2012年07月27日

放浪記 2

一筋の光が差しこんだとき、暗闇が消え失せていました。


何十年にわたる闇も、わずかな光の前では無力でした。

まったく抵抗することなく、すみやかに闇はその姿を消し去ったのです。


そのとき思いました。

闇とは単に光がなかったことの状態であり、実体ではないと。

ということは、本当は闇など存在せず、光だけがあるのだと。


たとえば部屋には照明のスイッチがありますが、あれは光を付けたり消したりするものであり、闇を操作するものではありません。

僕たちは闇に対して何かをすることはできないのです。

光に対してだけ、そのことが可能です。


長い間、どのようにして心の闇を消し去るのかばかり考えていましたが、本当に必要なのは光だったのです。



光とは何でしょう。

それは理解とともに現れる「愛」です。


理解は愛となり、愛は光となって、心の闇を消し去ります。



放浪記 2



そうか、すべては愛なんだ。

この世には愛しか存在していなかったんだ。


それを僕は長い間見失っていたのです。



「すべては愛」

この言葉も理解と共にあれば、深い意味を持ちます。

しかし理解がなければただの言葉、綺麗ごとの言葉に過ぎません。


すべては愛、すべては理解・・・僕たちは人生の苦悩を経験することで、愛を発見するようにできているんです。



それまでの自分が、無知ゆえにどれだけ多くの人を傷つけてきたのか。

自分が受けた傷にばかり目が行き、その傷が人を痛めてきたことには無関心でした。


「ごめんね、ごめんね」

その夜は朝まで自分の無知を懺悔していました。


懺悔するというのは自分を癒すということでした。

それは自分を責めることとは違います。

むしろ自分を肯定することであり、自分の本質の素晴らしさを認めることです。


まるで布巾で心の壁を磨くようにして、その夜を過ごしました。




Posted by Toshiro Abe at 11:42│Comments(97)放浪記
この記事へのコメント
おはようございます。覚醒のためにできる事すべてやります☀
Posted by しお at 2012年07月27日 11:52
懺悔とは

自分を責めることではなく

自分を癒やすことだった…

無明 の終わり

光 にまみえられたら
Posted by 風 at 2012年07月27日 11:53
心に染みました。

そうですよね。

ふ〜。楽になりました。
Posted by 田中健太郎 at 2012年07月27日 11:56
こんにちは


    光♪


光♪  愛   光♪


    光♪


愛の光手裏剣が出来上がりましたので
皆様にお送りいたします


すべては愛なんですよね
Posted by 甲賀忍者 at 2012年07月27日 12:05
阿部さんこんにちは(^_^)

>すべては愛、すべては理解・・・僕たちは人生の苦悩を経験することで、愛を発見するようにできているんです。

僕の場合、まだまだ世俗で生きる必要があるんだろうなー。

それとも、世俗を離れて、孤独の苦悩で苦しむか…

何がしたいのかなー。

紙に書き出そーっと!
Posted by イーファン at 2012年07月27日 12:06
そうなんですよね。

愛、ですよね。

いま、愛とはなんだろうと考えてしまっていて(~_~;)

まだ、捉えられていない最中です。・゜・(ノД`)・゜・。
Posted by めぐさん at 2012年07月27日 12:08
 暑中お見舞い申し上げます
「喫茶去」
Posted by gai at 2012年07月27日 12:09
こんにちは!阿部さんみなさん。

>自分を肯定すること

そのとうりです。

自分を肯定して生きていくのです。すると愛もめばえてきます。

肯定すること…大事ですね♪
Posted by サラ at 2012年07月27日 12:12
素晴らしい言葉です。
今朝オポノポノカードを引いたら
一人生の目的は、一瞬一瞬
愛に立ち返ること。
でした。シンクロしています!
Posted by sato at 2012年07月27日 12:18
本当に必要なのは、光だけ。

この世には愛しか存在していない。

愛がここにあるのに、それを見失っているだけ。


愛は、光。
私自身が愛そのものなんだ、って思い出したときに、闇が消え去る。

あべさん、

とってもわかりやすい記事でした。
ありがとうございます。
Posted by あん at 2012年07月27日 12:22
全ては愛そのもの、光そのもの・・
その中に溶けて、自分はいない

ただ執着、囚われを手放せば、今もここに・・
Posted by 太夫 at 2012年07月27日 12:22
 最近やっと「すべては愛」の意味が理解でき始めた気がします。


 きれい事じゃないんですよね。 真実なんですよね・・。

 
 言葉にしようとすると一気に陳腐になる気がします・・・。
 

 今日も 感謝 
Posted by yui at 2012年07月27日 12:25
>僕たちは闇に対して何かをすることはできないのです。
>光に対してだけ、そのことが可能です。
>それまでの自分が、無知ゆえにどれだけ多くの人を傷つけてきたのか
>懺悔するというのは自分を癒すということでした。
>自分を責めることとは違います
>自分を肯定することであり、自分の本質の素晴らしさを認めることです
なるほどです。。。

私なら、こう思うかな
闇を認めて 受け容れてしまえば 二度と闇を経験する必要はなくて
闇と比較して初めて「光」が認識される。ああ 最初から光の中に在った。
幻の「闇」と格闘する中で、他者を傷つけ、また自分をも傷つけてしまって
いた。自分も他者も「本質は素晴らしいにも関わらず、実は闇を体験しなければ気がつくことは なかっただろう・・・って。
Posted by アクア at 2012年07月27日 12:35
何年も続く苦しい状態も愛の現れなのですかね。

悟り、覚醒など、もうどうでもいい気分です。

早くこの苦しい状態から抜け出したい、
早く楽になりたいです。

いつになったら光がさすのやら。
Posted by ぷーすけ at 2012年07月27日 12:37
分かりやすいです。
つい闇の方ばかり見ている、自分に気がつきます。
闇をどうにかしようと光でなく闇を見続けている自分を
Posted by hakuyou at 2012年07月27日 12:39
つづきを楽しみにしています。

最近ぐっときた言葉は

「愛の反対語は価値判断」

という言葉です。

価値判断を手放せばそこは「愛(あるがまま)」の世界。
つまりいつも目にしている世界なんですね。
Posted by わんだ at 2012年07月27日 12:39
皆様に
サラさんへ


自分を肯定しては、
すぐに自己嫌悪やらなにやらで、
すぐに戻る自分がいます。

愛はまずは自分を肯定する事の本当の意味とは何なのでしょう?

自己嫌悪になる自分を含めて全て肯定することなのかな?
Posted by しゅんしゅん at 2012年07月27日 12:42
続きですが、
流れを信頼して生きることも、
自分を肯定することなのかな?
Posted by しゅんしゅん at 2012年07月27日 12:46
素晴らしいですね!!
Posted by tonn at 2012年07月27日 12:49
そのとおりですね。

結局のところ、色々な人の口を借りて「愛」の顕われが語られる。
それが、人々の心に光をもたらすし
もともともっていた光に、「え、これもひょっとして?」と気づくことで
そこについていたホコリを払うみたいにして、光を放ち出す。

みんな、内に光を持っていることをすっかり忘れて
だれかの光に浴したい、明るく照らして欲しい・・・だったけど
何をおっしゃいます、あなたの光で光ってください~

互を照らし合い、みんな光になったら、何も見えない
みんなただの、光に帰るんだな。

もう、次々誰にでも、阿部さんと同じ体験は起きますね。
Posted by トパーズ at 2012年07月27日 12:51
「すべては愛、すべては理解・・・僕たちは人生の苦悩を経験することで、愛を発見するようにできているんです。」


深いです。

広いです。


本当に深くて

本当に広いです。


生じては滅する喜び

生じては滅する苦しみを超えてずっと在る

大いなるひとつの存在の愛のみが在りますね。
Posted by 大空 at 2012年07月27日 12:56
阿部さん♪皆さん♪

こんにちは(^o^)/



“すべては愛”


この事実を理解出来たとしたら、他に何が必要だというのでしょう?

ただただ

感謝しかありません☆

ありがとうございます(*^_^*)
Posted by ミルキー☆ at 2012年07月27日 13:13
・・・素晴らしいですね。
Posted by MIYABI at 2012年07月27日 13:17
私が一番辛かった時にあまりにも状況が苦しかったから暗闇から抜けだそうと決めました
すがったのは光でした
とにかく明るい方へ方へ行こうと思ったんです

スピリチュアルにはまり何かの伝授を受けたりとさ迷いましたが、辿りついたのが阿部さんのブログです
そしてもう数年居座っています(笑)

自分で闇から抜けだそうと決心すれば光は見えるはずなんですね
絶対です

光は愛

阿部さんが毎日たくさんの愛を綴ってくれているから救われました
感謝です
Posted by sunday at 2012年07月27日 13:24
こんにちは(・o・)ノ
アベッチの言葉に静かさを感じます。もの凄く深い静かさ…
愛は静けさの中に、ですよね。

私がいるのは、愛ゆえにと思えてきました。
Posted by ラブ∞マヨ at 2012年07月27日 13:38
全ての苦しみは
気付きのため
愛と幸せに気づくため
なんですね


いつか
いや本当は
今からでも私にも
体験できることなんですよね


まだ分からない私です


引き続き
ありがとうございます
Posted by まゆ at 2012年07月27日 13:41
「すべては愛、すべては理解」

本当の自分(真我)には、最初から何も起きていない。

真我は肉体を通して、3次元ドラマを観察してるだけ。

肉体の自分(自我)は本当の自分ではない。

このことがわかると、気が楽になります。
Posted by サクサク☆マエピ at 2012年07月27日 14:07
表裏一体
光と闇は一セット

う~ん・・・なんて言うんだろうな?
やっぱり、言葉にするとしっくりこない・・・

光は闇であり、闇は光。

なんて言うと、もっとわけわかんなくなるし(汗)
阿部さんの表現力のすごさにただただ感心するばかりです。

結局、闇を学ばなければ光の良いところはわからないって思います。
だって日本にいたら、水道から水が出ることだけで感激する人は少ないでしょうから。

闇を味わったからこそ、苦悩を感じたからこそ、光を求めその素晴らしさに気が付くのでしょう。
Posted by REN at 2012年07月27日 14:37
こんにちは

自分が傷ついている人はその苦しみをわかって欲しいんですよね
ですから 時に
自分と同じ目にあわそうとして誰かを傷つけることが起こる

誰かを傷つける人って実は自分が傷ついている場合が多いんですよね
Posted by 甲賀忍者 at 2012年07月27日 14:43
私は、すべての事は、いろんな気持ちを経験したからこその共感、

その気持ち解るわぁ

と言う事、言ってもらえる事が、ともに感じる事こそが、一体感だと思う。

それが、みんなが持つ、

真理です。
Posted by みどり at 2012年07月27日 14:54
>しゅんしゅんさん

>愛はまずは自分を肯定する事の本当の意味とは何なのでしょう?

私は、必ずしも自分を肯定する事が、愛だとは思いません。(^^)
いきなり否定から入ってしまいましたが・・・
「肯定する」という作業イメージが、無理やり感いっぱいに私には感じられてしまうのですよねぇ。(^^;)

それから念のために一言書いておきますが、阿部さんもサラさんも「愛はまずは自分を肯定すること」であるとは、書かれていらっしゃいません。
ですので、これから私が書く事は、あくまでも しゅんしゅんさんのコメントに対する応えです。m(_ _)m

自分を肯定すると言うのは、正確には「愛が自分を“結果的に”肯定する事になる」であると、私は感じています。
ですので、順番としては・・・

【まず、自分自身に対して理解を示す】
これは、無理に自分を肯定する事ではありません。
自己嫌悪している自分がいるのであれば、それは紛れもない事実です。
ですから、そんな自分を否定して、肯定へ向かうのではなく、まずは、そんな自分に“あなたが”理解を示してください。

「私は自己嫌悪している」という自分自身に対して、それをただ単に、認めてあげるだけです。
自己嫌悪している自分を否定したり、何とかしようとしたりしないで、私は自己嫌悪していると、ただ単純に認めるだけでいいのです。
(これによって、まずは自分自身に対する否定がなくなります。)

【自分自身に対して理解を示せたら、次には、それの存在を認めるという気持ちを使って、実際に理解をしましょう】
どういうことかと言うと、つまり、自分がそうなってしまう(そうなってしまった)事を否定するのではなく、
そうなってしまった事を「慮る」のです。
(慮る:おもんばかる・・・推し量る、察する、心を汲む、気遣う、思いやる、配慮する、などの意)

自己嫌悪になる自分を、ただ単に肯定するのであれば、それは、自己嫌悪になる自分を肯定しようと考えているだけですが、
自己嫌悪になる自分を理解しようとするのであれば、そこには(前提として)愛があります。
なぜ自己嫌悪になるのか、それを“裁くことなく”推し量ったり、察したり、思いやったりして、そっと寄り添ってあげていてください。
(ここでは、否定はしないけれども、意識的に肯定もしません! 意識的な否定も肯定も、結局は裁きなのです。)

あとは、それぞれ、その人次第なのですが・・・自分自身を慮っているという事は、自分を自分で受け入れているのと同じ事ですので・・・
【自分自身を受け容れると、ハートが開く】
自分自身を受け容れはじめると、なんと、勝手にハートが開きます。(^^;)
ハートが開くと、これまた勝手に、肯定感やら受容力やらが湧き出てきます。(その量や強さは、人や状況によって違いますが。)
そうすると、勝手に愛が身近になります。(笑)

自分自身で、あれをやったり、これをやったり、肯定的であろうと努力したりしなくても、自然とそうで在ります。

自分自身に理解を示し、自分自身を理解しようと努め、そして自分自身を慮る気持ちが芽生え、結果的にハートが開いて、自然に愛が起こる。
私自身は、この様な流れで愛に目覚めました。(^^)
Posted by さとコ at 2012年07月27日 15:06
今日の日記は
心に光が差した体験と目覚めの体験どちらですか?

まだ続きがありそうだから光の方かな
続きが楽しみです
Posted by みつばち at 2012年07月27日 15:13
自分にはどうすることもできない運命に引きずられ、犠牲者の役を演じることもありました。
多かれ少なかれ環境の犠牲者だったために生まれた「お気の毒に」という言葉はなくなり、すべてが愛に気づくと「お気の毒な」人はいなくなる気がします。
Posted by アーサー at 2012年07月27日 15:22
しゅんしゅんさん


お久しぶりです。


>愛はまずは自分を肯定する事の本当の意味とは何なのでしょう?

>自己嫌悪になる自分を含めて全て肯定することなのかな?


その通りだと思います。


>自分を肯定しては、
>すぐに自己嫌悪やらなにやらで、
>すぐに戻る自分がいます。


すぐに戻るということは、肯定する時に条件を付けていませんか?
こういう自分は愛するけど、こんなところは認めたくないとか。
自分の全てを愛すると頭でわかっていても、どこか否定してるとか。。

愛とは価値判断を持ち込まずに、ありのままを無条件で受け入れることだと思います。(「いまここにいる、そのままの自分でいいんだ~~!!」って心から思うこと 笑)

自分の闇もよし(あり)とするのです。

闇は見ようとしないから闇としてあり続けるのであって、一度しかと闇と向き合い見てしまえば、今日の阿部さんが仰るようにそれは消えることでしょう。

その闇と向き合う、目を向けるということが、理解に繋がり、愛となり光になるのだと思います。

そして、これは他人がやってくれるものでも、やってあげられることでもなく、きっかけは外にあっても、闇に光を届ける(取り戻す)のは自分でしかないのです。

まあこれも、自分のペースで徐々にやっていくと、そのペースに伴い自分も他人も受け入れられるようになっていくと思います^


あ、さとコさんがこれをうまく説明してくれていますね^^

まず、そのままの自分を受け入れ、その上で変えたい部分があれば、いまここから変えて行けばいいと思います。

自分を愛することが、他者を愛することにも繋がり、世界平和へと繋がっていくと思っています。


>流れを信頼して生きることも、
自分を肯定することなのかな?


そう思いますよ~^^


ではでは、参考までに♪
Posted by 雪光(ゆきひかり) at 2012年07月27日 15:36
阿部さん、みなさま こんにちは。
本当の闇は、おおいなるものが一手に引き受けてくれているから、映し出された私達は、ただこの光の世界で戯れていればいいだけなのですね。「ないもの」をあると言わないで、ただ「あるもの」だけの世界で♪LOVEYOU♪
Posted by yu-ko k at 2012年07月27日 15:58
すべては「愛」…ですね

それが自分自身の内からわきおこるのを感じた時、
「愛は汲めども尽きぬ泉のようなもの」という美輪明宏氏の言葉の意味がようやくわかりました。
嬉しくて、目にうつるものすべてが美しくて愛しくて、生きているって素晴らしいんだと感じました。

とはいえ、ネガティブな思いにまみれて生きていると、だんだん「愛」の感覚が薄れてきて

今は混沌としたエゴの中(。>_<。)うんこまみれでございます。(ノシ-Д-)ノシ

でも 一度でも体験できたのは大きなこと。
だって愛を知ってしまったんですもの。
先日も「大いなる愛」の存在を感じることもできましたし、気づきはいろんなところにありますね。

あとは自分自身をきちんと立て直すことが私に与えられた課題なんだなー。
Posted by アラヤクリ at 2012年07月27日 17:14
阿部さん皆さんこんにちは~

>闇とは単に光がなかったことの状態であり、実体ではないと。

ということは、本当は闇など存在せず、光だけがあるのだと。

深いお話ありがとうございます。

昨夜泊まり込みで一晩中友人数名と飲み明かしました。
腹筋割るほど(ウソです。ホントは三段腹・・・泣)大笑いしました。

その場にいた友人一人ひとりに不思議な位愛おしさを感じました。
Posted by Jinn at 2012年07月27日 17:17
アラヤクリさん

1ヶ月、2ヶ月前のアラヤクリさんは影に入っていたみたいでしたが
今はすっかり、愛が真ん中にあり、たまにうんこまみれにはなるけれど
それを拭き取った自分を知っている。思い出せる。
それが、前とは全然違いますよね。

文体そのものが光るように伝わります。
自分への愛を、ちゃんと取り戻したみたいです。

良かったです♡
Posted by トパーズ at 2012年07月27日 17:27
はじめまして、人は傷つきその痛みを知ることにより他人の心や肉体的の痛みが解り、そして悔いいる!
そしてその後悔が明るい未来への道しるべになるか?
それとも己の後悔の呪縛にとらわれるかのはその人次第!

しかしただ言えるのは、すぎた過去は元に戻らない、しかし未来は己の思考で変えられる。
その選択を謝らなければ明るい未来へと導かれるような気がします。
どんなに綺麗な言葉を百万遍並べても、受け取る側が理解できなければ、・・・
しかし愛は神なり、見返りを求めない愛こそが真実の愛!!!
光があり闇がある、その暗闇のなかから一閃の光を見出すのも己しだい。
そこにそれがあると認識すればそれはある、しかしそれがないと認識すれば
それはない!(色即是空) (空即是色)・・・

損得勘定だけで己の懐を気遣い、己の尺度だけで物事を測るこの日本社会はどうなることでしょう?
明るい未来がきり拓けるようになって欲しい、そんな気がする今日この頃です。
Posted by hiroijuhiroiju at 2012年07月27日 18:51
愛は思考の消しゴムでもあります。

この世には愛しか存在しない。

全てが愛!

まったく同感ですね^^
Posted by 近藤 at 2012年07月27日 19:05
私の場合

光を意識するのは闇にのまれている時

夢の中では雲の先に光が必ずあると、わかるので光の存在に安心する(ある人に、もう少しで捕まっていた…らしい。よくわからないが助かったよう)(^-^;)

目を閉じて集中すると側に光がある。向かって来ると怖くて目を開ける。(^_^;)
理解しなくとも、光の中に皆いると思っていますf^_^;
苦しんでいる時は自分で目をつぶっている(恐怖)か涙で曇って(不安)いるだけで、けして見捨てないと思っています。

理解しなくてもオッケーさ
でも阿部さんのように目覚めたい~(やっぱり苦しみが減るので羨ましいです正直)

これからもよろしくお願いいたしますm(__)m

生意気言ってすいません<m(__)m>
Posted by ブルー at 2012年07月27日 19:21
心にしみました

ありがとうございました
Posted by りな at 2012年07月27日 19:44
>懺悔する

私は、カルマを背負い、生まれてきてしまったことに対して罪悪感があります。
無始なる過去より貪瞋痴の煩悩の中で生まれ続けてきた私、
生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥い 眼の見えない私、
そして、こうして生きていることで、他の生命を頂いて生きていることに、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで、懺悔します。
こうして、生きているからには、頂いた生命に対して、それを成り立たせている地球、宇宙すべてに対して、神々に対して、幸福を祈らなければならないと思っています。
とてもじゃないですが、恩を返しきれるものではありませんが。。

>懺悔するというのは自分を癒すということでした。
と聞いて、
阿部さんは、素晴らしい人間性、素晴らしい人格、素晴らしい価値観を持ってらっしゃる方だと思いました。
Posted by nori at 2012年07月27日 19:45
>光とは 理解とともに現れる「愛」です。

理解こそ、人間らしい、人間が出来る、最高の功徳の現れだと思います。
理解があれば、盲目的な信仰はしません。
理解があれば、二度と自分を苦しめることはしません。
理解があれば、他の人の言うことに惑わされません。
理解があれば、人を、自分を許すことが出来ます。
などなど^^
Posted by nori at 2012年07月27日 19:47
>苦悩を経験することで、愛を発見・・・

いっぱい苦悩しました。

そして、愛に光に導かれました。

こんな、種あかしがあると知らずに
こんなカラクリがあると知らずに

苦悩に体当たりしていました。

皆さんも目の前ですよ
怖がらずに体当たりしましょう
いま目の前の出来事にこころを込めて味あうのです・・・

肩の荷を全部降ろせます。

そしてまた始まるのですよ。
愛と感謝が溢れながら、感じるままに歩き出します。
Posted by ジンライム at 2012年07月27日 19:57
ありがとうございます♪

生きてきたすべてが…愛…なのですね♪



背中に出来たオデキがシクシク痛むのも…

健康のありがたみを知らせてくださるきっかけ♪…

愛…なので~す\(^o^)/

なんでもない日常は…愛ある今…であふれています(*^^)v
Posted by あさみ まり at 2012年07月27日 20:12
初コメです。みなさんこんばんは!

自分が闇の中にいたときに何回も反芻してた好きな諺があります。

” 一寸先は光!! ” by 飯田史彦

初めて見たときクスッとしました!
Posted by らむね at 2012年07月27日 20:27
死にたいと強く思っても、それが実は実感のある生への渇望であるように、
光を強く求めるほど、闇もしっかり確認したいと思っていることにならないだろうか。

自分を苦しめるこの闇は何なんだろうと、観察し、助言を受け、考察し、
それが何とも曖昧で気まぐれで、根拠を持たない事に気づき、
必死に関わらなくても、自分は脅かされることもなく、ただ通りすぎていく物だと感じるようになって、

そうやって過ごしていると、闇が不満と一緒に薄れていっていることに気付く。

穏やかな心境のなか、、やがて少しずつ光も感じるようになってくるのではないだろうか。
Posted by JAC at 2012年07月27日 20:33
質量=エネルギーですが、それはそのままイコール愛だ、ということを今、思い出した!…ような気がする。(^ ^)

つまり存在そのものが愛なんですね。だから実はすべてのものが愛でできている。
あなたも私もこのパソコンも水も空気もみんな…。すばらしーっ!
Posted by PANDA at 2012年07月27日 21:21
とてもやさしい気持ちになります。
ふんわり包んであげたいような。。。
Posted by 由未 at 2012年07月27日 21:57
どんだけ~ 許せるか、ですよね?
ずっとずっと、しゃべりまくって、しゃべりまくって、考えて、考えて、やがて考えるのにも疲れ果て、もう降参だ、と思ったら、いつもの阿部さんのブログに出っくわし、今宵、 そう思うに至った次第です。
Posted by 下野誠一郎 at 2012年07月27日 22:17
敏郎さん、みなさん、こんばんわ^^

>「ごめんね、ごめんね」
>その夜は朝まで自分の無知を懺悔していました。

敏郎さんとで出会って私は自分がいかに馬鹿なのかを知りましたよ(笑)

瞑想して「自分はいない」ということに実感が伴ってくると、
国語や算数や理科や社会を学校で学習して身につけるように、
「自分」は社会と関わりながら学習した記憶でしかないことに気づく。

で、いままで学習した知識を勇気を振り絞って捨てると空っぽになる。
知識も知性もない。文字通り、無知になる。
言葉を学習する以前の理性も思考も時間もない世界に戻る。

赤ん坊って何も知らないから無知ですよね?

どうしようもないほど馬鹿ですよね?

でも、それが絶対的な自由であり神でした(爆)
Posted by 日和 at 2012年07月27日 22:24
らむねさん、良いですね!

” 一寸先は光!! ” 

使わせて頂きます(^^)
Posted by sen at 2012年07月27日 22:39
神という言葉と同じくらい、愛という言葉もそれが実は何なのかわかりづらいですね。
鈴木秀子さんの本に、愛の試金石として、ここに一杯のごはんしかなくて、空腹の自分と相手がいるとき、相手にこれ食べてって差し出せるかどうか。というのがありました。
シンプルだけど分かり易い。それができない自分に愛を語る資格があるのか、と考えさせられます。
Posted by yassan at 2012年07月27日 22:55
「すべては愛」、そう心に刻みながら生きていきたいです!
Posted by ポワンコ at 2012年07月27日 23:03
それは理解とともに現れる「愛」です

その「理解」(=覚醒?)に

いつか至れるのだろうか?

とマインドは考えちゃうのね!

思い悩んでもしょうがないのに…
Posted by 一空 at 2012年07月27日 23:05
日和さん


まったく同感です、素晴らしい!


これがまさに

「無知の知」

ですね^^



yassanさん


ワールドシフトの大会で

鈴木秀子さんの講演を聞いたことがあります。


「指は5本ありますが

 手はひとつです。

 わたしたちはひとつなんです」

と指を広げて話してくれたのがとても印象に残っています。
Posted by 大空 at 2012年07月27日 23:07
大空さん
日和さん



僕もまったく同感です!


自分は「無知の知」だと心底知る、、、それはまさに叡知そのものだと


一瞬の気付きさえ無知、、、気付きを受け取った自己さえ幻なのですから(笑)


が、しかし


愛から生じた一瞬の光、気付き・深い理解は、人生に深く広い愛をもたらしますね^^*。
Posted by 優。 at 2012年07月27日 23:37
トパーズさん

あいかわらずぐちゃぐちゃなんですよ~(笑)
だって、「愛」を体感したのは3年前(うわ~そのあとどうしちゃったの???みたいな ^口^;) はげしい浮き沈みを楽しんでおりました。

でも、 この5年くらい、20年分の変化と成長を やっているようで、

ほんの半年前の自分と今の自分でも 別人のようです。

劇的な「目覚め」体験はなくても、徐々に変わって気づいて行く 私のような
「目覚め」があってもいいのかな、と 最近思います。

トパーズさんはじめ いまここの仲間の暖かいまなざしを感じられて、
ほんとに幸せですう~。これが愛ですよね。ありがとうございます。

はやく自分の土台をしっかりさせて、周りの人に愛をとどけられるようになりたいな。
Posted by アラヤクリ at 2012年07月27日 23:39
こんばんは


五輪♪

五輪♪

五輪♪


世界が平和でありますように
Posted by 甲賀忍者 at 2012年07月28日 01:03
最近、神の粒子との異名を持つ「ヒッグス粒子」とみられる新粒子が発見された可能性が、CERNから発表されたのは、記憶に新しいですね。

そして、そのビックニュースに付随するかのように、
7月4日付けの学術雑誌ネイチャーには、これもまた大発見と言って間違いない、
フィラメント状のダークマター(ダークマターフィラメント)の存在を実際に確認したという論文が掲載されました。

このダークマター(暗黒物質)とは何か?ということですが、

簡単に言うと、

『宇宙は、何でできているかを調べてみると、
われわれが知っている、陽子や中性子など”目に見える”(観測されている)物質は全体の約4パーセントにすぎず、
その5~6倍は未知の物質(ダークマター)が占めていると考えられる。
残りはダークエネルギーと呼ばれている正体不明のもので、
これまで観測に利用されてきたのは、光やX線、赤外線などの電磁波だが、
”暗黒”物質というのは、自力で光っていないか光を反射しないために光学的には観測できないとされ、
電磁波での観測では見ることができないため、”暗黒(ダーク)”という呼び名がつけられた。今の所、未確認で未測定の得体の知れない物質』という。

そして、最新の研究では、
『宇宙の密度を現す値(Ω)がほぼ1であるとすると、
Ωの内訳は、通常物質が3.9%、ダークマターが24.6%である。
そして、残りの、正体のわからないダークエネルギーは75.3%あるはずであり、
宇宙を満たしている大部分はダークエネルギーということになる』
ということです。

なぜ、こんな「いまここ」と直接関係ない最新科学のニュースを引っ張り出したかと言うと、

>闇とは単に光がなかったことの状態であり、実体ではないと。

>ということは、本当は闇など存在せず、光だけがあるのだと。

という阿部さんのコメントに、少しばかり、腑に落ちないものを感じたからです。(正直に書きます。お許し下さい)

阿部さんが書かれたことは、精神世界のことで、
科学(宇宙の理)の世界とは違う、ということは、承知していますが、

今や、「空」は、科学では、量子場のことであり、
「光」とわたし達が言っているのは、波動のことだというのは、
ほぼ常識になりつつあります。

この「暗黒物質」が宇宙に存在しないとなると、
たった約4%の素粒子(物質)は、
宇宙に存在できない、ということになります。

反対に言うと、ダークマターやダークエネルギーが宇宙を構成する主要素であり、
ごく僅かの「在る」という存在(物質)を支えている、とも言えます。

ダークマター、ダークエネルギーの存在は、宇宙に闇は存在する、ことを示唆しているように感じます。
それも、光のために存在している、と言えるかもしれません。

光は、この暗黒宇宙の中で、燦然と輝く存在です。
光があるからこそ、闇は闇であることができ、
闇があるからこそ、光は存在できる、のだと思います。
なので、「光だけがある」という状態は、この宇宙では、在り得ないと言えます。

確かに、生きて行く上で、「闇」の状態を好む人はいないでしょう。

心の中の「闇」と宇宙を構成している要素である「暗黒物質」を結びつけて考えること自体、
こじつけにしか過ぎないかもしれませんが、

少なくとも、宇宙に於いては、
「闇」とは、状態ではなく、実体であり、それも、近い将来、観測可能になると言われている未知の存在なのです。
(ニュートリノを発見したカミオカンデの次のターゲットは、このダークマターであるそうです)

近い将来、このダークマター、ダークエネルギーの正体が明らかになる日が来ることでしょう。

そして、また、量子力学の世界観と精神世界の世界観が一致したように、
このダークマター、ダークエネルギーも、精神世界で、重要な役割を果たす日が来るのでは、と思います。

心の「闇」に関しては、きっとずっと在るものなのではないか、と思っています。
「光」が心に満ちると、その明るさで、「闇」は、失せ、
「光」が無くなると、また「闇」は、その姿を現す。
なぜなら、もともと在るものだから。両者とも、存在として在る。
「光」と感じることができるのも、「闇」を知るからこそ「光」の明るさを認識できるのだと思います。
「光」と「闇」は、表裏一体。切り離しては在り得ない。
どちらか一方だけでは、存在することができない。

そんな風に、今、わたしは、考えています。

(阿部さんのご意見に、いちゃもんをつけているみたいでスミマセン!
 心の「闇」の辛さは、経験者なので、わかりますが、
 ダークマター、ダークエネルギーの存在を知ったことで、
 これらのお陰で、わたし達を含む宇宙が存在している、という結論に達したため、
 「闇」もまた必要である、悪しき存在ではない、という気になってコメントを書いてしまいました。 
 不適切でしたら、削除して下さい)
Posted by ニュートリノ at 2012年07月28日 02:14
ニュートリノさんへ

ダークマター、ダークエネルギー、興味深いですね。

科学は観察者が観察対象に対しての学問ですが、いつかその両者がひとつになる地点が来るのでしょう。

内側と外側の融合のとき、人間の理解を超えた(というよりも理解する必要のない)次元が顕わになるのだと思います。


闇と光の双方が存在するというのは、物理や数学の世界ではあり得ますが、単純に闇とは光の不在に過ぎません。

この表現も、意識の段階を表す比喩に過ぎず、行間をとらえない限り、議論は続いていきます。

僕の話は、その多くが比喩です。

比喩に検証は不要です。

神話に検証が不要のように。


あなたのコメント、いつもワクワクしながら読んでいます。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2012年07月28日 02:48
私達の思考には
世界の平和を願う光の側面や地球の爆発を願う闇の側面があるわけですよね

しかし この記事で言っている光と闇はそのことではなく

光であれ闇であれ現れては消えて行く思考を闇として表現し
思考は幻なので存在していないと言っているのだと思います

そして

光とはその現れては消えて行く思考をただ静かに見ている自分のことでありこれのみが存在している 永遠に不滅の愛なんだよ
と言っているのだと僕は思います
Posted by 甲賀忍者 at 2012年07月28日 02:49
甲賀忍者さん、いつも手裏剣ありがとう。

こんな時間まで起きてしまった僕です。

オリンピックの開会式を見ようと思ったけど、やっぱり録画にします(笑)


みなさん、いつもコメントをありがとうございます。

そのたびにレスできなくてごめんなさい。


おやすみなさい。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2012年07月28日 02:53
阿部さん


傑作♪

傑作♪

傑作♪


傑作でしたね(笑)

僕はこのまま起きています
Posted by 甲賀忍者 at 2012年07月28日 03:06
>さとコさん

コメント本当に有難うございます。

>「私は自己嫌悪している」という自分自身に対して、それをただ単に、認めてあげるだけです。
自己嫌悪している自分を否定したり、何とかしようとしたりしないで、私は自己嫌悪していると、ただ単純に認めるだけでいいのです。
(これによって、まずは自分自身に対する否定がなくなります。)


多分ずっと表面的には明るく振舞いながら、
自己嫌悪に対して自分をいじめてきたみたいです。
自分に対して「それでいいんだよ」と思いながら心の奥では逆に
「駄目な自分を情けなく否定してしまってたみたいです」
単純にただただ認めるだけでいいんですね。。






>自己嫌悪になる自分を理解しようとするのであれば、そこには(前提として)愛があります。
なぜ自己嫌悪になるのか、それを“裁くことなく”推し量ったり、察したり、思いやったりして、そっと寄り添ってあげていてください。


何だかこの言葉を読んで、いかに自分にしばりをいれていたり
又、光であるはずの自分は本当の愛を知っていたふりをしていたと感じます。
こうやって又自分を否定したりしてますが、
「ちゃんと自分に向き合い寄り添ってあげる」という事を意識していきます。




後は、流れに任せて信頼していきます。


本当に愛いっぱいの言葉有難うございます。

ただただ感謝です。
Posted by しゅんしゅん at 2012年07月28日 03:15
>雪光さん

お久しぶりです。
コメントわざわざ有難うございます。


>すぐに戻るということは、肯定する時に条件を付けていませんか?
こういう自分は愛するけど、こんなところは認めたくないとか。
自分の全てを愛すると頭でわかっていても、どこか否定してるとか。。

図星です(-_-;)
自分の全てを愛していなかったです。
自分はただの偽善者じゃないのか?って思う事がしばしばです。



闇をしっかり見るのをどこかで逃避してたり、
見ないふりをしていたり……


阿部さんが書かれていた
>懺悔するというのは自分を癒すということでした。

それは自分を責めることとは違います。

むしろ自分を肯定することであり、自分の本質の素晴らしさを認めることです。


ごめんね、ごめんね、
と、いまここで自分に対して言ってあげたい気分です。


有難うございます。
Posted by しゅんしゅん at 2012年07月28日 03:27
阿部さん


遅く時間帯にも拘らず、お返事ありがとうございます。
削除を覚悟していましたので、予想外のお返事に少々驚いています。
(今、TVでオリンピックの開会式をやっていますよ(笑))

さて、光と闇の禅問答のような問いに対して、
明確なお考えを再度、お聞かせ頂きまして、ありがとうございます^^

「闇」とは、「光の不在」ということなので、
ちょっと思ったことを書かせて頂きます。
(まだ、消化不良のようです。申し訳ありません)

「表」の反対側は、「裏」でなく、ただ単に「表で無い」ということですか?
つまり、「裏」とわたし達が呼んでいるものは、「裏」として存在するのではなく、ただ単に「表で無い」?

う~ん、わからなくなってきました(笑)

>この表現も、意識の段階を表す比喩に過ぎず、行間をとらえない限り、議論は続いていきます。

はい、そうですね。
禅問答は、もう止めにします(笑)。

ただ、ダークマター、ダークエネルギーは、まだ馴染みが薄い存在ですが、
(ダークというと、ネガティブなイメージがありますが、
 発見された暁には、そのようなイメージは払拭されると思います)
その存在を科学が認めており、
今や、その発見に物理学、天文学の世界中の科学者がやっきになっている注目度NO.1の新粒子、新概念です。
宇宙の約95%を占める存在ということで、
宇宙の創造、更には、創造主の何たるかにまで踏み込んでいく可能性を感じています。

そう考えると、本当にワクワクしますね^^

(全体でも宇宙の4%にしか過ぎない(物質)世界で、
わたし達は、なんだかんだやっているのだと知ったら、
何だか、ちょっと馬鹿らしくなってしまいました(笑)。
こうなったら、あれこれ考えずに、本当に、これは、お任せするしかない、
と完全降伏、白旗を振る覚悟を決めましたよ(笑)。)
Posted by ニュートリノ at 2012年07月28日 07:03
ニュートリノさん

ダークマター、ダークエネルギーの解説ありがとうございました。
物理バリバリの、まさにそれを専門として研究している人が身近におります。私がこのような形で精神世界に触れているとはよも知らず、
彼にそのような話題を振れば、即座にバッサバッサと切り返されるかと思い、
「聞いてみようかな」と思ったことなどなかったのですが
わたしには精神世界的な話題で触れる比喩的な「宇宙」、
彼は天文学宇宙物理学として、研究対象の宇宙、
右と左の双方からぐるんと回って「共有する日」も来るのかな。
およそ話題の噛み合わぬ兄だと思っておりましたが
思いがけぬとことで、接点があったのかな。

ニュートリノさんの解説は、文系頭の私にもわかりやすかったです。
ずっと、なぜ「ニュートリノ」さんなのだろうか?と思いながら
大型加速器のことなど思い浮かべておりましたが、
こういう形で光と闇についてのお考えを読ませていただき、
深い思索を感じる命名に、なるほどと手をぽんと叩きました。

阿部さんとのやり取りも、興味深く読ませていただきました。
Posted by トパーズ at 2012年07月28日 08:11
ニュートリノさん おひさしぶりです。
あなたの前向きな 探究心に頭がさがります。
今回の勇気?あるご投稿も 興味深く拝見いたしました。
阿部さんが 光しか存在がない中において闇はなく、どうすることも
できないとおっしゃる中で、現実に闇の粒子は存在があるらしいとの
ご意見ですよね。

禅問答として言えば、本質としての「光」は 現象としての「闇」を
生み出していると 私は思います。私達の心にも 本来は「光」が本質
でありますが、自我レベルにおいては「闇」の顕われとしての「苦しみや
辛さ」の概念に左右されています。高い存在としての「光」は物質界という
波動低き世界創造にあたり、「闇」を物質・精神ともに生み出しているのでは
ないでしょうか。精神的な「闇」を抱える私達自我は 解消することを
願いながら 今日もまた 闇に翻弄されてまいります(笑)

物質の世界・物質レベルにおいては 光・闇という二元的なとらえ方は
意味が違う気がいたします。阿部さんのおっしゃる本質としての「光」も
あなたのおっしゃる 物質としての「闇」も どちらも正解と思いますよ♪

そうして 私もそうなんですが、光とか闇とかの中傷的な表現を もっと
現実的で 誰が読んでも理解できる ことばに置き換えていきたいと
最近 思います。(笑) するーされてください。
Posted by AQU@ at 2012年07月28日 08:16
おはようございます


私も昨夜?は2時半過ぎまで起きていました~

『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を観ていたのですが、これも『マトリックス』と同じ頃、10年程前に一度観たことがあり、どちらも当時はよく意味を捉えられなかったものの、深い部分で感じるものがあり、とても印象に残っていたのですが、改めて今観てみると、どちらも深ーいですね~(笑)

『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』なんかは、まさに昨日の日和さんのコメント内容のことを表現しているように感じましたし、どちらの映画も今になって意味がわかり理解が深まると、更に作品の奥行を感じ、文章や音楽や絵画や映画等々、皆表現は違えど、色々な人が様々な角度から目覚めを表現してくれているのだな~と思いました。

どこから入っても行き着く先は一つ・・・

そんなことも感じました。

今日も未知なる一日がはじまりましたね^^
Posted by 雪光(ゆきひかり) at 2012年07月28日 09:10
秘教によりますと、ダークマターとはエーテル物質のことです。物質の状態は現代科学では固体、液体、気体の3状態しか認識されていませんが、気体よりさらに希薄なエーテル体という状態があるそうです。

例えばUFOはエーテル物質でできていますので、通常はわれわれには見えません。UFOの乗組員がその波動を下げた時に見ることができ、元の状態にもどすと見えなくなります。UFOが突然現れ、また急に消えるように見えるのはこのためです。

水星のもう一つ内側には『バルカン』と名付けられる惑星があるのですが、エーテル物質でできている上に質量が非常に小さいので、未だ発見されていませんが、近い将来発見されることでしょう。

世界の天帝、サナット・クマラがおられますシャンバラは、ゴビ砂漠上空数千メートルのところに存在するそうですが、やはりエーテル物質でできているので通常は見えません。しかしエーテル視力のある人には実際にシャンバラが見えるそうです。

なぜ人類のエーテル視力がなかなか開発されないのかと言うと、われわれは人生において、マインドとの葛藤にそのエネルギーの大半を費やしてしまっているからなのだそうです。人類の目覚めが待たれる所以ですね。

ちなみに今問題になっている"原発"に関しては、ハイアラキーの覚者はただちに止めなければいけないと言われています。原発は現代の科学者、技術者が安全に運転されていると認識している状態においてさえ、このエーテル界レベルで最凶の放射能をまき散らしているのだそうです。

エネルギー源に関しては、短、中期的には完全にクリーンな常温核融合が、原発巨大利権勢力によって隠蔽されて来たものの、理論的に整備されており、実用化の目途も立っているそうですし、長期的には無限にしかも無料で太陽光線から直接取得できる、光のテクノロジーが、ハイアラキーによって用意されているのだそうです。

本来なら、地球はすでに生命が存在することが出来ない状態になっているのだそうですが、いまだにわれわれが生存できているのは、火星や金星の兄弟たちがUFOでやって来て、カルマの許す範囲内で、日に夜をついでずっと放射能の汚染を中和し続けてくれてきたからだそうです 。

ベンジャミン・クレーム氏によりますと、福島の放射能が北半球の食物その他に存在しているというようなことはなく、宇宙の兄弟たちは、福島事故による放射能の多くをすでに中和したそうです。よかったですね。(シェア・インターナショナル誌 7月号 28頁)
Posted by てなんつ at 2012年07月28日 10:28
甲賀忍者さん

>自分が傷ついている人はその苦しみをわかって欲しいんですよね
> ですから 時に
> 自分と同じ目にあわそうとして誰かを傷つけることが起こる

>誰かを傷つける人って実は自分が傷ついている場合が多いんですよね

甲賀忍者さんの言葉がしみました。
私も、いろんな人を傷つけてきました。自分と同じ目に遭わそうなんて意識してなかったけど、
振り返ってみるとそうやって癒されようとしていたと思います。
(方向性が間違ってるんですけどね)

昨夜、とある人と夜中に電話で話をしましたが、
これまでなら偉そうな親切そうな顔で もっともらしいことをひとくさり語って
啓蒙しようなんてどこかで思っていたような気がします。(「愛」の名のもとに同じことをずっとされてきたから、それが愛だと思っていた)
昨夜はその人の言葉をただ聞くだけでいられました。
その人の生き方を受け入れたいと思いました。

大事な気づきをありがとうございます。


ニュートリノさん

ダークマター、ダークエネルギーの話は、私も以前
知り合いからちらりと聞いて興味を持っていたので
ニュートリノさんのわかりやすい説明を読めてよかったです。
ものすごい話ですよね。

物質世界とダークマターの割合(4:96)は、
人の顕在意識と無意識の割合に近いという話があり
(誰から聞いたか忘れたので、私の妄想かもしれませんが)

もしそうだとしたら、やはり私たちは自分の中に宇宙をもっているんだなあ
私たちが宇宙なんだなあ と、 思ったりするのです。

さて今日も、猛暑の中、ちょっとハードなお出かけです(暑さに弱いクリでございます)。
みなさんも体調にお気をつけておすごしください。
Posted by アラヤクリ at 2012年07月28日 10:33
闇って思考の及ばないスペース…
何でも無く光もあり満ちてるような
愛ってなるような全ての空間として
意味付け思考するようになってた☆
ブラックホールもいとおしく感じ★
うまく言えないけど空想楽しんでる
不思議な宇宙大好きな自分がある~
たまたま?昨日見れた花火も!!!
Posted by etsu at 2012年07月28日 11:12
ひとつであることに感動するためにわざわざ分離している

自分がオリンピックの開会式が好きな理由が今日わかりました。
Posted by みなも at 2012年07月28日 11:15




今回、興味深いコメントがたくさんありましたので僕も正直にひとつ


科学や物理学は相対の世界の無限、永遠に続く螺旋の中の戯れ、遊びに過ぎず、、、それこそリーラとマーヤがひとつとして織り成す不思議、僕らの宇宙


2000年以上前に一足先にこの螺旋を見極め、螺旋からいちぬけした者、おりた者が釈迦やイエスだと思います


でも、科学者による未知なる発見や真理探求者が真実を見極めたところ、この両者が交わる事実こそが、自分が未知なる自分を永遠・無限に知っていく楽しみ、喜び、遊びだと思いますよ


真我が真我による真我の遊びと言ったところですかね(笑)



これは単なる僕の一個人としての考えなのでご了承ください^^*。
Posted by 優。 at 2012年07月28日 11:33
近藤さんおはようございます。

ホント、同感です!!!

愛は喜びへと、そして過去の苦しみをも消してしまい明る未来への踏み台となり道しるべともなりうる。
Posted by hiroijuhiroiju at 2012年07月28日 11:55
阿部さんが深い精神的体験をブログに書いたら

ニュートリノさんから深い物理学の話

てなんつさんから深い精神世界の科学の話が出ましたね。



優。さん


外側の世界で真理を探究する科学も

内側の世界で真理を探究する瞑想も

気づきこそが最も大切になりますね。


いまちょうどオリンピック開会式の様子が
ニュースで流れています。


スタジアム中央にある聖火を中心にして
世界中からやってきた人たちが手をつなぎ輪になって歌っています。


世界はひとつ

すべてはひとつです\(^o^)/\(^o^)/\(^o^)/
Posted by 大空 at 2012年07月28日 12:09
アラヤクリさん

ありがとうございます!

誰かの苦しみってそれと共にいてあげる その苦しみをわかってあげることで癒やしが起こりますよね


雪光さん

あれからまた寝てしまいました!(笑)

もしかしたらバレバレですかなぁ
Posted by 甲賀忍者 at 2012年07月28日 12:38
甲賀忍者さん


・・・


バレバレでんなぁ^^(笑)



優。さん


ちょうど午前中に、今日が返却期限なのにほとんど手つかずだったニールさんの『神とひとつになること』をパラ読みしていて目に留まったところが、簡単に言えば科学にしろ何にしろ所詮全ては幻であるというようなことが書いてあって、なるほど確かにと納得したところだったので、優。さんのコメント内容とシンクロでした(笑)

何事も、どの視点から捉えるかで、同じものが全く違って見えますね。

神様目線で見れば、この世の全ては神の遊びなんですよね^^

ありがとうございます^^
Posted by 雪光(ゆきひかり) at 2012年07月28日 13:57
≪すべては愛≫

普通は綺麗事に聞こえますね(笑)

でも実はそれは本当の事☆

早くみんな気づけばいいのになぁ(*´ー`*)

そしたら普通が≪すべては愛≫になるから♪
Posted by 夏目 at 2012年07月28日 18:36
綺麗言は、本当に綺麗な事を言っているんだよね。

素直にそのまんま。

自分に必要なところまでが。
Posted by みどり at 2012年07月28日 20:07
明日、阿部さんちに伺いま~す^^
run♪ run♪ run♪
Posted by ショコラ at 2012年07月28日 20:10
阿部さんの記事…体得できました。
私は小さな工場で働いていますが得意先の無茶な注文に仕事をやってもやっても追い付かず「もぅとうとうおしまいか?」と絶望的でした。 働いても何もならずついついストレスから買い物に走り着ることも出来ない洋服をたくさん買い込み家計に打撃を与え、最愛の夫から見放されるのでは?と恐怖でいっぱいでした。 また旦那も仕事が少なく、女性の私に頼りながら偉そうに振る舞う風にみえる旦那も心の奥底では敵のように憎んでいました。
でもうちの工場長には小さい子供が居てこの会社を「パパ工場」とよんでいるそうなんです。
会社にたまに遊びに来るのを楽しみにしているそうなんです。
光が差し込みました。
そうだ!私はパパ工場をつくっているんだ。それでよかったんです。「優位な立場で暴虐無人振る舞う人」や「賢い人」にケチをつけられるような貧乏臭い土台無理な工場ではなく「パパ工場」をつくっているんです。

本当にありがとうございます。
Posted by ゆゆ at 2012年07月28日 20:55
ここの米欄は
ずいぶん意識がすすんでるんですね。
すすんでる、とかはないんでしたか、そうですか。

愛を体感したいと思ってはいますがなかなか。
Posted by uum at 2012年07月28日 22:58
ここの米欄は
ずいぶん意識がすすんでるんですね。
すすんでる、とかはないんでしたか、そうですか。

愛を体感したいと思ってはいますがなかなか。
Posted by uum at 2012年07月28日 22:58
トパーズさん


わたしも、完全に文系の頭なので(笑)
純粋な物理理論には、頭がついて行けません^^;
トパーズさんのおっしゃる通り、
ニュートリノは、ダークマターの有力候補ですが、最終決定している訳ではいません。
理論的に詰めていくと、ニュートリノではない、という見解が、今では主流のようです。
これからの展開が楽しみですね^^



AQUAさん


最終的には、精神世界と科学(物質世界)の境界線が無くなって然るべきだ思っています。
分け隔てするのは、五感で感じることが出来る世界と、そうでない世界という2元で考えているからではないでしょうか?
創造主は、いくつもの宇宙(世界)を想像したわけではなく、
この世界に全てを盛り込んだと思っています(笑)。

この宇宙に存在する全ては、波動(光粒子の波)でできていますが、
それを支える物質として、未知なる物質があるということなのです。
想念は、エネルギーなので、波動であると思いますが、
空の意識などのようなものは、エネルギーとは呼べず(多分質量ゼロ)、
波動ではないもの、もしかすると、ダークがつく何かの可能性も否定できないと考えています。
もし、そうなら、面白いですが、これは、飽くまで、現時点では、仮説です^^;
これからの科学の更なる発展が、楽しみですね。



てなんつ さん

秘教を詳しく解説して下さり、ありがとうございます。

>ダークマターとはエーテル物質のことです。

そうなんですね。
わたしは、エーテル視力はありませんので^^;
てなんつさんがお教え下さった数々の貴重な情報を検証する能力を
残念ながら、持ち合わせておりません。
なので、適切なお返事を書くことができず、申し訳ありません。
一般的な人間が持つ視力で、この世を眺めるしかできないわたしにとって、
知覚不能なる未知なる世界のお話は、好奇心が刺激されますね。
ありがとうございました^^



アラヤクリさん


アラヤクリさんも、ご興味をお持ちだったんですね^^
わたしが、これを知った時は、今までの宇宙観が、ガラガラと音を立てて(?)崩れていきました(笑)

>ものすごい話ですよね。

はい、そうですね。
創造主は、どこまでもかくれんぼがお好きなようで(笑)。
やっと、人類が、真理に辿り着いたと思うと、
マトリューシカのように(タマネギのように?^^;)
これでもか、これでもか、とまた中身が現れてきて、
際限なく、かくれんぼは続いて行くような気がしてきましたーー;

>もしそうだとしたら、やはり私たちは自分の中に宇宙をもっているんだなあ
>私たちが宇宙なんだなあ と、 思ったりするのです。

わたしも、そう感じています。
マクロ的宇宙と、ミクロ的宇宙。
己の小宇宙は、大宇宙に繋がっていますものね^^



優。さん


優。さんらしい(?)精神世界への深い理解をシェアして下さり、
ありがとうございます^^

>科学や物理学は相対の世界の無限、永遠に続く螺旋の中の戯れ、遊びに過ぎず、、、それこそリーラとマーヤがひとつとして織り成す不思議、僕らの宇宙

優。さんのおっしゃる通りですが、
従来の精神世界が、そのように表現したものを、
変容後の新しい世界においては、もっと違う言葉で表現されるようになるのではないか、
という気がするのですよね^^;(生意気なことばかり書いて、申し訳ありません)

>2000年以上前に一足先にこの螺旋を見極め、螺旋からいちぬけした者、おりた者が釈迦やイエスだと思います

個人的には、釈迦やイエスがいちねけした螺旋は、
地球螺旋であって、宇宙螺旋ではない、と思っています。
宇宙には、エネルギーの螺旋は、小から大まで幾つかあり、
小宇宙から段階的にクリアーして、その階梯を登っていく(?)のではないか、と思います。
地球螺旋を抜け出た存在のみが、次は、太陽系螺旋をいちねけし、大宇宙に至る(究極のニルヴァーナに至る)ことができるということではないか、と?

>でも、科学者による未知なる発見や真理探求者が真実を見極めたところ、この両者が交わる事実こそが、自分が未知なる自分を永遠・無限に知っていく楽しみ、喜び、遊びだと思いますよ

>真我が真我による真我の遊びと言ったところですかね(笑)

確かに、実生活に係わるような話ではありませんので^^;
どう考えようと、個人の自由、想像の世界であると思います。

ただ、物質界が、宇宙全体の4%にしか過ぎない、
ということを知った驚きを、少しでもみなさんとシェアしたいと思い^^;
話題提供のつもりで書いたのですが、
みなさんから思わぬ反応を頂き、恐縮しています^^;

最近の科学の世界では、定説だった理論がひっくり返ったり
(エーテルはない、と20世紀の初めにエーテル説は否定されましたが、
最新の科学では、真空は、エネルギーに満ちた場であるとし、
何かが詰まった状態、つまりダークエネルギーが満ちているという説が有力です。)

最近の世界の動きから推測するに、
精神世界においても、従来の考え方(宗教で言えば、教義)の一部を
修正しなくてはならなくなるかもしれませんね。

ただ言えることは、精神世界と科学は、21世紀には融合し、
新しい世界観が創造されつつある、ということです。

生きている間に、少しでもその片鱗を見たいものですね^^



大空さん


わたしは、学生時代、物理は大の苦手でした^^;
なので、わたしが物理を語るのは、よほどのことだと思って下さいね(笑)。
では、そんなわたしが、なぜ、ダークマター、ダークエネルギーをコメントで紹介しようと思ったか、というと、
いつもわたし達は、「光」にばかり意識を向けているので、
縁の下の力持ち的なダークマターとダークエネルギーという存在を、
少しでもみなさんに、知ってもらいたかったからです(笑)。

ヒッグス粒子発見の次は、きっと、これですね^^



雪光さん


>神様目線で見れば、この世の全ては神の遊びなんですよね^^

そうですね^^
なので、あえて、神様の遊び道具である「科学」を用いて、
宇宙の理の謎解きをして行こうと、しているのが、人類です。

人類のDNAプログラムには、「問題解決」というプログラムが、
予め、デフォルトで自動設定(?)されているようなので、
誰が何を言おうと、どんな障害があろうと、
この神が人類に提示した宇宙の理の謎解きは、
人類が確固たる答えを掴むまで、永遠に続けられることでしょうね^^;

それが、科学という遊びを通して、人類が神に近づこうとするひとつの顕れである、と見れば、
神は喜んで一緒に戯れてくれると思います(笑)。

新しいことを発見した時の、子どもの様な純粋な喜び。
これを、神はわたし達に与えてくれようとしているのかもしれませんね。

なので、目覚めや見性を体験した時の、人が感じる純粋な喜びも
神が与えて下さる愛の顕れ、であるとも言えます。

なので、いくつになっても、新鮮な感動を覚える心でありたいものです^^


今回コメントを寄せて下さったみなさまへ


実は、あまり勉強していないまま、
ダークマターやダークエネルギーについて、知っているかのように書いてしまい、
ご迷惑をお掛けしてしまいましたことを、お詫び申し上げます。
(詳しく解説している本もまだあまり出ていないようなので、
 これからの研究成果に期待しましょう)

今後、また新しく興味を引く面白い話がありましたら、ご紹介いたしますね^^;
(物理音痴なので、どうなることやら?ですが・・・・^^;)

また今回は、みなさまからいろいろなご意見を伺うことが出来、
大変興味深くコメントを拝見させて頂きました。

貴重なお時間を割いて頂きまして、
ありがとうございました!
Posted by ニュートリノ at 2012年07月28日 23:14
今日高橋優さんの「福笑い」という曲を耳にして♪
とってもいいなぁ~と思いました(^^)

歌詞の一部です↓

・・・・
難しい顔 難しい話 今ちょっと置いといて笑えますか?

・・・・
・・・・

誰かの笑顔につられるように こっちまで笑顔がうつる魔法のように
理屈ではないところで僕ら 通じ合える力を持ってるハズ

あなたがいつも笑えていますように 心からしあわせでありますように
それだけがこの世界の全てで どこかで同じように願う 人の全て



聴いていると笑顔になります(^^♪


ゆゆさん

『パパ工場』いいですね(^^)v
忌野清志郎さんの「パパの歌」を思い出しました♪
うちの子も大好きな歌で、小さい頃一緒に唄いました。

・・・・
昼間のパパはちよっとちがう
昼間のパパは光っている
昼間のパパはいい汗かいてる
昼間のパパは男だぜ


パパ工場バンザイ~\(^o^)/♪
Posted by 真在(まある) at 2012年07月29日 00:27
こんばんは


タタータ♪

タタータ♪

タタータ♪


起きることだけが起きる

なでしこの試合を見ながらタタータと心の中で叫んでいるのは
僕だけかも知れませんね(^_^)
Posted by 甲賀忍者 at 2012年07月29日 01:49
阿部さん、皆さん、おはようございます。

オリンピックで夜更かしが続きますよね(笑)

昨日の鉄棒での内村選手のまさかの落下、福見選手のメダル無しの結果。

まさに「起きることが起き」ていますよね<甲賀忍者さん

阿部さんの昔話から始まり、最新の物理科学の話や精神世界との統合の話まで、
皆さんのお話し、とっても勉強になりますm(__)mありがとうございます。

「理解を伴う愛」は、まだまだ、それのみになる事は不可能で、夫とは未だに冷戦中ですが(笑)、

ここに来る事で、思考だらけから、いまここに戻る、きっかけにさせていただいてます。

<ゆゆさん
よかったですね\(^o^)/

<ぷ〜すけさん
以前から気になっていました。こんなにはっきりと苦しいとお話しされたのは、初めてではありませんか?
一度、こちらで吐き出すか、何か、少しでも、楽になられたら。。と想います♪

さぁ、今日も生きるぞ!
Posted by にじ at 2012年07月29日 08:48
ニュートリノさん

わたしもニュートリノさんご同様エーテル視力はありませんので、エーテル物質を検証する能力はありません。^^;

わたしの記事はすべてベンジャミン・クレーム氏の著書等から来ていますので、クレーム氏がこけたら私は骨折をすることになります。

ですが阿部さんの本を読んだ時、この人は本物だと感じたように、クレーム氏の著書を1冊でも読めば、このサイトに来られるような人なら、この人の言っていることは真実だと直感されることと思います。

クレーム氏の基本情報は『キリストは1997年7月、ヒマラヤの高所にある古の隠遁地からパキスタンの地に降りて来られ、そこから飛行機に乗ってロンドンに入られ、ロンドンを拠点として現在に至るまで世界中で様々な活動をされて来られています。』というものでしょうか。パキスタンからのパスポートの職業欄には『教師』と書かれていたそうです。^^

氏によりますと、2012年6月5日現在、南北アメリカにおいて計68回テレビのインタビュー番組に出演されたそうです。今のところ本当の身分は隠して(姿を変えて)。キリストは世界各地を周られる時、地球の軌道内でエーテル界を通行する宇宙船をお持ちだそうです。

氏によりますと、キリストの基本メッセージは『分かち合って世界を救いなさい。』ということです。南北アメリカでのテレビ出演が一通り行きわたれば、次はすぐに日本のテレビに出られるということですので、いくら遅くても10年以内、ひょっとしたら5年以内、3年以内、来年にも実現するかもしれません。その時クレーム氏の言説は検証されるでしょう。

実はその検証を待つまでもなく、マスコミにこそ登場しないものの、世界中にキリスト臨在の徴はあふれています。わたしも氏の言うことを妄信しているわけではありません。わたしも身近に驚くようなエピソードを体験しています。
くわしくは、もしよろしければ下記のサイトをご覧ください。                             
          http://sharejapan.org/
Posted by てなんつ at 2012年07月29日 09:31
にじさん


虹♪

虹♪

虹♪


にじさんの世界に美しい愛の虹が輝きますように


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2012年07月29日 11:11
愛の中にいても愛を実感できないからそこから分離

して愛を知るためには一旦は愛で無い状態を知る必

要がある。その愛でない状態が愛であることを教え

てくれるから愛なんですね。そうなると全ては愛とい

うことになります。
Posted by えん at 2012年07月29日 15:25
愛の中にいても愛を実感できないからそこから分離

して愛を知るためには一旦は愛で無い状態を知る必

要がある。その愛でない状態が愛であることを教え

てくれるから愛なんですね。そうなると全ては愛とい

うことになります。
Posted by えん at 2012年07月29日 15:26
 えんさん

 そうですね、全ては愛。

 すべてにありがとうと言うだけです。
Posted by ラブ∞マヨ at 2012年07月29日 19:28
てなんつ さん


興味深いサイトのご紹介ありがとうございます。

「世界教師」とは、また、面白い呼び方ですね。

クリシュナムルティも、「世界教師」と呼ばれていたことがあったようで、
その類似性に、注目しています。

サイト自体は、「ヨハネの黙示録」で書かれた「キリストの降臨」が関係しているのかな?と、キリスト教的な思想が、背景にあるのを感じます。

そして、世界教師マイトレーヤですが、
てなんつさんが直感で、コレダ!と思われたのでしたら、
わたしには、何も申し上げることはありません。
(てなんつさんにとっては、コレなのでしょう^^;)

創造主は、タマフリ(霊ふり)によって、所謂、聖者、覚者と呼ばれる人々を
この地球(現象界)に送り込んできた可能性を否定しませんが、

創造主である神霊自身が、肉体を持った人間としてこの地球(三次元)に存在したことはない、と思います。

マイトレーヤなる存在が、どのような存在であるかは、わかりませんが、
自分を神である、もしくは、神の化身である、とすることには、
わたしは、懐疑的な気持ちを抱かざるを得ません。

マイトレーヤが、エーテル界から現象界へ顕れ、万人に公になる日が来、
多くの人が救われる、ということですが、

自己に対する真の救済は、他者からもたらされるものではなく、
己の真の姿、存在としての気付き、覚醒がもたらすものであって、
(その気付き、覚醒は、恩寵であるかもしれませんが)
けっして、救世主によってもたらされるものではない、と思っています。

ですから、わたし達は、救世主の再臨なしには、救われない、ということではなく、
いつでも、すでに救われている存在であり、永遠の存在である、と気付くことで、
創造主たる神、至上者に繋がっていくことができ、
それこそが、真の己の存在としての救済、だと感じます。

そして、2012年の現在では、世界の救済のために、
救世主は、もはや必要ではない、ということに気付いている人々が、
世界中で、多くの同胞たちに、新しい世界の到来を宣言しているのです。

21世紀は、わたし達、一人一人が、己の真の存在としての在り方、己の霊性、に目覚め、
そしてその、一人一人が己を救済できる存在である、という一人一人の心の在り方の変化(変容)が、
世界を救済し、変容へと導いていくことになるのではないか、と思います。

そして、その自覚は、過去から現在に至るまで踏襲されてきた創造主たる神と人との関係を刷新し、
これからは、今までにない両者の全く新しい関係を築いていくことができる、有史以来初めての時代がやって来るきっかけともなる、との思いもあります。

これは、てなんつさんのご意見に反する考えであるかもしれませんが、
あくまで、わたしの個人的な考えにしか過ぎませんので、その点はご了承下さいね。

いろいろ教えて頂きまして、ありがとうございました^^
Posted by ニュートリノ at 2012年07月29日 22:39
ニュートリノさん

再度のていねいなレス、ありがとうございました。またご紹介しましたサイトもお読みいただいたそうで、ある意味感動しております。

実はこの情報をこの様な場で公にするのは、私自身、いつも気が引けるものがあります。それは阿部さんのブログの範囲内ということも理由の一つですが(当然削除は覚悟の上です)、何よりその内容自体が、ここに来られるような方たちにでさえも、“??!”と思われるようなものだということを承知しているからです。

クレーム氏がこの情報を公に発信し始められたころのことです。ある日、氏が自宅近くの歩道を歩いていた時、前方から近所の奥さんが来られたのですが、彼女は氏を認めると、あわてて車道を横切って反対側の歩道へ渡ってしまったそうです。“さわらぬ神にたたりなし”といったところでしょうか。(笑)

ニュートリノさんのおかげで、私も思い切ってコメントすることができました。
ありがとうございました。
Posted by てなんつ at 2012年07月30日 00:42
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