2023年10月02日
無為の最奥を極める
昨夜の日曜瞑想会でのボブさんとの対談で面白い表現だと思ったのは、瞑想とはスキルではなく、全ての人に最初から備わっている意識状態だという話。
この説明は極めて重要だと思いました。
人は瞑想を一つの行為、あるいは技術だと勘違いしている。
だからより良い瞑想を目指してコントロールしようとする。
たとえば思考がわんさか湧いてきて瞑想になっていないような感じがして、なんとかその思考の群れを消そうとしたりするけれど、その意図が瞑想の邪魔をするわけです。
もし瞑想に対して我々ができることがあるとしたら、何もしないことに尽きます。
何もしないと言うと簡単に聞こえるけれど、実は一番難しい。
人は思考することも含めて何もしないことができません。
もっと正確に言うと、「自我」は何もしないということができない。
なぜかと言えば自我とは、何かをしようとする衝動のことだから。
いつも改善を考え、いまよりもっといい次の瞬間に向かおうとする。
いまのままでは不十分だ、だから自分が何とかしよう、あるいは何とかしたいという衝動が自我なのです。
瞑想とは自我のそんな衝動に耳を貸さずに、起きていることにサレンダーすること。
これを老子は「無為の最奥を極める」と言いました。
そしてこの言葉は瞑想だけでなく、人生のあらゆるシーンに対して言えます。
「自分がやっている」という感覚を生きるのではなく、「すべてはただ起きている」という感覚で生きるのです。
この感覚を持つには、まずは空(くう)を体得すること。
そして表面で起きている現象と共に、何も起きていない空(くう)を自覚していること。
これがボブさんが言う啓発であり、僕が言う目覚めです。
何も特別なことではなく、すでにすべての人はこの状態を生きているのですが、表面的な現象に取り込まれてしまって、背後にある空(くう)を見失ってしまったわけです。
そんな時代が何千年も続きました。
この何千年間は自我の時代であり、暴力や攻撃性の時代でした。
それがいま大きく変わろうとしている。
いま起きている変化は単なる時代の変化ではなく、人類史上初めてとも言えるどんでん返しです。
これは個々の意識のシフトから始まっていきます。
こんな時代が来ることは何十年も前から知っていたけれど、まさにいまこうして起きている。
ワクワクしすぎて今朝も早く目覚めてしまった(^^)
さて瞑想でもするか。
この説明は極めて重要だと思いました。
人は瞑想を一つの行為、あるいは技術だと勘違いしている。
だからより良い瞑想を目指してコントロールしようとする。
たとえば思考がわんさか湧いてきて瞑想になっていないような感じがして、なんとかその思考の群れを消そうとしたりするけれど、その意図が瞑想の邪魔をするわけです。
もし瞑想に対して我々ができることがあるとしたら、何もしないことに尽きます。
何もしないと言うと簡単に聞こえるけれど、実は一番難しい。
人は思考することも含めて何もしないことができません。
もっと正確に言うと、「自我」は何もしないということができない。
なぜかと言えば自我とは、何かをしようとする衝動のことだから。
いつも改善を考え、いまよりもっといい次の瞬間に向かおうとする。
いまのままでは不十分だ、だから自分が何とかしよう、あるいは何とかしたいという衝動が自我なのです。
瞑想とは自我のそんな衝動に耳を貸さずに、起きていることにサレンダーすること。
これを老子は「無為の最奥を極める」と言いました。
そしてこの言葉は瞑想だけでなく、人生のあらゆるシーンに対して言えます。
「自分がやっている」という感覚を生きるのではなく、「すべてはただ起きている」という感覚で生きるのです。
この感覚を持つには、まずは空(くう)を体得すること。
そして表面で起きている現象と共に、何も起きていない空(くう)を自覚していること。
これがボブさんが言う啓発であり、僕が言う目覚めです。
何も特別なことではなく、すでにすべての人はこの状態を生きているのですが、表面的な現象に取り込まれてしまって、背後にある空(くう)を見失ってしまったわけです。
そんな時代が何千年も続きました。
この何千年間は自我の時代であり、暴力や攻撃性の時代でした。
それがいま大きく変わろうとしている。
いま起きている変化は単なる時代の変化ではなく、人類史上初めてとも言えるどんでん返しです。
これは個々の意識のシフトから始まっていきます。
こんな時代が来ることは何十年も前から知っていたけれど、まさにいまこうして起きている。
ワクワクしすぎて今朝も早く目覚めてしまった(^^)
さて瞑想でもするか。
Posted by Toshiro Abe at 08:11│Comments(8)
この記事へのコメント
インドでは永遠に存在している本当の自分を
アートマンと呼んでいます。
アートマンには
最奥、最も奥にあるという意味と
呼吸という意味があります。
アートマンは胸の最奥にある永遠の愛の光です◎
呼吸に集中しながら↓
胸の最奥にある永遠の愛の光に集中していると↓
胸の最奥に光が宇宙全体から集中しながら宇宙全体に広がっていきます◎
インドでは宇宙全体にある永遠の愛の光を
ブラフマンと呼んでいます。
胸の最奥にある永遠の愛の光であるアートマンと
宇宙全体にある永遠の愛の光であるブラフマンは一体です◎
宇宙全体との一体感は大きな解放感です◎
宇宙全体との一体感は大きな幸福感です◎
宇宙全体との一体感は大きな安心感です◎
宇宙全体は常に完全に一体です◎
アートマンと呼んでいます。
アートマンには
最奥、最も奥にあるという意味と
呼吸という意味があります。
アートマンは胸の最奥にある永遠の愛の光です◎
呼吸に集中しながら↓
胸の最奥にある永遠の愛の光に集中していると↓
胸の最奥に光が宇宙全体から集中しながら宇宙全体に広がっていきます◎
インドでは宇宙全体にある永遠の愛の光を
ブラフマンと呼んでいます。
胸の最奥にある永遠の愛の光であるアートマンと
宇宙全体にある永遠の愛の光であるブラフマンは一体です◎
宇宙全体との一体感は大きな解放感です◎
宇宙全体との一体感は大きな幸福感です◎
宇宙全体との一体感は大きな安心感です◎
宇宙全体は常に完全に一体です◎
Posted by 大空(おおぞら) at 2023年10月02日 08:24
>人は何もしないということができません。
そうなんですか?
そう言えば、昔は、そんな感じで生きていたかもしれません。
でも最近は、殆ど何もしないで、一日があっという間に過ぎて行きます(笑)
特に、心して瞑想をしている訳でもなく、ただ単に、何もしない状態でいるだけなのですが、それは、ある意味で、一種の瞑想状態になっている、ということなのかもしれませんが、傍から見たら、ただの“怠け者”かもしれませんね(笑)
人生の残り時間が明らかに減って行く中で、瞑想に出会い、何もしない、何も考えない状態が尊ばれるなんて、何てステキ!とばかり、それまでの価値観をスンナリと手放せる良いキッカケとなり、阿部さんには感謝しています。(智子さんとボブさんにも感謝しています)
というのは、幼年期から、ボーとしたり、取り留めもなく夢想することが好きだったのに、なかなかそのことを全面に出して生きることができず、(それは多分、“生産性”という幻想に囚われていたからだと思いますが)、その幻想ゆえに、何かをすることに夢中になる癖が、いつの間にか身についてしまい、最後にはとうとう、“病”を発生、活動は急停止に。
病という形で、内面と外面の歪み(アンバランス)が表面化し、外面的な“生産性”は手放さざるを得なくなったのでした。
“病は教師”と言うマスターがいますが、まさにその通り。
病から、いろいろと学ぶ内に、瞑想に出会い、瞑想を推奨する阿部さんの言葉にも影響を受け、少しづつ“生産性”の幻想が薄れて行き、今では、幼年期にいつの間にか失ってしまった“自分”が戻って来て、その“自分”をジャッジすることなく、心から楽しんでいます。
流石に、止め処なく夢想することはなくなりましたが(夢見ることがなくなったということでもありますが、笑)、夢見は、“この世”という夢を見るだけで十分なので、最期まで、この夢見を楽しもうと思っています。
元々、活動的(ラジャス)な気性ではないので、何もしない瞑想は気性に合っていますが、今は、何時でも瞑想状態に近いので、敢えて瞑想時間を取る必要を感じていません。
シニアになっても、昔と変わらずお元気で、活動的でいらっしゃる阿部さんが、瞑想を推奨され、瞑想を活動の中心にされているのは、ある意味で、象徴的であり、特に“生産性”を求められる現代人に、瞑想を日課とされている阿部さんは、心身の両面に、より良い効果を与えてくれるお手本として、多くの人に瞑想効果を示してくれていると感じます。(瞑想を通して、解脱状態のニルヴィカルパ・サマーディに至るには、ヨーガ行者の方々は、あまり知られてはいませんが、秘密の技法を使うことが多いようですので、概ね一般人にはハードルが高いと言えます)
スピリチュアルな探求も一段落してしまった今は、本当に、やることがなくなってしまいました(笑)
ヨーガのアーサナとプラーナヤーマを少しと、最低限の日々の雑用(これはやりたくなくても、やらないとならないようで、身体が動く間は、避けようがありませんね、笑)。
あとの残りの時間は。。特に、何もしない!(ホントーに、何もしない、笑)
日々是好日♪
それぞれのスタンスで、リーラ、楽しみましょう♪
そうなんですか?
そう言えば、昔は、そんな感じで生きていたかもしれません。
でも最近は、殆ど何もしないで、一日があっという間に過ぎて行きます(笑)
特に、心して瞑想をしている訳でもなく、ただ単に、何もしない状態でいるだけなのですが、それは、ある意味で、一種の瞑想状態になっている、ということなのかもしれませんが、傍から見たら、ただの“怠け者”かもしれませんね(笑)
人生の残り時間が明らかに減って行く中で、瞑想に出会い、何もしない、何も考えない状態が尊ばれるなんて、何てステキ!とばかり、それまでの価値観をスンナリと手放せる良いキッカケとなり、阿部さんには感謝しています。(智子さんとボブさんにも感謝しています)
というのは、幼年期から、ボーとしたり、取り留めもなく夢想することが好きだったのに、なかなかそのことを全面に出して生きることができず、(それは多分、“生産性”という幻想に囚われていたからだと思いますが)、その幻想ゆえに、何かをすることに夢中になる癖が、いつの間にか身についてしまい、最後にはとうとう、“病”を発生、活動は急停止に。
病という形で、内面と外面の歪み(アンバランス)が表面化し、外面的な“生産性”は手放さざるを得なくなったのでした。
“病は教師”と言うマスターがいますが、まさにその通り。
病から、いろいろと学ぶ内に、瞑想に出会い、瞑想を推奨する阿部さんの言葉にも影響を受け、少しづつ“生産性”の幻想が薄れて行き、今では、幼年期にいつの間にか失ってしまった“自分”が戻って来て、その“自分”をジャッジすることなく、心から楽しんでいます。
流石に、止め処なく夢想することはなくなりましたが(夢見ることがなくなったということでもありますが、笑)、夢見は、“この世”という夢を見るだけで十分なので、最期まで、この夢見を楽しもうと思っています。
元々、活動的(ラジャス)な気性ではないので、何もしない瞑想は気性に合っていますが、今は、何時でも瞑想状態に近いので、敢えて瞑想時間を取る必要を感じていません。
シニアになっても、昔と変わらずお元気で、活動的でいらっしゃる阿部さんが、瞑想を推奨され、瞑想を活動の中心にされているのは、ある意味で、象徴的であり、特に“生産性”を求められる現代人に、瞑想を日課とされている阿部さんは、心身の両面に、より良い効果を与えてくれるお手本として、多くの人に瞑想効果を示してくれていると感じます。(瞑想を通して、解脱状態のニルヴィカルパ・サマーディに至るには、ヨーガ行者の方々は、あまり知られてはいませんが、秘密の技法を使うことが多いようですので、概ね一般人にはハードルが高いと言えます)
スピリチュアルな探求も一段落してしまった今は、本当に、やることがなくなってしまいました(笑)
ヨーガのアーサナとプラーナヤーマを少しと、最低限の日々の雑用(これはやりたくなくても、やらないとならないようで、身体が動く間は、避けようがありませんね、笑)。
あとの残りの時間は。。特に、何もしない!(ホントーに、何もしない、笑)
日々是好日♪
それぞれのスタンスで、リーラ、楽しみましょう♪
Posted by 日々是好日♪ from M-online at 2023年10月02日 09:49
アルちゃん いつもありがとう。
この度、秋分パコダ参加しました。
素晴らしい!!ボブも最高素敵でした。
40年ぶり、ちゃんと!?
朝、夕2回30分 瞑想する覚悟ができましたわ。ほんと、それしかない、そこからですね!!いや〜色々ありそうですが、何があっても、素敵な時代、地球迎えますね!!
ボブ、アルちゃん、みつろうくん、皆様
ありがとう!! 弥栄!!!
この度、秋分パコダ参加しました。
素晴らしい!!ボブも最高素敵でした。
40年ぶり、ちゃんと!?
朝、夕2回30分 瞑想する覚悟ができましたわ。ほんと、それしかない、そこからですね!!いや〜色々ありそうですが、何があっても、素敵な時代、地球迎えますね!!
ボブ、アルちゃん、みつろうくん、皆様
ありがとう!! 弥栄!!!
Posted by ビーちゃん at 2023年10月02日 14:00
>たとえば思考がわんさか湧いてきて瞑想になっていないような感じがして、なんとかその思考の群れを消そうとしたりするけれど、その意図が瞑想の邪魔をするわけです。
そうなんですよねぇ~。
>もっと正確に言うと、「自我」は何もしないということができない。
これも、そうですよねぇ~。
だったら、諦めるしかないですよねぇ~。
「なんとかその思考の群れを消そうとしたりするけれど、その意図が瞑想の邪魔をする」
ことも、
「「自我」は何もしないということができない」
ということも。
なんでって、
たったいまここ
で起きている事実でしかないので、
『起きている事実』を否定したって無駄でしかないですよねぇ~♪
心底、こんな↑感じで『諦めきれたら』、
思考がわんさか湧いても・・・いえ、むしろわんさか湧けば湧くほど、
『わんさか湧いている元』の
たったいまここ
に気付けますね~♪
ただその繰り返しでいいと、勝手に思ってます。
そうなんですよねぇ~。
>もっと正確に言うと、「自我」は何もしないということができない。
これも、そうですよねぇ~。
だったら、諦めるしかないですよねぇ~。
「なんとかその思考の群れを消そうとしたりするけれど、その意図が瞑想の邪魔をする」
ことも、
「「自我」は何もしないということができない」
ということも。
なんでって、
たったいまここ
で起きている事実でしかないので、
『起きている事実』を否定したって無駄でしかないですよねぇ~♪
心底、こんな↑感じで『諦めきれたら』、
思考がわんさか湧いても・・・いえ、むしろわんさか湧けば湧くほど、
『わんさか湧いている元』の
たったいまここ
に気付けますね~♪
ただその繰り返しでいいと、勝手に思ってます。
Posted by ただの「自分」 at 2023年10月02日 14:58
最初から備わっている意識状態というのは嬉しいお知らせでした。
これからはますますロボット化AI化も進展してくるようなので、空いた時間は人間らしい生き方としても瞑想に費やすのは良いですね。
私もすぐに表面的な現象に取り込まれてしまいますがその中でも、人生を一時お休みしても良いという人が千人以上も集まるような瞑想会に参加できるのは喜びです。
これからはますますロボット化AI化も進展してくるようなので、空いた時間は人間らしい生き方としても瞑想に費やすのは良いですね。
私もすぐに表面的な現象に取り込まれてしまいますがその中でも、人生を一時お休みしても良いという人が千人以上も集まるような瞑想会に参加できるのは喜びです。
Posted by とっと at 2023年10月02日 21:29
表面で起きている現象と共に、何も起きていない空(くう)を自覚していること。
朝から素晴らしい一文に感謝。
これが言葉では伝わらないとわかるまで、自我は続く。
どこまでもね(笑)
朝から素晴らしい一文に感謝。
これが言葉では伝わらないとわかるまで、自我は続く。
どこまでもね(笑)
Posted by アクア at 2023年10月04日 08:02
ありがとうございます。
Posted by おにぎり太部留 at 2023年10月05日 21:57
本日の湧いた言葉
みずからは本来清浄
ほんらい何もする必要はない
永遠とはその今である
今のなかで夢は癒される
癒す者も、癒されるものも、方法も、道も
ことごとくない
真に在りつづけるか
仮(心)から修行(偽りの道)をつくるか
座禅とはほんらいすでに在ることの意である
心身脱落(色即是空)脱落心身(空即是色 癒された世界)
みずからは本来清浄
ほんらい何もする必要はない
永遠とはその今である
今のなかで夢は癒される
癒す者も、癒されるものも、方法も、道も
ことごとくない
真に在りつづけるか
仮(心)から修行(偽りの道)をつくるか
座禅とはほんらいすでに在ることの意である
心身脱落(色即是空)脱落心身(空即是色 癒された世界)
Posted by NAC at 2023年11月02日 05:09
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