2024年01月07日

沈黙のメッセージ

最近、言葉が出てきません。

いったん無我の状態で語り出すと、そのままスラスラと言葉が紡がれていくのですが、何かを書こうとすると止まってしまいます。

書くという行為が人為的で不自然なものに感じるのです。


高い次元の真実を分かち合うためには、言葉ではなくむしろ静寂の世界の方が伝わるのかもしれません。

分離意識からワンネスに移行するこの時代は、ますます瞑想の重要性が増していくと思います。

その沈黙の中で共有する何かに触れ始めます。

それが「愛」なのだと思います。


今夜の瞑想会はこちらからお入りください。

https://youtube.com/live/tuS4Zut4Avc













Posted by Toshiro Abe at 13:01│Comments(10)
この記事へのコメント
「私が悟り得たことは静寂である。
 それは思考の領域を超えている。

~ 仏陀釈迦牟尼の言葉 ~ 」

「沈黙の伝授は最も完全なものである。
 それはあらゆる方法で個人を浄化し、彼を実在の中に確立させるだろう。」

「沈黙は最も強い影響力を持っている。
 いかに聖典が広大で力強いものであっても、その効力は無に等しい。」

「何年にも及ぶ会話でも知ることができなかったことさえ
 沈黙の中では一瞬にして知られ得る。」

「恩寵の最高の表れは沈黙である。そしてそれは最高の教えでもある。」

「沈黙は真理の教えである。沈黙とは実に強力なものである。」

「沈黙は真の教えである。それは完全な教えである。」

~ 沈黙の聖者ラマナ・マハルシの言葉 「あるがままにラマナ・マハルシの教え」より ~
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2024年01月07日 13:14
かのラマナ・マハルシは、 彼に質問する人々に、言葉を用いた教え(回答)を与えていたそうですが、それでも尚、ラマナは、「沈黙の教え」がより直接的で、強力であることを説いていたそうです。

それは、ラマナを通して流れ出る(神の)臨在(サット)の中では、より楽により深い瞑想が起き、人々に言葉による教えよりも、より深い理解がもたらされることを知っていたからでしょう。

心という空間が、波が起きていない状態になって始めて、体験が可能になる世界(次元)があります。

心(マインド)が沈黙の世界に入っていくに連れ、体内に生じている微細な音(ナーダ音、振動)に気づくことが可能になり、やがては、全身のエネルギーの流れを振動として感じるようになり、肉体の中にありながら、肉体(物質とは別の経路やネットワーク、ルールの元で働くエネルギーの世界への理解が起こることでしょう。

顕在意識の働きが静まる(低下する)と、潜在意識が表層に現れやすくなりますが、その時に、刷り込みなどの危険も被りやすくなりますので、注意が必要ですが、一方で、微細なエネルギーの世界へのアクセスも起こり易くなります。

真我(アートマン)は、潜在意識の更に奥に鎮座していると言っても間違いではないでしょう。

ラマナ・マハルシは、そのことをよく知っていらっしゃったので、沈黙の世界へ心(マインド)を沈めるために、瞑想を推奨されていたのでしょう。

ヨーガには、アーサナやプラーナヤーマなどの肉体的なアプローチから始まるアシュタンガ・ヨーガの他に、バクティ・ヨーガ(神への帰依、祈り中心)、カルマ・ヨーガ(日々の行いを無心で行う)、ジニャーナ・ヨーガ(自問、瞑想と沈思などによる内面への探求)の4種類があるとされていますが、阿部さんは、ヨーガをされているわけではありませんが、瞑想を推奨されている点や、発するメッセージなどから感じられることは、ヨーガの視点からするならば、ラマナ・マハルシと同じく、ジニャーナ・ヨーガを説かれているように感じます。

ラマナ・マハルシが、マハー(偉大な)ルシ(リシ、師)と呼ばれたのは、言葉による教えも素晴らしかったのは言うまでもありませんが、それ以上に、ラマナから発せられるサット(神の臨在)の力により、多くの人々が感化され、その中でも、何人かの人々に、最奥の真理の世界への理解が起きたからと言えます。

ラマナ・マハルシのような他者を感化できる人は、稀ですが、沈黙の世界へのアクセスは、誰にでも可能です。

瞑想を通して、心(マインド)が鎮まれば鎮まるほど、静寂は深まり、沈黙の世界が、表層に浮かび上がってくることでしょう。
Posted by 沈黙と静寂 from M-online at 2024年01月07日 14:56
ありがとうございます。
Posted by おにぎり太部留 at 2024年01月07日 15:43
書くときにいったん、頭で考えて気持ちを適切な言葉を探して変換しています。
そのいったん考える作業が?何となくもどかしい気もします・・
上手く言えないのですが。

今日は昨日の車庫屋根の雪下ろしがたたり、心身がダウンしてしまい
年初の新年礼拝に行かれずじまいでした。

色々とお祈りしたいことがあったので(家ででもできないことはないのですが)
なんとなくがっくりして落ち込んでいます。
夜の瞑想会に参加したいです。
よろしくお願いします。
Posted by さつき姫 at 2024年01月07日 16:55
自分の場合、

こうしてキー入力していて、
スラスラ書ける時は書けますし、
止まる時は止まります。

↑という『自ずから起こってくるキー入力』に素直に従っていると、
『書かれたこと』から気付かされることも度々あって、
なので、この↑過程そのものが、自分は楽しいんですよねぇ~♪

きっと阿部さんも、言葉が口から『話される』時も、手で『書かれる』時も、
似たような感じではないでしょうか?
今晩も、よろしくお願いします。
Posted by ただの「自分」 at 2024年01月07日 20:21
阿部敏郎さん
いつもこの時間を楽しみにしております。
今日も日曜瞑想会に参加させていただきまして
ありがとうございました。
Posted by きなこもち at 2024年01月07日 22:23
阿部さんブログや配信でずっと真実を分かち合う言葉を紡いできたので、ついに意味をなさない言葉のぽよの心境になってしまったのかと思いました笑

真実を30年以上伝え続けてきた古希老舗の阿部さんがぽよよんで今また時代の最先端に行こうとしてるのが凄いところでもあります。

今日の瞑想会でも嘘の通用しない時代になるとのお話でしたが、自分自身にも本当のところはどう在りたいのか嘘をつかずに生きていこうぜっていうお誘いがぽよだと思いました。

行為ではなく静寂の中で共有しているものを確実に感じていて「あぁこれが愛か」と知る瞑想、重要さを増してきてます。
Posted by とっと at 2024年01月07日 23:49
瞑想会ありがとうございました。
お話もありがとうございました。ブログを読んでいた頃から触れていた阿部さんの言葉は、いつの間にか自分の中に染みています。

ブログをお休みされている今は、時々瞑想会に参加させていただいています。一つの真理でも、一人の体験談であったり言葉ではしっくりこないものも多くありますが、瞑想会ではそれを横に置いて感じられるので好きです。
阿部さん、皆様、いつもありがとうございます。

実は、新しいサンガが気になっているのですが…「ぽよぽよ」はちょっと苦手です。意味はなくても、自分の中にイメージがありまして。
マイナスのことを書き込むのは良くないかも、と思ったのですがこれも一つの感想としてお伝えさせて下さい。
Posted by yuki. at 2024年01月08日 08:54
この記事で阿部さんが語られている「沈黙」の意味を言葉で説明できる人はいませんし、言葉で説明している人達は、勘違いしています。

相当に深い心境。

根源即我、としか表記でいない心情が阿部さんがこの記事を書いた場面に起きています。
Posted by アクア at 2024年01月09日 10:43
目下、阿部さんは、90日間の瞑想コース”Next Dimension 90“の2回目開催の最中なのでしたね。

そのことと、今の阿部さんの沈黙状態は、何か関係があるかもしれませんね。

ボブさんの指導の元、3つのマントラを使った瞑想に、90日間、ドップリと浸っていらっしゃるはずですので、毎日朝晩2回の瞑想習慣が、今の心境、心の状態に、大きな影響を与えているのは、必然的な成り行きと言えるのかもしれません。

瞑想を通して、沈黙、静寂の世界の実現は、仏教で謂われている“身心脱落”のことなのか?は、(仏教についてよく知らないので)わかりませんが、ラマナ・マハルシが語っている”心の希薄状態“、所謂”真我実現“の一歩手前の状態であることは、間違いないでしょう。

ヨーガ行者は、先ずは、修養により、クンダリニー(純粋な生命エネルギー)を目覚めさせることに集中しますが、それは、その目覚めたクンダリニーが真我実現への強力な導師となるからですが、瞑想主体のジニャーナ・ヨーガの場合は、クンダリニーの目覚めというプロセスは経ず(そのための修養はせず)、直接、純粋なエネルギーの大海、普遍で無限の意識、クンダ(生命エネルギーの源である無限の大海)に、ダイブすることでしょう。

無限の大海は、今も、沈黙、静寂の世界として、あらゆる人々の内奥に存在しています。

このことに気づいていない人は、多いですが、それでも、真理は普遍であり、例外はありません。

自分や世界に起きていることは、表面的な現象であるだけで、最奥の実在は、何の影響も受けておらず、永遠に普遍で不変な真の実在なのです。
人間は、この永遠の実在から、一時的に、生命エネルギーを受け取っているに過ぎません。

このことに気づくだけでも、個人の人生観は大きく変わることでしょう。

心の希薄状態から、真我実現である無限の大海へのダイブは、個人の力を超えていますので、霊的な領域へのアクセスは、人智を超えた超自然的な力が働く必要があると言えます。
Posted by 真我実現への道 from M-online at 2024年01月13日 13:58
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