2016年01月10日

認めがたいけど認めると楽になる話

昨日のイベントで黒斎君も言っていっていましたが、我々が自分の意志や衝動に従って何かの行動をとったとき、実は意志があって行動が起きるのではなく、行動が起きたコンマ数秒後に意志が起きているというのが、脳科学の最新の発見だとのことです。

脳科学の専門家でもある保江邦夫博士も、End of Seekingの動画の中で同じことを言っています。

これは仮説ではなく、様々な測定結果によって認められた科学的事実だそうです。

いまもあなたはこのブログを見ていますが、ブログを見ようと思ったよりコンマ数秒早く、見るための行為が始まっていたということです。


大きなことから小さなことまで、あらゆる行為、あらゆる発言は、自分がしようと思ったからしたのではなく、した後で「しよう」という意思が湧いているということになります。

こうして書いている記事の内容も、僕が書こうとして書いているのではなく、書いた直後に自分が書いているような気がしているわけです。


同様のことを思想家が発言すれば、突飛な自説で終わってしまいますが、それが科学という客観データに基づくものであれば、誰もが認めざるを得ません。


「ことは自(おの)ずと起きている」

これはすべてのことに言えるのです。


そうなるとまるで自分が、何かの操り人形のような気がして面白くないですが、そもそも操り人形以前に、自分などいないのです。

僕はこのことを究極的真実と呼んできましたが、実際には、ただあたりまえの事実だということになります。

究極などと大げさに呼ぶのは、この事実を認めると、ありとあらゆる宗教、哲学、思想がすべて覆ってしまうからです。

だってこの世には誰もいないのですから。


確かに肉体はありますし、家も道路も何もかもが存在しています。

(物理学では、物質も存在していないことを突き止めましたが、話の展開上、これらは在るとにしましょう)


しかしそこに、自由意志を持った生物がいて、彼らの意思によってことが起きているわけではないのです。

ことはただ、そのように起きているだけです。


もしこの事実を認めると、社会が成り立たなくなってしまいます。

だって誰かが罪を犯したとしても、それは犯した本人の責任ではなく、彼を動かした何らかの力(それを全体と呼ぶ)によって起きたことだからです。

罪に問うには、本人の意思のもとで行為が行われ、しかもそこに責任能力が備わっていなければなりません。

もし本人の意思によって起きたことではないとすると誰一人裁けなくなります。


何一つ誰かのせいではなく、何一つ誰かのおかげでもありません。

だってことは起きているのだから。


実はこの話を最初に保江博士から聞いたとき、やっぱりそうかと思いました。

科学がすでに究明していたことは意外でしたが、自由意志など存在しないということは、ずいぶん前から内的体験により知っていたからです。


いくら脳科学が、「これが真実です」と主張したとしても、自我は最後まで抵抗して認めようとはしないでしょう。

もっとも、認めないということも起きていることですけどね(笑)

「科学とノンデュアリティ」という切り口は、この一点を紹介できただけでも意義があったと思います。


この事実を認めたからと言って、人生の何の役に立つというのでしょう

まったく役に立ちません。

だって自分にはどうすることもできないのですから。


ただ一つ言えるのは、このことを認めようと認めまいと、この先もいままでと同じように事は起き続けていくということです。

都合のいいことも悪いことも起きる時に起きますし、喜びも悲しみもしかるべきタイミングで起きていきます。

だから何も変わりません。


それでもあえてこのようなことを繰り返し伝えるのは、特に現代においてストレスが蔓延し、苦しんでいる人の数が増えているから。

心の病は深刻さのたまものであり、気楽さはその特効薬です。

でもいくら「気楽に行こう」と自分に言い聞かせたところで難しい。

現実が誰のせいでもないことを少しでも受け入れたら、その分だけ気楽さが訪れますね。



昨日、「異説・自灯明」という記事を書きましたが、あくまでも異説であり、真説だと主張する気はありません。

その場にいた訳でもなく、事実はわからないからです。

しかし今日書いたことは、説ではなく事実です。


今日の話を読んで、あなたはどう思いましたか。

どう思ったとしても、あなたが思ったのではなく、その思いが彼方からやってきたのです。


あはは、また身もふたもない話だ。

お任せするしかないね。

「南無」しか残らない。


ま、気楽にいきましょう(笑)



・・・・・・・・・


昨日のイベント、僕も凄く楽しかったです。

菜穂さん、黒斎くん、お疲れ様でした。


大和田菜穂さんは春に再来日してもらいますが、今回は沖縄リトリートを計画しています。

会場は沖縄本島のサザンビーチホテル&リゾート

一緒に遊びましょう。

日程が決まり次第報告します。



Posted by Toshiro Abe at 10:40│Comments(53)
この記事へのコメント
外側の現象を科学的方法で

徹底的に追究していくと

「すべてはひとつ」という真実に到達します。


内側の現象を精神的方法で

徹底的に追究していくと

「すべてはひとつ」という真実に到達します。


外側の現象も内側の現象も

すべてはひとつにつながっています。


すべてはひとつです。
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2016年01月10日 10:51
ただ・・起きる事が起こっている・・・・それを見守っている“自分”がいる。

誰も見守っていなければ・・・何も知覚できない。

量子的現実・・・・それを起こすのは自己の「不滅の意識」!^^
Posted by 近藤 at 2016年01月10日 10:52
おまかせします。

この世をめいっぱい楽しみます。

せっかく「全体」にはない体があるんだから。 たとえそれが幻だとしても。
Posted by あん at 2016年01月10日 11:00
阿部さんの芸当は

誰にでもできる技ではないし

他の人にはできないでしょう。

何もかも分かった上で

立ち位置の難しさ、際どさを

楽しくさばいていらっしゃるのが

いつも伝わります。

ありがとう\(⌒-⌒)/
Posted by 内村周真 at 2016年01月10日 11:02
ヤッター。沖縄リトリート!!
楽しみにしていますよ。阿部さん、ありがとうございます。
Posted by kirakiraaura at 2016年01月10日 11:03
自然の中のものたちはおそらく自分という認識を持たずにただそのように起きている、なっているだけであり、人である私たちも結局はそれと同じであると感じます。ただそれらの上に自分という認識、分離感が起きているのが上乗せされているだけであり、それも起きていることなのだろうと感じています。
科学であれば信じられる、それも起きてるストーリーなのだろうなと感じました(^^)
Posted by 薄茶色 at 2016年01月10日 11:17
私は、中学生くらいから、漠然と・・そう感じていました。

微妙に行動が先に・・これは自分の性格かなと。

後に、物の本を読んで、「トラウマ」の類かもしれないと思っていたのですが。

うまく言えないのですが、

「ことは自(おの)ずと起きている」なら、腑に落ちることが多々あります。

気持ちが、楽になったような・・明るくなったような・・

「まっ、気楽にいこうよ」デス。
Posted by May at 2016年01月10日 11:27
阿部さん、こんにちは。
いつも楽しいブログをありがとうございます。
今日の内容もとても刺激的なものでした。
以前より「意識は傍観者である」等の本を読みその概要は理解しているつもりだったのですが、このことを考える度にいろいろと疑問が出てきます。

意識するより前にことが起きる、というのは理解出来ますし誰もいないということも体感はしてないですがわかると思っていますが、この身体が何らかの行動を起こした後に意識が起き、その行動によって生じた意識はその後の肉体の行動にフィードバックされるのでしょうか?
意識の持ち方によって、その後に起きる事って変わってくるのでしょうか?
そのあたりに疑問を持っています。

先に意識があるか行動があるかに関わらず、なにかを意識することによってその後の行動が変わってくるのでしたら、やっぱり意識をどう保つかという事は重要なことなのかなと思います。
どうなんでしょう?
正確な答えなんて出ないと思いますけど、このことはわりといつも考えています。
Posted by kenken at 2016年01月10日 11:36
誰もいない
起きることが起きているだけ

誰もいない
もうすでに解放された全てが在るだけ

という思いも
やがては消えて行きます…












去年の~

リトリートやサットサンの動画配信も楽しみにしております

(^o^)/


楽しみ☆楽しみ☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2016年01月10日 12:28
>今日の話を読んで、あなたはどう思いましたか。

出来事(言動)として現れる前に
あっ!という気づきがあって
あっ!の前にすでにその出来事を起こらしめる
なんかしらの働きが作用してるって
流れの中でなんとなく感じるときがありますね。
Posted by プリン at 2016年01月10日 12:32
心の病は深刻さの……ですが、その深刻さも起こるべくして起きている、ですね。記事にて心の病に触れてくれて嬉しいです。
余計かも知れませんが、
心の病とは脳の病気です。脳内物質の分泌の調整が上手く行かなくなって、記憶や感情、性格などが病気のようになる。気の持ちようや心構えでどうにか出来るのではなく、脳内物質の問題です。多少は気分で病気が良くなることはあるかも知れないですし、ずっと良い気分でいたら病気なんて無くなるとは思いますけどねo(^-^)o
Posted by 高橋 at 2016年01月10日 12:33
ベンジャミン・リベットの「マインド・タイム 脳と意識の時間」という本に、

”意識が気付くためにはその刺激が最低400ミリ秒の時間の持続がなければならない”こと、
”結果的に人の認識は0.5秒遅れる”ということを発見をした、と書かれています。

これを読んだ時、
「へぇ~、それじゃ、何かをする時、人間の自由意識で選択しているわけじゃなかったのね。。。」
と思ったとたんに、力が抜けたのを覚えています(笑)

意識は脳で造られている。

この本の内容は、”わたし”という自我意識は、観照者であるだけで、
どうも、思考、行動、感情の主体であるわけではなさそうだ、というヒントになりました。

最近の脳科学は、精神世界ですでに言われていることを科学的に説明してくれているような部分があり、
”わたし”(自我意識)を理解する上で、いろいろなヒントを与えてくれますね(^^)
Posted by H at 2016年01月10日 12:42
本当に本島でやるのですね⁉️(ギャグではありません。)
やっと、生阿部さんにお会い出来るなんて…。心踊ります!
心地良く感じるものに、期待しています。
ありがとうございます。
Posted by れーいーれーいー at 2016年01月10日 12:47
阿部さん ありがとうございます。
リトリートに参加するなら 沖縄がいいですね。
サザンビーチリゾートは数年前に主人と一泊しました(*^_^*)

今から旅費を貯めるので 何卒、何卒、何卒参加しやすい設定を希望します。部屋代は別に必要ですか? お部屋は雑魚寝になりますか?

日程の報告の時に 詳しい情報も お願い致します!!!
何卒ーーー!!! m(__)m
Posted by emi at 2016年01月10日 12:59
最近、起きることが起きているだけで何の意味も持たないというフレーズが腑に落ちなくなってきました。
何故かというと私という個人の周りでは身の丈にあった出来事しか起きないからです。
関連性のある出来事しか起きていません。
突然私が英語をペラペラ話し出したり大統領に選ばれたりはしていません。
木から落ちたりんごが木に戻ったりしたら起きているだけなんだなと思わざるを得ませんが認識範囲や常識範囲の出来事が圧倒的に多いです。
所謂、超常現象などと呼ばれるような出来事ばかりが起きれば納得するかもしれませんが
完全なライフだったらどんなことでも起こせるのに敢えて積み木のような状態が私個人の目に見える範囲です。
その敢えての部分に意味を探してしまうのが人間の性ですね。
ですから幻想(個人)に対しては意味は持ちませんし持てませんし持つ資格もありませんがライフは何故そんなことをしているのかが気をなるのです。
完璧なライフが退屈しのぎにやっているだけという話を最近聞いた事もありますが私も幼い頃にそう感じておりました。
だとしたらライフ目線では意味を持っているわけですよね。
阿部さんはどう思われますか?
Posted by もも at 2016年01月10日 13:18
昨日のイベントに参加しました。
全てのことが全体から起きているので
あれば、これまでの選択も一切
間違いではなく、これからの選択も
完璧ということですね。
自分が選択していると思うと、
罪悪感や後悔を感じてしまいますが、
全ては全体が起こしたことだと思うと、
少し肩の荷が下ります。
Posted by みかん at 2016年01月10日 13:27
先程のコメントに付け加えですが阿部さん、社会が成り立たないような日がいつか来るかもしれませんよ。
罪を犯しても誰も裁けない裁く実態のない世の中。
法律も善悪も何もかもただの植え込まれた常識にすぎませんから。

そんなの起きないなんて個人意識の決めつけで、しかしこの考えもまた私の考えではない。
社会崩壊。
ただ、今はそれは起きていませんが。
Posted by もも at 2016年01月10日 13:33
社会とかではなく、事実はそうなってるということですね。
こういうことをスローガン的に持ち込むととんでもないことに聞こえるのは当たり前で、人の考えではないのでね。事実っていうのは

事実は人の世に持ち込める類のものではなく、常に考えの前にあるものですからね

「この事実を認めると社会は成り立たなくなってしまう」というのも考えの世界の話で、その辺違和感を覚えますがネ
Posted by 空いろ at 2016年01月10日 14:40
だから菜穂さんが空っぽと言われてたんですね。

そうでないとこの沸き上がる何かに理由が見つけられない。

まるで川のように止まることなく流れるこれらは意志を遥かに
越えているように感じるのです。
私 はただただかわべりに立って見送っている幻想なのかもしれないと
思うこの頃です。
Posted by AYAKO at 2016年01月10日 14:40
非二元の「ただ起こっている」とは、「行為がただ起こっている」ということではなく、

「何かを選択して、行動する」というのは、実は、その選択する思考・意思さえも、

ただ起こってるってことだと思うので、意思、行動のどちらが先でも後でも非二元の理には不都合はない。

そもそも、時間がないっていうんだから、どちらが先で、後ということはない。


感覚的には、意思より、行動が先、というのは、やはり腑に落ちない。

行動が先というのは、どんな行動について言えることなのだろうか。

(ゾーンに入った状態は、普段とは異なる脳活動があるかもしれない)

単なる反射的な行動を観測して、行動が先、意思が後、というだけではないのか。

何かを計画し、それを実行する、といった計画的行動の場合、行動の内容は先に意識される。

もう、この時点で、全ての行動について、行動が先、とは言いきれなくなる。


それから、意思エネルギーという考えがある。

疑問に思えるのは、意思というものは全て、脳内の現象なのか。

脳の観測だけで、意思の振る舞い全てを説明できるのか。

事実は、何かしらの観測を行って、何かしらの測定値が出たということ。

意思より行動が先、という結論は、まだ先ではないか。

いくつか疑念があるが、もしかしたら本当に行動より意思が後かもしれない。

ただ、どちらにしろ非二元の理屈には影響ないと思うので、どちらが先か後かは、どちらでもよい。


また、非二元の「ただ起こっている」というメッセージは、選択を放棄せよ、ということでもない。

どちらにしろ、何かを選択し、生きていくということには変わりがない。

ただ、自ずと起こっている、ことを知っていると、自分を責めすぎる ことは少なくなるかなぁ。
Posted by rakuni... at 2016年01月10日 15:03
それを言ったら空いろさんの意見も考えなわけで、会話が成り立たないんじゃ。
こういう事を社会が認めたら社会が成り立たないっていうのはそうだと思う。
これも考えだけど。
Posted by 梅林 at 2016年01月10日 15:11
阿部さん、ブログいつも楽しみにしています

起きる事が起きている、、。
もがいても、同じ。。
コントロール、ほんとにできないのだから。
自分の意思で進んではいない。
菜穂さんのいう、『これ』
だけですね。
みんな同じ、空であり神であり、
例えようのないほどの美しい光をみました。全て足りています。
以前より、楽になりましたよ〜

今は、欲しいものがなくなり、気が抜けています、それはどーしたものでしょうか(笑)
Posted by pink at 2016年01月10日 16:11
>ことはただ、そのように起きているだけです。

・・・精神の面から 観ると、私には 何も 起きていないです。

起きていると感じる、思考・感情・行為・思念といった精神の動きは

頭脳と肉体の反応である「だけ」とも 言えます。

あるトキまでは 自分自身が思考して 自分自身が感情的になって、

自分自身が否定や肯定といった感想を 持っていると、信じていて

疑うことはありませんでした。あるトキに 何も起きていない、何も無い

自己感覚が 私という感想文集を 感想文集として 見抜いてくれました。

ですから 阿部さんが 通常の人が 起きていると感じている自己意識を 持たない視点から書かれていることが 解ります。

>その思いが彼方からやってきたのです。

・・・これは、何か 美しい理解に 置き変えているように 感じます。

その思いは 単に過去からの記憶の集合・集積による 反応でしかない
そうは 言えませんか?
Posted by AQU@ at 2016年01月10日 17:05
自由意志などない。

事は自動的に起きていて、

それはそうとしてしか起こりえず、

他は起こりえなかった。

阿部さんのこういう趣旨のメッセージを聞いてから、

何か一見不都合なことが自分の身にふりかかっても、

少なくとも「あのとき、ああしていれば・・・」的な「たられば」思考や、

なぜこんなことになったんだという恨めしい思いや、

後悔の念を抱くことはなくなりました。

後悔しない、する必要などない、ということだけで、

かなり楽に生きられるようになったと思います。
Posted by Sleeping B. at 2016年01月10日 17:15
これまで阿部さんのお話を聞いてきたので、最近は普通にそう思うことが増えました。そしてまた、個人としての感覚で、自分がやったことのように思うことも多いです。

そして、どちらも否定せずに居られるので楽ではあります。
喜怒哀楽も普通にあり、良いときもあればひどいときもありますが、どちらも受け入れられるので、やっぱり楽ですね。

今ここで起きているだけ。
記憶を、時間通り繋ぎ合わせたら、今までと何ら変わりなく過ごしていますが、実際の感覚は、今ここで起きていることとして今も過去も未来も捉えることが増えました。

だから、非二元からみたら、二元に役立てることではないという言い方も良く聞きますが、役立つ事例は多いのではないかと思います。
ただ、役立てるためのメッセージではないから、役立つ保証もないのでしょうけど、私は出会えて良かったです。
Posted by とらねこ at 2016年01月10日 17:33
どこまでも「ありがとう」しかない夢ですね
Posted by あおむシ三匹 at 2016年01月10日 18:15
気楽にいきたいです。

なのに、そうする術(すべ)がわかりません。

「全ては起きている」のであれば、自分自身を責めることもないのでしょうが、「なんでこんなことが起きるんだ」と、不条理感に圧倒されそうです。

「」起こしているのは、「自我の解釈」なのか、「大いなる一つ」なのか、分かりませんが、もし、「大いなる一つ」であれば、「頼むからもう勘弁してくれ」という感じです。

すみません。愚痴を書いてしまいました。

阿部さん方にとって、自分にとって、今年一年がよき年になりますように。
Posted by S at 2016年01月10日 18:24
阿部さん、昨日のイベントとても楽しかったです!

突然のアイデアにより(思いがけず)菜穂さんが一人で舞台上に!

そのおかげで(悪い意味じゃなく(汗)阿部さんが割って入ることなく)
菜穂さんのペース(間)で話が進み、彼女が「黙っている間(ま)」も
変な居心地の悪さはなく、とても心地よかったです♪

菜穂さんのメッセージはとても心地よくスーッと心に沁み込んできます。

阿部さん、黒斎さん、菜穂さん楽しい時間をありがとうございました!
Posted by ホリー at 2016年01月10日 18:39
そうか、彼方からやってきたのであれば、いまもこれからもずっと何が起こっても起こらなくても大丈夫なんだ!!!
Posted by ゆうか at 2016年01月10日 18:56
昨日のサットサン、ありがとうございました。もう、笑ってしまうしかなくて。
何かを期待するでもなく、まぁ色々目に入る菜穂さんに興味があったということかな。
そして、究極の無責任?
黒斉さんの0,6秒の隙間も。
市井に生きる身としては責任感のある、前向きな大人でないと色々やりにくいところもありますし。
でも、菜穂さんが間を伝えてくれました。上手に言葉にはできませんけれど、
ありがとう
Posted by たお at 2016年01月10日 19:16
阿部さん、こんばんは

まったく興味深い記事です

われわれは自由意志があると信じておりますが、
それすらも幻想ということ…

以前、ネットで呟いたことを引用させていただきます


神経科学者ベンジャミン・リベットさんは、

「意識は0.5秒遅れて発生する」という事象を、実験し発見しました。

著書「マインド・タイム」に、その実験結果が詳しく書かれています


その発見は、人間の意識は現実から0.5秒遅れているということ、

動作を起こそうと能動的に決心する前に無意識がその準備を

していること(即ち自分では能動的と思ってはいるが、行動を開始

するのは無意識であるということ)が判明しました


この実験結果は、われわれにとって、とても衝撃的ではない

でしょうか?

われわれに自由意思が存在しないとしたら、どう思われますか?


折にふれて、われわれの行動の

90%以上は無意識によるものと、発信しておりますが、

この実験結果に従えば、ほぼ100%が無意識による行動で

あるということになります


とすれば、われわれの顕在意識(表面意識)の役割は、何で

あろうか?と考えさせられます。ただ体験を行って、歓び、

楽しみ、感動することだけでしょうか。 いや、それすらも

無意識ですでに先行して感じているのかもしれません(嬉笑)



ありがとうございます!
Posted by 朴念人 at 2016年01月10日 19:28
僕がこんな孤独な生き方選ぶのも起こってる事なのかー。

人ワイワイ楽しく生きたいのになー、本当は。
Posted by pino at 2016年01月10日 19:56
散る 花に

降る 雪に

何を思い 何を思う

何を語り 何を語ろう。
Posted by 打ち水 at 2016年01月10日 20:08
私は全体を全く把握してないので悪しからず^ ^
阿部さんとこも1日空いたり他ブログ等も3、4日まとめて拝見させていただいたり^ ^
そんな感じなのでKYな言動がありましたら
お許しをー
阿部家のお雑煮、昨日試してみました
奥様の愛情がほんわり伝わってきました^ ^
Posted by ともこ at 2016年01月10日 20:26
阿部さんのお陰で、このお話もよーく分かるようになりました☆☆
それでも、毎日笑ったり泣いたり怒ったりしますが、深刻に考えてしまう時間がかなり短縮されました(^^)

大好きな彼「お金ないーーー」
私「はいよーー」
心の声「やっべーー今月まだまだあるのにクレジット引かれてラスト1万5千円(^_^;)でも、、、まぁなんとかなるべ」←思いっきり金目当てやないのーーー!ってツッコミ入りそうですが、、、
それでもいいんです(^^)だってそれでも笑っててくれるなら(^^)
しかも、これも、私が起こしてることじゃないし♫

会社での一コマ
部長「こらーーーーー!おめーなにやってんだ!!」
私「はいー!すんません」
心の声「しっかし、うるさいのぅ!!そげに一生懸命にならなくても(^_^;)」

しばらくして、2人は笑ってました(^^)
結果、仲直りです♫

なんだっていいんですよね(^^)

起こることしかおこらない♫
最近全ての力が抜けました(^^)
Posted by ゆっこ at 2016年01月10日 20:41
今回の、
脳科学の結果は

脳の測定値だと思われます。


各々(おのおの)の「 心 」は胸の中心辺りに、存在していますけれど
レントゲンには写りません。

「 心 」は
三次元界ボーダーライン(境界線)物質である素粒子ニュートリノより、
さらに小さい四次元以上の物質でできています。

現代科学において 発見 されていないだけです。



『心主 脳従』




心のはたらきありき!の脳信号です。



脳の仕事力(銀貨)は心の仕事力(銀河)の比にはならない









銀河の小話。
Posted by 愛ラ-雲国際アジアンホテル- at 2016年01月10日 20:48
阿部s

昨日 楽しかったです。
ありがとうございました。

でも・・・驚きました。
第二部

ずっと
阿部Sを待っていました。
阿部Sが居ないと成り立たない。。と言う事ではなく

椅子が二人分用意してあったからです。
菜穂Sが登場して
きっと
みんな 阿部Sが登場されると思っていたと思います。

沈黙・沈黙・沈黙・・・
あれ?
まだ阿部Sこないの??

でも菜穂Sは 一人で頑張りました。

すごい~~
びっくり~~

とても新鮮な会場でした。
ありがとうございました。

さて・・
以前のビデオで

楽になるんだけれど その先なんだよな~
って阿部Sが仰っていたのが印象残っています。

気楽になった先。
なんだろう?

全てが自己責任ではない。となると楽だけれど・・・・

その先ってなんでしょう。。。。

追々教えてください。

学ぶのではなく
感じたい~~と思っています。
Posted by じゅんちゃん at 2016年01月10日 21:06
いつもありがとうございます。

今日も善き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2016年01月10日 21:20
自由意志が全くないとは、
身も蓋もない話しですね。

ふつうは、認めたくないし、
認められないでしょう・・。

命という神が、
自分本来の姿を忘れて、
自分で作った映画の中で、
キャラクターとなって、
体験して遊んでいる、
こんな感じでしょうか・・?
Posted by ぞうさん at 2016年01月10日 21:29
私事で恐縮ですが、
数週間前の決断によって、現在苦しい立場にあるのも起きることが起きている。
それによる後悔や、悲しみも起きることが起きている。
その上で救いを求めて阿部さんのブログを読んでいるのも起きることが起きている。
私など初めから存在せず、唯、起きることが起きている。

でも苦しいと感じており、この辛さをどうにか消し去りたい・・・
問題と捉えている事象を何とか解決という事象に変えたい・・・
嫌われたくない、バカにされたくない、良い人でいたい・・・
あぁ、本当に弱くて情けない・・・

こんなときどうすればいいのか何かアドバイスございますでしょうか。
どうしようもないコメントで申し訳ありません。
Posted by そた at 2016年01月10日 21:52
>お任せするしかないね。

お任せする”わたし”は、いません?(笑)
(あ、サレンダーを否定はしているわけではありませんよ^^;
 二元の世界で”わたし”がバリバリ在る状態では、必要だと感じています(笑))

>あはは、また身もふたもない話だ。

確かに。。。(笑)

でも、夢ですから(笑)

>ま、気楽にいきましょう(笑)

ホント、そうですね♪

虚相の仕組み、実相の実態?を識ったおかげで、
人生、とっても気楽になりましたよ~ (^o^)

というのもストーリーですが、
それまで迷いの中で苦しんでいたのが、
迷いは消え、楽になったのですから、
そういう意味では、本当に有り難いです^^

夢の最後に、”あ~面白かった~♪”と言えそうです(笑)
Posted by H at 2016年01月10日 21:53
昨日のサットサンに参加しました。何も得る(理解する)ことはできないだろうなと思っで臨み、やっぱりその通りでしたが、阿部さんや黒斎さんのユーモア、軽妙洒脱なトークで笑って家路に着き「得」した気分でした。(得るものあった!)
そして今日のブログ記事、そしてみなさんのコメント。何かが沁みてきました。思考を超えた世界(これ=全体=エネルギー)を決して思考では捉えられないんだろうということ、でも今ここにある感覚は、自分のものでは決してないけど、それが唯一の真実=存在なんだということを、これまでよりも心のすこし深いところで感じました。
それにしても、サットサンといいこのブログといい禅サンがといいこうしたテーマでこれだけ多くの人が集うなんてほんとにスゴイ。そこに自分も参加できて超ラッキーです。
菜穂さん登場イベントは昨日で最後と思ってましたが。大好きな沖縄でやるときいてまた参加したくなりました。(笑)
Posted by オトナコナン2016 at 2016年01月10日 21:59
昨日の「終わりのはじまり」参加させていただきました。

今まで経験したことのない不思議な空間でした。

そうか、私はいないんだ。

私ではなく表現があるだけ。

ただ起きることが起きているだけ。

だからと言って、何もしなくていいんだってことじゃない。

自分がいないと気付いても、何もかわんない。

何も。

今日、スーパーで買い物をしながら

笑いだしてしまいました。

そして同時に泣きそうになりました。

昨日までと何も変わらないのに、

心が透き通りました。


菜穂さんの存在は衝撃でした。

でももし阿部さんがいなければ、彼女の存在感は私には宇宙すぎたでしょう。

阿部さんと黒斎さんがあの場にいたからこそ
わけがわからないのに、居心地のよすぎる空間になったのです。

本当に本当にありがとうございました。
Posted by あきこ at 2016年01月10日 21:59
特に数字に意味はありません
深くそこまで考えてはいないのです
あべさんどうぞ深くとらえすぎませんよう
よろしくお願いします

最近はだいぶ気楽になってきましたー
Posted by ともこ at 2016年01月11日 00:15
気楽になったその先って何だろう?

という思いも
やがては消えて行きます









ブッダ☆ブッダ☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2016年01月11日 03:01
あやふや

科学データというのも
最近あやふやな .... と思う自分がいる。
見るもの、観照者の思考により、変わってしまう という
素粒子物理学のこと、だれかいってたよおな。
ま、これもデータでしょおけど。

因果がないという非二元に、因果ありの二元、
そもそもデータ自体、因果。

「科学で解明」も ちと おかしくも 思えている
その科学自体も二元の 「圏内だけのこと」。

もお 混乱極まりない。
Posted by 日和る at 2016年01月11日 07:19
気楽の先はわぁ〜。


道楽です。



どお?

らく?
Posted by 日和る at 2016年01月11日 07:31
阿部さん、こんにちは。
9日参加させていただきました。
有意義な、でも意味のない(笑)ひと時を
ありがとうございます。

阿部さんはブログで書いている感じと
講演会での感じがちょっと違っていますよね。
講演会はそういう役を楽しくやっているんですね。
でも、奈穂さんや黒斎さんが話している時
阿部さんの目が、深い目で印象的でした。
そうかと思うとお二人や客席と戯れていて・・・(笑)
面白かったです。

確かに何かを得たという感じではありませんが、
楽にはなってきています。
いつもメッセージを本当にありがとうございます。
Posted by トモコ at 2016年01月11日 07:47
ぼくは保江先生に師事しているので、昨日は愛魂の稽古始めでした。その稽古で菜穂さんの「それしかない!」が漸く観えました。

菜穂さんのところに挙げた感想も個人の表現としてはよく書けていますが、やっぱり個人です。「それ」とは全く違うものでした。

個人は宇宙を宇宙と認識しますが、「それ」は宇宙を「それ」と認識します。この感覚の違いは圧倒的です。

スピリチュアルで多用されている「大いなる意識の現れが個人であり、個人は大いなる意識そのものである」この解釈と「それ」が示しているメッセージは全く違います。

個人は全体の現れとして存在しても個人のままなんです。パワフルな個人と「それのパワフル」は全く違うものなのです。

それしかない

「それ」が意識に現れたら、宇宙とか神とか大いなる意識とか表現しなくなります。保江先生のような特殊な例を除いては。

ただ個人がどうしても神を神と表現したくなる反応は理解できます。個人とは無常であり無情なる存在です。個人には「それ」が個人にもたらす慈しみに、気づきはしても理解はできないでしょう。永遠に理解できない。

個人にはわからない。何か?を感じることはできてもわからない。それが「それ」なのでしょう。

それは
神をそれとしか認識しません
真理をそれとしか認識しません
だから絶対のパワフルなのです

このパワフルは神と化した個人のパワフルとは全く別次元のものです。

阿部さんのここでの表現は、個人がとるべき行動を優しく示している。見やすい標識となっている。標識に与えるはなく、標識として現れただけ。与えようとしていない、なんと優しい現れであろうか…

それ…が観えたぼくと呼べる場所に現れた個人は「わたしは静止しよう。わたしの動きは幻想であり、わたし自身が現れに過ぎないのだから。自由意識とは、個人が自由に選択しているではなく、完璧な現れの中に流転しているだけなのだ。だから完全な自由のひとつの現れが個人なのだと知る、これが個人が知るべきただひとつのことだを現している。わたしは静止する、それの現れを観察する。それがわたしの望むものを手にするためのただひとつの選択だ。」と語りました。

ごっつぁんです^_^
ありがとうございました!
Posted by よしの at 2016年01月11日 09:11
こんにちは。
9日に参加して、とても楽しかったです。
菜穂さんの白いワンピース、素敵でした。

菜穂さんは「今しかない」「時間は無い」「起きていることは一瞬で、なにも継続していない」というような言葉を今回も仰っていました。

いつも私は、「本当は時間が無い、個人には時間がある」というあたりが、特に全く分からないのです。

一泊東京観光して帰宅しました。
自宅で今朝、目覚めて、あ、「時間が存在しない」ということは、そういうことなのかな、と思えました。

それは、一冊の体験記の内容を(勝手に)思い出して、菜穂さんの言葉と(勝手に)照らし合わされたからです。

そうすると、勝手に、伝えたい!と沸き上がってきて、生まれて初めてこのようなコメントに参加しています。(感情って、自分が思っているのではなくて、勝手に現れるんですね)

去年、「あーす .じぷしー」という、若い女性の著作を読みました。

内容は、大多数の人々と同じく日常を一生懸命に生きていながら、何か足りないと感じているところへ流れが起きて、旅に出て、空を体験し、有へ戻り、新しい自分を生きはじめた、というものです。

阿部さんがいつも言っておられる、そのもの(修行せずもとも誰にでも起こり、妙有が珍しくなくなる)です。

彼女の空の描写がとても細かくて想像が容易く、「時間が無い」ということも、その空の状況に当てはめてみると「あ、時間はそこには無いな」と思えて、分かりやすかったです。

本は、もう手元にないので、ざっくりとで恐縮ですが、菜穂さんの言葉を紐解く一助に、ご紹介したいと思いました。

私も、若い部類の一般女性で、なにも知りませんが、阿部さんの人柄が好きなので、近づくんですね。
そうやって、自分の合う人の処に行くのだから、9日のお話にあった、黒斎さんの活動の意義もファンには大きなものだと実感しています。
Posted by えるふく at 2016年01月11日 10:21
実はいま、窮地です
日頃から自己中心的な職場の人から挑発を受けて、とっさに自分の感情を押し付けなでくださいとやりかえして。
やり返される恐怖が出てきて、これも行為の後に起こった感情や意思と考えると、もう降参して
なるように任せる覚悟でいようと決意しました
Posted by momo at 2016年01月11日 14:16
起きている事は、ただ認識によるものなのですね〜!

全てがあるけれど、動きのないシーンとした空、瞬間起こった波動…起きては消えるビッグバン?

そこにいろんなストーリーを観るのでしょうか?
Posted by maju at 2016年01月12日 01:59
所謂、イデオロギーというものは過去に依存するとも言い換えて差し支えないのでしょうか?
Posted by オリエッティ at 2016年01月14日 01:50
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