2011年04月10日

自灯明

いま、大阪から浜松に向かう新幹線の中です。

こうして全国の皆さんにお会いできるのは、ありがたいことです。


昨日の記事を読み返してみましたが、祖門さんは素敵な人ですね。

人が真似できない難行苦行をクリアし、なおかつ修行の無意味性を報告してくれているのですから、大きな説得力があります。

さらには最も権威が高い比叡山延暦寺の要職に在りながら、衆生の中に立ち、同じ目線で真理を分かち合おうとしています。

仏教の細部にまで精通されていますが、そのような見識をひけらかすのではなく、無位の真人として活動されています。

このようなお姿に、心から敬意を表します。

逆説になりますが、これぞ修行の賜物と理解しています。



「悟前の修行」と「悟後の修行」の違いはなんでしょう。


「悟前の修行」とは、仏(さとり)を求めて自己を越えようとするプロセスです。

その際、仏(さとり)に対してのイメージを持ち、自己を超えた真我へのイメージを持ち、そこに向かって奮闘努力しようというのです。

このような態度には、幾つかの落とし穴があります。


まず、目指している境地が、あくまでも自分の思考が作り出したイメージに過ぎないということ。

たえず、その完璧性と、いまあるがままの自分を比較判断することになります。

それは終わりなきゲームです。

自我が自我を見張りながら、深刻さに満ちた毎日が続いていきます。

いつかさとるために、「いま」という時間を手段にしてしまいます。

しかし、実際にはどこまでいっても「あるがままの自分」であり、いつまでたっても「いま」があるだけです。


自我の試みは、自我を肥大化させていきます。

「私は数十年間の厳しい修行に耐えた選ばれし魂だ」

「私が長年学んだこの経典こそが唯一真理を説いている」

「私が・・・」「私が・・・」「私が・・・」というわけです。

そのような自己欺瞞に陥ってしまった人はどこにでも見つけることができます。

宗教の名のもとに、神と人を分断し、聖と俗を分断し、人の心の中も分断してしまいました。


神も人も、聖も俗も、みなひとつなるものです。

あなたはすでに完璧にして、本来はそのままで仏身です。

思考の否定的な妄言に惑わされてはいけません。

あなたはあなた以外になることは決してありません。


思考が、あなたをあなたではないどこかの特別な人に仕立ててしまったのです。

もし僕たちにやることがあるとしたら、余計な観念を取り払って、自分をあるがままに認めることくらいでしょう。

それがさとりです。


さとりとは、どこかにたどり着くことではなく、あるがままのいまに帰ってくることなのです。


本来のあなたは、生まれながらにして仏そのものです。

仏が仏の修行をする・・・それが「悟後の修行です」



なんて書いていたら浜松に到着。

改札まで迎えに来てくれた向禅師が、開口一番こう言いました。


「自灯明」

幾多の権威に惑わされることなく、自らを灯とせよ、という釈迦の遺言です。


僕は言いました。

「一人一人がすでに灯であり、だから、悟後の修行しかないんですよね」


すると向さん

「そうや、それしかない」




あと一時間ほどで「いまここ塾in浜松」の開演です。

満開の桜のもと、今日も素晴らしい日です。








自灯明   自灯明




Posted by Toshiro Abe at 12:21│Comments(83)
この記事へのコメント
ありがとうございます。
感謝です。
Posted by 居澤 at 2011年04月10日 12:27
桜が満開ですね。今浜松に向かう新幹線の中です。仕事終えてからなので、少し遅刻ですが楽しみにしています。
Posted by バッカス at 2011年04月10日 12:33
あるがままの自分に帰る。。
そのあるがままの自分を認められず、焦ってしまう時があります。

まだまだですね。でもいつかじゃない。

思考がジャマする。
う〜〜〜ん(;^_^A


いつもありがとうございます。
Posted by がじゅまる。 at 2011年04月10日 12:39
あるがままに、

ありがとうございます。

感謝。
Posted by hiro-k at 2011年04月10日 12:46
あべっちぃ~おっぱっぴ~



そうか!自分が灯なんだ!!
<( ̄个 ̄) >えっへん!


自我のつぶやき・・・(笑)

今日もいい日だなぁ。
Posted by ss at 2011年04月10日 12:51
悟前、悟後がなんとなくよくわかりました。←なんとなく?よく?どっちや!

でも、なんだかそんな感じなもので‥

本日もありがとうございました。
Posted by 古古米(心舞) at 2011年04月10日 13:03
窓をあけて ブログをよんでいます。
どこかから桜の薫りを優しい春の風が届けてくれるようです。

気付くと どこかへいこうとしています。
気付くと 周りをどうにかしなくてはと力がはいってます。
気付くと 未来に心がいってしまっています。

それに気付くと いまここへ帰ってきて 力を抜く事ができます。

ありがとうございます。
Posted by pao at 2011年04月10日 13:10
櫻、きれいですね。
天空にいるみたいです。
Posted by りんりん at 2011年04月10日 13:14
こんにちはぁ☆彡

桜満開。
気持の良い光。

阿部さん向さんにとっても、
ココロあたたか日和でありますように。
Posted by 麻美 at 2011年04月10日 13:15
♪。・:*:・゜

すべては一つという、一体感の経験をせずとも、悟りを生きることはできる。
悟りとは、経験したことではなく在り方だから。
いまのありのままの自分を認め、愛すること。

勇気をもってすべての観念を解放して、<既に悟っている>と認めて生きるとき
とても面白いことに、本当に<既に悟っている>という、その現実が創造される。
あなたは、既に満ち足りている。
悟り<たい>と求めることは、求めている不足感の
状態を創造し続けるだけだから。
あなたは、既に神であり、仏である。
これ以上、何になろうとしているのか。

阿部さんの伝えたいことが、ここ2回の記事を拝読し
わかってきたような気がします。
本当に素晴らしいです。感謝です。ありがとう♪
Posted by スピカ at 2011年04月10日 13:30
 なるほど
 だから午前(悟前)
 正午(正悟)
 午後(悟後)
 そしておやつに仏ケーキをたべるのね。
 *すみません。どうしても言いたかった。(逃げる)
Posted by 仏はほっとけ at 2011年04月10日 13:45
すでに悟っているからそのままで良しとするのは、禅では「無事禅」といって外道の考え方ではないでしょうか?
「既に悟っている」というのを体感するためには修行しかないのではないでしょうか?荒行は必要ないかもしれませんが。
要するに頑張らずに修行しなさい、ということかな
Posted by ゲンゾウ at 2011年04月10日 14:04
自分の人生を、愛しています。
Posted by sai at 2011年04月10日 14:49
阿部さん、こんにちは。
自灯明。何だかホッとする言葉ですね(^^)
向さん素敵です。

穏やかな1日を楽しんでいます。
いつもありがとうございます!
Posted by スポンヌ at 2011年04月10日 14:55
連日、イヤと言うほど原発の事をニュースなどを通して見せられますが、どうしてかな?とふと思ったら、答えは「自灯明」だったんですね。(←あくまで自分の閃き)

原子力は、確か核分裂みたいのが、急激に連鎖反応起こして、莫大なエネルギーを得ます。
人は何かに頼ってる状態ではエネルギー漏れですが、「自灯明」の状態の時はエネルギーに満ちて、回りに光を放ちます。

「自灯明」の人が急激に連鎖反応起こしたら?

そう、奪い合う文明から、与え合う愛に基づいた光文明が今日の桜のように、花開きます。
原発にはそんなメッセージがあるのかなと。

全体(宇宙)の本質は愛という意識。
人類みんなが真に幸せになるために、ありとあらゆる手段を講じ、気付かせようとしてるだけ。全体のふか~い愛に感謝。
Posted by ラブ☆マエピ at 2011年04月10日 15:00
堀澤祖門さんは行院のご指導もされていたんですね。
もしかしたら、松山の天台宗瑠璃光院の善照さんはご存じでしょうか?
たくさんの方が来られるようなので善照さんは私の事を憶えてられてないかもしれませんが、大変お世話になりとてもありがたく思っています。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
Posted by 由未 at 2011年04月10日 15:28
こんにちは。名古屋5月4日の講演会に一部、二部ともに申し込みましたが、二部のみ確認メールが届きません。どちらも登録ボタンを押した後に「ありがとうございました。すぐにメールが届きます」という内容の表示がされたのですが・・・。前回の名古屋講演会もメールが来ず、参加できなかったので、ぜひ今回は問題なく参加させていただきたいと思っています。お手数ですが、どのようにすればよいか教えてください。
Posted by takky at 2011年04月10日 15:38
>スピカさんへ

>すべては一つという、一体感の経験をせずとも、悟りを生きることはできる。悟りとは、経験したことではなく在り方だから。いまのありのままの自分を認め、愛すること。

その通りと思います。私はワンネス体験ありません。
3次元空間では時間が存在するので、一度に一つの体験しか出来ません。
だから、ありのままでいいと思います。
怒りたかったら怒り、泣きたかったら泣く。どんな体験も今でしか出来ない、貴重な体験。つまり、「いまここ」。

目の前に「ワンネス体験」来たら、その体験を味わうだけ。
ただ、それだけ。

今はこのブログ読んで、共感し、スピカさん始め皆さんのコメ読んで、また学んで、それが楽しいです。

こんな素敵な体験出来るのもアベッチのお陰だね。アベッチぃ~、ありがと~。
Posted by ラブ☆マエピ at 2011年04月10日 15:54
さとりんさんへ


どうやらさとりんさんはわたしの真剣な質問に対して
真剣に答える気がなく
阿部さんの「公開討論しましょう」という誠実な申し出に対しても
誠実に応える気がないようですね。

さとりんさんはわたしの質問からも
阿部さんの公開討論の申し出からも逃げたと解釈しています。


想定していたことなので落胆はしていません。


さとりんさんは

「わたしの信仰遍歴はもう35年近くになります」
「ぜひ聖典の中の聖典と言われている「バガバッド・ギーター」を読んで見るといいです」
「自分の考え方はギーターそのもの」

と言いました。



今日阿部さんがこの記事でこのように述べています。


『自我の試みは、自我を肥大化させていきます。

「私は数十年間の厳しい修行に耐えた選ばれし魂だ」

「私が長年学んだこの経典こそが唯一真理を説いている」

「私が・・・」「私が・・・」「私が・・・」というわけです。

そのような自己欺瞞に陥ってしまった人はどこにでも見つけることができます。

宗教の名のもとに、神と人を分断し、聖と俗を分断し、人の心の中も分断してしまいました。』


さとりんさんはまさにこのような自己欺瞞に陥っているのではないでしょうか?


阿部さんはこのように続けています。


「神も人も、聖も俗も、みなひとつなるものです。

あなたはすでに完璧にして、本来はそのままで仏身です。

思考の否定的な妄言に惑わされてはいけません。

あなたはあなた以外になることは決してありません。


思考が、あなたをあなたではないどこかの特別な人に仕立ててしまったのです。

もし僕たちにやることがあるとしたら、余計な観念を取り払って、
自分をあるがままに認めることくらいでしょう。

それがさとりです。」


さとりんさんが自己欺瞞のワナ、思考の否定的な妄言から解放され
さとりに到達しますように。


(追伸)

さとりんさんが新たにコメントを書いても
わたしは返信しません。

貴重な時間とエネルギーの無駄になるからです。

さとりんさんが新たにコメントを書いても
阿部さんも返信しないと思われます。


自己欺瞞のワナ、思考の否定的な妄言に陥って
苦しんでいる姿を多くの人に見せてくださったさとりんさんに心から感謝します。

さとりんさんの姿はわたしの姿です。

本当にありがとうございました。


さとりんさんは阿部さんに

「もう少し謙虚になって、神の存在を追求して欲しい。」

と言っています。


わたしもさとりんさんに

「もう少し謙虚になって、神の存在を追求して欲しい。」

と言いたいです。


さとりんさんが思考から解放され
さとりんさんに心の平安が訪れますように。


オーム シャンティ シャンティ シャンティ
Posted by さよなら、さとりんさん at 2011年04月10日 16:08
満開の桜が晴天に散る今日、素敵なメッセージをありがとうございました。4月末、東京で阿部さんのお話を聴けるのを楽しみにしています。
Posted by akira at 2011年04月10日 16:19
さとりんさん貴殿は35年の長きにわたり、迷走(めいそう)

して来ておきながら、今度は何処へ迷走(めいそう)する

おつもりなのでしょうか?

もうそろそろ終わりにしませんか迷走(めいそう)は?
Posted by マトリックス at 2011年04月10日 16:23
Welcome back to Hamamatsu! 阿部さん^-^

向さんも、こないだは息子がお世話になりました^o^

今日は素晴らしいお天気に恵まれてとてもいい気持ちですね。
今朝は仕事場で、ちょっぴり涙が出そうなことがあったけれど、すぐにいまここに戻ることができて、その後は・・言わなくてもおわかりですよね?(笑)
いまここ ありがと~!
Posted by tomo at 2011年04月10日 16:30
今日も素敵なブログありがとうございます♪

「いまここ」に生きることがすべてですね。
わかるようなわからないような・・・。

仏はほっとけさん。「仏ケーキ」には爆笑しました(^o^)丿
すごく真剣に読んでしまったのに~。
Posted by tama at 2011年04月10日 16:35
マトリックスさん


さとりんさんはまだマトリックスの中で
ヴァーチャルリアリティを体験していたいようです(笑)

さとりんさんが勇気を出して
「赤の錠剤」を飲む日が来ることを祈りましょう^^


それにしても今日の阿部さんの記事「自灯明」は
内容といいタイミングといい、
さとりんさんやブログ読者たちにピッタリでしたね!
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月10日 16:41
>さとりんさんへ
>さよならさとりんさん

さん(笑)

あなたの質問を見ていますと
なんというか、こめかみに銃口を突きつけて、答えさせようとしているような
そんな印象をおぼえます

あなたは自分と意見の合わない人に対して
徹底的に締め上げて、追い詰めなければ気がすまないのですか?

さとりんさんが言ってましたね
「ここは狂信的宗教のようだ」と
もちろん私はそう思ってはいませんが
あなたはまさに狂信的宗教の信者のようです

「阿部さんに意見するなら、それなりの材料をだせ」
そして
「私の質問に答えろ」
「私の質問に答えろ」と
とても強烈な自我を感じます

もし、あなたがさとりんさんと討論したいのなら、まずはあなたが心を開いたらどうですか?

さとりんさんは、あなたの自我を満足させる為の挑発には乗らないのだと思いますよ

それから、阿部さんとさとりんさんとの討論は、予告なく突然行われて、事後報告になるような気がします
さとりんさんが、阿部さんの講演会で名乗るとか、そんな形になるんじゃないでしょうか
Posted by AOR at 2011年04月10日 16:42
『最も権威が高い比叡山延暦寺の要職』…ここ、大事ですか?
Posted by … at 2011年04月10日 16:43
魔界にいるようにみえる人って、お化け屋敷をつくってしまって、そこで迷子になってしまった。っていうことかなぁ。

遊園地のお化け屋敷って、自分は入ったことないけど。コワイのすごく苦手だから。
暗くて視界が悪いのでしょ?だからルートが指定されてて。でも恐くて、焦ってて、混乱してるから逆走したりすることも、あるかもしれない。

お化けは近くまできて脅かすけど、直接危害を加えるわけじゃない。
危害を加えられることがあるとするなら、慌てて走ってけつまずくとか、壁に体当たりしてタンコブできたとかじゃないかな。

私なんか、濡れたコンニャクする〜んとなでられただけで、
っっっぎゃゃぁぁぁあああ!!!!
ってなると思う。

こんなとこで過ごしてるなんて、苦しいにきまってる。


お化け屋敷に灯りをつけたら、もう終わり。
灯りがついたら、みんなで拍手するのがいいと思う。
おはようって。
Posted by sai at 2011年04月10日 16:51
いや、あの言語明瞭意味不明のさとりんさんですから

仮想現実の中で生き続けるでしょう。

当然青いカプセルを飲みつづけるでしょう(笑笑)
Posted by マトリックス at 2011年04月10日 16:59
「あなたはすでに完璧にして、本来はそのままで仏身です。思考の否定的な妄言に惑わされてはいけません。あなたはあなた以外になることは決してありません。」
ん〜つまり、いつか悟る…わけのではなかった…ってこと?…なのね。悟るには今しかない?…と。明日じゃダメ?…なのね。二番じゃダメなんですか?(ダメなのね。。)
南無妙法蓮華経
南無阿弥陀仏


とりあえず悟後の仏っとケーキでも頂いてくつろいでみますか…。どうせ今しかないんなら慌てても疲れちゃうだけだもん…ね。
いただきま〜す。。
南無アベッチだべつ
Posted by ラブ☆教えて下さい(本物)♂ at 2011年04月10日 17:06
>ゲンゾウさん
「もし僕たちにやることがあるとしたら、余計な観念を取り払って、自分をあるがままに認めることくらいでしょう。さとりとは、どこかにたどり着くことではなく、あるがままのいまに帰ってくることなのです」と阿部さんが言っているように何もしない事ではありません。自我を持っている自分のままで悟るという話ではなく、「余計な観念」=「自我の思考」をとって「自分をあるがままに認める」=「内なる本当の自分(魂)を見つける」という事です。「帰ってくる」というのは生まれたばかりの私達は自我を持っていません。2歳あたりから「自我の芽生え」があり、自我を育てていくのです。その自我の無かった頃の自分が一番最初、生まれた所にあるので「帰る」と言い表しています。「思い出す」という表現の時もそういう意味です。「元々悟っている」というのもそういう意味です。元々は無かったんだけど現在は一杯自我を抱えて生きてますから、それを取りましょうという事です。それは難しい本を読み解く事でもないし、苦行を続ける事でもないという事です♪LOVEYOU♪

> … さん
国語の表現技法的に、大事♪

>仏はほっとけ さん
うまいぃ~♪
Posted by yu-ko kiyohara(you) at 2011年04月10日 17:34
阿部さん
皆さん
こんにちは。
今日は 海軍道路の桜並木を通り抜けに行ってきました。例年より 薄いピンク色でしたが、ひらひらと舞う花びらは、生ききった見事な姿…綺麗でした!この一瞬に気持ちが触れ合えた喜び、それは私にとって本当のこと。みなさんのコメントと出会うことも私には同じように本当のこと。
いつもいつも、ありがとうございます。挫けて弱気にもなり、まだまだ戻るには遠い道のりですが、今は戻れると信じられます。どうか 帰りの遅い者を待っていてもらえますか。どうかお願いします。
Posted by まっかなそら at 2011年04月10日 17:45
AORさん、長いコメントありがとうございます<(_ _)>


「あなたの質問を見ていますと
なんというか、こめかみに銃口を突きつけて、答えさせようとしているようなそんな印象をおぼえます

あなたは自分と意見の合わない人に対して
徹底的に締め上げて、追い詰めなければ気がすまないのですか?

さとりんさんが言ってましたね
「ここは狂信的宗教のようだ」と
もちろん私はそう思ってはいませんが
あなたはまさに狂信的宗教の信者のようです

「阿部さんに意見するなら、それなりの材料をだせ」
そして
「私の質問に答えろ」
「私の質問に答えろ」と
とても強烈な自我を感じます

もし、あなたがさとりんさんと討論したいのなら、まずはあなたが心を開いたらどうですか?

さとりんさんは、あなたの自我を満足させる為の挑発には乗らないのだと思いますよ」


はい、AORさんがそう思うなら
「AORさんの思考の中」ではその通りですね^^

わたしについて

「あなたは自分と意見の合わない人に対して
 徹底的に締め上げて、追い詰めなければ気がすまないのですか?」

「あなたはまさに狂信的宗教の信者のようです」

「とても強烈な自我を感じます」

「もし、あなたがさとりんさんと討論したいのなら、まずはあなたが 心を開いたらどうですか?」

「さとりんさんは、あなたの自我を満足させる為の挑発には乗らない のだと思いますよ」

と思う存分に思い、思う存分に書いてくださって
思う存分挑発してくださっていいですよ^^


「それから、阿部さんとさとりんさんとの討論は、予告なく突然行われて、事後報告になるような気がします
さとりんさんが、阿部さんの講演会で名乗るとか、そんな形になるんじゃないでしょうか」


わたしはもともと阿部さんとさとりんさんの公開討論会を
望んでいます。

わたしの「さとりんさんは阿部さんとの公開討論から逃げた」という解釈がはずれて、AORさんの予想通りになったらいいですね^^


(追伸)

わたしについてまたコメントしてもいいですが
もういちいち返信はしません。

自我を満足させる為のAORさんの挑発に乗る気はありませんので。
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月10日 17:46
>さとりんさんへ さん


あなた
とても苦しいのではないですか?

大丈夫ですよ
安心して日々を過ごしましょう
Posted by ami at 2011年04月10日 18:26
さとりんさんへ さん

私もAORさんやamiさんと同じように感じています

もういいじゃないですか

気楽にいきましょう
Posted by runrun at 2011年04月10日 19:01
今日は楽しい一時をありがとうございました!

初めていまここ塾に参加したけど、とにかく楽しいっ♪

阿部さんも向さんも熱いっ!!

それに、とっても優しい‥

なんだか恥ずかしくて、なかなか目が合わせられませんでした(/д\*)イヤン

自灯明で在るために、座禅を日常生活に取り入れてみます。

まずは柔軟体操から(笑)
Posted by peko at 2011年04月10日 19:08
本日参加させていただきました。
とても楽しい時間でした。
向さんも面白い方ですね。
阿部さん、ちょっとメタボじゃないでしょうか???
Posted by マイケル.JP at 2011年04月10日 19:21
amiさん


温かい言葉ありがとうございます^^


わたしはさとりんさんに対して
さとりんさんの言葉をそのまま引用して

「自分のこれらの言葉に対してどう思いますか?」
「この言葉について詳しく教えてくれませんか?」

というコメントをしました。


AORさんに対しても
AORさんの言葉をそのまま引用して

「AORさんがそう思うなら
『AORさんの思考の中』ではその通りですね」

とコメントしました。


そしてamiさんは温かい言葉をくれたので

「温かいコメントありがとうございます」

と温かい言葉を述べました。


最近思い込みをどんどん手放す修行をしています。

そして自分自身の思考をそのまま観察することを
心がけています。

自分の内側でひたすら思考をそのまま観察し続けているので
人の発言に対してもその発言をそのまま
その人に見せるという行動に出たのだと思います。

思い込みを手放していくと意識が静まっていき
空っぽになっていきます。

すると今この瞬間に安らぐことができます。


おととい・昨日・今日と
さとりんさんとAORさんの言葉によって

「思い込みによって生じる思考が自我であり、
 苦しみの根本原因である」

「思い込み・思考から解放された状態が本当の自分であり
 安らぎである」

という真実に対する理解が深まりました。


このブログを開設してくだった阿部さん
さとりんさん、AORさんにはとても感謝しています^^

阿部さん、さとりんさん、AORさん
本当にありがとうございます<(_ _)>
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月10日 19:24
runrunさん

温かい言葉ありがとうございます^^


ついさきほどさとりんさんが昨日記事で
このようなコメントをしました。


「いちおお師匠さんから余計なことはやらないでいいと叱られたの 
で、対談はダメになりました。

その件について皆様にお詫び申し上げます。

宗教議論はやはりさけねばならないですね。

ただ神の真理はそれぞれ知っているものに従うのみです。

私は創造主の言葉に従うのみです。

みなさんのご精進を心より祈っております。

Posted by さとりん at 2011年04月10日 18:40 」
 

わたしはすぐにこのようにコメントしました。


「さとりんさんへ


しっかりケジメをつけるコメントをしてくださって
本当にありがとうございます<(_ _)>

これでさとりんさんも阿部さんもブログ読者たちも
スッキリしたと思います。

わたしもスッキリしました^^

さとりんさんの修行が進むことを
祈っております!

Posted by さとりんさんへ at 2011年04月10日 19:29 」


雨降って地固まる。


めでたし、めでたし^^
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月10日 19:36
そうですか
わかりました
あなた方がすべて正しく
私は間違っているのですね

あなた方は善
私は悪

悪は取り払われるべきですね

私の命を差し出して
心よりお詫び申し上げます

明日の夜ごろにでも
あなた方のもとに参りましょう

これにて
Posted by AOR at 2011年04月10日 20:05
阿部さんへ

何度か講演会で質問し、お世話になった者です。

阿部さんの境地を非常に信頼していますが、ここではあえて疑問を言わせていただきます。

「悟前の修行」については非常に明快に理解できますが、「悟後の修行」については抽象的過ぎて意味が分かりません。

仏が仏の修行をする、とは具体的にどういうことなのでしょうか?

ハッキリ言わせてもらえば、仏なんてどこにいるのですか?

仏に完全に一枚であるとき、仏を仏と理解する者がいるのでしょうか?

悟後の修行とは、「悟った者なんていなかった」と完全に理解するためにあるのではないでしょうか?

つまり、悟りと完全に一枚になる。

いわゆる、「悟りを手放す」「悟った者がいない」ということだと僕は理解しているのですが、阿部さんはどう思われますか?
Posted by 現実の自分 at 2011年04月10日 20:08
♪。・:*:・゜

マトリックスさん
ありがたいお言葉をどうもありがとう♪
思い癖があるということをご自分で気付けて
いらっしゃること、素晴らしいですね。
気付けるということは〜それを見つめて観察する自分が
いるということですから。

ありがとう♪

ラブ☆マエピさん
コメントありがとうございます。

よくわからずに、このブログに魅せられて
急に居座りはじめたので(笑)主旨のフォローをしてくださり助かります。
そうですよね!それでこそ、真の平等だもの。
ワンネス体験していようがいまいが
どちらでも、悟りを生きることはできる。
ワンネス体験がきたときも、その方がスムーズに
受け入れられるでしょうね。

わたしも楽しくて、楽です。
阿部さんと、ここに集うすべての皆様に感謝!ありがとう♪
Posted by スピカ at 2011年04月10日 20:15
とってもとっても疲れました(TпT)
とってもとっても悲しいです・・・。幸せになりたい・・・って思いたいのに、
いつも私の思考や経験が私をどうせできっこないって思わせる。
どうして神様は私を幸せにしてくれないのですか?
もう、苦しいのは嫌です・・・・
助けてください。
Posted by さともも at 2011年04月10日 20:18
みなさまへ


「さとりんさんへ」です。


4月8日からさとりんさんがこのブログに非常に強烈なコメントを連投しました。


そのコメント内容を見て

「これは多くのブログ読者が混乱する内容だ!
 何とか早いうちにこの混乱を収めることはできないだろうか?」

と思いました。


そしてさとりんさんの発言に対しストレートな質問をし続け

「ぜひ阿部さんと公開討論してください!」
「公開討論を受けるのか、受けないのか、回答お願いします」

とコメントしました。


この混乱を収めるにはさとりんさん自身が謝罪するか
公開討論でケジメをつけるしかないと思ったからです。


わたしの理想としてはさとりんさんが早期に謝罪して

「お互いに信じる真理の道を歩いていきましょう」

という宣言をすることでした。


これならいつ開催されるか分からない公開対談を待つことなく
早期に事態が収束するからです。


するとついさきほど、さとりんさんからケジメをつける謝罪コメントが入りホッとしました。


「いちおお師匠さんから余計なことはやらないでいいと叱られたの 
で、対談はダメになりました。

その件について皆様にお詫び申し上げます。

宗教議論はやはりさけねばならないですね。

ただ神の真理はそれぞれ知っているものに従うのみです。

私は創造主の言葉に従うのみです。

みなさんのご精進を心より祈っております。


Posted by さとりん at 2011年04月10日 18:40 」


後腐れのないしっかりした謝罪コメントだったので
すぐに感謝の返答をしました。


わたしが混乱収束のためにさとりんさんに強いアプローチをしたことに対して不快感を覚えた方もいらっしゃいました。

この点についてはお詫びします。

申し訳ありませんでした<(_ _)>


さとりんさんがコメントを始めた4月8日は仏陀釈迦牟尼の誕生日でした。


そしてさとりんさんから謝罪コメントがあった今日4月10日のブログ記事は仏陀釈迦牟尼の言葉である「自灯明」でした。


さとりんさんの登場は仏陀釈迦牟尼からのサプライズプレゼントだったのかも知れません(笑)



わたしのハンドルネーム「さとりんさんへ」は
さとりんさんへの対応のために急遽作ったものです。


さとりんさんがしっかりしたコメントをしてくださって事態が収束したのでもうこの「さとりんさんへ」というハンドルネームは使用しませんのでご了承ください。


さとりんさんと共にこのブログをお騒がせして
申し訳ありませんでした<(_ _)>
Posted by さとりんさんへ at 2011年04月10日 20:20
「苦しい」と、思うときに 苦しまない方法はありません。
「辛い」と、思うときに 辛さを拭い去る方法はありません。

たった「今」を、向えている時にその「今」を向えるしか方法がありません。

「幸せである」という思いに浸れることが、「幸せ」であるように。
Posted by さる子 at 2011年04月10日 20:41
これで、迷走につぐ迷走から一転して迷宮入りかと思われた

地下鉄サトリン事件は解決しました。 THE END
Posted by マトリックス at 2011年04月10日 20:47
悟り後の修行を世界中でたくさんの人が始めたら、
素晴らしい光に満ちあふれた世界が拓けると
思ってしまいます。

そんな世界って、いいなぁ・・・

未来志向の夢を心に描いちゃって・・・

いまここから離れちゃいますね。^^;

仏ケーキって美味しそうですね。^^

仏ケーキ目指して、修行します。

あっ、また未来志向の夢だぁ。

先ず、いまここ へ戻ることから。

心の中に暖かい光が灯ってます。

嬉しい!

感謝です!

ありがとうございます!
Posted by 松原 at 2011年04月10日 20:48
議論は、なにも生まない。
そこに出来るのは、対立だけ・・・。

あなたが考えること、
それが、正義だとしたら、

「正義」は、他の考えを受け入れられないものなのでしょうか?
他を受け入れられないのであれば・・・、

「自分たちが正義」だと思っている人々の振りかざす『正義』ほど、 恐ろしいものは無い。

人の人生が「ゲーム」なら、
人それぞれのゲームの中で生きればいい・・・。
一つのゲームで生きることはないのです。

多くの宗教が、争いを生んだように、

愛の名のもとに戦いを始めたように、

敵を作り、一つになろうとしたように、

自我の集まりを造るのは止めよう。


本当に苦しんでいる人々のために、
あなたの想いと行動が必要なときなのです。
Posted by 雲虚 at 2011年04月10日 20:48
やっぱり思考で深刻にならずに、い・ま・こ・こ ですね^o^
落ち着きましょ。
Posted by tomo at 2011年04月10日 21:06
一件落着のようなので・・・・・^^;


スピカさん、遅くなりスミマセン。

"自分は映像のなかの出演者ではなく、スクリーンそのものだと思えばいいのです。"

「ご自身の思考で考える必要はありません。
理解できなくてもいいので、この言葉を無理に変えたりせず
そのままの言葉のままで、感覚的に受け取ることが大切です。」


確かにそのようです。
自分が同一化している役者やスクリーンの映像から目を離せば、単なるスクリーン自体を、或いは観客が意識されて来ます。

「これを単に頭で認識するのではなく、直感的に体験してこそ意味が有り、夢の中(思考)でそれを語っても、単なる寝言でしかない!!」
鋭い警策を打ち下ろしての叱咤激励、まことに恐れ入ります (><)イタッ


まさにそれは、"窮鼠ネコを噛む"といった切羽詰った緊急事態の時、自らの命も顧みずに全身全霊で行なう、一生に一度有るか無いかというような、大胆にして無鉄砲な"はずみ"と言われる行為を、自己の感覚が取って代わったような鋭い直感・・・・・
それはまた、知りたいと思う強い欲求から来る衝動でもあり、いま知らねば後が無いというような切羽詰った渇望から来る直感でもあると思います。

そして、このようなハートがなければ、到底"いまここ"には到達出来ないのだという暗黙の励まし・・・・・
まことに有難うございます。

今後ともよろしくお願い致します(^^)/
Posted by おわら at 2011年04月10日 21:06
阿部さん

本日15:38にコメント投稿したtakkyと申します。
名古屋講演会の二部のみメールが来ないと書いたのですが、
先ほどもう一度申し込みしたところ、確認メールが無事届き
ました。お騒がせいたしました。

初めての参加で今からワクワクしています。
よろしくお願いします。
Posted by takky at 2011年04月10日 21:11
世界は広いですね
限りなく愛おしい
それでいてすべてがいまここに集約されてる
なんて神秘的なんでしょうか

すずきさんへ
見ていらっしゃいますでしょうか?
昨日私、とんちんかんなコメントしてしまいました。
早とちりでお恥ずかしいです(´ヘ`;)
この場を借りてお詫びいたします。
Posted by さーこ at 2011年04月10日 21:22
何か、昨日の僕のコメントへの答えが、遠回しにシンクロして帰ってきたような気がしました。

37年間の悩みや苦しみは、このお釈迦様の一言で、ムダじゃなかったことに、今更ながら感じ入っております。

この言葉を紹介してくださった阿部さん

コメントだけじゃ足りないくらい

直接お伺いして、頭を下げないと申し訳ないくらい

自分の心の中が感謝の気持ちで一杯になりました。

『夢』とか『感謝』とか、スローガンのように溢れかえる今日の日本。

そんな現象界で、違和感を禁じ得ないこの『感謝』という言葉。


今しみじみ思いました。

こういう感覚なのか・・・


『ありがとう』より、『めちゃくちゃ嬉しい』っていう方が、的確な感情のような気がします。
Posted by すずき at 2011年04月10日 21:37
さーこさん

今、拝見しましたよ。

いいじゃないスか、早とちりくらい(^O^)
僕は上(頭)も下()も早いんです(笑)


ハイ、そうです下ネタです


まぁ、そんなこんなでね、気にしない気にしない

一休み一休み
(byアニメの一休さん)
Posted by すずき at 2011年04月10日 21:50
阿部さん 二度目のコメントさせていただきます。

スピカさんやラブ☆マエピさんのコメントをよんで
私も スピカさんの

>すべては一つという、一体感の経験をせずとも、悟りを生きることはできる。悟りとは、経験したことではなく在り方だから。いまのありのままの自分を認め、愛すること。

にとても大切な気付きをもらいました。ありがとうございます。

ひとつ質問させてください。
私は阿部さんの「さとりの授業」をよんで ワンネスに関しては理解でなく体感することが大切だと理解していました。
体感してはじめて 絶対的な安心感を身体が、自分の存在そのものがしることが出来ると。。。
私もワンネス体験したことはないのですが その安心感も体験せずとも在り方によってすこしずつ?感じられてくるのでしょうか。
自分の中に全てがあった、あるいは自分なんてなかった という感覚。。。ゆるぎない感覚が。
今の自分は日々それを頭で自分に落とし込もうとしているような気がしていて 質問させていただきました。
体感することが大切 既に悟っているという二つの真理が 分離してしまって。。。

ワンネス。。。ではないかもしれませんが 毎日は意見する皆さんのお名前やコメントに親しみを感じます。シェアーありがとうございます。
Posted by pao at 2011年04月10日 22:03
初めまして、いつもブログ読ませてもらっています。

ありがとうございます。

阿部さんに質問なのですが瞑想伝授はどのようにしたら受けられるのでしょうか?

よろしくお願いします。
Posted by garuuda at 2011年04月10日 22:20
さとももさんへ


>どうして神様は私を幸せにしてくれないのですか?
>もう、苦しいのは嫌です・・・・
>助けてください。


貴方を助けられるのも 幸せに出来るのも貴方自身です。方法が早く見つかりますように…大丈夫幸せになれる 大丈夫 大丈夫☆
Posted by ♪ at 2011年04月10日 22:31
うん!大丈夫大丈夫(^^)

さっき、仏に完全に一枚であるとき、仏を仏と理解する者がいるのでしょうかって、コメントがあって、

そうだよな~なんて思ったんだけど、

やっぱり、仏を理解するも何も、私もあなたも空気も思考も、何もかもはすべて仏であって、それ以上でもそれ以下でもないです。

仏を理解するにあたって、
全てがひとつという仏の姿から一番遠い、バラバラな感覚、孤独感を一度経験して苦しんでもがいて、

「あ、そうだった」と、仏は思いだすのです。

仏以外にはなることができないので、仏とは程遠いものとして、経験してる…そーんなわたしたち

かな?
Posted by 亜紀 at 2011年04月10日 22:58
どんな修行でも、その根底に愛が無いとしたら意味は無いな。

それぞれの言葉の裏には愛がある。

もしそれが無いとしたらそれは思考の産物だ。
Posted by ぷ~すけ at 2011年04月10日 23:20
さとももさんへ

さとももさんのお考えになる幸せとは何かは私には判りませんが、
”いまここ”としてはさとももさんが幸せで無い事は無いようですよ~。

いろいろ世にやり方はあるようですが、今を感じることができれば、
そこであなたは不幸ではいられないと多くの本に書いてあります。

とりあえずこのブログで今を感じる方法が書かれた記事を試されては?
秘訣はリラックスだそうです。

人は自覚できないくらいに普段は今を正確には捉えていないです。
それは好きなように頭が考えちゃうからです。
この頭のおしゃべりを止める事が短くても良いので出来れば今を捉えられます。
そして、だんだん長く今を捉えられるようになると良いようですよ。

チャレンジなさってみてはいかかでしょうか。お勧めします!!
Posted by ぷ~すけ at 2011年04月10日 23:37
>現実の自分さん
例えば、人類がみーんな悟ってしまえば「悟った者」は居なくなっちゃう。生まれた時は悟ってた筈なのに、みーんなその事は忘れちゃう。でも最初にそれを思い出した人が居て、こうやって思い出したよって伝える。二人が三人。。思い出した人が増えてく。でも思い出した人がどうやって思い出したか、伝えるのをやめちゃったら、思い出せる人はどんどん減っちゃう。だから、思い出した人は、思い出し方を伝えなきゃいけない。どうしても言葉にならないその世界を何とかして伝えなきゃいけない。それが悟後の修行。

>まっかなそらさん
カエルコール着信したよ!冷めないシチュー作って待ってるよ♪LOVEYOU♪

>ぷ~すけさん
>どんな修行でも、その根底に愛が無いとしたら意味は無いな。
本当にそうです♪超同意です♪
Posted by yu-ko kiyohara at 2011年04月11日 00:24
さとりんさんの登場で、みなさん色々考えさせられましたね!

ある意味、「さとりんさん」は神様からのプレゼントだったのじゃないでしょうか?全ては完璧な神のプログラムですよ。さとりんさんに感謝!!


みなさんこのブログに集う理由は、相手をおとしめるのが目的じゃないんだし、何が正しいか正しくないか、なんて本当は無いんですよ

全てはひとつなんですから
Posted by ごん太 at 2011年04月11日 00:33
paoさん、失礼します^^;

阿部さんが言われるように、認めた時が悟った時ではないでしょうか!?

在り方を生きようとするならば、体感してその在り方を納得(認める)しなければならないと思うのですが・・・。

その時に初めて誠の在り方が出来るのではないでしょうか!?


・・・・・スイマセン回答になってないかも^^;
Posted by おわら at 2011年04月11日 01:05
みなさん、阿部さん、こんばんわ☆

阿部さんや向さんやみなさんが可愛くて可愛くてしかたがありません(≧▽≦)
なぜかはわかりませんけど、ぎゅーっ!!ってしたくなります☆
本当は地球丸ごと抱きしめたいんですけどね(笑)

この前の向さんとのコラボ講演の後、観世音の説明で向さんが体を使って熱く話してた頂いたことが忘れられなくて、向さんみたいにとても熱くマミーに語ってしまったことがあります。
そしたら、いきなりマミーが目を閉じて、黙りだしました。
ああ、こういうふうになったら返事すらしてくれないんだよね~とか思いながら、彼女が目を開けるまで黙って2~3分くらい待ってたらいきなり・・・、

マミー「あはははははっ!!!・・・そうなの!!あはははははっ!!!」

と壊れたみたいに笑い出しました。

私は突然のことにビックリして怖くて固まっていました。
すると彼女が「全てはひとつってこういうこと!私はいないってこういうこと!!私、分かった!!あはははははっ!!」と言ってやっと彼女が体験したことを理解しました☆
その2時間前は、「私はいないって考えると怖くなって思考が私はいる!みたいにしていないというのを次々否定してくる」みたいなことを言ってたのにね(笑)
人それぞれいろんなパターンがあって面白いわぁ(* ´Д`*)

それから彼女は楽になったみたいで、前よりも落ち着いた感じになりました。
ん~、ありがたいです( ´∀` )

その後はなぜか、私は向さんのことを話したいという熱が一気に冷めて、すぐに寝ました。
また、やらされた(操縦されてた)感じがありましたけど、それも全てプレゼントなんだぁ♪

難しいことはわかんないけど、自然とか全てはあるがままだし、全てはとてもとても愛されてるし、経験や体験するプレゼントを常に頂いている私達はとても幸せ者なんだと思います。

深刻になっちゃったらお茶でも飲んでほっと一息いれてくださいな( ^-^)_旦""
Posted by ナナイロ at 2011年04月11日 01:19
どんな人でも言葉にした瞬間に共感する人と反論する人が必ず出てくるのが

二元論(相対)の世界ですね。よく分かりませんが神様は人を不安にさせるよ

うな言葉ではなくてあったかくてホットするような感じではないかと思います。

そんないまここの阿部さんだからこんなにファンがいるんでしょうね。阿部さ

ん、向さんに会って話を聞いた事がありますが言葉に温かい想いや愛を感じ

ました。内面からにじみ出てくるものはごまかせない部分はあると思います。
Posted by 蒼天 at 2011年04月11日 05:12
>yu-ko kiyoharaさん

僕は、今まで世界平和や悟りを求めてきました。
でも、それは知識や想像だったんです。
悟りなんて、どこにもなかったんです。
僕にとって確実に在るのは、現実の自分だけ。現実の世界だけ。
だから、現実の自分や世界を生きるだけです。
僕の師匠や阿部さんのおかげで、そう気づきつつあります。
阿部さんは、悟前の修行について、それを明快に語っていると思います。

にもかかわらず、阿部さんは仏が仏の修行をするのが悟後の修行だなんて言います。

だから僕は、仏なんてどこにもいない、って言うんですよ。
仏とか悟りなんて忘れきってさ、自分自身に成りきることがすべてでしょ!って。

僕はね、悟りや仏なんて幻想から覚めたいんですよ。

阿部さんはね、確実に純粋な自分自身を知っていらっしゃると思います。
でも、純粋な自分自身を知っていることが、不純だと思う。
どんな素晴らしいものも手放さなきゃ。悟りへの執着を手放さなきゃ。
阿部さんのよく言う「精神の物質主義」ですわ。
でも、阿部さんはね、悟りを手放し切っていないと思う。
手放すことが真理だとは一応、理解していらっしゃるけど。
悟りを手放すことが、阿部さんの現在の修行なんだと思う。
そして、それが悟後の修行なんだと思います。

阿部さんはね、今までの僕と同じ問題を抱えていると思う。
「仏」なんていうきれいごとを言っちゃうんだよ。
「新しい時代の幕開け」とかね。

僕はだからね、「そんなの幻想だよ!」「そんなのキレイさっぱり忘れちゃえ!」って思うんだよ。悟りも仏も空も愛も新時代も手放しちゃえ!って。
それは僕自身に対しての言葉でもあります。

どんな美しいものもどんな魅力的なものも、全部手放し切ること。
ただ現実だけに成りきること。
それが最終的な修行なんだと思います。悟前の修行も悟後の修行も、結局、そこだと思います。
Posted by 現実の自分 at 2011年04月11日 05:46
〝いまあるがままの自分〟


比較・判断・評価は無用なのですね


そのまま ありのまま あるがまま


ありがとうございます
Posted by ponsun at 2011年04月11日 06:05
阿部さんおはようございます。
一つ聴いてもよろしいでしょうか?
先月の大震災で亡くなった人たちの魂も「あるがまま」なんでしょうか?
妻の両親と甥が津波に呑み込まれ、原発に近いため放射能により未だに遺体捜索も出来ません。
Posted by ひろゆき at 2011年04月11日 06:38
外苑の桜は咲き乱れこの頃になると、いつでも新幹線のホームに舞った見えない花吹雪思い出す

小さい頃は、神様がいて毎日、愛を届けてくれた〜
カーテンを開いて、静かな、木漏れ日の優しさに包まれたなら きっと〜目に写る、すべての物はメッセージ!
(^-^)/~~
Posted by tf at 2011年04月11日 07:01
前の方のブログを読まずに、投稿したため、失礼しました。m(_ _)m
Posted by tf at 2011年04月11日 07:18
昨日は初めて参加しました☆凄い楽しかった♪

はじめは、うわ、場違いかも〜!!と思ってなかなか入りずらくて一度通り過ぎました(^o^;

中に入ってからは全然気にならなくて、質問された女性の方と阿部さんのやりとりが面白かったです。

これからも瞑想続けてきます☆☆
Posted by ☆ at 2011年04月11日 08:03
ひろゆきさんがお尋ねされているように

今、日本に起こっていることと

ここで阿部さんがいつも言われている

「起こることが起こる」「すべては幻想」「人生はひまつぶし」「思考しない」
などなど。。。との関係を

どう結び付けて考えたらよいのかという質問が

震災以来、いくつかコメントされていたと思います。

それに対して、特にとりあげていらっしゃらないのも

阿部さんのひとつのお答なのかなとも思っています。

「なにが起ころうと」これまでとなにひとつ変わらないのだということを示しているのかな、と。

でも、一度お聞きしてみたいところです。

そういうことを考えようとするのが「思考のなせるわざ」というお答かな

とも思いますが、これについては「悟りを得ることができるかどうか」

という観点からではなく、悟ったにしろ悟っていないにしろ、今の現実

とどう関わるのか、という点からお聞きしてみたいです。

(チャリティをされているとかいないとか、という問題ではなく)

特にこの質問に対してのお答というかたちでなくてよいですが

今日本に起きている現実と「いまここ」を具体的にリンクさせてのお考え

をお聞きしてみたいです。
Posted by 失礼します at 2011年04月11日 08:12
>現実の自分さん
>僕はね、悟りや仏なんて幻想から覚めたいんですよ。
これはある意味において正しいと思います。「悟り」や「仏」は表す為の「言葉」だから。言葉にならないものを伝えるのに、どうしたらいいか解らない。自我は言葉しか受け付けないから。
言葉である以上、それは「幻想」だと思う。だけど「ある」これは、どう伝えるのか。。それしか修行なんてない。
Posted by yu-ko kiyohara(you) at 2011年04月11日 08:59
現実の自分さんへ


>悟りなんて、どこにもなかったんです。

それを知っているか 知らないかで 人生は、大きく 変わります。私の最近好きな言葉…

求めよ さらば 与えられん
たずねよ さらば
見いださん
扉をたたけ さらば 開かれん
Posted by ♪ at 2011年04月11日 09:11
死はただ死というできごと。
判断するのは人間

桜が満開になった。
判断するのは人間

事故にあった
判断するのは人間

あれはいい、これは良くない、それは嫌…

花や木や岩を見てみて
愛の中で安心してすべてをお任せして、すべてを愛している姿を…

人間を見てみて
孤独で不安な姿を…

もっとよく人間を見てみて
もっと自分の中を覗いてみて
そこには静かな愛や喜びが広がっているから…

そしたら世界をみてみるんだ
ただ起こる事が起き、どうにもならない事が起き、そして私たちは己を知る
Posted by しな at 2011年04月11日 09:16
自灯明

だからこのお話をされたんじゃないでしょうか?

自ら光っている人に、『どうやったら光らせられるんですか?』と質問されたら
自分ならどうするか。

光っている人に光り方は教えようがない。

答えは自分だけが持っている。

だから内側(光)を指さすだけなのでは?
Posted by ぷ~すけ at 2011年04月11日 10:13
阿部さん、みなさん おはようございます☆

今日はお仕事お休みなので、ゆ~っくりしてます^-^

人間の作り出した言葉というものは限度があるのじゃないかな。
本当は言葉とかでは表せない天国が自分達の中にあると思います。

人が話す、書く言葉ひとつひとつを自分の思考の中で考えてしまうのではなく、魂そのもので感じることができるといいですね。

全てを手放し切って、ただ今に在れば、そこには愛と平和と美しさだけが残ると思います。

どんな美しさも手放したいと思うのであれば、その美しさは自分の頭で考えたものであって、まだ全てを手放し切ってないってことではないでしょうか。

本当の自分とはきっと想像できない、説明できない、言葉にできない素晴らしいものなんでしょうね。

今日もいいお天気ですね。
本屋さんにでも行ってきま~す。
Posted by tomo at 2011年04月11日 10:28
ひとこと。

討論は争いではないと思います。 理解を深めるものと思います。
阿部さんの相手を思う大きな愛の中の討論なのだと思っています。
それをまわりからでも見させてもらえれば、まわりの人の理解も深まります。
仏教界では歴史的にもよくあったことです。
でもそれを決めるのは当人どうしですから、あるがままですね。
Posted by 由未 at 2011年04月11日 10:38
>おわらさん
 おはようございます。
ありがとうございます。いつもコメントは意見してます。

きっと私はこのブログでず〜〜っと同じ質問をしているかもしれません(笑)
>体感して在り方を納得して 認める。
それ以上のこと それ以下のこともないんでしょうか。
以前阿部さんが 「それとともい生きるという決断」が必要だと教えてくれた事がまりました。
もう一度本を読んでみたら 不安が(自我)が消えるわけでもなく 執着(自我)が消えるわけでもなくそのままで なにひとつ変えないでいいのだと。。。不安がくると 決断が ゆらぐのかもしれません。
ゆらぎようがないものなのかな。ゆらぐわたしを ありのまま愛することをスピカさんはおっしゃってたのかな。
ワンネス体感した方がご自分の言葉で確信をもって語るのが羨ましかったです。 私は自分の言葉が出てこなくて、誰かの言葉を引用したり、頭でかいてみたり。。。

おわらさん 「つながっている」ことを探すのでなく 感じてみるのですね。
あっそうか。。。自灯明でしたもんね。
自分の灯を探しても 見つかるわかないですね。けどその灯りを感じてあと、周りをみれば 景色は色鮮やかだったことをしるのかな。

おわらさん 信頼に関する気付きを ありがとうございます。
みなさまも 沢山教えられています。 ありがとうございます。
Posted by pao at 2011年04月11日 10:55
♪。・:*:・゜

おわらさんコメントくださってありがとう♪

わたしたちは、同じ文章を見ても視点がそれぞれ異なりますから、
文章を読んでどのように感じて経験するかは、それぞれが自由に選べますよね。

"自分は映像のなかの出演者ではなく、スクリーンそのものだと思えばいいのです。"

ということも実は、おわらさんの深い部分〜魂では既に理解していらっしゃるんですよ。
既に理解していることを、思考でどうして、どうしてと考えてみても
答えは出ないことをわたしは、経験上知っています。
知っていることを知ろうと頭を使って頑張ってみても(笑)答えは出ませんよね。
それよりも、しっかりと腑に落ちない部分があっても、なんだろうという状態の
ままで過ごしていると(別に思考でわかってもわからなくても、
わたしは魂では既にわかっているし、どちらでも素晴らしいわたしには違いないから。)
日常のふとした時にその答えが向こうから思いがけないタイミングで、様々な形として
それを思い出すヒントとしてやって来るんですね。

これが「ご自身の思考で考える必要はありません。
理解できなくてもいいので、この言葉を無理に変えたりせず
そのままの言葉のままで、感覚的に受け取ることが大切です。」
ということです。
みなさまに説明する機会をくださってありがとう♪

paoさん こんにちは コメントくださってありがとう♪

ワンネス体験については、阿部さんもおっしゃられているように
人それぞれタイミングも状況も違いますし、予測不能です(笑)

わたしの体験に限っていえば、自分が神さまからの言葉だと思っていたメッセージの
ほとんどが、わたしが神を感じたくて、思考でつくりあげた想像であるという
ことがわかり、<もう、神さまとつながっていることを体験できようが
できまいが、どっちでもいいや。体験してもしなくても、わたしが神さまと
つながっていることには変わりないから>
とあきらめて、自分が心地よいことばかりをして、好きなように心地よく暮らしていたら
体験がやってきました。
<体験したい>という強い願望が、完全にわたしから剥がれたときでもありました。
それでいて、神とつながっているということは信じて疑わない心の状態であったとも思います。

ワンネス体験者を羨ましいと思っている思考〜不足感を手放すこと。
体験をしようがしまいが、ワンネスという真実は
あなたの中に既に存在していますよ。あなたが、いまここにいるのだから。
ありがとう♪
Posted by スピカ at 2011年04月11日 13:34
スピカさん、極めて納得のいくご説明、誠に有難うございます^^

おそらくそれは、阿部さんの言う科学的? な説明をするなら、
深層意識下に在る集合意識又は全意識というものが、自己滅却して鎮まった顕在意識に、浮かび上がって来たという事なのかもですネ。
あたかも波立つ水面が静まり返り、湖底が映し出されるという事でしょうか。

要は、この波立つ水面をいかに鎮めるかなんでしょうネ。
スピカさんの言われるように自然に収まるのを待つか、それとも・・・・・。


普通私達はそこまでには(悟りの境地)至っていないので、そこまでを努力で歩もうとします。
例えば、かなづちの人がボートを漕いで湖に出るとします。
その時何かの弾みでボートが転覆し、必死になって反転したボートの底にしがみ付きます。
しかし、体力が尽きて来てしがみ付いている事が出来なくなった時、死を覚悟してボートから手を離します。
体が水に沈むや否や・・・・・? ? ?
その時になってようやく彼は、湖の底が浅いのに気づきます(笑)

湖の底を悟りの地とするならば、おそらく彼は体力のある内は底の浅いのに気が付かないでしょう。
すぐ下が悟りの地だというのに・・・。
ゆえに、体力を完全に使い切って努力無効と悟った時でないと、そこへは到達出来ないのだと思う次第です (><)

スイマセン屁理屈ばかり申しまして^^;
愚かなボヤキを聞いて頂き有難うございました <(_ _)> 
Posted by おわら at 2011年04月11日 22:14
>おわらさん
>例えば、かなづちの人がボートを漕いで湖に出るとします
この例え話で間違っているのは、おわらさんが自分の「思考」が「かなづち」だと例えている事。まだ泳げない・・けれどいつか泳げるようになると思ってる。だから「今」溺れたくない。
もう一つ「湖の底は浅い」と例えている事。おわらさんの思考は溺れてみたら「分かる」と思っている。答えを言えば「湖の底は浅くない」足なんかぜ~んぜんつかないよ♪
Posted by you at 2011年04月12日 04:46
youさん、遅くなってすみません。
ほとんどの方はもう関係なくて見てないのかも知れませんが・・・・・
でも私的にはここを避けては、もう自分がこちらに顔を出すことが無くなるかもと思ったりして^^;

youさんの言われる事は解るつもりです。でもあえて意見は控えたいと思います・・・・・スイマセン。
そしてまた、こちらの一方的なおしゃべりになるとも思いますが・・・・・ホントニスイマセン^^;

述べたい事が色々と有るのですが、敢えて一つだけ述べさせて頂きたいと思います。
次のページのコメント欄にも書いたのですが、おそらく誰も意に介さなかったと思います(笑)
何度も書くつもり無かったのですが、youさんのコメントに乗じて書かせて頂きます。



私達が何かをする時(行為)には、そのもの(行為)と同一化しているのだと思います(敢えて言うまでもないのですが^^;)。
その時には行為に自分が没入して、自己を見失ってると思います。
和尚ラジニーシは、それを行為に染まると言っています。
ならば、行為に染まる(行為者になる)ことがないように、行為を止めれば良いのですが、息をするのも一つの行為で、考える事も一つの行為なら、生きてる限り行為はしなければ成らないと思います。

そこで、クリシュナムルティは行為の観察を勧めます。
それが難しければ、阿部さんは行為に心を込めよと言います。
心を込める事によって行為だけが意識されたなら、そこには行為のみが有り行為者はいない。
その時こそ、行為との同一性から自由になれる。このように阿部さんは言われてるのだと思います。
でも、私的に言っちゃって良いなら、それもまた私の様な者には、非常に難しくも感じられます^^;

ではどうすれば・・・・・??
イーシャ『ウバニシャッド』は、舞台で演技してみる事だと言います。
朝の起床を演じ、おはようを演じ、朝の食事を演じ、周りに不幸が訪れた時には心に悲しみを演じ(ToT) 、絶景を目にした時には心に感嘆を演じ\(◎o◎)/! 、宝くじに当たった時には心に喜びを演じる\(~o~)/。
スピカさんの言われたように、それを演技してみる事。
そのように、自覚しながら演技をするならば、そこに行為者はなくただ行為が在るのみ。
苦しみにも悲しみにも、もはや染まる事は無くなる。
そして私達は、諸々の煩悩のまま日常を生き、そして目覚めている。
あとはハプニングが有るのみ(爆)


もしもそこで、あたかも映写機で撮られてるかのように思って演技するなら、行為に心がこもって一足一手に注意が行き届き、そしてそれが優雅な行動と成って、ビバッサナー観想に変わるのではないでしょうか(^^)/


腰痛めてるのでこの辺で(>_<)/イタッ
Posted by おわら at 2011年04月13日 00:30
すいません、忘れていました^^;

スピカさんyouさん、たいへんお世話になりました。
誠に有難うございます<(_ _)> ヒラニ
Posted by おわら at 2011年04月13日 00:39
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