2022年04月10日

肉体と精神

長く生きてきて、この一週間ほど連続的に奇跡を見せられたことはありません。

たぶん起きた一連の出来事をお話ししても信じないでしょう。

「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものです。


流れに逆らわないことの大切さを、身を持って感じています。

今年の2月1日(旧正月)からマインドがリセットされました。

リセットされてもマインドはマインドですが、たぶんマインドの抵抗力が減ったか、天からの贈り物を恐れずに受け取れるようになったのだと思います。


これはいつもお話しする「信頼」と深い関係があります。

天を信頼し、己を信頼する。

どちらも双方向かもしれませんが、そういう感じです。


肉体を持って生きている限り、マインドが消えることはありません。

何故ならマインドは肉体の一部だからです。

と言うより裏表と言ったほうが分かりやすいかもしれません。

肉体と精神(マインド)が別々に存在するのではなく、肉体の最も内側の柔らかい部分が精神で、精神の最も外側の硬い部分が肉体と考えればいいでしょう。

この二つはどちらも本当のあなた自身ではなく、したがって死と共に両方が消え失せます。

いつも言うように、あなたはこの二つを見ている純粋意識です。


この2月から自分に訪れた変化は、マインドが変わったというよりは、本当の自分とこの二つとの同化幻想が薄れたのだと思います。

半分死んだのかもしれません(笑)

でもこの解放感はハンパありません。


これを読んでいる人も誰一人例外なく普通に死ぬことができ、三次元の夢から完全に解放されるので全く心配ないし、そのとき想像を超えた強さで祝福されていたことを思い出します。

それを肉体が生きているうちに本当の自分との同一化が終わると、起きることが天の仕事になり、奇跡が連続して起きてくるのだと思います。

いま身を持ってそれを感じていて、このように報告できることを嬉しく思います。


今夜の瞑想会はコチラです。

https://youtu.be/vU7Jrlxsgcs













Posted by Toshiro Abe at 14:26│Comments(14)
この記事へのコメント
肉体と精神は生じて滅する無常の現象です。

仏陀は常に中に向かって集中して安らぐ中道を実践することによって

パンチャ カンダ アナッター
五    蘊   無我

肉体と精神を構成している五蘊・五つの集まり(肉体・感覚・表象・意志・識別)は自己ではない

という真実を実感しました◎

肉体と精神という生じて滅する無常の現象を認識している自己は生じもせず滅しもせず
胸の中心に集中しながら宇宙全体に広がっている永遠の愛の光です◎

わたしたちはみんなハートから宇宙全体に広がっている永遠の愛の光です◎

粗雑な物質である肉体は死にますが
微細な光である自己は不死です◎

原始仏典 五蘊無我
http://manikana.la.coocan.jp/canon/anattalakkhana.html

「わたしは内側に光を燃焼させる。

 永遠の火を灯し
 常に心を静かに集中していて
 わたしは梵行を実践する。

 心臓は光の場所である。

 よく自己を整えた人が人の光である。

 真実と法と自制と梵行
 これは中道によるものであり、ブラフマンを体得することである。

~ 仏陀の言葉 原始仏典より ~ 」
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2022年04月10日 15:24
阿部さんはただ起きた事をお話されているだけなのに、愚かな自分はまた
「そういう境地があるのか、自分も早くそうなりたい」
と解釈してしまう

そして
>これを読んでいる人も誰一人例外なく普通に死ぬことができ、三次元の夢から完全に解放されるので全く心配ないし、そのとき想像を超えた強さで祝福されていたことを思い出します。

いま状況から逃げたくて狂いそうな自分には死が手招きしていると解釈してしまう
勿論、僕がたとえ死んでも僕が選んだことであり、教唆とかではないとは絶対に言っておきたいです。寧ろここまで粘っているのは阿部さんのお陰!


ただ、正直いま自分がまだ生きているのは、死も未来に求める点で言えば自分が急に元気になり社会に適応する、宝くじがあったったらとか社会が自分のようなギリギリ健常者にも優しいものに変容するとかと同じ
いまにないもので妄想であることを「知識」だけあるからです
阿部さんやもう体感している、自分がいないことを思い出している人な訳ではなくただの知識だけなのですぐブレる


確かにどうあがいても祝福されていることを思い出せる、という意味で救いであり、たとえいまどうな状況であっても元気だしなよってメッセージだと思うのですけど、、、
Posted by 自分 at 2022年04月10日 15:40
成人になって間もない頃に、突然に霊的な体験が起きてしまったことで、その後の人生は、起きたことへの意味合わせ、この世への霊的な視点による知識的な理解を深めることに費やすことになり、次々とパズルがはまって全体像が見えてくるにつれ、この世という創造の世界と自己との繋がりや、この宇宙の神秘に対して、神への深い感謝と驚嘆と絶対的な信愛が湧いてきて、今は何が起きても、そこに定着し、揺らぐことはなくなりました。

それには、この個性においては、何十年と必要でした。

今は、今の視点で、世界を見ています。
それは、まるで、映画を見るような感覚です。

これまでに、数々の奇蹟を体験してきましたが、その多くは、人に言っても、体験者が私一人だけでしたので、個人の体験を語っても、他者に頭を疑われるだけでしたが、2月24日に、他者と信じられないような光景を目にすることになり、人智の及ばない神秘の力を、再確認することになりました。
こんなことって、本当に起こるんだね、と他の目撃者は、目を丸くしていましたが、私は内心、どうしてそれが起きたのか?を、直感的に理解していました。

こうして、誕生からスタートした人生は、死というゴールに行き着くまで一瞬も休むことなく展開して行き、時々、忘れ難い出来事が生み出されて行くプロセスを、瞬間瞬間、人間として体験しながら、私たちの誰もが、この世という創造の世界に一つのピースとして貢献しています。

今も、創造の世界の創造は行われています。

「私」を通して、この世に存在するすべての存在を通して、創造は創造であることができるのです。

誰もが、自分の役割を通して、世界の創造に参加し、最後まで、自分が体験する世界を存分に味わい、楽しめると良いなと思います♪

時には、主人公として、時には、観客として。

個人にとっては、時間制限のある体験の世界ですが、この世は、永遠の夢幻宇宙、リーラ。

人間として生きている間は、このリアル感覚を、心から楽しみましょう♪
Posted by 永遠の夢幻宇宙リーラ from M-online at 2022年04月10日 15:52
いつだったか
「1億か悟りどっちを選ぶ?」
みたいな記事があり、そのころの自分は嘘偽りなく悟り一択だったのですが

いまは、1億です。いえ、10万でも10万を選ぶかも知れない


これは、当時は悟りに対して、悟れば全てが救われるという誤った希望があったのもあるけれど、貧ずれば鈍ずるなことでした
真実に対して、その程度でブレるほどの弱い意思だったのです


結局のところ、業が深く自己中な自分にはこの悟りの分野に触れるのが速かったのだと思います
Posted by 自分 at 2022年04月10日 16:10
>肉体と精神(マインド)が別々に存在するのではなく、肉体の最も内側の柔らかい部分が精神で、精神の最も外側の硬い部分が肉体と考えればいいでしょう。

やっぱりそうなのですね~。
精神の『誤解』が解けた瞬間、明らかに『肉体的』な、
呼吸やエネルギーの詰まり感等も改善されるので、
『心身』とは『分かれていないもの』だと感じてます。
で自分は今のところ、その度々起こる『解放感』に喜んでるだけです(笑)

それでいいとも思ってますが、阿部さんに起こったことにも興味があるので、
楽しみにさせて頂きます。
Posted by ただの「自分」 at 2022年04月10日 17:49
こんばんは恐れは信頼を測るバロメーターのようですね、頼れるのは奇跡しかない、寂しーぃ!
Posted by makotoazuma at 2022年04月10日 19:30
なになになになに、なんかいいね☆(^^)

なになになになに、なんかいいの♪(^^)

なになになになに、なんかいいよ♡(^^)

瞑想会のあべさんのお話にひとり突っ込みを入れて楽しみました~☆

どういうことお話されてるのかしら~って、もう一回観つつ、ブログにも書いてあってなんか伝わってきたわ~♪(^^)

脱皮したとかアセンションしたとか、そんなようなことかしら?

それでもって、もっとお任せになって、ボリューミーな創造に発展していっちゃうとか?(^^)

そんなストーリーが浮かびました~☆(^^)
Posted by スズメ at 2022年04月10日 22:06
いつも配信をありがとうございます。

阿部さんに起きたことは、もしかしたら私にも起きているかもしれません。

これは!ということは表現できませんが、そうかなというのが湧いてきました。
Posted by asunarogh at 2022年04月11日 11:15
新作の執筆にエネルギーを注いでいる中で、記事をアップしてくださりありがとうございます。

>想像を超えた強さで祝福されていたことを思い出します。

まさにそれなのですが、何故こうも度々忘れるのだろうと思い、この部分を読んで涙が出てきました。
度々忘れることも祝福のうちに含まれているのかもしれませんが、、、
Posted by tOshiyuki at 2022年04月11日 18:22
瞑想会の動画でヒントをもらいました。
自我は抵抗ですね。抵抗している自分に気づき続けるとどんどん軽くなります。どうこうしようとしない。どこかにいこうとしない。目指そうとしない。ただ気づくだけ。
「私」と思っていたものは、フィルターであり、思い込みであり、それらの記憶であり、それらが動作する条件反射や自動反応。
そのことにその都度その都度気づき続けると、「私」がバラけていくような気がしています。
ありがとうございました。
Posted by haruka at 2022年04月11日 18:42
>これを読んでいる人も誰一人例外なく普通に死ぬことができ、三次元の夢から完全に解放されるので全く心配ないし、そのとき想像を超えた強さで祝福されていたことを思い出します。

それを肉体が生きているうちに本当の自分との同一化が終わると、起きることが天の仕事になり、奇跡が連続して起きてくるのだと思います。

いま身を持ってそれを感じていて、このように報告できることを嬉しく思います

あべさんこんばんわ。
昨日瞑想会参加できなかったので、これから拝見します。
なんだかよく分かりませんが?阿部さんに起きたミラクルを
私も生きているうちに体験したいです☆
たのしみー。
Posted by さつき姫 at 2022年04月11日 22:30
日曜日の配信、凄いですね。
言葉では言い表せにくい事を考え考えしてましたね。
瞑想会まで時間があったと思うので、その間になんとか言葉での表現を考えれば良かったんじゃねえかなあ。
瞑想会までたっぷり時間あったじゃん。
とにかく、マインドが薄れてきて直接的にメッセージが届くような感じになったということ?
どんなメッセージか教えてくださいませんか?
YouTubeお勧めしま~す。
100万回視聴間違いなしだと思いますよ。
Posted by ブロ at 2022年04月13日 16:25
今回の記事を読み、前回のweb瞑想会の中でのお話を聞いて、今阿部さんに起きていること(現象)は、“心の希薄”と呼ばれている段階の心の状態かもしれない、ということを強く感じました。

“心の希薄(状態)”については、ラマナ・マハルシが、“真我探求”に関する質問の中で、詳しく語っていますが、“真我実現”の一歩手前の状態と述べています。

このラマナ・マハルシが言わんとしていることは、真我実現の一連の過程(プロセス)を体験した人には、理解できる内容かと感じます。

偽りの自己が消滅すると、真の自己が顕になります。
これが、“真我実現”です。
ラマナ・マハルシは、この“真我実現”にも、四つの段階があると言っています。

阿部さんのプロセスのご報告は、探求を志す人にいろいろな意味で、多くのインスピレーションを与えることでしょう。

リアルタイムでの発信は、生きたメッセージで、その力は大きいです。

今後の展開とそのご報告、楽しみにしています♪
Posted by 真我実現へ至る道 from M-online at 2022年04月16日 14:43
感謝!
ありがとうございます
Posted by くろなな at 2022年04月23日 09:50
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