2011年06月07日

タイの朝

昨日の晩過ぎにチェンマイに到着。

亜熱帯植物に囲まれたホテルの一室で、このブログを書いています。


朝起きて、昨日のみなさんのコメントを読ませてもらいました。

質問があったので、答えたいと思います。



>弥生さん

>明らかに人目につく肉体的病の為に積極的に生きてこられませんでした。この体の意味は何だろう?自分の体を受け入れるにはどうしたらいいのか?



本来、どのような現実にもあらかじめ内在している意味はありません。

その意味は自分が創り出します。


人生での出来事や環境は、自分の考えや感じ方をクローズアップする機会です。

と同時に、どのように感じたいのか、どのような自分でいたいのか、それを創り出す機会でもあります。


僕はこう思っています。

誰もが最終的には、自分が何者であったのかを思い出すことになると。

それをどのようなプロセスで思い出すのか、その旅に予め仕込まれた条件や要素が人によって違うので、旅の内容も違ってきます。


でもたどり着いてみれば、みんな同じ。


ハンデや苦しみの大きさは、きっかりと清算されます。

ハンデや苦しみの分だけ、喜びや豊かさが大きくなるからです。


そこにおいて、人はみな平等だと分かります。

この平等性は、旅の条件やプロセスにあるのではなく、大いなる気づき(自分が何者だったのか気づき)の中にあります。

僕は自分の経験から、そのように感じています。




>田島さん

>この間、ブログで一日の半分くらい阿部さんは空の時間があると書いてありましたが。

一日の半分を瞑想しているということなのでしょうか?

それとも、日常生活中(普通に生活していて)、雑念が入らなくなっているということなのでしょうか?




ずっと瞑想している日もあれば、日常生活の中で雑念想念を超えた状態を保っていることもあります。

一日のうちどれくらいその境地にいるかと言えば、日によっては四分の一、八分の一、ひょっとしたら百分の一、あるいは5秒くらいの日も。

ブログはその時感じたことを書いているので、きっと調子のいい日の記事だったのでしょう(笑)


自分で書いておいて何ですが、大切なポイントはどれくらいの割合でそこにいるかではなく、まさに「いま」そうであるかどうかです。

そのこと以外は、どうでもいいことだと思います。

まさに「いま」、思考が創り出した世界に住んでいるのか、目覚めて「いまここ」に在るのか。

他人がどうかではなく、自分がどうかです。




さてタイの集中瞑想、いつもながらハプニングからのスタートです。


前回は搭乗日前日に、沖縄にパスポートを忘れたことが発覚。

今回はツアコンまがいの役を仰せつかり、想定外の出来事の連続。


集中瞑想の始まりは、なぜかその人のマインドが拡大されるようなことが起きます。

マインドの拡大というのは宇宙大になるという意味ではなく、いつもフォーカスしている面や、こだわりや、独自の考えかた、やり方、感じ方が拡大してくるという意味です。

それがカルマの解放に繋がっていきます。


僕などはこのブログで立派なことを言っていますが、まだこんなのが残っていたという発見の連続です。

またここで、少し軽くなって帰れそうです。



明日もチェンマイから報告します。






タイの朝   タイの朝



Posted by Toshiro Abe at 10:40│Comments(43)
この記事へのコメント
タイは時差2時間でしたっけ?

いつも通りの更新ありがとうございます。

ツアーの皆様方の瞑想三昧の日々をうらやましく思いますが、私は日常生活の最中を瞑想状態に導くよう、ゆる〜く頑張ってみます^^
Posted by kao at 2011年06月07日 11:21
こんにちは。

昨日は長いフライトお疲れさまでした。

福岡空港国際線ターミナルからフライトされたのですか?

私の会社福岡本社は福岡空港国際線からすぐ近くです。JR博多駅

からも近いです。

私もタイ瞑想合宿参加したいな~でも東京麻布の阿部さん宅で毎月

いけるから今のところそれでいいかな^^
Posted by マトリックス at 2011年06月07日 11:21
>意識の拡大というのは宇宙大になるという意味ではなく、いつもフォーカスしている面や、こだわりや、独自の考えかた、やり方、感じ方が拡大してくるという意味です。

昨日は、一つのハプニングから全てがかみ合わず、何でと思いましたが、カルマの解放に繋がっていたんですね。

起こることが起こる。・・・それしかないと悟りました。
Posted by ラブ☆マエピ at 2011年06月07日 11:22
ハプニングを楽しんで

良きご旅行を

最終的なところまでの

紆余曲折を

味わい楽しむ

ということか
Posted by 風 at 2011年06月07日 11:23
こんにちは。

タイからの更新ありがとうございます。

いまそうでいられるように。

今日もありがとうございます。
Posted by 方位鑑定士 at 2011年06月07日 11:23
>他人がどうかではなく、自分がどうかです。

他の質問の回答だけども、
まさしく人生における違和感は環境の問題ではなく、
くつろげない自分とは?
という感じがしますね。

いま、ここ、にいたくない本当の理由。
Posted by ぷ~すけ at 2011年06月07日 11:27
私も体の強烈な痛みと、肉体的欠陥に陥り、
受け入れられないでぐるぐるします。

そして、虐待の辛さに苦しんできました。
世の中には、暴行や虐待があったり、
それを聞くたび、自身の経験から、破滅しそうで希望がなくなり、
もう生きていけないと思ったり。

でも、不思議で、静かに静かに意識が深くなると、
全てが溶け込み、この世の問題も、ハンデもなくなってしまう。

痛みや苦しみに引きづられてしまうけれど、
何度もチャレンジしていきます!

でも、いつも今ここにもどっていきたい。

私もハンデあるけれど、あなたもわたしと同じ
幸せそのものという全てであると思っています!

そして日々、そのように生きてくよう、自分自身目を覚ましていきます!
Posted by とび at 2011年06月07日 11:30
こんにちは
タイからお疲れ様です。
そして今日のブログの質問に対するお答えに気づかされました。
ハンデや苦しみが多いだけ喜びも豊かさも大きくなるんですね。
そして今の自分がどうなのか・・・

ありがとうございました。
Posted by ゆういち at 2011年06月07日 11:38
kaoさん今日一番乗りドンピシャ シンクロでしたね。

Posted by kao at 2011年06月07日11:21

posted by マトリックスat 2011年06月07日11:21

ラブ☆マエピさん後1分早ければ3人揃い踏みでしたね。

以上日常のシンクロ現象の一こまでした。
Posted by マトリックス at 2011年06月07日 11:49
弥生さん

僕の個人的なお話をします。

2年ほど前まで、僕は、死にたい願望というか、「死んだら楽になる」という思いがありました。ちょっとしたウツの状態でした。

その頃は、何をやるにも「しんどい・・・・」という感じがあり、辛い時期でした。

そんなあるとき、原田雪渓老師のお話を知りました。

老師は、「ぐじゅぐじゅと悩んでいるなら、その悩みが仏なのだ」「悩みを変えようとせず、悩みと一つになる」「悩んだままでいる」「悩みに、一切手をつけない」という意味のことを話されていました。

何かを感じた僕は、その実践をやりました。「しんどい・・・・」という感覚の中に入っていって、その思いに一切手をつけない、という実践です。

すると、完全にしんどさから解放されたわけではないんですが、一時的に心が空っぽになり、静かになる、という体験を何度かしました。

それが、苦しみに対して無抵抗になる、ということです。

「しんどい・・・・」という感覚を心から受け入れ、味わい尽くす、ということです。すると、しんどさが薄らいでいきます。非常に感覚的な実践です。

ご自分の肉体を受け入れられないことが「つらい」「苦しい」なら、その苦しみを受け止め、心から味わう、ということです。

この実践をテクニックとして確立しているものとして、『セドナメソッド』があり、本も出版されています。

原田雪渓老師の著書もいくつかありますが、ネットで検索すればお話が載っていますよ!

しかし、根本的に苦しみを解決するのは簡単ではないですね。。。苦しみの根っこを受け入れれば解決するのでしょうが、僕はそこまでやっているわけではありません。

ご参考になったでしょうか?
Posted by 現実の自分 at 2011年06月07日 12:00
マトリックスさん

いまちょうど、コメント拝見してびっくりしました。

そうだったんだ~・・・・実はコメント書いてる途中でトイレに行ったので
更新が数分遅れました(笑

自然の呼び声も手伝った、華麗なシンクロだったようですね^^;
Posted by kao at 2011年06月07日 12:07
内面を楽しみ 内面と生き 内なる神を思い出す
Posted by 碧 at 2011年06月07日 12:24
阿部さんいつもすばらしブログありがとうございます。

痛みについてエックハルト・トールさんの文章を読んでいたとき
本日のブログで痛みについての話題・・・シンクロです。

以下エックハルト・トール「世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え」から

慢性的な身体的苦痛は、人間が持ちうるなかで、もっとも峻厳な
教師の一人です。「抵抗してもムダ」。これが、その教えです。

「苦痛なんてまっぴらだ」と感じるのは、正常な精神の持ち主である証です。
けれども、その嫌がる気持ちを手放し、痛みをただありのままに放っておくなら、自分の内面で、痛みが自分から分離し、痛みと自分の間に、まるで
スペースができるような奇妙な感覚に気づくでしょう。これは、自発的に
苦しむことを意味します。自分の意志で意識的に苦しむとき、身体的苦痛は、
わたしたちの中のエゴを、迅速に燃やし尽くします。
エゴは大半が「抵抗」でつくられているからです。
これは、苦しい身体的障害にも当てはまります。

十字架のシンボルにこめられた、深遠な宇宙の真理を理解するのに、
キリスト教徒である必要はありません。
Posted by 四法印 at 2011年06月07日 12:43
♪。・:*:・゜

>まだこんなのが残っていたという発見の連続です。

この流れ、阿部さんだけではなくて、いま、1つの大きな波がおこっている
ように感じます。
水と油が混ざっていた液体から、油が浮いてきたのがハッキリ
見え、見えたことにより、そこから油がいかに取り除けるか。
正直ものは、苦しみながらもそれを落とし、偽りの中に生きるものは
それを隠そうと苦しむ。透明なありのままのわたしになるためのプロセス。

心に響くメッセージでした。ありがとうございます。
Posted by スピカ at 2011年06月07日 14:57
阿部先生、タイでの瞑想会お疲れ様です。

先生に相談したく筆をとりました。失礼をお許しくださいませ。先生大好きです

ここ半年あまり、クンダリーニが覚醒しそうです。沸騰したヤカンのお湯が
菊の門の当たりを強烈に押し上げてきます。このままでは、クンダリーニが

勝手に頭頂へ突き抜け失神してしまいそうです。

ここ最近は、プロのオイルマッサージの先生に菊の門の廻りを揉みほぐして
いただいて、事なきを得ておりますが1回、3万程度かかりますので資金が枯渇しそうです。

あと、2週間くらで背骨から頭に抜けそうですがこのまま抜けさせていただいてもよろしいのでしょうか?

組織ストーカー被害とクンダリーニの事で少し気が滅入っています。
誰にも相談できずに悶々としています。

今日も1日生かせて頂いてありがとうございます。
Posted by 好々爺の眼鏡爺さん クンダリーニ at 2011年06月07日 15:06
>ハンデや苦しみの大きさは、きっかりと清算されます。
その通りですね。 必ず比例して返ってきます。
阿部さんがまだカルマが残っているなら、私ならまだ山ほどある?(笑)
楽しみに待っておきます。

ところで、今朝起きた直後無の時にいつものように意識を眉間にとどめると運よく繋がりました。^^ ありがたくも横になったままエネルギーを充填して頂いたようです。
これっていいのかな。(笑)
まあ~いっか。 一瞬だったし。
今までは起きたとたん思考が雪崩のごとくあふれ出してて、なので起きてすぐの瞑想は不可だったんですけど、この間の大きなカルマの解消で起きた直後は無でいられる様になりました。
最近そんな時頭に浮かぶのは「私はいない」です。
個の私なんて存在しません。 だから他人もいない。
いない他人がどう思おうが、な~んにも関係ない。
この世は幻想なんです。
本当の私たちはどこまでも自由で愛しかない存在です。
ありがたいな。ほんとに。
Posted by 由未 at 2011年06月07日 15:44
こんなにすぐ報告をお聞きできると思わなかったので、すごく嬉しいです。
(↑ 明日以降へのプレッシャーなんかじゃないですよ^^)

なんだか今日の記事を拝読していたら「クリア」という言葉がきました。
ゲームクリアのクリアじゃなくて、透明の方のクリア。

内容もちゃんと読んで納得しているのですが、
それよりも阿部さんがクリア(透明)になっていくイメージの方が強くて。

ホントすいません、勝手に(笑)
では、チェンマイライフ楽しんで下さいね~\(^o^)/
Posted by ホクレ at 2011年06月07日 16:18
阿部様

遠い外国からお忙しい中お返事を頂き、本当にありがとうございます。
私は今まで病の意味を探して来ました。前世を気にしたりもしました。
でも自分で意味を創って、こうありたいという自分を創って行くのですね。
ならばこのハンデを惨めに思わず無駄にしません。このハンデの経験で少しでもいい人になりたいです。おおらかで優しい人になりたいです。少し理想っぽいですが、そんな自分を創って行きたいと思いました。
Posted by 弥生 at 2011年06月07日 16:21
現実の自分様

私の質問を見つけてくださり、本当にありがとうございます。
私は何故?どうして?と思考ばかりです。それが抵抗なんですね。抵抗するからシンドかったわけですね。感覚の中にいる…とは難しそうでよくわかりませんが、自分の思った事を嫌だと思わなければ、その感覚の中に入って行けるでしょうか。
原田老師様の「その悩みが仏」というお言葉は心に響きました。悩みがありがたく思えて来ました。ご著書を拝読したいと思います。
Posted by 弥生 at 2011年06月07日 16:36
こんにちは(^ ^)
毎日、見させて頂いています。

ひとつ、質問です。

人って平等ですか?
平等って何ですか?
Posted by shino at 2011年06月07日 17:01
shinoさんへ
スピ的に、全てはひとつという考えなので、一つだから比べるものがないので、平等ということが存在できません。
上の基準をふまえていえば、人間は思考の産物であり、更に思考そのものです。思考とは「選択する事」なので、人間の社会における全てのものは選択出来るように不平等にわざわざ創られていると思います♪LOVEYOU♪
Posted by yu-ko k at 2011年06月07日 17:34
kaoさん 宇宙は完璧だという証拠ですね。

このところまた地球の波動が更に上がったみたいですね。

昨日の阿部さんのハプニングといいカルマの解放が進んでいる一つの

証しですね。今後金融機関や先日のドコモじゃないですけどシステム

障害が頻繁に出てくるでしょうね。次元上昇ですね。
Posted by マトリックス at 2011年06月07日 17:51
みんな等しくしたい事をしている
みんな等しく感じたいことを感じている

今を生きているってことはみんな等しい
Posted by ちゃむ(仙台) at 2011年06月07日 18:25
幸福と平和への道

基本の祈り

消えてよくなる
みんなが幸せでありますように
神様ありがとうございます
Posted by 光明 at 2011年06月07日 18:31
チェンマイからの更新、ありがとうございます☆

とっても嬉しいです!
Posted by mika at 2011年06月07日 19:38
痛みも苦しみ悲しみも(いや喜びさえも)全て逃げずにとことん感じきってしまえば消えてしまうもの…ってことなのかもね。感じきってしまおうと覚悟を決めた時にはもう思考は動きようがないじゃないか…ってことなのかもね。だからこそ苦しみは良い入り口になる…って言ってくれたのかもね。。。やってみよ〜!っと。
Posted by ラブ☆教えて下さい(本物)♂ at 2011年06月07日 19:45
弥生さん

感覚的な話なので、分かりにくいですよね。。。

たいてい、人は色んな思いが重なって、ひとつの悩みを作っています。そのすべての思いを一気に解決しようとするのは、難しいです。ですから、まずは一つのネガティブな思いを心から味わうことをおすすめします。

たとえば、悲しみを強く感じているなら、悲しみをじっと感じて、悲しみをトコトン味わってみます。「感覚の中にいる」とは、悲しみの感覚をじっと感じ続ける、ということです。悲しみから逃げずにしばらく味わい続けると、悲しみが和らいでくるのを感じます。一回で完全に解決するわけではないので、これを当分の間、続けるのです。

悲しみがあまりに強くて向き合うことができない場合は、別の取り組みやすい思いや感情を先にやるといいです。

自分の思った事を嫌だと思うなら、「嫌だ。そんな自分が許せない」といった感情をじっと見つめ、感じ、味わうのです。

こうした実践は、『人生を変える一番シンプルな方法』という本に詳しく載っています。セドナメソッドという名の方法です。一般向けなので、原田雪渓老師よりもとっつきやすいですね。

原田雪渓老師は禅僧なので、最初は禅の独特の言い回しがとっつきにくいかもしれません。でも、おっしゃることはとても深くて素晴らしいです。

今日思ったのですが、苦しいときは自分の自我の問題がよく分かります。自分が何に抵抗し、嫌い、遠ざけようとしているかがよく分かります。ですから、自分の心を浄化するには都合が良いです。調子のよいときは自分の問題がなかなか分かりません。人生につまずいて、人は初めて、自分の中の問題を自覚するのでしょう。

ですから、原田雪渓老師のおっしゃる「悩みは仏」は、人生に密着した切実な真実なのだと思います。
Posted by 現実の自分 at 2011年06月07日 20:29
阿部さん、ありがとう。みなさんありがとう。
ありがとうありがとう。
今日はそんな気持ちです。
Posted by 日野 at 2011年06月07日 20:48
弥生さんのお応え、こころに響くものがありました。

そして、どんなときも

阿部さんの言われていることが正しいかどうかではなく

自分がどのように受け止めるかなのだと思いました。

もちろん、正しい受け止め方などということではないです。

わたしはハンディのある家族があり

そのことで思い悩んでいたとき

ある方から「あなたはもう慈悲に出会っている」

と言われました。

心にのこっていることばです。

どうぞ無理せず、心やすらかな日々をお過ごしくださいね。

けして気休めでも持ち上げるのでもなく

十分におおらかで優しい方と感じます。
Posted by 失礼します at 2011年06月07日 20:50
阿部さん、ツアーのみなさん、みなさん、こんにちは。

「あったんだ」って ほんとに素直に思えた時は
「あったんだ」で終わってしまいます。

けど「あったんだ」って思いながら それについて分析している自分に気付いて 「ほんとに、あったんだって思って無いじゃん(笑)」ってなります。せっかく気付いても正当化してたり。。。何度もその現象(幻想)をなぞっています。

とくに「相手」がいる事柄のときは「自分」がどっぷりいて、それをやってしまいます。

全部同じように、認めて 解放していけたらいいなって思います。
「あったんだ」 うん、
「あったんだ」 うん。みたいに。

けどまぁ 次から次へと!です(笑)
Posted by pao at 2011年06月07日 21:04
阿部さん、忙しい中更新ありがとうございます。

帰国したらますますパワーアップで活躍されるのでしょうね!

そのエネルギーのお裾分けをお待ちしております!
Posted by hana at 2011年06月07日 21:12
いやぁワクワクの始まりですね☆なんとも羨ましいです なんだか空気の澄んだ朝に皆さんが心地よく瞑想されてるイメージが湧きます。私もこちらで改めて瞑想続けます。気づきとリラックスの中で日々を過ごせますように。
Posted by 笑貴妃 at 2011年06月07日 21:16
阿部さん、こんばんは。

何にこだわることもなく、人を気にするのでもなく、いま自分が何をしたいのか、いま自分がどうありたいのか、その連続を生きていきたいです^-^
私もチェンマイに行きたいなあ^o^
いつもありがとうございます❤
Posted by tomo at 2011年06月07日 21:30
敏郎さん、みなさん、おこんばんは♪

おぉ!敏郎さん、またまた Go to チェンマイですね!

敏郎さんはチェンマイでも、こちらに来ると
本当に本当に心が落ち着きます。

今回も、素晴らしい旅を!
Posted by Luna at 2011年06月07日 22:57
安部さん、チェンマイいいなあ。

熱帯植物にかこまれて、アロハシャツ??を着ている安部さんがイメージされました。

いま、ここ。

そういられるように、気がついたら、意識してみます。

いつも気付きの記事を、ありがとうございます。
Posted by rie at 2011年06月07日 23:00
阿部さんの存在が、われわれのツアコン(ガイド)のようなものなのなのに、実際にツアコンをなされるなんて…。阿部さんの役割はやはり導き手なんですね~(^^)!
Posted by わたなべ at 2011年06月08日 00:10
阿部さん、ツアコンお疲れさまです。

以前、美術学校に勤めていたときに課外授業の引率をしたことがあります。
何週間も前から準備してたのに結局トラブルでイッパイイッパイだったのを思い出しました(^_^;)

どうあるかを決めるのは自分だ、ということをこのブログで知ってからは心の容量が少し広がったような気がします。

引き続きツアコン頑張ってください!!
Posted by コーディー at 2011年06月08日 01:24
>それがカルマの解放に繋がっていきます。
 こういう風に身の回りの出来事が見られたらいいですね。
 私は昨日ちょっとしたことでムッとなった。修行が足りない(笑)
Posted by ぐるくん at 2011年06月08日 02:17
今回は読んでそうかなぁと思ってしまいました。

>ハンデや苦しみの分だけ、喜びや豊かさが大きくなるからです。

ハンデという言葉については私はなんとも言葉で表現、というか理解もよくできていないのですが、
苦しんだらあとで喜びが大きくなる?

日々の生活でしんどい思いってあります。
特に日常、自分の生活スタイルの中からはずせない状況で感じる苦しみ。たとえば家族内、仕事での人間関係など。
少し離れれば心が落ち着くにしても、それすら難しい状況では日々悶々と格闘する。

形では解決できそうにないからと、心の修練を、阿部さんなどの力をかりてがんばったりもします。
私も、自分で選んだ環境、なんだろうなと最近は割り切るように、は、なってきましたが・・・

そう感じるなかさらに掘り下げると、苦しみは自らの妄想、一人相撲、堂々巡りって感じなんですよね。

本当は別になんとはないって、こと。
それを自分で「くるし~、もういや~」っと大仰にやったほどあとで喜びが大きくなる・・・ですか?


いや、たぶん、阿部さんの「大きな」は言葉のあやってことですね、しつれいしました^^;
Posted by JAC at 2011年06月08日 08:52
深呼吸していつも「いまここ」を意識していたいです。

みなさん ありがとうございます
今日も素敵なあるがままの一日を!
Posted by ココルート at 2011年06月08日 08:53
痛みについて、コメントあったので感謝です!
痛みをよく観察しますが、そのまま気絶しちゃうことが多いのです。
時々だけ、痛みと離れ痛みと同化しない何者でもないとこにいきますが、やはりすぐ同化してしまいますね!
生まれてからなので、どうももがいてしまうみたい。

もうそれも何十年やっているのですが、最近ふと、思ったのです。

痛みを消したい、とどこかでまだ体制をくんでいる!

徹底的に降伏していきたいです!
そう思いました。
感謝。
Posted by とび at 2011年06月08日 11:05
こんにちは、阿部さん。

まさかのチェンマイ、からのコメント有り難うございます!
(携帯からの更新?)

空のことで、ふと頭をよぎったので質問させていただきました。

以前はよくボーっとしているときに、まわりの雑音などが聞こえない、しかも寝ているわけではないという現象があるときがありました。
今から思うと、それが空だったのかなぁ~という印象です。

ということは、日常生活のなかでも(あえて瞑想などしないで)空のままでいられることができるのかなぁ~と・・・・。

ただ、簡単に空のスイッチが入りませんので、意識して瞑想をしていくつもりです。

有り難うございました!!
Posted by 田島 at 2011年06月08日 12:31
この記事で、私の中でまた答えが見つかりました!
カルマの解放!素晴らしいです!

自信のハイヤーセルフと更につながりやすくなるんですね!そして本当の自分に戻れる。
お気をつけて素敵な旅を〜
Posted by マリア at 2011年06月08日 13:25
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
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