2017年08月29日

続・輪廻転生

昨日は輪廻転生という記事を書きましたが、人の記憶というのは曖昧なもので、このようなテーマは、このブログではほとんど扱ってこなかったと思いながら、輪廻転生という単語でブログ内検索をしてみたら、出てくる出てくる(笑)


昨日書いた、「宇宙は一つだが、人の数だけある」という発想も、すでに6年前に書かせてもらっていたんですね。

この視点は先日の講演中に初めて自分の中に湧いたインスピレーションだと思っていたので、これも意外でした。


この過去記事にもそのことが分かりやすく書かれているので、時間があったら読んでみてください。

輪廻転生



それじゃ、今日は何を書こうかな。

同じことの繰り返しじゃつまらないし・・・


今日はいままでごく一部の人にしか言ってこなかった、僕の前世(?)について書いてみることにします。

たわいもないストーリーですが、真面目に書いてみます。

もしかしたら、あなたにも思い当たることがあるかもしれないから。



前世の記憶といっても、具体的なエピソードを思い出したわけではありません。

ただ幼少のころから、生まれ落ちた環境に大きな違和感を持っていて、自分はここに生まれてくるはずではなかったのに、なぜこの人生を選んだのだろうかという、子供らしからぬ疑問を持っていました。

人は新しい学びを得るために、自分の人生の条件を選んで生まれてくるという話をする人がいますが、確かにそんな感じがしていました。


これも子供の頃からなのですが、僕の場合は、この世に生きる人たちの苦しみや悲しみを理解し、どの魂も特別なものではなく、みな等しく同じものだということを、身をもって知るために生まれてきたのではないかと感じていました。

そしてなぜか、前世での自分のイメージも持っていて、それは誰にも話せない自分だけの秘密でした。

そのイメージの人は、立場上なのか高慢なところがあり、自分は特別だという思いが強くあったのです。


そんな特別さという心の歪みは、僕の半生で事あるごとに顔を出すのですが、そのたびに、またやっているという思いがしたものです。



それがあるとき、30歳の時でしたが、発売されて間もない一冊の本に出合います。

その本に出てくる、作者の父親の肖像写真を見た時、

「この人だ」

と確信めいた気持ちが湧きました。


目元も、全体的な雰囲気も僕によく似ています。

それもそのはず、その人は僕の血統上の祖父でもあるのですから。


事情があってこれ以上詳しくは書けませんが、その写真を見た瞬間に長年持ち運んできた思いがひとつの円として完了しました。

そしてその数か月後に目覚め体験が起き、すべての魂は同じものから生じていて、上も下もなく、貴賤もなく、すべての人は尊く偉大な存在だという理解が生じ、それまでの半生が終わったのです。


このストーリーが単なる思い込みなのか、それともそうでないのかは分かりません。

すくなくとも僕の宇宙の中では事実として起きたことであり、実はいまも僕はその人の生まれ変わりだと思っている面があります。


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この世での最も大切な気づきは、全体から分離した自己は存在していないということ。

私たちは「ひとつなるもの」の現れなのです。


ところが同時にそこには、各々に備わった何らかの個性もあり、それは生死を超えてあり続けている。

その各々は、それぞれに宇宙を携えていて、宇宙は一つであるのと同時に、無数の様相を示しているのではないか。

そして人は死後、それぞれの宇宙に帰り(実際はひとつのもの)、また現象界に新たな冒険として出てくるのではないかと思うのです。


これがいまの僕が感じる輪廻転生です。


・・・・・・・・


【お知らせ】

「あの世に聞いたこの世の仕組み」の雲 黒斎と

「いまここ」の阿部敏郎による

『阿雲の呼吸』

各地トークライブの詳細はコチラから。


さとうみつろう君と毎年開催している、秋分の日スペシャル。

彼のブログに詳しく紹介されています。

「笑えるスピリチュアル」




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Posted by Toshiro Abe at 13:30│Comments(49)
この記事へのコメント

やっと、書いて頂けた。

捨てたんですね、ヘンテコな表現です。

すみません。
Posted by みちばた at 2017年08月29日 13:35

阿部さんが語る輪廻好きです(^^)

手塚治虫さんの火の鳥を読んで、
興奮したのを思い出しました。

摩訶不思議の世界。

阿部さんが見せる世界観やっぱり好きだな??
今日も頑張るぞ?(^^)
Posted by あらかちです。 at 2017年08月29日 13:46

阿部さんの前世のお話、面白いですね。

私たち人間の人智を越えたところで、事は起きているので、
そういうこともあり得ることだと理解しています(^o^)

そして、今生では、今日の記事に書かれたような結論を得られた訳ですよね。。

それを、メッセージとして発信されている阿部さんに、今生で出会えたことを、とても幸運に感じています。

このような流れに、感謝の気持ちが湧きますし、宇宙の愛を痛いほど、感じます(笑)
Posted by 真理世 at 2017年08月29日 13:51


こういうお話読ませて頂くとワクワクします♪
ありがとうございます。

>ただ幼少のころから、生まれ落ちた環境に大きな違和感を持っていて、自分はここに生まれてくるはずではなかったのに、なぜこの人生を選んだのだろうかという、子供らしからぬ疑問を持っていました。

自分も、子供の頃から、そういう感覚はありまして・・・・・
「本当は、空飛んで、あちこちの『世界』を眺めて遊んでただけのはずだけどなぁ〜」
と思ってました。

じゃあ、空飛んでた時は何だったんだろう?と思ってみましたが・・・・・
どうも、何を妄想してもしっくりこないんです。
ろくでも無い人間だから、元は堕天使かも・・・・・
いつまでたっても子供な気がしているから、妖精かも・・・・・
爆笑問題の太田光の著書「カラス」を読んで、その「カラス」のイメージが強烈に印象に残ったので、
自分もそうだったのかも・・・・・

でもある時ふと、
「なんか、『初めて』肉体持って生まれてきた気がする」
と思って・・・・・そう言えば、勝手に「空飛んでた」と思い込んでたけど、
それは、この肉体を持っているために鳥と対比したからであって、
本当は、『飛んでいた』ではなく、

ただ『全体』から『眺めていた』だけではないか?

と思ってしまいまして・・・・・

こちらや黒斎さんとことかの記事やコメントを読ませて頂くようになってから起こってきたので、
多分に影響を受けているんだろうとは思いますが、今のところ、一番気に入っている妄想です(笑)
『肉体』や『精神』持ったのが初めてなら、『社会的』に『使いこなせてない』のも
当たり前だよなぁ〜と思って、気が楽になりました(笑)
Posted by ただの「自分」 at 2017年08月29日 13:57

今日もありがとうございます。全体から分離した自己は存在しないのですね。今日も気づきをありがとうございます。良い一日を。
Posted by 林ゆみ子 at 2017年08月29日 14:18

コメント欄のルール(?)について、誤解されている方もいるようですのでちょっと補足です。

・・・って阿部さん私が間違ってたら指摘ください。

阿部さんのお願いの本意は、「コメント欄は、誰もが気軽に参加できる癒しの場としたい」ということだと思います。
なので、なるべく個人同士のやり取りは控えて欲しい(なぜならば他の人が参加しにくくなる)、なるべく自分の考えの発表は控えて欲しい(なぜならば癒しの雰囲気でなくなる場合があるし、議論が展開するとますますそうなる)、という具体的なお願いになってるのだと思います。

なので、絶対に個人同士でやり取りするな、絶対に自己主張するな、ということではないと思います。「誰もが参加できる癒しの場」という前提が崩れなければ、そのようなコメントもありなのだと思います。
Posted by パンマン at 2017年08月29日 15:41

自我の自分は永遠に生きていたいものなので

あの世や霊魂、生まれ変わりのことを
確信を持って話す人に出会うと

それは本当のことに違いないと
信じやすいものなのでしょう…

そして、実際に大きな癒しが起きることもあるわけです

自分の死の恐怖が和らいだり…
肉親を失った悲しみが和らいだり…

ですから、

それもまたよし!それもまたよし!

愛☆愛☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月29日 15:52

大いなる海に生まれた生命が生き、死に、大いなる海に還り

大いなる海からまた新たな生命が生まれます。


大いなる宇宙の愛の光に生まれた生命が生き、死に、大いなる宇宙の愛の光に還り

大いなる宇宙の愛の光からまた新たな生命が生まれます。


形ある生命は有限で無常ですが

形ない生命は無限で常にあります。

https://www.youtube.com/watch?v=-HTM8WIumXc

Posted by 大空 at 2017年08月29日 16:41

存在意識に「個」の感覚が永続的に残っている・・・
う〜ん、神秘ですね。
Posted by あき at 2017年08月29日 16:47

勝手言いますが
阿部さんは歌を歌われるために生まれて来たと思っています。あのような歌は誰にも歌えません。
ヒット作の頃のお歌も好きですが
復活してからの歌はもっと好きです。
そんなファンが待っていることも忘れないでください。
Posted by ヤンプラファン at 2017年08月29日 17:31

輪廻転生は無い 死んで大いなるひとつに戻り 新たな学びに来る時持ってくる道具が 大いなるひとつの中から学びに合ったものを持ってくる その道具を今まで使った者の記憶を思い出すだけ全てはひとつの存在だけど 一応個性と言うエネルギーで表現されて居るだけだと思う 全体と個と言う表現で大いなるひとつは 遊んで居るだけだと思う だから 全ては思い悩むほどの事など何も無く どうでも良いことだと思う
Posted by ベーさん at 2017年08月29日 18:22

私は前世というものに全く個人的な記憶や意識がないので、個別の魂は存在しないと語ってこられた阿部さんから語られる今日の記事はとても興味深いです。

子供のころから一般的な「霊魂」や「前世」という知識を信じてはきたのですが、しかしそれを語る人々(霊能者?)が微妙に言ってる事が個々で違っていり、特に前世は自分には知りようがないし、昔能力者みたいな人に前世を教えられた事もあったのですが、結局眉づばだと思って信じていませんでした。

けれど、阿部さんのように記憶のようなものがある人もいるんですね。
黒斎さんが生まれ変わりは過去の人間の思い残しが転生(?)したものという感じの言い方をされてたと思うのですが(ニュアンス違ったらすみません)、それと今日の阿部さんの記事を読んで、なんとなく納得してしまいました。
生まれ変わりがあるとして、目的?理由?があるとしたら、延々と繰り返している癖のようなものを終わらる事がひとつとしてあるのかなとか....特に自分自身が現在瞑想をしながら自分を変えたくてしょうがないと思っているので、そういうテーマがあるのかなたと思いました。

真相はわからないですが、私も祖母や近い祖先のだれかの思い残しの現れなのかなと考えたら、今までは前世は胡散臭いと思ってましたが、なんとなく、叶えられなかった想いを叶えてやりたいという気持ちが湧きました。
なんとなくロマンがありますね。
Posted by タエコ at 2017年08月29日 19:19

無にある瞬間生まれたのが大いなるひとつと言う意識 大いなるひとつの意識の中で織り成されて居るのが 全体と個に分けた宇宙という映像 だけど何処まで行っても大いなるひとつ以外無い
大いなるひとつも誰から生まれたのか解らない 何を取ってもやっぱりどうでも良い事 結論はこれしか出ないんですけれども他にあるのでしょうか
Posted by ベーさん at 2017年08月29日 19:27

輪廻転生さえもリーラなのでしょうか??

私は、幼い頃から、なぜに生まれてきたのか、という思いはあったような気がします。

ここに、といった「環境」に対してではなく、
漠然と、存在している?に対して。

理由も解らなく、刹那さがぎゅっと胸をしめつける。

でも、魂を磨く為に、、、は、
今は、お休みしてます。

これまで色々、先延ばししちゃった感があるので(^^;




Posted by サウナ at 2017年08月29日 22:09

久しぶりに訪れ以前と変わらぬ温かい文章にホッとしました。
三年前、両国での講演会で阿部さんの案内の声のままに瞑想していた時、
わたしはいつもここにあって死ぬことはありえないとハッキリ知りました。

おかげさまでずっといい状態が続いてますが、いっときの感情から退職してしまった後悔が襲ってきたりもします。
このままでは生活はどうなってしまうのか、
子供を守ってあげられるのか
今しかないと言い聞かせても不安は消えません。

人生はこういうものなんでしょうかね?
また寄らせていただきます。
Posted by パピヨン at 2017年08月29日 23:34

サウナさんのコメントに

>輪廻転生さえもリーラなのでしょうか?

という一文があったので、

阿部さんの過去記事に、そんなことが書いてあったような記憶があって、
ブログ内検索をしてみました。

そうしたら、

「リーラとマーヤ」という記事タイトルで、やはり書かれていました!

2012年04月21日 「リーラとマーヤ」
http://abetoshiro.jp/archives/2213979.html#more

何故、5年も前の記事を憶えていたか?というと、
サンスクリット語の”リーラ”と”マーヤ”の意味をネットで検察していたら、
本当に偶然、この記事がヒットして、その時は、「いまここ」というブログ名でしたが、
その記事の内容に、ビックリ仰天!天と地がひっくり返るとはこのこと!(笑)
(以来、阿部さんブログのファン?に、笑)

今日、改めて読み返しましたが、
あの時の新鮮な感動と驚きと歓びが一気に蘇ってきました♪

リーラはマーヤ。

神の戯れは、幻想。

ああ、こんなにも明確に書いて下さっているのは、
日本広しといえども、阿部さんだけ?です(笑)

阿部さん、いつも、ありがとうございます♪
Posted by 真理世 at 2017年08月29日 23:39

輪廻転生か、結局また生まれてくるのか。トホホ。終わらねえのかあヽ(;▽;)ノ
Posted by りんりん at 2017年08月29日 23:57

「オレはいない!」
と思わないとこの人生やってられねえ。

このブログがなかったら今頃精神病院に入れられ鎖でベッドに強制的にくくりつけられていたかも。
しかも考えようによっちゃ、
そっちの方が幸福だったかもしれない。(笑)

Posted by movie at 2017年08月30日 01:21

輪廻転生があったとしても、なかったとしても今いかされているのは事実として存在してるし、最終的に内側を静かに感謝モードが大切なのか。
魂にクセ(個性)というものがあるなら、瞑想や禅はそのクセ(個性)を鎮めてくれる役目もあるのだろうか?
マインドはいつも、あ〜でもない、こ〜でもないとケチをつけてくる、、、ウンザリである。黙れ!マインド!・・・ちゃん。
Posted by うめちゃん at 2017年08月30日 01:53

黒斎さんのツイートで

>「探求が終わる」ことと「探求を辞める」ことは、イコールではありません。
>言うなれば、前者は「卒業」であり、後者は「中退」です。
>しかしながら、こと精神世界において、後者でありながら「スピリチュル卒業」と話されることが多いと感じます。
>勿論「中退が悪い」と言いたいのではありません。

とありますが・・・・・
『中退者』が『輪廻転生』の『元』となり、
次の『精神』、『肉体』の『一部』となる・・・・・という解釈にもなるでしょうか?

とりあえず、ちゃんと『卒業』しないと、かなぁ・・・・・
・・・・・と言うかちゃんと『入学』できてるんだろうか自分?
なんか、勝手にキャンパスに紛れ込んで、『学生』を冷やかしたり『遊んでる』気しかしないんですが(笑)
Posted by ただの「自分」 at 2017年08月30日 03:32

あべさん おはようございます。はやおきの李です(単に歳をとっただけですがw)
輪廻転生の記事中の一文に、矛盾を感じました(するどいかもですが・・・爆)
>死後の世界とは、全体に帰ってもなお残る個性が創り出す世界のことです。
・・・?個性がなかったので、びっくりぎょうてんして ブログ書き始めました。阿部さんもそうではありませんでしたか?私は、自分の体験を信じます。ストーリーのない 素の存在感を。。。
Posted by 笑福亭 李 信 at 2017年08月30日 04:39

コメントしてるときが1番きらい。

わたしが輪廻転生なんて考えても分かるわけないのに。

ムリに考えない。
そんな意味で役にたった。

Posted by なんでやねん! at 2017年08月30日 06:02

人の数だけ宇宙があってもいいのだと思おうと安心しました。
全てはひとつだが真実だと、目から鱗のように受け入れられた後も、ずーっと疑問がくすぶり続けていたものがありました。

阿部さんとは違う、阿部さんのような前世とも思われる記憶、感覚が私も子どもの頃からありました。

輪廻転生など無い。と、思おうとするぼどに、その感覚や記憶が顔を出すのです。その度に‘今が大切’と言い聞かす日々が何年も続きました。

気づきの体験をすれば、このような感覚は無くなるのかと、瞑想も座禅も、体験を期待して行っている自分がいて嫌になりました。

自我があるから、私はまだ生きているんだ。
この肉体を離れる時には全てが分かるのたから、哀れな自我を愛しみながら、持病を持つ肉体で、この戯れを私なりに生きてみよう。

【きっと誰もが同じ河のほとりを歩いている
】(道化師のソネット)

人の数だけ宇宙があると思わせるのも、神の戯れ。そこに意味はなくても、そこで味わいたいものがあると思えると、生きていける気がしています。

みんな違って、みんないい。
Posted by Ay at 2017年08月30日 08:31

阿部さんのお話、ワクワクしました

ずっと会っていなかった父が亡くなり、ボブさんに話したら、
お父さんは、もう、新たな人生を歩みはじめている。と言っていた
死んで2年くらいだった
2年で!もう?、生まれ変わるんだ?と、びっくりしたのを思い出した
私的には、10年くらいは、愛いっぱいの光でいたいなぁ??

生まれ変わったと言われる、
その魂に、がんばってね。
と、声をかけました

輪廻転生、あるのかないのか、
不思議ですね

Posted by Pink at 2017年08月30日 09:35

みんな違ってていい
みんなどうせ同じなんだから

かな?
Posted by 模察 at 2017年08月30日 10:11

どの次元まで個性は残るのかな?
いま、考えてみても想像でしかなさすぎて、わかるはずもありません (^^;)

阿部さんの体験。。
不思議なことってあるのだな!と思いました。
というか、阿部さんには不思議体験が沢山起きている気がして…お、おもしろいです(´?ω?`)

私は小さい頃の記憶で、幽体離脱していたかのような記憶があるのですが、あれは、いまの私の思い込みなのか、本当にそうだったのか、よくわかりません。やっぱり自分の思い込みかもしれないとも思うし、でもあの感覚は…!という気持ちもあり、 なんだったんだろうあれ?という感じです。
前世とかは全く心当たりがありません!
ヽ(;▽;)イエイ
Posted by 薄茶色 at 2017年08月30日 10:55

阿部さん、こんにちは。僕も輪廻転生というと、阿部さんと同じ様に一つの宇宙に帰り、また時が来れば、冒険の旅に出るという感じですが、ではなぜ輪廻転生をしてまで、この苦しい世界に
戻ってくるのでしょうか?あちらの世界に飽きてしまうんですかね?やはり体を持っていろんな事を体験出来るというのは、愛と感謝につながるのでしょうか?僕も知ってどうなる訳ではありませんが、前世には、興味あります。今生、なぜ生まれて来たのか解るかもしれないからです。知りたいなー。いや知らない方が良いのかな。(^^)
Posted by 永井新吾 at 2017年08月30日 11:35

パンマンさん

お疲れ様です。
嫌なお役目とまた、いろいろと心をくだきながらの補足等ありがとうございます。
(あらっこれも違反かも

ありがとうございます。
Posted by はまちゃん at 2017年08月30日 11:59

こんにちは(^_^)


輪廻転生について、見えない体の一部が転生しているのではないか?との見解から、見えない体についてネット上で検索してみました。

七層の身体観は、神智学やヨーガの身体観について調べると参考になると思いました。

私はそれらと阿部さんの記事を併せて読んで、自分なりにですが考えが深まりました。


『この世での最も大切な気づきは、全体から分離した自己は存在していないということ。

私たちは「ひとつなるもの」の現れなのです。


ところが同時にそこには、各々に備わった何らかの個性もあり、それは生死を超えてあり続けている。

その各々は、それぞれに宇宙を携えていて、宇宙は一つであるのと同時に、無数の様相を示しているのではないか。

そして人は死後、それぞれの宇宙に帰り(実際はひとつのもの)、また現象界に新たな冒険として出てくるのではないかと思うのです。』


こう考えると、神々のリーラと云われる由縁を、ほんのちょっと覗いたような気がいたします。。


存在の、存在による、存在のための、存在探し。

こんな言葉が浮かびました。ハハ(^_^;)
Posted by eryngium at 2017年08月30日 12:15

エネルギー的に考えると、
人間とは、個性を持ったエネルギー体であり、収縮したエネルギーです。
この個性として現れている収縮したエネルギーとは、一種のエネルギーの歪みのようなもの、と言えます。
 
全体エネルギーの中で、この歪みが解消されないと、収縮したエネルギーは、そのまま残ります。

それが、輪廻転生する、という考えもあるかと思います。

純粋意識、純粋エネルギーが、私たちの本質ですが、
個体は、個性という歪みを持っているので、本質である純粋エネルギーとは異なる、ということだと思います。

この本質とは異なる部分は、エネルギーとして、自然の一部として残ってしまうかもしれませんが、
それは、「わたし」ではありませんから、(「わたし」なる主体はいませんから)、
「わたし」が気にしたり、悩んだりすることではない、と思います。

何故なら、この個性を自分で選んできた、と言える人はいないでしょうから(笑)
Posted by 真理世 at 2017年08月30日 12:49


はい、思い当たってます(笑)

阿部さんに湧いてきた真実!
面白いですね!!!

前はよくレムリアのような所に帰りたい!そういう世界にしたい!と思っていだけど‥

言葉でなんて言えばいいか、
ちょっと違うけど‥

今はこの全体エネルギーがより深く統合してる感が、
より深い自由感があるみたい!!!


私もなぜかある人?ある神?と思うような
とあるエネルギーがこの肉体に湧いている感がずっとすご〜くあります(笑)

過去世の記憶??
どこからともなく湧いてくるエネルギー☆
不思議ですよね〜o(^-^)o

Posted by えんじぇる at 2017年08月30日 15:56

私というものがないとしても、こうしてたくさん抱えて生きているのですから両方から描いてくださるのはここしかありません。
書いてくれて本当にありがとうございました。
Posted by 識名 at 2017年08月30日 16:42

阿部さんが輪廻転生について書くというのは、やはり、やっと書いてくれたという気持ちがありますね。 ・・・ね、死んだらどうなるんでしょうね? まあ、どうでもいいという気もしますし、老いた親族に何を話したらいいのか、という事があります。
せめて、死んだあとはこうなるから、安らかに行きましょう。とでも言えればいいのですが、老人に対し、未来に夢ある話ということもない、いや、なくはないのかな? 輪廻転生があるとした方がいいかなという気持ちもあり、難しいですね。
Posted by ひよどり at 2017年08月30日 17:57

主体としての「自己」があると思っていることが、
マーヤー(幻想)だということなのだと、
阿部さんの「リーラとマーヤ」という記事を読んで、よくわかりました。

「自己」は、錯覚。

だとすると、
この生きている「わたし」でさえ、「錯覚」ということになるわけですから、

「何か」が輪廻転生したとしても、
それは、少なくとも「わたし」(自分)ではない、ということになります。

この次元に在るのは、大宇宙という自然です。

それを、「在るがまま」とも言いますが、
人間も、大自然の一部であるので、
大宇宙のサイクルの中で、エネルギーとして形を変えることはあると思います。

しかし、それは、「わたし」ではありませんので、
「わたし」が、人間を卒業したり、中退したりすることはあり得ないと思います。

エネルギーが、このような形で現れているだけ、なのですから。
Posted by 真理世 at 2017年08月30日 18:02

阿部さんの お役立ち のところ

わかるかな ワカンネーダローナ と

多種の 切り口から 言葉では 伝わらないと知りながら

いまここを 毎日 説明 してくれる

この 生きざま 姿勢が 後世への最大遺物ならぬ

阿部さんの 最大遺物 である

そういう存在である 阿部さんが 

 ブログの役立ちの不安を 素直に見せる

真理をつかんでも つかまなくても

同じこと たかが 映像

阿部さんが 言う から わかる

いまここから 阿部さんに 感謝


Posted by CHUYOSPACE at 2017年08月30日 20:48

阿部さん、いつもありがとうございます。

魂を磨く、輪廻転生、これらのキーワードでスピリチュアルの世界に足を踏み入れて、
違和感?疲れ?を持って、阿部さんに出会えました。

今は、このような方向からのお話しに、
変な疲れはありません。
考えるのがめんどくさいだけなのかもしれないですけど(^^;

真理世さん、
リーラとマーヤの記事のご紹介ありがとうございました。

ほとんどのことを、エネルギーととらえると
思考が穏やか。
深掘りはできませんが。
Posted by サウナ at 2017年08月30日 21:03

卒業 捨てる
中退 辞める

そうですか、捨てても、辞めても、きちんとありますよ。

ただ、その場に行くには、必要なんです、捨てる事が、でもね、あるんです。

こくさいさん
親切ですね。

Posted by みちばた at 2017年08月30日 21:04

阿部さんの、前世かもしれないお祖父様が気になりました(^_^)

私は子供の頃に一度だけ、いわゆる霊と思われる女性を見たことがあり、

大人になってからおばあさんの霊が憑いていると言われ、自分で見たことのあったその女性ではないかと思ったことがあります。
(血縁関係はないのですが、ご先祖です)


なにか、成就できない思いを残したことを伝えたかったのか。。

わかり得ないことですが、私がしっかり生きることが、先祖供養になることだと、思い至った覚えがあります。

そういえばこの頃、家族で墓参りに行くことができて、とても有り難くて嬉しかった。理由の分からないの涙を、たくさん流した頃でもありました。


過去生での思い残しを背負って生まれてきたとしたら、生きているのは今生の私(エネルギー体)だけではないな。。と思うのでした。

(^_^)
Posted by eryngium at 2017年08月30日 21:59

38.のコメントにて、

(血縁関係はないのですが、ご先祖です)

と、特定の人物を思い描いて記したのですが、その人物でない可能性もあることでした。すみませんです。

Posted by eryngium at 2017年08月31日 00:38

もしかしてもしかしてだけど、深い瞑想の中に入っていますか。
ブログおやすみの日は瞑想三昧の中なのでは。
勝手な想像ですけど。
そう思いました。
全く違うかもしれませんが。(笑)
Posted by (社)瞑想 at 2017年08月31日 10:39

生命とは何でしょうか

そして輪廻転生とは何でしょうか

あえて、わかりやすく説明するとすると

生命とは光であり、愛であり、叡智である

と表現できるでしょう

輪廻転生も、この偉大なる生命を探求する旅

と表現できるでしょう
Posted by 賢者 at 2017年08月31日 12:30

エ?
あれ?やだ。。(汗)

この体が「器」だということを、
すっかり忘れてた。。。!

宇宙の法則として、
輪廻転生があるとしたら、

その時、輪廻転生するのは、
「器」の中身ってこと。。?

服を次々と脱ぎ捨てるように、
「器」を次々と変えていく。。?

何という。。!

神の戯れ、リーラって、こういうこと?

“ひとつ“なるものの、自在変化の永遠の顕れ?!

はぁ〜(ヘナヘナ〜)

完敗ですm(__)m

ここでも、「わたし」の出番は、
全く無いってことなんですね。。
(嬉しいのか、哀しいのか。。。笑)
Posted by 真理世 at 2017年08月31日 13:43

暗殺されたヒトではないですか?
Posted by もしかして at 2017年08月31日 14:22

小学生の頃、橋を渡れなくなった事がある。いつも通る橋なのにその日はどこからか発砲される
恐怖に駆られてずっと橋を渡れずにいた事と、包丁に対しての恐怖も人一倍あった事を思いだしました。
恐怖の根源はどこからやってくるのか不思議です。
前世というものがあるならば、そこからの恐怖の思いが引き継がれてるのかもしれません。
Posted by 恐怖感 at 2017年08月31日 15:01

ブログおやすみかあ。
ちゅまんないなあ。
禅サンガもはいってないし金もねえから動画もみれないし。
このブログだけが楽しみなのに。
ざんねん。
まいっか。
人それぞれの世界やし。
シャーナイ。
みんな、マシメ、コメントルール守ってる。
本当はそれが当たり前なんだね。
見習わないと。
失礼いたしました。
Posted by うめちやん at 2017年08月31日 16:54

前世はあってもいいし
なくってもいい
関心がなかったからすっかり忘れてた

前に聞いてもないのに教えてもらって
わたしは前世は宇宙人で高度な世界?からきて
地球は初めてだから生きにくかったでしょう?
だってー。チ───(´・д・`)───ン

生きやすいって思うことは多いけど
生きにくいっていうのは流れて来たとこはないわ

そして
いまも宇宙人ちゃうんかー?
とも思うし

でね、
そういうパターンもあるんかー??
宇宙人ってザックリしすぎー
そして、だぶん
このこともすぐ忘れると思う (||-д-)チ――ン
Posted by あべさーん at 2017年09月01日 03:52

前世の記憶?て思う事が、たまに有ります。経験する為に生まれて来ると判っていても、もう次は輪廻はしたく無いです。 
Posted by らら at 2017年09月01日 13:26

阿部さんこんにちは。今回のお話もとても興味深いものですね。
理論物理学に多次元宇宙論という説があります。
ロマンを持って考えると「思考できる生物の数だけ、それぞれの宇宙がある」のかもしれませんね。
そして、そのそれぞれの宇宙を全て包括する全体宇宙が在る..と思いました。
死後の世界については、あってもなくてもどちらでもいいと僕は思っています。
ある、と考えると、あるような生き方しかできないし、無いと考えてもまた然りです。
どちらにしろ今の肉体は、この二元世界のルールに従った寿命で終了するのだから、もう終わりだよ、と言われるまで、ただ生きるのみだと思っています。
高慢を承知で申し上げるならば、僕も幼い頃から「なぜ、この世界に生まれてきたんだろう?」という漠然とした疑問がありました。
その疑問は今もあり続けているので、僕はまだ、いわゆる天命というものに気づいてないのだと思います。
もやもやした気持ちはありますが、気づけたらラッキー!くらいに思って、ただ生きていこうと思います。
ありがとうございます。
Posted by まよいみち at 2017年09月01日 17:18

阿部様

こんばんは。

阿部さんの輪廻転生の話は 興味があります。


>それがあるとき、30歳の時でしたが、発売されて間もない一冊の本に出合います。
>その本に出てくる、作者の父親の肖像写真を見た時、
>「この人だ」
>と確信めいた気持ちが湧きました。
>目元も、全体的な雰囲気も僕によく似ています。
>それもそのはず、その人は僕の血統上の祖父でもあるのですから。
>事情があってこれ以上詳しくは書けませんが、その写真を見た瞬間に長年持ち運んできた思い>がひとつの円として完了しました。

ん〜〜!!
誰?
誰?誰なの?

ん〜〜と
目元と全体的な雰囲気が阿部さんに似ていて〜

探索をしつつも・・・

シャボン玉の話は
解かりやすいですね〜

6年前なら 読んでいた筈なのに・・(><)

毎回 新鮮な感覚で読めるってすごい??−−;

今日もありがとうございました♪

Posted by じゅんちゃん at 2017年09月01日 20:05
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