2023年12月04日

世界人類が平和になることはありません

今朝目が覚めた瞬間、ここがどこなのかもわからず、ただ開かれた空間だけがありました。

「ただ在る」という瞑想にも似た穏やかでお馴染みの感覚です。


いつもならその感覚を携えながら一日が始まるのですが、今朝は違っていました。

頭の中に一つの思考が湧いた瞬間まるで吸い込まれるように、その思考の世界にハマっていったのです。


真実のピュアな世界から、思考が作り出す偽の世界へ

あるがままの世界から、解釈に満ちた見せかけの世界へ

いまここから、過去や未来を背景にした物語の世界へ

物凄く強力な力によって吸い込まれていきました。


この時確認したのは思考には引力があるということ。

その引力は強力で、いったん吸い込まれてしまったら朝から晩まで気づくことなくずっとその世界にいて、自分が二元の幻想の中にいることに気づかせません。


人は何十年間もその世界にハマってしまいます。

そしてそのことに気がつかないまま一生を送るのです。


そうやってハマった世界に愛はなく、あるのは防御と正しさと批判と攻撃性。

さらには不機嫌さと欠乏感。



世界人類が平和になることはありません




でもいまこうして戻ってこれました。

また再び静寂の世界です。


ここから見ると、通常の世界全体が狂った世界に見えます。

この世界には愛に似たものはあっても、本当の愛はありえません。

にもかかわらず愛を探し、平和を求める哀しさよ。



世界人類が平和になることは決してないのです。


ただ目覚めがあるだけ。












Posted by Toshiro Abe at 07:30│Comments(7)
この記事へのコメント
外に向かって正しさをひたすら追究し続けると頭に来るようになり
「わたしは正しい!あなたは間違っている!」と独善的になっていき
心が暗くなり、小さく閉じていきます→(>_<)←

心が暗くなり、小さく閉じるほど
心が不平不満にさいなまれます→(>_<)←

中に向かって優しさをひたすら追究し続けると心が安らぐようになり
「わたしもあなたもみんなも幸せになりますように^^」と慈善的になっていき
心が明るくなり、大きく開かれていきます←(*´▽`*)→

心が明るくなり大きく開かれるほど
心が平安になり、満たされます←(*´▽`*)→

正しさを追究して心が暗くなって小さく閉じていく時代から
優しさを追究して心が明るくなり大きく開かれていく時代に入っています◎
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2023年12月04日 07:50
あべさんの話も、私なりにだけど分かる。

でも、それだけではない想いが自分の中にあるのも分かる。

よろこびを生きたい、生きる自分があるのも分かる。

それが「目覚め」?

それも、目覚め?

それも、目覚めの・我々の本質の顕れのひとつなのではないか?と想っているところであります(^^)/
Posted by すずめ at 2023年12月04日 08:45
自分の場合、例えば

『「世界が狂ってるように見える」という思考』

に気付けるかどうか、

そして、

『「こう↑気付いてる」と思ってる、他でもない、この自分自身』

に気付けるかどうか、ですね~。

そう↑気付けたら、いつどんな状況でも、

         たったいまの平和

の中で、あーだこーだやってるだけと気付くんですよね・・・・・

とりあえず、こんな↑感じで気付ける時間が増えていけばいい、
と思ってますし、実際ちょびっとづつでも増えていってる、
そんな気が勝手にしています・・・・・
Posted by ただの「自分」 at 2023年12月04日 10:39
>でもいまこうして戻ってこれました。
>また再び静寂の世界です。

瞑想のおかげか。これですねと思えるようになりました。
ありがとうございます。
Posted by レモン at 2023年12月04日 11:42
いまここに、気づくだけですね。
ありがとうございます。
Posted by おにぎり太部留 at 2023年12月04日 21:55
この文章を読みながらも今日一日私も戻れた時間があっただろうか?と問いかけながら瞑想に入ります。
Posted by とっと at 2023年12月04日 22:32
>この世界には愛に似たものはあっても、本当の愛はありえません。

>にもかかわらず愛を探し、平和を求める哀しさよ。

何故、人間は殺し合うのでしょうか?
「愛と平和」を求めているにも拘わらず?
と思ったことが、何度もあります。

殺し合いがあるということは、人類全員が、「愛と平和」を求めている訳ではない、ということなのかもしれませんね。
少なくとも、戦争が起こるということは、「愛と平和」よりも価値ある何かを求める人々が、多少なりともいる、ということかもしれません。
生まれながらにして、「愛と平和」を理解し、感得している人は、少ないでしょう。
むしろ、人生において、「愛と平和」を体験を通して学んでいく人の方が、多いのではないでしょうか?
そうであるならば、戦争が起こると、必然的に、多くの人が、起きている事象を通して、「愛と平和」を学ぶことになります。

戦争を経験した世代と経験していない世代では、「愛と平和」に対する考えや姿勢が異なるのは、体験の有無が、個人の考えに、大きな影響を与えている
ことを示唆していると言えます。

この世には、「愛と平和」を求める人もいれば、そうでない人もいる。
「愛と平和」を最高位の善に掲げる人ばかりではない、というのが現実ということなのでしょう。

「愛と平和」運動と言うと、ビートルズ世代なので、ジョン・レノンを思い出します。
ジョンは、1980年12月8日、ニューヨークで一ファンに銃で撃たれて、死亡しましたが、当時、ジョン・レノンの歌を聴いても、「愛と平和」は、あまりピンときていませんでした。
それは、年齢が若かったから、と自己弁解していますが、若い時は、目の前の人生で起こることに忙しく、また、今ほどの情報化時代でなかったこともあり、世界で起きている紛争や戦争などのニュース報道は、限られていましたので、「愛と平和」に対する世界の現実が顕わになっていなかったこともあり、ジョン・レノンの歌に、切実さを感じたことはありませんでした。

ジョン・レノンの死から、43年が経ちますが、今や世界では、ジョン・レノンの歌を知らない(聞いたことがない)世代の人々の方が、多いかもしれません。

若かった頃、「愛と平和」について、考えるきっかけを作ってくれたジョン・レノン。

ビートルズを体験した戦後の昭和生まれは、平成、令和となり、少数派になりつつあります。

そして、2023年、今や、世界に、戦争や紛争が拡大しつつあります。

>世界人類が平和になることは決してないのです。

>ただ目覚めがあるだけ。

いろいろなことが起こりますが、必ず、すべては過ぎ去ります。

始まり有れば、終わり有り。

戦争から平和を学び、憎しみから愛を学ぶ。

そして、(潜在意識が)目覚めた後は、自分の意識が、すべてを選択し、決定している、ということが、明らかになることでしょう。

そして、「永遠の意識」が在り、それは、「愛と平和」そのものであることが、明らかになることでしょう。

個人の意識が、(表面上ですが)「愛と平和」に近づいている、ということは、個人の意識が、「永遠の意識」に近づいている、ということを示唆しています。

それが、個人の「愛と平和」についての学びが、個人の意識改革に結びついている事由なのです。
Posted by 愛と平和による意識改革 from M-online at 2023年12月05日 02:04
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