2019年10月12日

仮面の告白

来てくれてありがとう。







昨日の記事で、僕たちが本当の自分の顔を隠してしまった話をしました。

しかも自分に付けた仮面はひとつじゃない。

二つでも三つでもない。


状況に応じて瞬時に付け替えているのがわかりますか?


友達といるときは、友達用の仮面があり

家族といるときも

仕事関係者といるときも

無意識にその人用の顔に付け替えています。


おそらくは人間関係の数だけ、微妙に違う仮面があるのではと思います。


このことをよく見ていったとき、あることに気がつきました。


なぜそれらの仮面を落とせないのか。

なぜ本当の自分ではいられないのか。


その理由は、本当の自分を愛していないからではないでしょうか。

と同時に、本当の自分では愛されないと思っています。


恋愛中などは特にその傾向が強まります。

相手によく思われたいという気持ちが高まって自分ではない自分を演じ続ける。


だからいくら相手が自分を好きだと言っても、それを信じるのが難しいのです。

だって相手が好きな自分は本当の自分ではないから。


仮面の告白


さてそれでは、どうして人は自分を愛せなくなってしまったのでしょう。


それは家庭や周囲が繰り返し、「いまのあなたのままではダメだ」と言い続けたからです。

社会が僕たちに為してきた条件付けは、僕たちの中に自己嫌悪を刷り込んできました。


そうやって教育する親や教師、そして社会全体がすでに自己嫌悪に陥っています。

自己嫌悪は他者を批判することで自らを癒そうとするので、この世がこんなに生きづらくなってしまったのです。


この世から愛が消えてしまったのは、誰もが自分を愛せなくなってしまったから。

愛せないだけでなく、愛されてもその愛を信じられなくなっています。

自分を愛せないのだから、誰かが愛してくれても受け取れるはずがありません。



この社会を正気に戻すには、ある種の体験的ワークが役に立つと思っています。

あるがままの自分でOKだという、心の底からの実感と安心感を取り戻すのです。


アメリカ西海岸のエサレン研究所のような施設が、この日本にもあればと思っています。



本当の自分を取り戻すことを目的にした村の建設。

ホテルを作りたいと言ったのは、その手始めに過ぎません。


僕は先にいなくなりますが、次の世代がその村を活用してくれたらと夢見ています。
















Posted by Toshiro Abe at 09:30│Comments(28)
この記事へのコメント
さまよいもがくまぼろしのなかをまたさまようまぼろしたちに、

久遠の愛を届けてくださり、目覚めさせてくださる阿部さんに、いつも感謝の思いでいます。
そしていついつまでも健やかでいらっしゃいますように、と。
Posted by ふく at 2019年10月12日 09:41
ヒューマン・ポテンシャル・ムーヴメント

(人間性回復運動)の震源地


エサレン研究所に


日本で 匹敵するのは


天河の 阿部ホテルでは


そんな 気が します


阿部さんに

 いまここから

  ありがとう
Posted by CHUYOSUPACE at 2019年10月12日 09:47
>なぜそれらの仮面を落とせないのか。

私も↑↑↑この事を考えた時期が
ありました。
で私の結論は 世の中の女性や母親は
女優さん達より 名女優だと 今でも
思っています
何故なら子育てをしていて
ありのままの姿を子供に見せると
万年反抗期やりたい放題kidsが
出来上がってしまうんですよー笑笑

何故うちの子供はこうなったのか?
と考えたら 1番最初に見つけたのが
世の中の母親達は 夫の前 子供の前で
演じてるんだー という結論に
至ったんです 笑笑
私はそれが出来ずに 万年反抗期やりたい放題
kidsを作りあげてしまった_| ̄|○と
ひたすら自己嫌悪に陥ってました 笑笑

まあ 今となってはどうでもいいですが笑
もう子育ても終わりに差し掛かってるので
Posted by 比嘉です☆ at 2019年10月12日 09:51
連続投稿すみません

演じきれないと
離婚にも繋がります 笑笑

まあ 私はそれで幸せを獲得したから
問題ないですが
離婚を恥だと価値観のある方には
本人無意識下で仮面が浸透
しだしてるんだろーなー
と感じてます
Posted by 比嘉です☆ at 2019年10月12日 10:28
自分を嫌いになるほど、自己否定するほど
心が暗くなり小さく閉じて、苦しくなります→(>_<)←

自分を好きになるほど、自己肯定するほど
心が明るくなり大きく開いて、楽になります←(*´▽`*)→

愛が弱くなるほど、苦しくなります→(>_<)←

愛が強くなるほど、楽になります←(*´▽`*)→

Iは愛です◎

愛はIです◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年10月12日 10:47
なるほど。

日本のサイレン研究所をつくるのが

目的なんですね。

すばらしい!
Posted by アーサー at 2019年10月12日 10:50
神を特に信じていたわけでもなく、愛していたわけでもないのに、最初の体験でわかったことは、神への強烈な愛だった。
こんな気持ちが自分の中にあったのだと、自分でも驚いた。
それと同時にわかったことは、永遠不変の神は愛そのもので、どんな人でも神に愛されていて、どんな仮面をつけようが、素の顔であろうが、人間の愛は条件付きだが、神の愛は無条件だということだった。
その時は、一時的に、更なる苦しみを体験することになったけれども、もう独りで苦しむことはなくなった。
常に、神と一緒だという確信が芽生え、どんな艱難も乗り越えて行けるような気がして、状況は悲惨だったけれど、それでも心は強くなっていた。
自分のことは自分が一番良く知っている。
愛される資格がないと思っていた自分に、神の愛は、こんな自分でもOKなんだと教えてくれた。
その時から、人生観がガラリと変わった。
神の無条件の永遠不変の愛が、誰にでも、すべての存在、全宇宙に浸透していることを知ったことは、人生の宝となった。
この経験から、世の中には、当たり前過ぎて、見過ごしてしまっていることは多いけれども、神の愛に改めて気づくことは、わたし達の人生観を一変させると思っている。

すでにある愛に気づくだけ。

誰でも、いつでも、愛に生かされ、愛の中で生きている。
ありのままの自分を包み込んでいる永遠不変の愛がある。
そのことに気づけたら、人は根底から救われると思う。
少なくとも、人生に失望したり、自暴自棄になったり、嘆き悲しむことはなくなるだろう。
Posted by 永遠の愛 at 2019年10月12日 11:03
台風がまったく上陸していないのに、すでに各地でいろんな被害が出始めています。とりあえず、現状では一歩も外に出ないことがベストな状態です。避難勧告が出たからといって、すぐに避難しなければならないという意味ではないと自治体が言っています。
そこに居るよりも、避難した方が安全が担保される場合のみ避難ですね。上陸すれば、強風で人間も吹き飛ばされそうです。
皆様のご無事をお祈りしています。
台風一過、また元気で阿部さんのブログでお会いしましょう!
Posted by 啓太 at 2019年10月12日 13:02
エサレン研究所へは家から1時間ちょっとで行けますがまだ行った事がありません。
日本にも是非設立してください。楽しみにしています。
Posted by サラ at 2019年10月12日 13:41
阿部さん、ブログいつもありがとうございます。

ちょうど1週間前の今ころ、天河であんな事をやってたなーっと懐かしく想えます(^^)

天河で心がやわらかくなって、その心で皆とふれあえたこと、とっても嬉しく思っています。(もっと全力出せば良かったとも思っています)笑

互いを認めあい、ハグしあえたあの風景は忘れません。
地球が一つになったとき、色々あったけど、皆が許しあい、愛し合っているそんな美しい場のようにも思えました。カーテンコールのような*

これからを生きていく、今を生きていくきっかけをくれたあの空間が、阿部さんがブログに書かれている''本当の自分を取り戻すことを目的にしたホテル、そして村''となり、更に広がっていってくれる事を願っています!

そして地球が本当の自分で生きていける星になる事を願っています(^^)
Posted by まさき at 2019年10月12日 14:26
あべちゃん、イエ~イ!!

OSHOも、笑っとる?

天河神社には、昔 隕石?かなんか鉱石、贈り物してたよね!

最終期の、提唱も 禅 だし。

なんか、おもしろい! イエ~イ!!
Posted by びーちゃん at 2019年10月12日 18:45
自分の場合、子供もの頃から、言葉だけでなく、感情までも無自覚に
『オウム返し』してきたことを知っているので、
『特定の』『本当の自分』なんてわかりません。
『生まれながらの気質』も、どれがそうなのかわかりません。
もしそういうものがあったとしても、それは結局『両親の混合物』でしかないとしか思えません。

そんな自分の思いに関わらず、いろんな思考、感情、感覚たちが湧いては消えていきます。
自分ができるのは、どんな思考、感情、感覚でも、せいぜいそれらが
『楽しんで湧いている』と自覚を持てれば、と願うことだけですね。

そんな感じで自分は、湧いてくるこの思考、この感情、こま感覚たちを
『眺めて』います。
Posted by ただの「自分」 at 2019年10月12日 21:10
阿部さんいつもありがとうございます。

死なないで下さい。
いつまでも、お元気でいて下さい。
Posted by クック at 2019年10月12日 21:40
そこじゃなくて、相手が出川哲朗だったら、ここまで揺れない。笑
元々、社会通念や、世間の価値観に合わせて生きて来た人間ではないので、分厚い仮面を被っているとは思えない。
あるがままの自分を見失った。と言うのは、内面的な色々、原体験に尽きる。
Posted by bIues♬ at 2019年10月12日 22:28
仮面は、ラテン語でペルソナと言い、英語のパーソナリティ(人格)の語源だそうですが、
人格(パーソナリティ)という仮面(ペルソナ)をはずしたら、そこにあるのは、”本当の自分”なのでしょうか?
のっぺらぼう、なんてことはありませんよね?(もしかすると、のっぺらぼうが、”本当のわたし”なのかもしれませんが。。笑)

月光仮面、仮面ライダー、ガラスの仮面、鉄仮面。。。と、仮面を扱った作品は、それなりに人気があるようなので、仮面という道具に、人格に対する何かしらの人間的心理が投影されているような気がします。。^^;
Posted by ペルソナとわたし at 2019年10月12日 23:36
20年近く真理を求めて、内観したり、瞑想したりして、今、何が起こっても大丈夫と思えます。だから、今回の台風も、どうなっても大丈夫‍♀️で自分自身、東京に居ましたが平和でした。
でも、友人とかが、普通に心配してきてくれたり、心配して欲しそうにメールをくれて。
以前は、そのストーリーに一緒に乗っかれたのが、今は、入れない自分がいて。。。
だって、ここで、家流されても大丈夫‍♀️だよとか言ったら、怒られそうで。。
自分に嘘をついて、ストーリーに乗る事が優しさなのか、それでも大丈夫‍♀️だと言うのが優しさなのか。
今回、分からない状態です。
阿部さんなら、どう答えるのかお聞かせくださると助かります。
今までみたいに、一緒にストーリーに入っているフリをする方が楽な気もするけど、嘘を言う事に抵抗があります。
ご意見伺いたいです。宜しくお願いします
Posted by 大丈夫な子 at 2019年10月13日 00:20
あるがままの見方を広げますと、日本とアメリカの国家間の関係なんかもそうですね。

お隣の中国や韓国、それに北朝鮮とも互いの立場やあり方に素直にあるがままですね。


世界中の人間にしましたって、その人の環境に対して、相手に対しまして、

その人の生活習慣、好み、性質、考え方、個性があるがままに現れているようにうかがえます。

場面・状況によって本能的に?(その人の性分や性質が)行い、装う作業・行為でしたって、

あるがままにその人の個性・特性が発揮されている状態ですね。


勝手に行われている互い感があり、好き嫌いが違い、考え方も違い、是・非の判断も違い、

ただひたすら、個性や私観があるがままに発揮されるだけならば、


今も昔もそれは変わりはなく、自覚や分別のない神のシステムに、


踊らされていることに変わりはないようですね。


それぞれのあるがままに共通の感覚(親和力)と、そこからもたらされる理解と知識(観念)、そして愛情が起こったらいいのですが。
Posted by y-be at 2019年10月13日 00:24
ぼくが住んでいる地域はラッキーなことにライフラインも無事で、住まいにもダメージはありませんでした。ただ、少し離れた所では河川が氾濫して大変なことになっています。電車も全面運休でどこにも行くことはできませんが、皆さんのご無事を祈っております。
Posted by 啓太 at 2019年10月13日 06:53
見たくない夢ってありますね。
こんな悪夢があるのか。。と。

人間には、一瞬にして、多くのものを破壊する自然の大きな力に抗う術がありません。

リアリティという夢から覚める自由は、わたし達にはないので、見たくない夢であっても、見なくてはならない時がある。。

かんながら たまちはえませ。
Posted by 諸行無常 at 2019年10月13日 08:10
>すでにある愛に気づくだけ。

書かれた方の内面を知る由もございませんが、この言葉はヒットでした(私にね)
なほじょうも書かれていますし、阿部さんも同義のことを書かれていますね。
情報としては、以前からあるのですが、なかなか気づけないですね(私には)

最大に感じた愛は、地上でのどういった経験智にも、実は左右されない自己が在ることに気が付いたトキに、この仕組みを創造した「何か」に愛の深さを感じました。仕組み自体が「愛」であると。それは、自我(私)が救われないと感じている頃に、すでに救われていることを識った場面での貴重な経験でした。
ただ、その愛?に気づき続けるということはないです。普通に自我経験しているゾーンに入りますのでねw

「何か」という対象を神と呼べばそれでもいいのかもしれませんが、そこには分離と断絶が生まれていますので、到底「愛」そのものとは呼べないですね。
誰を呼ぶ?私自身を。ですが(笑)
Posted by チームtheドラゴン at 2019年10月13日 08:59
愛とは、多少の分離感覚の中でのみ存在しますので、当たり前のことですが、ソレそのものしかないなら、ソレ以外は何もありませんので、愛もありません。
個人的には、愛とは、人間的な表現で、人間に生じている分離感覚の中で、人間的なコミュニケーションの中でのみ意味をなす言葉だと思っています。
つまり、ソレは、人間にとっては愛と表現できるもの、いうことになります。

観念は観念でしかありませんが、言葉を使う以外に伝えるという手段が無い場合は、伝えることが観念のやり取りになってしまっても、仕方がないですね。

ダイレクトに伝えることができるとしたら、それは体験しかないと思っています。
それで、わたし達には、あらゆる体験が起きていて、観念を通さずに認識できるようになっています。
言葉は、人間相互間のコミュニケーション以外では必要ないですから、愛は実在とは言い難いですが、人間の心には存在すると言えます。

直接、物事を体験することにより、脳は学習するので、その学習結果は、最終的に人を智慧へと導きます。
誰でもすでにソレなので、無知も明知もないのですが、少数かもしれませんが、知りたいという人はいると思います。

真実を知的に(脳が情報として)知りたいというのは、複雑な脳を持ってしまった人間の性なのかもしれません。
知りたいというのも欲求ですから、真実を知りたいという人は、この欲求を満たすために、探求をするのでしょう。

探求も、分離感覚でいられる間だけのお楽しみと言えますね(笑)
Posted by 神々の遊び at 2019年10月13日 12:33
自分を愛してあげたいのですが、自分を愛するということが、そもそも愛というものが分かりません…
受け入れる、許すという事でしょうか。
Posted by ムジャ at 2019年10月13日 12:42
若き頃、神は存在するのか?存在するなら、どんな形で存在するのか?とても知りたかったことが、今につながっていると思っています。

何故知りたかったのか?は不明ですが(笑)
苦しい人生だったので、神に救いを求めていたのだと思います。

時として、願望が、思わぬ形で実現することがありますね。
分離感覚である"わたし"としては、有り難いことだと感謝しています。
Posted by 神々の遊び at 2019年10月13日 12:57
すーぱービンゴ。姉さんありがとう(笑)
Posted by チームtheドラゴン at 2019年10月13日 13:14
何がピンゴだったのか?わかりませんが、このような遊びも人間ならではのもの。
久しぶりに、楽しかったです。ありがとう^^
(阿部さんのご要望もありますので、この辺で終わりにしますね)
Posted by 神々の遊び at 2019年10月13日 14:12
明治時代に、英語の「LOVE」を日本語に翻訳する際に、それまで日本には、まだ「愛」という言葉がなかったため、「LOVE」を「お大切」「大切にする」という言葉に置き換えたと聞いています。

なので、「I love you.」 は、「私は、あなたを大切にします。」と訳したということなのでしょう。

苦肉の策だったのだと思いますが、なかなか的を得た翻訳だったのでは?と感じています。
Posted by LOVE at 2019年10月13日 22:10
阿部さんが創られた天河のホテルに宿泊できる日を楽しみにしてます☆
Posted by まほ at 2019年10月14日 02:53
LOVEさん

なるほどなお話しをありがとうございます。
「愛」という言葉の持つ意味がどうもよく分からないのは、もともと大和言葉にないものだからですかね。
なんとなく直感的に思うのは、好きではなく「愛する」と言ったとき、自我があまりないものなのかもしれないということです。
単にぼくの言語感覚ですが、「好き」には所有が伴うが、「愛する」は所有の放棄という感じです。
格好付けて「愛する」といっても、ほとんどが「好き」ですね;;
Posted by 啓太 at 2019年10月14日 09:16
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