2022年02月14日

今日も違う言い方で

「自分」という主体の感覚は、思考が作り出した偽物であって、単に観念的な幻に過ぎないという話を繰り返し伝えてきました。

この偽の自己は生まれて最初に作ったものであり、それを前提としてずっと生きてきているので、おいそれと消えてくれません。

このような情報もその自己が解釈しようとします。


このことがなんとなく真実だとわかってきても、自己が自己の不在を認識しようとしているだけのケースがほとんどです。

もしこのことが本当にわかれば、あらゆる疑問も質問も消え去ります。

ただ全てがあるがままにあるようになるからです。


宇宙から分離した自己は、宇宙の真実を解き明かそうとします。

真実に関する多くの書物を読み、たくさんの講演を聞いて、瞑想したり、修行したりしながら真実の究明に努めます。

まるで、いまあるがままにある「ここ」以外の、どこかに真実が隠れているかのようです。

まさにいましているこの経験以外に、いつかどこかに崇高な経験が待っているかのようです。

でも真実は、いま以外の時はなく、ここ以外の場所はないことを明らかにしています。


このように言うと今度は、それならいまというものを探究して、ここに何があるのかを調べてみようという衝動がやってきます。

そうやって真実を対象化するのです。

何故ならそもそも自己自身が全体から分離しているので、どんなものも対象化して分析調査しようとしてしまうのです。


真実は、そうやって探究している探究者自身です。

この直接体験が真実を明らかにします。

しかしこれが難しい。

自分の目が、自分の目を直接見れないのと似ています。


でも分離した自己にとっては難しくても、真実は一度も隠されたことがないので、簡単と言えば簡単です。


ただいまここに寛ぐこと。

あるがままの命に落ち着くこと。


すると「これ」があります。

瞑想会ではいつも、このことを伝えようとしています。

どうしても頭で理解しようとする傾向を抑えて、ただ黙って坐ってみましょう。


今日も違う言い方で


この男は本来、教師タイプではありません。

教えることなど何もないからです。

にも関わらず無数の言葉を使って、数十年間にわたり真実のありかを示してきました。


単なる凡夫がこのような役をやらされていることは皮肉ですが、インターネットの出現が活動を支えてくれています。

宇宙の流れに感謝。


日々是好日








Posted by Toshiro Abe at 09:10│Comments(12)
この記事へのコメント
>だいまここに寛ぐこと。

あるがままの命に落ち着くこと

阿部さんおはようございます。
日曜瞑想会ありがとう。
母がもう血糖値落ちつかずで24時間点滴で
いつどうなるかも・・という状態で瞑想会参加できるかなと思いましたが
参加できて感謝です。
母のことを思い出すと、あたたかな愛しか思い出せずただ涙が止まりません。
なるべく毎日瞑想します。
平安がありますように。
Posted by さつき姫 at 2022年02月14日 09:29
衝動が止んだ時、安らぎが現れる。
Posted by 川村弥生川村弥生 at 2022年02月14日 09:52
わたしは小2の夏休みにアポロ計画を紹介した宇宙博に行ったことが大きなきっかけになり
「宇宙のすべてを知って最高の幸せを感じたい!」と心から願うようになり
宇宙の真理を探究するようになり、ずっと宇宙の真理を探究してきました。

真理とは字の如く
真実を解き明かす理論です。

真実の理論を探究するとは
頭にたくさん知識を入れて、たくさん思考することです。

頭で理論を考えることです。

そして40歳のときにラマナ・マハルシの真我探究を行ったことが大きなきっかけになり
「わたしは永遠に集中しながら光り輝き、宇宙全体に広がっている!」と心から感じて
宇宙の真実を実感するようになり、ずっと宇宙の真実を実感しています。

真実とは字の如く
真の事実です。

真の事実を実感するとは
心に光をたくさん入れて、たくさん光を出すことです◎

心で光を実感することです◎

心に光をたくさん入れて、たくさん光を出すほど
宇宙全体が常に光で満たされているという真実を実感できるようになります◎

宇宙のすべては光と感じて最高の幸せを感じられるようになります◎

わたしたちはみんなハートから宇宙全体に広がっている永遠の愛の光です◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2022年02月14日 10:02
無自覚に『自分』を『固めてしまっている』のかも?
と、最近ふと浮かんできました。
たぶんこれ、先日、黒斎さんが禅サンガでお話頂いたことのお陰様です。
↑と思うと、もしかして『他でもないこの自分自身』と思っていることが
原因かも?
↑とも思うのですが、むしろこれ↑で『固めて』ますね(笑)
もっと言うと、これ↑でも『固めて』ます(笑笑)
とか思ってると、結局
「あ、他でもないこの自分自身がハマってたんだな」
と気付くので、まぁ自分はそんな感じってだけです。
でこれ↑も、「他でもないこの自分自身『に』ハマってた」と思いつつあります。
ほんと、ちまちまと『進んでる』のかも?と勝手に思ってます(笑)

なんてのはともかく、実は
>自分の目が、自分の目を直接見れないのと似ています。
も、もしかしてそうとも限らないかも?と、先日のその気付きで思ったんです。
でも、
>真実は、そうやって探究している探究者自身です。
>この直接体験が真実を明らかにします。
のお陰様で、「あ、『目で見る』のは『間接体験』だ」と腑に落ちました。
これ↑『光の反射』『で見えている』ですら無いと思うんです。
『光』『が形作っている内容』『しか見えていない』てことです。
インターネットで例えると、『ネットの世界』は『パケット』という
データが全てで、『パケット』さえうまく通れば、
『パケット』を『運ぶもの』が『光』だろうが『電気』だろうが
『音』だろうが関係無い、なんなら『煙』でもいい、と
『運ぶもの』はけっこーてきとーな認識で済まされていて、
『光』、『電気』、『音』とかを『直接気にする』人はあまり居ない、
とそんな感じだろうと思います。
『光』、『電気』、『音』とかが無ければ『パケット』は『運んでもらえない』
にも関わらず、普段は『パケットの内容』ばかり気にして、
『光』、『電気』、『音』とかは『意識すらしていない』てそんな感じ。

そう言えば前に、生まれた時から『視覚』に頼っていない方が、
にも関わらず「見える」のような表現をすることがあり、見栄か何かだろう、
のように書かれた、今思えば物凄く失礼な文章を読んだことがあります。
何が失礼って、たぶんその「見える」と言った人は、
『直接体験』しているのではないかと思うからです。
て、これも自分の妄想でしかないので、失礼がありましたら申し訳ありません。
Posted by ただの「自分」 at 2022年02月14日 10:59
いつもありがとうございます。

それだけです。
Posted by asunarogh at 2022年02月14日 11:18
役をやらされている、ということはないと思いますが、本人がそう思うことは自由なので、阿部さんは、そう感じていらっしゃるということなのでしょう。

そういう見方からすれば、誰もが、何らかの役をやらされている、とも言えるのが、人生と言えますね。

数十年前に、存在のカラクリを垣間見せられた時、私たちは、殆ど何も知らないで、生きているということに、唖然としましたが、私たちが、五感で感得できる世界(次元)しか知らないのは、人間という存在として生きていくプロセスにおいては、それで充分だからなのでしょう。

一人一人、役割は異なりますが、究極的には、それをしている「個人」はいない。。

役をやっていようと、役をやらされていようと、本当には、そのような「主体」はいないのです。(人間に起きている認識は、自分がやっていると認識しますが、それは、巧妙なトリックとも言える“錯覚”です)

「大いなる一つ」が、無限に顕れているだけで、認識の主体は、本当にはいません。

どんな雲も空であり、どんな波も海です。

分離は幻想。

無限の大空、無限の大海だけがあるのです。

今は、形のある存在なので、物質次元にありますが、氷が解ければ、水となり、気化して、空と一体となるように、私たちも、エネルギー的な変化を経て、物質次元を超えて、最終的には、「大いなる一つ」に戻りますが、この形であっても、本質的には「大いなる一つ」であることに変わりはありません。
“そんなはずはない”という想いが、真実を覆い隠しているだけです。

物質次元においては、地には地の、水には水の、火には火の、風には風の、空には空の役割があるように、生物には生物の、人間には人間の、「私」には「私」の役割があるために、それぞれが、それぞれの役割を果たしているに過ぎません。

これが、この宇宙のダルマであり、ダルマは、この世の有機的なバランスを生み出しています。

与える人がいて、受け取る人がいます。
受け取る人がいるので、与える人がいる、とも言えます。

そして、与えたり、受け取ったりと、その時々で、役割は違ってくることでしょう。

今までも、多くのインフルエンサーが現れましたが、これからも、多くの人に影響を与える存在は、現れることでしょう。

その時代、その時代のニーズに即したメッセンジャーが現れ、少しずつ、人間の意識は、変化を促されることでしょう。

より自由へ、より幸福へ。

そして、最終的には、この宇宙の唯一の真の実在である「大いなる一つ」へと、歓びと共に、帰還して行かれると良いですね♪
Posted by 魂の源への帰還の旅 from M-online at 2022年02月14日 13:10
阿部さん含め皆さん教師です。いつも有難うございます。
Posted by Takaman at 2022年02月14日 19:30
こんばんは、自分の目は自分で直接見ることが出来ない。真理ですね。視覚に収まらない存在とも言えそうです。
Posted by makotoazuma at 2022年02月14日 21:51
阿部さんこんばんは!
無事に自宅に帰ってこれました(笑)

少しずれますが
今回の阿部さんの記事を読んで思い出した王維という人の漢詩があります

酌酒與君君自寬
人情翻覆似波瀾
白首相知猶按劍
朱門先達笑彈冠
草色全經細雨濕
花枝欲動春風寒
世事浮雲何足問
不如高臥且加餐

君に酒をつごう。
さあ、一杯呑んで、ゆったりした気分になりなさい。
人の感情なんて、まるで打ち寄せる波のように起伏があり、コロコロ変わるものだ。
共に白髪になるまで仲の良かった友人でさえ、時には剣で争うこともある。
先に出世をした人達は、うだつが上がらずに未だ官途につけない人を冷笑しているものさ。
雑草は霧雨の中でしっとり潤い青々している、いくらでも人は輝けるのだ。
気高い枝の花の蕾が開こうとしても、そこに吹く春風が冷たいように、たとえ君が官途についても、そこは決して暖かな場所ではない。
世の中なんて、まるで浮雲のように儚いものであるから、(試験に落ちたことは)問題ではないのだよ。
あれこれ考えずに、超然として自愛することだ。

これは、役人として不遇であり、登用試験に落ちた王維の友人のために、王維が即興で作った漢詩です。私は頸聯の対句(花と浮世の例え)がとても好きです。
今日の記事を読んで、ちょっとズレますけど、なんとなく思い出して温かな気持ちになりましたので綴ってみました。
Posted by キビタキ at 2022年02月14日 22:21
今ここに帰る練習の繰り返しです

ありがとうございます
Posted by ぽぽりん at 2022年02月17日 09:54
今ここ
すぐ忘れます
それでも
今ここしかないんだなぁ

ありがとうございます
Posted by ぽぽりん at 2022年02月17日 20:39
阿部さんの著作のお仕事がフロー状態のようですね。
皆さんのコメントがないのはのせいですね。
お仕事がひと段落して、阿部さんが目を通せるくらいお時間ができますように。
お疲れ様です。m(_ _)m
Posted by 悠太 at 2022年02月19日 22:26
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