2013年02月28日

2月28日の日記

昨日書いた、「以上!」ですが、ちょっと考えにハマりそうになったら、「以上!」と言ってやめてしまいましょう。

いつでもどこでも、「以上!」は僕たちの良き友達です。


いかに考えない時間を増やせるか、毎日の修行ゲームだと思ってやってみると、心身ともに絶好調になりますよ。


もちろん思考を使う場面もあります。

何かを考えて整理したり、プランをたてたり、ここぞという時は集中して考えます。


それ以外の思考は、僕たちが信じているようには役に立っていません。

たいていの場合、答えが出せないまま、堂々巡りになっています。

だから、「以上!」を多用して、いまに戻ってくるんです。

そうやって無思考の時間が持てるようになれば、いざ思考を使うときの思考は研ぎ澄まされています。

現実をもっと、冴えた状態に変えていくことができます。






外に出て、両手を広げて深呼吸します。

青い空、白い雲・・・



息を吸って私は静か・・・

息を吐いて私は微笑む・・・



そんな言葉と共に、ゆっくりと呼吸します。



耳を澄ませば、街の音が聞こえてきます。


「あー、僕がいなくても、世界は完璧に動いている」

そう思うと、心の底から平和な気持ちが訪れます。




世界から完全に手を引いています。







     


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2013年02月27日

以上!

昨夜、沖縄の講演会が終わった後、ある女性が相談に来ました。

どうしても自分が好きになれないと言うのです。


いろんな本の中にも、自分を好きになるようにと書いてあるのに、どうにも好きになれない。


好きにならなきゃダメじゃないか・・・

どうして好きになれないんだ・・・

どうしたら好きになれるんだろう・・・


そうやってゴチャゴチャ考えていること自体が、苦しみを増やしています。

本来あるべき姿を想定して、そうなれない自分を責めているのです。


「私は自分を好きになれない!以上!!」

で終われば、それはそれで爽やかです(笑)


いいじゃないですか、それで。

そのうち変わりますよ。


好きも嫌いも好きのうち。

どのみち、一番関心があるのは自分のことなんですから。





実は僕も、若いころは自分の事が大嫌いでした。

欺瞞のかたまりで、役者で、自分勝手で、プライドばかりが高くて、そのくせ自信がなくて、誰のことも愛せなくて、誰からも愛されていないように思えて、あ~イヤダイヤダ!


そんな要素は、いまでも僕の中にありますよ。

でも、そのことが問題ではなくなりました。


この先だって、自分が嫌いになる瞬間がくるかもしれません。

でも、またすぐに復活するでしょう。


だってその時、僕はこう言うからです。

「自分を好きになれない!以上!!」



いまの僕には、自分を嫌いだという気持ちはありません。

でもだからと言って、自分を好きだなんていう気持ちもありません。


「自分を好きだ、好きだ、好きだ、好きだ!!」

こういうの気持ち悪いですから。



「とりあえず、こんな自分です!以上!」



ま、気楽に行きましょう(^o^)







   


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仙台講演会(3月31日)の、お申し込みを開始します。

詳細はコチラから


大阪講演会は定員に達したため、お申し込みを終了しました。

都合が悪くなった方は、なるべく早くご連絡下さい。


そのほか3月講演会は以下の通りです。


東京(3月17日)


札幌(3月24日)


  


Posted by Toshiro Abe at 10:43Comments(84)

2013年02月25日

2月25日の記事

スピ系の情報に引き寄せられてくる人の中には、人生に行き詰まり、新たな救いを求めている人もいると思います。

確かに新しい教えに触れることで視点を変えてみるのは大切で、それによって自分の偏った生き方を修正することも可能です。


しかしそれでも、仕事やお金や健康などの問題は残ったままです。

結局僕たちは、人生に立ちはだかる困難と向き合っていくしかないのです。

そして苦しんで苦しんで、その果てに見つけ出す境地、それこそが真の救済です。


じっくり腰を据えて、目の前の現実に対応していくしかありません。

安易な救済にすがっても、かえって遠回りになってしまいます。


この世に特別な能力を持った救済者など存在していません。

そのような謳い文句で活動する人は後を絶ちませんが、救済は自分の中でしか起こり得ないのです。

人が悪夢にうなされているとき、その人の夢の中に入っていって、問題を解決することはできません。

せいぜいできることは、うなされている人を夢から覚ましてあげること、目覚めを促すことでしょう。


しかしそれとて、その本人自らが目覚めるしかなく、そのためには、耐えられないくらいの悪夢を見ることかもしれません。

武器を持った大勢の敵に囲まれて、逃げ伸びた先が崖になっていて、その下には飢えた猛獣たちが口を開けて待っている。

そしてついに、まっさかさまに崖から落ちていく、その瞬間に夢から覚めたりするのです。


そうなると、目覚めを促す側のやることは、「もっと苦しめ、もっと苦しめ」ということになります。

チベット仏教のミラレパの伝統(カギュ派)には、そんな逸話がたくさん残されています。





なんだか救いのない話になってしまいましたね(笑)

でも大丈夫です。

どんな悪夢の中にいようと、どんな困難の中にいようと、僕たちは最初の最初から救われているからです。

だって夢なのですから。


このことは、ここでも繰り返し伝えてきましたが、このような言葉も使い方を間違えてはいけません。

夢だ夢だと言い聞かせても問題は無くなりませんし、どうせ夢だからと言って全部投げ捨出しても始まりません。


最終的には救われているという安心感を持って、人生に立ち向かっていきましょう。

それが僕からのメッセージです。



きっと僕はおせっかいなのでしょう。

こうしてなんだかんだと伝えたくなるのです。


講演会も終わる時間が惜しいくらいに話し足りないし、毎朝こうして何か書きたくなってしまいます。

きっと僕の業(ごう)が深いからだと思います。


また書きます(笑)







   


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3月10日の大阪講演会は残り席わずかです。

3月17日 東京

3月24日 札幌


明日の夜は、沖縄での月例講演会です。


詳細は各都市名をクリックしてください。

  


Posted by Toshiro Abe at 08:53Comments(108)

2013年02月23日

心境 その4

もうスピ系のメッセージは飽きました。


あはは、これは僕としては究極の宣言かも(笑)


あとは、地に足をつけてしっかりと生きていく、それしかありません。

僕はもっと現実的なテーマを語っていきましょう。

人間関係のこと、健康のこと、家族のこと、歳をとるということ、お金のこと、セックスのこと・・・

苦しんでいる人を楽にしてあげられたら、そんなに嬉しいことはありません。


人間とは複雑な生き物で、自分で勝手に自信を無くしておきながら、自信を持とうとしています。

自分は無知だという催眠術をかけて、何かを学ばなければいけないと思っています。

悟っているのに、悟りたいと叫んでいます。


もう何も探さなくて大丈夫。

時節が来れば、花が咲くからです。


そんなことは天に任せて、お互いにしっかりと生きていきましょう。

自分を、そして周囲の人たちを幸せにしていきましょう。


「一隅を照らす」


なんていい言葉でしょう。

霊的天才の空海さんもいいけれど、一人間である最澄さんに惹かれる今日この頃です。


また門ちゃんに会いたいなあ。



年末の比叡山リトリートでの門ちゃんとのツーショット








   


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明後日沖縄に帰ります。

沖縄講演会は2月26日です。

詳細はコチラから


3月31日の仙台講演会は、週明けにお申し込みを開始します。
  


Posted by Toshiro Abe at 19:10Comments(62)

2013年02月22日

性の話

昨日の話で、80歳を過ぎても性欲があるの?みたいなことを書いてくれた人がいました。


意外かもしれませんが、年齢を重ねて食欲や物欲が減ったとしても、性欲は残っています。

もちろん、体力的な衰えはありますが、性に対する関心は変わりません。

なぜなら、僕たちの存在自体が、性に根差しているからです。

性交渉によって誕生し、性と共に生きているのです。

老人たちは、自らの性欲を恥じて隠す傾向にありますが、ある心理学者に言わせると、人間が死の間際に見る最後のビジョンは、性に関することだとのことです。





人間だけでなく、あらゆる生物は、性を基盤に生きています。

僕たちが美しいという花々も性の現れですし、小鳥のさえずりも、虫の鳴き声も性の呼びかけです。

命が3次元に現れたとき、それは性そのものとして存在するのです。


ところが人間は性に対する否定的な観念を持っているので、その一生はとても不自然なものになります。

この不自然さ、あるいは抑圧が、人生を謳歌するする妨げになったり、自分自身に対する軽蔑に繋がったりしています。

まさに性格が歪んでしまうのです。


ですから、性を中立的に見ることは大切です。

しかしこのテーマは、人間の集合意識の奥に巣食っていて、あまりにも深いので、デリケートに扱う必要があります。

無意識による拒否反応が起こりやすく、あるがままに見ることが極めて難しくなっています。


性の抑圧も、性の自由も、どちらも間違った観念から生じた結果です。

これまでの文明が抱えてきた、「性」と「死」に対する誤った観念が変わるだけでも、すべての人たちが尊厳を持った人生を送るための、大きなきっかけになると思います。


性に対しては、様々な意見があると思いますが、その意見そのものが、観念というフィルターを通して生じていることを忘れてはいけません。

こんなことを書いている僕自身も、まだまだ多くの観念を持っていると感じています。


先ほども書いたように、これらの観念は個人的なものというよりは、集合意識のものだと思います。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 17:01Comments(69)

2013年02月21日

ビンビンに立つ話

僕たちは自分で人生をコントロールしているつもりでいますが、実際にはハプニングの中で生きています。

ハプニングというのは、勝手に起きることが起きているということです。

やっているのは自分じゃないのに、「自分がやっている」と思うから、後悔したり自分を責めたりするのです。

ああすればよかった、こうすればよかったという思いが、どれほど僕たちを苦しめてきたことでしょう。


「事はただそのようにして起きた!以上!」

これくらいの態度で、次に進んでいきましょう。


今日も、僕が好きな話を紹介します。


80歳を過ぎたリッチな老人が、20代の若い女性と結婚しました。

夢のような結婚生活が始まりましたが、なにせ歳が歳ですから、夜の生活は思ったようにいきません。

いろんな薬を試してみるのですが、いざとなるとフニャフニャで役に立ちません。


ある日老人は、魔術師の存在を耳にします。

どんな願いも、不思議な力で叶えてくれると言うのです。





魔術師は言いました。

「あなたのイチモツが20代によみがえる、そんな魔法をかけてあげましょう。ただしこの魔法は3回しか使えません」

たった3回でも、夢のようなひと時が味わえるならばと、老人は超高額な謝礼を支払って、その魔法をかけてもらうことにしました。


魔術師は言いました。

「ベッドに入る直前に、『ブー』と言いなさい。そうすればビンビンになります」


老人は帰りの車の後部座席で、魔法の力は本当だろうかと思いました。

そこで試してみました。

「ブー!」


するとどうでしょう。

それまで萎えきっていたイチモツが、ビンビンにいきり立ったのです。

そして「ブー!ブー!」と言うと、速やかに元の状態に戻りました。


これは凄い!やっぱりあの魔術師は本物だった。


その時、後ろから車がすごいスピードで追い越しをかけてきました。

老人の車の運転手は、乱暴な運転に怒ってクラクションを鳴らしました。


「ブー!」

すぐさま老人はビンビンになりました。


すると追い越していった車が逆切れして、さらに激しくクラクションを鳴らしました。


「ブー!ブー!」


またフニャフニャに戻りました。


後一回です(涙)


老人は運転手に、二度とクラクションを鳴らさないように注意して、早く家に着くことを願いました。


家に帰ると、若い妻に、すぐに裸になってベッドに入るよう伝えました。

彼女は何が何だかわからずに、それでも彼の言うとおり、服を脱いでベッドに入りました。


老人も服を脱ぐとベッドに入り、すぐさま呪文を唱えました。

「ブー!」


ムクムク、ビンビン


すると若い妻が尋ねました。

「ねえ、ブー!ブー!ってな~に?」





人生とはこういうものです。


オシマイ








   


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3月24日(日)の札幌講演会のお申込受付を開始します。

詳細はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 11:40Comments(69)

2013年02月20日

伝えたいこと

いま、長い瞑想から出てきました。

いくつかの言葉が外に出たがっているので、趣くままに書いてみます。







人生で得た最も大きな気づきは

「自分は決して死ぬことはない」

というものでした。

同時にそれは、自分だけでなく、あらゆる人に当てはまる真実だと知りました。


肉体は朽ち果てていきます。

肉体は死という現象を避けられません。


しかし、僕たちは肉体ではなく、意識です。

両手両足が無くなろうとも、意識は何一つ損なわれません。

体中のあらゆる器官が失われても意識は残ります。

それは脳とて同じです。

意識は脳から生まれたのではなく、脳を使う主体です。

脳はコンピューターのようなものであり、意識はそのユーザーです。


意識は常に「いまここ」に在り続けています。

宇宙が誕生した時から、ずっと「いまここ」に在るのです。

宇宙こそが意識であり、僕たちこそが宇宙であるところの意識です。


自分が決して死なないことが分かれば、人生観は一変します。

そのとき初めて、人生を、与えられた義務としてではなく、遊び心で生きることができます。

深刻さが消えるのです。


深刻さとは、結果志向から生じています。

終末があると思うから、結果が重要になるのです。


しかし終末も結果もありません。

すべては、「いま」という中で起きている意識の表現です。

それは無目的であり、単なる宇宙のお遊びです。


これらの言葉があなたの奥深くに浸透したとき、あなたは新しく生まれ変わります。

そして、真に生きるということの意味を知るのです。



とりとめのない文章になってしまいましたが、編集せずにそのまま載せることにします。

何を言いたいのか、別の機会に、違う表現で書くことがあると思います。

あなたに根本的救済が起こりますように。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:40Comments(130)

2013年02月18日

あるがままって難しい?

こうしてブログでメッセージを発信していると、こんな僕に対してさえファンタジーを持つ人がいます。

言うまでもなく僕は、ごく当たり前の人間です。


この世に特別な人など存在せず、自分も当り前でいいんだという気づきは、各々が自分を受け入れる上での、大きなヒントになるはずです。

そんなメッセージを伝えている僕にファンタジーを持たせてしまっては本末転倒とばかり、講演会などでは自分の至らなさを強調して表現したりもします。


そんなときは、あるがままを演出しているみたいな気持ちになります(笑)





今日は、僕が好きな話を紹介します。


ある村に修行僧が住んでいました。

彼は村はずれの庵に祭壇をこしらえて、そこで瞑想するのが日課でした。


彼には信者がいました。

信者は毎朝、庵の近くのお堂に、食事を届けてくれていました。

修行の邪魔になるからと、庵にやってくることはありませんでした。



そんなある日、お堂に置かれた食事の傍らに、一通の手紙が添えられていました。

それは信者からのものでした。


久しぶりにお顔を拝見したいから、明日は庵を訪ねたいというものでした。


修行僧は考えました。

「こんな汚い住まいを見られたら、信者さんをがっかりさせてしまうかもしれない」


そこで彼は久しぶりに、庵の中を掃除しました。

徹底的に掃除したおかげで、中はすっかり綺麗になりました。


しかし、また修行僧は考えました。

「なんて不自然なんだ。これでは人為的に見えてしまう。あるがままに自然に暮らしている自分だからこそ、信者さんは支えてくれているというのに」


そこで彼は、庭の枯葉やゴミを、わざと部屋の中に巻き散らかしました。

そのせいで、元の部屋よりもっと汚くなってしまいました。


そこに信者さんがやってきました。

彼は部屋の中があまりにも荒れ果てているのを見て驚きました。


いったい何があったのかと修行僧に尋ねました。


修行僧は腹を決めて、自分の心に起こった経緯をすべて話しました。


それを聞いて信者さんは大笑いをしました。

修行僧も一緒に大笑いをしました。


その時、二人は完全に心を開きあっていました。


それは二人に大いなる啓示をもたらす、偉大な瞬間となりました。



僕はこの話が大好きです。

あなたとも、そんな関係になりたいと思っています。








   


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2月東京講演会は、キャンセル待ちも含めて、お申し込みは終了しています。

次回は3月17日に開催します。

本日より受付を開始しますので、参加ご希望の方はコチラからお入りください。


大阪は3月10日です。

詳細はコチラから。
  


Posted by Toshiro Abe at 12:21Comments(82)

2013年02月16日

心境 その3

温泉に入りすぎて、ややふやけ気味の昼下がりですが、みなさんお変わりありませんか?

今日もここに来てくれてありがとうございます。


昨日のコメント欄の質問に、

「いまの願望はなんですか?」

とありました。


そこで少し瞑想して、自分の中を調べてみました。


その結果、個人的な願望は見当たりませんでした。

格好つけて言っているのではなく、本当に見当たりませんでした。


ただ流れのままに、これからも生きていくのだと思います。

こんな心境になったのは、すでに僕が十分に恵まれているからかもしれませんが、その一方で、自分を取り巻く環境が変わっても、心境は変わらないような気がしています。


それでもあえて何か望みがあるとすれば、世界を動かすメカニズムが、権力欲などの自我の力から、愛と慈しみの力にとって変わればいいと思います。

そしてこの地上から貧困が消え、世界中の街角から子供達の笑い声が聞こえてきたらいいと思います。

人間だけでなく、動物たちの命も尊重され、この世から痛みや苦しみが最小限に減らせたらいいと思います。


もし神様がいて、そんな世界に変えてくれるというなら、それと引きかえに、いますぐこの命を捧げても悔いはありません。


なんだか、綺麗にまとまってしまいましたが、これが偽らざる気持ちです。

そして僕と同じように思っている人が、たくさんいると感じています。



さて、同時に、もう一つ言えることがあります。

これらの願望は現象界のものであり、もっと深い真実から見れば、すでに全ては完璧であり、これからもずっと完璧だということです。

みながそのことに気づいた時、今日述べたような世界が出現するのでしょう。


大いなるパラドックス。

どうやら僕たちは、そんな夢の中に送り込まれているようです。/
  


Posted by Toshiro Abe at 14:09Comments(68)

2013年02月15日

心境 その2

目覚めについては、いろんな解説が可能だけれど、その中の一つは、自分が何ひとつ誇れるような人物ではなく、九十九里浜の一粒の砂のごとき、ありふれた存在だということに気づいたこと。

これは大きかった。


どうひっくり返しても、自分のしょうもなさはいかんともし難いことを知るのは、この世で最も素晴らしい気づきだと思います。

なぜなら、自分を高めようとか、ひとかどの人物にならなければなどという、幻想ゲームからリタイアできるからです。


それはそれは楽になりましたよ。


きっと僕は、世にいう悟りとやらを経験したのでしょうが、いまもって煩悩のかたまりであり、そんな自分を愛おしく思っています。


お金大好き。

愛も大好き。

自分が大好き。

ブログを書くのも好き。

講演会で好き勝手なことしゃべるのは、もっと好き。

瞑想するのが好き。

そして温泉が大好き。


そんなわけで、今日は松山の道後温泉に来ています。

この温泉宿が今回の会場です。


松山のみなさん、楽しくやりましょう(*^o^*)









   
  


Posted by Toshiro Abe at 14:53Comments(43)

2013年02月14日

どってことないよ

いま問題を抱えている人いますか?

あと5年もすれば、きっと違う問題に変わっていることでしょう。


どんなに深刻に見える事態も、過ぎてしまえば何てことはありません。

ある種の冗談のようなものです。



悩まない秘訣は一つだけ。

悩まない秘訣は、悩まないことです。



どの道、起きることが起きていくのだから、それでいいじゃないですか。


人を恨んでみても、責めてみても、世界はただあるがままに動いています。


いままでも、そしてこれからもね。



世の中は 

喰うて糞して寝て起きて

さてそのあとは死ぬるばかりよ


一休禅師




そういうこっちゃ







   
  


Posted by Toshiro Abe at 11:42Comments(65)

2013年02月13日

あのころの未来

今日も歌ネタから入ってみます。

20代の頃は、毎日のように歌を書き、自らも歌ったりしていましたが、本当に歌が好きだったかというと、そうでもありませんでした。

消去法で行き着いた職業であり、華やかな世界へのあこがれが、その主な動機でした。

首尾よく思いは達せられましたが、どこまでいっても心が安らぐことはなく、よりよい将来を目指して旅は続いていました。


そんなある日、将来を夢見るということのナンセンスに気づき、「いまここ」という唯一のリアリティに目覚めました。


未来は決して訪れることはない。

どんな未来も、「いま」という形でやってくる。


そのことが分かったとき、初めて、心の底から安らぎを感じることができました。

求めていたモノはすでに手にしていたのです。

いまのままでは何かが欠けているという錯覚が、将来へ将来へと駆り立てていたことを知りました。


もう何もしなくていいと分かった時、最初に落ちたのが歌を作ることでした。

好きで始めたことも、すっかり義務になっていたからです。


楽器に触れることもなくなり、ただ時が流れていきました。

その間は、本当にやりたいことだけをやってきました。

存在に関する真実を、縁ある人に伝えることが、やりたいことでした。

それはいまも変わっていません。


ところがある日、運命のいたずらで、ふたたび沖縄で音楽活動をすることになりました。

気がつけば、17年間も音楽から遠ざかっていました。

そこで、いまはどんな歌が流行っているのかと、久しぶりにテレビを見たり、CDショップに行ったりしました。


歌も進化しているな・・・それが率直な感想でした。

コード進行もおしゃれになっていて、多くの楽曲が新鮮でした。


そんな中で、目に飛び込んできた歌詞の一節がありました。



あのころの未来に僕らは立っているのかな (夜空ノムコウ)







そう、その通りです。

いつかいつかと言って生きてきましたが、その「いつか」は、「いま」こうしてやってきているのです。

そしてこれからも「いま」があるだけです。



あのころの未来に僕らは立っているのかな



この感覚を忘れないようにすれば、「いまを生きる」ということが可能になります。

とても素晴らしい一節だと思います。



さて余談ですが、この歌を大層気に入り、いまもギターで口ずさんだりしています。

そのうち、物好きなひとたちを集めて、飲んだくれライブをやってみようかなんて思っています(^o^)




今日は映画の試写会に行ってきます。

「クラウド アトラス」という映画です。

「マトリックス」の監督の作品で、トムハンクスが主演です。


今回は偶然にも、配給会社さんと映画のプロモート会社さんから同時にお誘いを頂いたので、きっと僕のような者が喜ぶ作品なのだと思います。

また感想を書かせてもらいます。










   
  


Posted by Toshiro Abe at 10:18Comments(48)

2013年02月12日

小さな世界

なんの脈絡もなしに、懐かしい歌が頭の中を流れることはありませんか。

昨夜、大阪駅から新幹線に乗って東京に向かう途中で、ずっと鳴り続けていた曲。

「it’s a small world」


昭和60年3月、突然にして魂の目が開いた数日後、なぜか無性にディズニーランドに行きたくなりました。

たぶん、日常を離れた場所に身を置きたかったのだと思います。

そこで乗ったアトラクションで、心を打ったのが「it’s a small world」でした。





特に歌詞のこの部分、

「世界中どこだって、笑いあり涙あり・・・」


そうだ、そうだ、そうだ。


僕が気づいたことは大層なことじゃない。

人がみんな、同じ命に生かされている同じ存在だということだ。


豊かな国も、貧しい国も、仲がいい国も、敵対する国も、そこに暮らす人々は、みんなそれぞれに幸せを願い、喜んだり悲しんだりしながら、毎日を一生懸命に生きているんだ。

もしそんなイマジネーションを持つことができたら、戦争して爆弾を落とすことなんて、できるはずがない。


そんなことを思いながら、アトラクションの船の上で涙していました。


その歌が、なぜか昨日、頭の中を流れ続けていました。


「世界中どこだって、笑いあり涙あり・・・」



世界中 だれだって 

ほほえめば 仲良しさ

みんな輪になり 手をつなごう

小さな世界


世界はせまい 世界はおなじ

世界はまるい ただひとつ


世界中 どこだって 

笑いあり 涙あり

みんなそれぞれ助け合う 

小さな世界


世界はせまい 世界はおなじ

世界はまるい ただひとつ





「阿雲の呼吸」が終わりました。

この3連休、たくさんのご来場ありがとうございました。

コラボ講演会で最も大切なのは、お互いに何を話すかではなく、年齢や背景が違う壇上の二人が、同じ理解を共有しているという点です。

そこさえ伝われば、なによりの説得力になります。


そんな観点から言えば、黒斎くんとは、とてもバランスの取れたコンビだったと自負しています。

またいつかやりましょう(^o^)









   


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3月は大阪(10日)、東京(17日)、札幌(21日)、沖縄(26日)、仙台(31日)でソロ講演会があります。

今日から大阪の申込受付を開始します。

詳細はコチラから

  


Posted by Toshiro Abe at 09:56Comments(49)

2013年02月10日

平穏無事順風満帆

もし人生に、まったく問題や摩擦がなかったらどんなでしょう。

そんな人生を映画にしてみましょう。

主人公は太郎。

あらすじは以下の通りです。


太郎は生まれてから何一つ苦労なく育ちました。

太郎は成人して結婚して、その後も何の問題もなく結婚生活が続いて行きました。

仕事もお金も人間関係も順風満帆で、毎日が水のように流れていきました。

そうやって年老いた太郎は、苦労や悩みという感覚を知らないまま、老衰で自然に死んでいきました。

めでたし、めでたし。


という2時間映画です。





続編も見たいですか?

時代と相手役は変わりますが、ストーリーの基本は同じです。

何の問題もない人生だからです。


僕たちは、人生からあらゆる問題が消えて無くなることを望みますが、本当に望んでいるのでしょうか。

いえいえ本当は、幾多の危機に見舞われながらも、果敢にそれらをクリアしていくヒーロー物語が大好きなのです。


でも大丈夫。いままでどおり、これからも問題は姿かたちを変えて発生してきてくれます。

いままでがそうだったように、これからもそうです。


だとしたら、もはや目の前の問題は、問題ではなく人生の一部ということになります。

これさえ解決すれば・・・ということはなく、それが解決すれば、次はまた思ってもみない問題がお待ちです。


どうします?

新しい問題に変えますか?

それとも、目の前の問題にしておきますか。



あはは、日曜日の朝、こんな他愛もないことを考えてみました。



昨日は東京「阿雲の呼吸」にいらしてくれて、ありがとうございました。

何か一つでもお役にたてたとしたら幸いです。


いまから名古屋に向います。








     


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(76)

2013年02月08日

極楽飯店

長かった沖縄滞在も今日で終わり。

午後に上京します。


今年の後半からは、沖縄にいる時間を月の半分に増やしていく予定です。

滞在時間が増える分、捨てられたワン子やニャン子の救済をしていけたらと思っています。

沖縄は犬猫の殺処分数がとても多いので、それを一番少ない県にすることができたら嬉しいですね。


これは夫婦で共有している思いです。

特に智子さんを見ていると、生活そのものが慈愛に溢れています。

彼女の気が済むまで、とことん動物たちに奉仕させてあげられたら、それが僕の本望でもあります。

僕の人生は、彼女のサポートなしにはあり得なかったので、この先は彼女がキラキラ輝いて生きられるお手伝いができたらとも思っています。

そうしたら、当然僕も輝いていますよね(^o^)



さて、今回の上京は、東京、名古屋、大阪での「阿雲の呼吸」です。

雲 黒斎くんとのコラボ講演会は、しばしお休みということで、今回はまさに「一期一会」ライブになります。

明日の東京は満席ですが、名古屋と、大阪の第二部に席があります。



僕の人生にはおかしなジンクスがあって、生意気にもこうして若い人を引き立てさせてもらうと、ほぼ例外なく、その後ブレイクしていきます。

黒斎くんも、これからますます活躍していく人なので、みなさん注目していてください。


そんな黒斎くん、今月末には待望の新刊が発売されます。

ブログの連載で人気が高かった「極楽飯店」が、さらに磨き上げられて、満を持しての発売です。

誰もが興味を持っている死後の世界を題材にした、メッセージ性あふれる娯楽読み物です。

きっと大きな反響を呼ぶことでしょう。






すでにアマゾン予約も始まりました。

ぜひご一読ください。


そして応援よろしくお願いします。


「極楽飯店」(小学館)




今日も良い一日をお過ごしください(^o^)









   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:26Comments(47)

2013年02月06日

いい感じ

手塚治虫さんが

「漫画を描かせてくれ」

と言って死んでいったと、コメント欄にどなたかが書いてくれました。


きっとその時の手塚さんの中には、具体的なアイデアがたくさんあったのでしょう。

「早く書きたい」「すぐに書きたい」という感じだったと思います。


それらの作品は、手塚さんが頭を駆使して作り出しているものではなく、彼方にすでに存在していて、この次元に出る機会を待っている何かです。

この次元に出てくるための通り道として、手塚治虫という人を選んだのだと思います。







音楽でも、絵画でも、彫刻でも、みんなそうです。


本物の芸術とは、人智の及ばない、彼方からのエネルギーです。

芸術家とは、彼方からの力を、自分を通してこの世に生じさせている、妊婦なのかもしれません。



新しい発明も、同じようなことが言えると思います。

彼らはみんな、
「私が発明したんじゃない。最初から在ったものを私が見つけただけだ」
と言うことでしょう。


新しいすべては、ただ、見つけられるのを待っています。

この先、人類が見つけ出していくあらゆる叡智は、すでに「いま」存在しています。

起こりうる可能性のすべては、「いま」という中に内在しているのです。



さて、本当は誰もが芸術家です。

ちょっとその気になれば、自分独自の何かを表現することができます。

するとこの世に、新しい味が加わります。

それは、あなたを通してしか出てこられなかった、あなたのオリジナルです。


この力を創造性と言うのなら、新しい時代には、億単位の創造性が花開いていると思っています。








   


・・・・・・・・・・・


東京2月講演会は満席のため受付は締め切っています。

次回は3月17日を予定しています。







  


Posted by Toshiro Abe at 16:11Comments(55)

2013年02月05日

心境 その1

今現在の、ありのままの自分の心境を書いてみたいと思います。

このような切り口は、もしかしたら誰かの役に立てるかもしれません。

あまり気張らずに、簡単なところから書いてみます。



前に、僕たちの身体は、この世を生きるために天から貸し与えられた、レンタカーのようなものだという話をしましたね。


身体だけでなく、この世で手にしたと思っているありとあらゆるものは、一時の借りものに過ぎません。

特に、育てた子供に対しては、自分の○○と思ってしまいがちですが、実際には自分のものなどひとつもありません。

すべて全体のものです。


それがわかれば、自分は何一つ所有していないことが分かります。

何も所有していないのだから、何一つ失うものもありません。


僕たちは裸で産まれてきて、裸で死んでいくんです。

一生の間に、何かを得たとか失ったとか大騒ぎしますが、その人は夢を見ているだけです。






この気楽さは、他に例えようがありません。


でも人の世は、「これは誰のものか」で成り立っているので、そこはうまく合わせます。



自分も他の人たちも、実際には何も所有していないことを知っています。

ぜ~んぶ、借り物です。


だからこそ大切にしたいと思うのです。

お借りしたものを粗末にしてはいけません。


子供や家族を愛し、自分の身体を愛し、死ぬ時は軽く笑って逝きたいと思っています。




したがって遺言はこんな感じです。


「じゃあね」(^o^)/









   

  


Posted by Toshiro Abe at 10:09Comments(63)

2013年02月04日

ほら、いまここに、本当のあなたがいる

「首なし人間」のほかに、奨励してきた行に「ストップ瞑想」があります。


これは、いつでもいから気がついたときに、あらゆる連続性(行為や思考)を断ち切って、突然いまここに戻ってくるというものです。

多くの場合、僕たちは物事の連続の中で生きていて、そのストーリーに飲み込まれています。

本当に起きていることは何かと言えば、まさにいま、まさにここで、自分という無限の意識が、自由自在に自己表現をしているということだけです。


いま自由自在と書きましたが、実際には幾多の観念によって、とても不自由な範囲で自己表現をしているのが普通です。

そのような生き方には、多くの「べきだ」や「ねばならない」が存在し、しかも生真面目で深刻になってしまうので、自由の可能性を説かれても、無責任な話に聞こえてしまいます。


だから、笑いが大切なのです。

笑いは、たとえ一瞬でも深刻さを吹き飛ばし、真実の可能性に心を開けるようにしてくれます。

だから、チャンスを見つけたら、わざとでいいから大声で笑ってください。

そのうち、本当に笑えてきます。



さて話を戻しますが、今日も一日、どんな時でもいいから、心の中で「ストップ!」と唱えて、それまで担っていた社会的役割をぜんぶ放り出してみてください。

その瞬間は、とてつもなく神聖になり得ます。



「幻想からリアリティーへ」

このシフトは、まさにいま、突然起こすことによって実現するのです。



5秒後にストップしようというのは、間違っています。

まさにいま、思い出した瞬間に行うのが秘訣です。

もちろん車の運転中や、横断中は止めましょう。



今日も一日、修行、修行(^o^)










   


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2月24日の東京講演会は残り席僅かです。

2月17日の松山講演会は、定員に達したため受付を締め切っています。

申し込まれた方で、ご都合が変わった方は、なるべく早くご連絡ください。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:47Comments(42)

2013年02月02日

首なしの行

先日お話ししたサウナ瞑想法を3日連続で試していますが、あれいい!!


決め手は、サウナの高温室の中で、自分の頭を消せるかです。


これは「首なし人間の行」を日頃から練習しておくと簡単にできるようになります。


一日にたった数分間でも、自分がいなくなった状態を生きられれば、その間にストレスは消失します。

ありとあらゆる苦悩の原因は、「私がいる」という錯覚がもたらしていて、その錯覚が作り出す「人生という名の幻想」に四六時中浸っていたら、誰だって調子が悪くなります。

思い込みが僕たちの心身を蝕んでいるのです。


だから、一日のうち僅かな時間でもいいから、人生から完全に手を引く時間が必要なのです。




あなたがいてもいなくても、世界は完ぺきに機能しています。


ただあるがまま、起こるがままに、これからもずっと・・・ね。



それでいいのだ。








   
  


Posted by Toshiro Abe at 09:41Comments(49)