2009年04月13日

いま以上 これ以上

「いま以上には幸せにならない」

このことについては、大きく分けて2つの意味があると思います。


ひとつは、僕たちの究極の姿は喜びそのものであり、それはいつも「いまここ」に存在しているので、それ以上も以下もなく、「いま」がすべてであり、したがっていま以上には幸せにならないというものです。


これは究極の自分を一瞥した者なら、誰一人否定しない真実です。

それくらい僕たちの本質は、想像をはるかに超えた喜びに満ち溢れています。

まさにいま、あなたも僕もそういう存在なのです。



たしかにこのことは真実ですが、だからといって、今の自分がそのような喜びに満たされているかといえば、正直そう言いきれる人は少ないのではないでしょうか。

いまの自分が苦しみを抱えているのに、自分の究極の姿は幸せだと言い聞かせても、一時の慰めにはなりますが、根本的な解決には至りません。



「いま以上には幸せにならない」

この言葉を、生身の自分という立場から捉えたら、どういう意味になるのでしょう。


実はみなさんから頂いたコメントの中にも、素晴らしい解答がいくつもあるのですが、あえて僕も書いてみます。



普段の僕たちは究極の喜びどころか、ありふれた喜びさえも瞬間的に味わえるだけで、他の時間は絶え間ない欲求不満にさらされています。 

心の中には、満たしても満たしても満たされない穴がポッカリ空いたまま、いつか幸せになれる日を夢見て生きているのです。

いま取りかかっている仕事が成就すれば、いまよりは幸せになるだろうと考えます。

もっとお金があれば、もっと自由になれれば幸せになれると思い、そんな日を夢見て今日一日を頑張っています。


でも真実は

「いま以上には幸せにならない」のです。


この言葉を深読みしないでください。

文字通り、「いま以上には幸せにならない」のです。


どこまでいっても何か足りないという気持ちは残りますし、理想の現実の日々の中でも喜怒哀楽があり、今は想像もできないような問題や困難が待っています。



僕たちの思考は、自分の人生がより望ましい方向に向かうようにと、ひっきりなしに動き回っています。

満たされない「いま」から逃れるために、理想の「いつか」に夢中になり、今日という日を明日のための助走にしてしまうのです。


しかし今日という日は、昔目指していた未来です。

性懲りもなく未来志向で生きてしまう傾向を、しっかりと自覚することが何より大切だと思います。


未来を持っている限り、僕たちは決して幸せにはなりません。

違う言い方をすれば、幸せではないから未来を持ち出すのです。



結論を言えば、僕たちが幸せではないのは、時間という幻想にハマっているからです。


自分を取り巻く状況が、この先どのように変化しようと、時間という幻想を持ち続ける限り、決していまよりも幸せになることはありません。

「いま」以外の「いつか」を求めている自分が、そこでも生きているのです。



「いま以上には幸せにならない」

このことを認めることは、魂にとって最高のプレゼントになります。

生き方が180度変わるきっかけにもなります。


頭で理解してわかったと思わないで、自分がいまも未来志向で生きている事実を自覚することが第一歩です。

そこに気づけば救済の可能性が出てきます。



時間という幻想からの解放。

それがいま、地球規模で起き始めている意識変革の根幹です。


したがって、アセンションとは、時間という幻想からの解放であり、苦しみからの解放という言い方もできます。



それは「あなた」の中で起きる変化であり、そのためにはあなた自身が「いま」を生きるということに、もっと自覚を持つことです。


変化の波を待つのではなく、自分自身が作り出していくのです。

そんな人が増えた時に、波が生じていきます



僕たち一人ひとりが、全体を担っています。






・・・・・・・・・・・




明日と来週の「いまここ塾」は、吉の浦会館がお休みのため、那覇市西町の「てぃるる」(866-9090)で19:30からの開催となります。

どなたでも自由に参加できます。


水曜の会も、同じく「てぃるる」で19:30からやっています。

こちらは、より身近な生活に役立つような話をさせてもらっています。




Posted by Toshiro Abe at 08:31│Comments(37)
この記事へのコメント
以下は、クリシュナムルティーの子どもたちに語る本に書かれていて、私は思考が止まないときに、そのページを読み返します。

「幸せは、そのために努力しているとき、来ないのです。ごく簡単に言いましたが、それが最大の秘密です。単純なわずかな言葉で言えるのです。しかし、私の言葉を聴いて、聴いたことばを反復するだけでは、幸せにはなれないでしょう。幸せは不思議です。求めていないときに来るからです。幸せになろうと努力していないとき、そこにはありのままの清らかさ、美しさから生まれた幸せが、意外にも神秘的にあるのです。しかし、そのためには、組織に入ったり、えらい人になろうとするのではなく、たいへんな理解が必要です。真理は到達できるものではありません。心と頭からすべての努力が除かれて、もはやえらい人になろうとしていないとき、真理は生じてきます。心がとても静かであり、起きているすべてのことを時を超えて聴いているときに、あるのです。」
Posted by まあるママ at 2009年04月13日 09:01
 
 阿部 敏郎 さま

 おはようございます 今日の阿部さんのブログは まるで 私の心の中を

 覗かれている ようでした。

 私もあれをしれば こうしれば がんばれば 幸せになれる なると思って

 試行錯誤ともがきながらやっても 一瞬は やったーって思っても

 どこかにぽっかり大穴が空いたようになります。

 今でもです。

 人間は生きている間は ずーッとそうなんでしょうかね

 そう思うと生きるって大変ですね。

 今私自身がいろんな事に 焦っているからでしょうかね

 なんか毎日が 疲れてきました。

 
Posted by こころん at 2009年04月13日 09:06
「いまここ」ということと中庸という書物の文に共通性を見いだします。

君子はその位に素して行い、ほかを願わず。
富貴に在りては富貴に素して行い、貧賎に在りては貧賎に素して行い、患難に在りては患難に素して行う。君子は入りて自得せざる無し。

古典ですのでしち難しい嫌いがありますが、これを見ると昔も今も変わらないなあ〜、って思います。
Posted by いくと at 2009年04月13日 09:32
確かにその通りですね。

常にいまここを感じられると

苦はなくなりますね。

自我が苦を作っても

直ぐにいまここに戻れますから

楽ですよね。


ところで、ちょっと話しは変わるかもしれませんが

私が自己嫌悪の世界にいたときに

抜け出す切っ掛けは

【自分はわがままだ】ということを

認めることでした。

それによって、他人のわがままにも少し

寛容になれる自分がいました。

そのことで、自分自身を許す、あるいは認める

という、愛の世界に戻ってきた気がいたします。


自分を責めても自我の言い訳を作っているだけで

何の役にも立たないですよね。

反って、周りとの関係を悪くし、自分が孤立しますよね。


自己嫌悪に悩まされている方の1つの参考になれば

幸いです。


皆様にとりまして今日1日が良い日でありますように


全てのものが幸せでありますように

黒木元広 拝
Posted by 黒木元広 at 2009年04月13日 09:34
わかったつもりでいましたが、相変わらずもっともっとと先の自分を要求していることに気がつきました。あーなりたいこーなりたいと。願望も目標も時間軸の中でのことなんですね。幻を追い求めていないで今をきちんと認めたいと思います。あー言いたいことがまとまらないもどかしさを感じています。
Posted by すみ子 at 2009年04月13日 09:38
毎日のメッセージ、感謝します!

過去と、いまと、未来の関係を簡単な数式にまとめてみました。

過去+未来=いまここ 

・・・・またすべってもーたかいな? (^^;)

昨日、生きることを手放そう(放棄ではなく)と思ったら、すごく楽になって、今日はちょっとハイになってます。

そして、この気持ちのいい朝に感謝です!
 
Posted by 沌沈還 at 2009年04月13日 09:58
子供のように今日1日を遊びまくりたいです。

いつも予防線を張るような人生はもう充分です。

いつもいつも気づきをありがとうございます!
Posted by さんちゃん at 2009年04月13日 09:59
阿部様

先日はトークライブに出席させて頂きありがとうございました!
とても楽しかったです。

さて、「いまここ」を考えたときに、分っている気になってましたが
実践しなくては分ってないってことだよな~ということに
ついさっき気付きました。

私は習い事をしており、そこでの技術の向上を目指しております。
しかしながら、先生から過去に不快な思いを受けまして
もうその習い事は辞めようかなと思っていました。
(暫くお休みしています。)

でも技術の向上に純粋に焦点を当てれば、そこ(過去)にこだわることは
違うのでは?と自問の日々を送っていました。

で、さっき気付いたことなのですが、

「先生との不快な思い出は過去のこと。
 本当に『いまここ』が分っているのであれば、技術の向上ができる"今"
 が楽しくて、感謝であって、それだけを思って楽しんじゃえばよいのでは?」

と思い直してみました。

明るく笑って先生と会い、技術の向上を純粋に楽しめれば
私は実践ができてることになるのかな、と思いました。

どうなんでしょうね!
Posted by ふくろう at 2009年04月13日 10:22
いまここにいる時の居心地の良さ、
本当の自分を味わうとき、とっても幸せです!
気がつけば時間に追われているときも多いけれど、
気づいたらまた戻る。。。そのくり返しです^^
Posted by toma^^toma at 2009年04月13日 10:23
未来志向・・・将来ああして、こうしてという
夢や計画は立てなくなってきました。
目先のやるべき仕事は、日程を調整し
カレンダーや手帳に書き込んだら
その事に意識を飛ばし過ぎないように気をつける
ようにしてます・・が
時間の幻想・・・・時間はない?幻?
人それぞれやその時によって体感時間が違うのは
理解できても、時間・・・阿部さんはどんな感じなんでしょう?
Posted by 空飛ぶイルカ♪ at 2009年04月13日 10:27
こころん様







ですから、大丈夫ですよ(*^-^*)
前向きに休む事も手です。
Posted by Fam at 2009年04月13日 11:04
いまの状態で できることを 一つ一つこなしていく自分に
わくわくです。

今日は お客様にいよいよ この『いまここ』塾ブログを 
知らせる手紙を発送します。
Posted by MARVELOUS 齋藤眞弓 at 2009年04月13日 11:41
未来をそっと抱いているかぎり、

いま以上 これ以上 愛されないのですね?!
Posted by ゆーきー at 2009年04月13日 11:54
阿部さん
こんにちは
本当にそのとうりです。
ものごごろ、ついたときから
なんか違うって 生きてきました。チョット幸せと感じても不安でたまらなかった。いつも闇の中。
阿部さんのブログと出会えて2年。お話ききにいったのが4回。やっと最近、心穏やかになり、今以上に幸せはない 意味が心の奥から かんじています。
何があっても大丈夫の阿部さんの言葉で救われています。
『アミ小さな宇宙人』を読んでから私もお肉をいただけなくなりました。動物は苦手でしたが『星になった少年』の映画をみてから、ランディ(象さん)と少年の魂の繋がりを感じて、動物を愛おしむ気持ちをもつことが出来るようになりました。
氷がゆっくり溶けていくような変化です。
耳をすますプチ瞑想も気持ちよく癖になっています。まだ、目覚めてはいませんが、いまここ 感謝の気持ちでいきます。
そのうち、あちらのほうからやってきてくれるのですよね。
5・6月東京いまここ塾も参加させていただきます。
いつも更新ありがとうございます。
Posted by mama at 2009年04月13日 12:59
阿部さん☆皆様☆
こんにちは。

黒木様のコメントを読んで、わがままな自分が大嫌いだった頃を思い出しました。

その当時に教えて頂いた言葉です。

わがままとは、
【我があるがまま】

いまここに、あるがままの私こそが、かけがえのないすべて。
そしてそれは、私たち皆同じ。


わがままな自分を認めるって、勇気が要るように感じますが、本当は【あるがまま】をただ見つめ受け入れることで、大きな救いになるのですね。

まあるママさんの書いて下さった言葉、じわっと涙が出て、思わずメモしました。

今日もこの場所に来させて頂いて、ありがとうございます。
Posted by mellu at 2009年04月13日 13:08
今以上これ以上 満たされぬのに~♪
あなたはただ求めるより てだてがなくて~♪
あの似たようで真逆な 阿部 黒斎の~♪
ブログをまた 読み漁っているのさ この夜も~♪

【敬称略】ω-) ん~・・ちょっとあれかな・・(どれ?)

【玉金工事】ω-`)ノ あ、初めまして~♪
Posted by ふじこー at 2009年04月13日 13:31
今以上に幸せになれないという事。時間の幻想にはまっている事。

頭でわかったつもりになっていますが、本当に気づいているのだろうか?

いまを意識するように心がけています。

今日もありがとうございます。
Posted by 方位鑑定士 at 2009年04月13日 13:55
阿部さん
こんにちは
以前の東京公演で泣きながら聞いていた者です。

やっとわかりました。
「いま」が十分に幸せなのだけれど、人はそれに気づかない、
(だから気づいてね)という意味ですね?

提案というかお願いなのですが、沖縄講演などをiPodのPodcastで
(べつにiPodでなくてもいいのですけど、)流すことを検討
していただけないでしょうか?
それで私も含めて、日本中の何千人の人が聞くことができます。
外国ににいる日本人も。

もし失礼なことを書いていたらご容赦ください。
Posted by ケン at 2009年04月13日 15:16
今ここ は 手放す、執着しないことだと思っています。
今ここ の生き方は自由を感じます。
正直 誠実 無執着 が 今ここの生き方と思います。
阿部さん、5月の講演会を楽しみにしています!
Posted by ny子 at 2009年04月13日 17:04
「出来事を切り抜いた一瞬」

阿部敏郎さん、いつもありがとうございます。
そして、同志の皆さま、ご機嫌よう。 

さて、普通に「今、そのとき」といった場合、“ほんの一瞬の間”というニュアンスがあると思います。

例えば、少し古い話になりますが、あのWBC決勝戦での10回表のイチロー選手の打席、勝ち越しのセンター前ヒットを打った瞬間を「今、そのとき」とすれば、そこに凝縮された投手対打者の関係は、いわば果たし合いとも見ることができ、それは時代が違えば、“生きるか死ぬかの真剣勝負”であったと言えるでしょう。

その時、イチロー選手には「あれ以上の幸せはなかった」し、逆に韓国の投手にとっては現実的には「あれ以上の不幸はなかった」ことになる。

この場合は、確実に相対、比較をしているわけですね。幸運VS不運という図式で…。

一方、「籠の乗る人、担ぐ人、そのまたわらじをつくる人」ということわざがありますが、
この状態をスナップとして撮影した一瞬を想像した場合、ある意味で、籠に乗る人も担ぐ人もわらじをつくった人も、“これ以上の幸せはない”と言える状態にあるかのかどうなのか、これってどうよ、って思うのです。

人は一人では生きられない以上、必ずある種舞台の上で主役を務めるか脇役に廻るか、あるいは照明係や大道具係になるかの違いはあれ、何らかの舞台には参加することになると思います。

そして、その舞台が、総合芸術として「これ以上の出来栄えはない」という好結果に生んだ場合には、出場した役者さんをはじめ、裏方さん、そして観客に至るまで至福感を味わうことができる。

このように、どんな舞台もパフォーマンスが完成したときには、芝居上の敵・味方や演じる・観劇するに関係なく、その舞台に携わった者として至福感に浸れるのではないか、と思います。

こうした観点からすると、あのWBCでも、打ったイチロー選手だけでなく、打たれた投手のほうも(幻想の世界では当然屈辱感でいっぱいですが)真我の世界では至福感に包まれる、ということがあるのではないか、“悔しいけれど負けて悔いなし”、なんてことが言われることがあるけど、それって真実ではあることかも知れないと、妙に納得したりしました。

ちょっと、解釈が偏向・曲折していると思いますが、言いたいこと伝わったかしらん、そこんとこよろしく、みなさま。
Posted by 二代目勤勉亭親不孝 at 2009年04月13日 17:34
こんにちは。
今回阿部さんが前回の「今以上に幸せになれない」意味をきちんと書いていただけてよかったと思います。
もちろん私は目覚めていませんが、いつか理解できるといいなあと思いながらいつも読ませていただいています。
言葉で伝える限界みたいなものを感じてはいるのですけど。。。 

私の中では未来に希望を持って今を一生懸命生きることしかまだ出来ませんが、自分を見失って人を傷つけてることもあるんだろうな。。。
感情に流されそうな時に阿部さんの言葉や黒斎さんの言葉を思い出してふと我に返ることはあります。(毎回ではありませんよ)
それは阿部さんや黒斎さんのブログを知らなければ決してできなかったことかなと思います。

 本当に今以上に幸せになれない意味がわかっている人たちばかりだったらきっと物質社会で利益にばかりこだわる世界じゃなくなりますね。
Posted by kk at 2009年04月13日 19:29
阿部さん、皆さん、こんばんは
いつも読ませてもらってありがとうございます。


「それは「あなた」の中で起きる変化であり、そのためにはあなた自身が「いま」を生きるということに、もっと自覚を持つことです。

変化の波を待つのではなく、自分自身が作り出していくのです。

そんな人が増えた時に、波が生じていきます」


わたしも、阿部さんがこうおっしゃってることに素直についてゆきたいと思います。
ただ、疑問は、阿部さんは全くそんなことを考えずに物質界で悟られた、それなら私だって瞑想とか、しなくったっていいような気がします。

それでも、考えても仕方ないので、阿部さんを信頼してゆこうと思います。
Posted by 江村陽 at 2009年04月13日 20:01
コアラを飼う予定など全くないのに、何となく、ユーカリの苗を買ってしまい、植木鉢に入れて、窓辺に置きました。東京は、ぽかぽか陽気の一日でした。

「今日という日は、昔目指していた未来」
本当に、そうなんです。実感しています。

「アセンションとは、時間という幻想からの解放であり、苦しみからの解放」
時が消えると、思考も消え、外なるものや内なるものといった概念も消え、全体性が現れ、そこにあるのは愛・・・・アセンションって、そんな感じなのでしょうね。

今日もありがとうございました。
Posted by よしこさん at 2009年04月13日 20:31
阿部さん みなさん こんばんは ☆

以前の私は、いま以上・これ以上の世界(場所ではなく、確信に結びつく何か・・・)がどこかにあると思っていましたし、それを信じて毎日を過ごしていました。

個人的にも全体的にも幸せになれるノウハウがあるはずと、日々想いを巡らして来ました。

その時々に出会った人々や書物、体験を通して自問自答を繰り返すなかで、何度か背中を押されるような体験がありました。

今にして想えばその力は紛れも無く、内なる自己の声でありエネルギーだったと云えます。

その想いや行為を、正直にあるがままに貫いた結果が今のわたしです。

家族や周りの人たちに、多からず少なからず迷惑をかけたことは否めませんが、いつも結果オーライだったと云えます。そしていつもいまここの生き方をして来たのだと、今更の様に気付かされます。

きっと今まで気付かなかっただけで、本当は誰もがいつもいつも、いまここに生かされているのではないかと思いますが。。。。。?

初めから皆んないまここを生きて来たし、いまここを生きているのではないでしょうか。(阿部さん 暴言ですか?)

自分で自分なりの意味づけをして来ただけ(一方的な見方の自我)で、そこに本来の自己の姿、大いなる存在、「神(宇宙)」と一体の自己を観い出せなかっただけ。

いまここは全てが完璧であり、永遠で無限の存在がただ在るだけなのではないでしょうか。

愛にあふれたいまここを、感謝をこめてエンジョイすればいいのだと想いました。

阿部さんの毎日の心からのメッセージから、この様なことを感じさせて頂きました。いつもありがとうございます ☆

  
  全てに愛と感謝をこめて・・・・・☆

  全てが幸せでありますように・・・・・☆
Posted by 一草一花 at 2009年04月13日 20:31
阿部さん、忙しい毎日ですよね☆お疲れ様です
そして今日もありがとうございます

皆さん、ご機嫌よう


本当にそうですね(^-^)
「いま」を生きるということに自覚を持ちたいと思います☆

変化の波を待つのでなく、自分自身で「作り出す」。

そういうのが私は大好きだから、燃えてきちゃいます

でも、心が弱っている時は、なかなかそうもいかないですよね(;_;)

福郎さんと奥様のお気持ちが痛すぎるくらいにわかってしまいます…
私も先月の27日に愛猫のマロンを亡くしたばかりですし、
12年前には愛犬(マルチーズ)のダイヤが一年という長い闘病生活の末、天に召されました。

遡れば子供の頃から何度、小さな家族たちとの別れを経験したことでしょう…
慣れないです。
生身を引き裂かれるような、自分の一部を持っていかれてしまったような、
とても とても 強い悲しみに襲われます。

福郎さんのわんちゃん、仕事の時も、寝る時も、遊ぶ時も、ずっと ずっと一緒だったなんて、
そして天国に召される前日までお散歩できたなんて、
本当に幸せなわんちゃんでしたね
福郎さんと奥様に対する感謝と愛の気持ちでいっぱいになって、
いま幸せに包まれていて、福郎さん達を温かく見守っているのではないでしょうか

福郎さんと奥様の心が少しでも早く癒えることを心からお祈りしています

阿部さんと皆さんも、いつも幸せでありますように

本当にありがとうございます
Posted by 静香 at 2009年04月13日 21:28
先日のコメントを書いていた時はエックハルト・トールの「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」を読んでたので、正直コメントにちょっとその受け売りが入ってました。(^_^;)
昨日読み終わったんですが、本当にいい本に会えたと思いました。(出来るなら完訳を読みたいんですけど…)
けど「面白かった~」ってすんなり読めたわけではなく、「何?何なにナニ?」
って頭抱えながら読んでた感じです。
でもこちらのブログを読んでなかったらもっとわからなかったしそもそも読んでなかったかもしれないし、読んだとしてもここまでちゃんと読み込むことはなかったと思います。
「何?いまに在るって?何がそんなに大切なの???」
って感じで…。
これから同著の「ニューアース」を読みます。

しかし読んでばっかりいないで実践せねば…。
いまにいる=いまあるがままを受け入れる=思いを手放す
ってことかなと解釈したんですが。
まずは「いまにいられない自分」にどれだけ気づけるかって思ってるんですが、とりあえず嫌な気持ちがあったら、いまにいないってことですよね。
本当に、alarm clockですね。
Posted by けろきち at 2009年04月13日 22:11
黒木さん、あなたの言葉にスイッチが押されました。そうです、やっと認めることができました。" 私は、実に嫉妬深い女です " そうかな、と思いつつ 正しく 見つめることが ( 認めることが ) できませんでした。無意識に、外面はいつでもいい人でいようと、しているんですよね。今、少し気持ちいい(楽)です。なあ~んだ、私って嫉妬深いジャン !って感じです。これから、そういう自分と仲良くなれそうな気がします。ありがとうございました。それと、まあるママさんが、書いてくれたお話 心に留めさせてもらいます。
Posted by hiromi at 2009年04月13日 22:50
阿部さん、皆さん、こんばんは。
CD届きました!!ありがとうございます。とっても癒されて…もう限界です。寝ます(´д`)ノ
夫も「面白いね~ 阿部さんと吉田照美さん?」と言ってました。ラジオ番組かと思ったらしいです。
また癒されに来ますm(_ _ )m失礼しました。
Posted by マミィ at 2009年04月13日 22:55
まあるママさんへ

素敵な文の紹介をありがとうございます。時折、読み返して肩の力を抜いてみようと思いました。
Posted by 風にのる at 2009年04月13日 23:03
歩き出す事さえもいちいちためらうくせに〜♪

つまらない常識など潰せると思ってた〜♪

君に話した言葉はどれだけ残ってるの?
僕の心の一番奥で空回りし続ける〜♪

あの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ〜♪
・・・
夜空ノムコウにはもう明日が待っている〜♪ byスガシカオ SMAP

うぅ〜ん阿部さんの生歌が聞きたいよ〜(>_<)
Posted by ターコイズブルー at 2009年04月13日 23:15
素晴らしいタイミングのメッセージ。。。。

こころから

『 ありがとうございます 』 感謝。



ほんとうの自分の本質は 「 喜び 」のみ。

自我の本質は 「 不安 」のみ。


ほんとうの自分で生きる!のは『いまここ』のみ♪


そう言えば・・

『 人は、自我でいきるとき・・・

 死刑囚と同じ心境になる 』 と 祖父母が言っていたことを

きょう このブログを拝見し、しみじみと感じました。


【 未来を持っている限り、僕たちは決して幸せにはなりません。

 違う言い方をすれば、幸せではないから未来を持ち出すのです。】


この 言葉は深いですねぇ~


ふとしたはずみに いつの間にか「未来」に心が飛んでいる時があります。

そんなとき必ず 心がザワザワします。

「いまここ」を生き切りたい!と思い行動に移せるようになってから

主人との関係が深くなりました。

でも深くなればなるほど・・・「あと何年 一緒にいられるのかなぁ~」なんて

お互いの会話にでてくるときがあり!!!!!!!

『 あっ!未来へまた行っていた!!!! 』 と気づかせて頂きました。

生まれて帰る。

この世はそういうところ♪

なのになのに。。。。 と言ったところです♪

死刑囚のような気持ちで 死ぬ時期を恐れるのではなく

「いまここ」を感じ切って毎日を生かせていただきたい!と改めて思わされました。

そして夫にも「未来の話」は止めよう~♪と 

2人で「そうだ!そうだ!」と気づかせて頂きました。


阿部さん。 ほんとうに「ありがとうございます」


感謝                             ひとみ拝。


PS 明日振り込みます。遅れて申し訳ありません。

   よろしくお願いします。
Posted by ひとみ at 2009年04月13日 23:22
「しあわせ」が「いま、しあわせ」でしかあり得ないように、

「生きる」ということも「いま、生きる」ということでしかないわけですね。

私は「生きたい」です。

私は「生きます」。
Posted by ヒロ at 2009年04月14日 00:31
こんばんは、映画「禅」をみてきました。泣きました。道元さんて優しい人だったのだなあ。一人一人の心に仏がある、教典より自分自身が宗教そのもので宝物は自分だ、など、私も以前に思ったことはあってもここまでずしーん!と言い切れないなあ。1250年代もすごい人がいたのだなあ。素晴らしいものをみた。
阿部さんと中村さんとヨンボさんのコンサートみてきました。仲良し3人で楽しい会に参加できてうれしかったです。歌もたくさんおまけしてくれてぶっつけ本番の歌もあって得したコンサートでした。フォークって素敵!!綺麗な曲がたくさんあって心あらわれるようでした。心清らか。音楽がある生活っていいですね。ありがとう!!なにもかもおいちゃって東京にいく、とヨンボさんの歌がラジオから流れてそれから会場でもききました。中村さんの前のグループの夕暮れ時は寂しそうの歌は前からなんだか考え事しているときに、うっかりしていたごめんごめん、と使っていて、あー、間違って覚えていたんだな、中村さんが歌っていたのだーとわかって感嘆符です!!!人生に悔いなし。スッキリー!!素敵な音楽会に参加できてうれしゅうございます。秋田と岩手から、またきてくださいねー、待ってまーす!!天野さんはもっとおじさんかと思ったけど、若い感じで素敵ですね。爽やかな方ですね。歌詞は独創的ですね。またね。
Posted by いなぴー at 2009年04月14日 01:03
hiromi 様

コメント有難うございます。

自我は嫉妬深いのです。

嫉妬心があるから他人と比較するのです。


ただ、嫉妬心を持つことによって

他人を目標にして頑張るというある面では良いこともあるのです。

この場合、嫉妬心というのはあまり表面上では

認識されなくて無意識の場合が多いです。

自我が自分で自分を騙していると言っていいかもしれません。


他人を憎んだり、恨んだりする場合の嫉妬心は

表面上に表れて、自分を苦しめたり嫌悪したりするのです。


そう考えると、何かを目標に頑張るのも、他人(自分)を恨むのも

大本は嫉妬心から出ているのです。


自我を持って(この身体を持って)この世を生きて行くためには

嫉妬心は、必要不可欠なものなのです。

嫉妬心を持つ自分をなんら卑下する必要はありません。

そのままでいいのです。

それがあるがままなのです。


これまでも、何回かコメントしましたが

自我は、この世で肉体を持って生きている以上

必要不可欠なものなのです。


ですから、自我と敵対せずに

【愛】で包んで、仲良くやっていきましょう。


hiromi 様とご家族の皆様、及び周りの方々が

お幸せでありますようにと

心から祈っております。


皆様にとりまして、今日1日が良い日でありますように


全てのものが幸せでありますように!


黒木元広 拝
Posted by 黒木元広 at 2009年04月14日 06:32
おはようございます。

昨日から自分というものが出過ぎて
今朝は「あ~ つらいな・・」と思いながら敏郎さんのところへ来て
ゆっくり 拝見しておりました。

ここへ来ると「落ち着ける」そんなスペースです。
辛いときほど スッと敏郎さんのお話が入ってきます。
ありがたいことです。
Posted by のいちご at 2009年04月14日 07:35
田舎から戻ったらCDが届いておりました

嬉しくってハイな気持ちで聴き入り、これは一気にイケルゾ

と思ったら

皆さんと同じくわたしは最後の12章(11章)で爆睡しておりました

でもすぐ目がさめ最後まで読ませていただきました

ありがとうございました

何度も何度も確認しながらブレないで

今を生き抜けそうです(^o^)丿

心強いです

ありがとうございました

田舎の従姉妹にも送れます

このCDを躊躇しないで送れる人が

すぐ身近にいた事に気付いていませんでした

従兄弟の御嫁さんのお葬式で

真言宗の御坊さんのお話がきっかけで

互いに同じ思いである事に気付きました

いきなり聴いてみて(読んでみて)じゃ

かなり変な人になっちゃうけど(笑)

初級、中級者の人にはプレゼントできますね

嬉しい事です

今日も天の神様のいう通りに素直に

清く正しく楽しくそして美しく精進精進のわたしです♪♪

皆さんと一緒だと思うと心強く嬉しいです(^o^)丿

皆様もどうぞ御自愛くださいませ
Posted by わたし at 2009年04月14日 08:19
 全然違うことかもしれませんが。

 私の父は6ヶ月ほど管につながれ(いわゆる延命措置)なくなりましたが、その時「あ~思いっきりしょんべんしたいな~」とか、桃を木からもぎってきて食いたいとかそういう当たり前のこと、歩く事、起き上がること・・・そういうことをよく言っていました。

 延命措置は多くは無駄な医療とか、自分はそうなりたくないと言われますが私には計り知れない気付きをもたらしてくれました。

 人間って幸せ不感症なんだなってその時思いました。

 たとえば蛇口をひねれば安全な水が出る事だって、魔法のような幸せな事だと思うのです。

 至高体験にはまだまだ遠そうな私ですがこのことを思い出すと心が溶けるような幸せ感に浸ることがあります。

 お皿を洗いながら・・・トイレで・・・掃除機をかけながら・・・

 そして身を呈してそのことを分からせてくれた父にはいくら感謝してもし切れないです。
 生まれた時付けてくれた名前と言う最初のプレゼント、最後にこの気付きもプレゼントしてくれました。

 実際、自分の周りにあるいろいろなものがどうやってここまで来たのかたどると本当にありがたく幸せな気分になります。

 いまここというのとはレベルが違うと思いますが。

 幸せというとこのことを思います。
 
Posted by a at 2009年04月14日 20:04
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