感情が後を引くからやめられない

個の中(分離感)に
救われている場所と救われていない場所が混在している
全体性の中には、救われてるも救われてないもない

救われている場所は《あるがまま》
あるがままっていうのは《感情が後を引かない状態》になるから
《ぱっぱっぱっ》て自我が展開している
だから自我に蓋をしないし、調節もしない

救われていない場所は【とにかくそこに引っかかる】
ぐるぐるぐるぐる思考を展開する
だから忍耐とか我慢を美化している
忍耐や我慢を美化しているから
他者の言動が軽薄に見えるとかみつく

愛は基本かみつかないもの^^

何語ってるんだろうね^^朝の4時から
ほんとに文字がもどかしい♪
Posted by ふとしくん at 2013年01月09日 04:04
おはようございます


    私♪


私♪  皆   達♪


    達♪


私達は皆私達なんですよね

それは言葉でなく今ここで感じることだと思います


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2013年01月09日 06:07
お互い自らの意見に固執し

主張することから争いが起きてきます


悟ったも悟っていないも

救われているも救われていないも関係ないですね


「ごめんなさいね」


それだけでいいでしょ?
Posted by 通りすがり at 2013年01月09日 06:57
昨日は、久しぶりに今まで感じたことのない
怒りを思いっきりコメントに込めてしまいました。
おかげで、今はすっきりしています。

HOGEさん、ありがとうね、これは皮肉でも何でもなくて
正直な今の気持ちです。

良かったらこれからもHOGEさんの正直な気持ちを読ませて
くださいね。

(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月09日 07:23
ふとしくんさんのコメントがとても素晴らしいと感じました。

私(個)の中に救われている部分と救われていない部分がありました。

救われていない部分を【静寂】から静かに観ています。
Posted by 45 at 2013年01月09日 08:01
阿部さん わかったー (≧∀≦) 
今朝方お布団の中で突然「腑に落ちました」

はっ つい興奮してしまいました。
皆様おはようございます。
いつも皆様のコメント読ませていただいております。

はちきんの中の「私は存在している」という感覚の私と
隣のおばちゃんの中の「私は存在している」という感覚の私
私=私 ってことですよね!
今まではちきん(私)おばちゃん(私)ってそれぞれ別の私が存在していると思ってたんですが、それが錯覚。

ひとりリカちゃん人形遊びの超壮大バージョン。
私ってば リカちゃんのパパやリカちゃんのママやいずみちゃんやわたるくんや
双子の妹たちや隣のおじいさんや犬や猫や花や草や色んな登場人物・色んなシチュエーション・色んな体験をしたくってこの世界にたくさんの生き物を存在させちゃったんだ。

お局様にいじめられて泣いてるあの子も内部不正しちゃったあの小悪党もみんなみんな「私」

私はこの壮大なゲームのプログラマーであり、はちきんの私はそのキャラクターでありプレイヤーってことですよね?

もちろん悲しい境遇の私もたくさん存在してるし、
なんの落ち度もないのに突然殺されちゃったり
虐待されたり、戦争に巻き込まれたり。。。

でもそれもあらゆる感情体験をするために私が仕組んだこと
(私が私を殺したり、いじめたりしているんだ)

あぁ言葉にするともどかしい。。。

なんか全世界の私「今の体験味わいつくそうね」
「最終的に大丈夫なんだから」って感じです。
Posted by はちきん at 2013年01月09日 08:04
由未 様
では、時系列で書いてみます。
HOGEさん
あなたの言うことは全て事実だと思いますし、何も間違っているとは
思いません、だからこそ敢えて言わせて貰いますが
まずは、HOGEさん自分の心に目を向けてみませんか?
自分が救われていないのに、人を救うことが出来るでしょうか?
(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月08日 21:42
洲鎌直喜様
なぜ、私が救われていないと断定できるのでしょうか。
ご説明願います。
救われていない人、救われている人、の違いも説明をお願いします。
Posted by HOGE at 2013年01月08日 21:45

私はこの点においての質問をしているのです。
なぜ、私が書いたコメントに対し、「自分が救われていない」と断定できたのでしょうか。という事です。

洲鎌直喜様
おはようございます。
未だに、なぜあの大空様へのコメントを読んだだけで、私を救われていない人と断定できたのかわかりません。
そして「HOGEさんはどうして、阿部さんのメッセージを理解できないんだろう?」と書かれていますが、自分は阿部さんのメッセージを理解している。あなたは理解していない。そのように受け取られます。
洲鎌直喜様にとりましても阿部さんは「すべての人は救われている」と度々記事に書かれているのに、どうして、私を救われていない人と断定できたのでしょうか。
Posted by HOGE at 2013年01月09日 08:08
いつも、ホッとさせてもらえます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。

確かにもどかしい。感謝の気持ちをどう表現しても、、表現できてない気がさます。
そうかぁ、こんなときに抱きしめたくなるんですね。
少し分かった気がしました。
Posted by ともも at 2013年01月09日 08:08
阿部さん みなさん

もどかしいの真逆の言葉って テレパシー?!(^^)

そんなこと書いてたら、今、雲間からお日さまが笑ってくれました♪

おはようございます~\(^o^)/

今日も笑顔で参ります!
Posted by 真在(まある) at 2013年01月09日 08:12
HOGEさん
その疑問の答を知りたいですか?
その答は、 あなたのコメントには 救われている人は書かない内容が書かれているからだと思います。
何故そのことを聞かなければならないか?
救われている人は それを聞く必要がなくなります。
なぜならば、そのことは自分が一番よく知っているからです。
周りの反応に翻弄されません。
Posted by 藍 at 2013年01月09日 09:39
真在(まある) さん

PANDA辞典では「もどかしい」の反対は「うれしい」かなあ、と。
Posted by PANDA at 2013年01月09日 09:46
真在(まある) さん

いぬ辞典では、「もどかしい」の反対は「胸キュン☆」かなぁと(笑)
Posted by いぬ at 2013年01月09日 09:52
皆さま、本当にありがとうございます◎

わたしは昨日人を攻撃しました。

自分の恐れからや自分を守るために

相手の言葉じりをつかみ 必死になっていました。

ああ ここにきたら 本当にわかりやすく 皆さまが教えてくれたから、本当にありがたかったんです。

わたしはもっと 自分や他者を愛して生きたい。

もっと 許して生きたい。

何より わたしに相手をしてくれる人 教えてくれる人がいるから、本当にありがたいです。

ありがとうございますm(_ _)m◎
Posted by くみこ☆ at 2013年01月09日 10:04
藍様
もともとの最初のコメントは大空様に書いたコメントであります。

「グッスリ眠っているときは
わたしたちは「みんな」
大いなるひとつの平安・至福を体験しています」

本当にそうでしょうか…
虐待されている子供や女性、世界では宗教的概念からの虐待、アッシド・アタックで顔面を崩壊されてしまった女性、他多数・未知数…
その人達がグッスリ眠っているとき、本当に大いなるひとつの平安・至福を体験しているのでしょうか。本当にそれを信じていいのでしょうか…
私はそうは思えません。実際様々な人に会ってきましたが、グッスリ眠れる事すら難しいものです。睡眠が苦痛の方もいます。そこを「みんな」と定義付けてしまうのは、世の中の苦しみから目をそらしてしまうことと同意義なのかと思います…ぜひ、アッシド・アタックについて調べてみる事をおすすめします。今もなお怯えて眠る人は世界中にたくさんいると思っています。

このコメントに対し、洲鎌直喜様が「まずは、HOGEさん自分の心に目を向けてみませんか?自分が救われていないのに、人を救うことが出来るでしょうか?」と書きました。

藍様は、「救われている人は書かない内容が書かれている」と、
私を「救われていない人」と断定されます。
上記のコメント内容のどこが「救われていない人」の発言なのか
ご説明願います。

大空様は「みんな」「大いなるひとつの平安・至福を体験しています」と書きました。それについて、違うのではないか、というのが私のコメントの内容です。そういう考えを持つことが「救われていない人」という解釈でよろしいですか?
Posted by HOGE at 2013年01月09日 10:14
このブログは強烈であった。1日過ぎたが書き込みをする気になった。私も還暦を過ぎて、若い頃からの自分と変わらない意識が自分の中にあることが気づいてきた。これを、私は「本当の自己」と読んでいた。ここまでは理解していたが、この感覚が全ての人と一緒だなんて、思ってもいなかった。この理解がワンネスの意味しているところとは、目から鱗、衝撃そのものである。他人が、この同じ感覚を共有しているとは!!!!
Posted by 泉谷ソロモン at 2013年01月09日 11:11
PANDAさん

パンダは笹の葉をたくさんたくさん食べないと、
栄養を取れないのがもどかしい。
でもたくさんたくさん笹の葉を食べられるのが、うれしい♪(^^)

PANDAさんが反応してくたのがうれしいです♡


いぬさん

胸キュン☆  いいんでねえの(^^)
           ↑ふたつの意味があります・・・(笑)

いぬさん ありがとうございます♡
Posted by 真在(まある) at 2013年01月09日 11:18
いいなぁ、ここ。

みんな何を見てるんだろう?

みんな何処を見てるんだろう?

そんな疑問が明らかになっていくような感じがします。

これからも色んな自分を見ていく事で、理解が深まるような気がしてます。
Posted by しょう at 2013年01月09日 11:28
HOGAさんはどうしたいのかな?

一応ね、大空さんが言っている事って、言うなれば一般論じゃない?
眠りの恩恵って言うのかな、それを言っている訳でしょ?
で、HOGAさんの言う事も分かるんだけど、ある意味特殊な例じゃない?別にそれから目を背けるとかそういう事じゃなくて、

そもそもお二人とも言っている所が違うんだよね。

ってこれは伝わります?

救われているか救われていないかは知りませんけど、ただね、話は噛み合ないよね、っては思います。
Posted by taka at 2013年01月09日 12:08
taka 様
はい、私は度々同じ事を書いていて申し訳ないのですが
「どうして私を救われていない人」と断定できたのかという事を知りたいのです。
そのただ一点を申し上げ続けております。
人に(あなたは救われていない)等と言えるには、それ相応の理由がなければ言えない事であろうかと思っております。
Posted by HOGE at 2013年01月09日 12:39
>HOGEさん

いいですか?極論も言います。
世間一般的な道徳、倫理を切り離したお話をしますので
気分が悪くなる方もいらっしゃるかもしれません、先にお詫び申し上げます。

世界では色々辛い思いをしている方がいる。
これは現実だと思います、みんながみんなぐっすり眠れるわけじゃない。
・寝ている間に酸を顔にかけられる人もいる、
・生きたままナイフで首を切り落とされる人間もいる、
・労働力が欲しいという理由だけでレイプされ
人間が”生産”される人間工場のような場所もある。
(レイプされるか否かという違いだけで日本にも
少子化を理由にこれに近い考え方をする方もいます)

---------------------ここから極論------------------------

ただですね・・そこに意味なんてないと思っています。

・・私は幼少のころバッタの足をもいだことがあります。

①痛かったでしょう、私のことが恨めしかったでしょう
なんでこんなに理不尽な目に合わなければ
ならないんだ、と 殺してやりたい、と思ったでしょう。

しかし起きた現象は
「物理的に力を加えたことにより
バッタの体を形成している原子の結合がとかれた」
それだけです。そこに意味はない。意味を付属するのは人間の自我。
ここでは①が意味づけになります。

そしてそれは世界中で苦しんでいる方も同じ
究極的には無意味に生まれて無価値に死ぬだけ。

そしてそれは私も同じ
癌で痛みのあまり、のたうちまわって死ぬか
たまたま乗った飛行機が墜落して体が木端微塵になって死ぬか
いくらでも死に方など想像できますがそこに意味はない。

虫と人間を一緒にするな!とよく言われますが
それこそが分離意識なんじゃね?とか思ったりもしますし
私は無機物ですら自分とたいして変わらないと考えています。
------------------------極論終わり------------------------

そんな世の中ですが、それでもなんとかしたいんだ!
と考える方は一定数いらっしゃいます、どの時代にも。

でも凡人である私たちに出来ることは
今、目の前にある問題をなんとかすることぐらいなんですよね。
現状の資本主義社会で言えば
普通に生活して、普通に生産して、普通に消費する。
そうすればゆっくりと、ですが世界は変わっていくかもしれません。

そんなの待っていられない!自らの手で直接世界を変えたいと願うなら
勉強しましょう、お金をたんまり稼ぎましょう、色んな意味で力を付けましょう。
そして現地に行って具体的な解決を行っていけばいいと思います。

ここの住人の方に「現実を見ろよ!」なんて言っていても
世界は急には変わらないということは確実に言えると思います。
Posted by りゃん at 2013年01月09日 12:55
>HOGEさん

「救われている人」と「救われていない人」の定義をしなければ
私が救われたいるかどうかなどわからないのではないか?
ということを主張されているんですよね?

で、ここの住民の方は
「それは言葉に出来るようなものではない(定義不能)」と仰っている。


結論出ているじゃないですか、納得は出来ないかもしれませんが
(私自身も言葉に出来ないと言われても納得は出来ない)

これ以上その主張を繰り返しても
ここではあなたの納得のいく結論は出ないと思います。
Posted by りゃん at 2013年01月09日 13:18
人に、「救われていない」と言われた理由を
ここまで知りたがる、その拘りの方が気になります。
他人から見た自分に対する一つの評価にしか過ぎない、と思えば、
それほど言われた理由に執着することもないように感じます。
あなたは悟っていない、あなたは自惚れている、などというのと同等の
一個のエゴが下した判断であるだけで、
簡単に言えば、そう感じたから、素直にそのままを書いた、
というような雰囲気にしか読めませんでしたが。
それで、理由を聞けば、あなたのエゴは納得するということなんですね。
つまり、理由なく「救われていない」とされることは、
許しがたい暴論である、と言いたいということなんでしょうか?
Posted by 鏡の国のアリス at 2013年01月09日 13:19
鏡の国のアリス様
私は自分が救われていようと救われてなかろうと
幸せであろうとなかろうと
何の思考も感情も働きません。
救われようとも思いませんし、幸せになろうなどとも思いません。
ただ一点、どうして人を「救われていない」と断定できるのか、知りたいのです。
Posted by HOGE at 2013年01月09日 13:24
>ただ一点、どうして人を「救われていない」と断定できるのか、知りたいのです。

断定と書かれていますが、
その瞬間、そう思った、感じた、ということは、
断定ということになるのでしょうか?

次の瞬間には、違う考え、違う気持ち、違う判断になることも、
人間では、よくあることではありませんか?

その時に、そう感じたから、そう思ったから、
というのが理由では、あまりに無責任でしょうか?

自分の物差し(エゴフィルター)で判断することは、
人間なら、日常でよく行っていることで、
人間にエゴがある限りは、仕方がないことと思います。

それをコメント欄でやってしまった、
それに、あなたが反応して、
言った相手を、いつまでも、
なぜ、そんなことをしたのか?と問い詰めている。

「救われている」か「救われていない」かの他人の基準が、
そんなに気になることなのでしょうか?
Posted by 鏡の国のアリス at 2013年01月09日 13:39
私も HOGEさんの気持ち わかります。

そりゃあ あなたは 救われてない  などと

書かれたら なんで そう断定したか 理由は

聞きたくなります。

 そんな気になることを 送った本人は

ちゃんと 理由を つたえないと HOGEさんが 納得しない

 断定に至った理由があるから そういったわけでしょう。

 鏡の国の人も ここまで 知りたがる理由が 気になるか! など

ありますが 、  それって 普通ですよ

 HOGEさんのこと 全部知らないのに 

あなたは 救われてない  なんてなんで云える?
 きめる?

めっちゃ 失礼な発言ですよ 
Posted by  私からもお願いします  at 2013年01月09日 14:14
HOGEさんにお答えしたいのですが、また長くなりますが、お許しください。

>大空様は「みんな」「大いなるひとつの平安・至福を体験しています」と書きました。それについて、違うのではないか、というのが私のコメントの内容です。そういう考えを持つことが「救われていない人」という解釈でよろしいですか?

はい。そうです。
だけど、救われていない人という表現はちょっと語弊があると思います。
本来全ての人が救われているんだけれども、それに気づいていない人 という方が近い。
救われる体験はしているのですが、表面の意識(マインド)が認識していない。
それが分離と言われるものです。

あなたの書かれていることは分離したところからの視線で見た世界です。救われている感覚はあなたの奥深くにありますが、あなたはそれを見ていません。

自我の思考(マインド)のみでものごとをとらえる習慣は現代人の多くの人が陥っています。思考や理論に意義があり、感覚などという不確かなモノに価値を置きません。

私は感覚はありましたが、とても理屈っぽかったので、理論で理解しようとして、理論や思考にとらわれ たびたび本質を見失いました。
更に、理論以上に 言葉にとらわれると もう身動きが取れません。
心を閉ざしている状態になります。
心を閉ざすと周りの魂がその人にアクセスしたくても、本人が堅牢な砦の中にこもっていて扉を開けようとしません。
「扉を開けて欲しいなら納得をよこせ」 と自我は言います。
無理なんです。納得は扉を開けないと入ってくることはなく、扉は本人にしか開けられないのです。

ある時 友人が私にいいました。「ダメ元でいいからさ、騙されたと思って開けてごらんよ。きっといいことあるからさ」
持ち前のチャレンジャー精神がくすぐられました。「変わらなくて元々、やってみるか・・・」
本質を感じるのに理論も理由も正当性も何も要りません。
現象界的には何一つ動かす必要もないので、恐れる必要は皆無です。

たとえ自我が頑張って突っ張らかっていても 
頑張っていた理論が崩壊消滅した時、本質の感覚はなだれ込んで来ます。
死ぬ気で飛び込んだ海の中で息ができちゃった 感じです。唖然とします。 
思考は邪魔です。
思考を鎮めた時、本気で自分以外のものに委ねきった時、本質の理解が感覚的に入ってきます。

マインドが静かになると、そこはいつも静かに微笑む「一つ」 です
理屈(マインド)がワアワア騒ぎがちな日常でですが、 瞑想は私と本質をつなげ 「いま」に戻ってくるためにとても役立っています。
Posted by 藍 at 2013年01月09日 14:16
「どうして救われていないと断定できるのか」

「言葉では説明できない」
これにどうしても納得できないのですね。


では視点を変えて
「どうして救われていないと断定できるのか」=「どうして救われていないなんて酷いこと言うの?」
といったニュアンスで仰っているのだと
勝手に推測してにおしゃべりさせていただきます。


まず他人は自分の鏡とは良く言ったもので
「酷いことを言われた」ときは大抵
誰かに酷いことを言っています、これはガチで。
しかもこのように話がこじれる場合自分では良かれと思って
発言したことが相手を傷つけている場合が多いです。
ちなみに相手も良かれと思ったことを発言してあなたを傷つけています。

当たり前と言えば当たり前ですがこれを意識していても
誰かを傷つけたり、誰かに傷つけられたりするのが人間です。

ただし本質的には傷つけられたからと言って不幸にならなければならないという
ルールなんて無く幸福になりたければ幸福になっていいんですよね。
つまり「傷つけられる」ことと「不幸になる」こと、この二つは別物なんです。

一番上の文のやり取りで「言葉では説明できない」という部分に
納得してないということであなたと私は共通ですが
私は不幸になっていなくてあなたは不幸になっていると仮定(あくまで仮定、これもあなたに選択権有り)すると
そこを分けているのはどこにあるのでしょうか?
この辺も結局は選択なんです。

まあごちゃごちゃ書きましたが
人生は無意味で無価値であるからこそ
自由でもあり幸福や不幸ですら選択できるんじゃねーかな、ということです。
Posted by りゃん at 2013年01月09日 14:36
藍 様

「本来全ての人が救われているんだけれども、それに気づいていない人」
を、藍様は「救われていない人」であるという事ですが、

救われている、救われていない、という価値感の無い人に対しても

「気付いていない人」という事ですか?
藍様は、私のコメントの内容から判断して
「救われている人は書かない内容が書かれている」
と書きました。
私には、救われている、救われていない、の価値感がありません。

どの人が、あの人が、その人が救われていて
そこの人が、こういう人が、ああいう人が救われていない
などと、(世界や苦しみに目を向けたのならば)このようなコメント欄ですら
隣人には言えぬものでありますから。
Posted by HOGE at 2013年01月09日 14:38
救い?
誰が、誰を、どのような事から?
苦しみから?
だいたい、救う、救われる、という概念が、人間的で、
いつも大概、受け身で使われることが多いよね。

人間を救える存在なんて、いるのかな?
自分を救ってくれる存在がいると想定するなら、
自分=神ではなく、
自分を救ってくれる存在としての神を
自分の外に求めているということだよね?
(そうなると、救ってくれる神と救われる私は、永遠に対峙してしまい、
 神と私を含めた全てが大いなるひとつとならないのでは?)

もし、救われたいと思うなら、
結局は、自分が自分を救うしかない、と思うのだけど。
そういう意味では、他人が他人について
救われている、とか、救われていない、と言う事は
的外れということになるかもしれない。
Posted by あ~だこ~だ at 2013年01月09日 15:14
鏡の国のアリス様

「救われている」か「救われていない」かの他人の基準が、
そんなに気になることなのでしょうか?

知りたいからです。
どうして人は人を「この人は」「救われていない」と裁こうとするのか。
という事を。精神世界を学ぶ上で、私は事ことは大変に重要な事だと思っていますので。という理由です。
Posted by HOGE at 2013年01月09日 16:05
>精神世界を学ぶ上で、私は事ことは大変に重要な事だと思っていますので。という理由です。

このことが、所謂、拘りのように感じてしまいますが、
拘ることが悪い、という意味ではありません。

人それぞれ重要だと思うことは別ですものね。
でも、このことに特に執着するのは、
大変に重要だと思うお気持ちに、
何か特別に思い入れがあるように感じます。

>どうして人は人を「この人は」「救われていない」と裁こうとするのか。

ところで、救われていないとして裁こうとした人を、
今度は、そのことで、裁こうとしているわけではありませんよね?

この世は、鏡の世界なので・・^^
Posted by 鏡の国のアリス at 2013年01月09日 16:20
初めてコメントしまーす。

私は阿部さんの講演会に一度だけ参加したことあるんですが、
そのときの質問コーナーでいきなり
「私は悟りを知りました。みなさんも、あとにつづいてください。
 悟りはすばらしいものなんです!」というようなことを嬉々として語る女性がいて、
なんとなく不快になりました。
なんでそんなことわざわざ質問のコーナーでマイクを通して言うんだろう?って思いました。
すでに悟りを得た(と感じている)人には不要な発言だし、
悟りを得たくて来ている人には焦らせるだけの無用な発言に思えたからです。

でも、すぐに内省しまして、それは、
生悟りの自分を否定する鏡だったと気づいたわけです。
(あくまで自分のことであって、その発言の人がどうだってことじゃないですよ)

何が言いたいかと言いますと、
ある発言における相手の意図や心理などはどうでもいいということでありまして、
自分の中の反応にこそ目を向けた方が、求める答えは得やすいのではないかと・・・。
そして理解というのは頭でするものではなく腑に落とすといった感覚だと思うんで、
言葉で追及してもあまり意味はないかと・・・。

余計なことでしたらすみません。

あと、コメ欄のみなさん、勝手に謝らせてくださーい。
ごめんなさーい。

今まで、ブログ内容はともかく、コメ欄が、ちょっと苦手だったんです。
(まったくの思い込みのフィルターです。すみません)

それで、ブログ自体からも離れていたんですけど、
今回のやりとりのコメを見ていくと、
(質問を投げかける方にも答える方にも)
一つ一つに親近感がもてたというか、
どの立場の意見も自分が感じてきたものの中にあって、
みんな同じ仲間で自分の一部なんだなーと思えたんですよ。
そんで、ここでちょっと仲間入りしてみたくなったんです。

およびでなくてすみません。

こりゃまた失礼いたしましたー
Posted by korinota at 2013年01月09日 16:23
鏡の国のアリス様

今度は、そのことで、裁こうとしているわけではありませんよね?

はい、私はただ一点、どうして「救われていない人」と
あのコメントの中から言える事ができるのか、という事が知りたいだけです。
Posted by HOGE at 2013年01月09日 16:40
お互い文の最後のクエスチョンマークによって
「お前はそうなんだろ?私は違うけど」ってのが
透けて見えて両方ともムキになっちゃってないですかね。

としてまた裁こうとしている、として裁こうとしている
無限ループですね。

私はどんなに気をつけようと人は人を
裁いてしまうものだと思うので堂々と言いますが
(重要なのは裁かれてどう受け取るか)

あんまり同じことを繰り返していると”知りたい”のではなく失言を引き出して
”上げ足をとりたい”んじゃないか思われても仕方がないですよ。
ただ先に裁いたのはお前だろう!それを認めろ!が本心ではないの?

言葉で言えるようなものじゃない、言語で理解できるようなものじゃない
というのがここの答えであり、あなたが知りたい答えを得る
具体的な方法論としても瞑想などを示してくれているんだから
それを実践しなきゃ会話にならないと思うよ?
Posted by りゃん at 2013年01月09日 17:32
なんか良い感じに泥沼化してきましたね。(笑


HOGEさんはそこに拘るんですね。

僕は、何で大空さんにHOGEさんが絡んでいったのか、そっちの方が気になりますよ?最初にコメントしましたけど、論旨が見当違いですよね?

それは棚に上げます??


これはあくまで僕の感覚ですよ。

くれくれ、という前にする事ありません?
だって、そこが出発点で
すよ?
Posted by taka at 2013年01月09日 17:40
neutrinoさん

ご説明ありがとうございました。
阿部さんが書かれていますが、きっと真実を説明する言葉には限度がありはがゆい事なのでしょうね。

>一人でも多くの人が、己の中にある仏性(神性)に気付き、
>そのことにより、善なる心が増えれば、結果的に
>戦争や虐待や虐めや通行魔などの悲惨な事象は、少なくなることで>しょう。

そうであって欲しいです。
大変な生活をしている人たちに直接は何もしていないことが、後ろめたく感じる時があります。
(でもそのマイナスの気持ちは、余計にマイナスを呼ぶらしいですね。スピリチュアル?は難しいです。)
せめて善の心を増やすことで貢献したいです。

neutrinoさんの言葉を尽くそうとされる思いやりのある暖かさに、救われました。
Posted by みつばち at 2013年01月09日 17:42
HOGEさん

まだ続いてたんですね♪
久し振りにこのコメント欄で楽しませて頂きました。
korinotaさんのコメントにあるように、いろんな意見があってとっても楽しかったです。

HOGEさんのコメントに書かれた方は、怒りで書いてしまわれたとコメントされてますね。

人は自分の思い込みの世界で生きてます。
その方もご自分の思い込みがあって、そう感じたのでしょう。

人の感じ方には、それぞれの思い込みによる癖のようなものがあります。

生まれそのときから、または自分で気づかない内に、自分流の感じ方、思い方が形成されていきます。

もしHOGEさんが純粋にその疑問の答えをお知りになりたいのなら、「人生を変える 波動の法則」byペニー・スピアーズの本をお読みになってください。特にP.96~から

とてもHOGEさんにあてはまる箇所があったのでお奨めします。

人の苦しみ痛みをひどくつらく感じたり、暴力を見たり感じたりすることに過度に耐えられないなど、辛い現実に目が向いてしまう理由が分ります。

この世はすべて波動でできています。

言葉にももちろん波動があります。

同じ波動の人たちと引き合うということはあると思います。

ご自分を内観してみるきっかけになればいいですね。

すべてはご自身の中に、答えがありますよ。
Posted by 由未 at 2013年01月09日 18:56
由未 様
人の苦しみ痛みを感じ、暴力を見たり感じ、
辛い現実に目を向けるようにしております。
そうしたいから、そうしています。
これが私の中の、答えであります。
質問はただひとつ、「どうして救われていないか」と言えるのか
この一点です。
Posted by HOGE at 2013年01月09日 19:17
HOGEさん

さすがですね。ここまで、書き込めば HOGEさんの真意を

もしかすると 感じ取られる方もおられるかもしれませんね。

私も うっすらとしか判りませんが、あなたの熱意は

つまらない個人的な感情からではありませんね。

それは あなたが観た真実からは、どうしても妥協することのできない

現実に対しての警告であり、思想に対してのそれなのでしょう。

残念ながら 私には、そこまでの意識はありません。

答え(真意)を提示していただけませんか?
Posted by HAGE・・・本物です(笑) at 2013年01月09日 20:45
いろんな人が話すり替えてますね。
 あなたの感じ方が 
どうのこうの   って いうたり
あなたの答えは、本の中にあるとか
全然 的外れですよ。
聞いてるのは、O鎌さんが 最初に
断定的に 救われないと云うた
 その訳をきいてるんですよ

いい加減 HOGEさんの率直な疑問に
答えてください。

 一番最初に あなたは救われてない
 と 断定的に 言い放った人が
ちゃんと なぜそう思ったか述べてください。

ただそれを聞いてるのに、本人は知らん顔。
そして みんなが話を すり替えようとしてるの見え見え。

語弊なら ちゃんとHOGEさんに謝罪してください。

じゃないと HOGEさんが 納得できないと思う。
Posted by がんばれ HOGEさん at 2013年01月09日 20:49
HOGEさんが好んで苦しみに向かわれておられるなら、それは救われていないという表現が見当違いだと思われるのは当然です。
このコメント欄にこられる方の多くは苦しみを捨てたいと願っていらっしゃるので、苦しみを抱えている方を 救われたいのにまだ救われていない仲間 と認識するんだと思います。
HOGEさんが、ご自分の選択で苦しみに注目し、辛い現実 というものに目をむけているなら、それは救われていない のではなく、望み通りの生き方をなさっている ということなので、誰もそれを邪魔したり言い掛かりをつけたりすることなど望まないと思います。。
みなさんは、あなたか救われたいと願っていると思われて 苦しみを手放す事への理解を深めてもらおうと 発言されていたのだと思います。それは親切心からのことですが、あなたには余計なお世話だったろうと思います。
私の発言は撤回いたします。
あなたは救われていない人ではありません。
Posted by 藍 at 2013年01月09日 20:53
HOGEさんが好んで苦しみに向かわれておられるなら、それは救われていないという表現が見当違いだと思われるのは当然です。
このコメント欄にこられる方の多くは苦しみを捨てたいと願っていらっしゃるので、苦しみを抱えている方を 救われたいのにまだ救われていない仲間 と認識するんだと思います。
HOGEさんが、ご自分の選択で苦しみに注目し、辛い現実 というものに目をむけているなら、それは救われていない のではなく、望み通りの生き方をなさっている ということなので、誰もそれを邪魔したり言い掛かりをつけたりすることなど望まないと思います。。
みなさんは、あなたか救われたいと願っていると思われて 苦しみを手放す事への理解を深めてもらおうと 発言されていたのだと思います。それは親切心からのことですが、あなたには余計なお世話だったろうと思います。
私の発言は撤回いたします。
あなたは救われていない人ではありません。
Posted by 藍 at 2013年01月09日 20:54
あ、しまった、二回押しちゃった!(x_x)
Posted by 藍 at 2013年01月09日 20:54
HOGEさん、コメント全部読みました

もっと早くコメントが書ければ良かったんだけど
学校からかえってきて、ようやく今の時間帯に書き込みが出来る
状態になりました。

そうかぁ~、辛い現実から目を背けたくないんですね、
主張していることは、何となく理解できないこともないです

・・・・それから、「どうして救われていないと」言えるのか・・・・・

確かにあなたは救われていませんといきなり言われれば
頭に来ることは当たり前で、その理由を求めるのは
当然だとおもいます。

それについては、僕の失言でしてた、申し訳ありません
許してくださいね。
もしこれでもまだ、気がすまないのであれば、
また、書き込んで下さい、何度でも謝りたいと思います。

良かったら、又あなたの思いを聞かせてください
時間の許す限り全部読みたいと思いますよ。

(´・_・`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月09日 21:07
>HAGE・・・本物です(笑) ?

HOGEさんとHAGEさんは、別人なのですか?
それとも、鏡に映ったHOGEさんがHAGEさん、とか?
または、本物のHAGEさんと偽物のHAGEさんがいらっしゃるのですか?
お二人いらっしゃるのか、
それとも、お一人のタイプミスなのか、
よくわからなくなりました。
Posted by 鏡の国のアリス at 2013年01月09日 21:25
がんばれ HOGEさん様
度々ご心配して頂きありがとうございます。
飾らない関西風の雰囲気でさっぱりした味ポンのようでした。

藍様
たびたびのご丁寧な返答、ありがとうございました。
内容は理解できました。
「あなたか救われたいと願っていると思われて」
という思いこみ、その人の常識、でみなさんが発言されているのなら、
ここの常識が、人間の、家族の、社会の、世界の、宇宙の常識とならぬよう願っております。

洲鎌直喜 様
お疲れのところ、長いコメント、文字数、すべて目を通していただき
ありがとうございました。
内容は理解できました。
「頭に来ることは当たり前」
と書いてありますが、洲鎌直喜 様のコメントを何度読み返しても
感情も乱れませんし、ぜんぜん頭に来ません。
ただ、どうして「救われている人と救われていない人」という言葉があるのか
不思議でしたし、それを躊躇なく使われていましたのでその理由が知りたかったのです。

鏡の国のアリス様
一回目は、私の入力ミスです。
二回目のコメントは私ではありません。大空さんがおっしゃっていた以前コメント欄に書きこみをしていた方と思われます。
一文字だけ違うというややこしいHNでしたね。

HAGE・・・本物です(笑)様
一文字違いのHNにて失礼いたしました。
「答え(真意)を提示していただけませんか?」
答えなど私は持ち合わせておりません。
ただ、どうして人は「救われた人救われていない人」をイメージするのか、
を、考えたく、感じたく、思った次第です。
Posted by HOGE at 2013年01月09日 23:06
誰々は「救われてる」「救われてない」ってよく新興宗教の信者が言うよね。

その宗教の教えに従順な人は救われていて、それ以外は救われてないって具合に。

仮に皆が救われてるという話でも、出る杭は、集団の中でやはり救われてない人や愚かな人にカテゴライズされる。

柔軟性のない宗教では、ちょっとでも教祖様や信者達と違うこといえば、たちまち周りから説得されるみたいだね。

で、宗教では、信じれば救われるから信じなさい、となり、スピでは、その部分が、そのエゴにまみれた自分の心を見つめてごらん、と変わってるだけ。

そしてそのエッセンスとは裏腹に、自分の心を見つめることを他人に押し付ける、というやり方がスピ信者は好きな印象。

なんか固いよね(自由さがない)。
Posted by セシル at 2013年01月09日 23:39
お礼を 頂きまして 大変 恐縮です。

標準語に変換したのに 関西人ということが

見抜かれちゃいましたね(笑)

コメントには めったに出ませんが

つい大阪のおば・・  じゃなくて、 おねえさんの気質が

出て おせっかいしたくなりました。
 
一見落着して安心しました。 ゆっくり眠れます。

おやすみなさい。  
Posted by がんばれHOGEさん改め 大阪のお姉さん at 2013年01月09日 23:49
う〜ん
やっぱり言葉で伝えるって難しいなって思いました。
それぞれ主観が違うからかな?
以前の私ならこっちの意見が正しいなんて思ってたりしましたが、
皆さん真剣に一生懸命生きているんだなと感じて、
皆さん素敵だなって思います。
Posted by watagumo at 2013年01月10日 00:14
セシルさんの「自分の心を見つめることを他人に押し付ける」・・って言葉に、なるほど!

でも、それぞれの感じ方をただ表現しているだけだと思えば、
誰が何を言おうと押し付けとは思わないはず
(・・・ってのも私の感じていることの表現で押しつけではないんだけど)

HOGEさんの
>ここの常識が、人間の、家族の、社会の、世界の、宇宙の常識とならぬよう願っております。
ってのも、
自分が自分の世界でその「常識」を採用しなければいいってだけの話に思いますが・・・。

まあ、私の発言もどうでもいいことですねー。

失礼しましたー
Posted by korinota at 2013年01月10日 00:46
久しぶりに阿部さんのブログ読んでるけど、白熱してますねー。

僕も白熱教室に参加しまーす(^_^)

「救われていない。救われている。」

という言葉があるのか?

僕の答え。

地球は2原論
(善・悪、光・闇、平和・戦争、愛・憎しみ、YES・NO)

宇宙は1原論
(愛=感謝=神=あなた=わたし)

で出来ているから。

そこになぜ?はない。
そういうものだから。(YES)

ただし、1原論(YES)だと、あなたの意識の進化がないから、大いなる何かが2原論(YES・NO)にしたんじゃないかな?

「マイケル・サンデルのこれからの正義の話をしよう」に似ていますが、質問です。

あなたの愛する家族1人を犠牲にすれば、あなたが直接関わりがない地球の裏側にいるブラジル人100人を救えます。

あなたが直接関わりがないブラジル人100人を犠牲にすれば、あなたの愛する家族1人救えます。

さぁ、あなたならどちらを救いますか?





HOGEさんはこのような質問の答えを導き出そうとしているように感じました。

僕はそのための議論はとても大事だと思います。

なぜなら、相手の心、価値観、判断基準、真意は目で見えないから。

見えないからこそ、言葉や、表情、声の調子、仕草、ファッション、イントネーション、肌の色、目の印象などで、相手を理解しようとし、受け入れようとする。

人間は、受け入れられないと不安になり、不安は恐怖となり、恐怖が排除となり、排除するために、同じ人間同士なのに争いあう。

だからこそ、少しの情報からでも、なんとか自分が安心、安全になるように行動する。
人間の本能の欲求の第一は、生命維持です。
なんとか生きるために、安全で安心な場所、状態をてにいれようとするのは当然です。(マズローの法則)

ただ、言葉で意志伝達できる割合は、たったの7%で、残りの93%は視覚(見た目)と聴覚(声の調子)から伝わるとのこと。(メラニアンの法則)
そりゃ、言葉だけじゃもどかしいはずです笑

インターネットの進化で、こうやって距離と時間に関係なく意志伝達できる便利さは手にいれたけど、本当に大事なことは、相手と直接お会いして話し合いたいものですね(^_^)

皆さん、阿部さんの講演会に行きましょう笑

そして、今日の質問を、皆さんがいる場所で大いに話しましょう。
そうして、たくさんの気づきがありますように。

もしくは、skypeとか、hung outとかで、皆さんで阿部さんとお話出来る日が来たら良いですね笑
Posted by イーファン at 2013年01月10日 01:57
HOGEさん、コメントありがとうございます

HOGEさんが「頭にくるのが当然」と僕が勝手に思ってしまったのも
「救われていないと」感じたのも、全て僕の心の中での
僕の勝手な解釈ですね。

思いっきり自分の世界で、夢を見ていました
笑っちゃいますね(笑)。

じゃあそろそそ学校なので、行ってきま~す。

(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月10日 07:36
以前同一人物の書き込みがありましたが、IPは変えられます。
阿部さんがどのように確信されたかわかりませんが、もし同じIPだったとしたら、その人はわざと同じにすることで、阿部さんの懐の深さを試したんじゃないかと思います。

子供の頃に親からひどい虐待を受けた人間は容易に心を開けないでしょうし、その後も周囲から自分の存在を否定された経験を長く持てば、自他に対して強く攻撃的・否定的になってしまう人もいると思います。

そんな人が、絶対にこの人は自分を攻撃しない・否定しないと確信する人物から抱きしめられたら、それこそ生まれて初めて安心して心を開き、内側からあたたかいものがどんどん溢れて、広がって、どこまでも広がって、とても素晴らしい体験をしたように感じるでしょうし、もしそれが異性なら、特別な相手だと錯覚してもおかしくないでしょう。

相手の関心を引こうとするだけでなく、多くの人たちからの注意を自分に向けてもらうこと、阿部さんや他の人からの関心を自分が感じることで、例えそれが架空の恋愛話であっても、目覚めをよく理解している長い文章であっても、暴言であっても、それ対する仲裁や愛・理解などを示すようなやり取りを自分一人で続けていたとしても、見られること・認められることで、自分を見よう・認めようとしている最中なのかもしれません。

私は過去にそのような人と係わったことがある人間です。
その人は男女ともいろんな文体で表現することができますし、様々なことを十分すぎるほど理解しています。だから自分の悩みには自分で回答することができます。
すでに言葉ではわかっているので、他の人からの答えが欲しくて書くのではなく、自分一人では認めきれない・肯定できない何かを、多くの人から得たがっているから書いているように感じています。
Posted by アリアン at 2013年01月10日 14:20
阿部さん、皆さん、はじめまして!

ブログは、いつも楽しく拝見させて頂いてます。

コメント欄は数える程ですが


『グッスリ眠っているときは大いなるひとつの平安・至福を体験しています』についてですが、僕もそうだと思っています。

3,11の地震で怯えて眠る事も不安でいる時も、会社で嫌な事があった時も、試験でも学校でも仕事でもどんな時でも眠い時は眠ってきました(笑)
もちろん、いつもではないですけど!

とくに仕事中に眠くなった時に、いま眠れたら幸せだな~なんて思います(笑)たぶん皆さんも経験あるとおもいますが。

眠っている間は不安や恐れイライラから解放されますね。それが平安・至福なのかもしれませんね!
だって幸せとは不幸のない状態なんでしょう?
目が覚めたら、いつもの不安や恐れイライラが徐々に戻ってきますが…


つまり何が言いたいかというと、眠っている間は解放されているという自覚すらないので
『グッスリ眠っているときは大いなるひとつの平安・至福を体験しています』に
ついて反論しても無意味だと思いました!

では失礼します<(__)>
Posted by 大いなる僕 at 2013年01月10日 15:15
良いも悪いもない。
その人から見た世界はそうだから書いているだけで。
と私から見た世界から発してみる。
自分の見解が誰かより正しかったり優れていたりするわけではないと思う。
自分の見解も尊重するし、他者の見解も尊重しようと思う。

こうした考えも押し付けない。
反対意見も尊重しよう。
私は完璧ではないから、そうした練習をしたい。
自分がそうしたいからそうする。
Posted by 元ひの at 2013年01月10日 16:37
洲鎌直喜様
朝のコメント、ありがとうございました。
このまま、フェードアウトしてしまうのには心苦しく
今、書いています。
実は、未だに…
「救われていないと」感じた、
という箇所について、何故だろう、などと思っています。

「救い、とは何か」

という事についても、さらに、考えを深めるきっかけになりました。

答えのないものかもしれませんが、
洲鎌直喜様との「血の通う、やりとり」のような事を。
これからも出会う人と繰り返し、生命を全うしたいと思います。

ありがとうございました。
Posted by HOGE at 2013年01月10日 23:50
私HOGEさんの文章からは気持ちが見えない印象があって、よくわからなかったのですが、今人間的な面が見れた気がして好きになりましたよ。
どうもありがとう。
人間的云々は、私からはそう見えたってだけです。
念のため。
Posted by 元ひの at 2013年01月11日 05:45
HOGEさん

もしかしてと思ってここのコメント欄を読んでいたら
運良く、HOGEさんのコメントを発見しましたよ(笑)
HOGEさんが正直に思いを書かれていたので、僕も正直に書きたいと
思います。

僕は、いかにもわかったようなことを書いて、HOGEさんを理解したように
コメントを書きましたが、本当の僕は何だか、負けてしまったような
惨めな気持ちでいました。

でも、HOGEさんのコメントを読んでいて、とてもすっきりしましたよ(礼)
HOGEさんはそのまま、正直に生きればいいんだと思います
例え周りから見たら、誰かに噛み付いていると見られたとしても
自分の思いに、正直に生きて欲しいと思います。

お互いに納得できる生き方をしたいですよね(笑)

(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月11日 20:29
元ひの 様
宇宙人だったりして\(゜□゜)/

洲鎌直喜様
皆さま、私を噛みつき屋だと思っていたのかなー
今、気が付きました。\(゜□゜)/
Posted by HOGE at 2013年01月12日 00:09
HOGEさん、今晩は

「私を噛みつき屋だと思っていたのかなー」、まさにそう思っていましたよ(笑)
HOGEさんの思いを、正確に受け取れないところが、言葉の限界なのだと
思いますよ。

コメントを読んだだけで、感じるのはあくまで自分の思い込みの
世界でそれで人を判断することの危うさに
僕も、今、気が付きました。  \(゜□゜)/

ありがとうございました。

(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月12日 02:07
正確に受け取れないところが、言葉の限界
と書いてありますが、
たぶん皆さま、「自分」が私(HOGE)を「さとそうと」しているから
だと思います。
「私は知っている」がベースにありますと、なかなか「知ろう」という感性は見失われてしまうのではないか。と思う今日この頃です。

いってらっしゃいませ。
Posted by HOGE at 2013年01月12日 08:43
なるほどHOGEさんは宇宙人かあ。
半分本気で思ってしまいました。

>たぶん皆さま、「自分」が私(HOGE)を「さとそうと」しているから
だと思います。

なるほど、感じていた違和感はこういうことだったのかも。
HOGEさんを口実に自分のスピリチュアル理解を披露したいだけの人がいるなあと思っていました。

私もやってしまったことが何回もあります。
私を認めて欲しいって気持ちからです。
他者の承認を求めるのは依存になるのかもしれませんが、やっぱり否定されないで、うんうんと認めて貰えるのは嬉しいです。

自説の披露は楽しいですが、誰かを口実にしないで、私は自説を読んで欲しい、認めてくれると嬉しいと正直に書きたいと思います。

これで終わります。
ありがとうございました。
Posted by 元ひの at 2013年01月12日 09:53
HOGEさん

なるほど、納得です確かに、「もう自分は知っている」意識を
持っているつもりは、ありませんでしたが
確かに、「聡そうという気持ちは」ありました、

気付かないうちにもう自分は
知っているという気持ちを持っていたんですね(笑)

取り敢えず、僕もこれで終わりますね。
ありがとうございました。

(´∀`)
Posted by 洲鎌直喜 at 2013年01月12日 18:24
HOGEさん、洲鎌直喜 さん

HOGEさんの問いかけが、コメント欄でどう展開するのだろうかと
興味深く、しかしほとんど野次馬的に、読んでいました。

HOGEさんが、一つの所に問いを投げつづける姿は、ある時の私の姿で
洲鎌直喜 さんが、答えを探しながら応える姿も、ある時の私の姿、
そこに、仲裁を試みるかのように、自説で流れを変えようと進み出るの人の姿も、ある時の私で

繰り返し、さまざまな「わたし」を見ている思いがしました。

HOGEさんがひとつの問を繰り返したのは、答えが返ることを信じていたからなのかもしれない。
洲鎌直喜 さんが、繰り返し言葉を拾う姿も
それは、私が想像した結論とは別のものでした。

その後のおふたりの真摯なやりとりなど読みながら、
徐々に双方の齟齬が何か、読み解かれていく過程は
私がこれから経験するであろう「私」の選択肢を広げてくれました。

野次馬な私も私なら、このやりとりから貪欲に学びたいのも私です。
全く、関係ないところからですが、おふたりに、お礼を申し上げます。
Posted by トパーズ at 2013年01月12日 21:02
個=全体に出会ったとき感動して同化したいと思い子孫を残してまた個に戻りまた…繰り返しメリーゴーラウンド 
Posted by DAIANA. at 2013年02月07日 19:33
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