2009年05月28日

死という幻想

まだ始めたばかりですが、那覇市「てぃるる」の和室で、水曜の会をやっています。

これは囲炉裏を囲んでお話しするような気持ちで、みなさんからの質問に答えたり、テーマをもらって話をしたりする目的で始めたものです。


昨夜は二つのテーマをいただきました。

ひとつは「死」について。

もうひとつは「時間」についてです。


このふたつには共通点があります。

それは、両方ともに幻想であること、そしてこのふたつの幻想がその他のあらゆる幻想の元になっているということです。


死を幻想だと見抜くには、生死を超えた意識を体験するしかありません。

いつも言うように、僕たちは体験したものしか知り得ないからです。

本で読んだり、人から聞いたりしても、それは単なる知識であり、自分にとって仮説の域を出ません。


生死を超えた意識の体験は、同時に時間を超えた意識の体験でもあるので、このふたつの質問は、同じひとつの体験によって答えを得ることができます。

その意識には、いまでこそ頻繁に出入りすることができるようになり、自分にとってあたりまえの次元になりつつありますが、最初にその体験が訪れた時は、そのあまりの美しさと圧倒的な喜びに言葉を失いました。

そして、それまで学んできた宇宙の真理が、真実であったことをありありと体験しました。


それはインドやチベットの覚者の言葉だったり、聖書や経文の言葉だったり、ありとあらゆる真理の言葉達が洪水のように襲いかかってきて、いましている体験がまぎれもなく宇宙真理そのものであることを証明してくれました。

「あなたが到達したとき、私は証人になろう」というキリストの言葉の意味が、まさにこのことだったと思いました。


と同時に、僕自身もキリストや仏陀の証人になりました。

彼らの存在が真実であること、そして僕たちの存在も、彼らと同じ次元に、いつも「いまここ」にあることを知りました。

生まれることも死ぬこともなく、永遠の命によって生かされていることを。



死がリアルなものに見えるのは、僕たちが肉体と自己同化してしまったからです。

自分が肉体をはるかに超えた存在だということを知れば、死への恐怖は消えてなくなります。

僕たちは死なないからです。


死こそが最大の幻想です。


僕たちは永遠に「いまここ」に存在しています。

というよりは、僕たちこそが「いまここ」なのです。




今日の最後に一休禅師の歌を紹介します。

自らの死についての歌です。



死にはせね どこにも行かぬ ここにいる

尋ねはするな ものは言わぬぞ




死という神秘を、言葉で説明しても、聞いた本人がその次元を体験するまでは意味のないことなので、どんな言葉も不要だということです。

そして彼は死んでも「いまここ」にいることを宣言したのです。


ソクラテスも同じような言葉を残していますが、それはまた別の機会に紹介します。




今日もここに来てくれて、ありがとうございました。



・・・・・・・



7月「大阪いまここ塾」の詳細です。

参加ご希望の方はコチラから。



Posted by Toshiro Abe at 08:12│Comments(25)
この記事へのコメント
阿部さん 皆様

おはようございます。

私が「いまここ」を体験した時…

それは通勤時の歩道橋の下でした。
ふと何十年も昔のことを思い出したのです。
私が小学校1年生の時ですが、寄り道をして帰りが遅い私を心配して、歩道橋の下で祖母が立っていました。
今は亡き祖母のその姿を、同じ歩道橋の下でふと思い出したのです。

その時に、「祖母が私を心配してここに立っていたのと、いま私がここに立っているのは同じ今なんだ!!」…と、言葉に出来ない感覚にのまれていたのです。

大好きな祖母と一緒にいた頃も、今と同じ「いまここ」で一緒だったし、
亡くなって随分経った今も、私たちは同じ「いまここ」にいるのだと…

過去の命も、今の命も、未来の命も…全部いつもひとつの「いまここ」で一緒に在るのだと、身体全体で感覚を味わったのです。

その日は一日中、涙が止まりませんでした。亡くなった大好きな人たちとも、一瞬たりとも離れたことはなかったんだって、泣けて泣けて…

今朝の阿部さんのメッセージで、その感覚を思い出し…
また涙腺ゆるゆるです。

私たちは、いつも一緒に在る。永遠に…

最高の救いです。

感謝…
Posted by mellu at 2009年05月28日 08:48
おはようございます

今日は読んでただ笑えました(^o^)丿

関東は雨だけど風情のある朝です
Posted by わたし at 2009年05月28日 08:58
阿部敏郎様


今日のコメントは

物凄い幻想を作りそうですね。(笑)


全てのものが幸せでありますように


黒木元広 拝
Posted by 黒木元広 at 2009年05月28日 09:25
( ̄ー ̄)微笑
Posted by k-ji at 2009年05月28日 09:26
いつも有り難うございます。

死は幻想である、時間は幻である・という事が腑に落ちてくる為に

一体、私に何が出来るのだろう?

そう自問して、

自分の考えている事、自分の今感じている感情を

観察する実験をしてみました。そうすると、

考える・事をしない限り、

時間という概念は全く必要ないものだって事が分かってきました。

考えない分にはシンプルに今しかないから。また、

時間・という概念から距離を保てるようになってきたら、

自分の身体の内に

生まれる事や死ぬことのその全てを含む

全ての命の源が流れている感覚が

何となくですが感じられるようになってきています。

大きな大きな命のサイクルが感じられてきました。

この感覚が本当の私の命の在る場所なんだったら、

確かに生まれたり死んだりしたりするピンポイントな場所に

この命が存在していないのを感じます。

ですが、そしたら

・・・この源で感じる幸せ・って一体何だろう?って思います。

今まで幸せであろう、幸せになろう!という目的の為に

一生懸命頭を使って努力してきた訳ですが、

・・・・・なんか、今感じているここで生きたら、

幸せ・の定義が変わって来そう。

あー、阿部さんや皆様と話してみたい!!!
Posted by 黎(レイ) at 2009年05月28日 09:46
何かコメントしたいのですが、書き方が浮かばないですなら書かなきゃいいのだがナニか書きたい。
死なないから暇でなんかしようと思って死ぬてことにしとこうかてシャレでやりはじめた死ぬを暇なんでやり続けているうちに、、、て回転もまたいいもんですねwwおもしろい。こんな笑えるものってわたしは他に知らないのですが。いやしかしナニをかいていいかわからないので ナニをカクことにしよう。ナニを〜?(照)
オハニチバンハ♪
毎日ありがとうございます!
Posted by パイプイス at 2009年05月28日 10:11
おはようございます。

至高体験はないのですが、わたし達は死なない、ということは確信しています。

以前は、「わたし」の魂が、ある時はフランス人、そしてある時は中国人という風に何度も何度も輪廻し、カルマも追いかけてきて、死ぬ時の波動というか魂のレベルで、行く先が違う、と考えておりました。

けれど、最近は、
天上では同じ雲にいた雪が、ひとひらひとひら全く別の美しい結晶を持って地上に舞い降りてきて、また蒸発して、宇宙と一つになる・・・そんなイメージが湧いてきます。
alarm clockの影響でしょうか。

一休禅師の歌、好きです。
以前にブログで紹介された時に、手帳に書き写して持ち歩いていました。

雨が降っているのに、小鳥の囀りが聞こえます。冷たい空気が気持ちよく、死は、ありがたく、美しい、とすら思える朝です。
今日もありがとうございました。
Posted by よしこさん at 2009年05月28日 10:17
阿部様 ☆彡  おはようございます

今日のメッセージも理解がまだ出来ない私です

でも・・・それで良いですよね 何時か何時かきっと自分にも理解?解る時が
きっと来ると信じている今日です

このブログにコメントして下さる皆様方が頼もしく思えます(*^_^*)

死にはせぬ  どこにも行かぬ  ここにいる  尋ねはするな ものは言わぬぞ   何かが響きました  一瞬笑みをこぼしている自分にびっくり!


それなのに・・・


今日も酒を追い求めている、あいあいなのです。


今日の日にありがとう(^◇^)マーク  阿部様にありがとう(^◇^)
Posted by あいあい傘 at 2009年05月28日 11:00
阿部さん、こんにちは。
今日もすばらしいメッセージありがとうございます。
僕達が永遠の存在で死なないならば、死ぬことは怖くなくなりますね。
生死を越えたこのような体験はありませんが、知識ではなく、やはり体験しないと素晴らしさはわからないのでしょうね。
体験できることが楽しみです。
Posted by カズ at 2009年05月28日 11:19
時間も死も幻想。

肉体に同化しすぎている。

それを教えて頂いて、それに気づいていくこと。

今日もありがとうございます。
Posted by 方位鑑定士 at 2009年05月28日 11:23
死の恐怖というエネルギーはものすごいと思います。

もともとは一つの命ということを感じれば開放されますよね。
そんな感覚を持っているのですが、
ときに、体の調子が少し悪いだけで、
正直おろおろしてしまう自分がいます(^^ゞ
死んでしまったら・・子供たちは、仕事は、貯金は・・・・みたいな(笑)

なるようになると腹の底から渇を入れ、あとは神様におまかせします。
今日この体が死んでしまっても、それで最高なのかもしれません☆

すべてに感謝します。ありがとうございます。
Posted by toma^^toma at 2009年05月28日 11:30
CDを聞きました。

いやはや、ブログでは文字情報だけなので感情が伝わらないので(顔文字にも限度はあると思う……)、阿部さんの述べたことが時々チンプンカンプンになるんですが、声だと感情が伝わる。

語感が伝わるので「阿部さんの話」より、「阿部さんの語り」という感じでCDを聞いて何度も頷いてしまいました(無論、雲黒斎さんも)。


もっと良いのは直接「いまここ塾」へ行き、表情まで見るともっと伝わるのでしょう。


と、褒め言葉(?)は以上で腑に落ちない点が一つあります。

私は今、作家を目指しています。公募文学に投稿しては落選続きで、そのたびに落ち込みます。ですが、創作している時は凄い幸せなんですよ。特に完成した時は歓声になります。それは私小説ではなく、新聞・テレビでは報道されないものをテーマにして書き、それを多くの人にて知ってもらいたいんです。もう少し踏み込んで言えば、新聞・TVだけの情報に不満があるんです。


「現状は違うのに」「その情報は間違っている」「真実はこうだろう」etc.

義憤といえばカッコいいですが、事実(?)を知ってもらいたいんです。しかし誰でも発表できる「ブログ」では抵抗があるんです。ブログは自分主体で時々感情論になってしまいがち。本なら編集者がいて間違った箇所を指摘され、伝えたいことがうまく伝わります。

自身の経験ですが「あれが知りたい」と思って調べます。ネットの情報はカスカスで、本は血が通っていて凄く伝わります(チンプンカンプンもありますが)。だから私は作家を目指しています。

さらに作家という生き方は、伝えたいこ・知りたいことのアプローチ方法です。


で、落選続きの今の私は「不幸である」とは言いませんが「受賞すれば、今より幸せになれるのにな」と思ってます。負け犬の遠吠えですが最終選考に残ったこともあります。仮に受賞し、ベストセラーになり、自分が伝えたいこと広まれば私は「今より」幸せに感じるかもしれません。


阿部さんが時々述べる「あなたは今より幸せにならない」の言葉は、辛辣に感じます。そして私は歴史研究が好きで、「ハッ!」と真実に触れた時、分からなかった時と比べて幸せに感じます。歴史の謎が解決できて幸せに感じます。謎を推理している時は袋小路に入り、悶々とします。ですが、それが晴れると幸せに感じます。幸せを得られます。皆に知らせたくなります。


作家とい生き方は歴史研究のアプローチ方法でもあります。

作家に成ることを諦めれば、落選で気落ちすることもありません。歴史研究を諦めれば悶々とすることはありません。それとも、歴史も思い込み。織田信長やカエサルも思い込み。歴史研究は愚かなことなのか。


「比べてしまうから、不幸になるんだ」「現状に満足してないから、不幸と思うんだ」なのであれば、無人島暮らしを時々考えます。



うーむ。煩悩の耳垢が濃くて、勘違いしているのかな……。長文失礼しました。
Posted by ナガシマ at 2009年05月28日 14:14
阿部さ~ん、こんにちわ♪

てぃるるは遠いよ。。。 吉の浦のいまここ塾、続けてぇ おねがい~
↑(本土の方に叱られそうですが。。。)

えっと、死は幻想ってお話ね
死んだ事ないので良く解らないけど、死んでも無くならないって感覚はありますよ

って、言うより、毎日、生き返っているって言ったほうがいいかもね(笑


日々是好日♪   今日も良い一日でありますように ♪(=^오^=)
Posted by まねきねこ☆ at 2009年05月28日 14:18
あべさん、こんにちは。

今日の話とは関係ないんですけど、wikiで古宇利島を調べたら、興味深い沖縄の神話が紹介されてました。
http://jig111.mobile.ogk.yahoo.co.jp/fweb/0528zWLOSKUUHnOZ/0?_jig_=http%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%258F%25A4%25E5%25AE%2587%25E5%2588%25A9%25E5%25B3%25B6&_jig_keyword_=%83R%83E%83%8A%83W%83%7D%20wiki&_jig_done_=http%3A%2F%2Fsearch.mobile.yahoo

いつか、あべさんの言葉で解説して貰えたらうれしいです。

じゃ、また気が向いたらここに遊びにきます!
Posted by バイツー at 2009年05月28日 14:42
阿部パパ、皆さん、今日もありがとうございます((=゚ェ゚=))-o【ドコデモイマ】

「僕たちこそが「いまここ」なのです」

死なないなんてパパはサイボーグみたいだにゃあ。アベえもん♪
本日、東京は雨ですので、沢山の天使が地上に降り経ちました。
雨粒に名前を付けて遊んでましたが、どの天使も同じ顔でした。
私は「コップに入った雨水」のようなものなのかもしれませんね。
えりコップ、静香コップ、ロボコップ、色んな器に入っているけど、
入れ物が蒸発しても、私は死なない。いま、空を飛べるだけ(笑)

死にはせね。どこにも行かぬ。ここにいる。

尋ねはするな。水知らず。


((o(*゚▽゚*)/)) ヘンシ-ン (/▽\*)三\(▼皿▼)/T タケコプター!! 
Posted by えり at 2009年05月28日 15:41
身体は自分だという個のアイデンティティを温存強化、存続するために、死も時間もエゴにとっては不可欠な幻想だなと思いました。
その身体もやっぱり幻想で、生まれては時間の中で育ち、いずれ失う何かを追い求めては老いて死ぬ。このサイクルは自然の摂理だと見なされがちだけど、全ては分離を本当だと思い込む為のシステムに過ぎないと思っています。
だけどあるがままの本当の自分は、そんなエゴの夢とは何の関係もなく今もここで輝いていて、永遠の生命で在ることの平安と喜びを拡張しているんだと思う。

昨日暗闇の中で、車のライトに照らされて目の前に大きな木があったことに気が付いた時、そうか、真実も同じくいまここにあるんだろうなと思いました。
その時ふと、キリストの言葉を思い出しました。「天国は、こことかあそこを見ろといって見つかるものではない。既に広がっているのにあんた達には見えないのだ」

知覚してる事や教わった事を盲信していると見えにくくなるのでしょうね。満杯になった器を一度空にして学ぶ勇気と謙虚さが大事だなと思いました。

阿部さんはきっと瞑想の実践を通じて、皆さんに体験を促しているのかな。

僕は瞑想はどうも苦手なので、愛の実践を通じてこの夢から覚めようと思ってます(^-^;)
Posted by エス at 2009年05月28日 18:14
どんどん、存在に?信頼感が増していってます♪(о^∇^о)
Posted by 空飛ぶイルカ♪ at 2009年05月28日 18:43
阿部さん みなさん いつもありがとうございます。

私の愛して止まない草の花が^^今日もにこやかに微笑んでいました。^・^

時期が来れば枯れて種を落とし、また翌年、白や黄色、ブルーやピンク色の可憐な花を咲かせ見る人を和ませてくれます。

咲き終えた花は種や根として土の中で生き続け、また同じ場所、あるいは飛んだ先々で新しい芽を出し、生命の息吹を謳歌します。

私たち人の命も同じだと思います。

命のリレーが途絶える事無く続き、自然の循環と共に永遠に往き続けています。

全体的なバランスを崩さない様、微調整をしながら(されながら?)精一杯生きています。

全ては一つでした。植物も、動物も、鉱物も、微生物も、雨も、雪も、水も、空気も、海も、山も、大地も・・・・・・そして私たちの肉体や宇宙の星ぼし、生きとし生けるものすべて、森羅万象が一体となって「いまここ」に存在しています。

私たちはこの壮大な命の循環を体験しているのですね。

とてもとてもスケールの大きい存在に生かされ永遠に死は訪れることは無く、無限の命の「いまここ」が在るだけなのでしょうね。

まだ今の肉体の終宴を体験していないので、感覚的には何も分かりませんが、たんぽぽの様に無事「いまここ」に着地したいものです。


   今日もありがとうございました☆
Posted by 一草一花 at 2009年05月28日 19:17
時間も死も幻想!
阿部さん、以前にも書いてましたね
「死んでもなんにもおこらない、どこにゆくわけでもない」
私たちは、つねに<いまここにある存在>だってことを
幻想は、幻想としてみつめていたいものです
明晰なメッセージに感謝します^^
Posted by ym at 2009年05月28日 20:55
「死」について。

私は、10歳のころから 夜眠るときに 「死んだら自分が消えて無くなる」
という恐怖に苦しんできました。
怖くて、怖くて 自分でも訳が分からなくなり 「怖いよ。助けて。」と
起き上がり、数秒すると我に返り布団に戻って眠りました。

その発作(?)から逃げたくて 精神世界に興味を持ち、江原さんの本や
色んな本を読み漁り 少しずつ発作が起きる回数が減りました。

阿部さんや黒斎さんのブログに出会って、更に深い学びを獲ることができ
ましたが、まだ頭でしか理解できません。

最近 「死んだらどうなるの?」としょっちゅう聞いてくる娘に「心配しなくて
大丈夫だよ。」と答えていますが、 私と同じように「死」の恐怖を感じている
と思うと 胸が痛くなります。

生死を超えた意識の体験をしたら、娘にもちゃんと伝えられますよね。

私がずっと体験してきた 「死」=「無」 の恐怖は、今思うと恐怖でも何でも
ない事なんですよね。

あの発作は何だったのでしょう??
Posted by やもちん at 2009年05月28日 23:30
阿部さんこんばんは(^^)

まだ体験はしていないのですが、阿部さんや雲黒斎さんが仰ってることを読んでいるうちに

今まで難しいと思っていた全てが全部繋がりました

ありがとうございます
<(_ _*)>


あとは実際体験しなければ分からないことなのかも知れませんね


頭で理解出来たとして今ここで目覚めた夢を見ている可能性もあるんですから


自信がないというより、また自我に飲み込まれる事を繰り返すんだろうなって思いました


今ここで感じた嬉しさをいつも戻れるようにあとは瞑想もしてみようと思います

いつもしようと思いながらやってませんでした

実際にその世界を体験したいです

今は理解したというか受け入れたという段階でしょうか

とりあえず嬉しさでいっぱいで思わず笑ってしまいました(*^w^)


なぁーんだそういう事だったのねーって
Posted by ミリチャン☆♪ at 2009年05月29日 00:33
阿部さん、幸せになるにはどうしたらいいですか?
Posted by 柴山 at 2009年05月29日 01:27
阿部にぃ、皆さん、今回もありがとうございます☆ 左(・中・)右

阿部にぃも、一休禅師も、とっても素晴らしいです

なぜか、言いたいことが浮かんできません・・・
こ、こんな時間になっちゃった ( ̄▽ ̄;)


そうだ!こんな時は・・・
えりパンマン! たすけて~ ( ;□;)ノ
Posted by 静香 at 2009年05月29日 01:29
おはようございます。それらが幻想ならば、物凄い浪漫を感じました。自分の中で認められたら(完全に解ったなら)、何が変わるのかな、とフと思いました。解った時に答が出るのでしょう、きっと。
Posted by 吉乃 at 2009年05月29日 08:41
しあわせを 感じてわたしは ここにいる

誘いもするな どこにもいかぬ ・・・

しあわせだと言っているのに、目に見えるものでしかしあわせを判断できない人から見ると

目にみえないわたしのしあわせは、理解できないのでしょうね

逆に知りたいです

比較して勝つことの意味?

でも待てよ、わたしあなたより身長も体重も美貌も上かもよ・・・ハハハ

比較は阿部さんの歌だけにしてよ!!ってね(笑)

だからもう誘わないで下さい

わたしがしあわせだと言っているんだから、しあわせなんです

しあわせって比較できるものじゃない、み~んなおんなじなんだよね(^o^)丿

わかっちゃいるけど止(辞)められない♪はそれこそ歌だけにして

わかっていたら止(辞)めよう

苦しみや悩みや不幸の原因わかっているでしょ

1・2の3で手放してしまえ~ポイポイ

(意識のしっかりしている父が病床でオシッコができなくて、困っていた時1・2の3で思い切って出してみようって、号令をかけながらやったらできました。オシッコしたくてしたくてしょうがないのに、プライドとか色々なものが邪魔をしてできなかったんですね。でも、わたしに後押しされ一緒に声を出してやったらできました。オシッコと一緒にするのは不謹慎と思われるかもしれませんが、誰のことでもなく自分の身の上の事なのです。人の目なんか気にする事なんか何もありません。不幸の種を掴んでいる人は、阿部さんやみんなの後押しで、思い切って1・2の3で手放しましょう。そしてしあわせを連呼してみましょう。すばらしいサポーターがいっぱいいるじゃないですか(^。^)大丈夫ですよ)

かなりひとり言でしたm(__)mペコリがわたしはしあわせです
Posted by わたし at 2009年05月29日 14:31
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