2012年06月19日

エライ!!

圧倒的にして想像を超えた素晴らしい瞬間が、あらゆる人を待ち受けていているとしたら・・・


実際、あらゆる人を待ち受けています。


だって宇宙的自己の発見は、誰一人例外なく訪れる、いわば宿命なのですから。



しかも、いつ目覚めるのか、あなたの気がすむまで待っていてくれるんです。


どれだけ神を待たせても、

神は一瞬もあなたのことを忘れることなく、

いつだってあなたのことを想い続け、

あなたが罪を犯そうと、

徳を積もうと、

そんなこととは関係なく、

有神論者だろうが、

無神論者だろうが、

そんなこととも関係なく、

ただあなたが「いま」目覚めることを

いまもこうして待ち続けているのだから


やっぱり神様ってエライ(笑)






どんだけ~~!!(微妙に古くてスマンです)






これから帰ります。

日本は台風?


多いんだよな、こういうこと。

でもほとんど紙一重でセーフだった。


もしかしてオレって、嵐を呼ぶ男かな。




オイラはドラマー

ヤクザなドラマー


(古すぎて言い訳もない)



あと4か月で59歳だもんな~。






壊れかけてきたので、今日はこの辺で。












エライ!!   エライ!!



Posted by Toshiro Abe at 08:53│Comments(187)
この記事へのコメント
いつもありがとうございます。

徳を積まなくてもOKなんですね!。
Posted by 万福亀鶴 at 2012年06月19日 08:59
おはようございます♪
ちなみに、
壊れかけのラジオ~♪~ 思い出したのは私だけではないはず\(^^)/
歌好きです\(^^)/
~♪♪♪~
Posted by ∞みゃこ∞ at 2012年06月19日 09:02
眠っている子どもが夢の中で、

どんな冒険を繰り広げようと、
誰を傷つけようと、
どんなに悲しい思いをしても、

見守る母親の眼は優しい…ことに、似てるかな。


あたたかいものに包まれている感じ、ときどきします。
それが神様なのかな~。
Posted by 波平 at 2012年06月19日 09:13
阿部さんおはようございます!
梅雨と台風が両方来たようなどんよりとした日本でお帰りを待ってます☆☆
遠路はるばるお気を付けてお帰りください(^^)v
Posted by くまくま at 2012年06月19日 09:14
えっ、阿部さん59歳!?

いつまでも青年って感じ♪

魂は年取らないから…


私の母は81歳だけどいつまでも女学生みたい♪


嵐を呼ぶ男、いいなあ!


愛の旋風を巻き起こす歌つくってくださいな♪
Posted by ガンダーリ at 2012年06月19日 09:15
おはようございます
確かに神は偉いU+E063
と同時に自分も偉いU+E063
みんな偉いU+E063
自分を操れ〜
自分に操られるな〜
いつもありがとう
Posted by やまちゃん at 2012年06月19日 09:22
阿部さんなんだかテンション高くなってる〜楽しそう〜

昨日「生まれ直し」をしたようです。
残念ながら「目覚め」ではありませんが
自分の際奥にあった悲しみの感情とついに向き合うことができました。
劇的な変化はないけど、40年間背負ってきた荷物を降ろして初めて疲労に気づきました。昨日はひたすら眠りました。

今日からまた新しい一日が始まります。
「これからの人生の中で、『いま』がいちばん若い!」今日も素晴らしい一日です。
Posted by アラヤクリ at 2012年06月19日 09:25
今、この瞬間も待っていてくれるんですね!
神様、ありがとう~~\(^o^)/

自分で自分を褒めるっていうのも照れ臭いような気がしますが、
でも、神様って、宇宙的ナルシストなので(笑)、
たまには、褒めて?あげるのも、いいですね^^;

神様、愛感謝です!\(^o^)/

(こちらは、台風来ています。ご無事でご帰国されますように。
 東京講演会、楽しみにしています!^^)
Posted by \(^o^)/ at 2012年06月19日 09:25
本当にどれだけ偉いんでしょう。それも我慢強くでもなく呆れるでもなくいつもどんな時でも差をつけることなく変わらない愛でいてくれる。もういい加減に気づきなさいよ、 もうわかったでしょう 目覚めなさいよ、また目を閉じちゃうの?まだ信じられないの?やっと目が覚めたね、もうこれで信じられるね、
そんなことを何度繰り返しても懲りることなく、見放すことなく愛してくれる神様は本当にすごいです。こんなにも有り難くすごいことなのに、有り難くもすごくもなく自然でいることがすごい。(言葉の限界です、、)
今日の台風も今日の阿部さんのメッセージもやはりすべて完璧です。やっぱりエライ!!
ありがとうございます。お気をつけて。
Posted by ともこ at 2012年06月19日 09:26

オイラはドラマー


『ドラマー』 って ドラマを作る人って 聞こえました

はやくそれを 体感したいです

タイからのブログは、とても透明感がありました

でも 壊れかかった阿部さんも ステキです

24日楽しみにしています
Posted by 忘我 at 2012年06月19日 09:36
阿部さんうちの父親と同い年ですね…。
昨晩僕も、ひっそりとブログに

「僕らが踏みしめる土は、いつでも黙って
  僕らを支えてくれている」

てなことを書いていました。

僕たちを守ってくれている何か、SELFに感謝です。


≫アラヤクリさん
辛い気持ちと向き合えたのですね…よかったです。
また、近いうちに大きな幸せな流れがやってくるのでは
ないでしょうか。僕もまだまだ膨大に課題が残っています。
彫っても彫っても出てくるけど、ゆっくり、のんびり、
しっかりいきましょう。

大地に慈悲あれ。宇宙に栄光あれ。
幸せでありますように。
Posted by IV at 2012年06月19日 09:58
阿部さん
嵐とともに上陸
阿部さんがタイに行った時にも、地震が沖縄の方であったような…

皆さん
今日は富士山の真上を台風が通過するらしく、現在の223地区は嵐の前の静けさ

靜江さんが、
いつも素敵な詩を教えてくれて、いつも清々しい気持ちになれたので、私も今日は自称、小学校四年生の詩ですが、書いてみます。テへ

「おかえりなさい」

あなたが一番大好きな色でいればいい

混ざりあってもけっして、濁ることのない光の色

今の子どもは大変だな、親のまた親が傷つけた心を思考として受け入れなきゃいけない…

でも、大丈夫!

そんなものは、ないから、
そんなものは、最初からないんだ、

親もその親も、そう
自分さえ、ないんだ!

さまざまな光の色が重なると白く発光するように、眩い光のなかに溶け込めば、みんな同じ

かがやいて、やがて

みんなひとつ、になる

おかえりなさい(^O^)

阿部さん 皆さん
Posted by コネクター223 at 2012年06月19日 10:02
そんなエライ神様が遥か彼方ではなく

自分の中に存在するんだから、本当にすごいことですね(笑)

~(●^^●)~
Posted by 直弘です at 2012年06月19日 10:04
昨日、早くにぐっすり寝られ、
今朝、あたりまえに目が覚めました。

その、ふつーな感じが、感動でした。
おだやかです。

かつて、毎朝夕の新聞配達しながらの学生だったので
早起きしなければならないっ、てがんじがらめでした

ただ、朝起きるだけの事が、苦痛でした。
そんな過去の事、いつまで引きずってるの~なんて。

あはは( ´ ▽ ` )ノ

うん。ただの自分であろう~
Posted by etsu at 2012年06月19日 10:11
思わず ププッと笑ってしまった今日のブログでした(^O^)

壊れた阿部さんも見てみたい! オモシロイだろうなぁ~♪
Posted by YM日記 at 2012年06月19日 10:15
こんにちは。

台風がくるとワクワクするんです。

幼い頃、暴風警報がでると、学校が休みになったので、そのときの気持ちになるんやと思います。

でも、過ぎ去ったあとは、気がぬけて、どっと疲れます。

単純なワクワクだけでなくて、戦いに備えるみたいなスイッチも入ってるんやと思います。



質問です。
自我も愛そのものですよね?
ただ行きすぎた、あるいは歪んでいるだけで。。。


最近、そんな実感がわいてきます。

どなたか、教えてください。
Posted by okkun at 2012年06月19日 10:37
あくまでも僕の考えですが

自我、真我と区別するのは、理解しやすくするためで

究極的には全て真我だと思っています

真我の一部と考えた方がいいのかも

okkunさんが感じているように愛と表現してもいいと思います

自我は決して邪魔者ではなくて、必要があるから存在しているのだと

思います

誰かの言葉で自我は魂の入口だという言葉もありましたよ







僕も台風にはワクワクする方です(笑)



~(●^^●)~
Posted by 直弘です at 2012年06月19日 10:58
オイラはドラマ-♪
ヤクザなドラマー♪

ドラムを叩きながら唄っている、石原裕次郎さんの映像が頭に浮かぶって…

私もどんだけ~!

全部 まぼろし~!(笑)

IKKOさんは目覚めているのかな?

24日、お話楽しみにしています。
Posted by 雪うさぎ at 2012年06月19日 10:59
壊れかけの阿部さん・・・、なんかステキ。
子供が下校したら存分に嵐を呼んじゃってください。
Posted by MIYABI at 2012年06月19日 11:24
微妙に古くて…ってやつに
思わずぷっって吹き出しました。

いま、いま、いま。

自分の根っこが望む方向へ
進もうと決めました(*´∇`*)

方向が定まったから、
やるだけやって、降参します。

きっとまだ迷うやろうけど、
根っこだけはブレないように
しっかり定めておきます。

ありがとうございます♪
Posted by ねいみ。 at 2012年06月19日 11:28
こんにちは


待つわ♪

待つわ♪

待つわ♪


エライ神様が待ってくれているんですよね

ありがたい話だと思います
Posted by 甲賀忍者 at 2012年06月19日 11:39
今…台風にわくわく。。。


空を見上げたり風を感じたり…あ~っ…楽しっ♪


…のん気だな…(笑)
Posted by あさみ まり at 2012年06月19日 11:49
答えを知っている人が仕掛けたゲームなら、

ゴールが大事ではないのでは?という気がする。

ドラマ~♪がハッピーエンドなのかそうじゃないのか?

そこに拘っているんだっけ???

未来が幸せだと判るなら今ここで幸せ??

待つ必要も無く、今ここで素直にどう思うのか・・・・。
Posted by ぷ~すけ at 2012年06月19日 11:50
阿部さんんのすべての古いのりを…
理解出来る自分に…
やっぱり言い訳もない…

いまここにあることに感謝!
Posted by さちぽざ at 2012年06月19日 11:56
誰一人例外なく 
待っていてくれる

神様ありがとう
私ありがとう
みんなありがとう

わくわくする
「ひとつの愛」 
穏やかなのでしょうね
Posted by YABOI at 2012年06月19日 12:04
♪神様はなにも禁止なんかしてない
って歌を思い出しました

昔からここのフレーズが好きでした
Posted by ぺこ at 2012年06月19日 12:06
神様がそんなに偉いんだったらさぁ…
なんでこんなにサディスティックなゲーム自分でしかけておいて、
「苦しんでる、苦しんでる」って上から楽しみながらさぁ
「大丈夫だよ。ずっと待ってるからねぇ。愛してるよぉ~~。」って
マジ、変態じゃないですか?

「こんなにひっぱたいてあげてんのに、こいつまだ目が覚めねえの」って
かんじですか?

もういい加減にしろよ。偉い神さん!!
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 12:07
阿部さんと同じ時代を生きている事に感謝です

帰りの道もお気をつけて…(^-^)/~~
Posted by ハイジ at 2012年06月19日 12:12
こんにちは。

そんなにえらくて素晴らしい神がいるなんて、

なかなか信じられませんでした。

条件付の愛しか知らなかったですから。

今でもエゴが疑いの気持ちを湧き起こしますが、

徐々にその力も弱まっているのを感じます。

ありがとうございます。
Posted by HinaHaruパパ at 2012年06月19日 12:24
ドラマを観て突然主人公が訳わからん展開に巻き込まれてゆくのを見て、
ドラマを観ている人は楽しんでいる。

でも、実際に自分の身にそれが起こったと感じると何故話は別になるのだろうか?

ドラマは現実じゃないと思っているから?

じゃあ、自分の目の前は?

ゲームだとすればゲームキャラクターでは無く、プレーヤーの気持ち(視点)にならないと楽しめないんじゃ?

なら、僕は待たせる人じゃなく、待つ人だね。
Posted by ぷ~すけ at 2012年06月19日 12:41
苦しんでいた時は、神様に文句ばかり言ってた

自分の考え方に問題が有るなんて全く思わなかった

通り過ぎてみて、やっと苦しみが必要だったということが

理解できるようになった、



神様はどんな時も守ってくれていた

それに気づいていなかったのは僕の方だった


~(●^^●)~
Posted by 直弘です at 2012年06月19日 13:02
直弘ですさん

だから、神様守ってくれったって言っても、それは自分でしかけたゲームを
サディスティックにたのしんでいるだけじゃないの?

自分でしかけといて、守るも何も…。
元々苦しむ必要もないのに、自分が楽しむためのゲームだよ?

直弘ですさんは、今は精神的に良い状態みたいでよかったね。
でも、諸行無常。
Posted by … at 2012年06月19日 13:24
ブハハハハッ^^

阿部さんは少年ですな

私は赤ちゃんですけどw

気を付けて帰って来てね♪
Posted by S at 2012年06月19日 13:25
<あのさぁ>さんに同意。

この問いに対する、納得できる説明をしている聖人を、わたしは知りません。

幻想だとか、目覚めるための苦痛ですと言われてもねーーー。

そこまでやりますか???という事ありますよね。

本人には苦しみであり、苦しみしかありません。
Posted by yoitomake at 2012年06月19日 13:26
阿部さまの文章は、究極の安心感へと導いてくださいます。

ということで今日も、
コップンカ―――!
Posted by ショコラ at 2012年06月19日 13:27
阿部さん こんにちは いつも メッセージありがとうございます       
 
まだ ブログ見始めて 日も浅いし 講演会二回ですが  いつも

完璧に 近い お話 ・・  いままで信じてきた考えとか もろとも

破壊しつづけてもらってる  すごい勢いで

阿部先生の  ブログのメッセージは 愛だと思います ほんものの

私のいままで 愛と 思ってたのは 偽物 条件付きの・・

最近 つくづく そう感じております 大人すぎる年になったけど 実際は

まだ 足りない 満たされないと泣いてる子供のまま ・・でした

神様は、こんな私を もうそろそろいいんじやないかと ほんものの師に 導いてくださったのかな

これからも アセンション し続けます    m(_ _)m
Posted by ひよこ  at 2012年06月19日 13:35
直弘ですさん

ご回答ありがとうございます!

自我は肉体としての自分にもっとも近づいた真我であり、
真我そのものだと。
だから、自我を見つめれば真我は見えてくる。
そういうように感じます。
Posted by okkun at 2012年06月19日 13:37
「エライ!!」

という日記のタイトルを見て

エライという人を思い出しました。


ガンガジの旦那さんです。


ガンガジもエライも人を目覚めに導く活動をしています。


youtubeで


ガンガジ&エライ~「本当の愛の関係とは?」


というインタビュー映像があります。


このインタビュー映像を見て

「エライさん、

 あんたはエライ!!」

と思いました(笑)


 
Posted by 大空 at 2012年06月19日 13:37
… さん

… さんは精神疾患的なものを 「ゲーム」「苦しみ」ひとくくりにして他人に語れるレベルでない気がする。
思考で書いているから、ひとりよがりで危険だと思いました。失礼ごめんなさい。
Posted by ぐるぐる at 2012年06月19日 13:47
あのさぁさん、yoitomakeさん


ガンガジとエライのインタビュー映像を紹介したので

あのさぁさんとyoitomakeさんの疑問に対するガンガジの質疑応答を紹介します。


以下のタイトルのブログ記事を検索すれば
その質疑応答があります。

「あなたが動揺しているとき、
 あなたの動揺に気づいている ”意識” は動揺しているでしょうか?」
Posted by 大空 at 2012年06月19日 13:49
苦しい時はただ、思っていることを吐き出せばいいと思う

苦しい時、何が正しいとか間違っているとか考えても冷静な答えは

誰にもだせない、苦しいのだから

ただ、思いっきり自分の思いを吐き出せばいいと思うよ

何も間違ってはいないよ

苦しみばかりがいつまでも続くわけではないから

~(●^^●)~
Posted by 直弘です at 2012年06月19日 14:11
okkunさんへ 

いろいろ、吹っ切れたみたいでよかったですね^^

>自我も愛そのものですよね?

自我って?
自我って、自分を幸せから遠ざける心の反応プログラムで、自分本位にはたらくものだと思います。
その自我を徹底的になくした所、
「私」とか、「私のもの」とか、「私の思考」とか、「私がいる」っていう妄想を徹底的になくした所が「愛」とか「神」だと思います。
自我を感じていたら、記憶をもとに思考していたら、「神」や「愛」はないと思います。そこでは、自我は自我のまま、単なる汚れだと思います。
でも、「いまここ」にいたなら、その「愛」から見れば、自我も、現象界にあらわれているどんなものも「愛」そのものと言えると思います。
なので、自分に降りかかってくる悩みや苦しみを避けることもないし、あえて楽しみや喜びを求める必要もないということだと思います。

okkunさんの参考になればと思います^^
Posted by nori at 2012年06月19日 14:31
阿部さん気をつけてお帰りください♪


今日も穏やかです☆ ('-^*)ok
Posted by 美子 at 2012年06月19日 14:51
noriさん

お久しぶりです。
コメントありがとうございます。

僕も、自我を毛嫌いしてたんですが、
自分を責めるし、罪悪感とか、劣等感とか。。
苦しみの根源はこいつだ!と対決して、戦争してました。
そして、いかにして消すか、ということで瞑想を知りました。

空は体験できていませんが、だいぶ頭の中が静かになりました。

でも、日常は苦しいままでした。
自分の流れは、苦しみきることにあったようです。

苦しみを爆発させて、いろいろとぶつかっていたら、

自我は、肉体としての僕が深く傷つかないようにああだ、こうだ
と言っていた。背後にある深い愛に気づきました。

自我ってすごく不器用に肉体としての僕を愛している。

そしたら、許せました。
日常が、すごく楽になりました。

だから、直弘ですさんが言う、自我は真我の一部なんだって
すごく納得した次第です。

今の僕の感覚ですが・・・

一歩一歩、登っていきます。
Posted by okkun at 2012年06月19日 14:58
古くても素敵です(笑)
お帰り、気をつけて☆
Posted by まる at 2012年06月19日 16:08
今日のひとことです
いつもありがとうございます

ーーー
「来院者」
思考は自分じゃないと知るということは
思考しないということですか?


ちがうちがう^^

思考は思考、わたしはわたし、になるから

思考は思考のままに、人生を過ごせばいいのよ。。。と
声をかけられるのが「わたし」になるの^^

思考しないなんて言うのは
思考にどっぷりつかって麻痺してしまった「わたし」が発病する
重篤な病だと理解してる^^


  思考開放


これが「わたし」に目覚めるということだよ

創造主と呼ばれている「海」から
山田太郎とラベルの貼ってあるコップで海水をすくうと
あなたが生まれてくるんだよ

思考は、山田太郎というコップの持ち物で
わたしたちは「海水」だから、思考はわたしたちのものじゃないんだ

コップに入っている海水は別名「愛」と呼ばれている
愛は愛なだけで、判断も思考もしない
それを「空」と呼ぶ人もいる

思考を離脱するわけではなく
そもそも思考は、わたしのものではないと思いだすこと
それが「目覚める」だよ^^


 目覚めると、
 思考は自由に羽ばたくようになる


思考停止とか、そういうめんどくさいのは
自分を忘却しすぎたやばい状態の発想だよね
まぁやばい状態も、楽しみ方の一つではあるのだけど^^

ーーー

昨日のひとこまでした^^
Posted by りんのかぜ at 2012年06月19日 16:49
今日のひとことです
いつもありがとうございます

ーーー
「来院者」
思考は自分じゃないと知るということは
思考しないということですか?


ちがうちがう^^

思考は思考、わたしはわたし、になるから

思考は思考のままに、人生を過ごせばいいのよ。。。と
声をかけられるのが「わたし」になるの^^

思考しないなんて言うのは
思考にどっぷりつかって麻痺してしまった「わたし」が発病する
重篤な病だと理解してる^^


  思考開放


これが「わたし」に目覚めるということだよ

創造主と呼ばれている「海」から
山田太郎とラベルの貼ってあるコップで海水をすくうと
あなたが生まれてくるんだよ

思考は、山田太郎というコップの持ち物で
わたしたちは「海水」だから、思考はわたしたちのものじゃないんだ

コップに入っている海水は別名「愛」と呼ばれている
愛は愛なだけで、判断も思考もしない
それを「空」と呼ぶ人もいる

思考を離脱するわけではなく
そもそも思考は、わたしのものではないと思いだすこと
それが「目覚める」だよ^^


 目覚めると、
 思考は自由に羽ばたくようになる


思考停止とか、そういうめんどくさいのは
自分を忘却しすぎたやばい状態の発想だよね
まぁやばい状態も、楽しみ方の一つではあるのだけど^^

ーーー

昨日のひとこまでした^^
Posted by りんのかぜ at 2012年06月19日 16:49
二重押ししたようです^^ごめんなさい!
Posted by りんのかぜ at 2012年06月19日 16:51
私は、自我は単に「構造」だと思う。
真我とか愛というものは、存在というか実存というか

風船を膨らますのは空気だが、風船を見て、
そこに空気がある、とは言わない。
しかし、風船をみたしている空気があることは、誰の目にも明らかで、
空気がはいってない状態の風船は
ただの「べろろん」とした、構造。

自我がない状態(風船がない状態)でも愛は、すべてにあるが
そこに構造としてある自我を認めず、「嫌う、否定する」目には
愛も見えないことにはなるまいか。

愛(空気)は、その自我(風船)の状態がいかなるものでも、内外にいつもある。

わかったような、わからないたとえ話ですが。
でも、風船があるから「空気の張り具合」を実感できて、楽しいよね。
それが抜けていると欠乏感が、そこに生まれて、
満たされるを欲するもまた、自我だね。
内外にいつもあるんだけど気付かない。
その構造に、罪はない、と思うから、
自我にも「ただの自我」として、いていただくぐらいでいい気がします。
Posted by トパーズ at 2012年06月19日 17:15
大空さん

[あなたが動揺しているとき、 あなたの動揺に気づいている ”意識” は動揺しているでしょうか?」を見てきました。

ご紹介ありがとう。

でも、ここには答えは見つからなかった。残念。

真実のわたしは、動揺が起きているということに、気づいている ”意識 “ そのもの…。分かっています。
いや、分かっているつもりです。

神は喜びや愛の再認識の為に、我々を作り、自分が神だと言う事を忘れてゲームを始めた。

で、ここから聞きたいところなんですが、なんでそんな風に自分でゲームを始めておいて、苦しめておいて、「愛しています。大丈夫です。」は無いだろうって事です。

消防団員(ほんの一部の方だと言う事は分かっています)が、火事が見たいために、消火をしたいがために、自ら放火をした、といった事件は一度や二度ではありませんが、神がやっている事はこれとおんなじ「マッチポンプ」じゃないのですか?

どこがどのように違うのか、明確に説明していただきたいのです。

すみません。
あおってるわけでは無いんですよ。
知りたいだけです。

やっぱり自我のレベルでは無理ですか?^^

トパーズさんの答えも聞きたいなぁ。
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 17:23
私台風怖いんです。
風雨とも、強まってきました。

トパーズさん、リラ@ライラックさん、愛犬の件でコメントありがとうございました。嬉しかったです。
明日火葬です。 ぎりぎりまでそばにいます。
まだまだつらいし、まだまだ泣くと思います。
14年と7ヶ月近く一緒にいました。私がいないとご飯も食べないくらい、私にべったりの子でした。
私しか守ってあげられなかったのに、まだまだ悔んでしまいます。
できるなら日曜日の朝に時間を戻してほしいです。

出来事をそのまま受け入れられないから自分を責めたり後悔したりするのでしょうか?
あの時ああしていれば・・・と。
それも自我の思い上がりなのでしょうか?

一緒にいられるあとわずかな時間を大切にしたいと思います。
Posted by マイケル.JP at 2012年06月19日 18:05
片腕を無くしたサーファーの映画があったけど

本人のインタビューコメントや入院映像を見ると、真実のほうが信じられない!超スゴイし輝いて見える

見てないけど映画のほうがもっともらしく、私の思い込み思考には納得するようなパターンじゃないかと予想しています。

それよりはドキュメンタリーのほうが学ぶヒントは大きかったのではと感じてある残念(o_ _)o

「人生は波乗りに似ている」実感こもってシンプル

ぐだぐだ言い訳して後回しにしている私には彼女は眩し過ぎ

でもフレンドになりたい、
今を生きる人は強いなと思った今日このごろ

失礼しましたm(__)m
Posted by ブルー at 2012年06月19日 18:16
>okkunさんへ

>自我ってすごく不器用に肉体としての僕を愛している。

仰るとおりです。愛していますね。愛しすぎちゃうからわからなくなっちゃうのかも?
自我は行き過ぎることもあるけど、自我の能力は、本来、生き物として生きるために(防御・逃避・攻撃)必要不可欠なものとしてあるんですもんね^^
それを概念や記憶で複雑にして、余計な?認識をして当人を苦しめてしまうこともあると思います。

>そしたら、許せました。
>日常が、すごく楽になりました。

凄く素敵な気付きですね。許すという視点が私には欠けていたようです。気付きをありがとうございます^^
私の理解では、現実的に「仕事」がうまくいくとか、「家庭」が幸福になるとか、「地域」が活性化するとか、そういう目的のためにはたらくのが自我ではない、本来の自分だと思っています。
何かに対して「好き・嫌い」「苦しみ・楽しみ」が出てくる。
そういう自我の反応は当たり前のもので、幸福であるためには、どうあるべきかと考えます。

そうそう、以前の記事で、阿部さんは向さんに「自我ってホントにあるんやろうか?」聞かれて、阿部さんはわっはっはと笑っていましたね^^あるでもない、ないでもない、大事かもしれませんが、煩わせるもとにもなる、ただの概念です。お気楽な感じでいいんじゃないでしょうか^^
「日日是好日」http://abetoshiro.ti-da.net/e3337448.html
Posted by nori at 2012年06月19日 18:18
ブログ拝見しています。
生きる糧となっています。
Posted by gai at 2012年06月19日 18:18
壊れかけの阿部さんのつぶやきもまた素敵です(笑)→人間くさいところが好きです♪

肉体年齢は高くなっても、本質の自分は歳をとることもないんですょねっ!?

時々、自分に言い聞かせています…(笑)


アラヤクリさん★

「生まれ直し」おめでとうございます♪

Happy☆Happy☆

嬉しいですね!\(^o^)/

>劇的な変化はないけど、40年間背負ってきた荷物を降ろして初めて疲労に気づきました。昨日はひたすら眠りました。

40年間背負ってきた荷物を降ろせて良かったですね♪

疲れに気づいたら、たっぷり眠りましょ♪

とってもピュアなアラヤクリさん、シェアして下さってありがとう☆
Posted by ミルキー☆ at 2012年06月19日 18:18
noriさん

ありがとうございます!

阿部さんの過去記事読みました。
言葉は方便っていいますけど、
自我っていうのも、わかったようでわからんもんですね。

自我って僕が今認識しているものと、阿部さんやnoriさん、トパーズさんが
おっしゃるものがずれているのかもしれません。

でも、真我が肉体として存在する僕をとてつもなく愛しているということは
間違いない!というところは共通してると思います。
僕もそこを、強烈に実感しました。

それだけでいいかあ~~~

僕は、もう少し自我を探究したいと思います。
Posted by okkun at 2012年06月19日 18:40
okkunさん

私は、「空」ってものがよくわからないから
今のところそれ(空であること)を欲してはいないのね。
だから「自我」を、愛を知る構造として認め、それを頼りに思います。
でも
「空」という状態で、自我から解き放たれても、もちろん愛はある。
未経験な私に、それを論ずるのはおこがましいけど
それは言いたい。

空と愛が「同じ」かというと、別のアプローチから見た「同じ」だと思う。


だんだん、「空」に問いたいことが生まれてきているから
そのうち私も「空」を体験するだろうな、と思う。
それが今生かどうかは別にして。

自我は、これまでの魂の記憶の蓄積だとも思う。
蓄積を否定することはない。
ただし、蓄積に拘泥されることでもない。
だから、okkunさんが、その自我をも愛する作戦は、とてもいいと思うな。
Posted by トパーズ at 2012年06月19日 18:51
あのさぁさんの質問、私もずっと同じことを思っています。

その答えを知りたい(体感したい)がために悟ってみたいもんだと思うくらい^^

今、私のちっこいノウミソで理解してる(つもりになってる)のは、たぶん「真我」そのものは感情の揺れしか認識できないのかなーって。
その揺れの右が苦痛、左が快感として、真我そのものはどっちがどうって判断できないんだと思う。

なんのためにそうなってるのか、って答えに多いのは「ゲームを愉しむため」ってあるけど、これはまったくもって納得できない(笑
それこそ自我が考えそうな答えだなって思うもん。

そんなこの世の人間の考えの及ぶことじゃなく、ただそうなってるだけってのが一番しっくりきますねー、わたしは。

ほんで、苦痛から逃げたいのなら、右に揺れる端っこで痛い痛いって言っててもしょうがないから、まんなかのほうに意識をもってきたらどうよってことかなって。
そんなふうに今のとこ理解してます。
理解っていうか、真ん中に意識をもっていくのが悟りっていわれることで、そこに意識のピントを合わせる方法をみんなして模索してるってイメージです。

真ん中に意識を合わせると、真ん中だから一点で、だから完全でひとつ、なのかなあ…とかね^^;

ほいってある日突然気づくような気は、ほんとしてるんだけど。
Posted by koko at 2012年06月19日 19:30
あのさぁさん


>やっぱり自我のレベルでは無理ですか?^^


はい、無理です^^!


「わたしは思考・マインド・自我である」

という視点から

「わたしは無限に広がる静寂の意識空間である」

という視点になることで本質的な理解が生じます。


「わたしは無限に広がる静寂の意識空間である」という視点になると

「で、ここから聞きたいところなんですが、なんでそんな風に自分でゲームを始めておいて、苦しめておいて、「愛しています。大丈夫です。」は無いだろうって事です。」

という思考・マインド・自我が無限に広がる静寂の意識空間である自分の中に

浮かんでは消える幻影であることが分かるようになります。


宇宙的自己=無限に広がる静寂の意識空間=神

ということが分かるようになります。


本当に皮肉なのですが

「苦しみから解放されたい!」
「真実を知りたい!」

と一生懸命思考して、思考で疑問を解決しようとすることが

思考のおしゃべりの音量を増大させて

静寂そのものとしてずっと存在している自分自身を覆い隠しています(^_^;)


ガンガジの師の師であるラマナ・マハルシの質疑応答を紹介します^^


(質問者)

疑問は常に起こってきます。それゆえの質問です。


(ラマナ・マハルシ)

疑問が起こり、それは解決される。

別の疑問が湧き、それも解決され
そしてまた新たな疑問が続いていく。

すべての疑問を解くことは不可能である。

誰にその質問が起こるのか見てみなさい。

その源へ行き、その中にとどまりなさい。

そうすれば疑問は起こらない。

これが疑問を解消する方法である。
Posted by 大空 at 2012年06月19日 19:32
あのさぁさん

コメント欄で悟ったと書かれてる方々にも、それはわからないようです。
Posted by 知りたいですね at 2012年06月19日 19:33
嵐を呼ぶ男。

阿部さんは、
自然とタッグを組む男?
洗い流す男?
人々の感覚を呼び覚ます男?

昨日アルケミスト(パウロ・コエーリョ著/山川紘矢・亜希子訳)という本を読み、
少年が風になる(自然の魂と会話し、風を起こす)、という場面が印象的でした。

オイラはドラマー♪
風になって日本に帰ってこられるのですね♪

ちなみに私は、雷が鳴る2日前に、体にビリビリ電気が走ります。(苦笑)
去年の7月、誕生日に天河大弁財天社に参拝し、自宅に着くと同時に嵐になりした。
豪雨とともに光り続ける稲光と、落ちまくる雷。
天河神社の水の神、音の神、一元性の神からの祝福だ~と喜び、嵐になると思い出してましたが、
これからは嵐になると、阿部さんが“キタ~”と思うことにします。(キタ~も古い?)
Posted by o maririn at 2012年06月19日 19:48
あのさぁさん、yoitomakeさん、こんばんは。
僕もかつて持病に苦しみ、無力感に打ちひしがれる余り天に唾した男です(笑)
しかし紆余曲折あって、こうして精神世界分野に踏み入った事で、
それまでの考えが誤解に基づいていた事が少しずつ分かってきたのです。
苦しみに纏わる現時点での僕の理解をいくつか話させて下さい。

まず「どんな闇も光に変えられる」という体験を探求テーマに選んだのは
他ならぬ僕ら自身です。しかもかなり徹底的に取り組みたかったようで、
物質的な肉体という手枷足枷によって元来持っていた自由度を大きく制限し、
あろう事か、探求テーマそのものを含めた全てを忘れ去る事で、
非常にネガティブな状態を理想的なスタート地点として選んだのですね。
全てを忘れたが故に、いずれ天に唾する暴挙に出るだろう事は百も承知でしたが、
それでも取り組みたい程、やり甲斐のあるビッグプロジェクトだったのでしょう。

この「闇から光へ」というテーマ自体は宇宙でもかなりメジャーらしいのですが、
地球人ほど徹底して取り組んでいる種族は殆ど居ないようでして、
他の多くの種族はスタート時からもう非肉体だったり、テレパシーが可能だったり、
かなり縛りを緩くするのが一般的だそうです。
ですから多くの種族が尊敬の眼差しで地球に視察に来るそうですよ。
「彼らですら成しつつあるのだから、我々が弱音を吐く道理はないな(笑)」と。
Posted by 相川 美晴 at 2012年06月19日 19:50
そして忘却した状態からどう目覚めるかについてですが、一番簡単な手段としては、
僕ら個人が3つのパーツから成る事を認識し、各々の機能を推進させると早いようです。
3つのパーツとはそれぞれ「自我」「肉体」「真我」とでも呼べば適当でしょう。
名前は便宜的なものですから、他の名前を当てはめても問題ありません。

僕らはこれまで一般的には「自我」=「私」と定義してきた為、
「自我」にあらゆる種類の仕事を背負わせてきました。
しかしそれは心臓に腎臓と肝臓の仕事もやらせようとするようなもので、
根本的に不可能であり、結果的に致命的な機能不全を生んだだけだったのです。
その為に多くの「自我」が混乱し、機能不全に苦しんでは荒れ狂い、
「自我」という言葉にネガティブなイメージが持たれる原因にもなりました。
ですからこれからはやはり適材適所を明らかにし、
それに準じた「お任せ」が重要になってくると思います。

「真我」の仕事は、これから実際に起きる事をお膳立てしつつ、
テーマに沿った今すべき事を情熱やインスピレーションといった形で送信する事です。
「肉体」の仕事はそれを脳で受信する事です。
「自我」の仕事はその情報を認識し、具体的な行動に移す事です。
早い話、僕らは今一番やりたい事だけをやっていれば万事上手く回るのですね。

「そんな馬鹿な!無計画過ぎる。日々の糧はどうするんだ?」と思われるでしょうが、
今一番やりたい事を一切恐れず、真に正直になり続けて行動に移せれば、
それが実は一番物心両面で豊かになる道理だったのだと分かり出すと思います。
それに未来を憂いたり、未来に期待したりするのは「自我」の仕事ではありません。
「自我」の焦点は何処までもいまここです。
また「肉体」の受信機能を低下させない為にも、食物と称される毒物を摂取したり
睡眠を疎かにしたりして、「肉体」の仕事を邪魔しないようにもしたいですね。
Posted by 相川 美晴 at 2012年06月19日 19:52
そして誤解されがちなのかもしれませんが、高次の存在である真我は、
自我が苦しんでいるのを高所から見下ろして楽しんだりはしていません。
「他人の不幸は蜜の味」などとのたまうようでは
間違っても「高次の」存在とは言えないでしょう(笑)
真我は自我と同じく個人の一側面ですから、
自我や肉体が苦しんでいる時、全く同じ苦しみを味わっています。ちゃんと痛いのです。
苦しみを避ける道として情熱やインスピレーションを欠かさず発信しているのですが、
肉体の機能が落ちていたり、自我が恐れにまみれている場合、
それらは高確率で無視されてしまうのです。

いくら闇がテーマの一端とはいえ、いつまでもそのままでは光に向かいませんので、
無視される度に目覚まし時計の音を大きくしていく同意が交わされているようです。
それらは最終的には大病や事故といった形でお膳立てされてしまうかもしれません。
実際にそうなってようやく自分を見つめ直す人は多いですね。

3つのパーツが手を取り合い一個人として調和し続けていれば、
早晩、自分なりの軽やかなハプニングを通してワンネスに合点が行くと思います。
一方、自我がどこまでも無理を続けてしまうと肉体も並行して病み、
例えば黒斎さんの様にセロトニン欠乏症を患い、
その極限状態を何かの拍子で突き抜ける形でワンネスを垣間見る、
という劇的な展開もあり得るという事ですね。
できれば僕らはそういった劇的さは遠慮したい所ですが(笑)
Posted by 相川 美晴 at 2012年06月19日 19:56
覚えておきたいのは「苦しみ」という抽象的な概念は、
その抽象さ故に100%自我の主観であるという事です。
苦しみは自然現象や客観的な事象として存在している訳ではありません。
全ての現象は中立に起き、予めこういう意味付けをしろとは神にも言われません。
人の死に目や、交通事故にだってポジティブな意味付けをする事は出来たのですが、
僕らは忘却からスタートしましたから、先人に「あれは良くないものなんだよ」
と声高に教えられ「そういうものなのか」と無自覚に採用してしまったのです。

ですが、これからは自覚的に自分で自由に意味付けをしていくのです。
病を治したいのならば、「成長」や「無関心からの脱出」といった意味付けすると
真我はきっと仕事がし易いでしょう。
治療する為の情報や手段に自我が繋がれるよう手配してくれる筈です
しかし病に「災厄」の意味付けをしていたら、治療情報を遠ざけざるを得ません。
自我には観念を現象界に映し出す自由が保障されていて、
この自由と忘却が「闇から光へ」というテーマの探求を可能にしているのですから。
でも闇はこれまで十分に体験してきたのですから、そろそろいい頃ですね。

熱いテーマにつき、もうやばい位長く書いてしまったので、
要領を得ていなければ申し訳ありません。会話ならまだ良かったのかもしれませんが、
コメント欄でやり取りするには大き過ぎるテーマなのかもしれませんね(笑)
Posted by 相川 美晴 at 2012年06月19日 19:58
トパーズさん

ありがとうございます~~

極論ですが、
自我を持つことが、この現象界で生きるリアルであるのなら、
空を知る必要は、生きているうちは、僕はないように思います。

この現象界という制限の中で愛を実現する。
まさにこの一点が生きている理由なのかなあと。

それは、自我の成長で実現できる。
僕はそう思います。

苦しみも苦しみきって、
人に愛されて、人を愛して、自分を愛する。
それを自我の枠の中で、実践して、
こどもに愛をつないでいく。

主に僕を育ててくれた両親の二つの愛が合わさって
新たなオリジナルの愛を形にして、つないでいっている。
そうやって、愛が豊になっていく。

自我を否定したら、自分の肉体は満たされないと
思います。

その愛し方が、責めるという形があまりにも多いから、
消し去りたくなるんじゃないかと思います。

でも、肉体はそれはいやだ!と叫ぶ。
苦しいという。
その声に耳を傾けきって、苦しみの本質を突き止める。
これは、思考の問う力、感覚、感情、直観、総動員だと思います。
自我にも、参加してもらわねばなりません。

そうやって、恐怖に向き合い、感じきれば、責めてる自我の
背後にあるとてつもない愛を感じます。
そうやって、自我を許せました。

カウンセラーはそれをお手伝いする仕事なのかと思います。
だから、社会はそれを必要としているのかなあと。

それだけ、自分という肉体を
肉体が満足するように愛するのが、本当に難しい。

今の段階の感じ方なので、
空の領域からみたら、ナンセンスかもしれませんが、
そんなふうに思うんです。
Posted by okkun at 2012年06月19日 20:20
ごめんなさい。
やっぱりだれも納得いく答えはない。

私は阿部さんがこのブログを立ち上げてずっと見ています。
今私があるのは、そしてこの世に存在で来ているのは阿部さんのおかげだと思っています。

そして、これは自己申告しかないのですが、目覚めの体験もしています。

そのうえで、突然この疑問がこのエントリーで湧いてきたのです。
まるで、神がこの矛盾点を問いかけなさいと仰っているように…。

なぜか、今日感じる事。

阿部さんや大空さんは神様ゲームのファミコンのレベルを卒業しただけ。
次はスーバーファミコンの世界で楽しまれるのでしょう。
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 20:26
阿部さん こんばんは

夕方のニュースで、暴風雨の中、レポーターが
『立っているのもやっとです!!』と言ったので

『ねてな!』
と思わずTVに向かって言ったら

そばにいた夫が笑いました(^^)

『立っていられない雨風ですので横になってお伝えします!!』
というレポーターがいたら、私はファンになります(笑)

嵐の夜でも
みなさんが平安でありますように(^^)
Posted by 真在(まある) at 2012年06月19日 20:31
あのさあ さんが ご指名なので
私なりに、私の理解を書きますが、難しいことは書けないです。
ただの読み物でしかありませんが、よかったら付き合ってください。

まず、「人は読みたいように読み、理解したいように読む」
という前提がありますから、それをどけて「神のすること」を読む気があるか、ないのか。
あのさあ さんは どうですか?

あなたが、「神様はサディスティックにそうする」と言うメガネをかければ
サディスティックな意味を見出すだろうと思います。
だから、もし私が持ちうる能力を120%?振り絞って
「神様はサディストじゃないよ。これは愛だよ」と言っても
恩寵のありとあらゆる計らいを知り得ぬ「人間の知識=自我」によって、
そういう、人が痛い、苦しいということをあえてするのは「サディストだ」と
固定し、判断する目で見る限り、私などには、あなたの判断を覆すことはできない。

それは、あなたが神に「サディスティックな世界」を望むものとみて、
恩寵として、その世界が与えられる現象、と思います。

「そんな世界は怖いです、いえいえ信じます信じますから勘弁してください!」
といったとしたら、それは「恐れ」を踏まえた願望ですから
それは神を信じたものではなく「不信」の表明となり、
神も仏もないものだ、という現象を呼び出すかもしれません。

この世界のありとあらゆる現象を「何の判断もない状態で、受け取る」ことが完全な目覚めだと私は思います。
逆に「これは良いけど、あれはいらない。それは愛じゃないだろう?!」と
判断する自我として、自己の主張を持つとしたら
どうぞ、自我の思うままを、味わい続けていいんだよ、と
神は愛情深くその姿を続けさせるだろう。

そんなことを書くと、
それを自我からすれば「オマエは、神様だからって盲信するのか?!」と
攻撃の対象にもなりうるかもしれませんね。
私は、私の自我が「盲信」と騒ぎ立てても、「そう思うのかい?」としか言いようがない。

そう思おうが思うまいが、私はその「盲信」というジャッジに備えて何かをする気がない。
逆に、「盲信して、さらにそれを拡大しようとして」信者獲得にいそしむ気もない。
あくまで私は私の感性に責任を持つだけです。

また、スピリチュアルの前提として「魂のシナリオ」の話を
私は私の責任において、信じています。
それを信じている、ならば証明できるかと言ったら、知らん。できん。
私は、私に対して「信じている行動」を約束はできるけれど。

それを前提とし、共通の土台として話題を変えてみます。

神は、あるいは、あなた自身の魂がこちらに来る以前には
あなたのために「今生における、愛と幸福の学びのシナリオ」を書いただろう。
それは、それ以前の魂の学びの成果に鑑みた「未消化な課題のやり直し」や
「これまでの成果を踏まえた、新たな取り組み」かもしれない。
いずれにせよ「あなたにとってうまく行った経験のないもの」のはずだ。

しかし、自我というやつは「経験主義である」「経験そのもの」である。
成功体験がないものであるにもかかわらず、「自分で何とかしよう」とする。
これまでさんざん「できなかった課題」のやり直しにも、
またおなじみの自我の経験則で「自分が何とかしよう」として何とかなるのか?
残念ながら、自我はそれを開け放さぬことには、課題を超えられない。

その時、「神様は、かくもサディスティックに、これを愛というのか?」
と天に唾するのも、神はゆるしてくれるだろうけれど
課題を超えぬことには、帰ることはできない。

だから、帰るのが遅くなるだろうけど、神はそれでも待っているよ。

私は、こう言う風に、「私のファンタジー」として説明する方法しかありません。









神は喜びや愛の再認識の為に、我々を作り、自分が神だと言う事を忘れてゲームを始めた。

で、ここから聞きたいところなんですが、なんでそんな風に自分でゲームを始めておいて、苦しめておいて、「愛しています。大丈夫です。」は無いだろうって事です。

消防団員(ほんの一部の方だと言う事は分かっています)が、火事が見たいために、消火をしたいがために、自ら放火をした、といった事件は一度や二度ではありませんが、神がやっている事はこれとおんなじ「マッチポンプ」じゃないのですか?

どこがどのように違うのか、明確に説明していただきたいのです。
Posted by トパーズ at 2012年06月19日 21:04
あのさぁさん

答えは誰も教えてくれません。
自分の中にしかないのですから。

そして、「神様」、「ゲーム」という言葉は、
苦し紛れの例えに過ぎません。

答えが出ないなら、
前提を疑ってみてはいかがですか?
Posted by ぺぴ at 2012年06月19日 21:04
あのさぁさん

>神は喜びや愛の再認識の為に、我々を作り、自分が神だと言う事を忘れてゲームを始めた。

ということに対して、
わたしも、あのさぁさんと同様の疑問を感じていました。

でも、
『神の使者』という本を読んで、
この疑問が解消されたように感じています。

この本は、
スピリチュアルの世界ではすごく有名な、
『奇跡のコース』の解説本なのですが、

『神様が自分自身の無限さ、完璧さを知りたいがために、この世界を作った』ということに関して、
明確に否定しています。

この世界での出来事に関して、
神様は一切関与していないという風に書いています。

神様が完璧な存在であるならば、
その完璧さを知りたいと思うこと自体、完璧ではなくなってしまいますし、
愛の存在である神様が、苦しみを作ることもありえません。

この点に関して、
世の中のほとんどのスピリチュアル系の本は間違っていると、
『神の使者』では述べられています。

また、
自分のことを神と言ってしまうことも、間違っているらしいです。
なぜなら、
わたしたちは、神とひとつではあり、神はわたしたちを創造しましたが、
わたしたちは、神を創造することはできないからです。
Posted by がうちょびん at 2012年06月19日 21:13
東京もすごい雨になってきました( ´ ▽ ` )ノ

今日は阿部さんの
おいらはドラマー♫を読んで
昔、NHKでやっていたプリンプリン物語の挿入歌を思い出しました。

おいらはドラマーの同じメロディで...

おいらはしどろ~♫
おいらはもどろ~♫
二人あわせて~
しどろもどろ、しどろもどろ
ヾ(゚Д`;≡;´Д゚)ノ゙

子ども頃に覚えた歌って忘れないですよね!
今日一日中、ループしてましたw

そういえば、子ども頃って神様がいるってことを何の疑いもなく
信じていたなぁ~。

大人って、大人って。。。
Posted by Yacco at 2012年06月19日 21:21
♪~本当の幸せ教えてよー

 壊れかけの おじさん??
Posted by 風 at 2012年06月19日 21:27
>神は喜びや愛の再認識の為に、我々を作り、
>自分が神だと言う事を忘れてゲームを始めた。

>で、ここから聞きたいところなんですが、なんでそんな風に自分でゲームを>始めておいて、苦しめておいて、
>「愛しています。大丈夫です。」は無いだろ>うって事です。

神の意識が「ひとつ」であったとき 神は 自らが何者であるかを
織るために 比較対比し ともに観察しあえる 状況を望まれた。

そのために「神の根本意識」は 自らの意識を分けた 無数の意識として。

その意識が自己を表現できる場としての3次元世界(多次元構造の最下層)
地球という物質の惑星を創造し、自らが肉体に宿ることで 物質の世界の中で 生活ができるように仕組まれた。(動植物・鉱物他生命が住める環境等
を含む)

自らが 「神の意識」そのままでは 「埋没し」自己を発見することも「創造」することも「ゲーム」に興じることも できはしない。

そこで、「神は自らの 神であるという 意識を 忘却させた」
思い出せば 神であるのだから これ以上ない 安全と安心 幸福と
完全の中に すでに 「在る」ことが理解されるが

「忘却」したままであれば 不幸と思えたり 苦しみと思えることも
体験することになる。何故 そのような体験が必要かと言えば
「完全」「ひとつ」「幸福」の概念そのままが 「神の全体意識」です。
それしか 織ることがないわけです。その概念を織るために、分離した
意識、分離した「概念」が必要とされます。

盲目の人は「光」が何か そして「闇」が何かを 「認識」することが
できません。 ・・・少し 考えてみれば あのさぁさんなら わかりますよね。

というか 知っていて 疑問投機されましたよね?

「目覚め」ているなら 常識ですものね。おめでとう。
Posted by 怪盗ルパン at 2012年06月19日 21:43
お帰りなさい (^ー^)/

こちらはすっかり雨も止んで、
虫の音が聴こえてます。

ゆっくり休んでください (^ー^)
Posted by 朋子 at 2012年06月19日 21:44
>IVさん
>ミルキー☆さん 
ありがとうございます。
自分で言うのもなんですが、よくぞここまで生き延びてこられたなーっていうくらいたくさんしょいこんでいました。ワタシエライ!
これから本当の人生が始まります。生まれたばかりのよちよちあるきの赤ちゃんだからたくさん失敗もするでしょう。
ネガティブな思いにさいなまれることもあるでしょう。
でも、一歩ずつ自分の足で歩けば必ず素敵なことが起こると信じられます。

とりあえず、いま乗っている電車が強風に負けずに無事に終点までつきますように(^^;)帰り道のルート選択を間違えたかも…?こういう日は地下鉄が安心ですよねー(^^;;;)雨が右から左に降っている…
Posted by アラヤクリ at 2012年06月19日 21:46
アラヤクリさん、
アラヤクリさんが、生まれたんですね。

よちよち歩きだろうが、自分の足で歩くっていいでしょう?
失敗できるって、素敵だね。

無事の帰宅報告を、楽しみにしています。
Posted by トパーズ at 2012年06月19日 21:55
やっぱりこのレベルの答えしかないのですね。

ありがとう。
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 22:06
台風すごいです
大きな被害がでないことを祈ります

真在さん、女の方だったんだあ
スミマセン 
コメント、面白かったです 笑
Posted by あいちゃん at 2012年06月19日 22:07
あのさぁ さん

>やっぱりだれも納得いく答えはない。

あのさぁさんは、ご自分がされた質問への答えに対して納得いくかどうか、
判断されている、とお見受けいたしますので、
もしかすると、もうすでにご自分なりの判断基準をお持ちなのではありませんか?

ならば、他の人の意見を聞くまでもなく、
ご自分がそうだと思われた通りに信ずるが、
あのさぁさんの悟りの境地なのだと思います。

>阿部さんや大空さんは神様ゲームのファミコンのレベルを卒業しただけ。
>次はスーバーファミコンの世界で楽しまれるのでしょう。

この判断は、あのさぁさんの判断基準で下されたご意見であるだけで、
何の根拠があるのか、不思議です。

とにかく、何にでも、自我は判断し、自分を納得させることに集中します。
それがいけない、という訳ではありませんが、

阿部さんや大空さんのことは、彼らに任せたら、いかがですか?

あのさぁさんが、どう判断するか、どう考えるか、どう感じるか、が大切であって、他の人のことは、あのさぁさんには、関係がない筈です。

彼らを判断し、レッテルを貼ろう、とするのは、
何故なのか、ご自分では、よくわかっていらっしゃるとは思いますが、
その判断は、覚者であるあのさぁさんが、することではない、と思います。

あのさぁさんの世界は、あのさぁさんを中心として回っている世界で、
阿部さんの世界もしかり、大空さんの世界もしかり、なのです。

そんな世界が、意識の数だけ、存在しているのですから、

あなたの世界で、あなたの神に出会い、そして、
あなたの神を、あなたが理解すれば、よいのです。

多くの人と、神の概念の共有は、
多次元世界では、不可能と言えます。

言葉を使えば、使うほど、言葉の概念が人それぞれに違うので、
思考の軸がずれてしまい、どうしても解釈にずれが生じてしまうのです。

それは、個である限りは、拭い去れない宿命であると言えます。

「人間は一人で生まれ、一人で死ぬ・・・・「独存」(ひとりであること)こそ、人間の根本的な真実だ。」(生の神秘、OSHO)

言葉で表現し、理解しようとする限り、
あなたの神と、阿部さんや大空さんの神は、同一とは限らない。

大空さんがコメントされているように、

>その源へ行き、その中にとどまりなさい。
>そうすれば疑問は起こらない。
>これが疑問を解消する方法である。(ラマナ・マハルシ)

この源で出会う神は、個人の思考の消えたところで出逢う神なので、
そこに至らない限りは、神の本質(神性)について語ることはできないと、考えます。

多分、それで、阿部さんも、目覚めは語っても、神を語らないのは、
神をご存じないのではなく、神の本質をご存じなので、
敢えて、言葉では語ろうとは思わず、瞑想を通じて、自我の消えた「空」で、
ただただ意識の中に在る「それ」を感じることで、
共通の神意識を多くの人と共有したいと思われているのではないかと思います。

他人が、ファミコンのレベルか、スーパーファミコンのレベルか、
をあのさぁさんが気にされる必要は全くありません。

あのさぁさんが見る夢は、あのさぁさんが、自由に選択、創造できる、のですから、
自由自在にご自分の道をお進み下さい。

あなたが見ている世界、意識している世界は、あなただけのものですから。
Posted by 紙芝居 at 2012年06月19日 22:15
みなさん平安でありますように。
Posted by 朋子 at 2012年06月19日 22:17
私が思うに、言葉に現すことは、全て、方便だと思います。

だから、人それぞれの意味付けや解釈があり、それに納得したり、悩んだり。

方便だと見ぬくと、じゃあ本当の答えは?

「わからない」

ソクラテスは、「私は「わからない」という事をわかっている」と話したようです。

仏陀もキリストも、「わからない」に安住していたのだと思います。

だから、向さんも、「阿部ちゃん、自我って本当にあるんやろうか?」
と子供のように、質問したのだと思います。

「沈黙」こそが、答えじゃないかな。。
Posted by にじ at 2012年06月19日 22:19
>紙芝居さん

もう、やめとこうと思ったのですが…

神のマスターベーションの為に、なんでこんなに苦しまなきゃ聞けないのさ。

私の言っている事を理解できますか?
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 22:21
マイケル.JP さん


―愛犬が亡くなった時のこと―


わたしは「自分が悲しいことがうれしい」とさえ思った。
悲しみはわたし自身について教えてくれたからだ。

悲しみは、わたしが慈しみをもっていたことを教えてくれた。
愛していたことを教えてくれた。
わたしも人間だということを、そして誰もが感情を麻痺させているような
このごろの世界にもかかわらず、自分が人間らしさを
失っていなかったことを教えてくれた。

そう、わたしは悲しいことも、その悲しみが
「ほんとうの自分」を教えてくれたこともうれしかったし、幸せだった。
悲しくて良かったと思った。

悲しいからって不幸になる必要はない。
自分が進化という旅のどこにいるのかを知る指標にすれば、
悲しみは自分の感情の深さを確認する手がかりになるし、
それを通じて人間として、霊的(スピリチュアル)な存在としての
自分を知ることができる。

だから、誰かが亡くなったら悲しめばいい。
誰かに傷つけられたら悲しめばいい。
とりわけ、あなたが誰かを傷つけたら、後悔とともに悲しむといい。

悲しみという贈り物を自分に与えれば、
ほんとうの自分を忘れそうな経験をしても、きっと早く癒されるはずだ


『神よりしあわせ』ニール・ドナルド・ウォルシュ



私も犬を飼っています。台風もドキドキです・・・
昨年、うさぎを亡くした時は涙が止まりませんでした。
今日、とある調べものをしていて偶然(必然?)見つけた文章です。
おすそわけします。
Posted by 忍。 at 2012年06月19日 22:31
おいおい、失礼な奴だな、「あのさあ さん」(笑)

私はまあ、「このレベル」と人に知られても、
こうやって自分なりに言語化してみたことが、面白かったです。
他にも何人かのかたの論を読んだり、それも面白かった。
人それぞれに、自分の言葉で説明しようとする、そのやりとりが楽しい。

お互い、自分の感性に責任もつしかできないから、
私が、私レベルの理解で今を終えてもいいわけで。
ここであなたが誰を凌駕する論を展開してもいいわけで。


でも。
「やっぱりこのレベル」と思うために、人の言葉を呼び出したのかい?
買い被っちゃ困るなあ。やっぱりも何も、全力挙げて「今はこのレベル」だよ。

ところでね、すごく「このレベル」って言葉に反応しちゃってるでしょ?
もっといいレベルと思われたかったんだねえ、トパーズ。
悟りの道は、まだまだ続く。

難しいテーマを与えてくれて、ありがとう。
Posted by トパーズ at 2012年06月19日 22:35
>あのさぁ さん

それはあなたが覚醒したときに分かります。

その答えは言葉では顕すことは出来ません。

どれ程の言葉をつくしても、あなたは納得しないでしょう。

自分が消えた「あれ」を経験したら分かります。

そして、それは誰でも必ず体験します。

頭で理解したとしても自我が納得するだけです。

いまここに戻ることへ意識を向けた方が、答えに近づくのではないでしょうか。
Posted by 由未 at 2012年06月19日 22:36
>あのさぁ さん

それはあなたが覚醒したときに分かります。

その答えは言葉では顕すことは出来ません。

どれ程の言葉をつくしても、あなたは納得しないでしょう。

自分が消えた「あれ」を経験したら分かります。

そして、それは誰でも必ず体験します。

頭で理解したとしても自我が納得するだけです。

いまここに戻ることへ意識を向けた方が、答えに近づくのではないでしょうか。
Posted by 由未 at 2012年06月19日 22:36
苦しいのは誰だろう?

誰が苦しみなんだろう?
Posted by taka at 2012年06月19日 22:37
あのさぁさんは苦しいんですね…
結局苦しみだけが真実だってところに戻ってきてる?
Posted by lemoncake at 2012年06月19日 22:42
あのさぁ さん


申し訳ありません。
やめておこうと思ったところを、引き留めてしまいましたね。

>神のマスターベーションの為に、なんでこんなに苦しまなきゃ聞けないのさ。

その答えは、ご自分がよくご存じなのでは?
神はあなたですから。

よくよく、ご自分に聞いてみて下さい。
神は、ナルシストかもしれませんが、
自慰行為で自己完結している存在ではないと思います。

神が自己完結している存在なら、わたし達は存在しません。

あなたが、本当はどんな存在であるか、を自覚されているなら、
そんな分離意識から生じる苦しみは、感じないと思います。

あのさぁさん、の疑問は、
フランケンシュタインが、己を創造した人間に発したテーゼなのです。
フランケンシュタインを創り出した人間は、どういう意識だったのか?
フランケンシュタインの苦悩と哀しみは、
人間が神に対して感じる苦悩と哀しみと同じかもしれませんね。

でも、実は、フランケンシュタインは、自らが予め作ったプログラムを使って、己が己を創り出した存在であるとしたら、
それを知ったフランケンシュタインは、一体、どう感じるでしょうか?

マスターベーション、と、憤りを感じますか?
大いなる宇宙的冗談、と、力が抜けて、可笑しくなりますか?





どうぞ、それを想像してみて下さい。
Posted by 紙芝居 at 2012年06月19日 22:44
目覚めた皆さん。いや、目覚めたと思っているあなた達。
う、上から目線ですか?

それが自我です。

何でこんな簡単な事が理解できないんだろう。
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 22:47
あのさぁさん

「神は喜びや愛の再認識の為に、我々を作り、自分が神だと言う事を忘れてゲームを始めた。」

という前提が、あのさぁさんにとって間違ってるだけです。

その前提捨てちゃってください。なんなら「神」も捨てちゃってください。

単なる言葉に過ぎません。

どうかご自愛を。
Posted by ぺぴ at 2012年06月19日 22:47
あるところに、一人のひきこもりの少年がいました。

少年の部屋に、一匹のゴキブリが、出てきて、カサカサと、這いずりまわったり、飛んだりしていました。

少年は、ゴキブリが怖くて、嫌いなので、何とかしようとしました。

叩くと潰れるのが嫌だし、殺虫剤もないし、どうしょうかと思いました。

手近に小さい缶箱があったので、蓋を取って、床に止まっているゴキブリに上からかぶせました。

そして、そのまま、部屋の隅っこにずらしながら、移動しました。

カサカサと箱のほうから音がしていました。

しばらくしてから音も聞こえなり、箱を取ると、ゴキブリはいませんでした。
Posted by てつ at 2012年06月19日 22:52
>ぺぴさん

「神は喜びや愛の再認識の為に、我々を作り、自分が神だと言う事を忘れてゲームを始めた。」

これ、阿部さんが散々言っている事。

阿部さんが言えば納得しますか?

これでは、まるでカルト教団と同じレベルじゃないの?
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 22:55
>神は喜びや愛の再認識の為に、我々を作り、自分が神だと言う事を忘れてゲームを始めた。 で、ここから聞きたいところなんですが、なんでそんな風に自分でゲームを始めておいて、苦しめておいて、「愛しています。大丈夫です。」は無いだろうって事です。

すごくいろいろ考えさせられる質問ですね!

ま、これに関する回答は他の方たちにお任せするとして、
いろいろ考えたので、備忘録として書きこみます。


この世の苦しみとは、神さまがゲームを始めたから生まれたのではなく、
我々の自我がちょっとよそ見をしてるだけなんだと思います。

でも、まかろんも、なんとなく「ゲーム」のように思ってました。
少なくともこの世では、挫折を知らないと強くなれないから。
刀鍛冶が鋼を精製するように、我々が一旦見失った「神の愛」を
再発見することで、神の愛を進化させるのが我々の人生の意義なのかなー、
と何となく思ってました。

でも、そうでした、神は完璧であり、不変なのでした。

進化も変化であり、そうである以上、それは神の愛ではないのでした。

喜びや愛を再認識する必要があるのは、我々の自我であり、
神さまではないのでした。

神の愛に戻る「ゲーム」についつい夢中になっていたけど、
そしてまかろんはその途中ではあるけど。

この質問は、その「ゲーム」をクリアすれば良いってものじゃないよ!
という警告なのかもしれません。


ここからはお説教に聞こえないと良いなぁ、と願うのですが。

>なんでそんな風に自分でゲームを始めておいて、苦しめておいて、

と思う方はこの方以外にも大勢いらっしゃるかとは思うのですが、
苦しみ、と見えるのは、ちょっとした間違いだった、と
笑って過去を許せることを願っています。

そして、ただ世界に、周りの人たちに。
愛と平和と感謝の光を捧げる。

何故何故、と問うのではなく。

ただ光の使者となって世界に愛と平和と感謝の温かさを届ける。

与えられるのを待つのではなく。
自分がその発光体になる。

頭で理解するのも良いけれど
(神の愛になれない時は、頭での理解が支えになるから)
愛と平和と感謝で心を満たす、それが大事だと思うのです。


何の回答にもなってないでしょうけど(最初にそう言ったじゃんっ)
改めて考えるきっかけを作ってくれた質問者の方に感謝します。
Posted by まかろん at 2012年06月19日 22:59
誰がいっても納得しませんよ。

ただ阿部さんがそう思っていることを間違っているとか、
正そうとかも思いません。

おそらくそれは方便だから。


あと、すみません。

あのさぁさんの疑問は、神がどうのこうのではなく、
「ここでコメントしてる連中は本当に分かってんのか?
本当に悟ってんのか?」

だったんですね。

それはどっちでもいいんじゃないですか?
あまり興味ないです。
Posted by ぺぴ at 2012年06月19日 23:00
やっぱり、皆さん自我がすごいんだね。

>それはどっちでもいいんじゃないですか?
あまり興味ないです。

嘘つけ。
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 23:04
すみません。
ここで、こんな話題すべきではなかった。
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 23:09
あ、あれ、書いてる間になんか紛糾しちゃってる・・・。

場違いなこと書いちゃったかな・・・。

議論に加わるつもりで書いたんじゃないんだよね・・・。
喧嘩売ったり説教するつもりじゃないんで。

えーと、怒んないでね。

お休みなさい。
Posted by まかろん at 2012年06月19日 23:09
あのさぁさんの書き込みを見て、ドキドキしました。

わたしはあなた。あなたはわたし。

私の中にあのさぁさんがいて、
いるいる!よしよし!って抱きしめたら
わたしのなかのあのさぁさんが落ち着きました。

おやすみなさーい☆
Posted by いぬ at 2012年06月19日 23:14
ごめん。

今日のさいごっぺ。

エライってなに??

誰と比べて偉いの??

答えてよ。
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 23:16
なんだあ、それだけのこと??

自我すごいですよ、はい。
Posted by トパーズ at 2012年06月19日 23:18
マイケル.JP様★

マイケル.JPさんは台風が怖いのですね…。

早くマイケル.JPさんのいらっしゃる地域から台風が去ってくれると良いのですが。

私は不思議と子供の頃、ビュウビュウ吹き荒れる風の音を聞くと、何故か安堵してぐっすり眠れたのです。不思議ですよね。


14年と7ヶ月近くも一緒にいた愛犬ちゃんが、旅立って逝かれたのですね。

>出来事をそのまま受け入れられないから自分を責めたり後悔したりするのでしょうか?

大切に大切に一緒に生きてこられた愛犬ちゃんが旅立ったのですから、出来事をそのまま受け入れるなんて出来ないですよね。

>あの時ああしていれば・・・と。

後悔してご自分のことを責めているんですね。

いくらこの世が幻想の世界とはいっても、リアルに体験しているのですから自我の思い上がりなんかじゃないと思います。

大切に想っていればいるほど

愛していればいるほど

この世でのお別れは辛く悲しいものだと思います。

阿部さんだって、愛する智子さんに先立たれたら、おいおい泣くのではないでしょうか…。

私は同じ年に両親が旅立ち、とても悲しかったのですが、この悲しみは私が両親を愛していた証だから、忘れたくない、逆にこの悲しみが薄れてしまうのが怖いと思いました。12年たちますが、まだまだ執着を手放せません(笑)

同時期に両親が入院していて、母には告知が出来ず、父は残りの時間を告げられていたので、余裕のない私は先に旅立つであろう母の方に心の比重があり、後から父に申し訳なかったと後悔しましたが、もうどうしようもないのですよね。

ですから、マイケル.JPさんも「あの時こうしておけば…」と思っても、そこはどうにも変えられないのですよね。

そうしか出来なかったんだ、とそこは受け入れるしかないかもしれませんね…。お辛いと思いますが。

ただ、「こうしていたら」本当に状況が変わっていたのかどうかはわからないのではないですか?どうなのでしょう…。

しばらく悲しみが続くと思いますが、そんなに悲しみが大きいほど愛犬ちゃんは愛されていたのですね。

きっと愛犬ちゃんもマイケル.JPさんのことをとっても愛していたでしょうね。

愛犬ちゃんの姿は消えてしまっても、お互いの愛は消えませんよね。

愛犬ちゃんはマイケル.JPさんと14年と7ヶ月も一緒にいられて、きっと幸せだったでしょうね。

残りのひと時を味わって下さいね。
Posted by ミルキー☆ at 2012年06月19日 23:22
あのさぁさん

残念ですが
それも誰も答えられないですね。

さて、自我はいいですよ。最高ですよ。
そんなに毛嫌いしないでくださいね。

私たちは
中途半端に見えて完璧な位置にいるみたいです。


ありがとうございました。
おやすみなさい。
Posted by ぺ at 2012年06月19日 23:23
あのさぁさん

ここは基本的には阿部さんの説かれることを信じる人達が集まるところなので、その疑問をぶつけても無駄だと思います。

無意識に阿部さんか自分が侮辱されたような気がして、攻撃的なレスになってしまう。
覚醒された人って、このレベルなのかと失望します。
阿部さんも覚醒と人間性?は関係ない、と書かれてたと思います。
覚醒していないのに人格者が、一番凄いと思います。
覚醒されている人でこのレベルなので、自分がとんでもないのも納得です。

「相手はあなたの鏡に過ぎない」「気づきをありがとう」
よく見るコメントで事実ではあると思うのですが、もっと素直に物事語った方がいいと感じます。なんだか自然でない感じを受けます。そう思おうとしてるって言うか。

あのさぁさんは阿部さんの言うことを信じたくて質問してる気がします。ただ疑問を解きたいだけなんじゃないでしょうか。
駄目だったようですが。
阿部さんが回答してくれればいいですね。





由未さん

あのさぁさんは覚醒を体験されたそうですよ。
Posted by 喧嘩売ってるわけではないです at 2012年06月19日 23:28
横から すみません

みなさまの 完璧すぎる コメント 

凄過ぎて 言葉も ありません
 
あのさあ さんに 平穏が おとずれますように

教養ないので 何も言えませんが 

ほんとは みんなと 仲良くしたい 理解したい

尊敬されたい  んですよね 
Posted by nanasi at 2012年06月19日 23:31
あのさぁ さん、

世界中の偉人でさえ、誰も悟ったとなど言っていないのに、雨後の筍の如く覚醒者が現れるほうがおかしいでしょう。

それが、あのさぁ さんが、答えを得られない理由です。(笑)

もし本当に悟っているというのなら、悟りなど単なる自慰行為に過ぎなく、世界に対しては何の影響力も持ちません。
ただ、鬱とか精神的にまいっている人には救いになるとは思いますけど、、、。

ま、本当に次元上昇だとかが起こって、自我まみれの私などが取り残されることにでもなれば、そのとき後悔すれば十分でしょう。

それまでは、神の一人ままごとにつきあっている、というぐらいの感覚で、ぼちぼち自我の開放を試す程度にしておこうと思っています。
Posted by やす at 2012年06月19日 23:33
メロンの旨さは食べてみなければ分からない。


いくら説明を聞いても美味しくない。
Posted by 万福亀鶴 at 2012年06月19日 23:35
ごめん。
さっきので終わるつもりだったんだけど、あまりにもトンチンカンな答えばっかりだったので、なんレスス森だったんだけど、やめとく。

答えをすり替えないで、だれか答えて。
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 23:37
ごめん。

誤字だらけだ~
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 23:39
あのさぁさん

だからここでは無理です無駄
Posted by 喧嘩売ってるわけではないです at 2012年06月19日 23:42
喧嘩売ってるよね。
買わないよ。

犬にでも食わせてね。
Posted by 喧嘩売ってるわけではないです at 2012年06月19日 23:42
おでんの味は人それぞれ。同じと思ってはいけない。

美味しかったは、すべて正しい。

Posted by 万福亀鶴 at 2012年06月19日 23:43
2012年06月19日 23:42の喧嘩売ってるわけではないですさんへ

紛らわしいので同じ名前使わないで…
Posted by 喧嘩売ってるわけではないです at 2012年06月19日 23:45
まあるさんへ
ナイスツッコミ
面白いです。


バトルのようですが…
疑問がわくのは、同時に答えも解っている(無意識に)
と私は感じるので何故と問い続けて下さいm(__)m

夢や現実でのヒントを見逃さないで下さい

残念ながら私はわかりません

お節介失礼しましたm(__)m
Posted by ブルー at 2012年06月19日 23:45
あれ時間まで同じでした

2012年06月19日 23:42の2番目の喧嘩売ってるわけではないですさんへ

紛らわしいので同じ名前使わないで…、です
Posted by 喧嘩売ってるわけではないです 1 at 2012年06月19日 23:47
あっはっは~~。(どっかで聞いたな)

私の疑問、本心だよ。

でも、みんな一生懸命に答えてくれた。

納得はしてないけど、とてもうれしいよ。

ありがとう。

また来るからね。
Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 23:52
あのさぁさんへ

あなた様の質問でいろいろ勉強になりました。ありがとう!

わたしはトパーズさんはじめ、皆さんの説明を読んで、
なるほどと理解が深まりました。

すべて理解して、他の方に説明できるかというとできませんが・・・・・・

あと、わたしの勉強として
あのさぁさんの答えを教えてもらえないでしょうか?

かなり興味があります。たぶん他の人も気になっています。

よければ、よろしくお願いたします <(_ _)>
Posted by BM at 2012年06月19日 23:53
あいちゃんへ

はい、わたしは一応女ですがそれが何か(笑)
反応して貰えて嬉しかったです。
ありがとうございます(^^)v

こちらも只今大嵐中です。
でもわたしは静か。
これから台風瞑想してみようかな。
台風の中心は静かなんですよね(^^)
Posted by 真在(まある) at 2012年06月19日 23:53
私は覚醒してないけど、ちょっとだけ書かせてください。
私はなんとなくだけど、この世界自体がSMちっくな世界なんじゃないかなと思ってます。
だから神様がサディスティックなのも、私たちは了承済みなのかなと思ってました。
SMプレイだと思えば、「愛してます、大丈夫です」っていう変態な感じも許せるってだけの話ですけど^^;
この世に生まれてる人はみんな、どっかマゾだと思ってました。
大変なの解ってて生まれてきているらしいので。
Posted by ぺこ at 2012年06月19日 23:55
あのさぁさん、ありがとうございました。
またお会いできるとうれしいです~
Posted by JAC at 2012年06月19日 23:57
古の覚者の言葉

「犀の角のごとく ただ一人歩め」
Posted by 一空 at 2012年06月19日 23:57
あせらないでね、あなたの問いかけは確実に

みんなに伝わっていると思うよ、やがて答えは出てくるのかもしれない

あきらめないで、納得できるまでじっくりと行こうよ

~(●^^●)~
Posted by 直弘です at 2012年06月19日 23:57
あのさぁさんの意見知りたいですね
もう寝てそう(笑)
Posted by 喧嘩売ってるわけではないです 1 at 2012年06月19日 23:57
真在(まある)さん

そのセンス好きです(笑)


僕も妻が風邪をひいて

「横になると咳が止まらない~」 

って言った時。

「じゃあ、縦に寝れば」 

って言ったこと有ります(笑)


何事も深刻さはいらないですね。
Posted by カズ at 2012年06月19日 23:58
答えは、自分しか出せない。

摩り替えではなく、他の人は、あなたが気付くようにヒントをくれています。

ヒントをくれている人に、文句を言っています。

あなた私が、繋がった部分は、すべての人が、持っています。そこの部分をわかっている人は、似たような事をいいます。だから、阿部さんの言う事と同じような表現になるだけで、味方とか、オカルト集団に思えるのでしょうね。
Posted by みどり at 2012年06月20日 00:00
ブルーさんへ

メッセージをありがとうございます(^^)
今後も励みたいと思います(笑)

>夢や現実でのヒントを見逃さないで下さい

ラジャー(^^)v
Posted by 真在(まある) at 2012年06月20日 00:08
カズさん

カズさんの言葉に対しての
奥様の反応がどうだったのが気になります(笑)

わたしも喘息持ちなので、余りにシンドイ時は
本当に縦で寝ます(笑)
カズさんのアドバイス、合っていますね(^^)v

さっきベランダを見たら、薔薇の鉢が横になっていました。
今夜はその方が安全なので横寝してもらいます(^^)
Posted by 真在(まある) at 2012年06月20日 00:20
先ずはこの表現に一票入れます

 >風船があるから「空気の張り具合」を実感できて、
   楽しいよね

これ「思考とわたし」がフィットしてるなぁ、と感心しました
ありがとうございます

わたしの素朴な疑問です

 神に思考はあるのでしょうか?
 神は判断するのでしょうか?

わたしは「ない」と反応した「自分担当の思考」を支持してます^^
神は「無尽蔵の動力源」であって、思考や判断はしない
たとえが庶民的ですが
 
 ガソリンは、車を動かそうとはしていない
 でも結果として、車を動かすことに関与している

神とはガソリンのような存在で、
人間の思考のように「露骨に」ああしようとか、こうしようとか、そういうのはないように思うのです

「神との対話」という書籍がありますが
自分を神だと認識している時点で「神というお面をかぶった何者か」だと感じます
でもその内容が多くの思考に希望をもたらしたことは事実です
ですから、対話の相手が神でなくても「よかった^^」と反応しています

ハイヤーセルフですが、
ハイヤーセルフには、神よりは我々に近い思考や判断のようなものがありそうかもと感じています
ですが我々の思考では想像もつかない思考や判断をしているようなので
少なくとも、人間の思考が関与できるような思考や判断はしていない
そう結論しています

これを言ってしまうと、身も蓋もなくなりそうですが
神もハイヤーも、人間の思考に落とせる場所で論議できるような存在ではない
そう感じていることに、すっきり感があります^^


 表現することは難しいけど
 感じ取ることはなんとかできる

 でも感じ取っている感覚のはるか彼方にありそうなので
 それを表現するとなると「空」としか言いようがない


大切なことは文章では伝えられない、だから口伝する
そういう方法を取ってきた先人たちの意図を、
今年になりようやく理解できるようになりました
去年までは「もったいつけやがって!」とあしらっていましたが、反省しています^^

最後にもう一度

神に思考は存在するのでしょうか?
神は判断するのでしょうか?

わたしの思考は「ない」と反応することにすっきりしています^^
ありがとうございます
Posted by りんのかぜ at 2012年06月20日 00:25
>トパーズさん
ありがとうございます。
電車は徐行運転ながら、無事到着しました。
風が強くて、駅から部屋まで、途中からは傘をたたんで暴風雨の中走りました。おもしろかったし、気持ちよかったです。
で、アパートの玄関にたどりついたとたん、暴風から突風に変わり
「ああ、間一髪!!!」いやーこれはけっこうこわかったです(>∀<;)キャー

あのさぁ さんの書き込みで コメ欄が熱いことになっているようですね。

ゲームをしかけるのは、神様だけじゃありません。
私たちは、いつもゲームをしかけて、ふさわしい人を引きずり出して
自我を満足させようとしていますね。

かつてのアラヤクリがそうでした。
ネガティブな体験ばかりコメント欄に書き込んで、
相川師匠を引きずり出しました。(その節は…m(_ _;)m
あの時、幸い、自分がゲームをしかけていたことに気づけたので
それからは気をつけるようになりました。自分のエゴに気づいたんです。
(あ、これはアラヤクリのケースなので、他の人に当てはまるとは限りません)
ゲームを仕掛けたって、なにも変わらなかったんです。
自我は欲張りで、10求めて10帰ってきたら12求め、12帰ってきたら20求め・・・50になり100になっても満足することがありません。

それにしても、私たちは、どこまでもカミサマのひな型なんですねえ。
まるで子供がおままごとをしているように、ゲームをしかけている。
カミサマが私たち人間をいとしいと思うのも むべなるかな です。
Posted by アラヤクリ at 2012年06月20日 00:50
りんのかぜさんへ。

私の場合は、コメントを読んだりする時に、私の中の人達の誰かなのか、何役をしているのか、わかりませんが、その人達が、明るい感じ、低い地をはうような棒読みだったり、あと人としゃべっていても、もうそこら辺でっていうような自分でわかる合図をくれます。
Posted by みどり at 2012年06月20日 00:52
空とは、単なるエネルギーで、
 
神こそ、全体意識の事ではないかと^^;

・・・・・えっ!?
Posted by あまのじゃく at 2012年06月20日 01:17
目覚めた皆さん。いや、目覚めたと思っているあなた達。
う、上から目線ですか?

>それが自我です。

>何でこんな簡単な事が理解できないんだろう。

>Posted by あのさぁ at 2012年06月19日 22:47

わたしは、あのさぁさんの上から目線に反応してしまった><
(全然、目覚めていないのに、ご免なさい!)

そうそう、あのさぁさんは、自我ないの?
(そりゃ、スゴイ!)
みんなあると思っていた。

自我なかったら、それは、神様だよ!
!!!?
Posted by エゴイスト at 2012年06月20日 01:50
>神の一人ままごとにつきあっているというぐらいの感覚で


宇宙大に肥大した自我は、
止まることを知らない。

でも、それさえも、許すんだろうな。

仕方ない。自分だものね。
Posted by 妄想狂 at 2012年06月20日 01:59
相川 美晴 さま


力作のコメント、ありがとうございます!
一字一句、じっくりと噛みしめて拝読させて頂きました。

相川さんのお人柄が滲み出ていて、
読後感、すっきりです^^

ありがとうございました。

また、学ばせて下さいね。
Posted by 迷子 at 2012年06月20日 02:07
存在のいまには、苦しみや問題はは存在できない。
時間のいまには、体験して味わうしかない。

存在のいまで答えを得たいのか?
時間のいまで答えを得たいのか?
条件つきの答えを期待しているのか?
答えを期待して答えを得られるはずはない。
まだ、ネット上で表現するには時期尚早でしょう。

例えば、人間の染色体の数が何故46本なのか・・・?
を誰もが答えられないくらいのタブーなことが世の中には沢山あるんですよ^^
Posted by アーサー at 2012年06月20日 02:08
僕は音楽を僕の中のカテゴリから外すと、クソみたいな、カスみたいな​、そして周りから蔑まされて、陰口をたたかれ、ゴミのような人に​なるのではないかと、思ってました。
ほっとしました。
Posted by おーしろ at 2012年06月20日 02:15
あのさぁさん と同じ疑問があり
ニューエイジ・スピ系のメッセージに
時々うーん。。。と感じることもある者です。

もしかしたら誰かのヒントになるかも
しれないと思ったので、自分なりに
現在出てる結論をシェアさせて頂こうと
思いました。

目には見えないエネルギー体の
かたまりである意識の視点からは

我々が幸せだと思うことも
不幸だと思うことも関係なく
単に今までに意識を向けるのが
習慣になっていたものを
現実化させているのではないかと。

我々はもちろん自らの幸せを望むので、
そこ(幸せ)に意識を向けているように
見えるんですが実は、

「幸せになりたい」

と願うとき、

「幸せ」

ではなく

「幸せではない状態」に

意識が向いてしまっている
からなのではないでしょうか。

これは、
その人独自の癖だけではなく
繋がってる人類全ての癖みたいな
ものからも影響を受けてると思うので、

それにあえて反抗して逆を選択した
少数派が聖賢と呼ばれる強い意志を
持った方なのではないかと
私は思っています。

多数派は不安や恐怖などをベース
にした感情に意識を向ける癖が
ついていると思うので。

このセオリーが正しいとすると

「神が決してジャッジせず、
全ての願いを叶える」

という言葉も自分的には
しっくりきます。

で、なんでこういう
しちめんどくさいことに
なってしまったかというのは

我々の分身というか、
一部の人々がそういうSM遊びを
始めたのがヒートアップ
しすぎちゃったからなんだろうな、と。

その遊びの目的が自らを発見し、
無限にその可能性を経験することで
あるとすれば、ゲーム設定の時点で
自らのキャラを、本来の姿(愛)から
もっともかけ離れた違うもの(恐怖)に
すると、難易度が高くなりますよね。

だから、この世には難易度高い
ゲームにセットして生まれてきた
人が一杯いるんだろうなーと
私は勝手に思っています。

私は、これまでに、
自分が心から素晴らしいと思う人々の
多くが、不公平という言葉では
言い足りないような人生の悲劇を
経験するのを見る度に

「この世界は間違ってる」

「神さまっちゅうのは何つうサディスト」

「仏教では、全ては幻想やって言うけど、
それでも苦しみはリアルやし、こんなん
単なる地獄やんけ」

みたいな想いになって絶望することが
よくありました。

が、こういう考え方をするように
なってからは、大分楽になりました。

あくまでは私個人の見解なので、
こういう意見もあるんだ程度に
読み流して頂ければ幸いです。

長文、最後まで読んでくださって
ありがとうございました☆
Posted by ゆき@あむ禅 at 2012年06月20日 03:31
さては、酔ってますな、、
Posted by クマ・ライコネン at 2012年06月20日 03:53
あのさぁ さま

そもそも、
わたしたちに苦しみを与えているのは
神なのでしょうか?

わたしはそうは思いません。

苦しみとはそもそも、
感情(喜怒哀楽)に執着することで
生まれる二次的感情です。

では執着するのは誰なのか?と考えてみると、
それは、自我に他ならないと思います。

そこで一つ、思いつきも書いてみます。

苦しいという表現は、
呼吸についてよく云われるところですが、
わたしたちの肉体を維持するために
呼吸は欠かせませんよね。

新鮮な空氣(酸素)を取り入れ、
不要となった空氣(二酸化炭素)を
吐き出す、その単純な繰り返しに
異常がないのであれば、
苦しいと感じることはありません。

そこで例えば、
新鮮な空氣(エネルギー)を
喜怒哀楽いずれかの感情として、
考えてみるとどうでしょうか?

受け入れて手放せばいいそれら、
不要となったエネルギー(感情)は、
ズバリ、二酸化炭素だと云えます。

そしてご存知のように、神は、
わたしたちに常に新しいエネルギーを
送り続けている生命の源です。

にも拘らず、苦しいのは、
不要となった空氣(二酸化炭素)を
わたしたちが溜め込むことに
因るものなのではないでしょうか?

問いの答えとは云えませんが、
参考の一つにでもなれば幸いです。
Posted by 朋子 at 2012年06月20日 05:56
何を無くしても

おーしろさんの本質は無くならないよ

ずっとおーしろさんのままだよ(笑)

~(●^^●)~
Posted by 直弘です at 2012年06月20日 08:28
あのさぁさんもやすさんも、根底に、不信があるのかな?

こればかりは、誰が何を言っても、拭い去ることはできない。

自分で答えを見つけるしかない。

いまここの自覚した人は、それぞれに自分の世界で、
自分の神に出会っているんだと思う。

だから、あのさぁさんもやすさんも
自分の神に出会うことだよ。

そして、直接、質問し、
「それ」から、直接、答えをもらうことだね。

そうでない限り、その疑問のループから永遠に
抜け出ることはできない。

今のままでは、
誰に答えを求めても、
誰が答えても、
満足できない。

そのループを突き抜けた所に
答えはあるんだけど。
Posted by ラビリンス at 2012年06月20日 08:49
おはようございます!(^^)
こちら、台風一過の晴天です!
台風一過って、台風一家だと、子供の頃ずっと思っていましたが・・・(笑)

阿部さん 無事にお帰りになられましたでしょうか・・・
いつもありがとうございます☆

>やっぱり神様はエライ!(笑)・・・
メッセージを読んで、いま、聖書のこの言葉が、とても光って感じられます。

 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある
 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある
 愛するのに時があり、憎むのに時がある
 戦うのに時があり、和睦するのに時がある
 全ての営みは、時にかなって美しい

さまざまな「時」を懸命に生きて「いまここ」にある・・・なんと、ありがたいこと! そう感じることができる「私」を創造した神様はエライ!神様は外にはなく、内にあったと気づかせてくださった神様・・・(涙)。。。

今日は、お友達のコンサートに「ゲスト出演」という初体験の日! 緊張してま~す。。。。(><)(^^)
「無」から生じた「創造のエネルギー☆」 存分につかって、「私」全開!「私」満開!の日になりますように~☆・・・いつもより、気分高揚して、祈りつつ、、(笑)
楽しい一日になりますように~☆


いつもありがとうございます☆   (^^)
Posted by 靜江 at 2012年06月20日 09:23
台風が、各地で被害をもたらしているようです
6月に、このようなニュースに触れるとは思わず
「あらしを呼ぶ男~♪」と、笑っているわけにもいかなくなりました。
アラヤクリさんの、無事の帰宅をしれて、よかったです

昨夜は、思いがけず「頭の中が、ぐるぐる」でした。
思考思考思考。
私は、こういう難しい話題に「思考せずに答える」などできません。
できる人がいるのかどうかもわかりません。

自分には「思考している自分を楽しむ」質があることも知っていましたが
だんだん、そう言う「テーゼのためのテーゼ」みたいな話題が苦痛です。
私は昨夜のような「議論」にふれればふれるほど「今ここ」から遠く、
すっかりパワーの弱まった左脳を奮い立たせようにも
「なにやってんだ~??お疲れだね^^」と、わが心の奥よりねぎらわれる始末。

あのさあさんが、なぜ、私が名指しされたかわかりませんが、
私がどんな理解でここに書き、それがいかなるレベルであろうとも、
あなたの真理とのつながりを阻害するものではないです。
真理は真理として何にこだわることもことなくそこに在るから
いつもゆったりと、真理につながっていてください。
私も、そうでありたいと思うから、お肌に悪い眠りはごめんだわ~。
Posted by トパーズ at 2012年06月20日 09:37
ラビリンス さん

僕の一番言いたいことは、『悟ったとか言っている人々が、ただのマスターベーションでしかない』ということです。

世界に対し、何の影響力もなく、自分の内側だけで、悟ったとか、まだだとか、まさに自慰行為以外の何物でもないでしょう?

もちろん、鬱の人とか、精神的に参っている人にとっては、有意義だと思いますが、現状がそれなりに充実している人にとっては、あまり意味がないと思います。

鬱の治療に認知療法というのが合って、この考え方が、正に悟りと同じなのですね。(Wikpedia参照してみて下さい)
だから、ここで悟ったと言っている人は、元々鬱気味で、自己流の認知療法により鬱が改善しただけの可能性もあるかなと思っています。


ま、自分としては、現状にはそれなりに満足しているので、人生が苦しいとかはあまりないのですが、やっぱり、『何故人は生まれ、生き、そして死ぬのか?』という根本的な好奇心があって、それを満足させたくて、時々お邪魔しています。(もろ自我の声(笑))


例えば、雲黒斎さんのブログとかは、哲学的で、読者も僕と同じ感じの人が多いかなと、コメント欄から推測しています。

それに比べて、阿部さんのブログは、現状が辛い方が多いのかな?と感じています。

言い換えれば、雲黒斎さんのブログは、哲学的、仏教的であり、阿部さんのブログは、セラピー的、キリスト教的だと感じています。
Posted by やす at 2012年06月20日 09:43
私は阿部さんが母性的であり、黒斎さんのは父性的だとおもいました。

認知療法が鬱を改善するという見方はあるけど
一方で「それは表層的であり、何度も繰り返す。根源の回復とは言えない」という見方を示す学会もあります。
私は、黒斎さんの記事を「認知療法」的なものとは、思わなかったけど。

つまり私が、自分の好きなように阿部さんや黒斎さんを理解している
それ以上に行くには「空」で出会うまで、待たなきゃ無理なのね。
自我が限界を持たせているから。
Posted by トパーズ at 2012年06月20日 09:58
やす さん

>鬱の人とか、精神的に参っている人にとっては、有意義だと思いますが

彼らを上から目線で見ていませんか?
彼らもついさっきまで、わたしややすさんと同じポジションにいたのです。
少しだけ、原因(心的要因)があって、思考回路に支障や混乱が生じている状態なのです。

彼らも、思考回路の滞りが解除されれば、大きな気付きを得て、
揺るぎ無い確信と共に、大きく変容すると思います。

>世界に対し、何の影響力もなく、自分の内側だけで、悟ったとか、まだだとか、まさに自慰行為以外の何物でもないでしょう?

これは、やすさんの独断ではありませんか?
何の影響力もない、とは断定できません。

意識が変わる、ということは、この世を動かしている想念が変わる
(パラダイムシフトと云います)ことなので、

きっと、これから、世界は、少なからず、変容していくと思いますよ。

でも、それは、ローマは一日にして成らず、と同じで、
いまここ、の連続(時間と人間が認識しているもの)が必要です。

宇宙時間という大きなスパンで眺めなければ、
真実は何なのか、どこにあるか、は、人類にはわかりません。

なので、いまここ、自分の目の前にある問題(意識)に集中し、
取り組んでいけば、きっと、道はどこかに通じている筈です。

また、わたし達人類には、それしか、問題解決の道はないので、
そうするしかありません。

でも、大丈夫です。心配しなくても。

今までも、そうやって導かれて、いまここ、があり、
これからも、同じように導かれて、その時のいまここ、があるだけなので。

永遠(?)に、達成すべき問題がある限り、わたし達は在ることができます。

全てのことに成功してしまうと、もう旅を続けることは出来ません。
(旅を続ける目的がなくなるので、旅は終了です)

人類は、DNAプログラムに「問題解決」とインプットされているようで(笑)、
どうしても、それは、本能として根底にあるようなので、

きっと、迷いながらも、「問題解決」に向けて、
これからも、世界を巻きこんで、突き進んでいく、ことになると思いますよ^^
Posted by ラビリンス at 2012年06月20日 10:19
ラビリンスさん

応援しています。是非、頑張って素晴らしい世界に導いてください。

悟りの連鎖が目に見えて起こってくることを願っています。

できれば、僕が生きている間に、その新しい世界を見られたらと思っています。
(自我まみれの人間は、新しい世界に行けなかったでしょうか?だとしたら、僕は見れないのかな?)
Posted by やす at 2012年06月20日 10:27
なった人の辛さをわからないばかりか、気軽に言えちゃううちは、無理だなぁ。
誰だって、好きでなるもんじゃないのに。
Posted by みどり at 2012年06月20日 10:45
やすさん真面目だな。
あのさぁさんの回答聞きたかったな。
Posted by 喧嘩売ってるわけではないです 1 at 2012年06月20日 11:10
やす さん

「問題解決」に向けて、やすさんも動員されているんですよ。
この地球上に生を受けた時点で、そう設定されているんです。
これは、そう自分がプログラムしたのだそうなので、
ゲームが始まっている以上は、ゲームクリアー目指してプレイするしかありません。

というか、そういうものだと受け入れれば(降参とも云います)、
あまり抵抗なく、ゲームを楽しむことができると思います。

わたし達には、このゲームをプレイするためにいまここにいるので、
このゲームを放棄することを望んでも、一旦はゲーム降板しても、
また必ず、次のゲームを与えられるので(これは、存在としての宇宙法則です)
クリアー以外には、このゲームのループから抜き出る方法はありません。

なので、そうとわかったら、ゲームの最中は、ゲームを思いきり楽しんだ方が、
嫌々ゲームするより、精神的には楽だと思います。

自我まみれの人間が達成するから、人類は、神なのです。

全知でない限界ある脳を使って思考し、
全能でないこんな制約だらけの肉体を使って行動し、

問題解決に向けて、70億もの個が、それぞれに考え、
行動するのですから、そこには、多くの迷いが衝突や融合が生じる筈です。

でも、それさえも、宇宙規模で展開されるゲームの一つであるということで、
理解するなら、
人類が出した答えに、良いも悪いもないのです。

>できれば、僕が生きている間に、その新しい世界を見られたらと思っています。

やすさん、あなたの内なる神は、その日が近いことを、きっとご存じですよ。
なので、まだなのかぁーと、いまここ で確証を得たかったのですね。

大丈夫です。
本当は、もうやって来ているのですが、
地動説のように、世界が常識として周知するのに、
時間がかかっているだけです。

いまここや他のサイトをご覧になれば、
それがお分かり頂けると思います。

覚者は、昔は、特別扱い(聖人)でしたが、
今に於いては、何でもない人、でもなれるそうなので、

自分は例外、などということはありません。

新しい世界は、もう、すでに、それを望んだ時点で、
あなたの中に、やってきていると思いますよ。

あとは、それを、世界に反映させていくだけ、です。

新しい世界を見たいのであれば、

世界は、常に新しく生まれている(いまここ)という意識で、

少しでも、己の内なる神の国を、世界に転写できるように、
やすさんもわたしも、愛を持って突き進んで参りましょう^^
Posted by ラビリンス at 2012年06月20日 11:38
ラビリンスさんはどうしてそう思うようになったのですか?
いまここや他のサイトをご覧になったからですか?
Posted by 喧嘩売ってるわけではないです 1 at 2012年06月20日 12:09
みどり さん、

このサイトの覚醒者が言うには、『通り魔殺人でさえ、被害者と加害者は合意の上であり、あっちの世界では、『上手くいった』と、互いに讃えあっている』とのことです。
それほどまでに、この世界で起こることは計画通りなんだそうです。
それに比べたら、うつ病など、正に計画通りであり、うつ病になりたくてこの世に生まれたのでしょう。
本人は大変でしょうが、大丈夫。
全て計画通りです。
Posted by やす at 2012年06月20日 12:25
昨日は台風でしたが

いまここブログのコメント欄も台風でしたね(苦笑)


台風が来ても去っても

大空がずっと変わらず存在しているように


心に台風が来ても去っても

静寂である自分はずっと変わらず存在しています^^
Posted by 大空 at 2012年06月20日 12:29
ラビリンスさん

受動意識仮説という、私にとっては驚愕的な説がありますが、この仮説によれば、正に、意識・自我は幻想であり、この世界を脳に記憶するためだけに存在するようです。

この説が、仮説でなくなったとき、次の時代が始まるのかな?とは、思っています。
Posted by やす at 2012年06月20日 12:36
アラヤクリさん、丁寧に解りやすくご説明頂きありがとうございます。

読ませて頂いて、私が良い関係を築けないのは努力と誠実さが足りないせいだと思っていた事に気付かされました。

今まで何とかして解ってもらおう、自分の考えに同意してもらおうとあらゆる努力をしてきました。

言い方を工夫したり、優しく接したり、無視したり、良い子になったり、反抗したり、気持ちを伝えてみたり、泣いて訴えてみたり、心身症になったり‥‥‥。

でも、もう、解ってもらおうとするのは辞めます。

自分と他人の区別がついていなかったのは私の方だったのですね。

私は私、彼らは彼ら、助けられないけれど、それぞれの世界を尊重したいと思います。

ご紹介いただいたサイト、見てみますね!ありがとうございます!


所で‥‥

みなさん、あのさあさんの「かまってかまって攻撃ラブレター」めっちゃ受け取ってますね。

私はもう、こういうゲームには参加しません‥‥。皆さんお疲れ様。
Posted by mai at 2012年06月20日 12:42
あ、間違えた~(汗)
20日のコメントにレスして、反映されてなかったので、禁止語があったからかなぁと思い、文章を変えて再レスしました。

けど、見ていた所がなぜか19日の記事でした(汗)
そりゃぁ自分のコメント乗ってないはずだわ。

解りづらくて申し訳ありません。
Posted by mai at 2012年06月20日 12:50
喧嘩売ってるわけではないです 1 さん

>ラビリンスさんはどうしてそう思うようになったのですか?

思ったのではありません。
体験したもので。

これは、わたしの体験なので、
同じ体験をした人としかシェアできない確信です。

こんな書き方をすると、特別意識が働いているかのように受け取られるかもしれませんが、

わたしは、阿部さんがされたのと同じ体験(ワンネス体験)をした訳ではなく、
それぞれの方の体験は、ひとそれぞれである、と認識しています。

ですが、アプローチは違っても、行き着くところは、どうも同じようなので、
確信を持ってコメントさせて頂きました。

人類の集合意識の次元上昇、これは、どうも時の必然のようです。

危機の時代だから?かと考えていますが、
このことが本当なら、いろいろなかたちで、
目覚めていく人は、加速すると思いますよ。

どうも、そんな風に、宇宙ゲームは組まれている、と感じます。

感じる、つまり、直感(降りてくるビジョン) です。

喧嘩売ってるわけではないです 1 さんの
ご質問へのお答えになりましたでしょうか?
Posted by ラビリンス at 2012年06月20日 13:14
みどりさんへ

文字から伝わってくる感覚の質感に共感します^^
実際にお会いして話をしても「面白いかも」と反応しました
ありがとうございます^^


あまのじゃくさまへ

コメントから
思考を離れて、思考を楽しんでいる
そういう質感を感じました^^
そこでの滞在時間が、あまのじゃくさんにとってちょうど良くなったとき
あまのじゃくさんは、あまのじゃくさんを堪能できる
こんなインスピレーションが起きました
勝手な感覚ですみません^^ありがとうございます


ゆき@あむ禅さまへ

思考感覚の質感に共感します^^

 神は、すべての動力源であり
 思考も判断もしない
 だから「神」なんだ^^いつもありがとう!

わたしの担当している思考は、これを入れたときすっきりしました^^

いままで自分だと思っていた「個人名としての自分」は、
出力場所であり、自分ではないんだ。自分のパートナーなんだ。
この発想は思考をクリアーにしてくれました

発電所が神、送電線がわたし、家が個人名、
ですからいまのわたしは送電線になるので、
神という発電所で生まれてくる動力源を、
「家=個人名」に届こうりなく送り届けるために働いている

神ほどではありませんが、わたしも、思考や判断は希薄です
わたしには希薄ですが「家=個人名」は、しっかりと明確に思考や判断を持っていますので
社会的には「迷いのない人」とか「一緒にいると安心する人」とか、評価されることが多いです^^

うれしかったです^^ゆき@あむ禅さんのコメントを見て!
ありがとうございます
Posted by りんのかぜ at 2012年06月20日 13:26
ラビリンスさん

ご自身の体験なら確信されますよね。納得です。
直感(降りてくるビジョン)なのですね。一瞬で理解できるのでしょうね。人によって内容がどうして違う(神にとっては暇つぶしで愛はないとか)のだろう不思議です。固体が違うからですかね。
次元上昇あって欲しいけど、「危機だから目覚める」って本末転倒ではないのでしょうか?どうにも腑に落ちないです。

回答頂き、ありがとうございました!
Posted by 喧嘩売ってるわけではないです 1  at 2012年06月20日 13:28
やすさんへ
自分でも驚愕しているその説を採用しちゃうんだぁ。
Posted by みどり at 2012年06月20日 13:35
受動意識仮説に基づいてもし人間がロボットに意識を宿せたら…
おもしろいですね。
この説で言われてるようなことが、
今ほど科学の発達していない2500年前に、
下手すると8000年前に、もう「悟性」でもって
見抜いている人が居たというのも不思議でしょうがないです。
Posted by lemoncake at 2012年06月20日 13:35
みどりさんは採用しないんだ
Posted by ! at 2012年06月20日 13:59
>早い話、僕らは今一番やりたい事だけをやっていれば万事上手く回るのですね。
>今一番やりたい事を一切恐れず、真に正直になり続けて行動に移せれば、
>それが実は一番物心両面で豊かになる道理だったのだと分かり出すと思います。

今、言いたいことだけを言う。
今、したいことだけをする。

ちょっとした、どころか大それた挑戦ですね。
今までそうと気づかず、

言ったほうがいいと思うことを言い、
したほうがいいと思うことをしていました。

おっかなびっくり、小さいことから試しています。
相川さんのおっしゃることが本当のようですね?


義務感、「可愛そう」という気持ち、公平性なんかが、
今のところビビリの原因3大トップです。

あと、「適材適所」「食物と称される毒」も響きました。


相川さん、いつもありがとう!たんねんに読んでおります。
Posted by ベル at 2012年06月20日 15:27
ラビリンスさん、

気付くと、よく頭の中で、歌を歌っています。
多くは、その時気に入っている曲を歌っていることが多いです。

これも自我が歌っているのでしょうか?
もし、それが自我なら、やっぱり極力歌わないようにした方がいいのでしょうか?
Posted by やす at 2012年06月20日 17:30
やす さん


無意識に頭の中で、歌が響くのは、
もしかして、ヘッドフォンなどで、音楽漬けになっていませんか?

脳への過剰な刺激が原因と思われます。
頭の中に響く歌(音)は、記憶の中の残像でしかありません。

この雑音を消すためには、瞑想が役立つと思いますよ。
瞑想の静寂で、頭の中の雑音を一度消してみましょう。

歌も言葉(他人の声など)も消えた世界で、
自分と向き合ってみて下さい。

頭の中で歌が、湧いてくるように響いている状態は、
脳(ニューロンのパルス信号)が興奮していることが原因だと思いますので、
瞑想で、心を静め、脳の興奮を静めると、雑音は、自然と頭から消えると思います。

歌は、有意識の時、歌うものだと思います。
お風呂などで、自分の気分をUPさせるため、
お好きな歌を歌って、歌が持つ癒しの波動を感じて下さいね。
Posted by ラビリンス at 2012年06月20日 18:17
すんごい質問にビックリ‼

歌ぐらい好きにうたったらぁ
Posted by はいー? at 2012年06月20日 18:28
ラビリンス さん

ありがとうございました。
やっぱり、悟りのためには良くないのですね。

ヘッドフォンは嫌いで使用してませんが、それでも、頭の中で歌が響き、自分の意思で止めることができないことが多々あります。

アドバイスを参考にして、自分でコントロールできるようにトライしてみます。
Posted by やす at 2012年06月20日 20:47
やす さん


やすさんの素直なお気持ちが嬉しいです。

ついでに、余計な情報ですが、
波動の点から、申し上げますと、

陰(上昇)のエネルギーをあまり摂取しない方が良いです。
陰性のエネルギー過多は、脳の膨張に関与すると思われます。

お砂糖、アルコール、カフェイン、香辛料、煙草などなど、
拡散、膨張、上昇のエネルギーの強い食べ物とされているものは、

脳をリラックスさせますが、同時に膨張させるので、
頭がボーとしたり、集中力が無くなったり、
とりとめのないことばかり考えたり、
ひどくすると、白昼夢や幻覚、幻聴など、脳の暴走、
思考回路の混乱につながりかねません。
(極陰エネルギーである麻薬などは、もっての他です)

なので、摂取過多にならないように、適度に摂ることをお勧めします。

瞑想中だけでなく、日常生活に於いても、
自覚のない(意味のない)思考は、
なるべく深追いせずに、手放しましょうね。

そして、好きな歌は、歌いたい時に、
声に出して(鼻歌であっても)楽しく歌いましょう♪

今後のやすさんの更なる飛躍を楽しみにしています^^
Posted by ラビリンス at 2012年06月20日 21:30
普段は、阿部さんのブログに来ていないので、今頃飛び入り参加します。(^^;)
コメ欄も前半しか読んでいないので、今現在の流れも全く理解しておりません。(スミマセン)

>yoitomakeさん

私は、神様や神々様のことはよく解かりませんが・・・
ハイヤーセルフと呼ばれる存在とは、一致しておりました。
(一体化でもなく、統合されたわけでもなく、感覚的には一致としか言いようがありません。)

自分でも驚く様な事が多々ありましたが、一番驚いた事は、まさにその“苦”に関しての認識と、その価値観の違いでした。ちょっと長くなりますが、私自身の病歴を書きます。
【痛い話しを書きますので、痛みや苦痛の表現が苦手な方は、読まないでください!】

数年前に、原因不明の傷が片目の角膜の中(表面ではない)に出来ました。
その傷のせいで、月イチの周期で眼に痛みが発生して、数日間は(片目の痛みが激し過ぎて)両目が開けられなくなります。眼の炎症のせいで、身体全体の発熱につながる事もしばしばで、食欲はなくなり、ほぼ寝たきりです。

当然、眼科医の診療も受け、点眼薬等も処方されますが、結局は傷の治療になってしまうので、再発の予防は出来ません。
(再発させないという事であれば、角膜全体を移植するしかないでしょう。^^;)
一度、角膜の表面が、奥にある傷の影響でめくれてしまった事がありました。(その時の激痛と言ったら、もう・・・)

その時は手術により、再生可能な部分だけを取り除きました。
「あぁ、これでようやく、この苦痛との付き合いも終わるのだな」と、その時はそう思いましたが。
でも、その後も再発は続き。結局、一年半近く、その傷の痛みと闘う事になりました。

そして、再発しなくなった理由も分からないまま、ある時期から、深刻な病状にならない程度で収まるようになり、今に至ります。(今後の事は、全く解かりませんが。)

長々と書きましたがが、ここからが本題。(^^;)
ハイヤーセルフと一致している自分が、あろう事か、その病気を喜んでいたんです。
こういう説明が、一番難しいのですが・・・

この「喜ぶ」は、私達が通常感じる「喜び」とは全く別次元の感覚で、同一の意味ではありません。
ただ、言葉で説明しようとすると、どうしても「私達の次元の感覚の言葉」を使い、その「言葉」で説明しなければならないので、正確にその意味やニュアンスを伝える事ができないのです。(^^;)

「喜ぶ」とは言っても、楽しんだり、面白がったり、ドSやドMの様な感覚でもありません。
それらは、断じて違います!!
そこにあるのは、私達がこの世で感じる様なものとは、全くスケール(次元)の違う「愛」と「歓び」そのものなんです。
これらを、信じてください、とは言いません。(^^)
この世の感覚や感性と、あちらの世界の感覚や感性は、そうとう違う感じですから、それはそれで仕方ないと思います。

微妙にズレてるコメントでしたら、ゴメンなさい。(^^;)
(ちょっと立ち寄っただけですので、尻拭いもできません。ゴメンなさい。)
Posted by さとコ at 2012年06月20日 21:59
言葉のでのやり取りでは、やっぱり難しいんですよねぇ。。


通訳不可能性って奴ですか、どうしても存在してしまうし、理解度はそれぞれの物だしね。

なんかそんな事をふと感じました。
Posted by taka at 2012年06月20日 23:41
さとコさんの体感した「悦び」共感します^^

ぼくたちの意識とは違う場所で起きている「悦び」
こういう言い方しかできない体感だったのではないでしょうか?

夢の中で感じているような感覚を
眼を開けた状態で感じている

それをハイヤーセルフと呼ぶのかは、認識によって違いが出ると思うのですが
いつもの自分を感じている場所とは違う場所で起きている「悦び」

さとコさんがその意識とつながることで「クリアー」になり
この世でいうところの幸福感を充足させたのなら、貴重な体験だとわたしは理解します

高次な存在との「一致」は、
理屈ではない優しさを得られる貴重な体験
それがフェイクであったとしても
人間であることが最優先される「いまここ」なのだから
それは大切な体験である

わたしはそう理解しています
おめでとうございます^^
Posted by りんのかぜ at 2012年06月21日 00:22
ラビリンスさん

アドバイスありがとうございます。

実は、一か月以上前から、1日1.5食(昼、軽め/夜、普通)、及び、肉、卵、乳製品は食べない、を実践しています。酒は全く飲まないし、煙草も3年前に止めました。

少食を始めて、頭がすっきりした感じが継続し、調子もいいです。

さて、もう一つ教えて頂きたいことがあります。

実は、瞑想していると、ある瞬間に、とても澄み切った、深い井戸の中にいるような感覚に変わることがあります。とても静かで、心地いい気分になります。
そして、学生時代にジグソーパズルを集中してやっているときに、これと非常に似た心境になったことを思い出しました。

いわゆるワンネスとかの至福体験ではないです。ただ単に静かで、シーンとした澄み切ったような心境なのです。

この状態は、なんなのでしょうか?
もしご存知でしたら、コメントお願いします。
Posted by やす at 2012年06月21日 08:56
やす さん


変容が訪れているのですね。

やすさんが表現されているところのものは、
大空さんや優。さんが、得意(?)とされているので、
お二人に(その他にもいらっしゃると思いますが)
お聞きすると、はっきりと分かり易くご説明して下さると思いますよ。
(やすさん、わたしに質問して下さっているのに、ご免なさい。
 そして、大空さん、優。さん、お二人のお名前を出してしまい、申し訳ありません)

やすさんが書かれた状態は、大空さんが、よくおっしゃっている「空」の「静寂」のことだとは、思いますが、
やすさんが書かれた文面からのみの判断なので、わたしには断定はできません。
ご回答が、他の方に丸投げで、大変申し訳ありません。

ご自分で確信が持てるように、先輩たちからアドバイスを頂くことは、
いまいるポジションの確認のためには、有効だと思います。

それにしても、目覚めの連鎖、ますます加速しそうですね(笑)

ありがとうございました!
Posted by ラビリンス at 2012年06月21日 09:36
ラビリンスさん

ありがとうございました。

大空さんに聞いてみますね。
Posted by やす at 2012年06月21日 10:31
ラビリンスさんの 愛が とかした世界。

素敵すぎです~♡

読ませていただきながら、深い感動を覚えました。
Posted by トパーズ at 2012年06月21日 10:45
>やすさん

参考になるか分かりませんが↓のポッドキャストの
「ゾーンに入るだけでは、」という法話、
ご興味あればお聞きになってみてください。

http://www.onedhamma.com/?cat=5

接心の指導をなさってるお坊さんの話で
2時間近くもありちょっと尺が長いですが
だいたい45分くらいから陸上の為末大さんのゾーン体験の話、
主に1時間10分過ぎから空の体験の”その先”について、
覚醒との違いについて説明されてます。



>さとコさん

言葉ではない世界の「体験」をどうやって言葉で伝えるか、
阿部さんも日々ご苦労なさってることと思いますが
言葉にしてしまった途端に同時に危険もはらむことは
可能性としては避けられず、言葉で理解するということの限界というのは
やはり存在するなあと日々感じます。
だからといって、どうやっても伝えられないということではなく、
私達はみんな人間で、言葉のない時代も伝えあってきた歴史もあります。
さとコさんの仰ってるこ、私にはよく伝わりました。
お話ありがとうございます。
Posted by lemoncake at 2012年06月21日 11:13
トパーズさん

お久しぶりです。
その後のコメント欄でのご活躍、楽しみに拝見しております。

わたしがそのつもりなく書いたコメントに、
トパーズさんがおっしゃるような力があったとは、とても思えませんが、
(トパーズさん、褒め過ぎです。顔が赤くなってしまいます)

やすさんの変容の前に書かれたコメントは、
実は、わたしが若かりし頃に、
わたしを創造した神(その時は、神は、対極にある絶対者でしたから)に
浴びせていた呪いの言葉によく似ていたからです。

今、思うと、懐かしい思いしかありませんが、
同じような経験から、やすさんの言わんとされていることが、よくわかるのです。

以前は呪いの対象だった神(こう表現してよいかわかりませんが)とは、
あることがきっかけで和解し、憎悪は愛に変わり、いまここ にこうしてあります。

そして、今では、むしろ、あちら側の気持ち(これもこう表現して良いものか、わかりませんが)がよく分かるので、
昔のわたしと同じような方がいらっしゃると、あちら側の代弁者になってしまい、
おせっかいとは思っても、黙っていられなくなってしまうのです。
(いけませんね~、いつもこれで地雷を踏んでしまいます^^;)

昨日の阿部さんの記事「エライ」、本当にそのまま、だと思います。
(本当は、エライという訳ではありませんが、わたし達が気付くのをじっと待っている、というのは、本当です)

トパーズさん
やすさんは、ご自分の中にある変わることのない何かに気付かれたので、
赤子のように素直になられたのだと思います。

わたしは、全く関与していません。
強いて言えば、あちら側が、そう意図したから、としかいいようがありません。

己の中の純粋無垢なるものに気付くこと、
これこそが、純粋無垢なる存在につながるヒントです。

トパーズの輝きも美しいですね。
色もいろいろあるようで、七色変化するようです。
石言葉は「誠実・友情・潔白」など、とありました。

パワーとしては、
「「誠実」の石言葉に象徴されるように、持ち主の勇気と知性を高め、
哀しみに打ち勝ち、悪夢や邪気を払う力」とありました。

正に、トパーズさんが書かれるコメントにそれが溢れていますね!

これからも、トパーズさんの更なる変容、楽しみにしております。
もちろん、やすさんも、いつか、そう遠くない日に、蛹から蝶へ変態されることでしょう。
陰ながら、楽しみにしております^^

(消えたはずなのに、また、現れて、わかっている人は、飽きれていることでしょうねぇ~~(溜息)
いまここ は、 わたしにとって、恩あるふるさとなので、
これからも、時々は、こうして、戻って来たくなるのでしょうね。
(ということで、どうぞ、お許し下さいね~(笑))

P.S. 大空さま、申し訳ありません。
    わたしからも、どうぞ、宜しくお願い申し上げます。
Posted by ラビリンス at 2012年06月21日 11:51
lemoncake さん

ありがとうございます。
ちょっと長いようなので、この土日に見させて頂きますね。


トパーズさん

そんなおおげさに言わないで下さい。(笑)
僕は、真実を知りたいだけなのです。

知りたい真実とは、

1)宇宙とは何か?生命(特に人間)とは何か?
(これは多分究極の問いなんでしょうね)

2)なぜ悟ったという人々が、例えばアフリカの飢餓救済といった、崇高な行動をとらないのか?

2)に関しては、自分が悟ってみて、その時にどうなるのかを見てみるしかないのかな? と思っています。
最近、『悟りと崇高な行動との間に因果関係はないのではないか?』と思い始めました。
悟りという言葉に含まれる(私の中の)イメージが、どうしても崇高なものをイメージしてしまうのですね。
でも、『悟りとは、意識の重点を左脳から右脳にシフトしただけではないか?』と思うようになってきました。

この辺は、まだよく分からないのですが、これからも勉強していきたいと思っています。
Posted by やす at 2012年06月21日 11:53
やすさん、ラビリンスさんからのメッセージを見つけたので
返信します^^


「実は、瞑想していると、ある瞬間に、とても澄み切った、深い井戸の中にいるような感覚に変わることがあります。とても静かで、心地いい気分になります。

そして、学生時代にジグソーパズルを集中してやっているときに、これと非常に似た心境になったことを思い出しました。

いわゆるワンネスとかの至福体験ではないです。ただ単に静かで、シーンとした澄み切ったような心境なのです。

この状態は、なんなのでしょうか?」


はい、まさに空の静寂ですね。


節制して瞑想に励んだことで心身の浄化が進んで

空の静寂が現れ始めているんでしょうね。


この調子でいまの実践を続けられるといいですね^^!


空の静寂を深めていくことによって


1)宇宙とは何か?生命(特に人間)とは何か?
(これは多分究極の問いなんでしょうね)

2)なぜ悟ったという人々が、例えばアフリカの飢餓救済といった、崇高な行動をとらないのか?


といった問いに対しても

いろいろ気づきが起きてくると思います。
Posted by 大空 at 2012年06月21日 12:21
大空さん

ありがとうございます。

これが、空の静寂ですか。

でも、瞑想では確立が低くて、15分くらいの瞑想で、5回に1回くらいしか、この状態になれません。
ジグソーパズルでは、学生時代ですが、ほぼ毎回入れました。ただ、これも、数時間以上集中していて、気付いたらそうなっている、という感じで、仕事のある今では、ちょっと時間的に難しいです。

瞑想を続けて、この状態に入れる確率を上げていくことを当面の目標としますね。
それと、この延長線上に、いわゆるワンネスといった至福体験があると考えてよろしいのでしょうか?

もし、このコメントが目に留まりましたら、お返事ください。
Posted by やす at 2012年06月21日 12:52
やすさん

私は、阿部さんがおっしゃった「目覚め」の意味から
一歩もはみ出すことなく、目覚めた、と思って、そのように宣言しました。

そこには「目覚めたからと言って、そこに聖人をイメージするものではない」
というように、目覚めそのものは実に単純なことで
自分自身が誰であったかを思い出すことだ、とあったと思います。

私の目覚めとは、それ以上でもないし、それ以外の何物でもない。
でも、ここに集まる人の中には
世界中の覚者の言葉に精通し、それを実践すべく
日々研さんを重ね、行動を清くなさっている方も多いだろうと思います。
覚者とは、そうであるだろうし、そうである自分で在ろう。
そこから見れば,私の「目覚めました」などは
「は?なに言っちゃってんの?」と、失笑を買うほどだろうと思いました。

多くの励まし、喜びへの共感の言葉とともに
「大いなる勘違い」に、気づかせてあげようという言葉にも触れました。
私の、聖人とは無知無縁の姿では、危うさそのものとも見えたでしょう。

私は、むしろ、「自分って、ただの、ひとりの、ひと、なのだ」
という具合に、「修飾語をそぎ落とした、私」に行きついたことが
私自身に、「めざめ」という感覚を確信させたと思っています。

やすさんは、ご自身の体験された「静寂」が、いったい何であったか
おそらくずっと、「誰に問うこともできない、静かな疑問」として内にとどめてこられたのですね。
「自分は聖人ではない以上、覚者のそれとは異なるものだ」
もしかすると
「こんなことを、覚者のそれと同じと勘違いするような
愚かな、迷いを持つべきではない」というくらいに、
ご自身のことを「厳しく、制御」してもおられたのではないでしょうか。

類推の域を出ぬことを、畳み掛けて申し訳ありません。

私は、聖人ではありません。しかし「私は、この私を生きている」。

私に周囲には、まったく過ちばかり、人に迷惑かけたり、迷子になったような人生を
光明も見出せないまま生きている人が、いっぱいいます。
私は、その人もあの人も、みな
「その人の人生を、持ちうる自我の最善をもとに生きている」と知りました。
最善を用いて、なお、光明が訪れない人生に
いったい何が足りないのだ、と苦しみながら、
でもどうしようもない、仕方がない、そんなあきらめのまま。
それは、つい先ごろまでの私と、何ら変わらぬ姿です。

私は、「自分の自我の最善に押さえつけられた人生」から抜け出したくなりました。
自我が、必死に守ろうとしていた「私のアイデンティティ」を
一旦、価値のないものとして、手放してみました。
でもそこで気が付きました。私は何一つ、失っていませんでした。

そこに「目覚め」は起きたのです。
相変わらず私は聖人ではありません。
その代り、「私の周りの、目覚めとも無縁の人生」を生きる仲間に、
光明をつれてこようと思うようになりました。

神も仏も信じていないひとがあったとしても
神も仏も、いつもそこに居てくれたことを、体感できれば
神や仏を信じ込ませなくてもいいではないか。
神も仏も、それを崇めよ、と奇跡を起こすわけではないはずで、
ただ、そこに幸福が訪れれば、あとで「神への感謝」が生まれてもいい。
あるいはまた、神の仕業と認めず、気づかなくても、それもいい。

ただ、私が「私が誰であったかと、知った喜び」は
他にどう表すこともできない安らぎをくれたので、「それ」を伝えたかった。
周囲に何を教える気もないけれど、
「安らぎ」を届けることができそれを感じれば、
ひとりひとり、すべてがきっと、いつの日かわかるだろう。

そんな壮大でひそかな夢が、私のなかにあると気付いて
私は私の人生が、これからますます楽しみだ、と思えるようになりました

やすさんは

「宇宙とは何か?生命(特に人間)とは何か?」という問いを持たれて
生きてこられたのですね。

ご自身が抱えた問いには、最初から、答えもセットで抱えていて
経験を重ねたのちに、自らそこに行きつくものと思います。
誰かに答えを授けられてもたりず、「あなた自身の腑に落ちる」のは
あなた自身の実感、体感をもって、「これ」とわかる時のことでしょう。

その問いを抱えているということが、とても大事なことだと思います。
その問いが、あなた自身の生き方を整え、導くでしょう。

やすさんの中で眠っていた問いが、光に向かって目をさまし
いまここの仲間の「立ち会い」のもと、どんどん花開くことを
とても楽しみに、思います。
大げさな言い方になりますが、この一連の変容に立ち会えたことは
私にとって、とても素晴らしい経験です。
私には、やすさんの中のそれに気づくことはできなかったけれど
ラビリンスさんが、いてくださったことで、喜びに立ち会えたのです。

こんな素敵な経験を、これからご一緒に何度でもしていきたいですね
今度はやすさんが、どなたかの目覚めに、立ち会われることだろうと思います。
Posted by トパーズ at 2012年06月21日 14:14
やすさん、横からで恐縮ですけど
坐る時間をなかなか確保できない場合、
ヴィパッサナー瞑想というのをちょっとアレンジした?方法
というのがお勧めです。
ヴィパッサナー瞑想自体はお釈迦さまもやってた歴史のある、
尚かつポピュラーな瞑想法ですが(↓に説明あるんですが)
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html#6
大雑把に言ったら「ゆっくりした動作を自分で実況中継する」というものです。
忙しい生活のなかで動作をゆっくりできなくても
ただ実況中継をするというのも効果があります。

たとえば自分が歯を磨くとき、まるで操り人形が歯磨きしてるところを
心の中で実況中継するかのように観じていきます。
「右の奥歯を磨いてる」「前歯を磨いている」という風に。
でも決して”自分が操り人形になってるところをイメージして”やるのではなく、
自分のことをありのままに、まるで他人事のように実況していくという方法です。

私個人は、上記の方法がなかなかバカバカしく思えて(笑)
始めた頃はまどろっこしさもあったんですが
慣れてきたら炊事洗濯掃除といった日常的なあらゆる作業が
あっという間に終わって何も疲れなくなり
(やすさんの言われるジグソーパズルをやってるときの
穏やかな集中力の中で終わってしまうようになり)
また、坐って瞑想するときに思考が落ち、空を感得するまでの時間が
格段に早くなりました。

私もやすさんと同様「真理とは何か」という問いからスタートし、
(その後科学教、論理教の信者になり 笑)、
今は瞑想するようになったんですが、「ただそうであるだけ」
と言葉で表わしてそれが問いの答えになるとしても、
問い自体なくならない、でも腑に落ちるという奇妙な感覚でいます(笑)
Posted by lemoncake at 2012年06月21日 15:17
トパーズさん

とても長いコメント、本当にありがとうございます。
これだけ書くのは、相当大変だったでしょう?
私のために、申し訳ないです。

もし覚醒できることがあれば、少しでも多くの人に、そのコツ、方法を伝えていきたいと思っています。
いつになるかは分かりませんが、その時が来たら本当にいいな、と思っている次第です。


lemoncake さん

ありがとうございます。
ヴィパッサナー瞑想は、以前トライしたことがありましたが、その時は、2週間ぐらいしか続きませんでした。
その理由は、 lemoncake さんと同じで、何か馬鹿馬鹿しく思えてきてしまったためです。

でも、その先に、あの静寂が待っていたのですね?
知りませんでした。

そうと分かれば、早速、再チャレンジしてみます。

アドバイス、ありがとうございました。
Posted by やす at 2012年06月21日 15:38
うにゃ、やすさん

長いのは、たぶん今日のほかの記事・コメントを読んでいて浮かんだこととかが
やすさんの姿を見て、芋づるのように喚起され、意識化されたからです。

かえって独善的に場を借りてしまって、申し訳なし。
ただ前回、本当にやすさんの言いたかった「言おうとしていた」ことまで
私の意識を掘り下げ近づくことができず、表層でしか出会えなかった。
上っ面だけで終わろうとしてしまった自分を知り
かつ、ラビリンスさんとのやり取りを通して、「こころの奥深さ」をさらに知れて
ただの「反省とお詫び」でとどまらず、私も先に進める感動を受けたことの方がうれしくて。

やっぱり、今ここの「場の力」は、すごいです。
本当に、「目覚めている」人と言うのはどこにでもいて、
それぞれの目覚めで、それぞれの力で
地球全体の目覚めを呼んでいるんだと思います。

やすさんに気づかせてもらったことがいっぱいあるから、重ねてありがとうです。
Posted by トパーズ at 2012年06月21日 16:07
やすさん、
上のほうで紹介したポッドキャストは、接心に参加してる人しか
分からないような用語も使われてたので勧めるのはどうかとも思ったんですが
ヴィパッサナー瞑想実践されていたならその点大丈夫かもと思いました。
ですが、尺長い&やや冗長な話なので分かり易いとこだけお聞きいただけたら
と思います…
ヴィパッサナー、「うへーめんどくさいわー」と思ってましたが(笑)、
こんな私でも”勝手に動いている自分を見てる”感覚、
”ストレスの無い感覚”が分かりましたから、人類共通と思います。
やすさんの体験がますます深まりますように…
Posted by lemoncake at 2012年06月21日 22:56
lemoncake さん

けっこう、スピ歴は長いです(笑)。
かれこれ、10年以上前から、年に数冊はスピ系の本を読んでいました。

読めば、わかったような気がするのですが、著者によって言うことも異なり、理解も中途半端なままで、ここまできました。

でも、インターネットの発達によって、我々の生活も本当に変わりましたね。

これから成人になるぐらいの人達がちょっとうらやましいです。
私の若いころは、意識的に本を読もうとしない限り、新しい知識に触れることができませんでした。
今では、ちょっと気になった言葉をインターネットで検索すれば、本当に多くの情報に触れることができます。

インターネット前後で、明らかに時代が区切れると思いますね。
Posted by やす at 2012年06月22日 11:22
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