2007年05月25日

続・死について




さ、それじゃ「死」についての話の続きをするね。

医師が脳死状態の80代の患者の人工呼吸器をはずした問題。



もし自分が患者だったらどうしてほしいかな。

僕も死を望むだろうな。


そしてできるだけ気持ちよく安楽死したい。

モルヒネやらコカインやら、このときとばかりにたくさんもらって、夢心地で逝きたいものだ。


僕の母も妻も安楽死賛成派なので、もし家族が死を待つだけの状態になったら、なんとしても楽に死なせてあげたいと思うだろう。




死は人生からの解放。

生きるだけ生きて自分がそのことに満足し、あとは死を待つだけなら、癌などの病に蝕まれて死ぬよりは科学の恩恵の中で安らかに死にたいと思うのは間違いだろうか。


何故そのことに司法が介入するのか。

国は個人の権利をどこまで奪えば気が済むのか。



身体が絶望的になって、たんに苦痛を味わうだけの状態になっても、命を一秒でも永らえさせるのが正義という考えは、「死」に対する無知と恐怖からきている。


「死」とはなんだろう。

「死」は思われているほどに忌まわしい現象なのだろうか。




僕はこの人生の中で何度か、「死」のリアリティーに触れた事がある。

というよりも、それは「死」という現象を超えた体験だった。



我々は究極的には宇宙と一体であり、それは生まれもせず死にもしない。

いつもいまここで、ありとあらゆる形態をとりながら、永遠の命を表現し続けている。


形態は常に変わり続ける(諸行無常)。


しかしその背後にある大いなるエネルギー(本当の自分)は、永遠不滅に生き生きと存在し続けている。




不生不滅(ふーしょうふーめつ)
生じたということもなく、滅したこともない


不垢不浄(ふーくーふーじょう)
よごれることもなく、したがって浄化されることもない


不増不減 (ふーぞうふーげん)  
増えることもなく、減ることもない


般若心経が言うこの状態が我々の究極的本質だ。

それは理屈ではなく、体感して理解するものだ。



死ぬのは肉体と、肉体から発生した欲望、執着、夢、幻想の類だけだ。


それは大いなる解放と祝福。



さなぎが蝶になり、大空へ飛び立つように・・・




さてここで「死」を賛美することで問題が生じる。

自殺を奨励するかのような誤解が生まれるからだ。


自殺に歯止めをかけるために、「自殺は罪だ」「自殺は最初からやり直しだ」「自殺は暗いカルマを作る」「自殺は地獄行きだ」というような嘘も必要かもしれないが、それはことの本質を見ていない。

しかもこのような嘘は、家族の中に自殺者を出した人を苦しめてきた。


このことは非常にデリケートかつ複雑なので、いまここ塾のような限定された場でお話しようと思う。




「死」に関する話は尽きる事がないね。


でもね、僕達にとって一番大切なこと・・・それは「いまを生きること」。


それだけは間違いない。




長い話につきあってくれてありがとう。



Posted by Toshiro Abe at 11:21│Comments(6)究極メッセージ
この記事へのコメント
阿部さん、おはようございます。
東京は凄い雨です。
いまを生きること・・・・その言葉に尽きると思います。
私も辛い病床にあるなら、楽にさせてあげたいし、して貰いたい。
早く、そういうことを認める事ができないものだろうか・・・・。
その方が、その人の人生を大切に尊重してあげる気がする。
とにかく今は、阿部さんの云う通り、今を大切に生きよう!
阿部さん今日もありがとう。
Posted by ノンちゃん at 2007年05月25日 12:06
阿部さんへ、

久々に覗いてみました。
わたしと阿部さんが信じてるものは
違うかもしれない。
でも、阿部さんは真理を追い求めて
生きている人だなぁって思います。

>さなぎが蝶になり、大空へ飛び立つように・・・
わたしも死は決して悲しいものではないと思います。
Posted by とも at 2007年05月25日 12:44
阿部さんへ
6月21日から24日まで仕事で沖縄へいくことになりました。
この期間中にコンサートなどの予定はありますか?
6月のスケジュールを教えてください。

よろしくお願いします。

真珠枝
Posted by 埼玉県在住うちなんちゅう at 2007年05月25日 15:56
ご無沙汰してます、ちょうどよい機会だったので死について考えてみました。
何故、死が不安だったり、恐怖だったり、真正面から考えられないのかなって

結果、文章にすればあたりまえのことだけど、この世の中から自分がいなくなること。
死ぬことよりも、それによる自己の消滅が嫌で不安で寂しいのかなって感じました。

気づいたときから自分と他の人(物)、他の人(物)とあなたで、存在を感じていたのが突然なくなってしまう、だから安心を得るために死んだ後も魂は残るって思い込むことで、自己は無くならないと思いたいのかもしれない。

阿部さんの伝えてくれている中で自分なりに確信したことは(間違っているかもしれないけど)、さびた釘でも、折れた鉄パイプでも、ピカピカの鉄板でも、溶鉱炉に入れられて熔けて混ざった瞬間、僕はさびた釘だった、私はピカピカの鉄板だったのになんてなくなってしまう。

出来上がった鉄の塊からまた新しい釘ができたりするかも知れないけど、さびた釘の僕は永久の時の中でこれっきりでおしまいですべてなんだろうな。

だからこのブログを読んで今を幸せに生きる方法を見つけることと、他の人も
一回ポッキリだから大切にしなければならないのかな。
うまく伝えられないけど。
Posted by ありな at 2007年05月25日 19:26
私 死ぬことは恐くない
とおもっていました☆
もうそろそろむこうの世界にいって安らかでいたいと思っていました☆3人目の子を出産するまでは・・・・・・・・☆(笑)


何も考えず 一人で病院に行き いざ陣痛が始まると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『たすけてぇ〜〜〜☆』


と叫ぶ自分がいるのに自分自身で驚き、陣痛のパニック中に『私は何故たすけてぇ〜と叫ぶのかやはり死が恐いのか?やはり私はまだまだ未熟もんだなぁ〜〜』とあのパニック状態の真最中にそんな事考えて何様きどりだった自分を捨て生まれてきたこの子と共にもう一度人生やり直してみようと思ったものでした☆(笑)


くだらぬ話を長々とすみませんでした☆m(__)m
Posted by ウラノス☆ at 2007年05月25日 20:05
>埼玉県在住うちなんちゅう

6月23日にうるま市でライブやる予定です。
先日のPTA講演会の実行委員のみなさんがセッティングしてくれていて、詳細がわかったらまたお知らせします。

もしそれに来れなければ、7月22日に秋葉原でもやりますよ。

098-866-5880(母家)にお問い合わせください。
Posted by 阿部敏郎 at 2007年05月25日 22:16
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