2009年05月05日

虚無僧

どんな連休を過ごしていますか。

僕はあいかわらず、家でじっとしています(笑)


今日は、死んでしまった友人の誕生日だったなって、生きてた時は祝ってあげたこともないのに、そんなことを思い出しました。


人は死んだらどうなるのか。

禅の立場から言えば、それは死ぬ時にわかることで、いまは生きているんだからしっかり生きろとなるんだけど、それでもやっぱり興味ありますよね。


深い次元の話をすれば、死んでも何も変わりません。

だって死なないんだから。

それでも常にその次元にいられるわけじゃないし、自己という感覚を抱えた通常の僕らにとってはどんな経験になるのでしょう。


僕らは基本的には変化を避けようとします。

もちろんよりよき人生を望んでいるのですが、いまある環境や関係は失いたくないと思っている人が多いと思います。


でもそれはできない相談で、どんな出会いも別れがつきものだし、いま目の前の大切な人とも、いつか必ず別れの日が来るのです。

そのような物事の終わりは、一種の死を連想させると思います。

古くは学校の卒業から、あるいは長年携わってきた仕事を辞める時、恋人や親しかった人との関係が終わった時、財産や所有物を失った時、身体の一部が失われた時、もう二度と同じ経験ができないというやり切れない気持ちになります。


死はそれら全てを一気に奪い去っていくので、死に行く時の虚しさや寂しさは言葉を超えていることでしょう。

その中には、何より大切だった自分自身や、それが作り出した人生も含まれているので、死にたくないと考えるのは当然のことです。



でももう一歩踏み込んで、それら死と共に消えうせるもの全てが、自己同化していた幻想にすぎないと理解していたとしたら、話は変わってきます。

実際に、奪われるもの全ては、最初から自分のものではありませんでしたし、逆から見れば、何一つ失うものはありません。

さらには、物事の終わりは常に次の始まりにつながっていて、終わりと始まりは表裏一体だということを知れば、また違った経験になることでしょう。



僕たちが何かを失うことを恐れるのは、それがなくなった時に感じる、つかみどころのない虚無感があると思います。

しかしその虚無感は、もともとの僕たちの状態であり、敵ではありません。

その感覚と仲良くなれたら、もう怖いものはありませんね。




虚無僧になって、尺八でも吹いてみませんか。


虚無僧



Posted by Toshiro Abe at 10:40│Comments(18)
この記事へのコメント
子供の頃、虚無僧の格好を真似て
籠を頭からかぶって遊んでたら
おばあちゃんにひどく怒られたのを思い出しました(笑)

あの頃は、おばあちゃんが死んでこの世からいなくなる時の事を
毎夜想像しては泣いていました。
いざ亡くなったときの
あの虚しさや寂しさはなんとも言えず
泣きもせずボーっとしてましたっけ。。。

でもこうして今思うと
あのおばあちゃんも僕でありわたしたちだったんでしょうねぇ~。
って事は今もいつも一緒に繋がっているということかな?

優しかったおばあちゃんに尺八でも吹くかな。。。
プォ~~♪

今日もお仕事です。。。。行楽に行きてぇ~♪(笑)
Posted by k-ji at 2009年05月05日 11:03
無くした時の虚無感ですね。

実際には無いものなんですね。

失うものは無いという事を知ると、生き方が変わるんでしょうね。

今日もありがとうございます。
Posted by 方位鑑定士 at 2009年05月05日 11:32
連休中だと悟れそうな気がするんです。

仕事になるともうダメです。

『虚無感は、もともとの僕たちの状態』

そ、そうだったんですか・・・。
Posted by ゆーきー at 2009年05月05日 11:37
連休、同じく家でじっとしています(笑)

最近、特別性を見出していた相手に対して
教わりました 「誰もが本当は ただの人という」
そんな想いが少し根付いてきたようにも感じます。


虚無僧 いいですね。
いつでも心の内の静けさを、徳を楽しみ 
自然にままに従う 無心のままに・・・

敏郎さん ありがとうございます。
Posted by のいちご at 2009年05月05日 11:51
どんな出会いも別れがつきものだし、いま目の前の大切な人とも、いつか必ず別れの日が来るのです・・・

そうですね。
数日前に直面し そこから一歩踏めださなければいけないのをまだ踏めだせずにいます。
失うものは 何一つない・・・
受け入れてみよう・・・受け入れなければ自分自身が一番苦しいですから 
Posted by ふわりっぺ at 2009年05月05日 12:55
高速道路で、渋滞にはまりました(笑)。
GWは、お家でじっと、がいいかも!(^.^)b

虚無感。
10代、20代 いや、30代も 何かを追い求めてました。
求めても見つからない、と諦め、求めるのをやめたら 

新鮮な役割が、幾つも やってきました。
人生は わかりませんね(o‘∀‘o)。
しかも、このリアルに感じてる事も夢見だなんて!
おもしろ不思議で、愉快になってきました♪
Posted by 空飛ぶイルカ♪ at 2009年05月05日 14:13
阿部パパ、皆さん、今日もありがとうございます∩(´∀`)∩ワァイ♪

「虚無感」

今日のパパの笛で、小さい頃に読んだ「火の鳥」が閃きましたよ。
全知全能の神が登場するんですが、ニヒルで怠け者なんです(笑)
「何でもできる=何もできない」だから、猫みたいに鎮座していて、
全て自分で他に何もないから、愛で在っても「愛する」はできない。
だから、私たち人間は、息を引き取る際、過去の幻想を脱ぎ捨て、
口を揃えるのかもしれませんね。「もっと、愛しとけばよかった」と。

神する。愛する。Iする。私する?

今日もおやつ食べよう。

私は巨夢想(爆)


┳┳ ヽ(^▽^ゞ)オヤツオヤツ♪
Posted by えり at 2009年05月05日 14:17
虚無感...ここのところ自分に居座っている感覚です。

この感覚の前には、頭の理解、記憶、概念といった理性は、何の効力も持ちません。

空、ボイド、無になること...これらの言葉には理性が付いていけても、

虚しさ、虚無感という表現をとると、不思議と抵抗を覚えていました。

本来、同じものであるはずなのに...。


『虚無感は、もともとの僕たちの状態であり、敵ではありません』

この言葉に光を見た思いがします♪

今日も、ありがとうございます♪☆
Posted by maka at 2009年05月05日 14:59
今日のお話で、虚無感を、全く嫌いではない自分を発見しました。あの、心に風が吹くような感覚・・。いつもありがとうございます。
Posted by 一ファン at 2009年05月05日 15:33
ただ刻々と心は移り変わり…四季のようです

ここはひとつ、笛の音と共にわびさびを感じ入ってみませう♪
Posted by みら at 2009年05月05日 16:32
何かを築きあげることを人生の目的にしてきた人たちにとって、それを失うことは寂しい、虚しいものなのかもしれないですね。

でも捨てることを志している人にとっては、死は捨てることの最終仕上げ。
人間として生まれる前の自分に戻って大いなるものと同化していくことなのかもしれません。

何も持っていない軽さ、すべてをあるがままにおまかせする心地よさ、このままふわふわ舞っていたいと思います。

生きている間神の愛を体現すること、これさえできれば本望ですね☆
Posted by バンビ at 2009年05月05日 16:39
とても シンクロしていると感じました。  ナマステ

・・今朝は、其の青空の景色が現れる前に、私が是までの人生で、数え切れない程、他人に迷惑を被った出来事が、「 」の中に数字に拠って、損害として澤山並んで表わされて来た。其れは、私の人生が、他人に奪われる事で、成り立って来ている理・ことが示されているモノであった。
其して、其れが現れて来たのは、神の働きが、私の体験を支えて来た事を意味しているモノ・現象である。
・・・其の人生の間に、数え切れない程の苦しみを、此の人間社会に味わっているのである。だから、そんな私には、此の屋久島の大自然の景色である、青い空や、青い海がこころの支えと成って来たのである。
そんな、私の「青い海」と「青い空」が、今朝閉じられてしまったのである。
・・・其の意味を考えると、ようやく其の苦しみの現象世界を、見なくて良いトキが来たとの理・ことではないのだろうか。其れは、釈迦牟尼佛の謂う「此の世は 苦しみである」との心境を、理解した事に成るのかも知れない。
漢字の「亟・キョク・きわまり」の文字は、「檻+人+口+杖」の組み合わせで、字義は「檻に中に 人間を閉じ込めて 杖で打ち 答えを 速やかに出させる」との意味である。

其の意味を考えると、今朝のメッセージの映像は、私の人生が「人間は 何の為に存在するか」の答えを、出す役割であった事を示して来ているのではないだろうか。
老子の言葉には「嗇にしくはなし」と有り、其れは「天は 人間を育てて収穫する 唯それしかない」との意味である。其の、老子が使う「嗇・ショク」の文字の意味を考えると、今朝の私の意識は、其の答えを、掴んだ事を意味しているのかも知れないのである。・・・・
Posted by 礒 邉 自 適 at 2009年05月05日 18:55
虚無感は、正直感じたくないと思います。
けど、恐れているのは虚無感そのものではなく、虚無感に抵抗することによって生じる苦しみなのかもしれませんね。
元々所有とか「自分のもの」なんて幻想なんですよね。
虚無感を超えられれば、受け入れられればすごく自由になれる。軽くなれる気がします。

別れがなければ出会いもない。
終わりがなければ始まりもない。

マイナスなだけの出来事なんてないんでしょうね…。
Posted by けろきち at 2009年05月05日 22:55
阿部さん

こんばんわ・・・


今日の記事は驚きました・・

昨日寝る前に

「阿部さんへ質問してみようかな・・・

人は死んだらどうなるんですか?」

って・・・・水曜の会に出席して

直接尋ねてみようかな・・・・と

考えていたら 今日の記事は

それに対する返事のような記事になっており

「人間の意識はやはり繋がっているんだなぁ」

と改めて感じました。




今日の阿部さんの記事は理屈としては

とても納得がいき うんうんなるほど・・・・

とも思いますが・・・・・・・



私の心は相変わらず涙であふれています・・・・・

しかし現実に生きてる私の顔は笑顔です



もう泣きたくありません・・・・・泣くことさえ嫌です



悲しみの感情にどっぷりつかっていることが

とても疲れます・・・・・






すみません 私の事情を知らない人には

意味不明な文章ですね・・・・(笑)
Posted by ヴィ~ナス☆ at 2009年05月05日 23:30
阿部さん、皆さん ありがとうございます

もう怖いものはない私です(・◇・)
ピーヒャララ(←ちょっと違う?)

男の人は友達同士で誕生日を祝わないこと、多いですよね☆
男性のそういうとこ好きだったりします(^^)Chu!(←不気味)

夜になったら風邪が回復してきました
今日は、阿部さんの過去ログ読んでました

阿部さんって・・・


やっぱり素敵だなぁ
大好きですよ~\(*^▽^*)/

笑わせてもらったから元気になったのかも
阿部さん、本当にありがとう


連休…

じっとしたまま4日を過ごしました。

なんて贅沢な(笑)


明日はちゃんと動きます(・o・)ノ


虚無僧322号、菖蒲湯から愛を込めて…
Posted by 静香 at 2009年05月06日 00:56
あはは。。。(*^v^*)aぽりぽり。

『人は死んだらどうなるのか。

禅の立場から言えば、それは死ぬ時にわかることで、いまは生きているんだからしっかり生きろとなるんだけど、それでもやっぱり興味ありますよね。』





・・・うむぅーっ(;p=,=q)
アタシは、この時点で・・・・・・・・・・・・・笑。



『興味』かぁ。。。
随分と昔には・・・『人は、死んだらど~成るんだろねぇ。。。』って、答えの無い
問いを、してた気がします(;;=,=)


死ぬ直前・・・??
生きてる間のコトでさえ??笑
明日は、どうなるんだろ。ッて???考えもしない・・・。笑



『死』なんてのも・・・何時起こっても、可笑しくないと想うので・・・・その時??
感じるモノでしかない;;笑



今・・・頭抱える必要も無いって・・・・・・・・想うんで、





『興味』の対象外に成ってますかねぇ~。。。笑

『馬鹿は、死ななきゃ・・・直らない!』って、言われそう~ですが。ぷぷぷ

『こんな馬鹿は、死んでも直らないし・・・?
医者にも、科学者にも?総理大臣にも・・・・・・・・・・・誰にも、直せっこ無いな。。。。』って、開き直ってます(^m^*)¥

今日も、小鳥のさえずりと、青い空と白いモコモコな雲と、時折・・・雲の切れ間から注ぐ、朝陽。光と影・・・・・・窓から通り抜ける風が心地よく・・・瞬く間に眼の前で流れています。。。



さて、今日も生きてる様~です。笑



阿部さんも皆さんも、イイ~一日を☆
Posted by ☆なっちぃ~☆ at 2009年05月06日 08:51
こんばんは。
東京に移住しようと思っていますが、愛犬と家族や沖縄と別れ虚無感におそわれそうだなあと心配もしています。
しかし、虚無感は友達だったのだ。
そうか!
ありがとう!!あべさん!!
今、沖縄に住んでいても時々虚無感でいっぱいになります。友達って仕事って家族ってなんだろうなど。
すべて変化して前のおもかげを見つめている時が多いかもしれません。嘆いても何ももどってこないなあ。新しい出会いもあるし、今も素敵な友達に乾杯ーーー!!
友達はどこか尊敬できたり親しみやすかったり、たのしくなる冗談を知っている人、笑いのツボがいっしょ。いい友達が多くて嬉しい!!阿部さんやそうりょさんと知りあって嬉しいでーす。またねー。
Posted by いなぴー at 2009年05月06日 18:09
(^O蔓延する鬱は健康への道程ととらえてよいのですね!
Posted by テポドン羽田 at 2010年07月19日 22:24
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