2009年11月02日

需要と供給

今日も、感じるままを書いてみます。


「愛されたい」

「認められたい」

という想いを持つことはありませんか。


いちいち自覚していないだけで、こうして生活していることの根底に流れている欲求かもしれません。

それは誰かにあって、誰かにないというようなものではなく、僕達に共通している要素ではないでしょうか。


自分は人に与える為に生きているつもりでも、実際にはそんな自分を承認してほしいだけだったと気づき、愕然とすることもあります。

それくらい、その衝動は強く僕達の心を支配しています。


それは自我の渇望です。


誰もが自分の自我を満たすのに必死です。

他人の自我を満たす余裕などありません。

誰もが、まず自分を愛し認めてほしいのに、そんな人達の中で愛や承認を求めていることは馬鹿げています

供給者が極めて乏しい世界で、需要ばかりが高いときているのですから。



そんな世界で認められるために、ひとかどの人物になろうとして、頑張っている人もいます。

多くの競争相手を打ち負かし、一番になれば、その時初めて満たされるだろうというわけです。



でも本当は、最初の最初から満たされているんです。

誰に承認されなくても、誰からも愛されなくても、すでに僕たちは全員、存在全体から受け入れられ、存在全体から愛されています。

でなければ、一瞬たりとも生きてはいられません。


すでに自分は十分だという気づきが、ほんの少しでもあれば、あらゆる比較や競争から自由になります。

物乞いの人生から、祝福の人生に変わるのです。


それは何かを得たり、何かを達成したりして起こることではありません。

自分の絶え間ない欲求の馬鹿馬鹿しさを見抜いた瞬間に訪れる祝福です。


「なーんだ、最初から自分はOKだったんだびっくり!



そうなれば、こうして生きていること自体が喜びになります。

歌い、踊り、感謝し、瞑想することが、人生の目的になるのです。

何かになろうとするのではなく、いまの自分が結果になります。



その時、初めて本当に人を愛せるようになります。

その時、初めて本当に人を認めることができます。



それがいまを生きるということです。

それは、いま自分が満たされていることに気づいているということです。




こうして何かを書くことで、僕自身が大切なことを思い出させてもらっています。

このような機会に感謝します。





今日もここに来てくれて、ありがとうございました。





・・・・・・・・・・




【お知らせ】


土曜日の「名古屋いまここ塾」に、若干名のキャンセルが出ました。

受付は終了しました。



日曜日の「広島」も受付中です。



Posted by Toshiro Abe at 08:21│Comments(47)
この記事へのコメント
おはようございます♪
那覇のライブは盛り上がったことと思います^^
秋葉原のライブを思い出しては浸っています♪
以前は私も認められたい!ってずっと思っていました
でも最近は阿部さんのお話を毎日聞いているうちにそんな思いが少しづつ消えていくのを感じています
「安心していいんだよ♪」そんな風に思えてきたら 比較や競争の世界にいるのはただ疲れるだけだって思えるようになりました
自我がいろんな声を掛けてきますが 気にしないでいいんだあ~!って思えます
だってこの世は自分の作った幻想なんですものね
比較や競争の世界に居るのも自分の決めたことなら 私はもういいや~!って決めました
今日も心配しないで楽しくいきますね♪
ありがとうございました♪
Posted by sunday at 2009年11月02日 08:43
おはようございます。
今日のコメントにドッキリ!!
私達はまず自分が満たされてから人にやっと目を向けられるぐらい自愛が強い者です。
マザーテレサみたいにはなれません。
私の目標は阿部さんです
朝からまとまらなくてすいません。
Posted by ちびた at 2009年11月02日 08:47
新しい月に入るだけでどうしてこんなに幸せなのでしょう。そして、この月が終わりに近づくと次の新しい月を迎えられる喜びに一喜一憂してしまいます。もしかすると私は、夜がふけて朝が訪れるだけで喜びを感じていられるのかもしれません。皆さんが新しい年を迎えられるその「特別」な時間と同じ気持ちを毎月、毎日味わっている‥ということに気がついたのはゆうべ。\(^ー^)/

すると今朝の珈琲をいただく時の珈琲の味、遠くに見える墨絵のような山々の景色、風に揺れる木々‥のひとつひとつに感謝せずにはいられなくなる‥
私の人生はまだ最終章ではないのに、私に出会って下さった方々ひとりひとりに、お礼を伝えたいくらい(笑)

「いまここ塾」に来て、毎日阿部さんの意識が私を充電させるかのように、乾いた心に潤いを持たせてくれたおかげですね。
その安らぎは、優しくなる私に大きな愛をふりかけ、ますます私は愛に満ちていく。

ガイアシンフォニー(ドキュメンタリー映画)の第四番出演の版画家ナカボクネンさん(沖縄在住)の言葉に「幸せはどれだけ使っても減りません」

その言葉を実感しております。
Posted by katsuko at 2009年11月02日 08:51
阿部さん、おはようございます。
そして ありがとうございます。

昨夜、祝福をいただきました。
全ては 私でした。
そして、私の細胞の一つ一つも それぞれが命そのものでした。
全てが 祝福の中で ただただ喜んでいます。

全く何の文句もありませんでした。
全て完璧でした。
『ありがとう』でいっぱいになりました。

阿部さん、たくさんのきっかけを ありがとうございます。

私達みんなは愛そのものですね。
ただ、咲き続ける。
それだけでいいんですね。
そして、それしかないんですね。(笑)
Posted by saku at 2009年11月02日 09:02
私は、ないです。愛されたいとか、認められたいとか、思った事 何だか、ちょっとした事が、嬉しくて…
Posted by 日向 at 2009年11月02日 09:05
まさに、つい最近までここに書かれていることと同じ事をやっておりました。
私の場合は、ずいぶん過去にさかのぼります。

「母に愛されたい、認められたい」その思いは激しいものでした。一番になることで認められると思い込んでいたのに、母の早い死によって、その思いは叶わないまま、ずっと今まで引きずってました(私いい年なんです)

自我がみたされたい。その想いだけの半生でした。長かったです。

こんなに頑張っているのにどうして幸せ感がないんだろう。生きてるのが苦しいんだろう。おもしろくないなぁ’なんて、ず~っと想ってました。

ブログでシャラ・ムーさん、津留晃一さんにであったころから気づくようになったと想います。どんどん気持が軽く、あかるくなり嬉しくなってきました。

そして、ミクシィとの出会いで、阿部さんに会うことができました。一気に目覚めが加速して行ったように想います。

自分を好きになり、愛せるようになるって楽しいです。自然と、他の人にも想いが行くのです。苦しみがなくなってきます。

全ての全てに祝福がありますように!!!!
Posted by 羽廣晶子 at 2009年11月02日 09:05
「 物乞いの人生から、祝福の人生に変わるのです 」素晴らしい!この表現。

敏郎さんのメッセージ 大好きです!
読んでいるだけで しあわせを 感じられるのです ♡(。→ˇ艸←)
Posted by のいちご at 2009年11月02日 09:27
おはようございます。
>物乞いの人生から、祝福の人生に変わるのです。
>自分の絶え間ない欲求の馬鹿馬鹿しさを見抜いた瞬間に訪れる祝福です。

最近すごくそれを実感しつつありました。
お勧めしたいと思うことと、自分の欲求を満たしたいということは紙一重なんだなと。
どちらにせよ初めから完璧だし、エゴにまみれて経験中の人に、押し付けること(そのつもりはなくても)はできないんだなと。
でもその人が自分で選択することができるようにと情報を発信することはできると思うし、阿部さんや色々な人たちが発信して下さっていて私はありがたかったです。
受け取る側も、もっとわかりやすく教えてと言う前に、他力本願や甘えや依存ではなくもっと自分で考え悩み探すことが必要だと思う。
『わからない』ということはそういうこと(わかるまで経験するということ)だと思うから。
誰にも『気づかせる』ことはできない。
自分で『気づく』しかないのだから。
発信して下さっていることに対して私は感謝しかありません。
私の言いたいことを阿部さんの場で書いてしまいすみません。
不適切でしたら削除して下さい。←これもエゴ(笑)
Posted by うめ at 2009年11月02日 09:34
阿部さん、皆さんおはようございます。

今日の記事、ドキッとしました。

思えば周りの人から褒められる為だけに頑張ってきました。
そういう生き方って、結局くたくたに疲れちゃうんですよね。
自分の人生なのに、全然楽しめなくって。

周りを冷静に見渡せば、自分だけでなく、大人も、友達も、
みんな他人に認められたくて一生懸命です。
どんな人も根底は同じなんですね。


まだまだエゴに操られっぱなしの私ですが、
人の汚い所も、少しは優しい気持ちで
受け入れられる気がします(^0^)
Posted by モクレン at 2009年11月02日 09:35
マイナスと思える状況であっても、フラットでいられる自分に気付きました。

 こころの中が感謝で満たされていて静かな感じ。。。

 目に入るもの全てに感謝です。

 
 \(^ ^)/
Posted by yui at 2009年11月02日 09:57
確かに、愛されようと、認められようと、
迷走してきました。いまでも、もちろん、
愛と承認を感じなければ生きていけないかも・・。
形をかえて、やり方を変えて、やっぱり求めながら
日々生きています。おろかなのは分かっているけど・・・。

そういうあり方の問題点を、たまにはたちどまって、
考えてみることも必要だと思いました。
Posted by eyu at 2009年11月02日 10:25
おはようございます ^^*

  あるがままに。

  なすがままに。
  
  いのりのままに。


需要と供給のバランスが大事ですね!!

 愛と感謝をこめて☆
Posted by 一草一花 at 2009年11月02日 10:27
阿部さん、こんにちは。
そして、ここに辿り着かれている方・・・こんにちは。

何かの記事で読んだのですが、全ては最初から成されている・・・

人は、自分自身で生きているのではなく、生かされているという事実は
ハッキリしていますね。

人が生きるために必要なものは、
この世に生まれ出た瞬間から与えられているということは、本当に凄いことだと感じます。

しかし、そんなことは忘れて、わかって欲しい認めて欲しいとそんなことに
一所懸命ですね。

そうして挙句の果ては、比較したり、裁いたりとそんな人生を
いつの間にか送っていることにさえ気づきません。

今、ここというシンプルな生き方、阿部さんが言われるように
全ては元々与えられていて、不足しているものなど実は無いのだと、
本当にそう思えた瞬間に満たされるのでしょうね。

自分とは、普通今までだと、自我の自分だったんですね。
自我の思う壺にはまって生きてきた・・・

元々最初から全ては揃っているとストンと落ちるまで、
自我的生活は続くのでしょうか。

決して自我を、エゴを悪いとはいいません。

ありがとうございました。
Posted by hiro at 2009年11月02日 10:35
阿倍さん 今日もありがとうございます。

本当に阿倍さんのおっしゃる通りですね・・・。

人に愛されたり、認められたりしなければ、自分には存在価値がないかのように私も以前は感じていました。

でも、阿倍さんのブログに出会って、

「自我」は「真の自分」ではない ということが分かって、本当に楽になりました。

「自我」を自分だと思っている間は、自分を愛することは難しいですよね・・・。

今は日々穏やかな気持ちで過ごせることが、本当に幸せだなと感じています。
Posted by リズ at 2009年11月02日 10:39
すごく、感動、しました。
Posted by moon at 2009年11月02日 12:06
今日のお話はまさに
ヒットです。


だけど最近の私は
自分を認めていますが
どこに行っても同じだ
自分は廃人だ
世の中は愛なんか
なくて嘘ばっかだ
結局みんな自分が一番


そんなひがみみたいな
考えが浮かんできます。
きっと心や生活に余裕が
あるからでしょうね。

きっと誰かに必要とされていたいのかな
Posted by 禅道 at 2009年11月02日 12:25
いま、わかる側には、わたししかいません。
愛されたい、満たされたいは、これからも尽きる事なく、沸き上がると思いますが、そのたび、ここに戻ってこれたらなあ、と思います。

今日も、あざーす。
Posted by わたあめ at 2009年11月02日 12:32
こんにちはー!
わたしたちは愛そのもので
溢れるほどの喜びに満たされている
ということを実感する、
それが生きるということですね(^^♪

今まで辛いことがとても多かったように感じましたが
その時も絶えずその歓喜の中にいました^^

優しさをいつもいつも、
ありがとうございます☆☆☆
Posted by tomatoma at 2009年11月02日 13:03
 みなさんのコメントを読んでいて、
 「愛されようと、認められようと」、振る舞うことから卒業している方が、
 けっこういることにびっくりしました。

 私はまだまだ、「愛されようと、認められようと」しています。

 愚かなことだとも思います。

 でも、
 それが私の今生の課題とも思います。

 愚かなことかもしれないけれど、
 自我くんと二人三脚で、
 今日もがんばります。
Posted by 博文 at 2009年11月02日 13:26
目覚めるまで
「気付く」までは
「本当の愛」を知らないということなら、
まず自分を愛する、というのは
どうやってできるのでしょうか。
目覚めぬままで
どうやって愛を感じればよいのでしょうか。
「気付く」その瞬間まで
人生で愛を感じることはないのでしょうか。
Posted by みなも at 2009年11月02日 13:49
こんにちは

笑うしかありません。

苦笑いが悟りの笑いとなるよう
自分と向き合っていきます。

今日もありがとうございます。
Posted by ji at 2009年11月02日 15:21
阿部さん

昨日、ブログの更新が無かったのは

何かあったのですか?(笑)


み~んな幸せになりましょう!


黒木元広 拝
Posted by 黒木元広 at 2009年11月02日 16:26
みなもさん

>目覚めるまで「気付く」までは「本当の愛」を知らないということなら、まず自分を愛する、というのは、どうやってできるのでしょうか。


とてもいい質問ですね。

もしこのことにご意見をもらえたら嬉しいです。

みなさんも一緒に考えてみてください。



黒木さん

昨日は有給をとらせていただきました(笑)
Posted by Toshiro AbeToshiro Abe at 2009年11月02日 17:29
~しなければ。
~できない。
~がない。
これらの制限が自分をおとしめて 自分自身を受け入れられなかったです。

この意識がとれたら、愛されたい、認められたいという自我も少なくなったような気がします。

制限がとれたら、すべてを受け入れられ、感情的にならなくなりました。

ありがとうございました。
Posted by 水 at 2009年11月02日 17:57
それは良かったです!

有給休暇ですね。

たまには、1日リラックスしないと(笑)

黒木元広 拝
Posted by 黒木元広 at 2009年11月02日 18:01
意見です。

自分が否定する自分を過去も
含めて受け入れることではない
でしょうか?

なにが起きたにせよ、それが
自然の流れだったと。

自分がそれを認められれば、
まわりの生命体にも、同じ事が起きて
いると思えると思います。

まぁ、幻想だったみたいですけども。

目覚めていない未熟者ですが、
無知を知るために。
Posted by Ji at 2009年11月02日 18:23
「誰もがすでに目覚めているし。あるのは本当の愛だけ。」

これを、無理やりでも認めて(笑)、各々が、好きなことを好きに愉しんでいれば、

結果的に、自分を愛していることになるのではないかな。

(違ってたら、ゴメンチャイ。)
Posted by よしよし at 2009年11月02日 19:40
こんばんは 。

 ”自分を愛するには・・・”  ということですが、一言でいえば、自分自身を大切に想い、正直であることでしょうか。

私の場合は、自分の喜ぶことと、人に喜ばれることを意識に置いて今まで来た様に思います。

自分のやりたい事は可能な限りやらせて頂きました。(あれもこれもではなく、無理の無い範囲で一つずつ)
わりと直観どうりに動いていたようです。
やりたくない事に関しては、支障の無い限りやりませんでした。

マイナス感情想念もそのまま受け入れ、出来るだけポジティブに捉えられる様にだんだんとなりました。

人間関係においては、相手方に迷惑のないよう、出来る範囲で必要なことをする。家族においても同じです。

さっさと出来ないので、ゆっくりなテンポで、無理のない様、一つずつ楽しみながら過ごしています。

3人の子育ても色々ありましたが、親も共に育てられているという想いで、楽しんでいた様に思います。

私は母と8歳のときに死別していますが、いつも思いますことは、すぐ側に必ず援助者がいてくれるということです。人ばかりではありません。目に見えるもの、見えないもの万物が必要な時にはいつでも手を差し伸べてくれているのです。

4年前には愛する夫が他界しましたが、その時も何か(神)に強く見守られていることを感じていました。

だから何があっても大丈夫と信じられるのでしょう。

阿部さんの毎日のメッセージで再確認をさせて頂いています。
阿部さんいつもありがとうございます!!

25年ほど前に”世界人類が平和でありますように”の祈りに出合えました事も、必然なのでしょうが、これから先も私に出来ますことは心をこめてやらせていただきたいと思っています。

大変長々と失礼いたしました。

阿部さん初め皆さまとのご縁に感謝申し上げます ☆
 
Posted by 一草一花 at 2009年11月02日 20:41
愛され・・・たいですねぇ。。

優しさだとか、気遣いだとか、笑顔だとか、
いろんなハウツーを頭に入れて努力しても、それって付け焼刃でしかなくて、
動機としてやっぱり、根底にはあるがまを愛されたいがあるんですよね。

ただ、たたずむだけで愛されてしまう赤ちゃんに惹かれます。

あ、大いなる愛からみたら、私達はみんな赤ちゃんなのか。

でも、大いなる愛を感じる経験をしていない私は、
やっぱり目の前の人、仲間、同僚、友人、家族、恋人、みんなからのわかりやすい形での愛を求め続けてしまいます。

あぁ、愛されたい(笑)
Posted by あかい at 2009年11月02日 21:14
はじめまして。
最近阿部さんの言葉に出会い、ここにたどり着きました。
ブログをたくさん読ませて頂きました。
まだ覚醒出来ず、今日も正に『愛してほしい』状態に陥り、好きな人にぶつけてしまいました。
昨日まで『すべてなるようになる。あるがまま。』と思っていたのに…。
自分を愛すればいいと思っていても、長年の『愛してほしい』気持ちが抜けません。
みなさんのように早く素敵な報告がしたいです。

今日の言葉があまりにもタイムリーだったので、思わず気持ちを吐き出してしまいました。
長文、お許し下さい。
Posted by にこ at 2009年11月02日 21:32
みなもさんへ。

自分を愛するということ
その方法
他人と比べないこと
他人と比べて「ここがこう」「あれがああだから・・・」
そうして自分を愛せない人っているかもしれませんね

きちんと
自分が自分だけをしっかりと見てあげる

と、
偉そうに書き込みしましたが
これは私の家族からの意見です^^;
(ちなみに、家族はスピリチュアルに一切興味無し)


実は私も
「自分を愛する方法」が長くわかりませんでした
で、その時の私の答えはそのままでいいや(笑)
そうして、ひとつひとつを丁寧に生きてみました

季節の変わり目を愛でるとか
生きているそのものに感謝してみるとか。些細なこと。でもその些細なことって奇跡だとも思っていました。
でも、それはそれ、こらはこれで、自分を愛せなかったな~~~^^;

愛するってそのことを
難しく考えないで
生きているだけで(死んでも)
いつでも
自分は愛そのもの




愛せないって
自分も
愛そのものなんです

>目覚めぬままで
どうやって愛を感じればよいのでしょうか。
「気付く」その瞬間まで
人生で愛を感じることはないのでしょうか

目覚めても目覚めなくても
愛は感じられると思います

大雑把なんですが
生きてること自体
愛そのものなのですもの。。。。

すみません
きちんとした答えになっていませんね

他の方のご意見を読むのを楽しみにしています^^

いい機会を与えてくださって
ありがとうございますm(--)m
Posted by 名無し at 2009年11月02日 21:47
自分を愛するとは・・・感謝を忘れないことだと思います。
自分にとって不都合、都合の判断をせず、事実を受け入れる。

昼間、父と喧嘩をしました。
父は自分が「正しい」が強い思考の持ち主です。
子供がへそを曲げるのと違って、とても長期間、怒りを手放さず、
そして何年前のことでも、少し前のことでも、今起こったことのように話を持ち出しては、
自分が正しく、私は間違っている、と主張します。
そんな父に少し前までの私は苛立ちを隠せませんでした。
それ以上に呪ったことも死んでしまえばいいと思った頃もあります。
しかし、そんな父のおかげで私は自我を手放せています。
自分も今まで、どれほどの人に怒りを与えきたことかと思います。
そんな自分を許してくれた人がたくさんいます。
そのおかげで今の自分がいます。
感謝以外のなにものでもありません。
父も「正しい」を通すことで自分の位置を確保していると錯覚し、
弱さや恐怖を隠しごまかすことに必死だとわかりました。
怒りにまかせた言動は幻想です。
事実は恐怖をごまかしている父、です。

だから私は父にムッとしても怒りに到達する前に手放す方法を知りました。
父が恐怖を手放すまで待つことにしたのです。
それは忍耐とは違います。

生きている、息をしていられるだけで
本当におかげさまの感謝が湧いたとき、
気づいたら今の自分を受け入れ、愛していることに気づきます。
そう思えた瞬間、ただただ楽しいです。
人間には喜怒哀楽があります。
しかし、どれも過ぎなければ必要な感情です(過ぎたる感情が自我ではないかと思います)

そしてそれもおかげさまで、やはり感謝です。
どうしたって感謝です。

目覚めた目覚めていないは正直、判断している内は真理ではない気がします。
心からのごめんなさいと、ありがとう、
これが使えたら何もいらないのではないでしょうか。
それが結果、悟りであり、目覚めだと思います。
遠いかなたにそれはなく、それはいまここで実践しえる最高の魔法です^^

こうして書き込みをさせていただける環境、
そしてやはりいまここに息していることに心からに感謝です。
Posted by 麻美 at 2009年11月02日 21:58
僕もそう感じることがよくあります。
誰かになにかをして「あげた」後に、落ち着かない気持ちになった時は、「求めて」いたんだな、と感じます。

何者にもなろうとせず、いまの自分を受けとめる自分でありたいと、僕も思います。

今日も素敵なお話をありがとうございました。
Posted by ウロッチ at 2009年11月02日 22:21
こんばんはー^^
私は自分を愛すること知ったのは、
100%無条件の愛、神を知ったときでした。
それまでは、条件付の愛というか、
無意識に自分の定めた目的をクリアしている自分を感じたときに
認めていたという感じです。
そうやって育ったかもしれませんし、もちろんその時は
こういうやり方が自分を愛していると思っていましたけど・・
自分を愛すると言う事を単に、知らなかったのかもですね。
自分が今、そうだと思う、感じるように、愛してみる・・
んー(^^ゞ 答えになってませんね。。
Posted by tomatoma at 2009年11月02日 22:45
自分を責めない事

かな?と思いつきました。
Posted by Fam at 2009年11月02日 23:55
>まず自分を愛する、というのは、どうやってできるのでしょうか。


丁寧に呼吸をしてあげる、というのはどうでしょう?

呼吸をちゃんと意識して、丁寧に…。



あ、結局、これって瞑想みたい(笑)


阿部さん、今日もありがとうございます。
Posted by 2・くー at 2009年11月03日 00:33
>目覚めるまで「気付く」までは「本当の愛」を知らないということなら、まず自分を愛する、というのは、どうやってできるのでしょうか。

『自分は自分を愛している』と、認めて受けいれること。かなと。

どうやって自分を愛すればいい?と思っているということは、自分を愛したいと思っている(愛している)ということだから。

そして、気づいても気づかなくても、何も知らないことなどないし、本当の愛も既に知っていて忘れているだけ、それ以前にすべては愛でできている。自分も愛でできている。それを認めて受けいれることかなと思います。
Posted by うめ at 2009年11月03日 00:54
それが、ずっとずっとできないでいることが苦しい。。。
ごめんなさい。あべさん。。。
Posted by りんたろう at 2009年11月03日 02:36
はじめまして、安部さんのブログを2年前くらいから見させてもらってる者です。

安部さんのいう、いまここに気づきたいと強く思う自分がいるのですが、


ん~。うまく表現するのが難しいんですけど、私が中学生くらいの頃、ふと

思った事がありまして。今自分という意識があるけど、この意識が無くなったら。

どうなるのか・・・。あの世の世界とかじゃなくて、たしかに今感じてる、思ってる、

生きている、みたいなこの感覚が無くなったらみたいな・・・


また逆に今感じている自分って、生まれるまえはどうだったんだろ?

みたいな。よく輪廻的な話がありますが、地球が生まれる前の自分って

どうだったの?今確かに自分を感じてるのにその時俺どうだったの??みたいな。

そして今後、今の自分が看取られたあとってどうなるんだろ(霊的な世界ではなく。)

そう思うと、なんだか今とは違う世界に永遠に生きつづけるのが逆に息苦しい気持ちになった事を思い出しました。


でもいまさらですが、安部さんのいう目覚めはそういう不安を吹き飛ばして
しまうんですよねー^^

自分を思い出せるように意識していきます!
Posted by あらふぉー男子 at 2009年11月03日 02:38
変に思うかも、知れないけれど…私は、小さい頃から大いなる物と生きてきました。いろんな事を見せられる度、神様から、選ばれて 生まれてきたのだと、思ってました。守られ愛されて、生きて来ました。私の役目は、愛こそ全てだと言う事を伝える事だと思っています。時がくれば、そんな話しが出来る人と逢えるような気がします。
Posted by 日向 at 2009年11月03日 02:52
何か考えたり、行動を起こしたりするときに

①自分自身のためになる

②周りの人のためになる(家族、部署、会社、etc.・・・)

③全てのもののためになる

以上、3つをクリヤーしていれば

自分を愛せているのではないでしょうか?


み~んな幸せになりましょう!(笑)


黒木元広 拝
Posted by 黒木元広 at 2009年11月03日 08:02
みなもさんの問いは 私も同じように持っています

気付きがなければ 愛を感じられない
愛を感じられなければ 気付きはない

これでは 堂々めぐりで出口がない… と

最近は 気付きがないこと 愛を感じられないこと
これらの不足感によって 新たな苦しみを生んでしまうくらいなら
気付きも 愛も もう求めるのなんか やめてしまえばいい
と そんな諦めに似た呟きが聞こえつつ…
一方で自我の渇望を感じています

子供は大人から愛を与えられるけれど
大人はどこから愛を与えられるんだろう?
どこから愛を汲み出してるんだろう?

それが 子供の頃からの疑問でした
Posted by bee at 2009年11月03日 11:13
貴方は、全ての物に100%の信頼がありますか?それが、愛だと思います。
Posted by 日向 at 2009年11月03日 12:37
自分の名前とか体とかを脱ぎさった時
自分が愛で出来ていることがわかると思います。

「おお!俺って愛で出来てるじゃん!」ってね(笑)

全部脱いじゃいましょ♪
Posted by かるら at 2009年11月03日 12:38
うっ!!誤解されるかも。。。

↑の
「おお!俺って愛で出来てるじゃん!」の時に俺はいません♪
すべてはひとつです♪
Posted by かるら at 2009年11月03日 13:25
えっと、まず初めに私が「自分で自分を愛するために」したことは、自分で自分に言葉がけをすることです。
自分の内側にもう一人の小さな幼子の自分(いわゆるインナーチャイルド)が居ると見たてて、その子に対していつも(独り言のように)言葉をかけてあげるのです。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」「あなたのせいじゃないよ」「よしよし」「よくできたね」「じゅうぶん、じゅうぶん」「とっても素敵」「私がそばにいてあげるからね」「安心していていいよ」等々、自分が欲している言葉を(他人や外側に求めるのではなく)自分で自分に言ってあげるのです。
決して自分を責めるような言葉をかけてはいけません。
初めは口先だけでもいいです。心が伴っていなくても。
とにかく徹底してやってみるのです。

「自分で自分に言葉がけするなんて気恥ずかしい」と思うかもしれませんが、とにかく習慣にしてみる。

やがてそのうちに普段の心持ちに変化があるのが実感として分かります。

これは私が学んでいる心理セラピーの一貫で習慣づけすることなのですが、是非おすすめです。

私はまずこの方法で「自分で自分を愛する」ということが何たるかを知りました。

参考になったら嬉しいです。
Posted by 咲良 at 2009年11月03日 15:17
阿部さん、皆さんこんばんは。日付が代わってしまいましたが…(^_^;)

私も咲良さんの仰るように、インナーチャイルドの癒やしから入り、自分を愛する事が可能に成ったと実感しております。

トラウマの原因を回避出来なかった、幼稚で無知な幼い過去の自分を、「あの時あなた(自分)に出来る事は何も無かった。だからこれ以上自分を責めるのは止めなさい。」と語りかけ、その後ようやく自分を許す事が出来て、初めて自分を愛しく感じる事が出来ました。

自分を好きになれない、自分を愛せないと云う方は、インナーチャイルドの癒やしに関する本を数冊、じっくり読む事をお薦め致します。

私の場合は魂が震えて、涙がダバ~っと溢れて止まらない経験をしました。(T^T)

インナーチャイルドとは、恐るべき存在でした!( ̄口 ̄)
Posted by 紫色の火星人 at 2009年11月04日 00:23
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