2008年10月06日

夢のまた夢

朝目が覚めて、それまで見ていた夢が、急に自分から遠のいていく瞬間があるでしょ。

夢のストーリーは覚えているのだけど、何故そんなストーリーを真に受けて、夢の中で真剣に生きていたのか、そちらのほうが不思議なくらいに、夢のストーリーは独断的だったりします。



ところが、今こうして生きている現実も、さらに高い意識の自分から見ると、まさしく夢そのもので、やっぱり独断的な世界なのです。


自分が決めつけた周囲に対して、これまた決めつけた自分が、良かれと思いながらあれこれやっているのが人生です。

それは夢の中の出来事と何も変わらないくらいに「夢」そのものです。



でもねぇ、夢に思えないんですよね、この夢は(笑)


感覚器官から入ってくる情報が確かなものに感じるので、人生がリアルだということを疑わないのです。


でも実際には、人生は夢幻(ゆめ・まぼろし)、夢のまた夢です。




そういえば豊臣秀吉の有名な辞世の句


露と落ち 露と消えにし 我が身かな
なにわのことは 夢のまた夢

(なにわというのは大阪城がある「浪速」と、「全てのこと」をひっかけています)



人生の修羅場をくぐりぬけて、常に生死の狭間の中を生き、最後は国中の富を手中に収めて、およそこの世で見るべきものを全部見た男の最後の言葉が

人生は夢のまた夢

というのですから、誰の人生も同じようなものでしょう。




僕らもいつか必ず夢から覚める時が来ます。

死んだ時に一度はみんなが気がつくのではないでしょうか。

なーんだ、夢だったのかって。



その気づきとともに、執着が霧のように消えていきます。

だからもし怨念や執念を持ったまま、地上をさまよう霊がいるとしたら、よほどぐっすり眠りこけていて、目が覚めたことにも気がつかないということになります。


実際に、夜中に見た夢の中で、殺したいほど憎い相手が出てきたとして、朝目が覚めた後、いつまでもその架空の相手を憎んでいるでしょうか。

怨念をもった霊がいるとしたら、それくらいに間抜けな存在だということです。




そもそも霊とは何でしょうか。

死んだあとに、身体から抜け出るといったイメージを持っている人が多いですが、それは間違っています。



霊が身体の中に住んでいるのではなく、身体が霊の中に住んでいるのです。


ちょっと発想を変えてみてください。


地球大の大きな霊が、ボーンとあるんです。


その中に無数の梅干しの種みたいな個体があって、それが僕たち一人一人です。

たしかに存在の本質は霊ですが、それは個別のものではなくて、「大いなるひとつ」なんです。



それが真実です。

それ以外に真実はありません。



そうなると、僕らがとってきた霊に対する行為は、的外れなものに見えてきます。

先祖の霊も、人が思っているような形では存在していませんし、それぞれの人が自分の心の中に作り出した夢の一部です。


でも作られた夢は、その人の中では現実に思えるので、あれこれと対処したりします。

その行為を揶揄する気はありませんが、その人がぐっすり眠りこけていることだけは確かです。


それらはすべて、人の心の中で作られたものです。



したがって、そのような霊を作り出していない人の現実の中では、供養しようとしまいと何一つ影響しません。

でも一度それを信じてしまうと、無礼がないように、バチが当たらないように、いいことが起きるようにと、その世界にはまり込んでいくことでしょう。



大殺界だとか天中殺だとかも同じで、僕のようにまったくその知識を持たない者には、何の影響も与えることはできません。

知ってしまうから縛られるのです。




夢から覚めた時、そのようなことも全部霧の彼方に消えていくでしょう。


だって僕たち自身が「大いなる一つ」に帰って行くのですから、個という幻想が抱いた夢は、まさに夢のまた夢です。


「大いなる一つ」から分離した魂(正確には分離したと思い込んでいるだけで、実際には分離することはできない)が、その分離という幻想の中でさらなる幻想を作り上げています。


そのことを「夢」というのであって、僕たちはそれを人生と呼んでいます。




で、何が言いたいのかというと・・・


気楽にいきましょうニコニコ



いい夢も、悪い夢も、覚めてしまえばしょせんは夢。


どうってことないですよね。



だって、もともと僕たちは「大いなる一つ」なんですから。






今日もここに来てくれてありがとうございました。









Posted by Toshiro Abe at 09:31│Comments(22)
この記事へのコメント
「霊が身体の中に住んでいるのではなく、身体が霊の中に住んでいるのです」・・・・

納得、納得。
素晴らしい比喩でした。
発想を変えるって、大切ですね。

今朝もありがとうございました。
Posted by よしこさん at 2008年10月06日 09:43
ありがとうm(__)m
Posted by 大森 at 2008年10月06日 09:47
おはようございます。
昨晩心がもやもやして、思い悩み苦しんでいる状態を、頭の中の余計な考えを静めたいと思って寝る前に瞑想しました。
呼吸に集中して頭では多分考えていないようにしていたと思いますが、涙がポロポロポロポロとめどもなく流れ出ていました。
しばらく流れるままにしながら瞑想してると心が少しだけすっきりしました。
おかげで今日は寝不足ですw

心の状態が良いときは前向きに何でも素直に考えられるのに、迷妄にひっかかるととたんにぐるぐるとネガティブな思考が頭の中をしめてしまいます。
そしてまた今日も、阿部さんのメッセージを読んで少しすっきりします。
毎日繰り返し、心の状態を良い方向へ持って行く訓練をすれば、心の切り替えしがうまく行く様になるのでしょうか?
Posted by ふ~みん at 2008年10月06日 10:29
>知ってしまうから縛られる

知らぬが仏ですね^^
あー楽になったぁ!
ありがとうございます。
ぺこり。
Posted by 白猫庵 at 2008年10月06日 10:37
いつもありがとうございます。
恐がりの乙女?だった私は、お化けというものが
とても恐い存在でした。
顔を洗っていて、ふと鏡をみたら後に誰か立っていたらどうしよう~とか・・

でも、今は、全く恐くなくなりました。
むしろ、そういう霊が存在しているということは私の責任である。と
思うようになりました。
私の状態がまだまだだから、怨霊のあなたがそこで苦しんでいるのですね。
ごめんなさい<(_ _)>
私も頑張るから、もうすこし待っててくださいね。と
そういう存在に空想で話しかけたりしています。
我ながら・・・危ないヤツです^_^;
Posted by はるまき at 2008年10月06日 11:08
現実が夢だってことはなんとなくわかるような気がします。

だって自分の過去はもう夢のようなものですよ。

過ぎてしまえばなんとか・・・て。

よいこともわるいことも。

同じようなレベルにさえ感じます。

ああ、あれもあってこれもあっていろんなことを通過してきたな・・・。

とこのくらいのものです。

あんなに感動したことさえ、今現在その感動をもちつづけているかというと
どうかとおもいますものね。

でも今…。というのは現実なのですよ。
今PCに向かってキーボードを叩いている自分は現実なんです。
でも数時間するとそれも些細な夢となってきえていってしまうのかもしれません。

そんなことを思うと不思議ですね。
でも過去のことは本当にそうなりつつあります。
特に私の場合いろいろなことがありすぎて、
昨日のことさえ、夢のようにわすれてしまっていることがあります。
だって、そんなに重要なことじゃないからでしょう。

すべてが終わってしまわないとこの行く末はわからないということでしょうか。
夢だったのか現実だったのか。
現実も夢の一部だったのか。

でも我々は生きているんです。
確かに夢のような現実の中で生きているんです。
すべてのことを受け入れて、処理をしていかなくてはならないのです。
それだけは事実ですよね。
Posted by マリー at 2008年10月06日 11:22
阿部さん 畏れ入りました!!
うーん お見事!!
本当の本当に目が覚めましたよ!!
シンプルに勝るものは無いってこのことでした。
気楽に生きなきゃ損とさえ思えます。
そこには自己責任という自立心が伴ないますが。
こういうことをズバッと言ってくれる人が、すぐ傍にいてくれるなんて本当に有難いです。
阿部さん ありがとうございました!!!
Posted by ひまわり at 2008年10月06日 12:01
阿部さんはじめまして
今日の記事を読ませていただいて
思わずジョンのGODを思い出しました。

夢は終わった
何を言えばいいのだろう?
夢は終わった
昨日までは
ぼくも夢を追っていたけれど
でもいまぼくは生まれ変わった
ウォルラスだったけれど
でもぼくはいまジョンなんだ
だから親愛なる友よ
君たちもがんばろう
夢は終わってしまった
Posted by ブルーバード at 2008年10月06日 12:03
痛快!!


霊障は勘違い。

人生は勘違い。


う~ん、でもどちらもリアルですよ。

苦しみは幻。

霊障と人生は苦しみ。

それが幻。


でもそういう概念の世界で遊んでいる人には、

その世界こそ自分の世界だと勘違いしている

のですね。まさに自我に支配された世界。

でも必ずその夢も覚めるのに、それでも

その世界に執着して霊となる。

自我は幻だと知っている人の前には、

霊はどうやらいられないくなるみたいです。

意識という光の前では霊は一目さんに逃げ出します。

恐れるから、そのことから目をそらすから霊は

ますます大きくなるのです。

勝手な解釈を書いてしまいました。

阿部さん、ありがとうございます。
Posted by ネオ at 2008年10月06日 12:03
いつも

間髪入れずの メッセージ

ありがとうございます。

わたしも 同じことを 感じていました。

「 今の現実に見えている この世界は もしかすると

  あの世で寝ていて 夢をみてる 夢の世界じゃないか 」 と…

分離感 を 味わい

苦しみを生み・・・

すべては自分が 生んでいた・・・と 気づかされました。


もう 生むのは 辞めます。


折り返し地点

あとは 心に映る この世の風景を満喫して

もとへ還っていきます。


ありがとうございました。

感謝です。
Posted by ひとみ at 2008年10月06日 12:33
先祖供養っての~は、面白いモンですね。


ハテ・・・・?
何で???

一体・・・・「供養」が、必要なの???

例えば、いずれ・・・・皆、あの世に行くとします。笑
その時、故人が、「遣り残した無念さ」に対してですかネェ~???
「若くて、死んぢゃって・・・・無念だったろ~に。」って、想うのは、残されて生きてる人のココロが、作るモノ。

アタシも、昔は・・・・そんな風に、亡くなった人の霊とやらを崇めてました。


でも、「オカシイ」って、何時しか・・・・想う様に成ったんです。


例えば、皆さん・・・・・今の暮らしで、線香や果物を買うお金は、「アリマセン」って言う方・・・・・きっと、居ませんね???(それだけ、裕福なんですね。)
しかしながら、線香一本買えない・・・・子供や、働けない・・・・寝たきり老人は・・・???供養しないと、不幸に成るんでしょうか。

そんなことは、無いですよね???

そもそも、「供養」なんて・・・・「亡くなった方の霊」が、「可哀想~;;」って、意識の元・・・に在るモノでしかないんですょね??
そんな風に、想うのだとしたら・・・・・・???


逆に、考えれば・・・単純に解るコトだろ~けれど??
今、生きてる人達・・・「今、死んでも。。。悔いは無いよっ!!!」って、言える方・・・・さて、どれだけ居るんでしょう~ねぇ。。。。。
これから、「ご先祖様」に成ってく???
私達・・・・・。



子孫に、また・・・・供養を願い出るんでしょうかネェ~~~???笑


線香を焚いて呉れない子・孫だとしても???
アタシは、今と変わらず・・・・愛してると想いますけど。。。。
皆さん・・・・どう~なんでしょうかネェ~???

苦難を与える様な「ご先祖様」には、成りたくないし。。。
「無縁仏」なんてのも???
「生きてた」ってコトは、両親が居たはずですもんね???


「一人で、可哀想~;;;;」なんて、想う・・そんな人を哀れむ前に・・・・自分の悔いの無人生を一人一人・・・・生きて行けたらいいですねぇ~~~~~♪♪




って、想います☆


今日も、イイ~一日で有ります様に~~~♪♪
Posted by ☆てぇ~げぇ~なぁ☆☆てぇ~げぇ~なぁ☆ at 2008年10月06日 15:01
阿部さん。

今日の記事。

感動しました。

阿部さんの心はとても大きくて優しいんですよね。

ありがとうございました。
Posted by 大工見習い at 2008年10月06日 15:13
 今日、夢を見ました。

 すごくパニック映画みたいにすさまじいけど、嬉しい夢でした。

 朝起きて、夢だったと気がつきました。

 あぁ、夢だったんだわ。

 現実も夢なんじゃないかって、昨日話ていたところでした。

 シンクロだー!!と感激しました。


 悲しいことも嬉しいことも、夢なんだと思えば気楽に生きられます♪
Posted by ようこ at 2008年10月06日 16:03
阿部さん、いつもながらありがとうございます!!

爽快、痛快、軽快、よろこびいっぱい、感謝いっぱい!!

それに尽きます。
Posted by ぱお at 2008年10月06日 16:39
すいません。
先ほどのコメント、うれしさのあまりに言葉不足だった気がして^^;
改めまして、
阿部さんによろこびと感謝でいっぱいです。ありがとうございますvv
Posted by ぱお at 2008年10月06日 16:53
えーこの人類の年齢と言うやつは、例えればビルに例えられようか、・・

ド~ン!と「100階建てのビル」なのです、地下1階の地上100階で、・・
100以上は雲の彼方の欲の無い、仙人の域でしょう^-か、・・

15の年は15階のフロワー、20才は20階、30は30階と、・・
階は違えどもなんと、部屋の間取りが全て全階、同じなのです、・・
突っ張りやデコボコ、「こんな絶世の美女何百年に1人じゃ、」と思ったら・・
上の階にも下の階にも、・・全階に一人、おられました、(笑)、
悩みも、喜びも、怒りも感謝も、皆共通のインフルエンザなのです、(笑)、

「ビル自体はそのままで我々の意識だけが年を取るのです、・・」
「その1本のビルも遠~くから眺めるとだ、また、1個の存在でしかない!、」
「それをず=~と、ズンズンとだ、マクロに、全宇宙的に見るとだ、・・」
「あまりに小さすぎて見えません、・・無い、存在しないのです、(笑)、・・」

「流星の如きの人生の短さ、楽しんだもの勝ち、」なのでしょうか、・・


   (あ、・・進化論、魚が陸に上がる、そこいら辺が1番面白いね^~、・・)

                        (進化論に、無我夢中、・・・)
Posted by いわし雲。 at 2008年10月06日 18:01
夢の中で夢だと気付いて生きてゆく。
それを人生と呼べるなら、私はその人生を選びたいです。
Posted by meg at 2008年10月06日 21:38
とても ラク~になり。すっきりしました。
くよくよしーが ばっさり おちました。。。。。。

目覚めた 気分です

阿部さん いつも ありがとう☆
Posted by masamasa at 2008年10月06日 21:38
阿部さん。

こんばんは。かんながらの記事拝見しました。

時間が早く感じるのは、日常の生活が充実してるからではないでしょうか。

嫌な事を無理やりやってるとなかなか時間がたちませんよね。

例えば愛する人と共に過ごす1時間と嫌いな人と過ごす1時間は感覚的に違います。



僕は思うんですが人類全体の精神が全体的に安定(幸福感)に包まれたら
ほんとに物理的に時間の流れが変化するんではないか!?

とか思ったりしました。
Posted by 大工見習い at 2008年10月06日 23:05
いや~阿部さんも、もちろんですが、、

投稿者も素晴らしいの一言です、投稿者の皆さんは私なの?。。
Posted by abc at 2008年10月07日 00:23
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