2006年10月15日

ご飯と宇宙

ご飯と宇宙

昨日は一日、感謝というテーマで生きてみた。


そこで見えたものは頭ではわかっていても、心の底からという感覚を持つことの難しさ。
それは作ろうと思って作れるものじゃない。
自分は騙せない。


それでもやらないよりはだいぶマシ。
いろんな自分に気づけるし、いかに多くの力によって事が成っているのかが見えてくる。


たとえば昨日僕が食べたコンビニの昆布のおにぎり。


お米はどこかの誰かが作ってくれたもの。
苗が育つ過程だって、太陽の力や雨の潤いや、地の養分や様々な作用によって起きていること。

海苔や昆布だって海の中で育つには多くの力が必要だったし、時間もかかる。

それを誰かが運んでくれて、多くの作業過程を経て昆布のおにぎりになった。

運ぶために必要な車も燃料も道路も、製造過程での機械もぜんぶ誰かの努力によってできたもの。


そうやって考えると、この昆布おにぎりの中には、天の恵み、地の恵み、海の恵み、人の労力といった目には見えないけれどたくさんの「おかげさま」が入っていることになる。


おにぎり一つとったってそうなんだから、身の回りの物がこうして目の前に現れた経緯を考えると、気が遠くなるような無限の「おかげさま」に囲まれていることになる。

それが実感できるくらいの想像力と注意深さを持てば、毎日の何気ない経験が格段に深まるよね。
その深みが人生の豊かさなんだと思う。


感情的には心の底からの感謝が出てこなくても、知的には感謝に繋がる理解を持つ事が出来る。
それは不断の気づきさえ持てれば可能なこと。

ぼくはそこから練習して見ようと思う。


ご飯(お米)を食べながら天の恵みや地の恵みの宇宙を感じようとする。


ちなみに禅寺では、食事の前に必ずそのことを宣言するんだよ。


「ひとつには功の多少を計(はか)り 彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。」

(この食事が食膳に運ばれるまでには、幾多の人々の労力と. 天地神仏の加護によることを想って感謝いたします。)


今日もそんな気持ちを持って生きて見ます。

合掌




Posted by Toshiro Abe at 10:20│Comments(0)日々のメッセージ
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