2018年04月03日

苦しみの袋

来てくれてありがとう。



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隣の芝生がきれいに見えるというのは本当の話。

自分ばかりが苦労を背負っていて、ほかの人は上手く生きているように見えるんだね。


昨日は昔の手記を紹介したけれど、今日は12年前にこのブログに書いた物語を再掲してみよう。


僕はこの話が大好きだ。


・・・・・・・・・・・・


ある男が毎日のように自分の境遇を嘆いていたんだって。


何故自分ばかりがこんなに多くの不幸に見舞われるんだ。

何故自分ばかりがこんなに苦しい思いをするんだってね。


そんなある日のこと。

夢の中に神様が出てきて彼にこう言ったんだ。


「お前をその苦しみから救ってあげよう。お前の苦しみを全部この袋に詰めて明日の朝、大聖堂に持って行って、壁のフックに掛けて来なさい」


男は喜んで自分の苦しみを一つ残らず袋に詰めて、肩に担いで大聖堂に向かった。


苦しみの袋


そこには神様が言うように壁に多くのフックが備えられていた。


「あれ?フックは1つじゃないんだ。どれでもいいのかな」


そんな事を考えていたら、入り口からたくさんの人がぞろぞろと入ってきた。

みんな肩に同じような袋を担いでいる。


顔なじみやご近所さんもいて、よく見たら隣のレストランのご主人もいるじゃないか。

彼は商売もうまくいっているし、綺麗な奥さんと仲むつまじく、幸せを絵に描いたような人だった。


ん?彼も同じ袋を担いでいる。

それも同じくらいの大きさのだ。


あまりの意外な出来事に男は自分の目を疑った。


(幸せそうに見えたのにな・・・)



みんなが聖堂に集まると、場内アナウンスが響いた。


「はい、ご苦労様でした。それじゃみなさん、どこでもいいですから好きなフックに袋を掛けて下さい」


みんなやれやれという顔をして、持ってきた不幸の袋を壁に掛けた。


しばらくしたらまた場内アナウンスが響いた。


「あなたの袋は確かにお預かりしました。あなたの苦しみは今日限りです」


場内は拍手と歓声に包まれた。



するとまた場内アナウンスがあった。


「それではお帰りください。ただし手ぶらでは帰れません。どれでもいいから好きな袋を一つお持ち帰りください。誰の袋でもかまいません」


一瞬、場内が静まり返った。

やっと自分の肩の荷を下したというのに、別の袋を持って帰れだって?


しばらく場内に沈黙の時間が続いた。


そして一人が動き出したとき、われ先にと、いっせいにお目当ての袋に向かって走り出した。


そしてその袋を取って足早に出口に向った。


みんなが手にしたのは、自分が持ってきた自分の袋だった。

どうせ同じ大きさの苦しみなら、まだ自分の苦しみのほうが慣れ親しんでるから絶えられそうだ。


新しい苦しみなんて真っ平だ。

みんながそう思った。



その日から男は不平不満を言わなくなったんだってさ。


オシマイ





今日も幸せな気分で過ごそうね。




よかったらクリックしてください。

苦しみの袋





・・・・・・・・・・・・・・・


【お知らせ】


この世は冒険アトラクション。

だったら苦しみの袋を背負いながらも、欲しいものを手に入れて楽しく生きたいものですね。


そこには昔から言われてきた秘訣があります。

本を読んでもいまいち実践できない人に、アベッチ流のやり方をお教えします。

東京と大坂と沖縄です。


詳細はコチラから。



4月の瞑想伝授は東京と大阪です。

まずはコチラからお読みください。











Posted by Toshiro Abe at 10:01│Comments(39)
この記事へのコメント
えー!!!

僕だったら、他人の袋を持って行きますよー!!
Posted by 章記 at 2018年04月03日 10:27
苦しみと喜び

両方あるからいろいろな体験ができますね^^
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2018年04月03日 10:33
「苦しみの袋を手にしながらも、欲しいものを手に入れて楽しく生きる」

片手に苦しみ、片手に楽しみ、という感じですかね?

確かに、両手に苦しみよりは、いいですよね〜(笑)

でも、片手の苦しみがなくなれば、片手の楽しみだけになるのかも?

そうなると、楽しみだけになる?

それが、やっぱり一番かもしれませんね!(笑)

「欲しいものを手に入れて」
この"欲しいもの"こそが、「楽しみだけ」という欲深い?"わたし"(笑)

そうなるには、片手の苦しみは邪魔なんですけど、
邪魔だと思うから、邪魔なのかもしれませんね(笑)

もし、苦しみが無くならないのなら、苦しみにフォーカスするのではなく、
楽しみにフェーカスすれば、苦しみがあっても気にならない?ということになるのかもしれません。

でも、お釈迦様は、四諦、苦しみを滅することは可能だと仰っているので、
永遠に苦しみから解放される、というのが「欲しいものを手に入れる」ことで、その結果、「楽しく生きる」人生につながっていく、そういう選択肢もあるのではないか?と^^;

一人一宇宙は、自己選択の世界なので、楽しく生きるための方法は、人それぞれ。

幸せになるために、私たちは自分に合った方法を、知らない内に、自然に選んでいるのかもしれませんね^^
Posted by 真理世 at 2018年04月03日 11:11
いつもありがとうございます。
持ってかえります。
善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2018年04月03日 12:06
『この世は冒険アトラクション。

だったら苦しみの袋を背負いながらも、欲しいものを手に入れて楽しく生きたいものですね。

そこには昔から言われてきた秘訣があります。

本を読んでもいまいち実践できない人に、アベッチ流のやり方をお教えします。』



昔から言われてきた秘訣!?そんなのあるんですかー☆(^^)

阿部さんの話聞きたーい♪ 

大切なことは全部、阿部さんひとりで間に合わせようとする怠け者です(笑)

だから阿部さん忙しいのかも(笑)

ごめんなさい♪(^^)

阿部さんに、より多くの生命エネルギーが注がれますように~☆
 
Posted by ぶどう at 2018年04月03日 12:35
阿部さんこんにちは。
いつもありがとうございます。
今日の記事まるで引き寄せたみたいです。
今、さっきまでお昼ごはんをしていたら、たまたま隣の人が過去の苦労話を
なぜか、自然の流れでしてくれました。
10代で結婚、出産、二人目を産んで、すぐ、旦那さんが交通事故で胸から下が不随になり車椅子生活、子育てと介護を一緒にしてきたそうな。5年前旦那さんの酒乱の為、離婚を決意。して、3年前旦那さん心臓の持病もあったためか、一人で孤独死。
遺体を引き取り、葬式、三回忌もやってあげたそうです。
どんな苦労がこれから先来ても恐くないそうです。苦労を体験ひて良かった?とも。いまは穏やかにくらしているそうな。
わたし、わたしの苦労でよかった。
わたし、何も苦労してなかった。
みんな、健康だったし、文武両道に秀でた子供達だし、旦那も浮気もしない真面目でやさしい働き者だし、あれ?あたし
本当は全く苦労してなかったわ。
ガハハハハハσ(^◇^;)
やべーもしかしたら、苦労しらずかも。
介護も周りがやってくれてたし。
葬式も周りがやってくれてたし。
やべー、全然苦労してねーわ!
笑い話じゃん^^;
Posted by 苦労話 at 2018年04月03日 13:51
>隣の芝生がきれいに見えるというのは本当の話。

日本国内であればそうかも知れませんが…

海外まで目を向けると、日本で良かった~

感謝☆感謝☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2018年04月03日 15:04
12年前でも、新鮮ですね、っていうかその頃は、このブログ知らないし。
遡って読んでもいないから、そりゃ新鮮な面白い話です。

 この男の人、ぷっつり不満を言わなくなったって、なんて偉いんでしょう。
わたしだったら・・・ついつい・・・ねぇ。

 
ついつい・・・幸せだけなんて、追求してきたけど。それなりの幸せはいつも
あったなぁなどと、気がつく今日この頃です。

 うん、わたしなりに幸せ
Posted by ラブ×3 at 2018年04月03日 15:32
不幸でさえも「他人と比較」したがるのが人の性でしょうか。。。

他人よりも辛い。
他人よりはまし。

いやいや、他人との比較とか「相対的」なものじゃなくて「絶対的」に辛いし!という人もいるでしょうね。
でも実はそれも不幸がない状態との「相対的」な比較だったり、、、
Posted by パンマン at 2018年04月03日 15:38
背負う自分が嫌なのであって袋の問題じゃないので
袋なんてどうでもいいです
自分を消せるのなら即断です
Posted by 匿名 at 2018年04月03日 16:15
苦労、、、必ず、あとで、あのおかげで、、、となるから不思議(*^▽^*)
でも、やっぱり、楽したいな
Posted by きゃさりん at 2018年04月03日 16:16
阿部さん、こんにちは。

きょうはおだやかな日差しの北東北です。
私は4月で、今住む県に来て10年経ちました。
出会ったり別れたり、いろいろなことがあったな~。
楽しくて幸せですよ。
Posted by 南部鉄瓶 at 2018年04月03日 16:19
どれだけ大きな袋を抱えて耐えても神は何の評価もしないし
頑張って袋を煌びやかにしても酔っ払うのと何も変わらないし
他人の袋を抱えるのを手伝っても結局自分という最大の重荷が取れないんだもん

袋が苦しいんじゃない 自分が苦しみの元なんですよ だから逃げられないし対処しようがない
Posted by 匿名 at 2018年04月03日 16:27
隣の芝生よりまだまし(笑)人間って可笑しいですね。
今日も有難うございます。
Posted by らら at 2018年04月03日 16:38
苦しみの袋もしっかり味わうぞーーう!

公言すると現実化しやすいとかどうとか。

だって苦しみの袋を避けようとしても苦しいのですもの!笑

どうなっとんじゃい、地球アトラクション。笑

苦しみの袋をしっかりあじわえば、それだけ喜びの袋の喜び感にも気づけるようになるということですもんね。なれないうちはアレですけど、なれてくうちにどうにかなるんでしょうね。
Posted by 薄茶色 at 2018年04月03日 16:58
即断とか言っておきながらじゃあいますぐ出家出来るかって言われたら嫌だった
だって堅苦しいの嫌だもん

こんな口だけ根性なしだから悟りも幸せも両方無理だったんだなって悲しくなりました

もし良かったら以前の2つのコメント含め承認しないで頂けると幸いです
Posted by 匿名 at 2018年04月03日 17:26
記事のお話の趣旨は、

苦労は自分しかしてないように見えたとしても、誰もがその人なりの苦労を持っているものだよってことかな。
 

自分だけが苦労していると思っていたけど、みんなが何かしら抱えていることが分かって、安心や同情することも起きるかもしれない。


いずれにしても、自分だけじゃないんだって、自分の苦労を嘆かなくなるということなんだと思いました。  



そこで、

「苦労しているのはみんな同じ」という視点から思うことがあります。


私達の本質はエネルギーだとすると、周囲のエネルギーと関わり合いながら生きているだろうなということ。
 

普段の暮らしのなかでも、木の下が気持ち良かったり、車の走行が激しいところは落ち着かなかったり、居心地の良いところとそうでないところと、その人なりにあると思う。

同じように、怒っている人に近寄りたくなかったり、笑っている人から元気をもらうことがあったり。
 

これらのことを、例えば、軽いエネルギーと重いエネルギーとすると、共存しているのがこの世。

そして、両方のエネルギーの影響を、この世に暮らす誰もが受けているんじゃないか。。

だから、両方あるエネルギーのなかで暮らすみんなの苦労は同じようなもの。

 

だとすると、エネルギーを軽くすることに取り組んでいけたら、

日本全体、世界全体、地球全体のエネルギーにも変化が及び、

全体に苦労が減るのではないか?というイメージでした(^_^) 
Posted by ぶどう at 2018年04月03日 18:45
>みんなが手にしたのは、自分が持ってきた自分の袋だった。

あっあたし、おっちょこちょいだから、間違って他の人の苦労の袋持ってきちゃったかも。

私がおいてった袋、残されたやつ仕方なくもってった不運な人、今頃引きこもってるかも。

その袋の中の苦労、最悪かも。

ごめ~ん。

最近妙に苦労軽いなあと思ったら、他の人の苦労の袋持ってきちゃったかもしれん。

そう言う事もあるかも。

いっかたあ、間違って持ってきて。ラッキー(´▽`)ノ

でも、この袋、後半戦に苦しみありの袋だったりして( -_-)
Posted by ゆかこ at 2018年04月03日 19:02
阿部さん、いつもありがとうございます(*^◯^*)
阿部さんの言葉は心にしみます!
Posted by じゅーじゅ。 at 2018年04月03日 19:08
阿部さんが神さまだったら、
苦労の袋の中にたくさんの
愛もつめてもたせてくれる、そんな気がする。
『ほれ、これオマケ、忘れんなよ、途中落っことすなよ、幸せになりなって』

勝手な妄想の世界
Posted by 塩田 at 2018年04月03日 19:20
OSHOの、鏡を見るな、っていう言葉を、思い出した日でした。

大阪の日、仕事で残念です。
また、機会が合いますように。

おやすみなさい。
Posted by mei at 2018年04月03日 19:45
阿部さん、こんばんは。そうですよね、新しい苦しみなんて、いやですよね。
皆、同じように苦しんでいるんですね。そう思うとホットします。ありがとうございました。
Posted by 永井新吾 at 2018年04月03日 20:00
「あなたの袋は確かにお預かりしました。あなたの苦しみは今日限りです」

自分は絶対に拍手しないです
袋を抱える自分が苦しみなのに 袋を下ろしたり変えたりしてもと自分は思います

自分を下ろせるなら下ろします
Posted by 匿名 at 2018年04月03日 20:06
しつもんでーす。

誰の袋も持たずに強行突破して逃げようとした人はどうなったのですか?
絶対、誰か一人は居ると思うのですが。少なくとも、ここに一人(笑)

あでも、いざそうしようとしたら、

「あれ?今苦しみは確かに全く無くなって楽だけど、
 この楽な状態がずっと続いて、楽な状態に慣れきってしまった時に、
 また苦しみが入ってきたら、どうなってしまうんだろう・・・・・?」

と思って、結局止めそうですね・・・・・というか、今、そう浮かんできました(笑)

と言うか、苦しみ全部捨てて逃げようとした時に、そう浮かんでくるなら、
そもそも神様から

>「お前をその苦しみから救ってあげよう。お前の苦しみを全部この袋に詰めて明日の朝、大聖堂に持って行って、壁のフックに掛けて来なさい」

と言われた時点で、そう浮かんできて、行かなさそうですね(笑)

この記事、

仏教講義 25.自ら試し、確かめる (3)悟りを開いた人たち(1)
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi140.html

の「生まれた者は死ぬ」を思い出しました。

ちなみに自分の場合は、そもそも『苦しみ自身』が『楽な方』を知ってるはずと思ってて、
それを見つける『アトラクション』な感じで、日々を過ごしています。
Posted by ただの「自分」 at 2018年04月03日 20:17
苦しみの袋の中に希望を詰め込んでくれた阿部さんに感謝。
Posted by 菜々緒 at 2018年04月03日 21:04
阿部さん、いつもありがとうございます✨

まず、どんな人でも苦しみを抱えている、
この理解はからなのですかね。

ずっと他者と自分の比較で
ストーリーを積み上げてきたから、
なかなか。
ほんとのところ、
わかっちゃいるけど、わからない。

でも、
他者との比較では、苦しみは解決されない。
そうなんでしょう。

私は、
片手には、ほんの少しの苦しみだけ背負って、
楽しみを生きる。
楽しみが楽しみになる。

都合よくいかないか(^^;
荷物のバランス。
Posted by サウナ at 2018年04月03日 21:19
コメントしたけど消えてました!笑

なんらかのタイミングですねきっと。

書いていたことは忘れてしまいました。

苦しみの袋を味わうのも人生の醍醐味のひとつですね

受け取り拒否してたけど、しつこいんですよね。受け取るまで迫り続けてくる。笑

かといって、これ受け取らないと喜びの方も色味おびてこない仕組み_(:3 」∠)_
Posted by 薄茶色 at 2018年04月03日 21:32
私も別の袋を持って行きます。
だって他の人には苦しみと感じても、
もしかしたら私には何も感じないこと
かもしれないから。

実はどの袋も苦しみなんて入ってなくて、
袋の持ち主がそう思っているだけなのかな?
と思いました。

でも実際は"苦しい〜!!!"って
思っちゃうんだろうな…
"苦しいと思い込んでいるだけだよ"
なんて思えないんだろうな…
Posted by なお at 2018年04月03日 21:39
阿部さんの苦しみの袋も、持ってってあげる。
Posted by 南 at 2018年04月03日 21:40
だって、阿部さんの苦しみの袋空っぽそうだから。
持ってっても苦にならんと思う。

・・・・ッテ思って、持ってって後で後悔するタイプです。

苦しみの袋は愛が満タン詰まってる。
Posted by 南 at 2018年04月03日 22:04
反対に幸せの袋が想像できません。
Posted by のん at 2018年04月03日 22:39
>自分ばかりが苦労を背負っていて、ほかの人は上手く生きているように見えるんだね。


せめて、仕事できる人間になりたいです。
料理、家事ができなくてもなんとかなるけど、仕事が駄目だと最悪です。

でも、仕事以外はハッピーです。

仕事うまくいってるひとが逆に家では苦労もありなのかもしれません。
Posted by みみ at 2018年04月03日 23:08
ふとったな( -_-)
Posted by ゆうこ at 2018年04月03日 23:16
苦しみの正体は、唯識のお話にも通じるものがあり、とても興味深いですね。

「わたし」を見せなさい。

「苦しみを感じているわたし」を見せなさい。

唯、心(識)だけがある。

その心の反応のひとつを感情と呼びます。

苦しみは、その感情のひとつであるだけで、
心に起こる感情のすべてではない、ということ。

但し、苦しいという感情は、(エネルギー的に)重いので、
楽しい、嬉しいのように軽くないので、苦しい感情が起きた後、直ぐに去って行かずに、そのまま心に残り易いと言えるかもしれませんね。

それで、いつまでも心にあるので、心全体が、重いエネルギーに包まれてしまい、いつまでも苦しみに囚われてしまうのかもしれません。

そう言えば、苦しかった時、体がすごく重くて、足も引きずって歩いていましたっけ。

楽しい時は、その反対で、体も軽く、スキップしたくなるほど、足取りも軽くなります。

心が、苦しみという重いエネルギーに占領されてしまうと、なかなかそこから抜け出せなくなってしまい、それが続くと、心は重荷だと感じてしまうのかもしれませんね。

苦しみは、サッと去って行き、楽しみや喜びは、ずっといて欲しいのに、現実はその反対なのですから、人生、思うようには行かないですね。
Posted by 真理世 at 2018年04月04日 04:05
おはようございます。私の、苦労は他人に迷惑をかけ嫌われる苦労だから、他の袋にします^_^そういう体に生まれて来てしまったので他の人の苦労話しを聞いても、他の人が羨ましいです^_^
Posted by みー at 2018年04月04日 07:35
阿部さん、こんにちは。
おいそうがしい日々の中の更新いつもありがとうございます。
阿部さんのブログが私にとってのシスターチャイさん達が体験している15分ごとの鐘の代わりになっています。
在る一説をふと途中で思い出したり、そんな感じて日々に活用させて頂いております。
安心感にふと巻き戻されるその瞬間が有難いてす。

苦労をしていた時は、絶対的価値観の中から世界をみていました。または、幸せを与えられているのに、絶対的価値観が強固な為に幸せを受け取る事に罪悪感で受け取れなかっとのかもしれません。与えられている幸せを全部分苦悩にすり替えていたと思います。
瞑想が何故大切か?なんて私にはわかりませんが、元々あった無限の愛を気づける、またはその愛を素直に受け取れる器になれるのかな?
全ての荷物の中のその時その瞬間にだけ降ろす事のできる荷物(苦、思考、マインド)がある。その時にその場合だけに見合った浄化が起こるのかと思います。たくさんの人が瞑想をしていくことで、過去、今、未来のからみあったものが少しづつほどけていくのでしょう。
阿部さんの創造の法則がここから、機能しだすのだと想います。
豊かさを素直に受け入れていく勇気も必要になってくるのかもしれません。
瞑想にお任せする、委ねる、絶対的信頼?、瞑想に飛びこむ、は、人生に起こることに全ておっけーと言える事と共通してるようにもおもうが、あくまでわたしの創った世界のお話です。

わたし、子供を不幸にさせてるのに、旦那を不幸にさせてるのに、子供達が優秀で居心地悪かった。一生懸命やってるお母さん達に後ろめたかった。
ちゃんとやってないのに、お姑さんから、笑顔で
『ありがとう』と言われるのが負担たった。
やっとことに対してお金をくれる時、こっちはただやりたくてやったんだから、金なんていらん、金を介在させるために
掃除したわけじやないって思ってた。

こんな感じて苦労のループにハマっていったわけです。

読んでくれてないよね。

アップ無し?
Posted by 長いひとりごと at 2018年04月04日 08:10
あ・・・今気がつきましたけど、ここの登場人物は苦しみと同化してないですよw

苦しみを 苦しみとして ちゃんと見てとれています(笑)

あとは、その袋が自分のものか、自分とは無関係なのか・・・の認識だけです。

私なら 放り投げて、何も 持たないで帰ります(爆)
Posted by AQU@ at 2018年04月04日 09:42
追記:苦しみが自分の持ち物って 決めてるのが、登場人物さん達よね(笑)
Posted by AQU@ at 2018年04月04日 09:45
ありがとうございます。
阿部さん・バグワンさん
Posted by りゅうじ at 2018年04月04日 16:36
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