2023年06月27日

私信

人の話を完全に静かに聞くことは滅多に起きません。

ここに書いてきたような、真実に関する話であればなおさらです。

人はすでに自分の考えを持っていて、それが聞くということを妨げるからです。


最近はだいぶ少なくなりましたが、ブログ活動をメインにやっていた頃は否定的な意見も寄せられたものです。

そのことにいちいち応えてこなかったのは逃げていたのではなく、全く意味がなかったからです。


彼らはマインドを通してこのような文章を読んでいて、マインドは自らの考えや結論でいっぱいになっています。

したがってそこに出てくるのは判断であり、自分の考えと一致していればいい話であり、そうでなければ否定的になります。

結局のところ彼らが読んでいるのは新しい情報ではなく、自分自身の考えなのです。


マインドは書かれていることを読むのではなく、読みたいように読むので自分流に解釈し通訳してしまいます。

自我をさしはさまずに読む人は稀で、それがブログ活動の困難な点でした。

すでに僕の中ではブログの役目は終わっていますが、これからも気が向いたら何かしたためていこうと思います。


ここにある6000余りの記事を、たまに読み返してもらえたら幸いです。

また違う発見があるかもしれません。



生生流転

これからもお互いの人生は時代の中で変わり続けていくことでしょう。

ましてや現代は大変化の時代であり、そんな中にあっても人々の心が安心できるような活動を続けていこうと思っています。


ありがとうございました。









Posted by Toshiro Abe at 16:43│Comments(8)
この記事へのコメント
マインド・想念は騒々しくなります ~~~

ハート・心は静かになります ―――


マインド・想念は闘争になります ~~~

ハート・心は平和になります ―――


マインド・想念は波立ちます ~~~

ハート・心は平坦になります ―――


マインド・想念は論争します ~~~

ハート・心は沈黙します ―――


マインド・想念から解放されて
ハート・心に向かうほど安らぎます―――


心の安らぎこそ、最高の宝です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2023年06月27日 18:34
模察と申します。
真理・真実は、"文字"で伝授することは不可能であると感じています。

>結局のところ彼らが読んでいるのは新しい情報ではなく、自分自身の考えなのです。

私は、2年前まで自分のブログを毎日の様に更新し、真理・真実について書いていました。
更新を止めた理由は、真理・真実について何を書いても、究極的には一人芝居に過ぎなかったからです。
真理・真実について気付いたことを"文字"にしてみたところで、自分で自分に教えている(言い聞かせている)だけに過ぎませんでした。
そんな独り言を自分とは100パーセント異なる人生経験や語彙・語感を持つ他人様が読んで、一体何が伝わるというのか?
思考・考えを手放すことを説きながら、人様へ"文字"を提供することは、逆に人を思考・考えに縛り付けることにはならないか?
これらの疑問に対する解が見いだせなかったのと、書きたいことは書き尽くした感があったため、ブログ更新は中止しました。

釈迦もキリストも、教えを自分で書き記して”文字”に残すことはしませんでした。
仏典も新約聖書も、彼らの信者である弟子たちが後世に伝える為に書き残したものです。
釈迦もキリストも、”文字”では真理・真実を伝えることは不可能だた感じていたのではないでしょうか?
真理・真実を伝えるの唯一の方法は、”いまここ”に在り続けるしかないと。
(思考・考えの内容は"過去"と"未来”です。思考・考えは"いまここ"に現れた現象に過ぎないと放っておくのです)

しかし、阿部さんが残された膨大な"文字"のアーカイブは、必ずや人を真理・真実への探求へと導く道しるべとなるでしょう。
"文字"で真理・真実を表すことは不可能ですが、、真理・真実を指し示す道具であることは間違いありません。
Posted by 模察模察 at 2023年06月27日 19:06
阿部さんのブログには10年以上お世話になりました。
ほぼ毎日更新されるブログのメッセージに沢山助けていただきました。
もはやどのくらい影響を受けているのかも分からない程、何かが染みています。

今私は、阿部さんを一人の人として見ています。
同じ命であり、違う個性を持って色を生きる人です。

この世を生きる一人の人としての感じ方や、言葉での表現には違いを感じます。
ですが、同じ命です。
その同じという意識を持って、お互いを認め合う世界を生きたい。お互いに安心を与え合いたい。

愛を感じ合って、その愛がまた別のところに広がって…
それが、あなたは私でみんな同じ命だと感じた時に浮かんだイメージでした。
それを忘れないように生きていたいと思っています。

ありがとうございました。
Posted by yuki. at 2023年06月27日 21:09
>ここにある6000余りの記事を、たまに読み返してもらえたら幸いです。

>また違う発見があるかもしれません。

6000余りの記事を一記事一頁とすると(長短ありますが)、6000頁ということになり、「真・かんながら」が約250頁ですから、24冊分を書いたことになり、実に、長年に渡り、膨大な量の情報を発信してきて下さったことになりますね!(誠にありがとうございます!)

今から約45年前、スピリチュアルな世界に対する関心も知識も全くゼロの状態であった21歳の時、生まれて初めて、人生を揺るがす霊的な体験が起きましたが、その体験が何を意味するのか?ヒントになるような情報に、同時の日本では、めぐり遭うことはできませんでした。

個々の肉体に内在しながらも、一般的には殆ど知られていない潜在的なエネルギー(力、シャクティ)が目覚めた時、ソレが何なのか?全くわからず、その体験から35年程経った時に、生まれて初めて、ソレが「クンダリニー」とヨーガでは呼ばれていて、その「クンダリニー」を目覚めさせるために、ヨーガでは、様々な技法が編み出されていることを知り、驚きました。

お腹の底から湧き上がるようにグルグルと円を描きながら、体内を上昇するそれまで感じたことのないエネルギーが、脳天に向かって上がって行くのを感じた体験と、ヨーガの本に書かれていた「クンダリニー」の説明とが、一致していたので、35年も経って、やっと、答えに辿り着いたのでした。

潜在する力(シャクティ)が、体内を上昇して行く勢いがあまりに強烈で突然のことだったので、頭は混乱し、動転し、パニック状態に陥ってしまい、その後、「クンダリニー症候群」と呼ばれるような心身の変化もあって、当時は、かなり大変な状況でしたが、もし前もって、ソレについて、何らかの知識があったなら、起こる反応も違っていたのではないか?(人生の展開も違っていたかもしれません)と思い、有益な情報に触れることができなかったことも運命とは思いますが、当時は、ネット社会ではありませんでしたし、本から得られる情報も限られており、情報にアクセスできない状態が続き、そのまま人生が終わるようにも感じていました。

誰にも言えず、言っても、理解してもらえるような体験ではないと承知していましたので、他に同じような体験をした人がいるのか?いないのか?探す方法も思いつかず、ソレが何なのか?全くわかりませんでした。(今なら、ネット社会ですので、何らかのアクションを取ることはできるように感じます)

そんなモヤモヤ感を一掃してくれたのが、「ヨーガ」でした。
初めて読んだヨーガの本に、「クンダリニー」が目覚めた時に起こる身体や意識の変化、潜在的な能力の目覚めなど、自ら経験したことが、ほぼそのまま書かれていました。

それからは、ヨーガの本やウパニシャッドの文献を読むことが、人生の喜びとなり、書いてあることが、干上がった大地に浸み込む水のように、スムーズに脳内に流れ込み、心底、納得、理解が起こり、点と点がつなっがっていく喜びを味わい、今に至ります。

これらの本や文献に書かれたことは、昔、誰かが、語ってくれたから、書いてくれたから、情報として残った訳で、今21世紀に生きる人間にも、言葉という情報を通してですが、アクセスすることができるということは、人類全体の意識の向上に、少なからず、作用し、影響を与えていると感じています。

個人的に言うと、それらの情報がなかったら、あの時に起きたことは、ただの不思議な体験で終わっていて、永遠不滅につながるような「真理」を理解することには、つながらなかった可能性もある、と感じています。

「クンダリニー」については、仏教の教えや教典には、全く記述がないようで、そのような理由から、仏教の教えに触れることがありませんでしたが、阿部さんのブログを通して、「大乗仏教」や「禅」などの教えや考え方に触れることができ、大変有意義でした。

仏教もヨーガも、インド発祥ですので、共通点もありますが、相違点もあったり、といろいろと学ばせて頂きました。

時には、生意気なことを書いて、阿部さんのお気を損ねたこともあるかと思いますが、一読者としては、本当に多くのことを学ばせて頂きました。
(幾度となく、不躾なコメントで、ご迷惑をお掛けしてしまったこと、改めてお詫び申し上げます)

「大乗仏教」や「禅」とは、ご縁がありませんでしたが、阿部さんのお陰で、経典を一冊も読んだことがない割には、仏教(唯識論を含む)で説かれている「真理」について、それとなく察知がつくようになったと感じています。

これはすべて、阿部さんのお陰です。

難しい言葉ではなく、平易な言葉で説明してくれる阿部さんのような先生は、有り難い存在です。

>すでに僕の中ではブログの役目は終わっていますが、これからも気が向いたら何かしたためていこうと思います。

たまの更新であっても、これからも楽しみにしています。

本当に、いつも、ありがとうございます♪
Posted by いつもありがとうございます♪ from M-online at 2023年06月28日 02:13
あべさんこんにちわ。

雨上がりのお庭では、今かっこうが鳴いています。
長年瞑想会や、ブログでお世話になっていて
その時々でほっとしていました。
今もなかなかめいそうはできませんが
ブログや瞑想会、楽しみにしています。
ブログのおかげで一度だけ札幌のアスティホールで講演会もきけて
サイン本も一冊買えました。
昔のブログのコメント欄の常連さん(というのかなー)
今もご健在の方も、もちろんおられますが(お名前?がかわっていたり)
今はお名前を見かけなくなった方々もおり・・
時折、お元気でおられるかなあと(みえさんとか、自分さんとか、甲賀忍者さんなどなど)懐かしくおもいだしたり。
いまも、かっこうがないています。
中々、今ここに戻れないのですが、でもこの声は今ここにあります。
ありがとうございます。
Posted by さつき姫 at 2023年06月28日 10:37
自分の場合、
記事を読み、コメントさせて頂いているうちに、
阿部さんが『マインド』『自我』等と仰ってる言葉の意味が、
自分が知ってる『つもり』の言葉の意味と同じとは限らないと気付きました。
と言うより、特に『マインド』『自我』については、今でも
『阿部さんの仰る意味を見出している』『気がしない』です。

それでも『自分なりの理解』が起こってるとは感じるので、そういう意味で、
コメントさせて頂く時に、まず「自分の場合」と書き出すことにしました。
まぁそのきっかけは、お釈迦様の弟子の皆様が「如是我聞」の態度で経等を
残されたという逸話の真似っこですが(笑)

で自分の場合、
結局どこまでいっても『自分なりの理解』しか『できていない』ということを
真摯に認めて諦めつつ(なつもり(笑)、この心身に起こっている
思考や感情たちを『眺め』続けているうちに、どうやら、
『それらの思考や感情たちを眺めている、他でもない、この自分自身』を
『忘れがち』なことに気付きました。
で・・・その『他でもない、この自分自身』が『自我』であり、『マインド』なのかと言うと、
気付いた時には、その『他でもない、この自分自身』が、
『眺めていた思考や感情』『ごと』流れて解放されてスッキリしてしまっていて、
「ずぅ~っと『ここ』に居た」と感じるので、あれそれって

                  いまここ

のことじゃ?とも思うので、よくわからなくなってしまうんですよね~(笑)
結局『分けられない』んじゃないかなぁ~、と自分は感じています。
『他でもない、この自分自身』と思っているものが、
『自我』や『マインド』でもあり、そして

                  いまここ

じゃないのかな、て。

て今は、そういう↑意味で、『自我』や『マインド』とは
『勘違いしている「いまここ」』なのかも?と勝手に思っています(笑)
なんかこう思うと『たった今ここ』に『還りやすい』気がするんですよね~(笑)

そんな訳で、これからも『自分なり』に読ませて、また聞かせて頂くことが
勝手な実践(のつもり(笑)が続くだろうと思います(笑)
Posted by ただの「自分」 at 2023年06月28日 11:32
>結局のところ彼らが読んでいるのは新しい情報ではなく、自分自身の考えなのです。

>真理・真実について気付いたことを"文字"にしてみたところで、自分で自分に教えている(言い聞かせている)だけに過ぎませんでした。

全くの同感です。

そして、そのことは当事者にないと誰もわからないのです。
さらに、誰かが書かなければそれがつたわることもないのですね。
書こうよ。
Posted by AQU@ at 2023年06月28日 13:08
>彼らはマインドを通してこのような文章を読んでいて、マインドは自らの考えや結論でいっぱいになっています。

>したがってそこに出てくるのは判断であり、自分の考えと一致していればいい話であり、そうでなければ否定的になります。

そうです。
彼らが結論でいっぱいなことも、否定的なことも私の側からみた「結論」ですね。
だから、もうそうしたことの全部の結論も、空には「貴重な経験」としていると伝えることがマインドを超えることになるかと想います。

この世界は独善的な結論が、独自の世界を創っているのでしょう。
覚者は、ここでその役割を終えるようです。
Posted by AQU@ at 2023年06月28日 17:08
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