2014年06月16日

知識と認識

もし僕のブログや書籍が入口になって、OSHOの言葉に触れてくれたら本望です。

そうやって触れた言葉が、いつか血となり肉となり、あなたの一部になったとしたら、もうOSHOも必要ありません。


僕にもそれが起きました。

突然の一瞥が起きた日に、彼の言葉が僕の魂と同調したのです。


これらの言葉はすべて、僕の魂の調べになりました。

いまもシンクロして波打っています。


今日は、最新刊のTAO3の冒頭を紹介します。


ここにいま僕が伝えたいことのエッセンスが詰まっています。


・・・・・・・・・・・・・・


宗教は知識ではない

それは〈認識〉だ

知識はマインド のもの

〈認識〉は実存のものだ

そして、その違いと距離は途方もなく大きい


その違いは量的なものであるばかりじゃない

それは質的なものでもある

知識と認識─ その二つの間には天国と地獄 大地と大空ほどの違いがある


だからして、理解すべき第一のことは

知識(knowledge)



認識(knowing)

の違いだ


知識というのはけっして現在のものではない

それはいつも過去のものだ

自分は知っていると言ったその瞬間 それはすでに死んだものになる

もうすでにその痕跡を記憶の上に残している

それはあなたにこびりついた垢のようなものだ

あなたはすでにそこから立ち去っている


認識はつねに即時だ

認識は「いまここ」だ

それについては何も言えない


あなたは「それ」であることができるだけだ

「それ」についてしゃべった瞬間、認識でさえも知識になってしまう

知った人たちが全員、口をそろえて「それは語られ得ない」と言うのはそのためだ

そのことをしゃべったが最後 まさにその本質自体が変わってしまう それは知識になってしまっているのだ

それはもう認識というビューティフルな生きた現象ではない



認識に過去はない

それには何の未来もない

あるのは現在だけだ

しかも忘れてはならないのは

現在というのは時の一部ではないということだ


人々は普通 時間は過去と未来と現在に分かれていると思っている

それは完全な誤りだ

時間は過去と未来に分かれているのであって 現在というのはまったく時の一部ではない

それは時間の中ではつかまえられないのだ

追いかけてごらん

あなたはそれを見失うに違いない

それをつかもうとしてごらん

現在の中には認識があり 過去の中には知識があり

そして知識が未来をつくり出す

過去が未来を生む

未来というのは過去の副産物なのだ


何かを知ると必ず、あなたは計画し始める

より多くを知れば知るほど計画も増える

知るということは過去を意味するし

計画というのは未来を意味する

そうしたら、あなたは未来に自由を許さないことになる

あなたはそれを過去の整理箱に押し込めようとする

あなたはそれが単なる過去のくり返しであってほしい

いかに修正され、装飾されていようと ただの過去のくり返しだ


知識の人というのは計画の人だ

しかし生というのは、計画されざる流れなのだ

生というのは自由なのだ

それを整理箱に押し込めることはできない

それは分類できない

知識の人が生を取り逃がすのはそのためだ

彼は多くを知っていて

しかも実は何も知らない 彼は知りすぎている


それはいつも手の届かないところにあるだろう

なぜならば それは〈永遠〉の一部であって、時の一部ではないからだ


現在というのは時を横切る永遠にほかならない

それは永遠と束の間なるものが出会う交差点なのだ


しかも実はまるで空っぽで虚ろなのだ

知識の人よりも浅薄な人間など見つかるものじゃない

彼はただの表面ばかり

何の深みもない

というのも、深みは永遠を通してやって来るものだからだ



・・・・・・・・・・・・










Posted by Toshiro Abe at 09:04│Comments(50)
この記事へのコメント
今、TAO2を読んでるんですけどね、ものすごく良くわかる時と、さっぱりわからない時があるんですよね!

まぁ、良いんですけどね(^o^)
Posted by 馨 at 2014年06月16日 09:25
ありがとうございます!
何か奥底に響くものを感じました。
Posted by ちこ at 2014年06月16日 09:38
みんながブッダからの愛読者です。
TAOも一生懸命読んでいる68才です。
Posted by 書楽 at 2014年06月16日 09:38
阿部さん おはようです。
TAOのシリーズは本を読むというよりも本との格闘です。次から次に出てくる言葉の海に溺れまいと必死です。(笑)
TAO-3また格闘の日々で〜す
その前に本屋さんめぐりだぁ〜
にゃ
Posted by 影山秀樹 at 2014年06月16日 09:40
さすが絶妙のニュアンス!
載せて下さりありがとうございます。
Posted by ミラ at 2014年06月16日 09:43
今この瞬間に集中し切る

すると、永遠の静寂が現れてきます


ハートの一点に集中し切る

すると、無限の広がりが現れてきます


喜びに集中し切る

すると、喜びがどこまでも広がっていきます


愛することに集中し切る

すると、宇宙全体が自分を愛していることを全身で感じます


すべてを捨てて集中し切ると

すべてとの一体感が現れてきます


知識という有限のものから解放されると

すべてを包み込んでいる

永遠の無限の静寂である自分が現れてきます
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2014年06月16日 09:51
記事を読んでいる最中から、静かなる興奮が沸き起こってました。
もう本当にこの通りだと。

というか、まるで過去の自分のことを表現されているようでした(笑)

20代の頃はとにかく色んな知識をため込んでました。
それがすべてだと思っていましたし、成り上がるすべだとも。
知識がない人は愚かだとも正直思っていました。

でも、気づいたら、一番自分が愚かでした(~_~;)
知識がとてつもなく自分を縛っていることにも気づきませんでした。


「ただの表面ばかり」 
はい、まさに自分でした(笑)

計画ばかりで「いまここ」にある生を見失ってばかりでした。


今は、つねに「いま」を大切にしていますし、
知識なんてこれっぽちもため込んでないです。
価値観が180度、変わってしまうのですから
人生は本当にわかりません。


Oshoの言葉が完璧に自分の一部になる日が楽しみです(*^_^*)
Posted by ポン太の助 at 2014年06月16日 09:52
阿部さんを通してOSHOを知ることが出来たことを、本当に感謝しております。

阿部さんに版権がきて、「究極の旅」がこちらのブログで紹介されていなかったら、私にとってOSHOはまだ怪しい外国人のままだったでしょう(^_^)

それが今では、ほぼ毎日なんらかのOSHOの本を読む生活です。

時にはマジで泣いたりもします(^^;;

今までいろんな本をそれなりに読んで来ましたが、本当にOSHOの本は全くの別物でした。というか、OSHOが別物なんですが(^_^)

この本に興味を示せるようになった自分も褒めてやりたいですが、やはり、阿部さんにありがとう。
Posted by おおまち at 2014年06月16日 09:56
おはようございます。

最近OSHOの言葉が響くようになって来ました。

自分も頭デッカチ人間でしたが、神我を知るようになってから考えが変わりましたね。
でも知識は助けになりますね。

OSHO,学んでみます。
Posted by Bon dia! at 2014年06月16日 10:15
私もこのブログが入り口となり、OSHOのことを知りました。
究極の旅にJOYと二冊読みましたが、究極の旅は難しく感じました。
今また、TAOも購入してみようと思ってます♪
Posted by ばんちゃん at 2014年06月16日 10:21
ちょうどJOYを購入し、読んでいるところでした。
いづれTAOも読むと思います。
阿部さんのブログに出逢わなければ、OSHOを読むことは
一生なかったかもしれません。ご縁に感謝です。
Posted by 博多っこ at 2014年06月16日 10:26
いつもありがとうございます。

OSHOを自分の魂にどうかさせます。

ありがとうございます。
Posted by ほったん at 2014年06月16日 10:26
アハハ、よくここまで書けるなぁーと、感心しまくりです。

OSHOさんの言葉は、詩のようであり、調べのようであり、
読んでいるというより、聴いているような錯覚になり、
言葉から発せられるそのあまりのwaveの心地良さに、
ついつい眠くなってしまう・・・(笑)
(講演会などでの講話をまとめたものが多いようなので、
 語り口調の響きが、文章の基底にあるのかもしれませんね)

それが、OSHOさんの本を持っていながら、
一冊も読めていない理由なのかもしれない。
(今日の記事も、全部読めませんでした・・・^^;)

彼を否定しているわけではありません。
好み、あるいは、相性があるのかもしれませんね。
Posted by Across the Universe at 2014年06月16日 10:40
今日の言葉、とっても感じ入りました。
紹介していただき有り難うございます。

私など何度「分かった!」と叫んで
後から、やっぱり分かってなかったというパターンばかり。
分かったと思った時はもう過去なのですね。

それより感じる前にあったものが、確かに私に入っている。何か分からないけど。
Posted by ミッシ at 2014年06月16日 10:52
言葉を読むもの
字を読むもの

この違いはおおきいですね
Posted by 無有 at 2014年06月16日 11:25
 あー、この本も買わなくちゃと思った一節でした。
Posted by ラブ・ラブ・ラブ at 2014年06月16日 11:28
このブログでもよく出てくるボブさんのブログ(最近始められたようです)、読んでみたのですが、このOSHOさんや阿部さんが話されている内容とはちょっと異なっているようで、???な部分がありました。

アセンデッドマスターにしろ、マザーアースにしろ、アトランティスにしろ、結局は「分離意識」のままの話ではないのでしょうか? 久しぶりにこういった視点からの話を読んで、自分が以前持っていた(当然だと思っていた)感覚に引き戻されたような感じがしました。軽さよりも、制限・分離・規範・深刻さのようなキーワードを感じてしまい・・・・。

遊び(リーラ)とは全く違うような気がするのは私だけ??!! 皆さんにもお伺いしたいです。 せっかく「言葉にしない」というテーマの内容なのに、こんなコメントですみません。
Posted by けいこ at 2014年06月16日 11:50
〉過去の中には知識があり、
そして知識が未来を創り出す。
過去が未来を生む。
未来というのは……

……過去の希望(計画)であり、大いなる流れなのだ。

過去と未来(時)がヒトのものなら、現在(空)はスピリット(霊)のもの。

私は過去を掘り起こし、そもそものハジマリを探している。
友人は未来をたぐり、この世界のオワリを見定めようとしている。

この2人には「現在」は今生きているココ(この時点)にしかない。
「想」は過去から未来へと繋がる永い道程。
これはヒト(神)にしか見えず、スピ(霊)系は真の本質が解らない。
Posted by 海道 at 2014年06月16日 12:06
阿部さん、皆さん、こんにちは。

「川はながれる」という55年前のアメリカの絵本(アン・ガント文)を読みました。

山奥で氷がとけて生まれた小さな川が、
どこだかわからないけれど、自分はどこかに流れていかなければならないと思いこみます。
でも、それがどこだかわからない。

小さな川は、流れながら、様々な出会いを経験し、
あるはれた明るい朝に、きらきらかがやく海を見ます。
感動すると同時に、
「ぼくはいったい、どうなってしまうんだろう」と、不安に。

そのとき、カモメが
「きみたち しんまいの川って ほんとうにばかだな。
海をみつけることばかり いっしょうけんめいで
かんじんなことを わすれているんだから。
川は 太陽や空気みたいなもの。
おなじときに どこにてもいることができるのさ。」


そのカモメの言葉でちいさな川は、
これまで旅してきたどこにても、
おなじときにどこにても、
自分がいるんだということに気づくという絵本です。


この絵本のカモメの役割がOSHO であり、阿部さんなのかなと、感じました。
Posted by ショコラ at 2014年06月16日 12:23
訂正m(__)m


アン・ガント → アン・ランド
Posted by ショコラ at 2014年06月16日 12:39
>けいこさん

あなたが『わかる』ことが出来たものが真実です。

一瞥までの道、一瞥してからの道は百人百様ですので、みな同じように『わかる』のではありません。
『わからない』や『ちがう』と思っても、それはそれでいいんですよ。


大切なのは、答えはすべて内側にあって、
外側は幻想にすぎないと見抜いていることではないでしょうか。
Posted by 笑うウリエル at 2014年06月16日 12:43
TAO、本当に面白くて、二冊とも通しで二度、部分的には何度も読んでいます。早くも3が出て嬉しいです。人生のからくり?をスッキリさせてもらったような、爽快感があります。知ってしまえば、失うことなく身になっているってこと、わかった気がしてます。阿部さん、ありがとうございます。
Posted by むぅ at 2014年06月16日 13:45
難しい…。分かるようで、分からない。
でも、今はそのままでいいかな。
いずれ分かる時がくるまで。

瞑想で感じた事を言葉にしようとすると、
全てが空々しく、体感したことまで幻想ではなかったか?
と疑わしいく思えてしまう。
そうして疑い始めると、また瞑想が遠くに行ってしまう。

沈黙は金なり、雄弁は銀なり。とは良く言ったものだな~。

いずれ、瞑想で体感して分かる時がくるまで焦らずいこう。

阿部さん、本当にありがとう。
阿部さんがあんまり優しいから、阿部さんに依存してたかも。
阿部さんはあくまで導き手。
しっかり瞑想していきます。
Posted by 順子 at 2014年06月16日 18:29
「永遠の大河2」を読んでますが、

先に3を読みたくなってきました。

でも、なんか・・・osho って、どんな話をしてても、

いつも一つの同じことを言ってる様に聞こえるんですよね。

・・・これも、阿部さんのおかげですね。
Posted by hiro-k at 2014年06月16日 18:46
今日届いたOSHOの本を 読み始めたばかりです。
ドゥマンギテいます。阿部さん。
驚愕の事実にドゥマンギテいます。

こないだまで、「いまここ」って言葉は 耳にタコって叫んでました。

阿部さん、OSHOを教えてくれてありがとうございます。
Posted by 紅いも娘 at 2014年06月16日 18:58
OSHOは、自分が(社会的視点から)犯罪者であるという認識はあったのだろうか?・・・^^
Posted by 近藤 at 2014年06月16日 19:44
すごーーーーい!
これがOSHOのTAOなのですね。

私は本嫌いで、本はあまり読まないので
ハッキリ言って、知識はほとんどありませんが、
最近、なぜか(笑)、OSHOの禅タロットを買ってしまい、
タロットの内容が濃くて嬉しくなったところです。

本はもっと濃そうですね。
魂が喜びそうです!

が・・・やはり本嫌いなので読まないんだろうな・・・。
タロットで遊んで、カードの解説を見てニヤニヤしま~す。

そうそう、OSHOは犯罪者ではなく、反逆者だと言ってますよね。
タロットの中には「反逆者」というカードがあり、
カードの解説には、

「反逆者」は、自分自身としてあることの責任を取り、
自分たちの真理を生きる勇気をもつようにと私たちを促しています。

という意味があります。
だから私も「反逆者」でありたいと思ってます^^
Posted by もなか at 2014年06月16日 20:10
こんばんは


    阿☆


敏☆  魂   部☆


    郎☆


OSHO


血となり肉となり~

(^o^)/


おめでとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2014年06月16日 20:24
美しい
Posted by J at 2014年06月16日 20:27
ハートに火がつく鮮烈なメッセージのなんと多いことか!^^
OSHOに会わせたい人(宇宙人)がいたんだけどなぁ。
わかり易い表現で文字化されてますね。

「認識」について、自分の名前を上書きにしてみるとわかりやすいかも・・・
何故上書きにするか?
普段は横書きか縦書きでしょう。
実践してみてはいかがでしょうか^^
Posted by スマイラックス at 2014年06月16日 21:32
笑うウリエルさん、ありがとうございます!

学校でも、「外にある答えを、考えて理論立てて見つけ出す」ことを当たり前にやってきたので、自分が「知らない者」であり、良い成績を残すために正しい答えをどうにか手に入れなければ、という姿勢が染み付いちゃってるのでしょうね。

まあ、それに違和感を持つようになっただけでも今はOKとしましょう。

答えは、真実は、「ここ」にあり、とすとんと腑に落ちたら、うれしいですね。
Posted by けいこ at 2014年06月16日 22:01
阿部さん 今日もありがとうございます

昼間ちょうど職場で、もう一方のアベさんの経済財政諮問会議の人口1億人維持計画だとか、未来が話題になりました

世の中で起きてくる問題というものについて、同じレベルでは、それらが全て解決された状態など決してないし、来ることもないのでしょうね

早く買って読んでみたくなりました
Posted by nariyuki at 2014年06月16日 22:10
少しずつOSHOに触れていきます(^-^)
Posted by うどん子510 at 2014年06月16日 23:05
Posted by 陽 at 2014年06月16日 23:42
OSHO自身も、阿部さん自身も、そしてこうして毎日のようにコメントを書いている人々も毎日自分自身の知識を伝えているではないか。

何を言うておる。

知識を教えずして世の中をどうやって変えるのじゃ?

うむ、わからぬ。阿部氏は、国内ではわが師と認める存在ではあるが、どうも、難しくてわかるぬのー。でも、こうして、沖縄本島に帰ってきたからもう、人に知識を教えることもないし。
Posted by Y at 2014年06月17日 00:55
少なくとも変えたぞわしは世界を。師である阿部氏の次ぐらいに。

では、わたしは、それを知った以上、知識を封印する。釣りでもしてのんびり暮らすとするかの。
Posted by Y at 2014年06月17日 01:05
海がの、近いのじゃよ。ダックスフンドちゃんと一緒にの。

愛犬と散歩する夢もあっという間に叶ってしまったぞ。簡単じゃったぞ。

現実を変えるのは。じゃーの。
Posted by Y at 2014年06月17日 01:09
これも現実(幻想)も知識のひとつかの、これを人に話した瞬間に変わってしまうものなのかの?はたしてどうなるか?実験じゃ。もし、少しでも変化があったとしたらワシはこれから、もう、無口になっちゃうぞ。もう、知識は一切1ミリも話さないからの。無口になろーっと。

じゃーの。
Posted by Y at 2014年06月17日 01:16
どんな知識も、”それ”に至るまでのガイドブックに過ぎない。

そのガイドブックも、最後には要らなくなる。

ガイドブックを手放すこと。

それが、究極の旅の終わり。
Posted by 究極の旅人 at 2014年06月17日 01:24
旅人様。

どうりで!ガイドブックは近頃読む気にならないというかの、なんというか、そういうことかの!」


1文無しも2度経験したし、実に楽しい旅じゃったぞ。

しかし、それでも楽しんでた。知識があったから。
「おお~!これがうわさに聞く二―ル氏の経験か」と感動した。

しかし、現実は一瞬で変わってしまった。不思議じゃ。
努力も、あがきも、すべてを捨てて(手放して)みたらあっという間に現実が、一瞬にして変化した。

おそらく、ガイドブックもそういうことかもしれない。手放してみます。

どうも、

ありがとうございました。2、3年ぶりに阿部さんにコメント欄に書いてみましたが、コメントは、ここで終了します。皆様、お世話になりました。
Posted by Y at 2014年06月17日 01:59
夢を見てるときは現実と認識してるけど、覚めてしまえば過去の知識になる。

なんとなく記事を見てそう思ったのでコメントしちゃいました。(゚д゚)
Posted by ダメ星人 at 2014年06月17日 05:22
ありがとうございます。
Posted by too at 2014年06月17日 05:42
>けいこさん

この世の知識と呼ばれるものはすべて、
『本当のわたし』が織り成すマーヤー(幻影)です。
幻影の中に答えはありません。

旅人さんも知識はガイドブックにすぎないと言っています。
まったくそのとーり。
私はスーパーのチラシみたいなもんと思います。
いくらチラシを集めても、実際の商品は手に入りません。
この私のテキトーに書いた投稿も、偉大な聖人の言葉も、
所詮はスーパーのチラシです。

世界は『けいこさん』と『本当のけいこさん』しかいないのです。
言い換えれば、自我と神だけの関係しかないのです。
わからないことは、今はわからなくても、いつか必ず神が教えてくれます。
ちがうと思ったことも、気が付いたら、何もちがわないようになってしまいます。

チラシ集めはそこそこにして、実際に神に会いに行ってください。
神様はすごいよ!
Posted by 笑うウリエル at 2014年06月17日 07:07
>世界は『けいこさん』と『本当のけいこさん』しかいないのです。

そう思って(認識して)いるのは、自我意識だけ。

この宇宙には、「本当のけいこさん」しかいない。

それが、この宇宙の実相。

そんな馬鹿なぁーと思うかもしれないが、
大いなるひとつである「本当のわたし」(真我)だけが、
この宇宙の唯一の実在。

個と全体。

個はない。

全体があるのみ。

個である「わたし」という自我意識がある限りは、
そうは認識できない、という仕組みになっている。

自我意識を落としていくこと。

言葉や知識は、自我意識(人間)が造り出したもの。

それらは、人間の頭の中にだけある。

宇宙は、人間の頭の中にもあるが、
それは、小宇宙(わたし)であって、大宇宙(大いなるひとつ)ではない。

大宇宙と一体化するには、
自分の頭の中にある自分を手放し、
言葉や知識から、解放してあげること。

自分について考えるのではなく、
自分を感じること。

それが、究極の旅を終焉させることができる唯一の道。

言葉(頭)に頼らないこと。
言葉(頭)を捨てること。
Posted by 究極の旅人 at 2014年06月17日 09:21
笑うウリエルさん、究極の旅人さん、有難うございます!

ほんとうの「私」、唯一の真我、のみが実在するのなら、アセンデッドマスターたちも、アトランティスの人々も、その中でたわむれに存在した「自我意識」ってことでしょうか。

・・・って考えてもしょうがないですね。 笑

昔から、ただ感じる、ということよりも論理的に思考するのが大好きで、まともな瞑想もしたことがありません。ボブさんに直接瞑想法を伝授していただこうと考えてましたが、最初に書いたブログの内容から???となってしまい躊躇してるところです。うーん、私の「師」はどこにいるのでしょう。
Posted by けいこ at 2014年06月17日 10:31
最終的には自我も神様も覚醒やら悟りも
『大いなるひとつ』、『ただ在る』に溶け合ってしまいます。
私はそのブログを見ていませんのでわかりませんが、
アセンなんちゃらもとどのつまりマーヤーです。
まあ、気付きの方向をまだ向いて人に対しての、方便のようなものかもです。


つまるところ、あなたの師は内側にしかいません。
その内側がよくわからなくても、心配いりません。
私も瞑想なんて全然してません。
ただ知りたいという、子供のような純粋な好奇心さえあれば、
あとは与えられます。
瞑想が必要ならさせられるし、しなくていいなら別の方法が与えられます。

論理的に考えるのが好きなら、まず自我意識をよく観察するとよいかもしれません。
いわゆる内観ですね。
Posted by 笑うウリエル at 2014年06月17日 11:10
阿部さん、ありがとうございます。
Posted by ハンネ忘れ at 2014年06月17日 12:49
笑うウリエルさんの書かれているように、
アセンデッドマスターたちも、アトランティスの人々も、
人々の目覚めのきっかけとして機能している一つの方便であると言えます。

そして、それらは、ボブ・フィクスという個の宇宙の中に存在している、ということです。
ただし、いろいろな人が、スピリチュアルなメッセージを下していますが、
すべてが、完全なる自我意識が創作したもの、とは言い難い部分もあり、
このことを理解するには、この宇宙を構成している波動に関する知識が必要です。
知識は、最終的には必要ではない、と書きましたが、
最終段階に至るまでは、必要なこともあるのです。

人間の肉体は、一番重い波動領域(周波数)にありますが、
それより、波動が軽い領域では、微細体として存在しています。

この微細体には、三段階の波動領域がありますが、
自分自身がどの波動領域にあるかにより、意識の段階も変わってきます。

高次元の存在である(と言われている)アセンデッド・マスター達につながっている人々は、
確かに、高い波動領域(周波数)と共鳴していると言えますが、
それでさえ、変化する事象であり、それに反応している意識は、まだ、分離状態の中にあると言えます。

完全に大宇宙と一体化した場合は、すべてが自分の中に在る、ということがわかるので、
この宇宙に存在するのは、「(大いなる)わたし」だけである、ということを識るのです。
その状態においては、アセンデッドマスターもマントラも必要ではありませんし、存在することができません。
(このことは、「師」にも言えることで、最終段階までは、「師」も必要なこともありますが、最終的には、「師」も必要ではありません。
「師」も自分も同じ存在である、と気づいてしまうので、「師」は消えます。)

ですが、誰もが一気にその域に達するわけではありませんから、
段階を踏んでいるプロセスにおいては、マントラやアセンデッドマスターが必要であることもあるわけです。
それは、知識(言葉)の場合も同じです。

ただし、忘れてはならないことは、全ては変化します。
自分がもうその段階にいない、と自覚したなら、潔く手放すことです。
アセンデッドマスターの言葉も、マントラも、「師」の導きも手放すことです。
(これらは、自分の外側に在るもので、形あるもの、変化するものなのです)

手放せば手放すほど、身も心も軽くなり、波動領域(周波数)が上がって行きます。

こうして、微細体となった「わたし」は、大宇宙に融けるようにして一体となり、
この宇宙の唯一の実在であるワンネスである「わたし」(I am)を識るのです。
Posted by 究極の旅人 at 2014年06月17日 15:33
笑うウリエルさん、究極の旅人さま

私の疑問について丁寧にご回答いただき、本当に感謝しています。周りにはこういうことを話せる人がいないので、とてもうれしいです。

また、私の???について、お二人から同時に違った切り口でお話ししていただけるなんて、贅沢なくらいですね。

自我にとっては、大宇宙、大いなるひとつ、などは壮大すぎて「理解」できるものではありませんが、なんとなーく、なんとなーくですが、奥のほうでは「そうだなあ」なんていう感覚があったりして。うまく説明できませんが。

瞑想であれ、ほかの方法であれ、「ここ」にある命が大いなる一つと溶け合う感覚を思い出せるその時まで、日々、あるがままに存在していきたいです。

本当にありがとうございました。
Posted by けいこ at 2014年06月17日 23:34
追記: お二方とも「さん」づけでお呼びするつもりが、不統一になってしまい申し訳ありません。
Posted by けいこ at 2014年06月17日 23:36
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