2008年03月19日
ある尼僧の証言
何か事件が起きた時、僕たちはその出来事の概要をニュースで知りますが、そこでいったい何が起きているのかということを、肌で実感するまでには至りません。
ここにガワン・ワンドゥンさんという一人のチベット尼僧の証言があります。
彼女がデモで逮捕された当時はまだ15歳でした。
少し長いですが、ぜひ最後まで読んでください。
・・・・・・・・・
シェーラブ・ンガワンが亡くなってから、もう何年も経つけれども、1日たりとも彼女のことを忘れたことはありません。
彼女は、わずか17才でこの世を去りました。
私はメドクンガという小さな村で、1977年に生まれました。
メドクンガは、チベットの首都ラサからバスで4時間程離れた貧しい村です。
村人は、わずかな家畜と痩せた畑からできる農作物より生計を立てています。
畑には大麦を植え、それを炒った麦焦がしが私たちの主食でした。
村には学校が1つだけありました。
3年間の初等教育を学ぶことができましたが、子供たちは幼いころから、家畜の世話や農作業を手伝わなければならなかったので、学校に通える子供はわずかでした。
私は、14才の時にラサのミチュンリ寺にて出家しました。
1991年のことです。
シェーラブ・ンガワンも同じ年に出家しました。
確か彼女が13才のときのことだと思います。
ラサには割と大きな尼寺が5つほどありますが、当時、すでに多くの尼僧たちがチベット独立のデモに参加し、逮捕されていました。
デモに参加すれば、懲役を受けるのはもちろんのこと、拷問や厳しい強制労働を味わうはめになることは、みんな承知していましたが、それでもデモに行く者は絶えませんでした。
私たちの寺からも、多くの尼僧たちがデモへと繰り出し、そして逮捕されていきました。
私もいつの日にか、デモをすることがチベット人として当然の義務のように感じるようになっていました。
1959年、ダライ・ラマ法王がインドに亡命してしまうと、中国はチベットを巨大な強制労働キャンプへと変えてしまいました。
何万人、いや何十万人といた僧侶たちは、すべて監獄へと放り込まれ、家畜以下の取り扱いを受けました。
そして、実にチベット人の5分の1にあたる120万もの命が、拷問や餓えによって失われていったのです。
1980年、毛沢東が亡くなるまで、チベットには1人の僧侶もいませんでした。
それどころか、僧院のほとんどが壊されてしまっていたのです。
1980年、政権が変わると、多少の宗教の自由が認められ、寺の再建が始まりました。
生き残った僧侶たちが、ようやく寺に戻って来ることができたのもこの年でした。
でも、宗教の自由とは名ばかりでした。
出家者は厳しく当局から監視され、出家者の数も制限されていました。
私たちの唯一の心の支えであるダライラマ法王への信仰は固く禁止され、代わりに共産党教育の講義を寺で受けねばなりませんでした。
全ての利権は中国人の手に握られていて、チベット人は自分たちの国であるというのに、中国人の許可がなければ、移動することですらままなりませんでした。
1987年9月27日、デプン寺の僧侶たちが、ラサで初めてのチベット独立要求のデモを行うと、次々にデモが続くようになりました。
そのほとんどは、僧侶や尼僧によるものでした。
出家の身である私たちには、養うべき子供も家族もいないため、みんな喜んでチベットのために犠牲になることができます。
シェーラブ・ンガワンも幼かったにもかかわらず、チベット独立のために行動するという意志は固く、そのためには何でもすると言っていました。
1992年2月3日、私とシェーラブ・ンガワンを含めた5人の尼僧、そしてセラ寺の僧侶の計6人でデモを行いました。
チベット人のデモは過激なものでは全くありません。
ただ、ラサの中心地にあるジョカン寺の周りの右繞道(パルコル)で「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王万歳」と叫ぶだけなのです。
私たちが、パルコルでスローガンを叫ぶやいなや、すぐに公安が駆け付けました。
公安は私たちを棍棒で殴り倒すと、トラックへと放り込みました。
私たちは全く抵抗しませんでした。
こうなることは、初めから覚悟していたことなのです。
セラ寺の僧侶は頭から血を流していました。
ひどく痛むのか、刑務所へと向かうトラックが揺れる度に、呻き声を出していましたが、話し掛けることはできませんでした。
グツァ刑務所での尋問や拷問は覚悟していましたが、遥かに想像を越えるものでした。
中国人が聞きたいことは1つでした。
「一体、誰がデモを煽動したのか」
私が幾度も「みんなで話し合って決めたことだから、リーダーはいない。誰かに命令されたわけでもない。自分たちの意志でやったのだ」と本当のことを言っても、彼らは納得しませんでした。
散々殴られた後、外に連れていかれ、刑務所の塀にむかって手をあげたまま立っているように命令されました。
体中が痛み、あげた手はまもなく痺れてきましたが、下ろすと看守から殴られました。
みんなはどうしているんだろうと仲間のことだけが気掛かりでした。
昼の1時~7時ごろまでそうしていたでしょうか。
やがて、トイレに行くことが許され、振り返ると、同じように仲間もそうさせられていました。
ひどく殴られたらしく、みんな顔を腫らしていました。
みんな別々に独房に入れられました。
ときどき看守がドアを叩くたびに、また尋問に呼ばれるのかとゾッとしましたが、私の返事を確かめると去っていきました。
3日後、トイレ用のバケツを空けるために、はじめて外に出ることが許されました。
5日後から再び尋問が始まりました。
同じ質問が繰り返されました。
毎回殴られたわけではありませんが、拷問道具は常にテーブルの上に並べてありました。
3ヶ月後にようやく独房から出され、皆と一緒の監房に入れられました。
監房にはトイレがついているわけではありません。
隅に置かれたバケツがトイレでした。毎朝、1度だけ空にするだけだったので、監房の臭いはひどいものでした。
やがて、リーダーとみなされた1人の尼僧に6年の懲役が下り、セラ寺の僧侶と他の尼僧には5年が、そして私とシェーラブ・ンガワンには3年の懲役が下されました。
私は15才、シェーラブ・ンガワンはわずか14才だったのにもかかわらず、成人と同じ刑が課せられたのでした。
朝から晩まで強制労働を課せられる日々が続きました。
私の仕事は、ビニールハウスや畑に肥料を蒔くことでした。
トイレから人糞を汲み上げ、畑との間を日に幾度も往復せねばなりませんでした。
1994年の8月10日の夜の10時頃ことでした。
私たちは歌を歌いました。
チベットが独立する日を夢見る歌、監獄のつらさを歌った歌、そしてダライラマ法王をたたえる歌を。
シェーラブ・ンガワンもいました。
監獄では政治囚たちは看守にみつからないように、こっそりとよく歌を歌います。
誰が作ったのかは知らないのですが、政治囚たちは歌詞をよく知っていました。
新入りの尼僧たちに、長くいる尼僧が歌を教える。
監獄の長い夜はよくそうやってふけていきました。
ここダプチ刑務所からは空しかみえない
空を流れる雲たち
それが父や母だったら、どんなに素敵だろう
監獄の友たちよ
わたしたちはノルブリンカの花
どんな雹や霜だろうが
わたしたちのつないだ手を離れさせることはできない
いつか必ず雲の後ろから太陽があらわれる
だからそんなに悲しまないで
たとえ太陽が沈んでしまっても
こんどは月が照らしてくれる
だからそんなに悲しまないで
その晩、私たちは隠れて歌ったりはしませんでした。
看守に聞こえるように歌いました。
そんなことをしたら、どんなことになるかぐらい分かっていましたが、私たちは敢えて歌ったのでした。
すぐに、監房から引きずり出されると、ロープできつく縛られ、激しい拷問を受けました。
ひとりの尼僧が気絶し、床に倒れ込みましたが、看守たちはそれでも殴るのをやめませんでした。
私たちは立ち上がれなくなるまで殴られた後、夜中の3時半頃、縛られたまま、窓1つ無い独房に入れられました。
1畳程しかないその牢獄には、トイレ用の溝がある以外、寝具もベッドもありません。
そんな暗闇の中に、1週間も入れられていました。
1週間後、独房から引きずり出され、またひどく何時間も拷問を受けました。
耳は何度も激しく引っ張られたため、血だらけになっていました。
シェーラブ・ンガワンの小さな体も、ぼろぼろになっていました。
彼女の顔は腫れ上がり、すぐには誰だかわからない程でした。
それからです。彼女の言動がおかしくなったのは。
何でもすぐ忘れるようになりました。
記憶もちぐはくになり、変なことを口走ったりするようになりました。
いつも背中や腎臓、胸の痛みを訴えていました。
食欲も落ち、最後には何も喉を通らなくなったのです。
刑務所側は彼女の容態の悪さを知りながら無視をしていました。
何度も私たちが懇願した結果、ようやく病院に検査のためにつれていきましたが、腎臓が弱っていると言っただけで、何の治療もしてはくれませんでした。
1995年2月2日、私とシェーラブ・ンガワンは刑期を終え、村に戻りました。
しばらくして彼女に手紙を書きましたが、返事は来ませんでした。
数カ月後、彼女が4月17日に亡くなったという知らせを受けました。
私は彼女の家を訪ねました。
家には残こされた両親だけがいました。
私たちは最初話すことができず、ただただ泣いてばかりいました。
釈放後、シェーラブ・ンガワンはラサの病院に入院したけれども、容態は好転はしませんでした。
そして、約2カ月後の4月17日、彼女は息を引き取りました。
体中の痛みに苦しんだ末のことでした。彼女の両親の嘆きは見ていてられませんでした。
まだ17才というのに、苦しみながら死なねばならないなんて。
シェーラブ・ンガワンを鳥葬した人はこう言ったそうです。
「こんなにひどい状態の若い死体は今まで見たことがない。腎臓も肺もボロぞうきんのようだったよ」と。
私たちと一緒にデモをした、もう1人の尼僧も亡くなりました。
プンツォ・ヤンキは、逮捕された時、19才でした。
5年の懲役を受けて服役していたのですが、1994年6月4日に亡くなりました。
彼女も1994年2月11日に仲間たちと歌を歌い、激しい拷問を受けたのです。
こうして、仲間の2人が拷問によって亡くなりました。
私は寺に戻ることを許されなかったので、仏教の修業と勉学を続けるために、インドに亡命してきました。
死んでしまった2人のことを外の世界に伝えねばという思いもありました。
ヒマラヤを越えるのは容易ではありませんでした。
体の弱っていた私は、道程のほとんどを仲間の背中におぶってもらうわねばなりませんでした。
釈放されてから、もう何年も経ちますが、いまだに拷問の後遺症に悩まされています。
特に腰と腎臓が悪く、先月も入院していました。
どうか、チベットがこんなにも悲惨な状況であることを忘れないで欲しいのです。
本当に心からのお願いです。
・・・・・・・・・
いま僕たちにできることは何でしょう。
せめて、今何が起きているのか、そして何故起きているのかを少しでも知ろうとすることではないでしょうか。
彼女の話を過去のことと思ってはいけません。
今現在はさらに激しい取り締まりと弾圧が起きています。
今こうしている間にも、拘留された僧侶たちがどんな目にあわされているかを考えると、無力感にさいなまれます。
ここにガワン・ワンドゥンさんという一人のチベット尼僧の証言があります。
彼女がデモで逮捕された当時はまだ15歳でした。
少し長いですが、ぜひ最後まで読んでください。
・・・・・・・・・
シェーラブ・ンガワンが亡くなってから、もう何年も経つけれども、1日たりとも彼女のことを忘れたことはありません。
彼女は、わずか17才でこの世を去りました。
私はメドクンガという小さな村で、1977年に生まれました。
メドクンガは、チベットの首都ラサからバスで4時間程離れた貧しい村です。
村人は、わずかな家畜と痩せた畑からできる農作物より生計を立てています。
畑には大麦を植え、それを炒った麦焦がしが私たちの主食でした。
村には学校が1つだけありました。
3年間の初等教育を学ぶことができましたが、子供たちは幼いころから、家畜の世話や農作業を手伝わなければならなかったので、学校に通える子供はわずかでした。
私は、14才の時にラサのミチュンリ寺にて出家しました。
1991年のことです。
シェーラブ・ンガワンも同じ年に出家しました。
確か彼女が13才のときのことだと思います。
ラサには割と大きな尼寺が5つほどありますが、当時、すでに多くの尼僧たちがチベット独立のデモに参加し、逮捕されていました。
デモに参加すれば、懲役を受けるのはもちろんのこと、拷問や厳しい強制労働を味わうはめになることは、みんな承知していましたが、それでもデモに行く者は絶えませんでした。
私たちの寺からも、多くの尼僧たちがデモへと繰り出し、そして逮捕されていきました。
私もいつの日にか、デモをすることがチベット人として当然の義務のように感じるようになっていました。
1959年、ダライ・ラマ法王がインドに亡命してしまうと、中国はチベットを巨大な強制労働キャンプへと変えてしまいました。
何万人、いや何十万人といた僧侶たちは、すべて監獄へと放り込まれ、家畜以下の取り扱いを受けました。
そして、実にチベット人の5分の1にあたる120万もの命が、拷問や餓えによって失われていったのです。
1980年、毛沢東が亡くなるまで、チベットには1人の僧侶もいませんでした。
それどころか、僧院のほとんどが壊されてしまっていたのです。
1980年、政権が変わると、多少の宗教の自由が認められ、寺の再建が始まりました。
生き残った僧侶たちが、ようやく寺に戻って来ることができたのもこの年でした。
でも、宗教の自由とは名ばかりでした。
出家者は厳しく当局から監視され、出家者の数も制限されていました。
私たちの唯一の心の支えであるダライラマ法王への信仰は固く禁止され、代わりに共産党教育の講義を寺で受けねばなりませんでした。
全ての利権は中国人の手に握られていて、チベット人は自分たちの国であるというのに、中国人の許可がなければ、移動することですらままなりませんでした。
1987年9月27日、デプン寺の僧侶たちが、ラサで初めてのチベット独立要求のデモを行うと、次々にデモが続くようになりました。
そのほとんどは、僧侶や尼僧によるものでした。
出家の身である私たちには、養うべき子供も家族もいないため、みんな喜んでチベットのために犠牲になることができます。
シェーラブ・ンガワンも幼かったにもかかわらず、チベット独立のために行動するという意志は固く、そのためには何でもすると言っていました。
1992年2月3日、私とシェーラブ・ンガワンを含めた5人の尼僧、そしてセラ寺の僧侶の計6人でデモを行いました。
チベット人のデモは過激なものでは全くありません。
ただ、ラサの中心地にあるジョカン寺の周りの右繞道(パルコル)で「チベットに自由を!ダライ・ラマ法王万歳」と叫ぶだけなのです。
私たちが、パルコルでスローガンを叫ぶやいなや、すぐに公安が駆け付けました。
公安は私たちを棍棒で殴り倒すと、トラックへと放り込みました。
私たちは全く抵抗しませんでした。
こうなることは、初めから覚悟していたことなのです。
セラ寺の僧侶は頭から血を流していました。
ひどく痛むのか、刑務所へと向かうトラックが揺れる度に、呻き声を出していましたが、話し掛けることはできませんでした。
グツァ刑務所での尋問や拷問は覚悟していましたが、遥かに想像を越えるものでした。
中国人が聞きたいことは1つでした。
「一体、誰がデモを煽動したのか」
私が幾度も「みんなで話し合って決めたことだから、リーダーはいない。誰かに命令されたわけでもない。自分たちの意志でやったのだ」と本当のことを言っても、彼らは納得しませんでした。
散々殴られた後、外に連れていかれ、刑務所の塀にむかって手をあげたまま立っているように命令されました。
体中が痛み、あげた手はまもなく痺れてきましたが、下ろすと看守から殴られました。
みんなはどうしているんだろうと仲間のことだけが気掛かりでした。
昼の1時~7時ごろまでそうしていたでしょうか。
やがて、トイレに行くことが許され、振り返ると、同じように仲間もそうさせられていました。
ひどく殴られたらしく、みんな顔を腫らしていました。
みんな別々に独房に入れられました。
ときどき看守がドアを叩くたびに、また尋問に呼ばれるのかとゾッとしましたが、私の返事を確かめると去っていきました。
3日後、トイレ用のバケツを空けるために、はじめて外に出ることが許されました。
5日後から再び尋問が始まりました。
同じ質問が繰り返されました。
毎回殴られたわけではありませんが、拷問道具は常にテーブルの上に並べてありました。
3ヶ月後にようやく独房から出され、皆と一緒の監房に入れられました。
監房にはトイレがついているわけではありません。
隅に置かれたバケツがトイレでした。毎朝、1度だけ空にするだけだったので、監房の臭いはひどいものでした。
やがて、リーダーとみなされた1人の尼僧に6年の懲役が下り、セラ寺の僧侶と他の尼僧には5年が、そして私とシェーラブ・ンガワンには3年の懲役が下されました。
私は15才、シェーラブ・ンガワンはわずか14才だったのにもかかわらず、成人と同じ刑が課せられたのでした。
朝から晩まで強制労働を課せられる日々が続きました。
私の仕事は、ビニールハウスや畑に肥料を蒔くことでした。
トイレから人糞を汲み上げ、畑との間を日に幾度も往復せねばなりませんでした。
1994年の8月10日の夜の10時頃ことでした。
私たちは歌を歌いました。
チベットが独立する日を夢見る歌、監獄のつらさを歌った歌、そしてダライラマ法王をたたえる歌を。
シェーラブ・ンガワンもいました。
監獄では政治囚たちは看守にみつからないように、こっそりとよく歌を歌います。
誰が作ったのかは知らないのですが、政治囚たちは歌詞をよく知っていました。
新入りの尼僧たちに、長くいる尼僧が歌を教える。
監獄の長い夜はよくそうやってふけていきました。
ここダプチ刑務所からは空しかみえない
空を流れる雲たち
それが父や母だったら、どんなに素敵だろう
監獄の友たちよ
わたしたちはノルブリンカの花
どんな雹や霜だろうが
わたしたちのつないだ手を離れさせることはできない
いつか必ず雲の後ろから太陽があらわれる
だからそんなに悲しまないで
たとえ太陽が沈んでしまっても
こんどは月が照らしてくれる
だからそんなに悲しまないで
その晩、私たちは隠れて歌ったりはしませんでした。
看守に聞こえるように歌いました。
そんなことをしたら、どんなことになるかぐらい分かっていましたが、私たちは敢えて歌ったのでした。
すぐに、監房から引きずり出されると、ロープできつく縛られ、激しい拷問を受けました。
ひとりの尼僧が気絶し、床に倒れ込みましたが、看守たちはそれでも殴るのをやめませんでした。
私たちは立ち上がれなくなるまで殴られた後、夜中の3時半頃、縛られたまま、窓1つ無い独房に入れられました。
1畳程しかないその牢獄には、トイレ用の溝がある以外、寝具もベッドもありません。
そんな暗闇の中に、1週間も入れられていました。
1週間後、独房から引きずり出され、またひどく何時間も拷問を受けました。
耳は何度も激しく引っ張られたため、血だらけになっていました。
シェーラブ・ンガワンの小さな体も、ぼろぼろになっていました。
彼女の顔は腫れ上がり、すぐには誰だかわからない程でした。
それからです。彼女の言動がおかしくなったのは。
何でもすぐ忘れるようになりました。
記憶もちぐはくになり、変なことを口走ったりするようになりました。
いつも背中や腎臓、胸の痛みを訴えていました。
食欲も落ち、最後には何も喉を通らなくなったのです。
刑務所側は彼女の容態の悪さを知りながら無視をしていました。
何度も私たちが懇願した結果、ようやく病院に検査のためにつれていきましたが、腎臓が弱っていると言っただけで、何の治療もしてはくれませんでした。
1995年2月2日、私とシェーラブ・ンガワンは刑期を終え、村に戻りました。
しばらくして彼女に手紙を書きましたが、返事は来ませんでした。
数カ月後、彼女が4月17日に亡くなったという知らせを受けました。
私は彼女の家を訪ねました。
家には残こされた両親だけがいました。
私たちは最初話すことができず、ただただ泣いてばかりいました。
釈放後、シェーラブ・ンガワンはラサの病院に入院したけれども、容態は好転はしませんでした。
そして、約2カ月後の4月17日、彼女は息を引き取りました。
体中の痛みに苦しんだ末のことでした。彼女の両親の嘆きは見ていてられませんでした。
まだ17才というのに、苦しみながら死なねばならないなんて。
シェーラブ・ンガワンを鳥葬した人はこう言ったそうです。
「こんなにひどい状態の若い死体は今まで見たことがない。腎臓も肺もボロぞうきんのようだったよ」と。
私たちと一緒にデモをした、もう1人の尼僧も亡くなりました。
プンツォ・ヤンキは、逮捕された時、19才でした。
5年の懲役を受けて服役していたのですが、1994年6月4日に亡くなりました。
彼女も1994年2月11日に仲間たちと歌を歌い、激しい拷問を受けたのです。
こうして、仲間の2人が拷問によって亡くなりました。
私は寺に戻ることを許されなかったので、仏教の修業と勉学を続けるために、インドに亡命してきました。
死んでしまった2人のことを外の世界に伝えねばという思いもありました。
ヒマラヤを越えるのは容易ではありませんでした。
体の弱っていた私は、道程のほとんどを仲間の背中におぶってもらうわねばなりませんでした。
釈放されてから、もう何年も経ちますが、いまだに拷問の後遺症に悩まされています。
特に腰と腎臓が悪く、先月も入院していました。
どうか、チベットがこんなにも悲惨な状況であることを忘れないで欲しいのです。
本当に心からのお願いです。
・・・・・・・・・
いま僕たちにできることは何でしょう。
せめて、今何が起きているのか、そして何故起きているのかを少しでも知ろうとすることではないでしょうか。
彼女の話を過去のことと思ってはいけません。
今現在はさらに激しい取り締まりと弾圧が起きています。
今こうしている間にも、拘留された僧侶たちがどんな目にあわされているかを考えると、無力感にさいなまれます。
Posted by Toshiro Abe at 10:06│Comments(28)
│チベット問題
この記事へのコメント
涙が止まりません。。。
ただただ悲しくて悲しくて、涙が止まりません。。。
どうか世界中の人々が、愛に触れ、幸せな世の中になりますように。。。
ただただ悲しくて悲しくて、涙が止まりません。。。
どうか世界中の人々が、愛に触れ、幸せな世の中になりますように。。。
Posted by まあるママ at 2008年03月19日 10:32
阿部さん
ありがとうございます。
朝から、涙・・・
自分の悲しみなんて、たいしたことないなぁ
昨日テレビで見た「東京大空襲」から60年くらい・・・
宇宙からみたら
どれもこれも、「いまここ」なんだね
一日も早く
中国の政治家たちが【いまここの大切さ】に、気づかれます様に!!
ありがとうございます。
朝から、涙・・・
自分の悲しみなんて、たいしたことないなぁ
昨日テレビで見た「東京大空襲」から60年くらい・・・
宇宙からみたら
どれもこれも、「いまここ」なんだね
一日も早く
中国の政治家たちが【いまここの大切さ】に、気づかれます様に!!
Posted by ルン♪ at 2008年03月19日 10:51
阿部さんの言葉、真摯に受け止めました。
チベットにて真の正義が行われますように、
と瞑想とともに祈る毎日です。
応援しています。
チベットにて真の正義が行われますように、
と瞑想とともに祈る毎日です。
応援しています。
Posted by みかん at 2008年03月19日 11:51
チベットに関する記事、有難う御座います。
以前より、チベットの状況に心を痛めておりました。そして今回の状況です。
私の周りでは、チベットの置かれている現状について何も知らない人がほとんどです。
パンチェン・ラマについては他のブログを見てもあまり書かれておりません。
「かんながら」を目指し、腹を立てることが少なくなっていたのですが、今回ばかりは、居てもたってもいられない思いです。
今後も情報の発信、よろしくお願い致します。
以前より、チベットの状況に心を痛めておりました。そして今回の状況です。
私の周りでは、チベットの置かれている現状について何も知らない人がほとんどです。
パンチェン・ラマについては他のブログを見てもあまり書かれておりません。
「かんながら」を目指し、腹を立てることが少なくなっていたのですが、今回ばかりは、居てもたってもいられない思いです。
今後も情報の発信、よろしくお願い致します。
Posted by おっこ at 2008年03月19日 12:13
ほんとに悲しい話です。涙が・・怒りの涙があふれてきます。
わたしたちが知らないことってホントにまだまだあるんですよね。
チベットのことは今回阿部さんを通して少しですが知ることができ感謝です。
でも何もできません。悔しいです。
わたしたちが知らないことってホントにまだまだあるんですよね。
チベットのことは今回阿部さんを通して少しですが知ることができ感謝です。
でも何もできません。悔しいです。
Posted by vivi at 2008年03月19日 15:23
私達に何ができるのでしょうか。
非人道的な行いを繰り返す中国の地で平和の祭典、五輪が行われる…。
もどかしい気持ちで一杯です。
ペンは剣よりも強し。
こうして情報を発信していく事で多くの人に真実が伝わりますように。
阿部さん、ありがとうございます。
非人道的な行いを繰り返す中国の地で平和の祭典、五輪が行われる…。
もどかしい気持ちで一杯です。
ペンは剣よりも強し。
こうして情報を発信していく事で多くの人に真実が伝わりますように。
阿部さん、ありがとうございます。
Posted by まい at 2008年03月19日 15:38
安部さん、はじめまして。
いつもブログを読ませて戴いてます。ありがとうございます。
チベットのことではいつも心を痛めておりました。
「何か出来ることはないのだろうか?」
今日、ダライ・ラマ法王をサポートする為のHPを知人に教えてもらいましたので、こちらにURLを載せさせていただくことをお許しください。
The World in Action
http://www.avaaz.org/en/tibet_end_the_violence/9.php?cl=63617766
1人でも多くの人の署名が集まりますように
いつもブログを読ませて戴いてます。ありがとうございます。
チベットのことではいつも心を痛めておりました。
「何か出来ることはないのだろうか?」
今日、ダライ・ラマ法王をサポートする為のHPを知人に教えてもらいましたので、こちらにURLを載せさせていただくことをお許しください。
The World in Action
http://www.avaaz.org/en/tibet_end_the_violence/9.php?cl=63617766
1人でも多くの人の署名が集まりますように
Posted by あみ at 2008年03月19日 17:20
こんにちは。
無知な自分が恥ずかしかった。のほほんと暮らしているのが、、、、、申し訳なかった。
どんな言葉も当てはまらないけれど、
今の心を言葉にしてみたいとおもいます。
こんなに理不尽なことがあってはいけません。
私のテレビでの知っていることは、いま、中国ではインターネットなどが
規制されている。
デモは収まったといっていること(でもまだ、収まってはいないようだとも報道はされているみたいです)。
この情報社会で
踊らされることもありますが、
今回は、あやふやに騙されてしまうことではすみません。
絶対にうやむやに終わらせてはいけないことです。
いまここで
起こっている出来事。
もしも私が中国人だったら・・・
もしも私がチベット人だったら・・・
国単位で計ることは規模が大きくなって、なんだかわからなくなってくるのですが。。。。。。
同じ人間でしょう。
同じ命でしょう。
いろんな価値観の、それも大切な思いをここまで潰すことの残忍さ。
認め合う道が絶対にあると信じたい。
潰すこと、取り上げることは出来ても
消すことは出来ない。
これ以上の犠牲はいらない。
争いはいらない。
どうか話し合いを。
本当のことを。
心から祈るばかりです。
無知な自分が恥ずかしかった。のほほんと暮らしているのが、、、、、申し訳なかった。
どんな言葉も当てはまらないけれど、
今の心を言葉にしてみたいとおもいます。
こんなに理不尽なことがあってはいけません。
私のテレビでの知っていることは、いま、中国ではインターネットなどが
規制されている。
デモは収まったといっていること(でもまだ、収まってはいないようだとも報道はされているみたいです)。
この情報社会で
踊らされることもありますが、
今回は、あやふやに騙されてしまうことではすみません。
絶対にうやむやに終わらせてはいけないことです。
いまここで
起こっている出来事。
もしも私が中国人だったら・・・
もしも私がチベット人だったら・・・
国単位で計ることは規模が大きくなって、なんだかわからなくなってくるのですが。。。。。。
同じ人間でしょう。
同じ命でしょう。
いろんな価値観の、それも大切な思いをここまで潰すことの残忍さ。
認め合う道が絶対にあると信じたい。
潰すこと、取り上げることは出来ても
消すことは出来ない。
これ以上の犠牲はいらない。
争いはいらない。
どうか話し合いを。
本当のことを。
心から祈るばかりです。
Posted by 火星ねこ at 2008年03月19日 17:22
大国に諂う日本の政治に憤りと悲しみを感じます
経済優先のやり方はいつまで続くのでしょう
私達に出来る事はなんなのでしょうか
これからも正しい情報を教えてください
ありがとう御座います
経済優先のやり方はいつまで続くのでしょう
私達に出来る事はなんなのでしょうか
これからも正しい情報を教えてください
ありがとう御座います
Posted by oh♪kei at 2008年03月19日 17:38
阿部さん…チベットのことを知れば知るほど、涙があふれてきます。
何にもやる気が起きません。脱力感で歩けもできません。どうにか予約の歯医者には行きました。そこで通販生活春号をペラペラめくっていたら、ビルマを救うTシャツが売られていました。mixi日記もトップでチベットでした。世界は無関心ではないので、未来は救いあるかもしれません。今は確かに悲惨。でも、信じます、愛は永遠と。
何にもやる気が起きません。脱力感で歩けもできません。どうにか予約の歯医者には行きました。そこで通販生活春号をペラペラめくっていたら、ビルマを救うTシャツが売られていました。mixi日記もトップでチベットでした。世界は無関心ではないので、未来は救いあるかもしれません。今は確かに悲惨。でも、信じます、愛は永遠と。
Posted by キャッスル at 2008年03月19日 19:20
こんなに恐ろしく酷い事が今も続いているなんて・・・
なぜこんな事をしなければならないのでしょうか?
どれだけあんな切ない歌を歌わなければいけないのでしょうか・・・
心から、祈ります
なぜこんな事をしなければならないのでしょうか?
どれだけあんな切ない歌を歌わなければいけないのでしょうか・・・
心から、祈ります
Posted by 海 at 2008年03月19日 20:55
チベットには行ってませんが
ネパールのカトマンドゥーの郊外の
ボーダナートという地域で知り合った
チベット人のお宅に2週間ほど居候
したことがあります。
猫も犬もガチョウもつながれることもなく
みんな仲良く平和を楽しみながら
日向ぼっこをしている光景を見ました。
全ての生き物が尊厳を認め合って
生きていられる清浄な空気を感じましたね。
ネパールのカトマンドゥーの郊外の
ボーダナートという地域で知り合った
チベット人のお宅に2週間ほど居候
したことがあります。
猫も犬もガチョウもつながれることもなく
みんな仲良く平和を楽しみながら
日向ぼっこをしている光景を見ました。
全ての生き物が尊厳を認め合って
生きていられる清浄な空気を感じましたね。
Posted by 神ng now at 2008年03月19日 21:12
私はただただ知りたい。 世の中の事。 マスコミでは流れない
隠れた真実。 今起こっている出来事の真意。
今まではマスコミ道理の表面的な事をずっと信じ込んできた。
腑に落ちないこと、納得出来ない事が多すぎる。
しっかりと自分が見ている世界を認識したい。
阿部さん、教えてくれてありがとう。今すぐ出来ること、祈ることから
始めます。
隠れた真実。 今起こっている出来事の真意。
今まではマスコミ道理の表面的な事をずっと信じ込んできた。
腑に落ちないこと、納得出来ない事が多すぎる。
しっかりと自分が見ている世界を認識したい。
阿部さん、教えてくれてありがとう。今すぐ出来ること、祈ることから
始めます。
Posted by のんくー at 2008年03月19日 21:32
最近チベットに関係する本をよんでいたところへチベットでの暴動のニュース、
気になってチベットの現状についてのサイトを見にいきました
それから、その後中国の歴史についてもざっと目を通しました
チベットについては情報も少ないし、夢物語の土地のように感じていたのですが、今現在の状況を知って愕然としました
それとまた、中国でも他民族による支配が長く長く続いていたことを改めて思い起こしました
昔の中国人を想像する時、辮髪の姿を思い描くことがあるのですが、
辮髪というのは満州族の風習なんですよね
中華思想というのも長い他民族支配から来る「自己保存」への恐怖の裏返しなのかもしれませんね
私達はいつもなにかに恐怖を感じて自分の回りに敵をつくり出しています
自分の身を守るため、攻撃されない為に先に攻撃を仕掛ける
自分を認めさせる為に人をコントロールしようとする
でもいったいどこに「敵」などというものがいるのでしょうか。。。
気になってチベットの現状についてのサイトを見にいきました
それから、その後中国の歴史についてもざっと目を通しました
チベットについては情報も少ないし、夢物語の土地のように感じていたのですが、今現在の状況を知って愕然としました
それとまた、中国でも他民族による支配が長く長く続いていたことを改めて思い起こしました
昔の中国人を想像する時、辮髪の姿を思い描くことがあるのですが、
辮髪というのは満州族の風習なんですよね
中華思想というのも長い他民族支配から来る「自己保存」への恐怖の裏返しなのかもしれませんね
私達はいつもなにかに恐怖を感じて自分の回りに敵をつくり出しています
自分の身を守るため、攻撃されない為に先に攻撃を仕掛ける
自分を認めさせる為に人をコントロールしようとする
でもいったいどこに「敵」などというものがいるのでしょうか。。。
Posted by な~お at 2008年03月19日 23:13
宣誓
次回の北京オリンピックに関わる映像、コマーシャル、製品、関連イベント、その他全ての事物の一切を断固拒否する事を宣言します。2008.3.20.Thu
次回の北京オリンピックに関わる映像、コマーシャル、製品、関連イベント、その他全ての事物の一切を断固拒否する事を宣言します。2008.3.20.Thu
Posted by fukuro at 2008年03月20日 06:44
この事は断じて認めてはいけませんね。歴史問題の弱みからアジア諸国(特に中国)に対して言いたい事が言えなくなってますよね。今こそ日本がリーダーシップをとって国際的な信用を取り戻し、国連安保理、常任理事国入りをはたしてもらいたいものです。世界の平和!非人道的行為がなくなるように!!
Posted by sdc at 2008年03月20日 14:36
中国の方たちに、
”あなたがチベットに生まれててもこれを正しいと言えますか?”と聞いてみたいです。
”あなたがチベットに生まれててもこれを正しいと言えますか?”と聞いてみたいです。
Posted by change at 2008年03月20日 15:10
阿部さんの結びの言葉に感動しました。私も最近考えを改めたものです。
彼ら中凶は決してわたしたちと同じ地平に立つことはないでしょう。それはチベットの長い苦難の歴史を見ればあきらかです。中国は経済力を背景にますます軍事力を増強するばかりです。世界が彼らを戦勝国・途上国だからと甘やかし、今も続く殺戮の歴史に目をつぶり、その拡大の過程を亡羊と眺めていたのがそもそもの罪だと思います。
普段から護憲を叫ぶ人たちは、その理想がこの現実の前に全くの無力であることを痛感したことでしょう。だからこそ沈黙を守っているのでしょう。
自分たちだけこの安全な高みから他者に平和を唱えるだけではよもや自己満足でしかなく、現実を変える力など結局はなかったのです。わたしたちが「平和憲法」を言い訳に他国の惨状を見過ごすのは、果たしてこれからも正義たりえるのでしょうか。
本当にチベットの人々を救いたくば、今度こそ理想論の敗北を認め、彼らの敵と同じ地平に降り立つ決心をし、この世で起きていることに対峙する勇気をもたねばならない時期にきていると感じます。拉致された無辜の自国民すら救い出せない我が国の現状ですが、今回チベットの現実を目の当たりにして、国のありようを見つめなおした人は少なくないと思います。
彼ら中凶は決してわたしたちと同じ地平に立つことはないでしょう。それはチベットの長い苦難の歴史を見ればあきらかです。中国は経済力を背景にますます軍事力を増強するばかりです。世界が彼らを戦勝国・途上国だからと甘やかし、今も続く殺戮の歴史に目をつぶり、その拡大の過程を亡羊と眺めていたのがそもそもの罪だと思います。
普段から護憲を叫ぶ人たちは、その理想がこの現実の前に全くの無力であることを痛感したことでしょう。だからこそ沈黙を守っているのでしょう。
自分たちだけこの安全な高みから他者に平和を唱えるだけではよもや自己満足でしかなく、現実を変える力など結局はなかったのです。わたしたちが「平和憲法」を言い訳に他国の惨状を見過ごすのは、果たしてこれからも正義たりえるのでしょうか。
本当にチベットの人々を救いたくば、今度こそ理想論の敗北を認め、彼らの敵と同じ地平に降り立つ決心をし、この世で起きていることに対峙する勇気をもたねばならない時期にきていると感じます。拉致された無辜の自国民すら救い出せない我が国の現状ですが、今回チベットの現実を目の当たりにして、国のありようを見つめなおした人は少なくないと思います。
Posted by tyron at 2008年03月20日 22:43
コメントありがとうございました。
僕たち一人ひとりにできることは、わずかなことですが、積もり積もれば日本や世界を動かせると思います。
この現実から目をそらすことなく、しっかり見つめながら行動していきましょう。
僕たち一人ひとりにできることは、わずかなことですが、積もり積もれば日本や世界を動かせると思います。
この現実から目をそらすことなく、しっかり見つめながら行動していきましょう。
Posted by Toshiro Abe
at 2008年03月21日 09:19

溜息しか出ない。これが現実に起こったことで
今もなお続いてるだなんて。
1995年かぁ・・・
その頃俺は、チベットのことなんて何にも知らずに
毎日平和に高校生活を送っていたんだよな。
当時の俺とほぼ同い年の尼僧が毎日地獄の中で暮らしてたなんて。。
中国という国は言うまでも泣く異常だけど
こういう事実をまともに報道しないこの日本という国も
負けず劣らず異常だ。
今もなお続いてるだなんて。
1995年かぁ・・・
その頃俺は、チベットのことなんて何にも知らずに
毎日平和に高校生活を送っていたんだよな。
当時の俺とほぼ同い年の尼僧が毎日地獄の中で暮らしてたなんて。。
中国という国は言うまでも泣く異常だけど
こういう事実をまともに報道しないこの日本という国も
負けず劣らず異常だ。
Posted by チベット人に神の救いを・・・ at 2008年03月24日 01:29
もう20年も前の事ですが、トレッキングでネパールを訪れたことを思い出しました。ネパールの高地にいたチベットの人たちはとても親切で優しく私たちに接してくれたこと、顔立ちがとても日本人に似ていて、町並みや人々が漫画などに出てくる昔の日本にそっくりだったこと。いろいろな思い出が思い出されて、そのチベットの人たちが今も弾圧されていると考えると涙が出てきました。
私たちにできることは多くは無いかもしれませんが、今日からでもチベットの旗やFREE TIBETのステッカーなどを身につけて少しでも多くの人にチベットの問題を知ってもらおうと思いました。
投獄されることが解っていながらデモを起こさざるを得ない少女の気持ち、拷問されることを理解しながら歌わざるを得ない少女の気持ち・・・
本当に悲しく・切ない気持ちで一杯です。
私たちにできることは多くは無いかもしれませんが、今日からでもチベットの旗やFREE TIBETのステッカーなどを身につけて少しでも多くの人にチベットの問題を知ってもらおうと思いました。
投獄されることが解っていながらデモを起こさざるを得ない少女の気持ち、拷問されることを理解しながら歌わざるを得ない少女の気持ち・・・
本当に悲しく・切ない気持ちで一杯です。
Posted by Zero at 2008年03月24日 18:01
正直、当事国ではなく平和ボケした日本に住んでいると所詮は対岸の火事的な感覚。
現実にこのような惨劇が行われているにもかかわらずマスメディアが詳しき情報を伝えることもせず、国の主たる人は当該国の顔色ばかり見ている現状。
今、自分達が何を為すべきか考えさせられる記事を有り難う。
現実にこのような惨劇が行われているにもかかわらずマスメディアが詳しき情報を伝えることもせず、国の主たる人は当該国の顔色ばかり見ている現状。
今、自分達が何を為すべきか考えさせられる記事を有り難う。
Posted by BORDER at 2008年03月30日 09:39
貴重な事実をアップして下さって、ありがとうございます
これは、中国人にこそ読んでもらいたい文ですね。
今回の暴動で、彼女のような拷問を受けている人達を解放するための抗議文を、是非送りましょう!
Googleで「人権、虐待、NGO」で検索すると、
アムネスティの「中国:緊急行動 チベット人僧侶に拷問と虐待の恐れ」というページがトップに出ます
その下に、英語の抗議文などがあります
「アピール内容」欄を見てください
4月29日までに釈放を という文章ですが、素晴らしく明確です!!
ありがとうございました
これは、中国人にこそ読んでもらいたい文ですね。
今回の暴動で、彼女のような拷問を受けている人達を解放するための抗議文を、是非送りましょう!
Googleで「人権、虐待、NGO」で検索すると、
アムネスティの「中国:緊急行動 チベット人僧侶に拷問と虐待の恐れ」というページがトップに出ます
その下に、英語の抗議文などがあります
「アピール内容」欄を見てください
4月29日までに釈放を という文章ですが、素晴らしく明確です!!
ありがとうございました
Posted by 4月29日までに at 2008年03月31日 15:33
「己の欲せざる処、人に施す事無かれ」
とある中国人から学んだものです
とある中国人から学んだものです
Posted by 富岳 at 2008年04月23日 00:04
このようなことが世界にまだ存在するを知ってはいましたが、初めて知ったような感覚です。そして、事実であることを信じたくありませんでした。殴られたようにショックな話です。でもこうして事実を知ることができたことを感謝します。私たちは知ることによって行動することができるからです。ありがとうございます。
Posted by トンプソン at 2008年08月20日 21:45
自分が唯一無二の存在である。
自分という存在を置き去りにして、自分よりこの人の方が優れているとか聖であるとか・・・
その意識の方向性は今の流れには乗ってはいけなくなるそれはあたかも
流れている川を逆流する形になるからすごく苦しいことだと思います。
自分という存在を置き去りにして、自分よりこの人の方が優れているとか聖であるとか・・・
その意識の方向性は今の流れには乗ってはいけなくなるそれはあたかも
流れている川を逆流する形になるからすごく苦しいことだと思います。
Posted by 瀬戸夏子 at 2016年01月09日 03:23
私の中の問題点を見せてくれてありがとうございました。
私の平和!
私の平和!
Posted by ふ at 2017年03月14日 18:13
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。