2018年12月07日

本当の人生を生きるために

多くの人が苦しんでいるのは、自分の考えが作り出した物語を真実だと思って生きているから。

このたった一言を理解できたとしたら、もうすでに解放へのプロセスは始まっているし、理解する前とは比べ物にならないくらい気が楽になっていることでしょう。



物語とは


いま起きていること(起きていると思っていること)


これから起きるかもしれないこと(起きるかもと思っていること)


しでかしてしまった過去の出来事(しでかしたと思っていること)


それらを総集して、私はこういう人生を生きてきたという説明の全てが物語です。




さらには


社会とはこういうものだ(と思っていること)


自分とはこういう人間だ(と思っていること)


人生はこう生きるべきだ(と思っていること)


これらが加わって独自の物語の誕生です。




物語の根底には、自分は全体と切り離されて、個人として存在しているという頑なな思いがあります。


たぶん2~3歳くらいの間に作られた人間特有の思い込みなのですが、ずっとそれを前提にして生きてきたので、それ自体を疑うことをしません。


あらゆる苦しみの元凶だというのに、そこが手つかずのまま、物語の中で起きていると思っている事態を改善するのが生きる最優先事項になってしまうのです。




物語の中で生きている人の中に、本当に幸せな人はいません。

あなたから見てどんなに成功しているように見える人もです。


幸せとは真実の中にある永遠の感覚であり、物語という偽の真実の中には、つかの間の幸福しかないのです。

だからもっともっととなるわけです。



物語を生きる人は、ある瞬間にふと孤独感に襲われます。

たとえ仲間が大勢いようと、愛すべき家族がいようと、心の根底に切り離された分離感があるので、それがひょいと顔を出すわけです。


さらには、多くのうしろめたさも抱えていることでしょう。

だって日々生きている自分が見せかけの偽物だということを、深いところで知っているのだから。

そのような思いを抱えながら、どうやって幸せでいるというのでしょう。


本当の人生を生きるために



それでは物語を持たない自分とはいったい誰なのか。


あらゆる機会にお話ししているのはこの一点です。











Posted by Toshiro Abe at 08:37│Comments(18)
この記事へのコメント
物語を生きる人は、ある瞬間にふと孤独感に襲われます


孤独感に襲われた時も、気づきの

チャンスということですね


いまここから

阿部さんに  今年も

             ありがとう
Posted by CHUYOSPACE at 2018年12月07日 09:01
それこそ 本当は『神』であるという意識 が 物語を創る前からあるのでしょうね。
Posted by きゃりーぱふぱふ at 2018年12月07日 09:15
バンザイ\(^o^)/
Posted by ともこ at 2018年12月07日 10:28
いつもありがとうございます。
写真を見て、
頭のなかに男子トイレがあるのか?
と思ってしまいました。(笑)
善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2018年12月07日 12:15
ごもっともです。

ですが人は映画を楽しむ為にお金を払って映画館に行きます。

どんな映画も楽しまないと損です。

泣いたり笑ったりそこでしか味わえない空間という物があります。

ネタバレしてる手品を観に行くのはつまらない。

何ごっこをするのも自由です。

悲惨で報われず死んじゃったごっこ
悪と戦うヒーローごっこ

何でも「ごっこ」にすれば深刻さは消えます。

だってみんな夢なんだから。

だから全力で目一杯生きましょ。
Posted by 与作 at 2018年12月07日 12:21
10年と少し前に阿部さんのブログに出会い、その後講演会に行ったり、本を読んだりし、瞑想の伝授も受けました。

数年間瞑想を続けて心や体の静けさを体験し、しばらくしたら生まれつきの持病であった喘息が完治していました。
小児喘息から始まり、大人になっても常に数種類の喘息の薬を持ち歩かないといけないくらい喘息と共にあった人生でしたが、ふと気づいたら症状が全くでなくなり現在に至ります。

そんな恩恵に預かったのにいつの間にか、一日2回の瞑想が一度になり、数日空くようになり、そのうち全くやらなくなってしまいました。

その後の数年間、いいも悪いもありつつそれなりに過ごしてきましたが、1ケ月くらい前から気持ちが沈みがちになり、外側に起きていることに自分の気持ちが重きをおくことがとっても多くなりました。

そんな時にふと阿部さんのブログを覗いたら、web講演のお誘いがあり参加してみると見ているだけでなんか心が落ち着いてとても軽くなった気がしました。

それでも翌日はまた気分が沈んでしまっていたのですが、続けて昨日のweb瞑想会に参加し終わった後の自分に本当に驚きました。
心が落ち着いて、体と心の静けさが本当に心地よかったんです。

瞑想前と状況は全く同じなのに、こんなに気分が変わるんだ!

それまでも瞑想をして何度も味わったことがある感覚だとは思うのですが、数年間離れていたせいかものすごく新鮮に感じられました。

夕べから心の中で「瞑想万歳!」ってずっと叫んでる感じです。
今までブログを読んではいても一度も書き込みはしていなかったのですが、あまりに嬉しくて投稿しました。

阿部さんと智子さんにとても感謝しています!
ありがとうございました。
Posted by 瞑想万歳♪ at 2018年12月07日 13:40
今日もまた最高の上書をありがとう

なんでこんなに優しいのだろう

な~んにも引っかからないで・・・・

言葉の奥の感覚が体の中に心地よく入ってくる

喜びのエネルギーが体の中から湧きあがって来るよ

感謝!!
Posted by yaboi at 2018年12月07日 14:01
瞑想会はありがとうございました。
気持ち良くて、終わった途端またこてっと寝てしまいました。

多分、この一点、いまここに生きることに抵抗しているところもあるのでしょう。
ストーリーを離れたいのに、離れたら私の存在価値がなくなってしまいそうで。どこかで自分を守りたいのかも。
いまここを信頼して全肯定できたらとても楽になりますね。
考えなくても、何もしなくても、人にどう評価されても、きっと大丈夫ですね。
阿部さんは言いたいことを言っても愛されているものなあ。
いまここにゆだねる練習を続けます。
Posted by 風 at 2018年12月07日 15:27
おそらく、“思い”の前に「感覚」があるのがほとんど?だと思います。

赤ん坊も思考能力や物心が付く前に、この身体などの感覚があるから泣くわけですよね。

そして、赤ん坊の次期の直感能力だけでなく、それを独自に解釈する思考能力がはっきりと付いても、

このあまたの“感覚”があるから、起こるから、

大人になっても、“一人一人”が出来上がってしまうわけですよね。

いくら一瞥ができたり、ワンネス・・(お湯に浸かっている時のような?)一体感の感覚が瞬間的にせよ、数週間にせよ、それらがいくら起ころうが・・

基本的には、この身体の様々な自動的な知覚行為と、それらの「感覚」を思考や理解が発生するの前に味あわされてしまうのので、

お陰さまで、私・自分や、個や、自・他の感覚→印象(解釈)→思い・捉え方などが創造されてしまうわけなので、

ウザイですよね。
Posted by y-be at 2018年12月07日 15:48
人生で何が起ころうとも、私たちが経験しているのは、それに対する反応としての感情だけなんじゃないでしょうか?

宝くじが当たった喜びも、好きな人と相思相愛になった喜びも、欲しいものをゲットした喜びも、多少の差こそあれ、エピソードはそれぞれ違いますが、私たちが自分のものとして経験しているのは、それに対する反応としての感情だけなんじゃないかと思えてきます。
心の反応と言ってもいいかと思います。

私たちが生まれてから死ぬまで、ストーリー自体を経験しているように見えても、実は本当に経験しているのは、怒哀楽などの感情だけ。

ちなみに、楽しいことなら何でもウエルカムで、悲しいことは出来る限り避けたい、というのが人情なので、そのような感情を味わえるストーリーを望むのが、引き寄せに惹きつけられる人の心理なのでしょう。

そう考えると、ストーリー内容云々より、如何に不快より快を味わうか?ということが、重要になってくるのかもしれませんが、自分の思い通りに行かないのが人生でもあります。

それでも、訓練によってある程度、心の反応は選択できるので、無意識に起こる自動反応としての感情を選択することは可能だと思います。

起こることに一喜一憂するという心の反応がなくなれば、ストーリーはただ起こっているだけのことになり、"わたし"はその起こっていることを、ただ眺めるだけの人になりますね。

そうなれば、"わたし"はただの目撃者でしかありません。
何が起ころうとも、ストーリーは目撃者の前を通り過ぎていくだけ。

外は嵐でも、内側は平和で穏やか(^^)

そうなると、どんなストーリーであっても、"わたし"には影響を与えませんね。

どんな人生でもOK♪

人間万事塞翁が馬、ですね。
Posted by 目撃者としてのわたし at 2018年12月07日 19:04
ある時、

「どうにだって思えるはずなのに、
 どうしてわざわざこう思ってるんだろう?」

と疑問に感じ、自分の好きな方を選ぼうと思いました。

それ以前から、皆の言うことや行動等に対して

「なんで?どうして??こうでも、この方がいいんじゃない??」

とか反応しまくってました。


しばらくしてから、どうやら

「どうしてわざわざこう思ってるんだろう?」

という『疑問』、

「なんで?どうして??こうでも、この方がいいんじゃない??」

という『反応』

『というストーリー』にも、うっかりハマッてたことに気付きました。

今は、『軽い』『重い』だけが判断材料で、それも、
ただ呼吸を合わせるだけになりました。
それだけでも、自然と解放されたりして気持ち良いですが、
そのうち、『軽い』『重い』という判断も無くなるんでしょうかね?
とりあえず、今のところは、これでちょうどいい感じです。
Posted by ただの「自分」 at 2018年12月07日 20:01
>それでは物語を持たない自分とはいったい誰なのか

お昼バージョンと夜バージョンがあるのですよね



存在に対する無である相対の無と
全く何もない絶対の無

自分という自我は必ず物語と共に存在しているので
物語を持たなくなると、自分という自我は消えるのですが

夜の熟睡中に物語が手放されると、自分も世界も消えた
絶対の無になり

昼に物語が手放されると自分と世界の分離も消えて
存在だけが残るという相対の無になるのですよね

無☆無☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2018年12月07日 20:49
心に衝撃が走ります。少しづつ体感できている感じがあり、手応えを感じている今日この頃です。日々の日常で引き戻される時はありますが、以前とは全く違います。最近は坐禅がとても楽しいです。阿部さんのお話しは本当にすごいです。一番大事な事を教えて頂き、有り難うございます。
Posted by 桜子 at 2018年12月07日 23:37
神「お前らが物語がねーとつまんねーって言うから、物語見れるようにしてやったんだろーが」
Posted by パンマン at 2018年12月08日 00:32
素晴らしいカラクリ

いつのまにか

参戦してて

関係ないって

思えば

大丈夫な

感じに

なってきます、次男は就活中

サッパリ見つからないよう

関係ないです

彼の人生だから
Posted by momo at 2018年12月08日 05:49
パンマンさん、おはようございます。ご無沙汰しております。

コメントのフレーズの発端は私にも分かりそうです。

消えたい奴ら(自我)は、未練がましくグダグダ言ってないで、とっとと消えて、

残りたい奴ら(自我)も、不満や文句ばかり言ってないで、せっかく得られた自我で居られる機会をを楽しめよーー

って、ことでもありましょうか・・・

しかし、思ったのですが、この「お前ら」は?どうやって生まれてしまったのでしょうね?

或いは、どうやって?起こって来て?しまったのでしょうね?

生まれる前、起こさせられた?以前は?

自分や私だとか、何が?起こっているという自覚だとか、認識だとか、自由な意志だとか、選択権だとか、

あった???と、思われますか?
Posted by y-be at 2018年12月08日 07:04
※届かなかったかな?で再送です。

先日のウェブ講演では、命を生きてるを引用されたようですし、
1ミリたりとも離れていないとも、はたまた、あなたがブッタもよくいわれますね。
胡蝶の夢の荘子は、幻想なのだけども、この世も本来と云われてます。
なので、偽物ではないですね。
偽物と捉えながらでは、どうやって坐禅に入れるのかって、気がヒク気がします。

>気楽
背負い込む事がなく、自由感を得られたなら、気楽だと感想と同時に、「しあわせだあなあ」とも思おたり、「君といつまでもお〜」ってツレさえいれば、ってやつもいるでしょう。

>物語の中で生きている人の中に、本当に幸せな人はいません。
前に他の人のコメントで。。幸せ感は人それぞれ。。のような。
そこで、「本当に幸せ」ですが、幸せ感はその時、瞬間でもあり、長期でも、ふと振り返って思えば。。でも、そう人それぞれだと思います。ですから幸せを感じた本人において「本当」だと思います。成功してるひとはその現状とか、またはプロセスに「生きがい」を感じてる場合もあるかもしれません。でも、続くかどうかは。。。ってのもまた、皆さん知ってますよね。
諸行無常、移り変わるを皆さん知ってるんですよ。
ですが、知ってって、も、が付く思います。
そう、そこはかとなく〜そこはなんとかって。
なので、「幸せな人はいません」は、疑問符でした。


四季折々。季節を感じ過ぎ去るも感じる。
ワビサビワサビ、ピリッと敏感に感じる日本人。
チャリで季節、風を感じてから、バイクへおっさんライダー。
バイクの良さがわかる。こん年で。
冬将軍到来でも完璧装備で、走っちゃったきょう。

第三者は意味なくとも、当人には充分すぎる幸せ感を得てる。
「気持ちいいい〜」(訳せば、「生きてる〜」かも)
だけのために。も、ひとつの幸せ感でそお。

そおお?
って誰?
Posted by 日和る at 2018年12月08日 08:17
僕は悟りの極地にいます。
常に無です。
これは良い事!と言う思いこみ。
これは悪い事!と言う思いこみ。
全ては、他者からの先入観、
自分の思いこみ、自己満足。

なので、擬似でも楽しさを感じる事ができる人格を自分で形成し、その楽しさのみを日々感じ、天命が来るまで、
謙虚に生きていきます。

知恵を持った動物とは、
めんどくさいものですね(^^;
Posted by ゆぴ at 2018年12月23日 07:21
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