2022年02月22日

信心から信頼へ

混沌として見える世の中を生きていくためには、人は何か確かなものを信じる必要に駆られます。

そんな必要の受け皿となってきたのが宗教なのかもしれません。


宗教は信心を拠り所としてきました。

その教義に首をかしげたくなることがあったとしても、他の多くの人が信じているならと、自らに言い聞かせた人もいたことでしょう。



いま私たちに必要なのは、信じることではありません。

信じるというのはどこか一か八かの無明な側面があるからです。


それではこれからの私たちに必要なことは何でしょう。

「信じる」の代わりに「信頼」という言葉を使いたくなります。


どちらも同じじゃないかと思うかもしれません。

単に言葉遊びのように見えるかもしれません。


少し解説してみます。

信頼とは、自分を無くすことで初めて可能になります。

自分という存在は疑いによってできているので、その自分を手放すことが信頼に繋がるのです。


信じることは、特定の教義や特定の人物が対象になりますが、信頼は宇宙全体が相手となります。


そんな感覚で生き始めると、宇宙を味方につけますね。

そうなったら何を恐れることがあるでしょう。


雨降らば降れ 風吹かば吹け









Posted by Toshiro Abe at 08:10│Comments(10)
この記事へのコメント
>信頼とは、自分を無くすことで初めて可能になります。

>自分という存在は疑いによってできているので、その自分を手放すことが信頼に繋がるのです。

自分の場合、ふと気付くことなどが起きて、
『それまで思い込んでいた自分』
が解放されると、
『安心』『自由』『スッキリ』『楽』
などの質だけになるので、そりゃそっちを信頼しますよね~
とそんな感じですね。

またあーだこーだと自分が思い始めても、
『その質』『の方向性』は、どこかで覚えているので、
当然『そっち側』を信頼することが起こります。

だからと言って『信頼したから』『その質に戻れる訳ではない』んですけどね(笑)
それでも信頼できることはあります。
『その質』を『確かに感じた』という『事実』です。
そして、
『その質』を『何度も感じた』という『事実』です。
『その事実』を『信頼し続けること』が『できている』お陰様か、
ちょびっとづつ、『その質』に戻りやすくなってきている実感もあります。
『ほんのちょびっと』でも『その質』を感じたなら、
『そっち側』に意識を向け続けようということは、確かに起きています。
Posted by ただの「自分」 at 2022年02月22日 09:40
「信じることは、特定の教義や特定の人物が対象になりますが、信頼は宇宙全体が相手となります。
 そんな感覚で生き始めると、宇宙を味方につけますね。」

信じるより
感じるですね^^

自分を感じて
宇宙全体を感じるほど
宇宙全体との一体感を感じて安心します◎

宇宙全体との一体感は大きな安心感です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2022年02月22日 09:48
免疫力は弛めてやるほーがいーんだってね

次回のコンサートでallyouneedloveお願い(あんなシンプルな名曲ない
Posted by れのん at 2022年02月22日 10:22
模察と申します。

信ずるとは、『少しの疑いも持たずにそのことが本当であると思うこと。』ですから、裏には常に疑念や疑問が隠れてて、この呪縛からはどう足掻いても逃れられません。
目の前の人や事象、はたまた自分自身をも対象として扱って、信じる信じないの間を永遠に揺れ動くことに。
この様子が、迷いとか苦しみと感じたり、表現されるのです。

信心から信頼へと至る鍵は、"思うこと"ではないでしょうか。
『"思うこと"を信ずることを手放す(諦める)こと』です。

"思うこと"は、宇宙の現象としての現れです。
太陽が輝いたり、地球が回ったり、雨が降ったりする現象と同じです。
何の意味もなく、今ここにただ現象として現れてるだけです。
雲が流れ去ったり鳥が飛び去ることに、一々気に止めますか?
"思うこと"も、同じように現れては即消え去るだけです。
"思うこと"も雲や鳥のように、あるがままに放っておいて何も問題は無いのです。
"思うこと"も、手をつけずにあるがままに放っておくことが信頼です。

宇宙の現象として現れては消え去るだけのこととして、放っておく様子が信頼なのでしょう。
Posted by 模察模察 at 2022年02月22日 11:01
今日もありがとうございます。

「信じることは、特定の教義や特定の人物が対象になりますが、信頼は宇宙全体が相手となります。


そんな感覚で生き始めると、宇宙を味方につけますね。

そうなったら何を恐れることがあるでしょう。


雨降らば降れ 風吹かば吹け」

ここ読むだけでも、何か心の奥が溶けて広がる感じしました。
心配や不安、罪悪感などの恐れみたいなものが幻のように消えていく感覚になりました。
安心感しかないです。

間違ったものに価値を置くのをやめて、
今日のこの感覚を忘れないように、何度も思い出したいと思います。

いつもありがとうございます。

P.S
最近サンガがますます楽しいです♪
Posted by あみやん at 2022年02月22日 13:11
こんにちは、宗教の一か八かの無妙な側面WW、そう言われれば宗教に冷めてる私も理解できそうです。流石!
Posted by makotoazuma at 2022年02月22日 16:49
確かに、最初の頃は信じたい気持ちで必死だったかも(笑)

時間も経験も必要なんですね


今日も有難うございました。 (*^▽^*)
Posted by 洲鎌直喜洲鎌直喜 at 2022年02月22日 17:43
ねえ、あべにゃんこ。

ここ数日、いえ、いつからだったか、信頼のこと、考えてたよ。

「信頼」と「開く」ということ。


あべにゃんこの解説を読む前にね、書き留めておきたくて…

信頼と開くことと、愛と瞑想と…

信頼は開くことであり、開くことは信頼であり


愛は瞑想であり、瞑想は愛であり…


説明できない(*^^*)


あなたを愛したいの。と、信頼したいの、開きたいの、一緒に瞑想をしたいの。は、どれも繋がっていること?

ん~~


私のなかでは、わだかまりを取っ払いたいの。

それが瞑想であり愛であり、開くことであり信頼であり…


向さんが「胸襟を開いて話す」と話してくださったことがありましたが、これも、、これもって胸襟を開いて話すことね。 
胸襟を開いて話すことも、まさに開くことであり、信頼することであり、愛であり、瞑想的…

説明できない(*^^*)


ただ、というか、ゆうべ、「永遠」は「信頼」ってしてもいいなあ…と想いました(^^)

とにもかくにも、「信頼」がね、すごくテーマになっていたものですから、今日の記事がピンときたというか、信頼についてお伝えしたいって想いました。説明は出来ないんですけれども(*^^*)


はよ解説よみなはれ~って感じですよね~☆じゃあ、いってきま~す(=^ェ^=)
Posted by スズメ at 2022年02月22日 20:25
この私は常に何かをしようとしてしまいます。じっとしていることができません。体を止めても頭の中の声は止まりません。
ざわざわ、もやもや、ドキドキ、ギューッ色々出てきます
でも、これでいいのだ。
ですね

大和田菜穂さんの言葉が心にとまりました
『無条件の愛とは
 無条件に現れられること』

現れてくるもの、全てこれでいいのだ。
ですね
Posted by じゅんこ at 2022年02月22日 22:15
信頼、同感です。
「自信」ということについて考えたことがあって、「自分を信頼する」という意味が近いなと感じました。
そして「自分を信頼する」ということは、「自分を手放す」とういことではないかなと。
僕の考えることは単なる言葉遊びですが(笑)

そういえば。
デカルトの「我思う故に我あり」という言葉。
あの「思う」と訳された部分は「疑う」というニュアンスなのだと、昔何かの授業で習ったことを今思い出しました。
私は疑う存在だから確かに(笑)
Posted by コンドウノリカズ at 2022年02月24日 13:22
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