2017年08月07日

人は死なない

この活動をしていて面白いことの一つは、興味を持った人と直接対談できることです。

いままでも各分野を代表するユニークな人たちとお話させてもらってきました。


その中の一人が矢作直樹さん。

矢作さんはご存知のように、東京大学病院の救急医療部長を長年務め、多くの方たちの死と向かい合ってきた人です。

そんな立場の彼が「人は死なない」という本を出した時はセンセーショナルでした。

前回お話させてもらったときは、彼にしか知り得ない話が沢山あると感じました。


人間の命や死後の経験に関することだけではなく、日本人が持つ隠れた能力や、いまの地球をコントロールしている陰の勢力や、彼独自の観察眼によって見ている世界があるようです。

ともすればオカルトチックな話もあるのですが、僕はとても興味があります。


しかし、実に口が堅い(笑)

ここまでは話せるけれど、これ以上は話せないといったものが多々あるようです。



そうなると、物を言うのが聞き手の能力。

ジャジャジャーン!!

低我のアベッチの登場です。


本にも書けない、通常の講演でも話せない、そんな話を引き出してみたい。

矢作さんとの対談はこれが最後になるので、玉砕覚悟で突撃したいと思います(^^)


矢作さんにはあらかじめ、当日はビデオ収録もしないし、皆さんには心の準備をして来るように呼びかけるから、何でも話してほしいと前置きしてあります(笑)


怖いもの見たさの、真夏の夢。

一緒に体験してみませんか。


beh

さて、「人は死なない」というのは僕にとっても真実ですが、この肉体が必ず死ぬというのも、もう一方の真実です。

僕はいつ死が来てもおかしくないと思って生きています。

お蔭さまで身体はすこぶる健康ですが、もしかしたら今日が人生最後の日かもしれない。


大した人生ではありませんでしたが、やり残したこともありません。

強がるわけではなく、いつでもOKです。


それでは死が全く怖くないかと言えば、そうでもありません。

まさにいま死ぬと分かれば、動揺もするでしょう。


それは富士急ハイランドのジェットコースターに乗るのと似ています。

絶対に安全だと分かっていても、初めて乗るのは怖いですものね。


死に対して僕が安心している根拠の一つは、いままで誰一人として死ぬことに失敗した人がいないということ。

まさか僕だけが失敗することもないでしょう。

そこは安心しています。


死は言われてきたような忌まわしいことだとは思っていません。

むしろ窮屈な肉体や、不条理な世界から解放される祝福の面もあると思います。


母の死顔も安らかでしたが、僕の知人のお父さんは最後を迎えた瞬間に

「よかった〜」

と嬉しそうに呟いたそうです。


彼はいったいなにを見たのでしょう。



誰もが手にしている、死への入場券。

使えるのは一回きりでも、みんな公平に使うことが出来ます


必ず使えますから、それまではこの肉体を生きるとしましょう。


僕は生きるのも大好きです。

明日のことが分からないからワクワクします。


この先、どんな夢を見せてもらえるやら(^^)



・・・・・・・・・・・・


8月27日(日)

矢作直樹&阿部敏郎 コラボ講演会。

詳細と申込みはコチラから。



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Posted by Toshiro Abe at 14:23│Comments(142)
この記事へのコメント

阿部さんの感覚、わかります(と書いたら語弊がありますかね、笑)

書かれていることと、同じような感覚があります。

夢の世界の外からやって来て、
しばらく、この夢の世界の中にいて、
また、夢の世界の外へ還る。

夢を見ているというか、この肉体は、その夢の中のひとつの登場人物をやっている、という感覚。

また夢の世界に来ることがあったとしても、
その時は、名前と形は違っているから、
それはこの「わたし」とは言えない。。

個人の視点から見たら、こういう感じですが、

ひとつなる存在が、あらゆるものになっている、という観点からは、
すべての顕れている存在は、ひとつなる「わたし」なので、
名前と形が違っても、あらゆる存在は、顕れたり消えたりしますが、ひとつの永遠なる存在なのですよね。

そういう意味では、死はない、と言えますね。
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月07日 14:47

阿部さん
こんにちは(^ ^)

今日も阿部さんの言葉で
『うん、うん』とうなずきながら
何度も笑っちゃいました(笑)
ありがとうございます(^∇^)

おかげさまで
『私、幸せなんだ?♪』って
1日に何度も思います。

前回の矢作さんとのコラボに参加させて頂き
矢作さんが発した「足るを知る」が
心にドーンときました。
政治のお話しあたりからは
睡魔との戦いになってしまいましたが、
なかなか聞く機会のないお話しも
『それでそれで?』となって面白かったです。

とてもサバサバと潔いお方だなぁ。
阿部さんと似ていらっしゃるのかなぁ。
と思いました。
Posted by ほら at 2017年08月07日 14:56

阿部さん、いつもありがとうございます。

兄の死について悩んでいましたが、死は祝福だとわかりすっきりしました。
ちょうど1年前の今日、2歳上の兄が地元の海に車で突っ込み亡くなりました。
遺書も残されていました。
色々悩んだ結果は自ら選んだ道のようでした。
悲しい気持ちや怒りの気持ちが混在していましたが、兄に祝福したいと思います。

真実は死んだ瞬間にわかると思います。
生きている人生は辛いことや理不尽なことがたくさんありますが、全てを受け入れて全力で楽しんで生きたいと思います。

Posted by まさとん at 2017年08月07日 14:58

「この肉体が死ぬというのも、もうひとつの真実」というコメントですが、これも強力な固定概念のひとつだと思います。

肉体は幻想なので、既に死んでるとも言えますが、幻想故に永遠に創り続ける可能性もあります。

肉体死という幻想体験を選ぶのか?永遠の肉体という幻想を選ぶのか?神のみぞ知るかもしれませんが…。

どうせ運命は決まってるなら、どう決まっていて欲しいか?で我が肉体のあり方を選んでもいいかもです。
Posted by びばちゃん at 2017年08月07日 14:58

いつもありがとうございます。
私も阿部さんの感覚、わかるような気がします。ただ、理由はほぼ正反対かなと思いますが。
最近はいくらか改善されましたが、実はいくつか体調上の問題を抱え、医師に匙を投げられているものも複数あります。積極的に死にたいとも思いませんが、この状態で長生きしたいとも思っていません。
「とっととやることやって帰ろう。」なぜか10年ほど前からこう考えるようになっています。「死」自体にも恐怖はありませんしね。
ではこれからも書きたいことをお書きください。
…なんとか日程調整して合同イベント、出たいなぁ。
Posted by TSY at 2017年08月07日 15:00

先に死んだら、がっつり、家族にうらまれるだろうな(笑)
先に死んで楽になりやがって、絶対言われる。
私の父がそうだったように。

まっ、死ぬまで生きるしかない。

人より、オモロイ人生歩んでるとは思う。
ありがたい、感謝?
Posted by うめちゃん at 2017年08月07日 15:13

あべさん こんにちわ。ひょっとして 一瞥した世界をしんじてらっしゃいますね。

・・・私もよ〜、確信と自覚の真なる存在を・・・共に(笑)
Posted by 李 信 at 2017年08月07日 15:35

幼いころ
死ぬっていうことが恐くて寝れない日
があったことを思い出しました。

今は死ぬ前の痛いのが嫌だなーと
思っていますが
毎日死にたいと思って生かさせています。

ちゃんと瞑想しよ
名古屋でお会いできるのたのしみにしています。
多分
週1瞑想者とかいいますが
それよりしてないです。
Posted by つきよ at 2017年08月07日 15:41

>いつでもOK 
阿部さんのその波動伝わります。 阿部さんはいつでも正直だから。 自分を大きく見せたり、小さく見せることもない。 そういうところに惹かれるんだな^^
講演、グッドラック です! 
Posted by mickey at 2017年08月07日 16:03

阿部さん、こんにちは。僕も死は忌まわしいことだとは思っていません。いざ死ぬ時に「良い人生だったなー」と言って死にたいです。毎日更新ありがとうございます。
Posted by 永井新吾 at 2017年08月07日 16:21


うめ、今死んだら、また、産まれるのも悪くない。
そう言えるようになって良かった。
これも全て阿部さんのブログのお陰です。
阿部さん今死んだら、やっぱ(´・ω・`)哀しい、絶対韓国のドラマのように、大絶叫大泣き!
いっぱい泣いて、泣ききってから、
今ここに戻って、また、生きるのだ、きっと。
Posted by うめちゃん at 2017年08月07日 17:27

「苦しいから死にたい!」といくら思っても

死ぬまでは生きなければなりません。


「生きたいから死にたくない!」といくら思っても

いつかは死ななくてはなりません。


生まれ、生き、死ぬのは

肉体と肉体に依存する精神作用です。


わたしもあなたもみんなも

ハートから宇宙全体に広がっている永遠の愛の光です◎
Posted by 大空 at 2017年08月07日 17:36



今日もブログ更新ありがとうございました (●^o^●)
Posted by 洲鎌直喜 at 2017年08月07日 18:04

意識の消滅は、毎晩の睡眠時に経験しているので、イメージしやすいと思いますが、
肉体の消滅となると、大抵の場合、人間は、この肉体が「自分だ」という意識があるので、
自分が完全消滅するように感じて、恐怖心が起こるかもしれませんね。
(二度と目覚めることのない深い眠り、というイメージであっても、「二度と戻れない」というイメージが、恐怖心を生むと考えられます)

死(肉体を離れること)は、この地上に生を受けたすべての生物の宿命なので、避けることはできませんので、
その際、少なくとも恐怖心なく、スムーズに、個の消滅を受け入れられるような意識になると、
自然と死に対する捉え方、考え方も変わってくるように感じています。


Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月07日 18:23


例えば寝てる間に
何かハプニング起こっても、
認識出来ないから苦しくも悲しくもない。
頭働いてないから全然不安にもならない。

それが死であれば、

あとは死ぬときに身体が痛かったり苦しかったりがなければいつ死んでも良いかなー。自ら死のうとは思わないけれども。

Posted by あ at 2017年08月07日 18:41

東京大学というところで、人は死なないなどと、述べておられる人が、身の毛もよだつバッシングを受けておられなければいいがなーと、案じている一人です。
Posted by 通行人 at 2017年08月07日 18:53

14. 永遠のダルマ(姉さん)へ
>意識の消滅 と >肉体の消滅・・・という二点が「死」を顕わしているのですね。
肉体の消滅は経験してないので解りませんが、意識の消滅とは 睡眠時とか気絶した状態なのでしょうか?死後にその状態が 待ち受けているとお考えですか?

そうだとしたら 悟りとか目覚めとかって何でしょう?気のせいなのでしょうか?
少し意地悪で、少し確信犯的な問いですが、気がむいたら何か 書いて下さい。ませ。
Posted by 李 信 at 2017年08月07日 18:57

11番のうめのコメントはうっそぴょ〜〜ん!
ひとりぐらい、阿部さん死んで超寂しいと言う人も、いてもいいんじゃない?って意味でコメントしてみました。
阿部さんの本心は、ひとりも俺死んで悲しい奴はおらんのか?って思ってたら、ヤバいし(笑)。
まっ!阿部さんに限ってそれはないか!
瞑想やら、宇宙の真理、幻想、夢、見破って目覚めてる人だもん。
これから残り少ない人生ですが、
『いい夢みろよ!アバヨ!』って言って死んで貰いたいです。
・・・失言失礼いたしました(^O^)v
Posted by うめちゃん at 2017年08月07日 19:32

え〜、口が堅い☆超うけました〜(^^)

矢作さん、おもしろそうな方です(^^)

阿部さんの聞き出す役が楽しみですね☆(^o^)
Posted by eryngium at 2017年08月07日 19:34

『死ぬ』前に、一度だけでも、『幽体離脱』したいなぁ〜・・・・・と、前から思ってます。
子供の頃から、世の中を何の干渉もせすされず、ただ『眺めている』イメージが湧いてきていて、
そうイメージすると心地良くて、
『幽体離脱』すれば、そういう状況になるかも・・・・・という期待があるんです。

今日の帰り道も、会社でこの記事を見た影響でか、そのことを思い出していて、

すると、
「もしかして、『幽体離脱』した後も、
 『この体』に残っている、『この思考』、『この感情』、『この感覚』という『この自分たち』は、
 『この体』で起こり続けることができて、『この体』を動かし続けることができるかも・・・?」

とも湧いてきて、「あ、それおもしろそーだなー」と思ってしまいました(笑)

もしかして、阿部さんとかの状態て、それに近いですか?
自分は『この体の中』に居るという感覚なんですが、
阿部さんとかは、『この体』を包括して『眺めている』感じかも?と思いました。

>死に対して僕が安心している根拠の一つは、いままで誰一人として死ぬことに失敗した人がいないということ。

これについては・・・・・自殺しようとして失敗し、『自殺すら行動に移せない体』になってしまった人の
例を聞いた事があって、そのお陰で、死ぬまではできるだけ五体満足を心がけ、
せいぜい楽しもうと思って生きていられています(笑)
念の為、こんなろくでもない事も書かせて頂きます・・・・・
Posted by ただの「自分」 at 2017年08月07日 19:38

矢作さんが口が堅いというとのことですが、万人に話せるものばかりではないんでしょうね。
あるレベルというのか、知っても差し支えない人というのか、知ってそれを活かせる人に対しては矢作さんもシークレットな部分をお話しされるかもしれませんね。

ただ、「準備ができたとき師がやってくる」の逆パターンで、準備ができていない人が知ったところで理解できないだろうし、むしろ害になるという情報もあるのではないかと思いました。

その意味で矢作さんは単に情報を話すのではなく、人によっては人生を変えうる「知恵」の話かもしれませんが、その同じ話が別の人にとっては害にもなり得るのかもしれません。だから、口が堅いのかな。

今度の講演会は、スケジュールの関係上、残念ながら行くことはできません。自分にとって、必要な情報ならば、いずれ自然に入るようになるでしょう。
Posted by neo at 2017年08月07日 19:53

うわ〜、宣伝うまいなぁ
Posted by rakuni... at 2017年08月07日 20:01

矢作様と阿部さんのお二人。
テンションの高低と感覚の対比のアンバランスさが今から想像しても笑える。何でだろ?
死についてのお話しだから、
真面目なお話しなんだろうけど、阿部さんが絡む事によって、どんな事になるのやら。

面白いそう!、雲さんと奥平亜実衣ちゃんの時より、こっちに興味がある。

4500円か!今日からラーメン 大盛りと生ビール我慢しよ。(あくまでフィクションです!)
Posted by うめちゃん at 2017年08月07日 21:00

いつかは自分って死ぬわけだから
精一杯生きてやろう!

ということですよね

そして、やり残したことがないと言えるくらいに生ききったら
いつでも死ぬのはOK

と言えるのでしょうね

死ぬことってイヤなものですが
死ぬことがあるからこそ、生が尊いものになるんだな

愛☆愛☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月07日 21:09

李信さん

その時は、意識はありましたか?

李信さんも、その時は、「何も無い」と仰っていませんでしたか?
 
認識できる「自己」は、消えていたと。

意識の消滅に関して、それ以上何かある、とお考えなんですか?
(逆質問です、笑)

それから、「悟り」について、ですが、
わたしに聞かれても困るんですよね。。笑

「悟り」に興味を持ったことがないので、考えたことがないのです。
これは、本当です。
「悟りたい」と思ったこともないので。
というのは、「悟り」という言葉を知らないで、生きていましたから。

阿部さんのブログを知るまでは、「悟り」という言葉とは無縁の生活でした。

ただ、興味のあることを実践したり、知りたいことを調べたり。。していましたが、
何故、こうなってしまったか?は、よくわからないのです。
(いろいろな体験は起こりましたよ。
それでさえ、何故、起こったのか?理由は、よくわかりません(>_<))

つまり、流れるままに流れて、こうして今があるだけで。。。
なので、自分では何もやっていない、ということが、よくわかるのです。
 
完全自動で動く機械、完全自動洗濯機と同じような感覚です。

そこに、「自分」がいなくても(いてもいいのですが)、すべては流れのままに流れていきます。

それがわかっているので、チョー安心です(^o^)

後は、その時に、この安心感と共に、肉体を離れるだけなので♪

死は、個人にとって、この地球上における最後の体験です。
ですから、いつかは、ひとりひとりが、自分の死(肉体と意識の消滅)と向き合わなくてはなりません。

しかし、それでさえ、体験する個人はいない、という理解があれば、
少しは恐怖心は和らぐのではないでしょうか?

わたしには、「それ」がわかった、だけで、充分なのですよね(^o^)

Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月07日 21:36

五感を使って今を楽しもう!今を生きてみよう!

御茄子とピーマンの味噌炒めで御座います。
視覚 わあ 緑黒白茶 やばい
嗅覚 わあやばいやばい
味覚 わあちょーうめー
触覚 わあやばいやばい

しめは御酵素を  ちびり  ちびり  ちびり

美味しゅう御座いました。
Posted by かまぼこ少年 at 2017年08月07日 21:48

一人死のうが、二人死のうが、何百人、何千人と死のうが、トカゲが尻尾を切っても、カニの手足が千切れても、また生えて来るように、本体は相変わらず生きているから大丈夫ってことかなあ?
Posted by y-be at 2017年08月07日 21:58

安部さん、いつもありがとうございます。まだやはり 死ぬ勇気 ホームレスになる勇気、まだまだ 降参できない。未練があるのかな、余裕かな。おやすみなさい。
Posted by シシリー☆ at 2017年08月07日 22:00

3年前母が自殺しましたが、死に顔がとても穏やかで救われました。
死というのは悪いものではなく素晴らしいものなのかもしれません。
Posted by まんじゅう太郎 at 2017年08月07日 22:26

今日もありがとうございます。今年のお盆は100歳で亡くなった祖母の初盆なので盆提灯をともしてお迎えします。風情があって良いものです。良い宵を。
Posted by 林ゆみ子 at 2017年08月07日 22:36

わかりやすく、素晴らしい、感動しました。
Posted by 山形 at 2017年08月07日 23:06

天国の階段?
こんな感じだったけど
もっと幅があったね
雲の上に出ると 
気持ちの良い風が吹いて
壮観だった
階段の目の前に巨大な
果てしなく続く城壁に囲まれた
巨大な門 
大きかったよー
かすかな記憶です
Posted by 無有 at 2017年08月07日 23:15

ただの「自分」さん

「幽体離脱」(専門的には「対外離脱体験」と言うそうですが)を体験したいということなので、
面白いことが、『単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二著』という脳科学の本に書かれてあったので、ご参考までに^^

TMS(経頭蓋磁気刺激法)という実験装置を使って、
頭皮の表面から強烈な磁場をかけて、脳の一部をマヒさせたり、刺激したりすると、
通常では考えられないような現象が起こるそうなのです。

例えば、角回という部位を刺激すると、
自分のすぐ後ろに、背後霊のように誰かがベターとくっついている感じがするそうで、
誰かにつけられている、誰かに見られている・・・というような強烈な恐怖を感じるそうで、
その背後霊を丁寧に調べてみると、自分が右手を上げると、その人も右手を上げるし、左足を上げてみると、その人も左足を上げる。
坐っていると、その人も背後で座っていることがわかる、ということがわかって、
背後にいる人間は、ほかならぬ自分自身という不思議な現象(体験)が、脳に起こるそうなのです。

また、頭頂葉を刺激すると、身体だけが後方にワープする感じが起こるそうで、

さらに、人の右脳の角回を刺激すると、その刺激された人によれば、
「自分が2メートルぐらい浮かび上がって、天井のすぐ下から、自分がベッドに寝ているのが部分的に見える」という報告があったそうで、
「幽体離脱」を起こす回路が、脳内にあるということが、実験からもわかっているそうです。

ちょっと驚きの実験報告という感じですが^^;
まだ今の段階では、どうしてそういうことが起こるのか?までは、詳しく分析されていないようですが、
やがて、宗教的な神秘体験や一瞥体験などのスピリチュアルな体験も、
脳内で起きている現象として、その仕組みや回路が明らかになる日も来るかもしれませんね。

面白い時代になって来たなぁ、という感じですね♪
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月08日 02:36

永遠のダルマさんのお話は興味深いです。

私も前からなんとなく思っていました。悟り、一瞥体験は人間の脳のある部分が特定の状態になった時に起こるものではないかと。

そこから得られた、私はいない、二つではない、観るものと観られるものは同じである…等々は、その特定の状態になった人に共通的に起こる感覚なのではないかと。

そして、もし自分にそれが起こったとしても、それが全てに当てはまる真実ということではなく、単に自分にもこういう感覚が起きたというだけで、自分にとっての真実ということなのではないかと…

脳科学が進んで何かを解明してくれたら面白いですね。
Posted by ムジャ at 2017年08月08日 03:30

永遠のダルマさん

思わず、意識で例に挙げられた部分を刺激してみたくなりました(笑)

ただ、自分の場合、「本当に自分て『人間』なのかなぁ?」と思うことがありまして・・・・・

寝入り端か起きかけの半覚醒の時に、時々、脳内で「ヴヴヴヴ」と低周波の振動が
段々と大きく鳴り響いていく体験をするのですが、
(携帯やスマホのバイブが脳内で鳴っている感じです)
いつもはちょっと恐いので、意識して止めてしまうのですが、
つい数日前、その状態を止めずに『眺めて』いたところ、自然とその『振動』が止まって、
そうすると、緑や赤のLEDが点滅している装置のようなものを眺めている状態になりまして・・・・・
「えー?????」と思いつつ、そのまま目を開きましたが、当然、そんな装置は見当たりません。
『あの装置』が『この意識』の出処だったら、それはそれで面白いなぁ〜・・・・・(笑)
ま、無意識でスマホを操作していただけ、みたいなつまんないオチなんでしょうけどね・・・・・
(と思っときたい自分も居ます(笑)
Posted by ただの「自分」 at 2017年08月08日 05:04


おはようございます。
さっ、今日も夢の世界を生きるぞ。
どっちに行っても、何をやろうがやるまいが行くつく先はひとつ。
それが冥土の土産。その事が分かっていなくても、もれなく全員大きな海で同じひとつの海になる。海だと広いと想像するから、ちと違うのかな。
ようやく死んでからの楽しみも出来そうだ。
死んでからひとつに還れるのもうれしいし。
もしかしたら、また生まれてくるのも楽しい。
今回やり残しように感じたまま今死んだら、また、生まれて来て違うパターンで生きるのだろう。
それも、悪くないね。
好きなように、流れるように、泣いて笑って落ちこんで流れが止まって見えようとも、今、起きてる事、今、生きて体験しようっと。
夢がないけど、今日も脳に騙されて生きるとするか。今ここの愛を感じながら。
Posted by うめちゃん at 2017年08月08日 05:21

肉体で生きてる間に、【空】?『愛より青い空』
【無】?『永遠なる無条件のただある愛』
これを感じられる今が愛おしい。
生まれてこれを体感できて良かった?。
涙が自然とあふれるぐらいの感動だよ。
いま、生かされている事に、
ありがたいの言葉しか見つからない。
Posted by うめちやん at 2017年08月08日 07:17

おっしゃ!
今日も嫌なの事どんどこい!
どんな事も『へのかっぱ☆』
嫌な現象に、もはや愛を感じてしまう。
だって、不幸を感じたら、その中に訪れるのは愛だから〜〜その繰り返しを楽しんでるだけ。
幻想と一喜一憂して戯れる(笑)
安心安全保障100パーの世界?
えいえいお〜〜〜?
Posted by うめちゃん at 2017年08月08日 07:43

うめちゃんさん おはよ?!

私も戦ってきまっせ

えいえいお?!
Posted by まめ at 2017年08月08日 09:23

えいえいお〜〜〜↑↑↑↑↑↑☆
ハイタッチ!yes(^O^)v
Posted by クロヤギうめさんからシロヤギまめたんへ at 2017年08月08日 10:35

過去記事の自分のコメント今、呼んでて、すげ〜〜可笑しかった。
今もこの人、生きてるだろな。
今の自分より可愛いく感じる。
ちゃんと過去、夢、楽しんでたな。
夢って分かってないから。
さて、夢と分かってから、どうやって夢を楽しむか?
う〜〜〜ん!わからん。
わたしはいないらしいから、お任せコースを取り敢えず注文しよ。
Posted by うめちゃん at 2017年08月08日 10:42

うわっ、嫌な事どんと来いっていったら本当に嫌な事の現象が目の前で繰り広げられてる。
警察までやってきた。
クリーニング!
私の平和
心臓か、ドキドキ、動悸。
私の中の何がこの現象を体験してるんだろ。
ごめんなさい。
私を許して下さい。
ありがとう。
愛してます。
まだ、治まらないみたい。
怒りパワーが沈みませますように。
口論は終わらない。
終われ〜〜〜〜!
Posted by うめちゃん at 2017年08月08日 11:42

スミマセン。
私用コメントしたみたいで。
失礼いたしました。
無事?警察の方が連れて行ってくれました。
心臓の動悸はまだ、残ってる。
全体の表現リアルすぎやろ。
あの怒りの塊の人、どんだけ怒り抱えてんだろう、おっち系の彼の中にも私はブッダを最後まで感じられてなかった。
まだ、まだだなあ。
あの人の中に愛を感じる事できなかった。
クリーニングは生きてる間ずっと自分が死ぬ瞬間まで続くのであった。
Posted by うめちやん at 2017年08月08日 11:57

さっき起こった事件は現象は、うめを楽しませる為のパロディーなのだろうか?
登場人物のお二人の様子、容姿も漫画チックでオモロイお二人さんだったから。
失礼いたしました。
パロディー!
パロディー!
だと、いいけど。
Posted by うめちゃん at 2017年08月08日 12:04

阿部のオイちゃん!
脳と肉体とエネルギーと魂と知り得ない世界とまだ、まだ、言葉じゃ説明と理解出来ない現象いっぱいありそうだね。
うめには、理解不能だけど(-ω-;)
この感覚楽しませて貰ってます!
彼方や大いなる全てはこれを体験したいのかな。((((*゜▽゜*))))
Posted by うめちゃん at 2017年08月08日 12:44

うめちゃんさん

この記事のコメント、45件中13件(約3割)がうめちゃんさんというのは少しやり過ぎな気がするのですが、、、
ご自身のブログを立ち上げてはいかがでしょうか?
Posted by パンマン at 2017年08月08日 12:50

パンマンさんの言うとおりです。
そうですね。
その通りです。
失礼いたしました。
申し訳ございませんでした
Posted by うめちゃん at 2017年08月08日 13:00

阿部さん、皆さん、いつもスミマセン(T_T)
Posted by うめちゃん at 2017年08月08日 13:04

やっぱり、総ては 脳内機能の “電気信号”のやりとりから生じる仕様・・・?
  
  時々バグるのも・・。

 早く解明されるとよいですね。
Posted by 遠のく。。。 at 2017年08月08日 14:54

私も数式では理解できるほどの頭脳はないのですが(笑)

非二元のメッセージと量子物理学の理論はかなり似通っていると思います。
一方、近年は量子脳理論とうい分野も登場しています。
これは、意識の問題に"量子力学"的な性質が深く関わっているとする考え方です。
脳科学者の茂木健一郎さんは、「意識は不思議だ。量子力学も不思議だ。だから、両者は関係があるに違いない」と直感的なコメントを言ってます(笑)

量子は、プラトン的物理学ではまったく説明できない振舞いをします。
ざっくり言ってしまえば、量子の世界は不確実(不確定性原理)です。
私達の意識に起こる思考や感情も、何の前兆もなく起こりますよね?
(理解できない/そうは思えない という方も勿論いらっしゃいますが)
つまり、思考や感情などは不確実に起こっているじゃないかと。

すると、脳と量子の相互作用として意識や思考や感情が起こっているような気がします。
脳は素粒子(量子の一種)で出来ていますから、量子レベルのミクロの世界(非二元)で起こっていることが、人間レベルのマクロの世界においては二元的な幻想として現れているのかもしれません。

などの妄想を働かせたくなるくらい、量子の世界って面白いです。
Posted by 模察 at 2017年08月08日 17:00

模察 さん

模察さんがコメントに書かれたことに(似たことに?)
最近、私も興味を持っています。
(量子脳理論、という大そうな?ものではありませんが・・・笑)

先のコメントでもご紹介した池谷裕二さんの本にも、
「ゆらぎ」という理論を使って、脳内で起きていることを説明しています。

電子のふるまいは、「不確定性原理」では、(確か?)
不確実である(観察した時の状態で決まる?)というような内容だったと記憶していますが(記憶違いでないなら・・・汗)
脳内には常にゆらぎが生じていて、この不確定原理にも似た同じようなことが起きているのではないか?ということらしいのです。

つまり、脳は常にゆらいでいて、情報が入力された時の状態で、出力(反応)が決まる、という現象が起きていると。
そうなると、入力が同じでも、出力(反応)は、いつも一定で同じではない、ケースバイケースである、ということになります。

これが何を意味しているのか?は、よくわかりませんが、
人によって反応が違ったり、同じ人でも、反応が違うのは、
こういうことが「脳内」で起きているからではないか?という
ひとつの可能性を探る新しいアプローチと言えますね。

最近の脳科学、とても興味深いです^^
(物理は苦手なので、量子の世界は、よくわかりませんが・・・^^;)
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月08日 17:21

模察さんが量子物理学に関心がおありとは・・。

  うれしい限りです。

そちらからのアプローチからの、縁がありましたので
わたしには、より納得しやすいのかもしれません。

 数式には、何といいましても、有無を言わせない強力な説得力がありますね。
Posted by 遠のく。。。 at 2017年08月08日 17:28

模察さん

〉脳科学者の茂木健一郎さんは、「意識は不思議だ。
〉量子力学も不思議だ。
〉だから、両者は関係があるに違いない」と直感的なコメントを言ってます(笑)

物理学者のペンローズも同じようなことを言っていますね。
それに対してかのホーキング博士は、

「不思議同士だから関係があるだろう、って、なんのロジックもねぇお花畑理論じゃねーか(笑)」
的に一蹴していますね(笑)

さてどちらが正しいのか、、、解明を待つ!
Posted by パンマン at 2017年08月08日 17:51

追伸

でもそのうち、
「いやー、脳の働きは量子のように不確実、つまり単なる偶然だってこと分かりましたー」
って結論になった場合、私達はどうすればいいんでしょうね?(笑)
Posted by パンマン at 2017年08月08日 17:57

ある作曲家の方が10年来不眠で苦しんできて、眠剤もだんだんきかなくなり、病院を渡り歩いて量を増やしている状態の時、528Hzの音楽に出会ってそれを聴いたら10年ぶりに薬もなく熟睡できたそうです。

それ以来、528Hzの楽曲をご自身で作られるようになったとか。その曲を聴きましたが、とても安らぎます。引き込まれるような感じ、引き込まれることに抵抗するものがなにもなくなるといったほうが正確かもしれません。後付けで表現すると、つかんでいるものを簡単に放せたのかもしれません。528Hzは脳が無意識に心地よいと感ずる音のようです。
確かに心地よいです。
Posted by neo at 2017年08月08日 18:58


528Hzの音を聞くとDNAが修復すると言われてますよね。
以前私も体調が優れない時聴いておりました。
信じている人にとっては効果があるのだと思います。
周波数そのものより、それについてどのように信じているいるかで効果の反応は変わると思っています。
『その名はバシャール』の本の中にその様な文章をみつけ、私にとって528Hzの音はワラにすがりたいと言う思いがうまい具合に体調を回復させたのだと認識を深めております。
プラシーボ反応の良い現象を引き寄せたのかもしれません。
どんな信念体系をもっているかで効果が変わるって不思議です。
Posted by w at 2017年08月08日 19:43

25. 永遠のダルマさん 2017年08月07日 21:36
>その時は、意識はありましたか?・・・うわぁ、ろいやるすとれーとふらっしゅみたいな問い。
これ、応えていいのでしょうか?一切の解答みたいなものですからね(笑)

先の問いを 取り消しておきます。。。ごめんなさいね。(確信犯より、笑)
Posted by 李 信 at 2017年08月08日 20:20

>これ、応えていいのでしょうか?

包み隠さずどうぞ。
Posted by It's a Sony ♪♪ at 2017年08月08日 20:51

大いなるすべてはすべての次元のわたしを観測するもの。
ひとつなるものは、言葉では説明不可能。意識すらない状態。
Posted by w at 2017年08月08日 21:03

neoさん

neoさんが仰っているのは、ソルフォジオ音階(グレゴリオ聖歌などで使われている528Hz)のことでしょうか?

ジョン・レノンの「イマジン」が、最初はこの音階で作られたとかいう噂もありますが、その真偽はわかりません。

528Hzの人体への病を治すというような効果は、実証実験でエビデンスとして示されている訳ではありませんので、よくわかりませんが、
今、手に入る心を癒すと謳われているヒーリング音楽の多くは、この音階を使って作られていることが多いようです。
(昔の教会で歌われていた聖歌で使われていたということで、同じような効果を狙っているのかもしれません)

私たちは、耳だけで「音」を聞いている訳ではありません。
体全体で「音」が発する振動を感じています。
その振動が、振動を持ったエネルギー体である肉体に響き、その影響を受けるということは、大いに考えられることだとは思っています。
(但し、528Hzが、実際にどのように人体に影響があるのか?までは、明らかになってはいないということも事実です)

その効果の可能性を活用した「音楽療法」という一種のセラピーもありますね。

私も、自分のライアーをソルフォジオ音階に調律していますが、
現代の平均律の音よりも、聴いていて、非常に心地よい感じがするので、
人体への実際の効果はわかりませんが、個人的には気に入っています(^o^)

それを聴いて、心地好い、心が安らぐということなら、
その効果は、必ずや、脳内の神経伝達物質で多幸感を生み出すと言われている
βエンドルフィンの分泌へとつながると思っています♪

Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月08日 21:16

>意識すらない状態。

阿部さんは、意識の拡大とか言われてるようですが!?

ゆえに全我(ワンネス)というのでしょうか。
Posted by It's a Sony ♪♪ at 2017年08月08日 21:28

李信さんへ

>これ、応えていいのでしょうか?一切の解答みたいなものですからね(笑)

自分なりの答えを持っていらっしゃるのがわかっているので、
いつも、何で、聞いて来るかなぁ〜?と思っています(笑)

穿った見方をすると、
どこかで、突っ込もう、と思っていらっしゃる、ってことでしょうか?

それなら、いつでも、どこでも、ドンドン、突っ込んで下さい(笑)

お待ちしています♪

>先の問いを 取り消しておきます。。。ごめんなさいね。(確信犯より、笑)

問い、というより、
ただの「ボヤキ」だった、ということですね(笑)

(次回から、直接指名されて、答える方の身にもなって下さいよ〜確信犯さんへ、笑)
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月08日 21:29

It's a Sony ♪♪ さん

「意識の拡大」かどうかは、わかりませんが、

最初は、自分と他を隔てていた壁のようなものが消滅して、
エネルギーが膨張するような?感じの後、周りのエネルギーに溶け込んで、一体となったような感覚は、ありましたよ。
(それを「意識の拡大」と表現することも可能かと思いますが・・?)

ですが、その感覚があったのも最初だけで、後は識別できるようなものは無くなり、
「何も無い」つまり、自他の区別がない(境目がない?)ため、何もわからない状態、
よって(意識できるものは)「何も無い」としか言いようのない状態に。

それが、ワンネスかどうかは、わかりませんが、
認識できる自己が消えてしまうので、時空間が消えることは確かです。
(それが、寝ている時ではなくて、活動している時に起こります)
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月08日 21:43

>阿部さんは、意識の拡大とか言われてるようですが!?

ゆえに全我(ワンネス)というのでしょうか。

解釈と表現の違いなので、応えはそれぞれ自分で見つけて判断して頂ければそれで良いのではないでしょうか。

わたくしの体感ではないのであくまで、本から得た知識を述べてるだけです。

大いなるすべては意識の拡大であり無限(観測者あり)。

ひとつなるものは観測者すらいない状態です。
ですので、ひとつなるもは観測者すらいない状態ありますから、言葉では表現はできないものではないでしょうか。

阿部敏郎さんがどちらを説明されているかは御自身で判断して頂ければと存じます。
Posted by w at 2017年08月08日 22:02

永遠のダルマさん、どうもです。
やはりそうですか、同じこと考えてましたぁ 。

恐らくですが、阿部さんには自我のわだかまりというか何らかの束縛があって、それが解けた時に意識が拡大していくような開放感があったんじゃないかなと、このよに呆想してた次第です。

だから瞑想状態というのは意識が無いのではなく、言葉で表現できない(いわば思考が出来ない)が故にその状態が解からないのではないかなと。
だから、思考で捉えるのではなくて感覚で感じ取れるんだと思ってます (´3`)ゞデワデワ
Posted by It's a Sony ♪♪ at 2017年08月08日 22:15

wさん、アイアイサー ('ω')ノ
Posted by It's a Sony ♪♪ at 2017年08月08日 22:17

It's a Sony ♪♪ さん

他の方のことは、よくわりません。。。

でも、感覚で感じ取れる、というのは、何となく、わかるような気がします。

「何も無い」状態は、思考(左脳)も感覚(右脳)も停止状態、
という感じでしょうかねぇ?

(´3`)ゞデワデワ  笑


Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月08日 22:19

右脳、左脳とかもない状態です。
思考が止まったという感覚もないと思います。
Posted by w at 2017年08月08日 22:41

まさにですね。

我々というか集合無意識というか、一般的な考え方でいくなら「無」とは「なんもない」としか言いようがないかと(笑)
Posted by It's a Sony ♪♪ at 2017年08月08日 22:43

知ってる事をわざわざ、聞かないようにして下さいね。
Posted by w at 2017年08月08日 22:48

wさん

>右脳、左脳とかもない状態です。

そうですね。
書いたことは、後付けの解釈であるだけ、ですが、
私たちに起こる全体験は、脳が無いと起こらないと思っています。
(脳だけが、感覚知覚器官であるので、その脳が停止状態になるという状態も、死の際以外にも起こりえることなのだと思っています)

「 」は、脳の情報処理能力を超えた存在なので、人間が言葉で表現するには限界があります。
ですから、体験者は、体験のみを語るしかなく、本当は何が起きたのか?は、誰も言えないのです。
書いたことは、ひとつの可能性(仮説)と受け取っておいて下さると有り難いです。

>思考が止まったという感覚もないと思います。

どうして、それが言えるのですか?
(そういう状態を体験して、仰っているのですか?
 それとも、想像ですか?)

思考が無い、という状態は、瞑想中にも起こりますから(観照状態)
その状態までは、(微かですが)自分でも把握できると思いますよ。
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月08日 22:57

ひとつなるもはただ在るだけですよ。
Posted by w at 2017年08月08日 23:10

わまくは、ただ在るの体験者ではないので、これ以上説明は不可能です。
わたくしはあくまで、本から得た知識のみで説明しただけです。
体験者の方々がなぜ、同じ事を繰り返し問うのか不思議でなりません。

Posted by w at 2017年08月08日 23:19

w さん

どなたの本を読んで、そう言われているのか?わかりませんが、

いろいろご紹介頂きまして、ありがとうございました^^

Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月08日 23:24

お疲れ様です。
Posted by w at 2017年08月08日 23:25

自分が経験するものであるなら

自分のこの経験とあの経験は違う
と言えるわけですよね

しかしながら、
真実というものが幻が消え去った後に訪れるものであるなら

自分が存在しているということが消え去った後に訪れるものがそれ…

悟りも自分が消え去った後に訪れるものであり
熟睡も自分が消え去った後に訪れるものであるわけですから

悟りと熟睡は同じとちゃうのかな?

どこかの覚者がそれは違うものだと言うなら
その覚者の悟りは自分という自我が体験しているものと言えますし

熟睡のことを思いますと、
これ以上の無があるんだよと言われても
実際は不要と言えましょう(笑)

というわけで…

悟りについて考えてわからなければ、
さっさと寝ればいいのだと思います

ブッダ☆ブッダ☆

おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 00:06

甲賀忍者 さん

この世で、いろいろなことを体験しているのは誰か?

それがわかると、幻想(マーヤ)である”夢”は消えます。

わたしは誰か?

→誰でもない。

熟睡で、それがわかるなら、
その熟睡は、悟りと同じだと言えると思います^^

(しかし、悟らなくても、悟っても、結局は(顕れとしては)同じなので、
 「何でもいいのです」と仰る阿部さんの言葉に同感です♪
 そして、毎夜寝る私たち全員が熟睡で悟っているならば、
 阿部さんや大和田さんのようなメッセンジャーの方々のメッセージを
 わざわざ聞く、というのも不思議な現象ですよね・・?)
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 00:42

永遠のダルマさん

大和田菜穂さんは
自分という自我が消え去っているので、

(自我を投影するということはなく)

もう、個人という存在が見えないそうですよ

なので、誰かを救済する目的でサットサンをしているわけではない…

大和田菜穂さんが話し…参加者が聞く…

ということがただ起きているだけなんでしょうね

誰もいないところに、それはただ起きている

Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 01:06

このコメント欄でも、同じことが起きているのではありませんか?

違いますか?

このコメント欄は、違うのですか?
(もし違うと思っているなら、
それは、違うという”想い”が起きているだけです)

それから、書き忘れましたが、

いわゆるここで問題になっている「体験」は、
それを体験している<わたし>なる主体はいない、
ということがわかるための、ひとつの方便のようなものだと感じています。

そういう意味では、「体験」なくとも、自我が、<わたしはいない>と納得できれば、いいのだと思っています。

誰かがやっている訳ではない、主体となる<わたし>はいない、という智慧?に至るためには、
一瞥体験は手っ取り早い手段だとは思いますが、それだけが方法ではないと感じています。

ですから、熟睡で、<わたしはいない>とわかったのなら、
その熟睡は、一瞥体験と同じ結果をもたした、ということになりますね。

方法が何であれ、その結果(叡智)に至れば、自己は消滅しますので、
何でもいいと思いますよ。

このやり取りも、起きているだけです。

ただの反応です。

そこに、主体となる誰かがいる訳ではありません。
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 01:37

永遠のダルマさんのコメントを読むと
大和田菜穂さんと同じようでビビります

さすが〜

以前のダルマさんは、頭が良すぎるのか
ストーリーにはまり込んでいるのが見受けられたものですが、最近はそれもなくなっているようですね

おめでとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 01:47

はい、集計してみました。
集計対象は 2017/8/8 23:55現在の 8/2 〜 8/7 までのコメントです。
日付は阿部さんの記事の日付です。
どこまで合ってるかはわかりません。

永遠のダルマ 回数計68 総文字数23301 1回辺り343字
 8/2 13回 3781字
 8/4 13回 5156字
 8/5 24回 7048字
 8/6 7回 2750字
 8/7 11回 4566字

y-be 回数計43 総文字数12922 1回辺り301字
 8/2 6回 1135字
 8/4 10回 3640字
 8/5 12回 3946字
 8/6 14回 4113字
 8/7 1回 88字

うめちゃん 回数計60 総文字数9482 1回辺り158字
 8/2 27回 4922字
 8/5 8回 1635字
 8/6 10回 833字
 8/7 15回 2092字

ただの「自分」 回数計16 総文字数7476 1回辺り467字
 8/2 5回 2136字
 8/4 2回 907字
 8/5 2回 932字
 8/6 5回 2471字
 8/7 2回 1030字

neo 回数計15 総文字数6094 1回辺り406字
 8/2 8回 2824字
 8/5 1回 517字
 8/6 4回 2119字
 8/7 2回 634字

It's a Sony ♪♪ 回数計18 総文字数5167 1回辺り287字
 8/2 4回 690字
 8/5 6回 2474字
 8/6 3回 1609字
 8/7 5回 394字

ワイルドフォックス 回数計15 総文字数2946 1回辺り196字
 8/2 4回 356字
 8/4 2回 567字
 8/5 1回 188字
 8/6 8回 1835字

李 信 回数計16 総文字数2944 1回辺り184字
 8/2 3回 551字
 8/4 4回 832字
 8/5 5回 913字
 8/6 1回 282字
 8/7 3回 366字

eryngium 回数計7 総文字数2790 1回辺り399字
 8/2 2回 710字
 8/4 1回 599字
 8/5 1回 376字
 8/6 2回 1044字
 8/7 1回 61字

パンマン 回数計17 総文字数2485 1回辺り146字
 8/2 2回 393字
 8/4 4回 366字
 8/5 8回 1364字
 8/7 3回 362字

模察 回数計7 総文字数2093 1回辺り299字
 8/2 6回 1584字
 8/7 1回 509字
Posted by rakuni... at 2017年08月09日 01:49

続き。。

甲賀忍者 回数計12 総文字数1877 1回辺り156字
 8/2 2回 194字
 8/4 4回 755字
 8/5 3回 486字
 8/6 2回 311字
 8/7 1回 131字

あらかちです。 回数計9 総文字数1588 1回辺り176字
 8/2 2回 127字
 8/4 5回 890字
 8/5 1回 302字
 8/6 1回 269字

シエル 回数計6 総文字数1256 1回辺り209字
 8/5 4回 979字
 8/6 2回 277字

あべさーん 回数計6 総文字数1158 1回辺り193字
 8/4 2回 417字
 8/5 3回 370字
 8/6 1回 371字

星の花 回数計2 総文字数1071 1回辺り536字
 8/5 2回 1071字

まっす〜 回数計6 総文字数918 1回辺り153字
 8/2 3回 365字
 8/4 1回 64字
 8/5 2回 489字

かまぼこ少年 回数計4 総文字数906 1回辺り226字
 8/2 1回 199字
 8/6 2回 584字
 8/7 1回 123字

rakuni... 回数計6 総文字数901 1回辺り150字
 8/2 1回 157字
 8/5 3回 586字
 8/6 1回 147字
 8/7 1回 11字

通りすがり 回数計9 総文字数884 1回辺り98字
 8/5 9回 884字

かみゆ 回数計6 総文字数869 1回辺り145字
 8/5 6回 869字

大空 回数計6 総文字数854 1回辺り142字
 8/2 2回 422字
 8/4 1回 182字
 8/5 1回 10字
 8/6 1回 99字
 8/7 1回 141字
以下略
Posted by rakuni... at 2017年08月09日 01:50

パンマンさんがうめちゃんさんに注意したのは、
LINEっぽい連投が目立ったからでしょうね。
Posted by rakuni... at 2017年08月09日 01:55

甲賀忍者さん

こんな遅い時間まで、お付き合い頂きまして、ありがとうこざいます。

頭に浮かんできたことを、消えないうちに書きますね(笑)

大和田さんのサットサンガだけでなく、
この世のあらゆるところで、
大和田さんが仰っていることが、起きている、ということなのです。

誰かがやっているわけではない。

“わたし“という主体なる存在がいるわけではない。

その理解(智慧)は、私たちを解放してくれると感じています。

それから、自己の消滅と書きましたが、「わたしという自我」です。

自己は、真の自己は永遠なので、消滅しません。

滅びるのは、肉体と“わたし“という意識だけです。
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 02:04

YouTubeだって…

自分の自我を投影するから

大和田菜穂さんという個人が話し、
参加者という個人が質問しているように見えるわけですが

YouTubeって動画であって、誰もいないのですよね

この現象界も…
想念が現実化しているわけですから

立体映像のホログラム…

本当は誰もいない…

そんな感じでしょうかね

では また
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 02:14

集計結果を見て思ったのだが、
原稿用紙の枚数に換算してみたら面白いかもしれない。

お疲れ様でした。>自分

おやすみなさい。>みなさん
Posted by rakuni... at 2017年08月09日 02:23

そのバイタリティを女性に向けたらなあ(笑)
Posted by アイーン主体ケン志村@シエル卿★ at 2017年08月09日 02:54

立体映像のホノグラム!

正に(笑)


それより、コメント総数、ダントツ1位になってしまった!(>_<)

自粛、自粛。。(..)

(お付き合い頂きました方々、ありがとうございました♪)


Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 03:07

おはようございます。
今朝は珍しくみつろうさんのブログを読んでから、阿部さんちのブログのコメント欄を覗いたら、スゲー事になってて、ホッコリ気分になった。
みつろうさんの今日の記事の内容とピッタリの事が起こっててビックリ(゚o゚)/。
私の為にではないのでしょうが、ありがたかったです。鼻水ポタリ(T_T)
rakuni...さんならではのひねりの効いたブラック愛よかった。

永遠のダルマちゃんのコメントは勉強になるし、対応も参考になるので、コメント数?多くても大丈夫だと思いました。

取り敢えずrakuni...さんの才能の片鱗が垣間見れて感動した。
今日の感動ありがとです。
わたしも誰かをホッコリさせる為に存在していたいあなって思えたよ。
勉強させて貰った?
Posted by うめちゃん at 2017年08月09日 07:18

おはようございます。

遠のく。。。さん

> 数式には、何といいましても、有無を言わせない強力な説得力がありますね。

ですねぇ。数学(数式)は美しさも兼ね備えてますよね。
頭がゆるくなってしまった最近の私は、数学からは距離を置いてますが
あれは凄いものです。

甲賀忍者さん

> 以前のダルマさんは、頭が良すぎるのか
> ストーリーにはまり込んでいるのが見受けられたものですが、最近はそれもなくなっているようですね

私も同じようなことを感じてました。
永遠のダルマさんのコメントは最近、なんだか柔らかくなってきた感じがします。
あまりにも私がイチャモン付け過ぎて、書きたいこと書けなくなってしまったんですかねぇ。
でもコメント全体の雰囲気が変わってますよね。

> YouTubeだって…

YouTube かぁ〜、エッチな動画の規制がわりと厳しいんだよなぁ
性欲抑制のストイックな世界になりそうだなぁ
あぁ、それから自我をYouTubeで例えるとしたら何になりますかねぇ。。
Posted by rakuni... at 2017年08月09日 08:10

永遠のダルマさん

おはようございます。
仰るとおりソルフェジオ音階(周波数)と呼ばれているようです。
ヒーリング音楽も528Hzならすべていいというわけではなく、自分の好みがあります。わたしはなぜか低音が苦手で不快に感じてしまい、逆に高音が心地よく聞こえます。あとは作曲者の感性の影響もあるかと思います。

「ライアー」って初めて聞きました。ギリシャの竪琴みたいなものなんですね!それを演奏されるんですか。素敵ですね?(???)

最近お気に入りの528Hzのソルフェジオ楽曲は、頭の中がとても気持ちよくなります。しょっちゅう聞くようにしています。βエンドルフィンはきっとでていると思います。好きな景色の写真を見ても心地よいです。
Posted by neo at 2017年08月09日 08:16

なんだか肝心のところで文字化けしてしまいました。

素敵ですね?(???) → 素敵ですね?(???)

でした(^o^ゞ
Posted by neo at 2017年08月09日 08:18

rakuni...さん おつかれ様です。^ ^
Posted by まめ at 2017年08月09日 08:56

rakuniさん

池谷裕二さんという脳科学者の本を読んで
目覚めるものがあったのでしょうね…

本当は誰もいないわけですから、どういう表現が適切かわかりませんが

永遠のダルマさんは大和田菜穂さんと同じことを語る方ということですね(笑)



>それから自我をYouTubeで例えるとしたら何になりますかねぇ。。

YouTubeという動画に過ぎないものが
自我によって現実のように思える…はまり込む…

ということです
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 10:15

「意識の拡大」とは、個の視点からの表現の一つに過ぎないと思います。

量子とは、粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。
で、この宇宙は量子が偏在している場ですから"宇宙=量子場"です。
妄想を働かせば、量子場=(純粋)意識なのかな?という気がします

量子場では、不思議なことが起こります。
素粒子がギューッ!と集まって物質になって、物質がギューッ!と集まって恒星や惑星になります。
私は、思考や感情は量子エネルギーじゃないかな?と思い込んでますが(笑)、エネルギーがギューッ!と集まって思考や感情となる。
「私」という観念もエネルギーが集まった状態で、その集合した状態がバーッ!とほどけると量子場に帰す(?)ので、意識が広がったような感覚(量子エネルギー)がなぜか起こっている。

脳は、量子場の変化を感知する受信機みたいなもので、平たくいえば人間を初めとする生物は量子が集まっただけの人形です。
でも、人間の脳は思考や感情と称される量子エネルギーの集合を感知する機能があるようです。
(長くなってすみません。続きます。)
Posted by 模察 at 2017年08月09日 10:44

結局何が言いたいのかと申しますと,
「量子場で、素粒子や量子エネルギーが集合するのって凄くないですか?」ってことです(笑)

均質で満遍なく広がっている量子場(宇宙)で、操作する人は誰もいないのに、集まっては拡散することを繰り返しているんですよ!?
凄いと思うのは私だけかもしれませんけど(笑)、素粒子が集まって脳や身体になったり、量子エネルギーが集合して思考や感情を味わえたり、「私」という意識を持つことが起こるんですよ?で、誰に断ることなく勝手に霧消するんですから(笑)

素粒子や量子エネルギーを集合させる誰かは存在しないけれども、それは"いまここ"で起こっています。
もう、誰でもない"何か?"に生かされているとしか表現しようがないです(ため息)
Posted by 模察 at 2017年08月09日 10:57

甲賀忍者 さん
rakuni… さん

そうなんですね。。。

最後?が手放せたのかもしれませんね。。

神秘体験に関する脳科学的な理解が、最後の謎(拘り?)を消してくれたのかもしれません。。。

虹は不思議な現象ですが、現代ではその仕組みや原因が解明されているので、光の屈折という自然現象との理解があれば、不思議でも何でもありません。
蜃気楼などもそうですが、その仕組みと原因がわかれば、そこにファンタジーを感じることはなくなります。
ファンタジーを感じてもいいのですが、無知から来る迷信的な解釈がなくなると、選択肢が広がり、その分、自由度も広がりますね。

この自由が、人間を束縛から解放して、身軽にしてくれるのかもしれませんね。

非二元を知らない人が、甲賀忍者さんとのやり取りを読んだら、ビックリすると思いますが(笑)、
(コメントし合っているのに、誰もいない、誰もやってない、でお互い合点しているなんて!笑)
こんなやり取りが、自由にできるこの場を提供して下さっている阿部敏郎さんという存在に、
いつもながらですが、心から感謝しています♪
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 11:32

模察さん

興味深いコメントですね。

二元の世界は、偶然の創発なんでしょうか?

それとも、そこには、法則(ダルマ)が働いているのでしょうか?

人間の知性は、人間の脳で考え得るすべての可能性を探ることでしょうね(笑)

この小さな「脳」というスーパーコンピューターの脳力を限界まで使って、
どこまでも、夢の世界の謎を探求していくことでしょう。。。

果てしない夢。

永遠に続く夢。。。

リーラ。
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 11:47

永遠のダルマさん

九官鳥と九官鳥の会話がスムーズに展開していたら…ビビりますよね

しかし、人間同士の会話ってそういうことに
なるのかなぁ
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 12:11

甲賀忍者 さん

人間は、赤ちゃんのの時から、言葉を学習していますから、
こういう時は、こう答えるという回路を発達させています。

その回路を自動発動させると、省エネになるので、
私たちは、無意識に、その回路を発動させ、いつも、同じパターンを繰り返していることが多いのですが、自分では気がついていません。
そのパターン化された反応が、その人らしさにつながり、所謂、人格を形成することにつながっていきます。

つまり、「わたし」らしさとは、このパターン化された自動反応だということになります。

阿部さんにも大和田さんにも、「その人らしさ」がまだあります。
阿部さんと大和田さんの表現が違うのは、やはり、そこに私たちが「その人らしさ」を感じているから。

個体を識別して、そこにラベルを貼ってしまうのは、脳の働きなので、仕方がありませんが、
それを「自分」がやっている、と思うのではなく、「脳がやっている自動反応」だと思えば、お互いの脳にそれが起こっているだけ、となります。

そうは思っても、人間は、反応だけで、スムーズにやり取りできのですから、
人間の脳の学習能力の結果には目を見張るものがありますね(笑)
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 12:33

模察さんの不確定要素・談を聴いて・・・

人間の反応も、その時は、既存の自分の備えているものによる条件反射でも、

一瞬先は、新たな何らかの体験や見知ったことなどを、自分という(コンピューター)の構成要素に取り入れてしまい、(それを気づいていようが、いまいが)

次に、同じような対象事・物に相対した場合には、また違った反応をするかも知れませんから、

そういう仕組みがずーっと続いていくと考えると、何を見ても、どこを伺っても、不確定要素ばかりに思えますね。
Posted by y-be at 2017年08月09日 12:40

>>誰に断ることなく勝手に霧消するんですから(笑)

素粒子や量子エネルギーを集合させる誰かは存在しないけれども、それは"いまここ"で起こっています。
もう、誰でもない"何か?"に生かされているとしか表現しようがないです。

それらこそが、自由意志ですよ。起こさせている側は側であって、畑ですよ。養分たっぷり、肥沃の畑ですよ。それは在るだけ、

そこから、あちらこちらから芽をだしたり、色々方向に伸びたりするのが、自由意志。

起きる側は、起きる側自身で発生し、起きるのでないかと、今、イマジネーションが湧きました。(妄想かな(^_^;))
Posted by y-be at 2017年08月09日 13:02

非二元と唯物論との違いは何か?

存在しているものこそが真実で
存在していないものは幻…

それが唯物論で

存在しているものは現れては消えて行く幻で
存在していないものが真実…

それが非二元ということかなぁ

さらに、非二元は唯物論も含むということかな

では また
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 13:05

永遠のダルマさん

私が答えを持っているわけではないことを前置きして書きます(苦笑)

二元の世界は、偶然にも見えれば必然にも見える でいいのでは?

前の2つの記事で、量子の世界(=ミクロの視点)では偶然とか不確実という観念でしか表現しようがないと書きました。しかし、マクロの世界では?

ニュートン力学は、絶対時間と絶対空間が存在をすることを前提に二元の世界を言葉(数式含む)で表現しました。
そこには明らかに法則性があるようにしか見えないからそう表現するのであって、決して間違いではありません。
事実、私達は日常生活においてはニュートン力学の法則に従って暮らしています。
ニュートン力学に対して、異を唱えたのがアインシュタインの相対性理論で、二元の世界は絶対時間/空間ではなく、相対であると唱えました。
日常生活では相対性理論は実感できませんが、様々な実験結果でこの理論が事実であることは証明されています。ですから、この二元の世界は法(法則)に従っていると見たって何の問題もないのです。そう見えるものはそうだからしょうがないですよね?(笑)

で、量子論(ミクロの世界)は、ニュートン力学や相対性理論がまったく通用しません。
言葉では偶然とか不確実としか表現しようがありません。
素粒子や電子などの量子は、観測する(=見る)までは位置は確定しません。
つまり、この世界の本質は偶然や不確実が支配していますが、観測(見る)した瞬間に素粒子などの量子は存在します。
ですから、二元の世界を見る(観測する)ことによっり、法則性があるように見えるのですから間違いでもなんでもないと思います。

ただし、この解釈はコペンハーゲン解釈論的な立場に基づいて、私独自の解釈を被せてますから法則ではないと思いますけど(笑)
Posted by 模察 at 2017年08月09日 13:13

y-beさん

>起きる側は、起きる側自身で発生し、起きるのでないかと、今、イマジネーションが湧きました。(妄想かな(^_^;))

そうですね。
「起きる側には起こす奴がいるんじゃないの?」という疑問が生み出したのが"神"なのかも(笑)
二元的に、起こるためには起こす主体者がいるはず という観念に縛られるかどうかかもしれませんね。

Posted by 模察 at 2017年08月09日 13:22

甲賀忍者 さん

脳に起こる自動反応は、言葉による反応だけでなく、感情もあります。

思考と感情の自動反応に気づけば、自我(わたしという主体だと感じている存在)は、ただの格子の枠組み(フレーム)のようなものだということが、わかると思います。

ここまでわかると(その理解が起これば)、あとは自動的に?、自我は崩れていく(本来のフレームだけになる)と思いますよ。

フレームという形骸は残るかもしれませんが、それも「わたし」ではない、という理解があれば、
その形骸にエネルギーを注ぐことにことはなくなると感じています。
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 13:39

思考と感情の自動反応が自我ということになりますかね

思考と感情の自動反応に気づき、それを止めることで、自我が崩壊する…

ということでしょうかね

そうすると

誰もいないところで、
起きることがただ起きている

Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 14:05


y-beさん
>起きる側は、起きる側自身で発生し、起きるのでないかと、今、イマジネーションが湧きました。(妄想かな(^_^;))

模察さん
>二元的に、起こるためには起こす主体者がいるはず という観念に縛られるかどうかかもしれませんね。

あー、わかりやすい〜♪
『起こす側』なんて居ない、てことですよね。
それが『ただ起きてるだけ』と。
Posted by ただの「自分」 at 2017年08月09日 14:28

甲賀忍者 さん

はい!(^o^)

そう考えると、とてもシンプルですよね。

一般的には、このフレームに、欲望や個人的な願望が、エネルギーを注ぐ、ということが起きていますが、(自己実現には、エネルギーが必要です)
それも起きていることなので、良いとか悪いということではない、という理解があれば、
他の人がそうであっても、その姿は自然なので、気にならなくなりますし
また、自分においては、エネルギーを注ぐか、注がないかを、選択することができるようになると思います。

余計なことですが、
大和田さんのスゴイ?ところは、「何も起きていない」とハッキリと仰っていること。

観照者が消えた状態を知っているということなのだと思っていますが、
これを聞いた自我は、実体だと思っていた「自分」だけでなく、
その「自分」が認識している実体だと思っている”すべて”が無くなってしまうことになるので、
それは、とても恐ろしいことなので、猛反発が起こるのは当然なのですが、
それを承知で、お話されているというところが、他のメッセンジャーの方々にない迫力を生んでいると感じています。

否定や猛反発も、自動反応なので、
大方の常識から外れた考え方は、一般的には、直ぐには受け入れられない、ということが起きていますね。
(それは、ごく普通の反応なので、当然かとは思いますが。。)

古くは、イエス・キリストやコペルニクス、ガリレオ、アインシュタインも最初は、猛反発を受けましたので、
昔も今も、表面的に起きていることは、あまり変わらない、ということなのでしょうね。

Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 14:33

永遠のダルマさんと甲賀忍者さんとのやり取りを見ていて、とても勉強になりました。

>それを「自分」がやっている、と思うのではなく、「脳がやっている自動反応」だと思えば、お互いの
>脳にそれが起こっているだけ、となります。

【それを「自分」がやっている、と思うのではなく、「脳がやっている自動反応」だと思えば】←この感覚凄くいいです!
「自分」との間に一気にスペースを広げられたような気がします。

>思考と感情の自動反応に気づけば、自我(わたしという主体だと感じている存在)は、ただの格子の枠組み(フレーム)のようなもの
>だということが、わかると思います。
>ここまでわかると(その理解が起これば)、あとは自動的に?、自我は崩れていく(本来のフレームだけになる)と思いますよ。

>思考と感情の自動反応に気づき、それを止めることで、自我が崩壊する…

以前にも申し上げましたが、特に食の改善をしてから自動反応が起こりにくくなってきてはいます。もちろん、防げないものもあります。ただ、自動反応だなと気づくようにはなってはいます。そのうち、フレームだけになればいいですが。

良いお話が聞けて良かった。ありがとうございました。
Posted by neo at 2017年08月09日 14:42

neo さん

わたしも、マクロビオティックを日々実践していなければ、心の底からの納得が起きなかったと思います。

マクロビオティックを実践したことで、何よりも直感力が備わったと実感しています。

頭の理解であっても、思考、知識によってわかるのと、感覚、直感でわかるのとは、違うように感じています。

このコメント欄のやり取りの内容が、実生活で、アハ体験のように、一瞬で府に落ちることが起こると思います。

そうなると、脳のその回路が活性化するので、その後はその新しい回路が働くようになり、
自動反応ではあっても、思考、感情、行動を生み出す際に活性化する回路が変わるので、
結果的に、表れとしての「わたし」は変化しますね。

まあ、そんなことが起きているんだ、という理解はうっすら脳の片隅にでも置いておいて、
この世にある間は、限りある一回限りの人生という時間をどう過ごすか?が、人間を生きる醍醐味でもあるので、
結果は、完全自動お任せで、思いのままに、自分を生きることだと思います。

阿部さんという大先輩もいらっしゃるので(笑)、
何よりも、先を行く人がいる、というのは、私たちに安心感を与えてくれますね♪
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 15:23

>観照者が消えた状態を知っているということなのだと思っていますが

この表現を見ると、永遠のダルマさんには自我が残っており、その自我が菜穂さんに投影されている感じがします

菜穂さんなら…

観照者が消えた状態を知っている私なんていない

と言うことでしょうね

neoさん

ありがとうございます

永遠のダルマさんと会話すると勉強になりますよね

(^_^)v
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 15:32

凄い!

ゼロポイントの体験はいらないでしょう。

私は私は他になんでもできる。


ボールは私にとって私には私にはゼロである。





Posted by みちばた at 2017年08月09日 15:52

>>「観測(見る)した瞬間に素粒子などの量子は存在します。」

知覚する。気づく。注意(意識を注ぐ)する。見る。これも、これらをする側の備えている特性によって、“見え方”が為される(決める)のではないでしょうか?

他の動物、昆虫、魚などが、もし、“見れたら”(しないでしょうけど…)違ったものに見えるかも知れません。まったく見えないかも知れません。

このテーマ(謎)は、もう、かれこれ二十年以上前に知りましてから、何かの機会に「これだ!」という感じに、幾度となく、それが起こる理由が思い浮かぶのですが、その度に忘れ去っていますので、確かどこかにメモっていたのですが、それも、どこへ行ったやら・・・

Posted by y-be at 2017年08月09日 16:21

甲賀忍者さんが、わたしと大和田さんを比較するのは何故なのか?よくわかりません(笑)
(わたしと大和田さんを比較して、云々言っているのは、甲賀忍者さんだけですよ、笑。
そんなに、大和田さんとわたしの比較は、甲賀忍者さんにとって大事なことなのですか?
わたしは一言も、大和田さんとわたしは同じです、なんて書いていませんよ。
あなたの頭の中で、そういう“想い“があるのでしょう。)

わたしは、大和田さんではありませんよ。

観照者としての「わたし」が消えたら、すべて消えてしまいますので(それも体験しましたから)、
その「わたし」は機能しています。

少なくとも、甲賀忍者さんの中では
二人は別人で、別の人格を有しているように感じているのでしょうが、
その分離を識別して、色々判断し、決定を下しているのは、左脳の働きなのですよね。

それが、甲賀忍者さんの頭の中で起きているだけです。

その判断の基準を形作っているのが、生まれてからこのまでの全経験からの学習の結果です。

甲賀忍者さんの頭の中では、何にでも、違いを見つけ出し、レッテルを貼り、上下優劣をつけるということが起きている。
これは、脳科学的に言うと、左脳の働きで、実は、これが、「自我」の正体なのですが、気がついている人は少ないです。
それは、誰にでも起こることなので、仕方ありませんが、
その価値観とのエネルギーのやり取りに費やすためのエネルギーが無い状態なので、
この辺で失礼させて頂きますね(笑)

延々とやり取りしていても、結果は、同じところに行き着くと思いますので。

結論、わたしと大和田さんは違います、ということで、終わってもいいでしょうか?(笑)

しかし、このやり取りも、誰かの気づきのヒントになることもあるかもしれませんから、
お付き合い頂きまして、ありがとうございましたm(__)m
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 16:22

あっ、思い出しました。“それ”を(分離してないもの・分離がないもの・何も決まってない領域)見ようとすること、知ろうとすることは、“分離”を創り出す作業なので、、やはり、こちら側(見る側)が“見え方”を決めているのだろうか?分離観を創り出しているのだろうか?

ということですね。確か・・・(^_^;)
Posted by y-be at 2017年08月09日 16:28

  良かったです。

長くあった 表現し切れないもの足りなさ、のようなモノ、が
   振っきれた感じです。

 こんないい夏にめぐり遇えるとは・・・!
Posted by 遠のく。。。 at 2017年08月09日 16:38

永遠のダルマさんのそのコメントを読んで

怒りよったか〜

という思考が自動反応であり、僕の自我ですね

なので、その自動反応を止めてみる

怒りよったか〜という思考を止めてみる

そうすると、僕の自我は静まり返り

本当は誰もいないこのコメント欄で
起きることがただ起きているんだなぁ

となるわけですよね

感謝☆感謝☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 17:04

甲賀忍者 さん

怒ってないですよ〜笑

正直、疲れただけで〜す、笑

ホント、文字起こし、疲れますよね〜笑

で、きっと、甲賀忍者さんの中では、
大和田菜穂さんが、とても大きな存在で、
その大和田さんとの比較の結果は、
何よりも?大切なものだんだろうな、ということはわかりました。

ということで、
大和田さんと阿部さんは、どうですか?
お二人は、比較されないんですか?

わたしは、アマですから、
プロ同士の比較と言うのも、とても興味あります(笑)

もし、もう比較されているのなら、どんな結果なのか?
阿部さんには内緒で?、教えて下さい(笑)
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 17:37

阿部さん、菜穂さん、永遠のダルマさんに
自我があるかないかは…実は…
僕次第となります(笑)



僕が自分の自我を投影すれば、どんなにお三方が、私はいない…主体はいない…
と言っても

そこには自分という自我があるはずだ
と言うことでしょう

しかし、毎晩の熟睡の体験から
自分という存在は本当は幻で、一時の間
私はいると信じているだけなんだ

という視点からは、

あるいは、思考や感情を止めてみることからは


お三方がどんなに、私はいるよ〜
と言い張っても
本当はそこには誰もいない、と言うのでしょうね
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 17:56

y-beさん

そうですね。
先ず、自分を見ることで"それ"を知る。
"それ"を知っても、それを見ようとすることはまだ分離意識だと思います。
見ようとすることも消えたら、"それ"そのもの。


と、3行で書いてしまえるほど簡単には至らないのでしょうが、でも実際はこれぐらいシンプルなんだと思います。
Posted by 模察 at 2017年08月09日 18:47

話逸れるかもですが、観照者について僕の呆験を述べさせて頂くとデスネ。

以前に自我の無い状態を感じたのですが、これは多分にですが、朝の眠りから覚めた直前は脳の活動はあまり活発化してなくて、だから同時に二つの事が考えられない(認識できない)場合があるように思う分けです。

我々が何かを認識してる時というのは、同時にそれを認識してる主体の自己(自我)をも感覚的に捉えてると思いますが、これはどちらも思考でしょう。
けどこのように、同時に主体である自己を認識してるのは難しいというか、殆ど無自覚かもで、これは意識してないと掴みづらい感覚なのかも知れません・・・どうなんしょ。
これはつまり、コメントしてる時に、キーを打ってる自分は視野に入って無い感じかと。

しかるにですね、眠りから覚めた時、何かの拍子に突然に対象のない「喜怒哀楽」が生じ、そこに自己(自我)が未だ付随してない場合が有る様に思われる分けです。
これを以前経験して僕は自我が無かったと、この様にコメったことが有りますが、けどどうでもいい呆弁でしたぁ (´3`)プッ
Posted by It's a Sony ♪♪ at 2017年08月09日 19:45

甲賀忍者 さん  

さすが!です♪
 
大和田さんだけでなく、阿部さんにも、甲賀忍者さんにも、わたしにも、主体となる「わたし」がいるわけではない。。。

目で見て、耳で聞いて。。と、五官で感知した情報を脳が認識し、その情報を元に識別が起き、その識別により、いろいろな反応が起きている。

ざっと書くと、そんなメカニズムが働いています。

その反応には、個人差(ちょっとした違い=脳内における活性化する回路の違い)があるので、
観察者である他者の脳がまたそれを認識し、識別し、反応を生み。。と、これの繰り返しなんですよね。

それが、良いとか悪いとか、ではなく、ただそういうことが、自然に起きている。

この自然というところが、不思議でもあり、すごいと感じるところでもあるのですが、
それさえも、そういう“想い“が、脳に湧いているだけ。。(笑)

こうして、思考は結局、エンドレスに続いてしまうので、
思考をストップすることは、脳に休息を与え、思考の暴走に歯止めをかけるのに役立つと思います。

瞑想のように心を静かにすることで、反応として自動でわき起こる思考から離れて、「自分」を観察し、
心(脳)の中で何が起きているのか?を知ることは、いろいろな気付きを生むので、
やがて、頭の中で起きている「錯覚」の正体を見抜くことにつながっていくと思います。

それが、理智であるブッディ(仏陀)の本当の役目であり、
ブッディが本来の働きをするようになると、
自ずと、ただひとつの「叡智」が明らかになると思いますよ(^o^)
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 21:22

いい感じでまとまりましたね

(^_-)

安心しました〜

ブッディ☆ブッディ☆

それでは、おやすみなさい
Posted by 甲賀忍者 at 2017年08月09日 22:09

うわー、なんか盛り上がってんなぁ

うめちゃん

感動してもらえて嬉しいです。
苦労して集計したものですから
やっぱり楽しんでもらうのは嬉しいですね。
ありがとうございます。


まめさん

まめさんからのたった一言の「お疲れ様」。
このとむらいの言葉 いゃ、ねぎらいの言葉、心に沁みました。
ありがとございます。
次の日も仕事あるというのに睡眠時間、削って何やってんだか、
って感じですよねぇ。。
Posted by rakuni... at 2017年08月09日 22:47

It's a Sony ♪♪さん、

それで、起きて時間が経つか、顔を洗ったりして、目が覚め、「我にかえる」わけでしょう。

私も、前に体験したので、書きましたが、

思考や感情や何かの衝動や欲求に意識が同化している状態ですと、それを離れて自覚したりする「我」がいないんですよ。

離れてから、「我にかえって」あっそう言えば、「さっきは?自分がいなかった。」と、そんなこと誰でも、日常茶飯事の当たり前のことなのですが、

何だか、それを、とても、新鮮に気づく体験をしましたよ。   

因みに、私は寝起きで、夢見側を感じている内側?の感覚と、目覚めて、外側の状況を感知している感覚の、両立して、捉えていることがよくありますね。(どちらかというと、一日中かも知れないです)



Posted by y-be at 2017年08月09日 22:49

模察 さん

わたしの質問へのお返事、ありがとうございました。

物理が苦手なわたしにも、わかりやすく書いて下さり、感謝します^^

>二元の世界は、偶然にも見えれば必然にも見える でいいのでは?

そうですね。

電子のふるまいは、観察者が観察した瞬間の状態で決まるそうなので。

それを更に拡大解釈すれば、
観察者次第ということなのかもしれません(笑)

>二元の世界は、偶然にも見えれば必然にも見える でいいのでは?

つまり、見る人による、ってことですかね?

人間だけが、この二元を認識している、と仮定するならば、
人間が決めてもいいってことなのかもしれませんね?
(↑拡大解釈し過ぎ?笑)

偶然、必然、というのも観念で、人間間だけで通用する概念ですが、
そこに意味をもたせているのは、人間の知性だけなんですものね。。。
これも、人間間のやり取りなので、偶然、必然には、それなりに意味がある、という前提であるのはもちろん了解しています。

しかし、ニュートン力学が通用するのは、地球上のみかもしれませんので、
二元世界は、地球的生物にとっては、万有引力を楽しめる貴重なひと時なのかもしれませんね、笑)

内なる世界の観察はやりやすいのですが、外側の世界は広大すぎて、歯が立ちません。
ですが、きっと、両者は分離したものではなく、どこかでつながっており、
本当は、”ひとつ”なのでしょうね。。。

詳しい説明、ありがとうございました♪
Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月09日 23:12

125.rakuni...さんへ
おはようございます。
rakuni...さんのあの書き込みがあったから、昨日から今まで、1つも書き込みせずに落ち着いていられました。
私の為ではないにしろ、まじ助かった。
感謝。

もう、分かってると思うけど、wのHNは私です。
やはり、永遠ダルマさん、いっつ、ソニーさん?、李信さん、甲賀忍者さん、neoさん、
阿部さん、パンマンさんとは住む世界が私とは違うなあと言うことを体験しています。

それが分かる体験ができて良かったです。
自分の生きたい方向性はこちらのコメント欄にはないという事が知れた。
wの悲劇の世界で戯れ、自ら玉砕した(笑)

新しい方向性を模索してみます。
誰にも信じて貰えないけど、うめ系とwのHNだけで今の所、書き込み出来てる事を自分で自分を褒めてあげたいです。
rakuni...さん改めて(^人^)<(_ _)>まじ感謝。
Posted by うめちゃん at 2017年08月10日 05:47

おはようございます。ダルマさん、

>>つまり、見る人による、ってことですかね?

人間だけが、この二元を認識している、と仮定するならば、
人間が決めてもいいってことなのかもしれませんね?
(↑拡大解釈し過ぎ?笑)

★そんなことはないと思います。

私も、それがいいたかったのです。上手く表現出来ていらっしゃると思います。

>>偶然、必然、というのも観念で、人間間だけで通用する概念ですが、
そこに意味をもたせているのは、人間の知性だけなんですものね。。。

★そして、それが錬金術の秘法でもあるんだと思うんです。

一度に何カ所も、地球上はもとより、同時に自分の意識を置くことが出来るようですし、意識を動物や、その他の生き物たちの波長に合わせて、人間の判断力・解析力(マイコン)を使って、それを操ることもできますし、

また、模察さんが提言された、意識の“拡大方法”は、同時に意識を物質を構成する粒子・素粒子のレベルまで、波長を合わせるのと同じことのようなので、そこに到達出来たら、あとはやはり、人間の(マイコン)を使って、それら粒子の固まり方、並び方を意志の力を使って変え、宝石や、あらゆる物質を創り出すことが可能らしいです。(私もかなり昔、その基本を学んだことがあります。)

それらの世界はダルマさんが以前言われていた微細身の世界、エーテル・プラーナなどの世界(仕組み)でもありますので(夢の世界も多少次元が違うけど、そうかな?)、肉体を持たない意識的存在や、シューマノイド、天使や、悪魔(天使)、やおろずの神々、や、幽霊や、守護霊、妖怪、竜、などといったものも、存在してるようです。

そして、これらも、見る側の観念などで、幾らでも、姿・形が変わって見えたり、性質が(こちらへの応対)変わってしまうということらしいです。

以上、早朝の、寝起きの頭に相応しい、ファンタジーの世界をコメントしました。<(_ _)>



Posted by ダルマさん、 at 2017年08月10日 06:21

★訂正、シューマノイド?→ヒューマノイド <(_ _)>
Posted by y-be at 2017年08月10日 06:23

rakuni...さんへ
ヘンコメなしでお願いします。
むしろ、無視してくれてお〜けです。?
Posted by うめちやんん at 2017年08月10日 06:32

81. rakuni...さん・・・す、すごすぎる集計 お疲れ様でした。私が 注目したのは、平均の文字数。やっぱり この人長文すぎるって 思った人は その通りに 文字数はんぱないですね(笑)
私は 200字数以下で、さっと読めるんだなw・・・っていう自己満足(笑)
Posted by 李 信 at 2017年08月10日 06:34

うめのコメントは批判的にとらないでね。
自分で与えた意味を体験してるだけだから。
どこに行っても、何をしていても、どこに所属しようと、ただ、与えた意味を体現するするだけの世界?
最高??の世界☆
Posted by うめちゃん at 2017年08月10日 07:15

李 信さん

コメントありがとうございます。

> 私は 200字数以下で、さっと読めるんだなw・・・っていう自己満足(笑)

でも、ご自身で書かれてたブログの記事の長さはすごかったよぉ。
このコメント欄では、我慢されてるのでしょうか。。
でも、さっと読めるコメントがいいですね、やっぱり。。
Posted by rakuni... at 2017年08月10日 07:31

今日から新しい職場、どんなめくり愛まってるかな。良円が待ってるといいな。
すべてはうめ次第!
Posted by うめちゃん at 2017年08月10日 08:17

126. y-be さんどうも。
昨日は眠くなって返米あきらめますたス。(笑)

しかしまぁやはりですね、あとから振り返って自我がなかったというのは、誰もが日常茶飯事に経験してるかとですね。
けど僕の場合は後から知ったんではなく、その場に自我がなかったって感じですね。
でもそれは良いのですが、そこに現れてた一つの思考ってのが例の自爆霊(恐怖感覚)なんです。(苦笑)
そして、我(われ)のもとへ逃げ還ろうとしたら我(自我)が居ないんですよ、ほんに還る場所が無くて慌てました。(爆)

話飛ぶんですが、以前に阿部さんとグーグルのお偉方との対談をコメられてる人が居られましたけど、それが「周辺意識で居るように」との言葉。
ナイスなアイディアと思って、即 ( ..)φメモメモ したのですが、けどやはりと言うか、一週間どころか三日と続きませんね (呆爆)
これは僕だけじゃなく他の方にも当て嵌まる最大の難関かと思う次第です。
もしこれさえ克服できればいい線まで行けるんじゃないかと、この様に思ってる分けなんですけどね。

で、しばし忘れてたんですが、そのアイディアが、自爆霊を迎え撃つ素晴らしい方便だと気付いた分けなんです。
僕の言う自爆霊というのは姿が見えるのではなくて、空間そのものが恐怖のエネルギーと化して、グニャリと歪んで襲ってくる分けです(;≧▽≦)ノアイー
正に身の毛のよだつ体験をさせて頂く分けなんですが、けどその時点だけの話なので、生活して行くにはあまり影響しなくて、慣れれば別に大した事もない分けです。

続きますが、次からが本コメとあい成ります (*´з`)ノナハ
Posted by It's a Sony ♪♪ at 2017年08月10日 18:54

そこでですが、その恐怖の空間(環境)を守護霊なる空間(環境)に変換してしまおうと言う次第なのですハイ。
自爆霊というのは元々がイメージなんで、単にイメージ変換すればそれで済むけです。
そしてイメージ変換の是非は恐怖心がバロメーターとなり、未だ恐怖心が残ってれば、それは守護霊ではなくって守誤霊と言う事に成ります。(笑)

それでですね、この守護霊(喜びなる感覚)を常に周りに遍満させておくなら、それはネガティブエネルギーへのバリヤーにもなり、そしてまた逆に、ポジティブな波動が引き寄せられて、脳がこれを概念に変換して並行宇宙を見るんじゃないかと、このように推測してる始末なんです。(呆笑)
なので、守護霊エネルギーは無味乾燥なイメージではなくて喜びのイメージなので、もしかしたら続くんじゃないかなと(;^m^)v

もう一度言わせて頂くと、喜びの波長は喜びの事象を引き寄せるのかも知れなくて(「いまここ」に遍在してるそのような並行宇宙に気が付くのかも!? )、このように理解するのもまた長く続ける秘訣だと思う分けです。
そして、下記のようなことも叶うなら尚いいのかもで、長く続けるにはこの様な呆望もまたしかりでしょうか。(爆)
http://inariyama.com/byaltuko/page007.html (宝くじを当てて貰った信者)

あっと、大変でしょうから返米はヨロシカトですよ、でわでわ。 <(._ _;)> ゼニボクロアリ
Posted by It's a Sony ♪♪ at 2017年08月10日 18:55

129のコメントを書いて下さったのは、y-beさんですか?

プラーナのこと、覚えていて下さったのですね♪

人間の想念は、何でも作り出します。
脳が体験している世界においては、脳が体験したいように、世界を作り替えてしまう、ということが起きていると思います。

プラーナは、それとは別で、私たちを含む全ての存在は、プラーナというエネルギーなのです。
そういう意味では、物質だけでなく、創念もプラーナであり、エネルギーの形としては、固体と気体の違いのようなもので、
形態の違うエネルギーであることには変わりありません。

私自身は、錬金術や超能力には興味ありません。
宇宙人やUFOがいても、あ〜そう、という感じです。
霊界や幽霊も興味なく、あってもなくても、どっちでもいいです。
個人的には、幻想の世界では、何でもアリ、なのかな?と思っていて、
幻想の世界が消えれば、すべて消えると思っています。

プラーナは、そういうモノとは一切関係ありません。
今、プラーナが、わたしやあなたになっているのです。
プラーナは、永遠に続く夢を形作っている顕れの根元エネルギーです。

それは、人間の想念をも形作っていますが、想念により形作られることは、ありません。

人間には、そのような力はないと思っています。

Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月10日 21:35

ダルマさん、

もう、終わった話ですが、気づかれましたら・・・

私も、“思っている”(ある程度の捉え方の基準や、参考にしてるくらいです)、知識の披露をしておきます。

これから、コメントを交わし合いをするときに、こういうことを観念に置いている者だと、知っておいて頂かないと、楽しい?お話が、噛み合わないだろうと思うからです。

コピペですが、

私たちの ?日々の糧″ である 「エーテル・バイタリティー」 は、ある一定の周波数をもつマインドであり、私たちは太陽、呼吸、食べ物、休息などを通じて、このエーテル・バイタリティーを受け取っている。

このバイタリティーが地球を包み浸透し、すべての現象に生命と栄養を与えている。私たちはエーテル・バイタリティーの海の中を泳いでいるようなものである。

エーテル (Ethers)

 エーテル・ダブルに取り込まれたエーテル・バイタリティーは、「創造エーテル」、「感覚エーテル」、「刷り込みエーテル」、「運動エーテル」と呼ばれる、機能が異なる四種類のエーテルに分かれる。「創造エーテル」 によって、私たちの生命現象が組成され維持されている。

「感覚エーテル」は、私たちに?感覚″ を与え、「刷り込みエーテル」はエーテル・バイタリティーに形を与え、サイコーノエティカル・イメージとして具現化させ、「運動エーテル」は私たちの体の動き、活動を可能にさせている。

これら以外に三種のエーテルがあるが、ここでは明かされていない。

Posted by y-be at 2017年08月11日 09:36

弐)

エーテル界(Ethereal world)

物質の中には個体よりはるかに純化され精妙な状態で、肉眼で捉えたり感じ取ることが出来ない物

質、エーテルが存在している。これが存在する領域を指す言葉で、広くは物質界のエーテル対応体と

しての領域をいう。恒星(太陽)であっても、惑星であっても、エーテル対応体を備えている。

11エーテル・センター(Etheric Centers)

私たちの三つの体のエーテル・ダブルの各部にあるエネルギー及び、活動のセンターのことで、サ

ンスクリット語では「チャクラ」と呼ばれている。

これらのセンターは、エレメンタルの出入口、そして倉庫としての機能を併せもっている。私たちの

肉体のエーテル・ダブルにあるセンターは?教会?と呼ばれ神聖な場所とされ、サイキカル体にある

ものは?燭台″と呼ばれサイキカル体に光を与え、ノエティカル体にあるものは?星?と呼ばれノエ

ティカル体上で輝いている。
Posted by y-be at 2017年08月11日 09:39

y- be さん

わたしは、そういう関連の本を読んだことはないので、知識はありませんが、
実際に、チャクラやエーテル体(生体エネルギー)は、とてもリアルに感じていますよ。

y- be さんは、どうですか?

ですが、それも肉体があるからだと思っています。

認識する自己があるからです。

寝ているときには、夢は見ますが、チャクラやエーテル体を感じたことはありません。

夢の世界では、いろいろな体験ができますので、多次元の自己を体験することも可能かと思いますが、
経験する主体なる「わたし」がいない次元では、すべては顕れであって、実在するものは何もありません。

阿部さんも仰っているように、個人の視点からは、夢の世界を楽しんでいる、とも考えられますが、
個人が消えた次元では、ただそのような顕れがあるだけです。

その顕れを作り出しているのが、プラーナというエネルギーだというのが、わたしの意見です。

お互いの意見が違っていても、それも起こっているだけで、その事自体に意味はありません。

ただ顕れているだけなのですから。

y- beさんのご意見は、ご意見としてお聞きしました。

いろいろな考えがありますね。

そうでなかったら、誰もコミュニケーションを楽しめなくなるでしょうね(笑)

ありがとうございました♪

Posted by 永遠のダルマ at 2017年08月11日 14:23

追伸、どうですかと?、聞かれましたので、すいません。

死後の世界とか、人世界、自然世界・宇宙とは何か?とか、自分は何か?何者か?とか、四六時中、探究しだしましたのが、先のコメントの捉え方をしている方々に“依って”行われました。

第三の目、第6チャクラでしょうか、いつもヒリヒリしてました。感覚の中心?身体の中心ってくらいな強さで感じられてました。

今は、それが活動(活発化)する機会の時だけ、ヒリヒリとその目?のセンサー?の存在感を感じます。

後のチャクラは、探してたり、反応しているときに、感じられる程度です。

ダルマさんの実・感覚や、体験の数々に比べましたら、無いに等しいかと思います。

だから、ダルマさんに入れ知恵して、私ののぞむコメントを引き出そうとする魂胆だったのです。(>_<)

では、ありがとうごさいます。 
Posted by y-be at 2017年08月11日 15:35
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