2023年05月21日
すべてこともなし
世の中ではいろんなことが起きています。
ひとつの事件や出来事に、これは正しい、これは間違っていると裁いたとしても、それらはすべて、僕たちの心の中のことに過ぎません。
しかも一年もたてば、また新しい事件や出来事が起きていて、またそのことに大騒ぎしていることでしょう。
実際にその事件を知らなければ、事件そのものが存在しないということを知るのは大切です。
だからどのような情報に触れるかは、人生において重要なことになります。
周囲の出来事に対する裁判官になるのではなく、心静かにあるがままの「いま」に落ち着いていましょう。
すべては過ぎ去っていきます。
そしていつも「いま」が残っています。
今夜も一緒に「いま」に帰りませんか。
おかえり
ただ・「いま」
今宵のアドレスはコチラです。
ひとつの事件や出来事に、これは正しい、これは間違っていると裁いたとしても、それらはすべて、僕たちの心の中のことに過ぎません。
しかも一年もたてば、また新しい事件や出来事が起きていて、またそのことに大騒ぎしていることでしょう。
実際にその事件を知らなければ、事件そのものが存在しないということを知るのは大切です。
だからどのような情報に触れるかは、人生において重要なことになります。
周囲の出来事に対する裁判官になるのではなく、心静かにあるがままの「いま」に落ち着いていましょう。
すべては過ぎ去っていきます。
そしていつも「いま」が残っています。
今夜も一緒に「いま」に帰りませんか。
おかえり
ただ・「いま」
今宵のアドレスはコチラです。
Posted by Toshiro Abe at 11:16│Comments(7)
この記事へのコメント
数日前に親戚のおばあさんが亡くなりました。
ついさきほど納棺の儀に参加してきました。
肺炎になり入院して、肺炎が治った後
老衰で自然に食欲がなくなっていき
ジュースだけ飲んでいる状態になり
自然に息を引き取りました。
とても顔色がよく穏やかなお顔でした。
今日通夜に参加し
明日葬儀に参加します。
諸行無常
あらゆる現象は常では無い
諸法無我
あらゆる観念は自己では無い
涅槃寂静
苦しみの消滅は静寂である
心静かにおばあさんを見送ります。
ついさきほど納棺の儀に参加してきました。
肺炎になり入院して、肺炎が治った後
老衰で自然に食欲がなくなっていき
ジュースだけ飲んでいる状態になり
自然に息を引き取りました。
とても顔色がよく穏やかなお顔でした。
今日通夜に参加し
明日葬儀に参加します。
諸行無常
あらゆる現象は常では無い
諸法無我
あらゆる観念は自己では無い
涅槃寂静
苦しみの消滅は静寂である
心静かにおばあさんを見送ります。
Posted by 大空(おおぞら) at 2023年05月21日 11:35
あべさんこんにちわー。
北・北海道地方は(全道的にかな?)
寒い雨で、久々に石油ストーブをつけています。
確かに、PCをつけたらジャニーズに猿之助さんにサミットにと賑やかで・・汗
ついつい,ハラハラ引き込まれている自分がいます。
それでもお昼ごはんに差し入れの、笹の子ご飯をいただき
しみじみと美味しかったです。和食はいいですね。
礼拝もお休みしたので、とても静かでのんびりと過ごせています。感謝。
瞑想が、苦手なので何日か午前中に30分ほどせっせと歩いておりましたら
あら?そのせいかどうかわかりませんが、左足の膝うらが痛くて涙
昨日からロキソニンテープを貼って、大人しくしています。
治らなかったらどうしよう・・?とか、またぐるぐるしていますが
瞑想は、ひざには負担がかからないのでまた参加させていただきます。
静かでのんきで平和であれますように。
いつもありがとうございます☆
北・北海道地方は(全道的にかな?)
寒い雨で、久々に石油ストーブをつけています。
確かに、PCをつけたらジャニーズに猿之助さんにサミットにと賑やかで・・汗
ついつい,ハラハラ引き込まれている自分がいます。
それでもお昼ごはんに差し入れの、笹の子ご飯をいただき
しみじみと美味しかったです。和食はいいですね。
礼拝もお休みしたので、とても静かでのんびりと過ごせています。感謝。
瞑想が、苦手なので何日か午前中に30分ほどせっせと歩いておりましたら
あら?そのせいかどうかわかりませんが、左足の膝うらが痛くて涙
昨日からロキソニンテープを貼って、大人しくしています。
治らなかったらどうしよう・・?とか、またぐるぐるしていますが
瞑想は、ひざには負担がかからないのでまた参加させていただきます。
静かでのんきで平和であれますように。
いつもありがとうございます☆
Posted by さつき姫 at 2023年05月21日 13:18
いまに還っちゃうと、おしゃべりが出来ないんですけど(^_^)
おしゃべりしたいの、あべちんと(^^)
なんのおしゃべりかって~、私の夢のお話だよ~(笑)
要らないよね☆
情報は見ないと知らない?存在しない?はまさにそうです。私の夢には、、世の中でいろいろあるということは、知らないし存在していません。
だから今日の記事を読んで、何かあったの?何か起きてるの?といった感じです。
何もないのが幸せというか、やっぱり自然を感じることって素晴らしいですよね。。すずめがよく鳴いています(^^)
おしゃべりしたいの、あべちんと(^^)
なんのおしゃべりかって~、私の夢のお話だよ~(笑)
要らないよね☆
情報は見ないと知らない?存在しない?はまさにそうです。私の夢には、、世の中でいろいろあるということは、知らないし存在していません。
だから今日の記事を読んで、何かあったの?何か起きてるの?といった感じです。
何もないのが幸せというか、やっぱり自然を感じることって素晴らしいですよね。。すずめがよく鳴いています(^^)
Posted by すずめ at 2023年05月21日 14:00
「すべてこともなし」の観点とは真逆かもしれないけれど、、愛の表現の場って想ったの。
「この世は愛の表現場」
喜びも悲しみも苦しみも (^^)
「この世は愛の表現場」
喜びも悲しみも苦しみも (^^)
Posted by すずめ at 2023年05月21日 14:24
「世界はそれでも変わりはしない」という曲があります。
その歌詞を書いた人が、どういう意図で書いたのかはわかりませんが、
自分には、この記事のようなことを歌ってるように、勝手に聞こえています。
ちなみに歌詞では
「世界はそれでも変わりはしない 謎のまま」
と続いています。
もっとちなみに、この曲は、「428」という、
渋谷を舞台に、各主人公たちの選択で、
その関わり合いによるストーリーが変化する群像劇のゲームの
劇中歌?ともなっています。
どんな選択で、どんな行動をし、どんなことが起こっても、
結局は『謎のまま』、『同じ世界』、『同じ渋谷』で在り続けるだけで、
『同じ街の中』を歩き続けるだけ・・・・・
自分にはそのように、勝手に聞こえています・・・・・
その歌詞を書いた人が、どういう意図で書いたのかはわかりませんが、
自分には、この記事のようなことを歌ってるように、勝手に聞こえています。
ちなみに歌詞では
「世界はそれでも変わりはしない 謎のまま」
と続いています。
もっとちなみに、この曲は、「428」という、
渋谷を舞台に、各主人公たちの選択で、
その関わり合いによるストーリーが変化する群像劇のゲームの
劇中歌?ともなっています。
どんな選択で、どんな行動をし、どんなことが起こっても、
結局は『謎のまま』、『同じ世界』、『同じ渋谷』で在り続けるだけで、
『同じ街の中』を歩き続けるだけ・・・・・
自分にはそのように、勝手に聞こえています・・・・・
Posted by ただの「自分」 at 2023年05月21日 16:09
あべにゃん
お疲れさまにゃん(=^ェ^=)
お疲れのあべにゃんにマッサージをしにやってまいりました~☆
スリスリ
スリスリ
サワサワ
サワサワ
首が凝っていますね~。肩や肩甲骨あたりもかな。
あたまのてっぺんから、ゆっくりと癒しのエネルギーが全身に向かって流れていきます。。
おやすみなさい(*^^*)
お疲れさまにゃん(=^ェ^=)
お疲れのあべにゃんにマッサージをしにやってまいりました~☆
スリスリ
スリスリ
サワサワ
サワサワ
首が凝っていますね~。肩や肩甲骨あたりもかな。
あたまのてっぺんから、ゆっくりと癒しのエネルギーが全身に向かって流れていきます。。
おやすみなさい(*^^*)
Posted by すずめ at 2023年05月21日 23:06
大和田菜穂さんをゲストにお迎えした「としこの部屋」のライブ配信の後に、また、web瞑想会を生配信して下さり、ありがとうございます。
今夜のお話の中で、簡単には理解されることがない「真理」についてのお話を、直ぐには、理解され得ないとわかっていながら、それでも、少しでも理解したいという想いを抱いている人々に、できる限りの方法で、伝えようとして行っている活動の中で、阿部さんが感じていらっしゃる「ジレンマ」について語っていらっしゃいましたが、それが、”起こることが起きている”ことであっても、教師としての役割を十分に果たされながら、しかもそれを楽しんでいらっしゃる阿部さんるの姿は、他者がやろうとしても、なかなかできることではないように感じています。
いつもながら、完全ではないにしても、阿部さんの姿には、利他の心を感じますし、そうであるからこそ、10年以上も、阿部さんの諸々の活動を楽しんでいる「いま」があるのだと感じています。
生まれて初めて、霊的な体験が起きた後、誰に話しても、理解され得なかったことで、「これは体験者にしかわからないこと」だと、心底感じ、それ以来、人智を超えた(霊的な)体験については、誰にも語らず、何も起こらなかったし、何も知らないフリをして、生きることを決心しました。
それ以来、ごくごくフツーの一般人として生きていますが、(ある意味では、フツーですが、ある意味では、フツーではない面もあり、そのことをカミングアウトする気が起きないので、「いま」のスタンスは変わらないでしょう)
それは、本当のことを言って、カミングアウトしても、誰も理解するどころか、頭が可笑しくなったと思うか、気味悪がるか、ネガティブな反応が返って来る可能性が高いからで(そのような過去があるからですが)、そのような反応をも物ともせず、敢えて、教師役を担っていらっしゃる方々に対しては、少なからぬリスペクトを感じざるを得ません。
ウパニシャッドの中でも、特に内容に惹かれる「カタ・ウパニシャッド」は、死神ヤマと真理の求道者である人間ナチケータスとの問答の形で構成され、その中で、死神ヤマは、ナチケータスに、「死」の秘密を通して、「真理」について、詳細に解き明かします。
その中の、一場面をご紹介したいと思います。
ヤマ
『多くの人々にとって聴くことさえ不可能なもの、たとい聴いたとしても多くの人々の知りえないもの、それを語る人はまれであり、それを得る人はまことに賢者である。
賢者に教えられて、それを知る人、またまれである。
この問題(真理のこと)に通暁していない人に教えられたとき、たとい幾度も熟慮したとしても、それは容易に理解されない。
しかも、他人から教えられなくては、そこに到達する道はない。
それは微量よりもさらに微であり、思考してえられないものであるからである。
そなたが到達したこの教理は、自身の思考だけでは達せられないのだ。
他人に教えられてこそ、理解し易いのだ。
愛児よ。
そなたはまことに真理を堅固に守る者、そなたのように質問者は、ナチケータスよ、二度とないであろう。』(カタ・ウパニシャッド)
死神ヤマは、このように述べていますので、阿部さんが感じられている「ジレンマ」を、これまで人々を諭す教師役を担った方々の中には、感じていた人もいたかもしれませんね。
ヤマ
『この最高の秘密の教理をバラモン(祭祀を執り行う者)の集まりにおいて、あるいは祖先祭の際に、専心して説く者があれば、その人にとって、それはその人を永遠の生命を受けるにふさわしい者とする。
それはその人を永遠の生命に値する者となす。』(カタ・ウパニシャッド)
今夜のお話の中で、簡単には理解されることがない「真理」についてのお話を、直ぐには、理解され得ないとわかっていながら、それでも、少しでも理解したいという想いを抱いている人々に、できる限りの方法で、伝えようとして行っている活動の中で、阿部さんが感じていらっしゃる「ジレンマ」について語っていらっしゃいましたが、それが、”起こることが起きている”ことであっても、教師としての役割を十分に果たされながら、しかもそれを楽しんでいらっしゃる阿部さんるの姿は、他者がやろうとしても、なかなかできることではないように感じています。
いつもながら、完全ではないにしても、阿部さんの姿には、利他の心を感じますし、そうであるからこそ、10年以上も、阿部さんの諸々の活動を楽しんでいる「いま」があるのだと感じています。
生まれて初めて、霊的な体験が起きた後、誰に話しても、理解され得なかったことで、「これは体験者にしかわからないこと」だと、心底感じ、それ以来、人智を超えた(霊的な)体験については、誰にも語らず、何も起こらなかったし、何も知らないフリをして、生きることを決心しました。
それ以来、ごくごくフツーの一般人として生きていますが、(ある意味では、フツーですが、ある意味では、フツーではない面もあり、そのことをカミングアウトする気が起きないので、「いま」のスタンスは変わらないでしょう)
それは、本当のことを言って、カミングアウトしても、誰も理解するどころか、頭が可笑しくなったと思うか、気味悪がるか、ネガティブな反応が返って来る可能性が高いからで(そのような過去があるからですが)、そのような反応をも物ともせず、敢えて、教師役を担っていらっしゃる方々に対しては、少なからぬリスペクトを感じざるを得ません。
ウパニシャッドの中でも、特に内容に惹かれる「カタ・ウパニシャッド」は、死神ヤマと真理の求道者である人間ナチケータスとの問答の形で構成され、その中で、死神ヤマは、ナチケータスに、「死」の秘密を通して、「真理」について、詳細に解き明かします。
その中の、一場面をご紹介したいと思います。
ヤマ
『多くの人々にとって聴くことさえ不可能なもの、たとい聴いたとしても多くの人々の知りえないもの、それを語る人はまれであり、それを得る人はまことに賢者である。
賢者に教えられて、それを知る人、またまれである。
この問題(真理のこと)に通暁していない人に教えられたとき、たとい幾度も熟慮したとしても、それは容易に理解されない。
しかも、他人から教えられなくては、そこに到達する道はない。
それは微量よりもさらに微であり、思考してえられないものであるからである。
そなたが到達したこの教理は、自身の思考だけでは達せられないのだ。
他人に教えられてこそ、理解し易いのだ。
愛児よ。
そなたはまことに真理を堅固に守る者、そなたのように質問者は、ナチケータスよ、二度とないであろう。』(カタ・ウパニシャッド)
死神ヤマは、このように述べていますので、阿部さんが感じられている「ジレンマ」を、これまで人々を諭す教師役を担った方々の中には、感じていた人もいたかもしれませんね。
ヤマ
『この最高の秘密の教理をバラモン(祭祀を執り行う者)の集まりにおいて、あるいは祖先祭の際に、専心して説く者があれば、その人にとって、それはその人を永遠の生命を受けるにふさわしい者とする。
それはその人を永遠の生命に値する者となす。』(カタ・ウパニシャッド)
Posted by Parama Prasankhyana from M-online at 2023年05月22日 00:29
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。