2011年01月08日

ゾルバ・ザ・ブッダ

「いまここ流・金儲け講座」に関しては、書きたいことが山ほどありますが、あまり先に進みすぎても、単なる読み物に終わってしまうような気がします。

単に情報として読むだけではなく、実際に自分自身のこととして、ここで指摘したポイントを検証してもらえたら、少しは人生の役に立ててもらえると思っています。


たとえば数日前に書いた、お金や、お金儲け、お金持ちなどに対する自分の内なる会話。

これなども、あるがままに自分を見ることができたら、多くの発見があるかと思います。

自分の意識が現実を作っているのは紛れもない事実で、経済的な豊かさを求めながら、それに反する観念が内側にあれば、せっかくの思いも相殺してしまいます。

時間があるときに、何度でも心の内側を見つめ、役に立たない観念を手放していってください。


だからと言って、何がなんでも豊かさを追求することがいいとも思いません。

それ以上に、精神的な深みを達成することは遥かに大切です。



もう一度整理してみますが、ここで伝えたいことは、少なくとも一人の人間が、その人生を通して発見した事実です。

その中のうまくいっている事を分かち合いたいという思いから書いています。


いま僕は、あらゆる面において幸せを享受しています。

そしてそれは、誰でも可能だということを知っています。

だから分かち合いたいのです。




物心両面の豊かさと、さとりと呼ばれる大いなる気づきは密接な関係にあります。


言うまでもなく、お金を追求することがさとりに繋がるわけではありません。

でも気づきが深まれば、現実を自由に作り出し、幸せな人生を送ることは可能です。

その境地を阿羅漢(あらはん)と言います。


アセンションと呼ばれる意識変革の波は、多くの人を阿羅漢の境地に導くものだと感じています。

その基本的エネルギーは「愛」ですが、これなども文字にすると単なる概念になってしまいますね。



以前は精神的高みに達した人は、清く、貧しく、美しく生きると信じられていました。

清く、美しくはそのとおりですが、社会一般に言われているそれとは、ちょっとニュアンスが違います。


ましてや貧しさを選ぶかどうかは、人それぞれのセンスであり、豊かさに何も悪いことはありません。

自分が豊かになることで、誰かが貧しくなるわけではないからです。

豊かさは無限にあるのです。



僕自身は「愛ある遊び人」でいようと思っています。


「ゾルバ・ザ・ブッダ」そして「衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)」が、僕の人生の基本になっています。



聞きなれないこれらの言葉の背景にあるのが、大いなる気づきです。



あなた自身が、豊かに生きたいという願いを純化することで、それに必要なことを学び、実際に豊かさを手にしながら、気づきを深めてもらえたらというのが、このシリーズの目的です。


取り留めのない文章になってしまいましたが、心のままに書いてみました。

わかったような口調で、生意気な表現になってしまったことをお詫びします。





勝手な都合ですが、お付き合いを。

ゾルバ・ザ・ブッダ   ゾルバ・ザ・ブッダ




Posted by Toshiro Abe at 10:58│Comments(57)
この記事へのコメント
こんにちは。

いつもお付き合いさせて頂いております。(笑)

これからの展開を楽しみにしている一人です。

でも、内に何度も問いかけてみることが大事なんですね。

やってみます。

今日もありがとうございました。
Posted by 方位鑑定士 at 2011年01月08日 11:07
有難うございます。

阿部さんの伝えたい事、凄く良く分かります。

他人の豊かさに対する妬みが、

自分で自分の可能性を消していました。

やってみます。
Posted by 匿名 at 2011年01月08日 11:16
おはようございます^^

>そしてそれは、誰でも可能だということを知っています。

すご! うわぁ~説得力ありますね~(^^♪
もっと自由になりたいって思っているので
まだまだ沢山の観念がわたしにあると思います。
わぁ~、これからももっと楽しみ。
チャンスがやってきた☆

☆きょうもありがとう☆ございます☆
Posted by とまとま at 2011年01月08日 11:17
幸せって多面的だなぁ(*^_^*)♪
Posted by ホクレ at 2011年01月08日 11:17
阿部さん

あたたかいです。
届けられる波動はとっても心地よい♪

ありがとうございます。

本日のライブ
楽しいひと時となりますように。
Posted by 麻美 at 2011年01月08日 11:17
お金の話のように、本当に自分にとって必要な物ってなんだろう。

余計なものを除いて行く。

あるがままってなんだろう。

苦しみってそれを教えてくれるような気がします。

これは私だろうか?いつも問いかけてますね。
Posted by ぷ~すけ at 2011年01月08日 11:18
こんにちは 阿部さん

毎日 そうなんだぁ そうだねぇと一人で呟きながら 読ませて頂いております
自分の身近な人に 阿部さんのブログ読んでみてと 広報活動中です

これからも阿部さんのお話を 自分だったらと引き寄せて 考えていこうと思っています

また 阿部さんに会いにいまここ塾に参加させてもらいます
毎日有難うございます
Posted by みーこ母 at 2011年01月08日 11:19
おととしは、手元に自由になるお金があって、といっても大した額じゃ決してなかったのですが、割合と、好き放題に出来ました。

ところが去年は、一転してかつかつの生活を経験しました。
食べるのに不自由するほどではなかったですが、ギリギリに近い時期もありました。

この流れを見てると、お金について、両極端を経験させてもらったようですね。
さて、今年はというところですね。

お金は結構だと思うのですが
「もっと楽がしたい」と「もっといい思いがしたい」とか、その為の道具に簡単になっちゃいますよね。
で、数字で計れるもんだから、収入額をつい他人様と比較してしまう。
なんと難儀なものか。
これは、やっぱり勉強が必要ですね。
Posted by おおつか at 2011年01月08日 11:27
>基本的エネルギーは「愛」
今朝瞑想しながら久しぶりに涙が次から次と...。
阿部さんの心にすこしだけ触れたような気がしたからです。
ありがたいな。ほんとうに。
自我が少しずつはがれていく、こだわりがなくなくっていく、私なんてはじめから
いないし、続いてもいかない...。
ありのままの「私」。
涙がとまりません...
ありがとうございました。 こんな言葉しか言えないことにはがゆい思いです。
Posted by Un at 2011年01月08日 11:27
おはようございます。
私も阿部さんと分かち合いたい(分かち合われたい?)から ここ にいます(笑)
美味しいものを誰かと一緒に食べるとより美味しい〜みたいな(笑)←いつも妙ですみません ( ̄▽ ̄;A
うまく書けませんが(爆)
私も 愛ある遊び人 でいよう〜(笑)
いつもありがとうございます(笑)
Posted by うめ at 2011年01月08日 11:27
あべっち、こんにちは。


「愛ある遊び人」っていいなぁ。


と思いました。

(変な意味じゃなく(笑))
 ↑ぼくだけか?
Posted by ss at 2011年01月08日 11:41
おはようございます。
昨日、今日のコメント感動しています。
もう、そのとうりです。
 ですが、後半歩足りません。
コツコツと阿部さんのコメント、あらゆる人々の
精神論を読みフタを開けたいとおもいます。
でも、幸せです。
ところで、え〇〇ってこの世の大事な意味が
あるのですね。魂同士ではエク〇〇〇ーが
得ることは出来ない感じですものね。
エク〇〇〇ーのエネルギーってどんな役割なのかな?
Posted by カコ at 2011年01月08日 11:47
愛ある遊び人・・・いずれ成ります。

いつでもゾルバであろう、ブッダであろうと思います。

ワクワクです。幸せです。

アベッチの波動、感じます。ありがとう!

すべてに感謝!
Posted by hiro-k at 2011年01月08日 11:47
おおつかさん
おととしの自由に使えるお金を貯金しておいたら、今も引き続き小金持ちでしたね(爆
わたしも極楽とんぼがいいな~ 愛ある遊び人♪ いろんな意味で。
Posted by ドゥービー at 2011年01月08日 11:52
不況といっても日本では飢えで死ぬ人はまれです。世界には200近くの国があります。中国に追われていますが、日本は世界で2,3番目の経済大国です。日本にいるという事だけでも、豊かなチャンスに恵まれています。皆が豊かになれる可能性の高い国に、住んでいる事に感謝します。
Posted by にぶやー at 2011年01月08日 11:58
ん~難しい。おっしゃってる事は よくわかります。家計上どんなに妻がお金について阿部さんのおっしゃっる通り実践しても、夫が家計省みず使い放題なら どう対処していいのかわかりません。現に私が独身の頃は計画的に貯蓄や支払いもできました。夫と話し合いもしました。考え直してくれると信じ、ずっと静観しました。結局変わりません。それでも私がこの現実を作ってるならば 夫の行為は私に責任があるのですか? 恥ずかしながら どうしたらいいのか混乱しています。
Posted by YM at 2011年01月08日 12:03
ありがとうございます○
Posted by フェンネル at 2011年01月08日 12:16
阿部さんはじめまして。

前にソローの『森の生活』を読んだとき「豊かな人たちの生活そのものが貧困を生み出している」と書かれていて、確かにそうかも、と思って清貧こそ正しい姿だ、なんて思い込んでいました。

フランスでお寺にご厄介になったときも「わたしは他人からも動物からも鉱物からも搾取しない生き方をします云々」とかいうことが幾つか書かれたプリントを戴いて、実際何からも搾取しないって可能なのかな?なんて思ったり…

みんなが豊かになる方法、とても興味があります。今のわたしには分からないのでブログの更新を心待にしています。東京でのいまここ塾にも申し込みしました。宜しくお願いします。
Posted by choucho at 2011年01月08日 12:17
愛ある遊び人
面白いですね。

執着しないことが自分には この世が天国だと感じる素です。
Posted by 水 at 2011年01月08日 12:25
阿部さん
こんにちは!

衆生所遊楽…

m(_ _)m
Posted by つね at 2011年01月08日 12:28
 ゾルバをジルバと読み間違えてブッダがジルバを踊っている様子を想像してしまいました。(ゾルバ・ザ・ブッダを知らなかったのです)
 せっかくだから、私はそのまま、ジルバ・ザ・ブッダを目指します。
 焦らず、ボチボチやってみます。


 
Posted by ぐるくん at 2011年01月08日 12:38
ΩexactlyΩ
安部さん、支持しま~す♪
貴方のブログを読むと、
私、
幸せ―!
\(^ー^)/
アセンションは
皆の中で
起こるのてすね(^O^)

私達、ひとり、ひとりの
意識の変化、
波動、波長が高まる
事で、
アセンションは
達成されるのてすね…(^-^)

貴方は貴方の
バイブレーションで
凝り固まった、
私達の魂を、

永い眠りから
揺り起こす作業を
なさっている…o(^-^)o

皆でお互いを
インスパイアし合って
今の幸せを
享受した~い♪

だって

今、幸せでなければ、
明日の幸せなんて

あり得ないのですから…(^O^)
ね…?

安部さん♪

大好き*V(^-^)V
Posted by 莉李玉蓮 at 2011年01月08日 12:44
あべちん皆々様こんにちは!
お金のエネルギーってやっぱり凄い大きいですね。色んなもの(抵抗や感情)が沸いて出てきます(笑)
この際なので抵抗せずあるがままで見ていきます。
毎日こんなに大きなエネルギー、お金と関わっていたはずなのに関わって(見ていない)なかったんだなぁとか。

お金のパワフルさにビックリしてます。。。
引き続き自分の観念と向き合います。
私も愛ある遊び人を無限なく楽しみたい♪♪♪
Posted by キュン at 2011年01月08日 13:00
最近のお金の話で、自分がどれだけ、お金持ちを嫉んでいたかをわかりました。望んでも叶わないはずですよね…(笑)
かなり、楽になったのは言うまでもありません。
これから、自分の可能性を楽しみに、いろんな意識の禊ぎをします!
あべさん、いつもありがとうございます☆
Posted by まる at 2011年01月08日 13:26
愛が概念になる瞬間わたしはがっかりします。だからできるだけ愛ということばを他の言い方で表したくなります、でもやっぱり私がそれを与える瞬間が一番しあわせかも いつもにこにこそれをあたえていたいです。あべさんいつもそれをありがとう。そしてそれをあやえてるときわたしは無我になります。
Posted by 冨士子 at 2011年01月08日 14:07
阿部さん、こんちくわ


おかげサマーできびきび動いておりますですよ♪
(こう見えても?へんてこりんな体調不良があったので)


阿部さん、
いやらしい意味でとらないでくださいね。

私、こう見えても?
玉の輿運があるみたいだけど、
正直、それに甘んじているところもあったのですが、

うちの叔母は、お金だけのために、資産家のところに嫁いで行って、
ひどいことになってます。波長が違うもんだから、仕方ありませんが。
さんざんいい暮らしを提供してもらってるくせに、
未婚の私に、結婚はするものじゃないよ、ばかり言うんです。


へんなこと言うようですが、たとえ、男性が女性を守る立場であっても、私はそれすらもキュークツと感じるのです。。


私の好きなひとは、あえて放ったらかしにしてくれてるかも知れませんし。


ひとりで立てない者同士がふたりでもたれるのと、

ひとりで立てる者同士がふたりで寄り添うのとでは、
えらい違いです。


そんなところです。。。



毎回ずれまくって申し訳ないです
Posted by “ m ” at 2011年01月08日 14:33
「愛ある遊び人」にグッときました。
私の目指しているものはこれだー!
相方と一緒にいて辛いのはなんでかなー?と思っていましたが、彼は愛もなければ遊び人にもなれないからでした。今年はごの関係を前向きになんとかします!
それでないとアラフォーなのに一生S◎Xレス(裸足ではない)になりそうなんです…

 
Posted by くり at 2011年01月08日 15:27
内観して見つけたお金の観念、ここに載せてもいいですか?

誰かの役に立つかもと思って…
Posted by 笹岡 at 2011年01月08日 15:37
わたしもゾルバ・ザ・ブッダって言葉初めて知ったですわー
調べてみてびつくり、丁度直前までうにうにと考えていたことにリンク。

何考えてたかというと、
「どんどん自我という膜がはがれて薄くなっていって、
 宇宙そのものにどんどん意識が一体化していって、
 それでも、自我という経験は宇宙も望んでいることで、
 自我を手放すことと、同時に自我を経験していくことは、
 実は表裏一体以上の、同じ宇宙の望みそのものじゃん」
みたいな感じ、かなぁ……即席で言葉にしたからまとまりきれてないですが。

「真理と情熱」、これが今の自分を突き動かす二本の柱。
Posted by せらつか at 2011年01月08日 16:26
「お金が欲しい」と思っている人は多いようですが、本当に欲しいと
思っている人は実は1パーセントもいないと思います。

ほとんどの人はお金が欲しいのではなく、バッグや車、家、サービス等
お金で買えるモノが欲しいと思っています。
さらに言えば、実はお金で買えるモノさえも本当に欲しいとは思っていません。

何が欲しいのかというと、お金で買えるモノを手にする事によって得られる
「気持ちの変化」です。

ほとんどの人は、その「気持ちの変化」を得るためにはモノを手に
入れる必要があると考え、手に入れるためにはお金が必要だと信じています。

ですが、本当に欲しいのは「気持ちの変化」です。

だとすれば、「望んでいる気持ちの変化」さえ得られれば満足でき、
お金に縛られる事も無くなるのではないでしょうか。
Posted by 和也 at 2011年01月08日 16:36
今晩、阿部さんのライブに初めて参加します。楽しみです。(^_^)v
Posted by ningenjuku at 2011年01月08日 17:32
うん。くりさん、前向きになんとかしろっ  今生一度っきりだ。
Posted by 銀魂 at 2011年01月08日 18:01
阿部さん せんぱいのみなさん こんばんは(^-^)

 いつも わたしを 遊ばせてくれて
 ありがとうございます。

 お金のエネルギーって強いんですね。
 いろんな方の いろんな思念が いろとりどり!

 お金からみたら たのしい旅行を しているのでしょうね。
 
 紙や金属になったり、財布(袋)に入ったり…
 電子情報で0や1になったり、手渡されたり、放り投げられたり…
 怨まれたり、大切にされたり…

 目に見えたり見えなかったり 何か出てきたり失ったり
 そのものは あるようでなかったり
 意識上にしかないのに…

 んんんん…?
 
 なんだか 似てきたぞ…

 そうそう!わたしたち!

 お金も人も「同じ」もの♪♪

 一緒に『遊んで』いるんですね(^-^) 
Posted by 理空 at 2011年01月08日 18:26
あべさんへ☆
質問に答えて下さってありがとうございますー。前から気になっていたことで、すっきりしました(*^o^*)

あべさんの日々のメッセージを無駄にしないように、本当の幸せを自分の中に見いだせるようにしたいです。
今後もたくさん遊びにきますね(*^o^*)
Posted by さかな at 2011年01月08日 18:29
「ゾルバ ザ ブッダ」30年ほど前にこの言葉に触れ、ゾルバなる人物に興味を惹かれた僕はさっそくカザンザキス著『その男 ゾルバ』を読んだ。

強烈に、情熱的に「いまここ」の生を生きてる野放図とも言える男が主人公だ。

著者は、実際に小説のモデルとなる人物に出逢って非常にインスパイアされたようだ。

また、ずいぶん昔に映画化(白黒映画)され、このビデオも僕のライブラリーのひとつだ。

アンソニー・クイーン演ずるゾルバ、とてもはまり役で見事にゾルバを演じている。

ゾルバ的人物が悟ったら、どんなブッダになるだろう。

達磨、布袋さん、一休禅師……あくの強い人たちだ。
Posted by ナラヤナ at 2011年01月08日 19:32
そそ、そうなんですけどね。
「アリとキリギリス」そのまんまです。

どんどんと、手元にお金が流れてくるうちは、これを貯蓄しとこうとか、あんまり思わないんですよね。
それと、負け惜しみを言うようですが、アレは自由なお金を自分が持ったら、一体どういうことになるのか、それを試してみたような気がするのですよ。

そういう気前の良い体験を、それまでしたことが無かったですからね。
体験してみたら、たしかに快適でした。

しかし、当たり前のことですが、お金は使った分だけ確実に減る。
いずれは、お金の供給が止まる時が来る。
お金の流れに乗ったかのように、思っていたけれども、それを信じていたのは間違いでした。

一転して去年は苦しかったけれど、食べるのに困るほどではなかったし、やりたいことはやれていた。
となると、これも負け惜しみになりますが、昨年は貧乏をした、とも言い切れないと思います。

結局、手元の金額の大小では、豊かさは計れないようです。
自分が振り回されなくても済む金額と、使い道があってこそのお金ということですか。

今年は良い使い道を、先に求めることにしてみましょう。
Posted by おおつか at 2011年01月08日 20:09
とても抽象的な疑問かもしれませんが『役に立たない概念の手放し方』とは
どのようにすればいいのでしょうか?手放したい概念に注目すればするほど
それは大きく強く私の潜在意識にきざみこまれる気がして、つい見ないようにしてしまっています。そうして蓋をすることが欲しくない現実を引き寄せてしまうのでしょうか?それとも今の状況をあるがままに受け入れてしまうことこそ究極的な宇宙や神を信頼して生き方なのでしょうか。
定期的に欲しくない感情を味わうのは何故?
どうすれば二度と繰り替えさなくてもすむのか・・・
それが知りたくて。。。
Posted by 自由人 at 2011年01月08日 21:35
阿部さん、こんばんは


ただいま、テレビでガリレオ/容疑者Xの献身放送してすが、

フクヤマが阿部さんに見えますよ〜♪p(^-^)q
Posted by “ m ” at 2011年01月08日 22:17
こんばんは。
詰まっていたものが流れ出した気がします。
何とか抜け出せそうです。
阿部さん始めみなさんの、おかげです。
いつも本当にありがとうございます。
Posted by iruharu at 2011年01月08日 22:44
こんばんはー。
センパイ毎日ありがとうございます。

お金使ってて何が楽しいって、新しいエネルギーと出合うことです。日用品から洋服、芸術とか、旅行先とか。いつもより安く買えたっていうのも楽しいし。
自分の趣味を徹底的に知っていたり、買おうとしているこのエネルギーと自分のエネルギーは合うだろうか、どうだろうか、という視点でみれたら、お金を使うことは楽しいことになるのでは。
Posted by sai at 2011年01月08日 22:51
生意気な感じは、全然しません。

つらい思いもして、いまにいたった阿部さんが、皆にもどうにかして伝えたい、体感して欲しいと言う思いがひしひしと伝わってきます。

阿部さんが皆にも幸せになってもらいたいと、どう伝えようかともどかしく思っているように、私も頭ではわかるのに、腑に落ちる所までいかないのがなんとももどかしい です。
Posted by ぽん子 at 2011年01月08日 22:53
ゴータマ仏陀が光明を得る以前のシッダルタ王子の頃は、彼の右に出る者はいないほど享楽をほしいままにしていたようだ。

夏は涼しい土地の宮殿が、寒くなれば暖かい地方の宮殿。

国中から集められた選りすぐりの美女。

醜いもの、不快なものはことごとく排除された、飲めや唄えや踊れや楽しめの酒と女とバラの日々。

享楽の限りを尽くした時、シッダルタ王子でなくても、余程の間抜けでないかぎり、その不毛性を見抜くことになるのだろう。

王子はもう一方の極端である自虐的修行に走り、そこでも深い失望に見舞われ、すべての努力が落ちたそうだ。

翌朝、彼は死んでブッダが誕生した。

この伝でみるなら、ゾルバ的享楽の人生というのは幻想を幻想として洞察し、一刻もはやく卒業できるように欲望の火を燃やし尽くすことにその真意があるのだろうか?
Posted by ナラヤナ at 2011年01月08日 23:19
敏郎さん、みなさん、おこんばんは♪

愛溢れる吟遊詩人の敏郎さん。

本当にそうですね。

ひとつのことに執着してはいけない。
それは私たちの生きる道ではない。

このお金のことを通しても
「あっ、そうか」「なるほど。こう繋がっているのか」
と、気持ちの良いほどにさまざまなことが
どんどんと繋がってゆきます。

ありがとうございます。^^
Posted by Luna at 2011年01月08日 23:23
すごくいいと思いました。
情報を求めていた自分を発見し、
そっか、情報ではなくて動く事、生きる事が
大事なんだって、また思いました。
Posted by momo at 2011年01月09日 00:33
先ほど阿部さんのライブから帰ってきたところです。イヤハヤなんともでした。8時過ぎに始まったライブが終わったのが0時10分。それも行ってみて分かったのが、阿部フアミリイライブでした。奥さんの智子さんですか? あの細身の体でよくまああれ程の声量且つ歌唱力。驚嘆です。長男も一緒に歌っている様子が実に阿部お父さんが幸せそうで、見ていて微笑ましかったです。

沖縄に来られて10年目の節目のライヴに参加できたのはほんとにラッキーでした。私にとって何十年振りのライブだったでしょうか。ありがとうございました。
Posted by ningenjuku at 2011年01月09日 01:26
“豊かさは無限にある”

これがこの世界の、この宇宙のありよう
なのでしょうね

誰もがこの事実に気づくときが来るのでしょうね

ありがとうございます
Posted by ponsun at 2011年01月09日 03:53
>YMさん
毎日のやりくりお疲れ様です(*^_^*)偉そうに助言できるような立場ではないですが(汗)、同じ経験があるので参考になれば…。もう既に試されたかもしれませんし、あくまでも私の場合ですが、夫に家計を任せることにし、夫が1万円遊んだら「じゃ私も1万円使っていいよね♪」というくらいの気楽さを身に付けました。私は、旦那様の無駄遣いは旦那様の責任だと思います。本来なら旦那様がそのツケを払うべきですが、YMさんがやりくり上手なので積極的にその責任を背負ってあげている状態なのではないかと思います。しっかり者が側にいると、自分は考えなくても何とかしてくれるだろうと責任感が薄れがちです。そういう意味ではYMさんが招いた結果とも言えるのかもしれません。「家計は妻の責任」「しっかり者が家計管理するべき」「我慢して夫を支える妻が良い」といった一般的な価値観が必ずしも上手く行くわけではありませんし、「夫に任せたら家計が崩壊する」という不安も真実とは限りません。あくまでも私の場合はですので、逆に事態が悪化する家庭もあると思いますが、このような思い込みを手放して楽になりました。YMさんの幸せをお祈りしています^^
Posted by めこ at 2011年01月09日 09:40
お金はもちろん必要ですが、日本人は特に「お金に対する罪悪感」が固定観念として刷り込まれていると感じます。
これが無くならない限り、経済的な豊かさ、自由は得られないと思います。

一例は、「政治と金」に対する国民&マスコミの異常ともいえる反応ですね。^^
Posted by 近藤 at 2011年01月09日 11:08
こんな事を言っては、たいへんおこがましいのですが・・・・・

わたし達が愛と聞くと、どうしてもそれは好き嫌いという二元性の中の愛欲と捉えてしまいます。
その感覚は、私はこの人が好き或るいはあの人は嫌い、というふうにあくまで私が基底にあるのだと思われます。

でも、愛の本質とはおそらく・・・・・、
常に未来や過去という精神時間の横軸へと流れ漏れる私達の心が今ここに留まる時、行き場の失った私達のエネルギーは縦軸という精神的な永遠の時の中に燃え上がり、わたし達の心に永遠の今という感覚が形成されるのだと思われます。
そして、そこに次々と充満されてくる心のエネルギーによって私達の心が満たされる時、そこにはただ歓喜というような一元的な感覚が充満するのではないでしょうか。
そしてその充満したエネルギーは外へと溢れ出し、まわりに在る全てのものに喜びを注ぎ込もうとするのではないでしょうか。
その歓気こそが愛そのもののような気がするのですが!?

また、愛を作り出そうとするのは自我の計らいであり、ただ私と言う観念が取り払われた時にこそ、それは必然的にやってくるのだと思われます(汗)

またまたお叱りでも受けそうな・・・^^;
まことに至らぬお笑いでした、スイマセン(>_<)
Posted by おわら at 2011年01月09日 11:46
>おわらさん

いろいろと考察するのは楽しいですよね。

私はこの世界すべてが愛から生まれていると
思っています。
すべてが愛から生まれていますが、世の中には
良い事と悪い事が起きています。
同じ愛なのに何故真逆の事が起きるのだろう?と
疑問に思いました。
ずっと考えて出た答えがあります。
それは自分というものの捉え方でした。
自分が個別のものだと考えると愛する自分を守るため
自分優先の行動を取ってしまいます。
当然他人と自分では優先順位が違うため、
他人から見たら迷惑、悪い事になることがありますね。

ですが、自分と周りは1つなんだ、すべては
自分自身なんだ、と気が付いたら自分を守る必要が
無くなりました。
簡単に言うと、道徳的な生き方をするのが正解で
損することもないんだ、ということに気が付きました。

愛は自己というフィルターを通すことで、
良い事も悪い事も引き起こすということなんでしょうね。
Posted by 和也 at 2011年01月09日 12:30
和也さん仰る通りかもしれません。

『愛は自己というフィルターを通すことで、
良い事も悪い事も引き起こすということなんでしょうね』
まさにこの世の本質を突いているように思います。

タオの思想でみますと、自己というフィルターこそ陰陽五行の元となるものだと思われます。
自分(自我)から見て、蛇はノー(陰)でも別の人にはイエス(陽)かも知れません(笑)
そして、そこに自分の五行を見て取ることが出来れば、つまりその時突然の雨が降って来て自分を苦しめれば、水剋火で自分が今火の五行に在ると分かります。
でももし、その雨が真夏の暑さをしのいでくれる恵みの雨と感じるなら、そこに水生木が成立して自分が木の五行に変わります。
この世の全ては、水、木、火、土、金、の性質で出来ていて、それが一時も休まずにお互いを生剋しながら回っているとタオでは見ているようです。
それは、仏教で言う因縁果を生み出して人の運命に係わっているのだと思います。

だから運命を司る陰陽五行の基準は人の思い(自我)によって違ってきます。
でもそこに自我がなければ、陰陽五行は生じないはずだと思えてきます(汗)
ゆえにそこには運命を脱した創造の世界が開けてくるのだと思う次第です。



ただ俗的に見るなら、いつか詐欺にでも会いそうな突拍子の無い思想にも思えて来ます。
この狭間をどのように埋めたらよいのか、和也さんの思想は十分な考察に値するものだと思っています。

素晴らしい問題提唱、ありがとうございます<(_ _)>
Posted by おわら at 2011年01月09日 13:43
素粒子物理学で言えば、全てが繋がっている波動というのは理解できますが、量子に意識があるとすると、全てが繋がっているので一つの意識しかないことも理解できます。人間の脳が作る自我が自分だと思っているわけですが、そのため、分離した意識になるわけですが、死ぬと自我が無くなり、魂と呼ばれるエネルギーだけになります。そうすると波動に戻るので、境目がない世界になります。ここで疑問と矛盾が生まれます。大いなる一つの意識しか無いのは分かりますが、そうすると死ぬと自分の意識がなくなり、大いなる意識の一部なりもともと一つしかなかったら自分はなくなります。そうするとチャネリングなどで繋がるガイドやハイヤーセルフとか本当の自分というのは一つの意識の大いなる意識が自我に合わせて演じているだけになります。そうなのに、チャネリングでは、多くの意識が存在しています。そうすると意識はどういう単位で存在するかと言う疑問が存在します。物質になると固有の振動数を持っているので、その単位で波動がすなわち意識が存在すると、大いなる意識から生まれたときに分離し、固有振動周波数が生まれます。その後成長により、自我が脳により生まれます。死とは自我が無くなり、分離した人それぞれ異なる固有振動周波数の意識が残ります。そのため、大いなる一つの意識と多くの意識が存在する事は分かります。ここからは表現が難しいですが、多くの意識が境目無く存在すると言う事ですかね。量子の単位で意識があるとなると、人は多くの量子で出来ているので、多くの意識の塊になってしまいます。意識はどういう単位であるのかと言う正解は簡単には分かりそうもないですけど。
Posted by 蓮 at 2011年01月09日 14:14
死んだ後の世界というか、多次元というか、広義の意味でのあの世のことを調べないと分からないと思うのですが。

別の角度からのアプローチでしたら、正解というよりそれに関した別の理解が出来ると思われます。

でも自分、阿部さんではないのでご迷惑になりますかね^^;
Posted by おわら at 2011年01月09日 14:53
>おわらさん

お返事ありがとうございます。とても勉強になりました。
感謝します。

>運命を司る陰陽五行の基準は人の思い(自我)によって違ってきます。
>でもそこに自我がなければ、陰陽五行は生じないはずだと思えてきます(汗)
>ゆえにそこには運命を脱した創造の世界が開けてくるのだと思う次第です。
私はタオは全く知らないので的外れかもしれませんが、上記のことを
シンプルに捉えてみると、単純に「人が生まれ持ったそれぞれの個性」のような
気がします。

余談ですが、死んだ後の世界のことはおとぎ話位に捉えていれば良いと
思います。
真剣に考えるほどのことではないんですね。
いずれ皆死んだ時に、全員が漏れなく答えを知るのですから。
前世を知っても、来世を知っても今やることは一緒ですから。

死後の世界を追いかけすぎると「いまここに在る」から遠く離れてしまう気がします。
スピ系の気分を楽しみたいだけなら良いと思いますけどね(笑)
Posted by 和也 at 2011年01月09日 18:42
和也さん仰るとおりです。
自分も今までは、この世の生活こそ全てで死んだらそれまで、前世も来世も有るのかないのか。
知ってどうするみたいな気持ちで居ました。

でも、私達が遊びに高じるのも、知識を積み重ねるのも、より良い地位に野心を燃やすのも、そしてそのためにお金を儲けようとするのも、全ては底に渦巻く死の恐怖があるからだと思います。
全て無に帰すという死の恐怖に、私達はただうろたえるように身の回りを築くわけなのかも。
その暗く重苦しいやり切れない心の空虚を、それによって満たしているのだとも思われます。
死の恐怖は意識するしないに係わらず、それほどまでに私達の心に慣用しているのだと思う次第です。

それなら、この恐怖を取り去れば、それらの欲望も自然と無くなるのではないかと思われます。
そしておそらく、自己保存本能がエスカレートして生じた諸々の煩悩も、その居場所を失うのではないかと思うわけです。
ゆえに、死の恐怖が取り払われれば、私達の心も悟りへと近づくのではないかと期待しているのですが・・・!?

ではどうすれば、死の恐怖を取り除くことが出来るのかです。
悟れば永遠を得て死は退くのかも知れません。
では、悟らなければ死の克服は出来ない訳です。
それではどうしょうもないではないかと普通は思われます。
でも、もしそこに視点を変えた何かの方法があるとすれば、私達に素晴らしい未来が提供される事に成ります(笑)

ここで話すような内容でないことは確かです。
これ以上話せば、変人として扱われるかもデス^^;
おそらくもう知っておられる方も、大勢いるのかも知れないです。
知っていて単に書かないだけなのかも。
申し訳ありません。
どうしても知りたければ、フシケンで調べて見てください。
マニアックなブログが紹介されます。
人のことは言えないのですが(汗)
Posted by おわら at 2011年01月09日 23:34
こちらには大変ご迷惑お掛けいたしました<(_ _)>フカブカ
Posted by おわら at 2011年01月09日 23:37
すみません、やはり話すべきではなかったと思ってます。
来世に悟っても意味がないです。
今生において努力されている方達の足を引っ張った気がします。
おそらく読まれた方は既に行って来られたのだと思います。
興味のある内容だったかと思いますが、くだらないと思った方も居られるでしょう。

でも、実際に於いて自分が調べた訳ではないので、迷魂湯などという代物は誇大妄想かもしれません(汗)
どうか単なるジョークだと思って頂ければ幸いです。
不協和音をまき散らしてすみません(>_<)
Posted by おわら at 2011年01月10日 20:08
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