2011年04月08日

比叡山の夜 その2

第二部 質疑応答 (夕食後の質疑応答、釈の会の会員だけ講義室で)

十七時から会員だけの勉強会が始まった。まず昼間聴いた講演を中心として。

 

1.〈問〉O 会員

阿部先生は『さとりの授業』で「いまここ」ということを言います。

「いまここ」がすべてであり、「さとり」とはあるがままの自分のことだ、と言われますが、それでは、これから修行し向上して行こうとするものは目標が無くなってしまい、刹那的で投げやりな生き方になってしまうと思いますが?


〈答C〉それは「いまここ」の理解が十分でないからです。

目標や目的を持つということは大事なこととされていますが、それだけで終わってしまっていてはいけません。

「いまここ」の意味が本当に解らないと、結局、人生の肝心要めが解らないことになります。

実は、「いまここ」が解ったとき始めて、本当の生きる意味が解り、それこそ、真剣に、大きな喜びをもって生きることができるのです。




2.〈問〉T 会員

先生の本を読むと、悟れば自我が無くなると言われているようだが、肉体がありながら自我がないということはどういうことですか。

また、PCやケイタイを使っていられるようだが、こういう器械に依存するから現代人が浮薄になっていると思う。私は大嫌いです。

ケイタイやPCで集団自殺などが起きていますが?
   

〈答〉まず自我の問題。

個人の自我が無くなるというのではない。

主体性としての自我はあるが、その自我を「小我」とすれば、悟った後の自我は「大我」ということになる、

それは無限大に拡大した自由な自我です。

次に、PCやケイタイのことですが、これはナイフの是非と同じで、使い方によって善悪どちらにもなる。

私は毎日のブログで「さとり」を発信しています。




3.〈問〉W 会員

私は浄土真宗のものですが、先生は宇宙に意志(意識)があると言われましたが、どうしてそういう意識を考えねばならないのか。

また、先ほど、量子力学を使って説明されたが、こういう科学知識を使って宗教の真理を説明することは危険なことではないですか。

科学はつねに変化しているではないですか。



〈答〉宇宙の意識ということについて。

私は『さとりの授業』の「神」という章で、神や宇宙について書いています。

「さとり」体験をすると、人生観が今までとガラリと変わります。

その時、「宇宙と私は一つ」という体験をするのです。

また「神とは、僕たちのなかにある、最も高いレベルの意識だ」と。

それは優しさにあふれ、決して判断したり裁いたりすることはありません。

ただただ圧倒的な愛の力で見守っているだけです。

これは仮説ではなく、一定の理解に達したときに誰もが経験的に確信できる真実です。


それから、科学的な用語を使うことについてですが、これはあくまでも便宜上のことにすぎません。

一般に人々はこういう説明をすると非常に解ってくれるからです。

また、科学は次第に宗教の世界を説明してくれ始めたと思っています。

例えば、筑波大学の村上和雄先生は、自然界の圧倒的な整合性について、その確率的な不可能性から言っても、宇宙には何ものか大いなるもの、サムシング・グレートの存在を仮定した方が遙かに理解しやすい、と言っています。




4.〈問〉N 会員


先生は、死について、「自殺も他殺も同じだ、悪ではない」という意味のことを言われましたが、私は、最近の熊本での三歳の子を殺した事件に衝撃を受けています。

またつねづね「自殺は絶対にしてはいけない」と力説しています。

そういう立場からしても、先生の発言にはどうしても納得できません。

人間には倫理・道徳は絶対に必要です。

そういう発言は世間の良識に背き、世間に混乱を与えることにならないですか?



〈答〉あなたの言っていることはよく解ります。

私も一個の人間としては、あなたの感情や考えとまったく同じです。

しかし、私の言っていることは、そういうことではないのです。

次元の違ったところで話しているのです。


良い悪いだけで終わってしまえば、それは道徳のレベルであって、宗教のレベルではなくなります。

私が本質的には「死と生には区別がない」と言うのは、「永遠の命」に関わる次元でのことです。

私は長いこと「永遠の命」というような表現を毛嫌いして来ました。

しかし、自分が変わったのは、自分が直接「永遠の命」を見たからです。

確かに肉体はいつか朽ちてしまうけれど、魂は永遠に「いまここ」にあり続けます。


「死」は存在していない。

「死」こそが最大の幻想だ。

僕はいままでに一度も生まれたことがなかったし、死んだこともなかった。

いつも「いまここ」にあり続けていた・・、と。


それから、私は、「死=忌まわしい」という死に対する偏見やムードを変えたい、という思いを持っています。

「死」と「生」は表裏一体で、ふたつでセットです。

どちらか一方だけでは成立しません。

もし「死」というものがなければ、僕たちは生きているということを知ることもできないでしょう。

これらはコントラストのようなもので、片方が強烈になれば、もう片方も強烈になります。

反対に、片方をあいまいにすれば、もう片方の輪郭もぼけてきます。

その意味で、むしろ死を見つめることが、生の意味を深めていく大きな手段なのです。云々。







つづく






比叡山の夜 その2   比叡山の夜 その2



・・・・・・・・・・



ボブ・フィックスさんとのコラボ講演会にたくさんのお申込みありがとうございました。

東京第二部は残りごくわずか、第一部も少なくなってきました。

他、名古屋、大阪、博多も受付中です。

詳細はコチラから。


☆第一部第二部両方に参加の方は、両方の受付番号を続けて記入しご入金ください。



Posted by Toshiro Abe at 11:11│Comments(88)
この記事へのコメント
1111 ・・・・・・
Posted by セス at 2011年04月08日 11:21
ありがとうございます

とてもわかりやすいです!
Posted by ぽとす at 2011年04月08日 11:26
おはようございます。

昨日に続き、
シェアをありがとうございます。

阿部さん、皆さまにとって、
平安なる一日でありますように。
Posted by 麻美 at 2011年04月08日 11:29
僕も生命という観点から
宇宙論と量子論に興味を持ち
佐藤勝彦さんの本などを読みました

いつか
阿部さんの量子論のお話も聴かせてください
Posted by あす at 2011年04月08日 11:38
あべっちおはよーございま~す。


日ごろの内容をそのまんま、お話してきたのですね。



今日も穏やかな一日ですねぇ。
Posted by ss at 2011年04月08日 11:43
質疑応答形式はわかりやすいですね
でも、やはり体験に勝るもの無しなのでしょうね
Posted by wakky at 2011年04月08日 11:59
いや〜なんかすごいっす。お坊さん方のちょっと昂奮しぎみの質問にも少しも動ぜず冷静にしかも明解に答えられている姿…普段の○ッチな阿部さんからはとても想像できないくらいカッコイイっすね。さすがです。続きもよろしくお願いします。
Posted by ラブ☆教えて下さい(本物)♂ at 2011年04月08日 12:20
皆様、はじめまして。
浜松南区在住の者です。会社の同僚から「いまここ」の本を薦められて、夫婦で共感しました。
今度の名古屋に参加しようかと思ってるのですが一部、二部どちらかに参加をするとしたら初心者としたら一部のほうが良いのでしょうか?
いきなりの不躾な質問ですがどなたかご回答頂けると幸いです。
Posted by むらてつ at 2011年04月08日 12:35
今日、五木寛之さんの番組がBSでやっていました。
「みな悟っているが、気づいていないだけだ」と仰っていました。

五木さんは
僕が「人の人生は完璧に決められているのではないか」と
漠然と考えていた時に、はっきりとそう言ってくれた初めての人です。

いつかお二人が対談するのを勝手に妄想しています(笑)
関係ない話ですいません。。
Posted by 諦めるとは明らかに見る at 2011年04月08日 12:49
こんにちはー^^

死は幻想で、すべてはひとつだという
シンプルであたり前な真実を 
あちらこちらで伝えている、
アベパンマ~ン! )^o^(

愛と勇気に 感謝感激感動です。・・・(笑)
つづき、楽しみです^^
Posted by とまとま at 2011年04月08日 13:23
やはり、ここに来ると落ち着きますね。

今、闇の部分を指摘されている人も、たくさんいらっしゃいますが、

私は、そこに目を向けていると、

キリがないような気がして、結局、意識は

阿部さんのような方たちと共鳴してしまいます。

何事もきっとバランスなのでしょうね・・・


今日もありがとうございますm(__)m
Posted by 栗子 at 2011年04月08日 13:39
いろいろ読んでみましたが、ようするに何を悟っているんでしょうか?

わたしも今の世界に全てがあると当たり前に思っているし、過去も未来も幻想に過ぎないと考えます。

地球が自分の顔をしていたという体験には笑ってしまいましたが、それがなんで悟りなんでしょうか?

私も昔、瞑想をしたとき自分の周りを金星や土星やその他の惑星が回っている体験をしたことがあります。自分が太陽になっていました。

ですがそれと悟りとは何の関係も無いと思いますよ。自分を過大評価し過ぎですよ。

それから上記の質問に対してまったく答えになっていないんじゃないでしょうか?

考え方があまりにも安易すぎます。
Posted by さとりん at 2011年04月08日 14:24
♪。・:*:・゜

他の人の体験と自分の体験の異なるところを探す〜比較、競争
比較とは、分離の意識であり全体の意識とは異なる。
魂はそれぞれのカラーの視点で、それぞれの経験を創る。
神をどのように経験するか。それも、それぞれが完全なる自由の元に
経験する。
Posted by スピカ at 2011年04月08日 14:50
おっしゃることよくわかります。阿部様の言葉はいつも滑らかに小生の胸に流れ込んできます。めぐり合えて幸運です。
Posted by 林深山 at 2011年04月08日 14:59
視点をどこに置くかですね。人間目線か全体(神)目線か。

ところで昨日、約1ヶ月ぶりに知人から電話あったので、コラボ講演会紹介しました。そしたら、東京1部・2部とも申し込んだって。

申し込み開始日に電話かけてくるなんて、知人の守護さんやりますね。

全ては必然。完璧。
Posted by ラブ☆マエピ at 2011年04月08日 15:03
>さとりんさん
他の皆様はどうなのか、解らないのですが、私の場合の話をすれば、目覚めは二段階ありました。
座禅中、私の体が消えて、宇宙と一体になるという感覚。これが最初で、例えば「魂の存在が見える」という段階。
その後、自我を消す、完全に思考を殺してしまう状態まで行くと、「魂の考えている事がわかる」という段階。
この二つを同時に体験なさる方もいるかもしれないけれど、私の場合はだいぶタイムギャップがありました。第一段階の後は、かなり幸せな感じだし、平和主義にもなるし「悟りってこの事なんじゃないかな?」なんて漠然と思っていました。その後、第二段階になって「魂の考えがわかる」ようになると「全てがわかる」という状態で、絶対的な価値観?が解るので、これ以上「知りたい事」「知らなきゃいけない事」そんなようなものが無くなります。もうこれ以上何も知らなくていい状態を「悟った」と表現しないとすると、何を悟りと言うのだろうという感じです。例えばこの状態を別に悟りと呼んでくれなくてもいいんだけどね♪LOVEYOU♪これは私の場合です♪
Posted by you at 2011年04月08日 15:14
あるがままでいいんだよのあくえりあんさんのブログを併用して

読んで見るのもいいかもしれませんね。

いまここ塾さんの場合、ワンネス体験も何も無く入門してくると

理解できるまで少し戸惑うかもしれません。

あくえりあんさんの場合、守護霊さんやカルマといった比較的

スピ系入門者には分かり易い言葉がでてきますので私は併用しながら

阿部先生はこういう事が言いたいのだなというのが何となく理解で

きる様になりました。
Posted by マトリックス at 2011年04月08日 15:21
同じものをみたら
「そうですね」ってなりますけどね。

答えだって文章だけじゃなくて
奥行きをかんじないと。

その答えで十分伝わりますよ。
つづき楽しみです。
Posted by 雲水 at 2011年04月08日 15:38
行きたいけど、行けない私としては、ボブさんとのコラボ、音声やDVDで見れると嬉しいです。
Posted by mm at 2011年04月08日 15:57
ワンネス?

自他一体観にしろ神我一体にしろ、それは感覚としていつも経験しています。

しかし、「全てが一つ」という認識は悟りの中でも初歩的なものなのです。

気になるのはその初歩的な認識を高級な悟りだと勘違いしているようなので、違和感を感じるのです。

禅定瞑想の世界で一番注意するところがこの点で、誠実な修行者なら分かっているでしょう。

もっと注意深く自分を止観する訓練が先だと思いますよ。
Posted by さとりん at 2011年04月08日 16:16
東京コラボ、タッチの差で締め切られました。残念。
11月のような追加開催があれば嬉しいですが・・・。
↑のmmさんと同じく、かなうならDVDに期待します。
Posted by pipo at 2011年04月08日 16:26
こんにちは!

ボブさんとのコラボ講演(大阪)第二部、友人と参加します!

申し込んでおいてほしいって、電話がありました!

比叡山でのお話、ありがとうございます!!!

つづきも、楽しみにしています!
Posted by mika at 2011年04月08日 16:35
阿部さん、正面からまっすぐ答えていらっしゃると思います。少なくとも私はそう感じますが。
続きを楽しみにしています。

疑問がひとつあります。
死ぬ瞬間、さとりの状態が訪れるのですか?
初歩的な質問ですみませんが、教えてください。
Posted by まりりん at 2011年04月08日 16:36
東京・第二部に参加させて頂きます(*^o^*)
楽しみにしています♪

延暦寺での講演会をオープンにしてくださってありがとうございます。
祖門師さまにも感謝です。
Posted by みみずく at 2011年04月08日 16:40
別に、さとりんさんの様に上級者に対してコメントしたつもりでは

なかったのですが、いまここ塾の阿部先生の話がわかりにくいとい

う話がちらほら仲間内で出ていたので、全体に対してこういうブログ

もあるよと言う事が言いたっかただけなんで、このブログを見ている

方々が、必ずしもさとりんさんの様な上級者ばかりではないと思う

のですが。
Posted by マトリックス at 2011年04月08日 16:44
阿部のお兄ちゃま*
阿部のお兄ちゃま*

莉李は今、
涙が止まりません…*

そうなの…*

幸せだと感じる
感覚が
強くなればなるだけ

生きるのが、
未来が怖いの…*

失うのが怖い…*

明日が怖い…*

本当に……
本当に………*

阿部のお兄ちゃま*

本当にありがとう…*

莉李、

貴方の様な
ライトウォーカーに
巡り逢えて、

本当に…
とても、ラッキーですo(^-^)o

(沢山、*感謝*)
Posted by 莉李玉蓮 at 2011年04月08日 16:48
人の言動や外側に違和感を感じだしたら
注意深く自分を止観しましょう。
Posted by 雲水 at 2011年04月08日 17:10
今日は貴重な体験をさせてもらいました。

今朝は超ブルーでした。 
今日は少しおばかだけどかわいいうちのご長男の入学式なのに雨。
お腹もこわして。(原因はわかっています。何故私はあれを食べたのだろう...)
強い余震もあったんですね。

落ち着いて瞑想して。(思考をストップすることしだしてから、瞑想状態に入りやすいみたいです。)
しばらくして、突然久しぶりに実家の母が訪ねてきました。
母には初めてでしたがなんとなく「いまここ」の話をしていました。

すると、なんと母は私が経験する少し前に悟りの経験をしていました。
「うっそ~!」
友達と山をドライブしてて、突然まわりの景色すべてがキラキラして見えて、胸の奥からものすごい幸せがこみ上げてきたそうです。
あの時の感覚にもう一度なりたくて、いまもいろいろなお寺を廻ってるけど体験できない、って。
だからわたしの話もよくわかるって言ってました。
もうほんとにびっくりです。

ボブさん申し込みました。
今回は母は都合つきませんが、ぜひ今度行きたいそうです。

起こることが起こる。
全ては幻想。
思いは実現する。
みんな同じこと言ってるんですね。
必要なものも必要な分だけ入ります。
Posted by 由未 at 2011年04月08日 17:34
その会の構成は判りませんが、人間として素朴な質問であり、
なにも私たちと変わりないと思いました。

なにも特別でない。

完全に分離の幻想を離れたら、もう何かを分ける・分かれているという考えは無い筈。
離れているかもしれないという不安が無い。

なんてよさそうな雰囲気だろうか。味わいたい!!
Posted by ぷ~すけ at 2011年04月08日 18:13
♪。・:*:・゜

ワンネスや悟りを知識として知っているかどうかではなく
人は、ワンネスを生きている人。その人の在り方に共感する。

阿部さんに共感する人がこれほどまでに多いのは、阿部さんが
悟りを経験し、ワンネスを生きているから。
知識として知っていても、生き方にそれが反映されず
実践できねば、人の心を動かすことはできない。

先も後もなく、上も下もない。
すべては同じでひとつ。
Posted by スピカ at 2011年04月08日 18:47
スピカさんへ。

カリスマ人間を目指す人は、言葉が巧みでいつも犠牲者は尽きません。何百万人もの人をたぶらかしている教祖も世界にはごまんと居ます。また人に担がれるほど頭がおかしくなっていくものです。

精神宇宙は創造主の厳格な規律によって存続している。梵天も神々もその手足になって動いているに過ぎません。

何でも気楽に自由と言うわけではありません。

精神的段階を無視して、観念論ばかり語り、瞑想法を自己流で広めたらそれは神の名において犯罪になります。

その深刻さを貴方がたは知らない。もうすでに何百人と頭がおかしくなっているかも知れません。

傍から冷静に見れば、単なる狂信盲信者の集まりになってきています。もう信仰宗教団体状態です。

瞑想はもうやってはいけない時代に入っています。

誰が決めたか。創造主です。

わたしはこのことについて創造主が最初に作った聖霊(梵天)から経緯を聞いているので分かります。

瞑想は修業法としてもうやってはならない時代に入っています。それ以上のものが存在します。瞑想はやればやるほど精神異常者が出来あがってくる時代に入っています。あなたも早く病院に行ったほうがよいです。

人間的な努力を必死にしないで、瞑想だけやって悟れるなんていう安易な考え方を、創造主が認められるわけがありません。

もし全ては一つであるという理解をしているなら、本当の「あなた」が貴方に語っていると思ってください。
Posted by さとりん at 2011年04月08日 19:35
さとりんさん


瞑想は修行じゃないですよー。
我神なり一体の状態。
無限に存在する幻想宇宙を
どのようにいろ
Posted by 麻美 at 2011年04月08日 20:18
さとりんさんの創造主って器量がせまいね。

へんな世界w
Posted by ? at 2011年04月08日 20:32
さとりんさん


瞑想は修行じゃないですよー。
我神なり一体の状態。
無限に存在する幻想宇宙を
どのように彩るかは各自の責任。

その中で共鳴し合う者同志が集う。
それは、それで良かとです☆彡

全ての聖音は各自の中に。
その中道、いまここ は実在の神。
その完璧なまでのあるがままの神聖な領域には
だれも入ることはできないし、
罪や罰は与えられることはありません。


なーんて、おもったり。

確かに人としてどう在るかは大切。
それは、自分には嘘をつけないから、
本人が一番わかっていること。


創造主に認める認めないの判断は
ないでございます。。。
Posted by 麻美 at 2011年04月08日 20:34
比叡山のお坊さんたちも、案外世間的、常識的な質問をされるんですね~^^
Posted by 近藤 at 2011年04月08日 20:45
「さとりん」って
とってもかわいいハンドルネームですね^^
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月08日 22:03
文章の書き方から、さとりんさんて比叡山関係の方だったんですね。

妙にねちっこくて、陰湿な感じだな~と思っていたんですが、自分

達の方こそ権威と伝統に守られていて世間知らずだと思うが、いかが

なものでしょうか?
Posted by マトリックス at 2011年04月08日 22:08
ワンネスとは、全体がつながると言うことでしょうか。

全体的な意識にはもう個人としての意志はなく、良い悪い(二元対立の世界)の判断意志もないと思うのですが。

さとりんさんの言う創造主がその様に言ったということは、そこに人格(個性)が有るからだと思われます。
つまり、その創造主は全体と繋がっていないと思えるのですが!?
Posted by おわら at 2011年04月08日 22:15
わたしは全然悟っていないですよ。

自分が神だとかなんだとか考えている人は頭が狂っています。

仏教や瞑想や禅宗の限界がそこにあります。

もう何千年も前に地に落ちている世界です。

全ては一つだという体験をしたところで、

宇宙の絶対神になれたわけではないのです。

この辺の理解がみんな安易なのです。


瞑想や禅で、悟りを目的にしてやると、

眉間にあるチャクラが開きかけます。

霊界に繋がる窓です。

人間が出来ていないと神様でなくお化けがやってきます。

悪魔に憑依されてきます。

だからみんな最後は気がふれて行きます。

お遊びで瞑想はやるものではありません。

運命すらボロボロになってしまいますよ。
Posted by さとりん at 2011年04月08日 22:18
こんな事書くとは思わなかったんだけど、今も書いていいのかなと思ってますが。。。
私の体験です。
さとりんさんの言われている悪霊?に取り憑かれた経験があります。
死ぬ一歩手前でした。
それを救ってくれたのは阿部さんの勧めた瞑想でした。
その瞑想で見性体験をしました。
それが悟りというものでないなら、悟りなんてしなくても全然OKと思えるほどの経験です。
愛と歓喜と感謝の世界。
抗しがたいあらゆるものを愛する思い、見捨てられたことなど一度もないずっと愛されていたという喜び。
瞑想で霊界に繋がるというのはわたしに限ればありえません。
というより反対です。

霊に取り憑かれるのはその人が決めたプロセスです。

もともとわたしたちは全員、愛と創造性をもった無限のエネルギーにあふれた存在。
なら、それをひきだして人生を楽しんだ方がいいでしょ。
幻想の世界なら惑わされずに、ワクワク活き活き過ごす方がいいでしょ。

それが「いまここ」に生きるってことだと思う。

その為にあべさんは瞑想を勧めてるけど、例えば30秒ストップ瞑想はただ思考を止めるだけ。
それを修業ととらえる人は修業だけど、それは人それぞれ。

ここは魂の奥底で共感できる人たちが集まってるだけ。

深刻に考えることなんてないですよ。
Posted by 由未 at 2011年04月08日 22:47
さとりんさんへ


何にもしないこと。
ただその場にぼーっとしてること。

これだって瞑想です。

瞑想ってのは、形じゃないんです。


日本人の多くに見られる欠点は

形にとらわれる、ということです。


何だっていいんです、気づけば。
Posted by すずき at 2011年04月08日 22:51
さとりんさん


私ね、さとりんさんに
意見したい気持はないんです。
ただ瞑想に対して、
恐怖を抱いてしまう誰かがいたら、
そんなことはないよって安心してほしい。

なぜなら、瞑想って、たんに我に返る静寂のことだから。
普段の生活で様々な役割を演じて疲れた時に、
ふと我に返って、ありのままの自分に寛ぐ状態。

憑依って実はあり得ないんです。
ひとつの肉体に、二つは入らない。
そのような次元は自ら体験を選べば、
幻想を観ることは可能です。
夢の中で潜在意識があぶり出されるように。
ただ、それはあくまで夢です。
実在はしていません。

人間は所詮人間です。
しかし、神の一部。
その神というのは いまここ のことです。

すべてを解る者などいません。

ただ、分かち合いの世界で、
それぞれの世界観を体験しているにすぎない。
そして、おかげさまの全体性がそれを叶えてくれている。
ただそれだけ。
誰かが特別でもなければ、優れてもなくて、
みんな大切な存在です。

めちゃくちゃ当たり前のことを、
当たり前ではなく、
おかげさまの命と知りゆく為に生きている。

それだけかも知れません。

悟りや、神って言葉が特別意識を掻き立てるのかも知れませんね。

人として、ありのままの自分で今を生きよう(^-^)/
こっちなら万人に共通しますね☆彡


気がふれる人がおるんや。。。
そうか。
なんでじゃろ。。。
意識の反映しか起きないから、、、
自分の中に観えた幻想だけれど、闇の部分や弱さを
認めることができずに葛藤したのかも知れませんね。。
Posted by 麻美 at 2011年04月08日 22:53
さとりんさんへ

あなたに愛をおくります。

喜びでみちていくように。

毎日が楽しくてたまらなくなるように。

あなたの幸せを願う。

そういう人たちがこのブログにはたくさんいますよ。

だって、みんなつながってますから(笑)
Posted by 行代 at 2011年04月08日 22:54
おわらさんへ

ここで語られていることは、サンキャ哲学の創始者、

シャンカラの思想が大元になっています。

完全な自己をアートマンと語っている。

その要素をただ喋っているに過ぎません。

ところが絶対的な存在と一体化するという意味は、

創造主のクビキ(ヨガ)になるということですが、

その主の存在は、最高の悟りを得た人には人格として

現れてくるものです。

シャンカラもその意味で完全な状態にはなれていなかった。

神様は人格を持っています。そうでないと

人間は出来ていません。

創造主は時間であり空間であり全宇宙であり、あらゆる神々は

主の単なる細胞の一つです。

ましてや人間など、細菌の類いに等しい。

それぐらい創造主は偉大であり絶対的です。

だから謙虚な修行者はその主の御足にひれ伏して

祈るしかありません。

わたしは神と一体だ!などと穿ったことは言いません。

そんな愚かな修行者には創造主は姿を現さないです。

現代のインドの聖人ですら主の姿は見たことはないでしょう。

宇宙を光とみたり、エネルギーと見ている間は

アートマンという本当の自分は見えません。

また誰にも見ることは出来ません。

何故なら認識の主体だからです。

この自分がアートマンである、悟りである、一つの自分である、

と思わせるものの本体は見えないのです。

創造主の姿をみなさんは知らないですか?
Posted by さとりん at 2011年04月08日 22:58
稀代の天才 織田信長が比叡山を焼打ちした気持ちがわからん

でもないよのうなんて独り言です。
Posted by マトリックス at 2011年04月08日 22:59
さとりんさん

どのようなデータをもとに発言されているか知りませjンが、僕が知る限り、伝統禅のお坊さんも、比叡山のお坊さんも、そして民間のヨギや瞑想者の誰一人として、お化けにも悪魔にも憑依されていません。

悪魔という概念さえも隙入る隙はありません。


すべては思考が作り出すイマジネーションです。

何が事実で何が妄想か、それを知るのは自らの経験のみです。


議論になっても生産性がないので、あなたへのレスはこれを最初で最後にしますが、真実は己の体験をもとにしてしか量れません。

仏教や禅宗は、時代の仕組みの中で大枠が堕落しましたが、その中にも真実の人たちはいるので、ひとくくりにしてしまうのは早計です。

あなたのような意見もよくわかりますが(自分も同じだったので)、そこを超えた世界が同時に存在していることも併記しておきます。


今日は比叡山の堀沢祖門大僧上と過ごしました。

深淵なる真実は、シンプルにして明確です。

それはすべての人を生かしてやまない根源です。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2011年04月08日 23:07
阿部さんは沖縄にいるんですよね。

わたしも沖縄に住んでいるので

一度会って話がしたいと思っていました。無理でしょうか?


「今」の認識の持ち方や、「全ては一つである」という認識は

宗教の世界にあっては当たり前の話です。

わたしも仏教、ヒンズー教、神道、ユダヤ教など

神様の下で、一通り学んできましたが、

神の世界をカリスマ的に語る資格はまるでありません。

人に道を説くからには人の運命がかかっています。

その点話を聞いているとあまりにも若過ぎる感じがします。

もう少し謙虚になって、神の存在を追求して欲しい。
Posted by さとりん at 2011年04月08日 23:23
阿部さん、みなさんこんばんは。

とても深い質疑応答ですね。
うまく言えないのですが、質問は、なにか物事を2次元的に見ているような表面的な感じはしました。

表面的に人や物事を見てしまうのは小我なんでしょうね。

でも、言葉というものは限界があるので、やはり阿部さんの言葉を聞いても、魂の部分で共感できるのかどうかなのかな。

それでも、私も含めてみんな人それぞれその人の段階、時期というものがあるのだと思うし、すべてが完璧で、すべてOKですよね。
Posted by tomo at 2011年04月08日 23:43
人は誰も大事にしているものを守りたいよね。

その気持ちは判るよ。

でもそれは守る必要の無いもの。

だって損なわれるものはないんだから。

損なわれると感じるのは思考だから。

本質は損なわれないさ。
Posted by ぷ~すけ at 2011年04月08日 23:46
全ての存在の

「在るがまま」を

愛しています

阿部さん 皆さん

今日もありがとうございます。
Posted by 長谷川 真理 at 2011年04月09日 00:11
さとりんさんの話しはとても興味深いですね。

わたしはもっと聞きたいです。

共鳴する人どうしのコラボ講演もいいけれど、違う意見の人との話もいいんじゃないですか?

もっと意見を交換してくださったらいいと思います。

冷静に。品性のあることばで。聞く人も。

それによってこのブログに参加している人もそれぞれ、受け取るものがあるのではないでしょうか?

反感、判断、ジャッジ、分離、投影、、、

それが苦しいときもあります。

けれども、阿部さんはとにかく思考ではなく「体験による真実」だから、議論など無意味で「生産性がない」と言われるのかもしれないけど、自分もそうだったとわかるならとことん話しあってほしい気がします。

けして無意味なことではないと思うからです。

ただ、ブログという書き言葉と匿名性がどこまで誤解のない血のかよった話し合いになるかわからないから、さとりんさんが望まれているように話し合われることがあったら、公開してほしいですね。
Posted by 失礼します at 2011年04月09日 00:13
さとりんさん、コメント恐縮です^^

仰る事は良くわかるつもりですが、それでは何のために人間を創ったのでしょうか?

色々聞きたい事も有るのですが、こちらにご迷惑を掛けてしまいます。
きりが無いと思われますので、これで失礼致します^^;

ありがとうございました。
Posted by おわら at 2011年04月09日 00:14
私は、創造主から離れたことは一度もありません。というか、誰も離れられないよー。誰も創造主以外にはなれない。
だから、いつでも安心していられるの。
Posted by 亜紀 at 2011年04月09日 00:26
さとりんさんへ


オーム シャンティ シャンティ シャンティ^^
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月09日 00:28
さとりんさん

沖縄在住なのですね。

もしあなたさえよければ、いつでも公開で話をしましょう。

そのほうがお互いに理解が深まるかもしれませんね。

活字のやり取りだけでは、観念の枠を超えられないので、実際に話した記録をブログ公開するのがいいと思います。

まずは真理への誠実さを持って語り合うことです。

次回の沖縄いまここ塾でもいいですよ。


さとりんさんに限らず、だれとでも話す用意があります。

とある有名ブロガー(ヒント・3本線香)にも、出版社を通じて対談を呼びかけましたが、残念ながら辞退されてしまいました。

相手を一方的に判断するだけではなく、実際に語り合う段階に来ていると思います。

その内容開示が、多くの人の混乱に有意義な効果をもたらすでしょう。


ネットは匿名性が常識になっていますが、本来は正々堂々と身元を明かすのが説得力につながると考えています。


真理を広めるのは、最優先課題です。

そこに役立つなら、喜んで対話に応じます。



今夜は最高でした。

最高に素敵な先輩と会えたからです。

また明日報告します(^o^)
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2011年04月09日 00:55
すごいことになった。
でも、私もやりとりを聞きたいし、無駄ではないと思います!!
だって本当は、私も??と思っている内容だから。
今日のブログや、さとりんさんの内容は、私も感じている事聞きたい事だから、共感ばかりのコメントだけでなく安心しました。
私は、腑に落としたい…
理解したいから、
さとりんさんとのやりとりを今日のブログの様に見てそうなんだぁと思いたいのです。
初めて仕事休んでコラボに申し込んだのに、キャンセルしようかと思った。
狂った宗教団体…?と聞いて引いた…
ちょっと怖くなったけど、縁あってたどり着いたブログ。突然失礼しました。
Posted by ルパン at 2011年04月09日 00:56
私は、「神」で~す!

堂々と断言できます。

ただ~し・・・・・阿部さんも、その他の皆さんも全員「神」ですけどね^^
Posted by 近藤 at 2011年04月09日 01:17
阿部さん、前のコメントみなさんのいろいろな意見交換(?)を読まずにただ、ブログ内容に対して書いてしまいました。

この世には、様々な素晴らしい、輝いている人格者が沢山いらっしゃいます。
その方達が全てさとりとか、瞑想などをしたこともなく、考えたこともない方がたも沢山いらっしゃいますよね。

それはそれでとても素晴らしことだと思いますし、このように沢山勉強して、議論して素晴らしい人生を歩んでゆくことを模索していくこともとても素晴らしいことだと思います。

この世の中はとにかく様々な人間の集まりであるんですよね。
それに、みんなそれぞれ一生懸命に生きようとしています。
今回の被災にあわれた方々もそうです。
みんな一生懸命なんですね。
その一生懸命な人生ひとつひとつが何ものにも代えがたい輝いた素晴らしいものなんですね。

そういう方々を前にして、神とかさとりとか簡単に言うことはできません。
でも、一生懸命に生きようとしている人間のひとりである私は、この阿部さんのブログで光を見つけました。
もちろん、他のいわゆるスピリチュアリストの方々からも沢山学ばせていただいたし、私の亡くなった祖母からの愛も日々感じて生きています。

何を書いているのか自分でも解らなくなってきましたが、とにかくいくら頭で学んでも、学ばなくても、みんな素晴らしい存在であるのだということはいまここで変わらない事実だと思います。

もっともっと物事の奥深くを私は感じて生きていきたいです!
Posted by tomo at 2011年04月09日 01:21
5月10日の ボブさんとの講演はぜひ行きたいと思います。
>彼の臨在に触れる
 ってどういう意味なのか興味津津。
講演開始時間が決まっているのでしたら教えてください。
(ちょっと遠い所に住んでいるので、仕事を休むかどうか調整が必要なのです・個人的なことですが、お願いします)
Posted by ぐるくん at 2011年04月09日 01:23
さとりんさんへ


阿部さんが

「もしあなたさえよければ、いつでも公開で話をしましょう」

と言って下さって本当によかったですね!

さとりんさん、
ぜひ阿部さんと公開討論してください^^


阿部さんが

「活字のやり取りだけでは、観念の枠を超えられないので、
実際に話した記録をブログ公開するのがいいと思います」

「ネットは匿名性が常識になっていますが、本来は正々堂々と身元を明かすのが説得力につながると考えています」

と言っているので討論が公開されるのが楽しみです^^
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月09日 01:24
大学の講義に小学生が反論した。
いっそ壇上で話をしようという酔狂教授。しかも自然体。
その優しさがこのブログの魅力ですね。
Posted by 堪虎 at 2011年04月09日 01:42
確かにここは大学向けだな。数あるサイトの中でも群を抜いている。
しかし読み手は自分のパラダイムと経験則の中でしか理解できない。

同情を禁じ得ないが、エールを送ってます。
Posted by 酔いどれ仙人 at 2011年04月09日 02:03
今日もありがとうございます。


本来のアベッチ坊が立ち姿

一目見しより恋とこそなれ
Posted by kaorin at 2011年04月09日 02:12
はいっ!真夜中にこんばんは~

だぁはははははは~興味深いレスが続きましたね~

私が興味深々で初めてお目に掛った阿部さんは本当に普通の優しそうな人でした
ご本人からのエネルギーは自由で楽しそうでどんな人にも開いている感じでしたね・・・
ブログの文字の行間からあふれている誠実さとご自身が体験された事を人に伝えたいと言う熱い思いにいついかなる時もぶれが無い・・・

お相手がどんな肩書きを持っていようがいまいが終始一貫している阿部さんの人となりとお話は理屈ではなく感じ切るしかないと思います。
このおじさん・・・愛そのものじゃないかしら?失礼~笑

いやぁ~今日も男前な阿部さん・・・・マスマス好きぃ~
Posted by Jinn at 2011年04月09日 02:24
同じ言葉でも、一人一人のイメージは同じではありません。

阿部さんの言葉は、きっと真実の体験から出ていると思います。

そして多くの支持者がおられることも良いことだと思います。

もちろん、反対意見などもあって当然だし、それも良いことだと思います。

すべては必要、必然。

いまここ に思い至る自分を感じ、こころから感謝したい気持ちです。

ありがとうございます。
Posted by 松原 at 2011年04月09日 02:25
♪。・:*:・゜

さとりんさん
さとりんさんは、そう思われているんですね。
心配してくださってどうもありがとう♪

遠くに見えるあの人をこちらに呼び寄せようとしなくていい。
心配いらないよ。あの人はあの人の完璧なプロセスを歩んでいるから。
考えて考えて、極限まで自分を追い込み、全てをあきらめたときに目覚める。
あの人が家を忘れて迷い帰れなくなったときのために道しるべをたてよう
幸せの青い鳥はいつも、いまここにあると〜

気持ちの良い朝です。ここに来ると、同じようなプロセスの方が
たくさんいらして、楽しく学ぶことができ、とても心地よく感じます。
東京第一部の講演に、初めて参加します。
阿部さんをはじめ、実際にみなさまにお会いして、会場の空気を感じる
のがとても楽しみです。
ありがとう♪
Posted by スピカ at 2011年04月09日 06:59
「わずかばかりの譲れぬ誇りにただ正直であれ」
私が初めて聞いたとき、涙してしまったミスチルの歌詞。

それから、今日、偶然見つけたある人の言葉。
「世界中の人々全員と話が合わないより自分自身と話が合わないほうが不幸だ」


自分のために、自分を学ぶために、自分にとってほんとにわかる、腑に落ちるっていうことが、大切なんだと思う。
独りよがりではなく、いつも外にオープンでいて、だけど、権威や地位に圧倒されず、飲み込まれない自分でいたい。
答えはいつも自分の中にあり、そしてひとつじゃない。
他の人との関わりや、外にあふれている情報の中から、自分が見えてくる。
ヒントがもらえる。
でもいつも何かや誰かにすがりついたり、飲み込まれない強さは持っていたい。

私がよく思い出すのは、マンガのシッタカブッタに出てくる、紫のブタ。
今日のコメントの中のやりとりを読んで、阿部さんは、紫のブタ側の人じゃなくて、よかったって思えました。
これからも、このブログからヒントをもらいたいと思いました。
阿部さんの毅然としたところ、素敵だと思いました。
Posted by ゆうき at 2011年04月09日 07:53
さとりん様
麻美様


自分の事を本当に親身になって考えてくれる人が、さとりん様と同じ事を昨夜説いてくれました。

瞑想は危険だと言う彼の人に、今更ながら涙を流して感謝しています。

彼の人の言葉には、自分に対するとてつもない愛が溢れていた事に気付いたからです。

さとりん様のコメントから、その愛に気付けました。


自分の中での瞑想は、麻美様の【我神なり一体の状態】の感覚です。

在るがまま。

一所懸命。

いまここに立ち戻る為の手段が瞑想です。


色々な気付きを与えてくれたお二方、ありがとうございます!

ここに集うすべての人達、ありがとうございます!
Posted by peko at 2011年04月09日 08:09
その2でこの会話とか楽しすぎッスねー!☆

昨日は私の誕生日だったんです。
んで、マミー(母親)に3800グラムの頭がデカすぎ赤子を顔の血管がたくさん切れて内出血して顔が真っ黒くなるまで必死に産んでくれてありがとうって伝えるんだぞと意気込んでました。

でもいざ言おうとすると、これが照れ臭くなかなか言えなくて、23時になって「もうあとがねえぞ!しゃきっと言わんか!」と自分に勢いをつかせてマミーに伝えるました。

マミー「…うわぁ、あんたそんなこと初めて言ったねぇ」
とびっくりしておりました。

…うわぁってなによ(笑)

でもドキドキな経験だったなぁ☆
これもまたよしだ♪

20代最後の一年!
いろんな事が起きそうな感じがビシビシ伝わってくるけど、阿部さんもみんなもいるし、深刻にならずに全力で経験したり学んだりして楽しみます☆

全ての人が誰一人例外なく愛されてることを感じれますよーに。
Posted by ナナイロ at 2011年04月09日 08:29
不安の正体を突き止めろ。

信じているのは何だろうか。

人?教え?カテゴリー?

不安にさせているのは誰だろう。

やってきた人?反対する人?事態?

でも、僕らは一歩も自分を出てないよ。
Posted by ぷ~すけ at 2011年04月09日 09:07
〝神とは、僕たちのなかにある〟

まさに、ですね


いつ気づくか

ということですね


ありがとうございます
Posted by ponsun at 2011年04月09日 09:09
どうも昨日はお騒がせしました。

わたしの信仰遍歴はもう35年近くになります。

瞑想に付いてつい厳しく語ってしまったのは、

それ自体を否定しているからではなくて、

全につながる最終段階として瞑想は不可欠的ではあるのですが、

普段からの人間的努力、

たとえば思いやりや助け合いや奉仕、

また人の為にあえて犠牲になるとか、

やる時は懸命に努力するという過程が大前提になっていないと

虚無的で偏屈な人間になってしまうし、

そういう人を何百人と見てきたからです。

中には精神病院にお世話になっている人もかなりいます。

これはどうしてそうなるのかといえば、

前にも話したように、瞑想によってあの世の扉が開くからです。

脳波がアルファー波状態になってくると、

眉間にあるチャクラが瞬間的に開きます。

映像が時々浮かぶのはそのためです。

最初は昇天したような快楽体験すら感じます。

ところが覚せい剤と同じで、

薬をうつと同じように霊界の扉が開くようですが、

最初は昇天したような心地よさから始まるので止められなくなり、

しかもそれで終わらなくなってしまうのです。

というのは霊界の扉が開くと言うことは、

神の世界と悪魔の世界の両方の道が出来るということです。

そしてその人の品性に応じた霊が「類を友を呼ぶ」法則で寄ってくるので、

人間の基礎が出来ていない状態だと魔の餌食になってしまうわけです。

発狂する人も出てきます。


太古の昔から創造主は救いの方法を幾つか語っていて、

その中に瞑想は大事な要素として教えてくれているのですが、

その前に注意すべきこと、学ぶことがたくさんあるよということなのです。

それが無理ならやってはいけないということなのです。

その点過去の宗教人は、その過程をハショッて祈れば救われる、座れば救われる、戒めなんてどうでもいいみたいな安易な教義を語っていったために、宗教は地に落ちてしまったわけです。

それはたいした戒めもなければ、気楽でしょう。

しかしそんな姿勢ではまったく成長はしないというのです。

私が言っているのではなく創造主がそう語っているのです。

40年布教した釈迦ですら、

直接の弟子は百名ほどしかいなかった。

禅宗の開祖ダルマも、十数名いたかいないかです。そのダルマですら如来では無いです。

とにかく大変厳しかった。

宗教をマスターするということは、

ある意味神々の領域に入って行きますから、

それだけ自省と自己制御は大前提になるということなのです。

情欲に振り回されるなんて話にもなりません。


宗教は全て創造主から発しています。

人間はこうあれと秩序と規律を語っています。

今から五千年ほど前にインドに人間として誕生したこともあります。

そのときの様子を大聖者に霊視させ編集させて作らせたのが

バガヴァット・ギーターです。

聖者の経典です。世界中で翻訳されています。

あまたの聖者はそのはしくれを語っているに過ぎません。

西洋哲学書の全てを合わせても、この一冊には及びません。


今わたしはそのギーターを書いた聖者の下で学んでいます。

ヒンズー教ではブラフマー神と言われている方です。

創造主が最初に創造した聖霊です。

釈迦の前に現れた梵天でもあります。

ぜひ聖典の中の聖典と言われている「バガバッド・ギーター」を読んで見るといいです。

精神宇宙の広さが分かると思います。

神を目指す人は、謙虚にひたむきに追求して欲しいと思うのです。

すでに完成されているというのは本来の自己であるブラフマンとアートマンです。

しかし肉体を持っている人間は不完全そのものです。あのお釈迦さまですら、毎日自分を戒めていたそうです。

この辺の解釈を間違えると、不道徳が混在した宗教が生まれ、結果的に犠牲者を作り出していきます。
Posted by さとりん at 2011年04月09日 11:16
さとりんさんへ


「今わたしはそのギーターを書いた聖者の下で学んでいます。

ヒンズー教ではブラフマー神と言われている方です。

創造主が最初に創造した聖霊です。

釈迦の前に現れた梵天でもあります。」


本当ですか、それは本当にすごいですね!!


ぜひブラフマー神から教えを受けているさとりんさんと
阿部さんの公開討論を開催していただきたいです!!


さとりんさん、
ブラフマー神ってどんな姿をしているんでしょうか?
ブラフマー神ってどんな声をしているんでしょうか?

どうすればさとりんさんのように
ブラフマー神から教えを受けられるようになるのでしょうか?
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月09日 17:08
さとりんさんかぁ…こりゃまた凄い人が現れたね。
頭いっちゃってる奴か、それとも本物か…。
さぁ諸君はどう思う?
自分から振ったんだから、是非とも逃げずに阿部っちとの公開討論に臨んでもらいたいね。
Posted by ぱぱりん at 2011年04月09日 18:02
ぱぱりんさんも阿部さんとさとりんさんの公開討論を
望んでいるんですね!


公開討論会のタイトルは

「あべりんとさとりんの真理大討論会」

でどうでしょうか^^?


阿部さんが比叡山で悟りについて
禅僧たちから公開質疑応答を受けたように
さとりんさんにも阿部さんとの公開討論で
参加者たちから公開質疑応答も受けてもらいたいですね!
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月09日 18:40
さとりんさんて凄いんですね、この道35年ですか。

私の様な好奇心旺盛で熱しやすく冷めやすく、何事にも中途半端

で気が多い人間には到底真似は出来ませんね。恐れ入りました。

てっきり、比叡山延暦寺関係の方と思っていましたが、琉球王国

から発信されていたのですね。
Posted by マトリックス at 2011年04月09日 21:08
さとりんさんへ質問があります。


さとりんさんは

「神我一体にしろ、それは感覚としていつも経験しています。」

と主張しています。


これはさとりんが

「神と我(われ・自分)は一体であると、感覚としていつも体験しています」

ということですよね。


上記の主張をした後、さとりんさんは

「自分が神だとかなんだとか考えている人は頭が狂っています。」

と主張しています。



さとりんさんの

「自分が神だとかなんだとか考えている人は頭が狂っています。」

という主張が正しいとするなら

「神我一体にしろ、それは感覚としていつも経験しています。」

と主張しているさとりんさんは

「いつも頭が狂っている」

ということになるのでしょうか?


ご回答お願いします。
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月09日 21:59
さとりんさんへ質問です。


さとりんさんは

「瞑想はもうやってはいけない時代に入っています。

 誰が決めたか。創造主です。

 わたしはこのことについて創造主が最初に作った聖霊(梵天)から経緯を聞いているので分かります。」

と主張しています。


ぜひさとりんさんが創造主が最初に作った聖霊(梵天)から聞いた創造主が決めた

「瞑想はもうやってはいけない時代に入っています」

という経緯を詳しく教えていただけないでしょうか?


さとりんさんは

「瞑想は修業法としてもうやってはならない時代に入っています。それ以上のものが存在します。」

と主張しています。


瞑想以上の修業法とは何でしょうか?

詳しく教えていただけないでしょうか?


さとりんさんは

「仏教や瞑想や禅宗の限界がそこにあります。」

と主張しています。


さとりんさんは仏教や瞑想や禅宗の限界を超える方法を知っているのでしょうか?実践しているのでしょうか?



さとりんさんは

「神我一体にしろ、それは感覚としていつも経験しています。」

と主張しています。


そしてさとりんさんは

「わたしは神と一体だ!などと穿ったことは言いません。
 そんな愚かな修行者には創造主は姿を現さないです。」

とも主張しています。


この二つの相反する主張に整合性について
教えていただけないでしょうか?


さとりんさんは

「わたしも仏教、ヒンズー教、神道、ユダヤ教など
 神様の下で、一通り学んできましたが、
 神の世界をカリスマ的に語る資格はまるでありません。

 人に道を説くからには人の運命がかかっています。」

と主張しています。


阿部さんのこのブログは1日に2万5千アクセスもあります。

毎日非常に多くの人が読み影響を受けるこのブログでさとりんさんは

「瞑想はもうやってはいけない時代に入っています。

 誰が決めたか。創造主です。

 わたしはこのことについて創造主が最初に作った聖霊(梵天)から経緯を聞いているので分かります。」

と自らをカリスマ化し、
阿部さんやブログ読者を

「頭が狂っている」
「病院へ行った方がいい」

強く批判し、さとりんさん独自の道をすでに説いています。


つまりさとりんさんの主張は多くの人に読まれ
その人たちの運命に影響を与えていることになります。


このことに関してさとりんさんはどのようにお考えでしょうか?


阿部さんは比叡山の禅僧たちからの様々な真剣な質問に
真剣に答えています。


さとりんさんも上記の様々な真剣な質問に対して
真剣なご回答をしてくださることを望みます。
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月09日 22:58
天才と何とかは紙一重というように、本物と何とかもまた、紙一重なのかもしれぬ。
そういう意味で、さとりんさんには興味があるなぁ。
阿部りんとの対話の中でその真実が明らかになるような気がしませう。
まぁ、大層な聖者(霊?)の下で修行してるわりには、未だ悟っていないというのが気になるところだが。
Posted by ぱぱりん at 2011年04月09日 23:02
さとりんさんへ


わたしもぱぱりんさんと同感です。

さとりんさん、
ぜひ阿部さんと公開討論して真実を明らかにしてください!
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月10日 02:01
さとりんさん瞑想は諸悪の根源だ!みたいな事を吹聴しておいて

今度はするっと敵前逃亡するのですか?

何か支離滅裂ですね。言ってることが、沖縄の普天間基地であれだけ

あなたの住んでいる所で揉めたでしょう?

であのマニフェストをバ~ンと掲げたハトポポはどうなりました。

丸投げして何処へ逃げるのですか?
Posted by マトリックス at 2011年04月10日 14:31
マトリックスさん


もうさとりんさんのことは忘れましょう(苦笑)

さきほど新着記事「自灯明」のコメントで
さとりんさんに別れを告げておきました(^^)/~~~

さとりんさんに心の平安が訪れることを
祈りましょう^^

≪ 自灯明 ≫
http://abetoshiro.ti-da.net/e3018862.html
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月10日 16:23
kaorin at 2011年04月09日 02:12 さま

こんばんは。
私も、ずっと、このHNで投稿してきたんですけど…。
いかがいたしましょうか???
Posted by kaorin at 2011年04月10日 19:13
ナナイロさんへ
だいぶ遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます。
大縄飛びの中に入る時のように今か今かとタイミングをはかっておりましたが、ようやくコメント欄の中にエイッと入ってみました。

kaorinさん、問いかけの最中にすみません。m(__)m
わたくしの最初の恥ずかしいコメントを拾っていただいたのありがたく思っております。(覚えていないかもしれませんが)

最後の20代、七色(ナナイロ)以上に日々を彩って下さい。

わたくしは40手前のいわゆるアラフォー女(古い)ですが誕生日は嬉しいもんです。
ナナイロさん、そして皆さまにとって平和な日々でありますように。
Posted by TAKA at 2011年04月11日 00:31
TAKAさんへ

わざわざお祝いの言葉ありがとうございます(*^-^*)
とても嬉しいです!!☆

ちゃーんと覚えていますよ(*´ -`)
実はあの時少し落ち込んでいて、面白いコメントに気分が軽くなって助けられたんですよ(≧o≦)
あの時はどうもありがとうごさいました。

ここにくるとたくさんのヒントとかと気づきとかと人間同士のあたたかさとかを、頂けるので本当に感謝しています。

TAKAさんにとっても平和な日々でありますよーに☆
Posted by ナナイロ at 2011年04月11日 01:34
ナナイロさん
わ〜、夜中にもかかわらずお返事ありがとうございます。
ほんとに、ここには「たくさんのヒント、気づき、人間同士のあたたかさ」ありますよね〜。
言葉の力ってすごいですね♪
ナナイロさんのお母様とのくだりを読んで、スキマスイッチの曲「ガラナ」を思い出しました。男子の告白の前っぽい歌ですが、お母様に感謝の気持ちをおっしゃる前の心境とちょっと似てるかなと思いまして。(違うかな(^^;)
良かったら聴いてみて下さい。
今日もお仕事頑張ってください!!
Posted by TAKA at 2011年04月11日 06:54
TAKAさんへ

私「ガラナ」大好きなんです!!
そうですね、私もあの歌と心境が似てるとおもいます(笑)

応援ありがとうございます(*^_^*)
TAKAさんLOVE(*´∀`*)
Posted by ナナイロ at 2011年04月11日 07:15
TAKAさんへ

TAKA…と4文字打った記憶が、うっすらあります。
コメントはよく憶えてないです。 きっと、しょーもないコメでもしたんでしょう。
すんまそん^^; ありがとうございます。^^
Posted by kaorin at 2011年04月11日 20:46
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。