2024年04月07日

寝ている時に忘れているもの

久々の投稿です。

お元気ですか。


人生のすべては各自のマインドが作り出していて、そのマインドの中身はデタラメだと気づくことが、人生を快適に生きていく秘訣です。

どんなドラマも勘違いによって作られています。

何がどう勘違いなのかは、いままでもこのブログで散々書いてきたので今日は省きますが、とにかく何もかもが自分本位の夢物語だと気づくこと・・・これを目覚めと言います。


さて、今朝急に思い立ってぽよぽよサンガの中で瞑想会をしました。

その中でお話ししたことをここにも記しておきます。


今朝は、現象界という夢は睡眠中の夢と性質は同じという話をしました。

これを理解するためのポイントは、睡眠中の夢について考察してみること。


「睡眠中の夢の中で完全に忘れているものは何でしょう?」


もちろん、これが夢だということを忘れているのですが、もっと本質的なことがあります。

これが分かれば、現象界(自分では現実だと思っている)が夢だということへの気づきに繋がります。


「睡眠中の夢の中で完全に忘れているものは何でしょう?」


ゆっくり考えてみて下さい(^^)



寝ている時に忘れているもの




今夜の瞑想会はスーパーパゴダマントラのフォローアップと重なるので、17:00から開催します。

コチラからお入りください。













Posted by Toshiro Abe at 10:11│Comments(16)
この記事へのコメント
夢を見ている状態から目が覚めるとき
心が外側に向かい
目が大きく開き、外側の世界が大きく開かれて
「ああ、目が覚めた!」と感じます◎

外側の光を強く感じます◎

想念という夢に巻き込まれている状態から目が覚めるとき
心がハートに向かい
ハートが大きく開き、ハートが宇宙全体に大きく開かれて
「ああ、目が覚めた!」と感じます◎

内側の光を強く感じます◎

心の目が大きく開かれて
「無常の現象を体験しているわたしは宇宙全体に広がっている永遠の光である」
という真実に目覚めます◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2024年04月07日 10:28
「睡眠中の夢の中で完全に忘れているものは何でしょう?」

その夢の中のことは、全部、自分が、創っている事。全部、自分だということ。と
思います。
自分が、創っていることと、思えたら、怖い夢とかも、怖さが、ましになると、思います。

ありがとうございます。
Posted by おにぎり太部留 at 2024年04月07日 11:39
睡眠中の夢で忘れていること。。


え?、ここがガンジス川だってこと?(笑)
Posted by すずめ at 2024年04月07日 11:56
自分としては、
『夢』を見ている時に忘れてるのは、
『夢』を見ている『他でもない、この自分自身』ですね~。
『思考』『という夢』を見ている時も同じです。

それでも、『夢』『を見ている、他でもない、この自分自身』に
『気付ける』ようにはなってきます。
まぁ『思考』『という夢』はですが。
『寝ている夢』の時は、気付けない方が多いですね。
で、こんな↑時、
「『夢』に気付いてるのに、なんで覚めないっ!!」
↑なんて慌てる時もあります(笑)

・・・こんな↑時、『覚めて』から気付くんですよね・・・
「『気付いた夢』を見てるだけだったわぁ~~~・・・・・」

自分はこんな↑感じで、日常的に
『夢、思考など』『に気付いてるつもり』の、
『他でもない、この自分自身』に気付き続けることで、
なるべく『自分』がう●このように詰まらないように、
流して解放し続けること・・・最近はそれだけやってます。

今日は(も?(汗)仕事でご一緒できませんが、
こんな↑感じのも瞑想のように、勝手に感じています・・・・・
Posted by ただの「自分」 at 2024年04月07日 13:23
阿部さん、早い時間帯でのweb瞑想会、ありがとうございます♪

お話の中で、「私たちの本質」について、お話をされていましたが、それに関して、最近、個人的に心躍るような情報に出会ったので、少しコメントにして、投稿させて頂きます(承認は、お任せします)。

「私たちの本質」と言うと、ヨーガやウパニシャッドでは、名称的に「真我」(アートマン)とされていますが、仏教では、同じような概念が無いように感じていたのが、最近、それが、個人的な知識不足による「無知」から来る誤った結論であった、と認めるに足る情報に出会ってしまったのでした(結果的には、良い方に作用したのですが、これは予想もしない出来事でもありました)。

「識」について、ネット検索すると、手っ取り早く、Wikipediaに載っていた、簡潔な説明であっても、長年、陥っていた誤謬に気づくには、十分な内容で、心の中にあった疑問を、完全に解消してくれたのでした。(Wikipediaに掲載されている情報が、すべて正しいということではありませんが)

以下、抜粋させて頂きます。

 『ほとんどの仏教の宗派は、それぞれの処(āyatana)に一つずつ、合わせて六識として挙げているが、一部の宗派はさらなる識を挙げている。

パーリ仏典では、以下6つの識が挙げられている。

眼識、耳識、鼻識、舌識、身識を五識(ごしき)もしくは前五識(ぜんごしき)と呼び、それに対して意識を第六識と呼ぶ。

瑜伽行唯識学派では六識に加え、さらに2つを追加している。

①心(citta)は阿頼耶識(アラヤシキ)、②意(manas)は末那識(マナシキ)、識(vijnana))は眼耳鼻舌身意の六識を表す。

説一切有部とは異なり、唯識派では識の認識する対象は自識の中にあると考える。
したがって、識には、認識するものと認識されるものの二つが内在しているとする。
しかも、この八識は識体が別であり、同時に働くことが出来るとする。

大乗仏教ではさらに以下を加え、九識としている。

天台宗や華厳宗は、阿摩羅識(アマラシキ)を加えて新たに九識を立てた。
天台宗では、阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識、また真如である真我、如来蔵、心王であるとし、すべての現象はこの阿摩羅識から生れると位置づけた。
したがってこれを「真如縁起」などともいう。
真如は絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なることから阿摩羅識と名づけられた。
したがって法性宗における仏性の異名である。

天台宗以下、日蓮宗やその各派でもこの九識論に依り、これを九識心王真如の都と呼んでいる。

日蓮は日向記で「究竟即(くきょうそく)とは九識本覚の異名なり、九識本法の都とは法華の行者の住所なり」、「此の九識法性とは、如何なる所の法界を指すや。法界とは十界なり。十界即諸法なり、此の諸法の当体、本有の妙法蓮華経なり。此の重に迷う衆生のために一仏現じて分別説三するは、九識本法の都を立出するなり。さて終に本の九識に引入する。それを法華経とは云うなり」、また日女御前返事でも「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱なうる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり」と述べている。 』(Wikipediaより)

阿摩羅識(アマラシキ)!
(今まで、知りませんでした。。。。)

阿部さんが仰っている「仏性」とは、この阿摩羅識(アマラシキ)のことなんですね!

これで、やっと、合点がいきました!

阿摩羅識(アマラシキ)の存在を知り、個人的な認識ではありますが、仏性=阿摩羅識(アマラシキ)=真如=真我(アートマン)となり、阿部さんの仰っていることが、心底、腑に落ちました♪(自身に起きた体験とも一致しました♪)

完全に、個人の世界で起きていることですが、ヨーガやウパニシャッドで説かれている真理と仏教で説かれている真理が同じだ、という認識に至るまでに、約10年、長かったです(笑)。

長文となってしまい、申し訳ありません。

最後の謎(?)が解けたことで、個人的な探求は、これで、完全に終了しました。

これまで、いろいろとありがとうございました♪
(長い間、阿部さんのメッセージに触れることができましたこと、心から感謝申し上げます
少なくとも、仏教に関する知識は、ゼロでしたので、有り難いです♪)

これからもお元気で、心のままに、活動を続けていって下さいね。

ありがとうございました~~~!
Posted by 阿摩羅識(アマラシキ) from M-online at 2024年04月07日 18:25
安心(大丈夫)
Posted by けんぼー at 2024年04月07日 18:50
ふとんの中で寝ているという状況???

まるで、夢の中が現実であるかのような「気持ち」「欲」「人間関係」「想い出」「過去の自分」「未来の自分」など、平気でその中に没頭しますが(汗)
夢から醒めて、一番に思い出すのは。。。

全部がふとん(ベッド・ござ・地べた?)の中での妄想だったこと?(笑)
かな?
Posted by ぽよあくあ at 2024年04月08日 07:49
模察と申します。

>「睡眠中の夢の中で完全に忘れているものは何でしょう?」

夢の中では、"私の身体の内側”と"私の身体の外側”とを分けずに、ごちゃまぜになって起こります。

目が覚めた時の現象界では、"私の身体の内側”と"私の身体の外側”とを分けて認識します。

ですから、夢の中で忘れているものは「私の身体」です。

マインドが作る「私の身体」という認識はデタラメです。

(内側も外側もありません)
Posted by 模察模察 at 2024年04月08日 19:29
私はよく【期限までに大切な仕事を終えておかなければ!】とか、あるいは【〇〇さんに大切な伝言を預かっているから早くそれを伝えないと!】‥と言ったような夢を見ることがあります。そして‥そんな時に限って途中で目が覚めてしまいます。それで‥「あ〜まだあの大切な伝言を伝えてなかったのに〜!その内容を忘れてしまったー!どうしよう。」とか目が覚めてからも暫く慌てていることがあります。馬鹿馬鹿しいお話でした。
Posted by 教えて下さい(本物)♂ at 2024年04月09日 10:48
自分自身ですか?
Posted by @@ at 2024年04月09日 14:51
夢を見ている主体ですか??
Posted by @@ at 2024年04月09日 14:59
何だろう…
現実だと思っているこの世界の常識?この世界の当たり前の概念というか…

夢の中ではあり得ない(とんでもないこと)も普通に受け入れていますね…何の疑問もなく。
Posted by Merci at 2024年04月12日 08:51
 阿部さん こんにちは♪ 
>「睡眠中の夢の中で完全に忘れているものは何でしょう?」
  夢を見ている<わたし>の事。
Posted by まるまる at 2024年04月13日 09:16
寝ている最中は夢の中の世界に夢中で現実世界を忘れている。

よって答えは現実世界(阿部さんが言う夢の世界)

夢の世界と現在世界は同時に見れない。
Posted by pino at 2024年04月13日 11:13
「寝ている時に忘れているものは何か」という問いかけをしました。

何人かの人が答えてくれましたが、すべてその通りです。


僕の答えは、「夢の中で忘れているのは夢を見ている者のこと」

この人生自体も夢であり、我々はこの夢を見ている存在をすっかり忘れています。


この主体を思い出したとき、すべてが救われます。

夢を夢だったと認識できるから。
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2024年04月14日 09:27
阿部さんの問いへの答えを阿部さんご自身が答えていらっしゃいますが、その答えを読んで、ヒンドゥー教のある挿話を思い出しました。

その挿話は、この世は、ヒンドゥー教における三神のお一人、この宇宙という創造の世界を維持しているとされているビシュヌ神の夢だということをわかりやすく表現しているお話です。
ビシュヌ神と共に旅をしていたお供の者が、旅の途中、喉が渇いたで、”直ぐに戻りますから“と言って、ビシュヌ神のために、水を求めて川の方向に歩いて行くのですが、川の辺で、美しい娘に出逢い、彼は、彼を待っているビシュヌ神を忘れて、娘と結婚し、家を建て、田畑を耕し、牛を育て、子供も何人も育て、幸せに暮らします。
何年か経ったある日、嵐がやって来て、洪水で、家も田畑も牛も家族も流されてしまい、すべてを失ってしまった失意に、川の畔で泣き崩れていると、後ろから、聞き覚えのある声が聞こえたので、振り返ると、そこには、ビシュヌ神が立っていました。
彼は、ビシュヌ神のために水を求めて、川までやって来て、そこで、どうら、寝入ってしまい、夢を、それも長い長い夢を見ていたことに気づきました。
ビシュヌ神は、彼に微笑み、二人は、また旅を続けました。

このお話は、“この世は、(ビシュヌ)神の夢である”ということを、わかりやすく伝えていると言われています。

夢を見ている存在は、本当はいませんので、ビシュヌ神の夢、と表現すると、少しばかり、真理とは言えない部分も感じますが、かと言って、それほど真理から逸脱しているとは言えない、非常に良くできたお話だと感じています。

ヒンドゥーの世界では、このように、わかりやすい形で、人々に真理を説いているお話が沢山あります。

この世は、リーラ(神の戯れ)。

現れては、消えて行く。。。

永遠の夢幻宇宙。
Posted by 永遠のリーラ from M-online at 2024年04月14日 12:50
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