2010年07月31日

変なおじさんからの、変なメッセージ

さっきまであなたの中にあった波動が、いまは僕の中に入り込んでいる。

その時、僕はさっきまでのあなただ。


ひとつの固定された人格が継続的に生きているんじゃなくて、それは次々と入れ替わっている。


美しい詩を書いた同じ人が、次の瞬間、口汚く他者を罵(ののし)る。

それが現象界の真実。


多くの人が自分を認められないのは、低いレベルの波動が時折自分を乗っ取るからだ。
 
でもね、みんな同じなんだよ。

言わないだけでね。


自分の中にいろんな面があるんじゃなくて、いろんな面がいろんな人を出入りしているだけ。

あなたの中に現れるのは、人間が共有している様々な波動であって、あなただけの独占物じゃない。

だから安心してね。



自分を認めるというのは、人類全体を認めるってこと。

だって、あらゆる人が、あらゆる可能性を携えているのだから。



あなたの中にあるものは、全部僕の中にもある。

あなたは僕だし、僕はあなただ。

美しさも醜さも両方持っている。

それはどちらか片方では存在できない。

醜さがなくて、どうして美しさが存在できるだろう。


ふたつでひとつ。

なにもかも、ふたつでひとつ。

だからプラスだけになろうなんて思わないでね。

なれやしないから。


あるがままでOKって、そういう意味なんだよ。


うまく伝わったかな。




これからも自分を向上させようと奮闘するか、それとも潔くあきらめてあるがままを認めるか。


あるがままを認めると、これ以上成長しなくなっちゃうって考えてない?

それは誤解だよ。

あなたは永遠に、いまあるがままのあなた以外にはならないのだから。


この真実を見抜くのは、自分への最高のプレゼントになる。



あんな人も、こんな人もいやしない。

あんなときや、こんなときがあるだけ。



みんなで楽しくやろうよ。

鎧を脱いで無邪気に遊ぼう。



もうそんなこと、どうだっていいじゃない。

いまを陽気に生きようよ。


この世は宇宙の戯れ、リーラだ。

世界はどこにも向かっていないし、目的もない。


ただ、いま、こうしてあるがままにあるだけだよ。

いつだってね。





   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:46Comments(119)

2010年07月30日

タントラへの道

みなさんが興味を持ってくれた「タントラへの道」に関して、裏ブログにエッセイを載せたことがあります。

今日はその文章を転載します。

いまから3年前の、2007年10月に書いたものです。


・・・・・・・・・・・



最初にこの本に出会ってよかったのは、精神の道が決してドラマチックなものではなく、むしろ淡々とした、たいくつさを伴うものだということを教えてもらったことです。


僕たちは自分の精神性を高めていく途上で、奇跡や劇的な出来事が起きる事を期待してしまいますが、実際にはそんなことはなく、ただシンプルであたりまえな人間になっていくことにすぎません。


霊能力が発揮されたり、超人になったり、高潔な聖人になったりすることと、精神性が高まって真理を獲得することとは何の関係もありません。

僕らは、特別な誰かになろうとし、自分の人生に特別な出来事を期待してしまうのです。



精神性が高まるというのは、自我が薄らいでいくということです。

ところが自我というものは非常に狡猾で、精神性の高まりさえも自分を飾るアクセサリーにしてしまいます。

それを「精神の物質主義」と呼びます。



精神の道は、誰も見ていてくれません。

誰も誉めてもくれません。

それは孤独な道なのです。


幾重にも身にまとった自己欺瞞をひとつひとつ見つめ、皮膚を剥ぐような思いで自分を裸にしていく。

それは苦痛と屈辱にまみれながらの、自分との戦いなのです。



「タントラへの道」は、そんな基本を徹底的に教えてくれました。

チョギャム・トゥルンパ師の「タントラへの道」に最初に出会えたことは幸運でした。

今の僕の考え方に大きな影響を与えています。

宗教、経典、霊感、教祖、聖者、覚者といったシンボルに惑わされなくなりました。

あるがままの自己と共に一人立つところが本当のスタートです。



こんな僕に対してさえ何かしらの霊的幻想を抱き、高く評価して執着しようとする人がいます。

そのような人は、いずれ自分の美学に反する側面を僕の中に見たとき、僕から去っていく人です。


勝手に恋をして、勝手に失望していくのです。



トゥルンパ師は言います。

精神の道を歩きたいのであれば、まずは徹底的に希望と期待を捨てることから始めろと。

すがりつくものが何一つ無い、そんな絶望的状況の中で、初めて教えが身についていくと。


でも多くの人は、それをやろうとしません。


自分の可能性を信じ、自分を導いてくれる崇高な魂の持ち主を待ち望んでいるのです。

そうやって自我は、精神の道さえも、自分を飾る新しいコレクションに変えてしまうのです。

それが「精神の物質主義」です。




僕はチベットの僧院で修行してきたんだ。

それはそれは神秘的な毎日だったよ。

静寂の中で何度も次元を超えた世界を垣間見たんだ。

規則正しい生活、深遠なグルの教え、幾世代にわたり大切に守られてきた経典。

どれもこれも神聖で素晴らしい体験だった。

君も行ってごらんよ。




このような態度も「精神の物質主義」です。

経験を物のように持ち運んでいるだけで、いまここの、あるがままのリアリティーとは乖離しています。



タントラと言うと、ちょっと詳しい人はすぐに、セックスを教義に取り入れた宗教だと連想します

たしかにタントラはセックス行為を修行の中に取り入れている部分があります。

でもそれは一定期間の修行を終えた人達、もっと言えば性欲を100%コントロールできる段階の人たちによって扱われてきたテクニックです。



ではなぜ彼らはセックスを使うのでしょうか。


それはタントラが、「生」に対して全面的肯定の立場をとっているからです。

何かを抑圧するのではなく、自然が与えた人間の可能性を全部引き出して、意識の高みに昇ろうとするのです。


したがって、タントラの修行は身体的なものが多いのです。

通常宗教的修行の多くは、精神的なものや霊的なものが多いのですが、タントラは違います。

それはタントラが、極めて現実主義だからです。


実際のところ、僕たちは身体しか知らないのです。

多くの人達は、霊だとか、魂だとか、あたり前のように知っているつもりでいますが、それは知識として知っているるだけで、あるいは感覚として漠然と知っているような気がしているだけで、本当に正直に自分を見つめれば、実際に確信できるのは身体だけです。


だからといって、霊や魂がないと言っているのではありませんが、彼方なる次元に行き着いて初めて知る事を、むやみに知ったかぶることは無意味だとタントラは言います。

そのような観点から見てみますと、タントラはあらゆる宗教の中でも、もっとも現実的なアプローチをしているように思います。



・・・・・・・・


この記事がアップされるころ、僕は飛行機の中にいます。

今日から博多に入り、長く待っていてくれたみなさんに瞑想伝授のサポートをして、週明けにそのままタイに向かいます。



May you be in peace today.


Thank you for reading.




多くの人に届きますように

   
  


Posted by Toshiro Abe at 08:36Comments(65)

2010年07月28日

主人公

昨日は思いがけない嬉しい事があってね。


いまここ塾の会場に行ったら、受け付けに一冊の本が届いていた。

なんとその本は

「タントラへの道」


持ってきてくれたのは女性だという事しかわからず、短い手紙が添えてあったけれど、名前も書いてなかった。

一昨日この本が手に入らないとブログに書いたから、こうして持ってきてくれたのだろうけど、きっと今日もこのブログを読んでくれていることでしょう。

どなたかはわかりませんが、お気持ちをありがたく頂きます。

大切にします。



この本をきっかけに出会ったのが向和尚。

厳しい修行で知られる臨済宗方広寺派の、いまの教学部長さん。

真理を体得したひとりで、毎年ヨーロッパに招かれ、現地のリーダー層の参禅指導をしている禅師だ。


あるとき、僕のセミナーの生徒さんたちに講話をしてもらった。

そしたら向さん、こう言った。


「マライヤ・カリーはいい」


カレーの種類かと思ったら、歌手のマライヤ・キャリーのこと。


「彼女が歌う『ヒーロー』は、まさに禅の心だ」


は?どういうこと?


「あの歌は『主人公』の歌だ」




さて、ここで解説です。

主人公というと、僕たちは映画や小説の主人公を思い浮かべるけれど、この言葉、もとは禅語なんです。

自己を超えたところにある、本当の自分。

禅では「本来の面目」とも言います。

本当のあなたは、あなたが感じている自分よりも、はるかに素晴らしく大きな存在だという意味です。

それをマライヤ・キャリーが歌っていたわけです。



それを聞いて、面白そうな和尚だと思った。

そこで僕の宝物だった「タントラへの道」をプレゼントした。

先日も書いたように、この本は多くの人たちに配ってしまって、最後の一冊だった。

もしかしたら、この人は初めてこの本を理解してくれるかもしれないと思った。


すると、すぐに翌日電話があった。


「なんですかこれは!すごい本ですね!」


嬉しさのあまり、すぐに方広寺に出かけて行って語り合った。

当時は誰も判ってくれなかった僕の話を、全部「そのとおり!」と肯定してくれた。

僕も向さんの話は全部腑に落ちた。


そこで意気投合して、二人で禅スクールを開催した。

それが「いまここ塾」という名前になった。


僕が自分の体験談や気づきを等身大で話し、その後で向さんが「いま阿部さんが話したのは、禅の伝統ではかくかくしかじか・・・」とつなげるスタイルだった。

これは僕が沖縄に移住する直前までやっていた。



さて、本が二人の縁を深めてくれてからずいぶん長い時が経ったけれど、その向さんと二人で本を書かないかというお誘いを頂いた。

僕の最初の本を出してくれた、ダイヤモンド社の関係者さんからだ。

この話があったのは今年の4月で、本当ならばもう完成してるはずが、まだ何も手をつけていないのは、この数ヶ月間あまりにも忙しかったから。

でも向さんとなら、いままでにないタイプの本を書ける自信がある。


意識しなくても、お互いに真理を分かち合えば、自ずと禅の心に通じる本になると思う。

今年の最後の仕事は、この本の執筆になるだろう。


本と言えば、今年になって3冊も刊行していただいたが、4冊目の発売が決まった。

ソフトバンク(ソフトバンク クリエイティブ)から9月発売とのこと。

このブログでも伝えてきた究極のメセージが、目白押しに並んでいる。


タイトルは

「さとりの授業」(担当者さんが考えてくれました)


お楽しみに。




誰もが主人公。

誰もが、自由自在に生きる力を持っている。

(自在とは「自分が在る」ということ。ただしこの場合の自分とは、普段自覚している自分ではなく、主人公のこと)

自在を見失わなければ自由に生きられる。


どんな苦難の中にあっても、自分の中のヒーローを見失ってはいけない。

あなたは永遠不滅の主人公なのだから。




最後に

ターコイズブルーさん、僕たちが付いているよ。

いつも応援しているから。




今日もここに来てくれてありがとうございました。





多くの人に届きますように。

   



・・・・・・・



今夜は水曜の会です。

レクチャーと瞑想の会です。

来週からタイに行き、しばらくお休みするので、今夜来てください。

誰でも参加できます。  


Posted by Toshiro Abe at 08:28Comments(57)

2010年07月27日

唯識思想

最初はごく一部の人の間でささやかれていた言葉が、いつの間にか時流に乗り、言葉だけが独り歩きをする場合があります。

その言葉を使う人の底辺が広がるに連れ、最初に持っていた深遠な意味が失われ、表面的なニュアンスがそれにとって変わります。


その代表選手が「すべてはひとつ」という言葉でしょう。

一昔前は、その言葉自体があまりにも突飛で、誰一人真剣に耳を傾けようとしませんでした。

かすりもしなかったのです。


ところが最近は、多くの書物やサイトなどの影響で、「すべてはひとつ」と頭で理解する人が増えました。

僕が「すべてはひとつだ」と言えば、「そうそうそのとおり」とすぐに頷いてくれます。

と同時に、「すべてはひとつ」という言葉を引き合いに出して、精神世界ブームの安直さや危うさを指摘する声もあります。

どちらも、この言葉が独り歩きをした結果生まれたものです。



昨日、ふくろうさんのコメントがありました。

論理的で、好感が持てる文章なので、そのまま載せさせてもらいます。

そうそう、昨日のコメント欄はとても有意義でしたね。

生意気ですが、みなさんの精神性の高さを感じました。



さて、ふくろうさんのコメントです。


「すべてはひとつ」「全体はひとつ」という考えに日ごろの疑問。

人は自我に苦しむ。

だから、私たちは、この自我をどうにかすれば道がひらけるんじゃないかとじたばたする。

そして、自我がどうにかなった先になにか見えたとする。

それがたとえばユングなんかのいう集合的無意識とか、唯識のほうで聞かれるアラヤ識とか蔵識とかいうやつかもしれない。

で、そこから「すべてはひとつ」という感じ方がくるのかもしれないが、その集合的無意識なるものがたとえば他者の集合的無意識とネットワークをもっているならば、「すべてはひとつ」もありかもしれない。

けれど、そうだろうか。

Aさんのそれは、Bさんのそれとはちがう、ということはないだろうか。

「すべてはひとつ」、ではなくて、「それぞれの人はそれぞれに別のすべてをもっている」、という言い方がただしくはないだろうか。




うんうん、なるほど、そうだよね。

最初と最後は、僕もふくろうさんと同意見です。

苦しみの元である「自我」を何とかしようと、もがいた先に何かが見えた。

そういうことってあると思います。



>そしてそこから「すべてはひとつ」という感じ方がくるかもしれない


ここが少し違います。

「すべてはひとつ」と感じるのではなく、「すべてはひとつ」という存在状態に成るのです。

だからこそ断定的に、「すべてはひとつ」と言い切るわけです。



しかし、ここで問題が残ります。

「すべてはひとつ」になったとしたら、それを認識した者は誰なのか。

もし「すべてはひとつ」を認識している自己があれば、そこにはまだ「認識と対象」という二元性が存在します。

もし認識する自己がなければ、いったいその経験を報告するのは誰なのでしょう。


だから「知る者は言わず、言う者は知らず」となるのです。


でもここで終わるわけにいきません。

知った者は有限なる言葉を駆使して、言葉にできない矛盾に満ちた世界を解説しだします。

それがいわゆる経典の類であり、一部のスピ系書物です。



>自我がどうにかなった先になにか見えたとする。

>それがたとえばユングなんかのいう集合的無意識とか、唯識のほうで聞かれるアラヤ識とか蔵識とかいうやつかもしれない。



ユングの集合的無意識と、唯識(ユイシキ)思想の阿頼耶識(アラヤシキ)が、同じものを指しているのかどうか僕は知りませんが、ここで簡単に唯識思想について説明しておきます。


僕たちの通常の生活は、五感と意識(マインド・思考・感情)によって成り立っています。

五感から仕入れた情報を、意識が組み立て、そこに「自己」と「世界」を作り出します。

そこまでが、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、と呼ばれる六識です。


唯識思想では、さらにその奥に末那識(マナ識)と阿頼耶識(アラヤ識)があるとしています。

末那識(マナ識)は、先日のユリイカで伝えた潜在意識の観念、自己本位の色眼鏡みたいなもので、その奥の根源が阿頼耶識(アラヤ識)です。

末那識(マナ識)で煩悩やカルマが生じ、阿頼耶識(アラヤ識)に貯蔵され、それが各々の人生を作り出しているというわけです。


実は、阿頼耶識が終点ではありません。

さらに深い領域があります。

阿摩羅識(アマラ識)、乾栗陀耶識(ケンリツダヤ識)です。

仏性とか、宇宙意識とか、神とか、真理とか呼ばれる領域です。

そこにおいては、自己も世界も、ありとあらゆるものが消えうせ、歓喜と自由と安心と感謝と大いなる智慧によって満たされています。


こう言うと、なにやら凄い世界のようですが、それは僕たちの存在の源であり、どこか遠くにあるわけではありません。

あなた自身が「それ」であり、すべての存在はそこから生じています。

そこには何の境界もなく、まさに「すべてはひとつ」です。



>Aさんのそれは、Bさんのそれとはちがう、ということはないだろうか。

>「すべてはひとつ」、ではなくて、「それぞれの人はそれぞれに別のすべてをもっている」、という言い方がただしくはないだろうか。


そうですね。

この世の現象には、何一つ同じ存在がなく、それぞれに補い合いながら全体を作り出しているのも事実です。

この「独自性」と「唯一性」という、正反対の二つの真実が、存在の神秘なのではないでしょうか。





さて、同じように独り歩きした言葉に、


「すべては最初から決定されている」


「何が起きても大丈夫」


「自己は存在しない」


「時間も空間も錯覚だ」とかがあります。


これなども、阿摩羅識(アマラ識)や乾栗陀耶識(ケンリツダヤ識)の領域で体感することであり、意識や末那識(マナ識)で解釈する事ではありません。



今日は聞きなれない言葉がたくさん出てきて読みづらかったかもしれませんね。





多くの人の目に留まりますように、ご協力お願いします。

   



・・・・・・・



今夜は那覇でいまここ塾、明日は水曜の会です。

お気軽にご参加ください。
  


Posted by Toshiro Abe at 08:08Comments(72)

2010年07月26日

お節介?

講演会などでよく聞かれることがあります。

自分の家族や友人に、この情報を届けたいのだけれど、聞く耳を持ってくれない、どう伝えたらいいかということです。


僕も最初のうちは、そんな思いを持っていました。

その手の本をたくさん買い集め、友人に配ったりもしました。

いまでは入手困難な、チョギャムトゥルンパの「タントラへの道」(めるくまーる社)などは、20冊くらい買い集め、すべて人にあげてしまいました。


この本に反応してくれたのは一人だけです。

それが向禅師でした。


あとの人はこの本をどうしたでしょうか。

もしかしたら、内容を一瞥することもなく、捨ててしまったかもしれません。


ちなみにネットで調べてみたら、数年前に1万円くらいで古本が出ていましたが、いまはそれさえもありません。


懐かしいな。

あの時、買っておけばよかった(涙)

もし譲ってくれる人がいたら、お願いします。




関心のない人に、関心を持ってもらおうとすることは、多くの場合不毛です。

それに、そのような思いは、どこか暴力的です。

人の人生や人生観を変えようとすること自体、思い上がりかもしれません。



光の体験をすれば、それがあまりにも素晴らしいので、周囲の人を導きたくなる気持ちはわかります。

でも僕たちにできる事は、何かをすることではなく、心を開いてあるがままに、ここにいる事だけです。

時が来れば、その人のタイミングで、ことは起きていきます。

春になれば自然に芽が出てきます。

土の中に手を入れて、無理やり引き出す事はできません。



そして誰もの人生は完璧なシナリオで動いています。

はたからどのように見えようが、誰一人道を外れていませんし、そんなことはできません。

実際には、一瞬たりとも真理から離れて存在する事はできないからです。


目覚めはすべての人に与えられた可能性です。

そして目覚めてみれば、そこに早いも遅いもないことがわかります。


なぜなら、目覚めの本質は「いまここ」に帰ってくることだからです。

いつも「いま」なので、早いも遅いもないのです。


言葉にするとナンセンスですが、これが真相です。


だから、少し早く気がついたあなたは、まだ気がついていない人に対してお節介になるのではなく、その人の内側に隠されている完全性を見てあげる事です。



こうして分かち合える仲間がいることを幸せに思います。

まさか、こんな時代が来るとは夢にも思いませんでした・・・と言いたいところですが、本当はこうなることを知っていました。


そしていままさに、大きな変化の波が訪れている事を実感しています。

あなたも、そうじゃないですか?

その力にお任せしましょう。





この情報を必要としている人に届きますよう、ワンクリック運動にご協力ください。

   




・・・・・・・




明日の沖縄いまここ塾は、那覇市てぃるるで、19:30からです。

来週からしばらくお休みになります。

どうぞ明日をお楽しみに。


  


Posted by Toshiro Abe at 10:06Comments(67)

2010年07月25日

よもやま話

昨日は面白かった。


智子さんの同級生で、品物の鑑定をする有名人がいるのね。

彼女の話では、その人、なんでも鑑定団というTV番組が、裏でこっそり意見を聞きにくる優れ者らしい。

番組の鑑定士がその場で品物を鑑定しているんじゃなくて、本番前にいろんな専門家たちに見せて、その結果を出演者がその場で鑑定したみたいにしているわけ。



そういえば昔、あるクイズ番組に出たとき、台本に質問が書いてあって、もう一冊の台本には答が書いてあった。

しかも、出演者の誰がどの順で答えるのかが書いてあって、出演者の能力は答えの内容ではなく、その表現力だと初めて知った。



ほかの話だけど、ある番組の司会をやっていたとき、月曜日に相談コーナーってのがあって、その日は彼氏と別れた若い女性が相談者で、妊娠や、中絶や、暴力や、あれやこれや、泣きながら本当に可哀想な身の上話をするわけ。

もちろん相談者は、透けて見えないガラスの衝立の向こうでしゃべって、声もお茶の間には加工したものが届くようになっていた。

一緒に出ていた小堺クンなんか、もらい泣きしちゃって、僕もすっかり同情しちゃったんだけど、番組が終わったらその子、「お疲れ様でした~」って笑顔で帰っていった。

後で聞いたら劇団の研修生だって(笑)

これなんかは、番組をリアルにするために、出演者にまで内緒で行う「やらせ」

(そういえば小堺一機クン、先日丁寧なメールをくれて、「随(かんながら)神」の中に自分の名前が出てきて驚いたって。読むのが楽しみと言っていたけど、彼は見たとおりで本当に優しい人です)

多くのTV番組は、真実を伝える道具というよりは、視聴者を満足させる事が目的なわけで、そこには演出と工夫があるわけです。



で、昨夜の帰り道、ちょうど四谷三丁目あたりで、昔あった屋台のラーメン屋を思い出したら、いまはビルの中で営業していると聞いて、さっそく行ってみました。

最近は際立ったラーメン店が多いけど、昔はほんのわずかで、有名だったのは、恵比寿の香月、そして四谷三丁目の一心くらいじゃなかったかな。


その一心に入ると、おお、変わらぬ店主の姿。

そして、懐かしい猫たちの写真。

それはコダックの猫のポスター。





ね、懐かしいでしょ。

この一枚撮るのに、どれくらいの時間を要したんだろうね。

猫を飼っている人はわかるけど、カメラマンの要求なんかどこ吹く風だからね。




で、また昔のことを思い出した。

なめ猫って知ってる?






暴走族姿や、晴れ着姿や、けっこう流行ったよね。

あれをプロデュースしたTさんとはとても仲良しだったんだけど、一時に巨万の富が手に入ってしまって、後になって人間関係など諸々大変だったみたい。

で、当時はバッシングの嵐もあった。

これは猫の虐待だって。

子猫に麻酔打って、それで撮影したんだろうとか言われていた。

そしていろんな噂話が、まことしやかに流れていた。


ある日Tさんが、「悔しいな、みんな猫のこと知らないんだよ。猫は生まれたときからたくさんの愛情をかけて、やっと人間を信頼してくれる。信頼がなければあんな写真撮れないよ」って、ポソって言っていた。

でも一度大衆が信じてしまうと、もう取り返しはつかなくて、なめ猫ブームはあっという間に終焉しました。



僕らが信じている現実は、実際には当事者にしかわからないことが多い。

当事者だってわからないかもしれない。

だからあんまり決め付けて裁かないほうがいいよね。



あれ、今日は全然スピ系じゃない。

これといってメッセージもない。

ま、たまにはいいね。




長いつぶやきを聞いてくれてありがとう(^o^)




これ、もう少しお願いします。

この期間に新しく出会う人もいるだろうし、それも含めて縁ですね。

     


Posted by Toshiro Abe at 08:43Comments(55)

2010年07月24日

衝動

人は時折、自分ではどうしようもない衝動に突き動かされるときがあります。

たとえば僕だったら、急に沖縄に移住したくなって、家族や仕事のことを考えれば到底不可能なことを、思いだけで実行してしまいました。

結果は大正解でしたが、そのときは何かの計算があったわけではありません。

第三者から見たら、極めて無謀な行動でしたが、本人はそれほど危機意識を感じていませんでした。

とにかく、「そうしたいからやる」、それだけです。

あなたの人生にも、似たようなことはありませんでしたか。


そのような衝動はどこから来るのでしょうか。

もしかして、その内容も、タイミングも、全部決まっているのではないでしょうか。


この世に何一つ偶然がないというのは、思いの世界まで含まれると思います。

その思いがどこから飛んでくるのか、興味深いところです。

この現象界の脚本自体が、各自の思考内容にまで浸透しているのかもしれません。



さて、根元昌明さんという方を知っていますか。

アマチュア音楽家なのですが、プロには見られない独自のセンスと情熱を持っていて、一部専門家からも絶大の評価を得ている人です。

この人、還暦を迎えて持った夢が、一流オーケストラを従えて、ベートーベンの第九を指揮するということ。

で、清掃員のバイトをしながら資金を貯めたとか。


この方の第九コンサートが、2010年7月25日 (日) 17:30から、 東京オペラシティコンサートホールで行われます。

チケットが全部売れても、まだ赤字という企画だそうです。

まさに、何かに動かされているとしか考えられない行動です。

クラッシックコンサートなので料金はやや高めですが、これは凄いライブになる予感がします。


ベートーベンの第九ですよ。

壮大なる神への賛歌と、我々が不可分であることへの、高らかな宣言です。

この曲に秘められた見えないパワーが純粋に発揮されるという点において、その場限りの奇跡を、聴衆全体が目の当たりにするような気がします。


もしかしたら、この演奏が始まる前と終わった後では、すでに時代が変わっているのかもしれません。

こういうロマンは、応援したくなりますね。



コンサートの詳細はコチラです。





来月からタイに長期滞在し、ブログの更新頻度が変わるので、ランキングはお休みします。

残り数日間、よろしくお願いします。


   



追伸

阿雲の呼吸」も更新しました。  


Posted by Toshiro Abe at 09:24Comments(48)

2010年07月23日

へんだなぁ

外を歩いていると、いきなり街角の鏡やショーウィンドウに、自分の姿が映し出されることがあります。

最初は自分だと気がつかないこともあります。


そういえば、電化製品売り場でハンディカメラを見ていたとき、モニター画面に、どうにも怪しげな中年男が映っていて、世の中にはいろんなタイプの人がいるなって思ったら、僕でした。

その違和感たるや、相当なものです。


僕が持っている自己イメージは、どうやら30代。

スラリとしていて、爽やかなナイスガイです。


ところが実際に映るのは、中年太りの、しかめっ面した、とっつきにくそうなオヤジです。


「あれ?おかしいな。これ僕と違う!」


でも違うのは僕の頭の中の自己イメージであって、鏡はウソをつきません。



同じようなことが精神面にも言えます。

自分はこういう人間だと思っていても、第三者はまったく違う評価を持っているかもしれません。

極めて多くの人が独自の自己イメージを持ち、それを他者に印象づけて生きているつもりでいますが、他者には他者の見方があります。

それをお互いにやっているのですから、人間関係というのは、誤解の合わせ鏡のようなものかもしれませんね。



どちらにせよ僕たちは、個々に自分の思い込みを生きているのですから、相手の大概のところは、許してあげたいものです。



今日で東京4日目。

暑いね。



暑いときは、暑いのが、よろしい(天の声




そんなわけで、今日もいい日でありますように。





ワンクリック運動にご参加ください。

     


Posted by Toshiro Abe at 09:17Comments(49)

2010年07月22日

お元気ですか?

今日は書くことが出てこない。

こんな日もあるということで、またお会いしましょう。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:43Comments(49)

2010年07月21日

色即是空 空即是色

現象界をいかに生きるかというのは、重要な問題です。

しかし、現象界ばかりに重点を置くと、存在の意味がなくなってしまいます。

それは霊性を忘れていて、いまの世の中がそれです。


中には、現象界を超えた目に見えないものの大切さを生きようとする人たちもいます。

その人たちは、霊性の大切さを唱えます。


現象界と霊性のどちらが大切かといえば、もちろん霊性のほうです。

現象界から霊性の次元は見えませんが、霊性側からは、現象界がクリアに見えます。

どのようにクリアかと言うと、現象界の透明性、実体のなさを見抜いているのです。

霊性の次元こそが実体であり、現象界は幻想です。

しかし、それでも、僕たちが現象界に存在しているという感覚もリアルであり、最初に言ったように、現象界をいかに生きるかというのも重要です。


もし、自分の人生が思うようにうまくいっていないと感じる人は、心の中の何かが混乱していて、自分に対する誤解を抱えています。

そのあたりの心理的な束縛を見抜いて、あるいは無視して、自分の思考や行動の質を変えていけば、現実も変わっていきます。

固定された実体としての現実ではなく、しなやかで毎瞬のように変化し続けている流れが見えてきます。

その流れを信頼し、その流れと一体化することが生きる極意ですが、それは我を超えた境地、無我無心の境地です。


いきなりその境地にジャンプすることが難しくても、いまの僕たちが学べることもたくさんあります。

これからも、そんな学びの会を増やしていこうと思います。






今日もよろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 08:59Comments(108)

2010年07月20日

自分らしさをイキイキと


人間稼業は宇宙の壮大なゲームです。

意識の最高潮にまで進化した人間という生物が、その意識をさらに高めるための機会として人生があります。

何億年もの長い時を経て、心身機能である器を完成させ、さらに何万年もの時を経て、いままさに意識は最終地点に達しようとしているのです。

それは、創造物自身が創造主であったことへの気づきです。

その気づきが、宇宙をさらに豊かにします。

なぜなら、宇宙とは意識だからです。



さて、昨日はユリイカに来てくれて、ありがとうございました。

あんなに楽しい時間は久しぶりでした。


前回、翻訳家の山川紘也・亜希子夫妻を沖縄にお呼びしたとき、お二人がワークショップをするのを見て、僕も久しぶりにやってみたいと思いました。

沖縄に移り住むまでの約10年間は、方広寺でずっとセミナーをやっていたので、今でも体が覚えています。


今回どう展開するかは、その場になってみないとわかりませんでしたが、とてもエネルギッシュな方向に流れていきました。

みなさんの輝きを見ていただけで、こちらまで幸せな気持ちになりましたよ。


内容は、どうせ生きるならイキイキと輝いて、やりたいことを実現していこうっていうテーマでした。


みんなで一年後のビジョンを決めました。

何かを実現したいときには、目標を明確にして、タイムリミットを決めることです。

すると、いまやるべきことが見えてきます。


「ビジョンを実現したら幸せになれる」ではなく、「いま幸せを生きることでビジョンを実現していく」という態度が大切です。

現象界は意識の投影なので、意識を変えることで、それに見合った現実を引き寄せることになるのです。



こうして与えらえた人生。

まさにいま、自分らしさをイキイキと輝かせて生きていきましょう。

     


Posted by Toshiro Abe at 09:22Comments(42)

2010年07月19日

祝:4周年

なにはともあれ、このブログも4周年。

続けてこれたのは、言うまでもなく読んでくれるあなたがいたおかげ。

ありきたりの言葉しか思いつかないけれど、本当にありがとございました。



再来週から40日間、チェンマイで集中瞑想に入るので、帰ってきたらまた新たな気持ちでスタートしようと思います。


去年も同じ時期に一ヶ月間行ったけど、あのときはほぼ毎日現地から更新したよね。


あのでっかい猫、覚えてる?

母が、三味線業者に盗まれるから日本に連れて来るなって言ったあの猫。


これ












じゃなくて、これ







この子、元気にしているかな。





この4年間、いろんなことがあったし、これからもいろんなことがあるんだろうな。


でもすべては過ぎ去って行く。

みんな風のように消えていく。


まさに諸行無常で、現象には実体がない。


ただ、いまここの意識だけが、あいかわらず在り続けているんですね。



その手の話は、また今度ゆっくりするとして、今日は4周年プレゼントの当選者の発表です。


黒斎クンに教えてもらったとおり、iPadのフリーソフト「抽選君」で、一発抽選しました。




その画面がこれです。








これは向和尚の読経CDの抽選で、上の514は応募者数、そして下の426が当選番号。


申し込み順に番号を付け、抽選しました。




それでは、当選者の発表です。


ジャジャジャーーーン!!!




向和尚読経CD


神奈川県 新谷さん(女性)


宮崎県 小田さん(男性)


群馬県 秋山さん(男性)


東京都 原さん(女性)




書籍「いまここ」


鹿児島県 本田さん(女性)


京都府 宮地さん(男性)




いまここ塾御招待券


神奈川県 岡本さん(男性)


埼玉県 江藤さん(女性)


東京都 清水さん(女性)


山口県 中西さん(女性)



以上のみなさんです。





「あっ自分かも」と思った人は、たぶんそうです。



おめでとうございました。


さっそく郵送しますので、お楽しみに。



たくさんのご参加、ありがとうございました。




今日は東京で初めてのワークショプ「ユリイカ」

どんな展開になるのか、楽しみです。





ランキングへの参加は、今月いっぱいでお休みします。

それまで、よろしくお願いします。

     


Posted by Toshiro Abe at 10:50Comments(46)

2010年07月17日

旅の宿から

昨日は遅くまで映画を3本見て、そのまま寝てしまいました。

朝起きて、瞑想前にコメントチェックしたら、けっこう批判バシバシで盛り上がっていました。

あんなにいい記事だったのにね (´ε`*)ゝ


頂くアドバイスの中には、当たっているものもあって、言われてみればそうだと思えるものもあります。

ただしそれは僕の人間性や、やり方に対してです。

いい歳して未熟者なので、人から言われても仕方のない面が多々あります。


でも反対に、ここで伝えているメッセージは、何か言われて揺らぐようなものではありません。

ここが歯がゆいところですが、それは体験すれば解ることです。


時間も自己も存在していないというのは、事実だから言うのです。

でも普段は僕も時間の中で生きているし、自己を生きています。

それでも時間も自己も存在しない事実は変わりません。

太陽が天空を動いているように見えても、

地球が回っているという事実に変わりがないようにです。



しかし、このようなメセージが何になるのか。

それを知ったからといってどうなるのか。



僕が生意気にも知ったような事をいうのは、この事実を知ることだけが人生で唯一大切な事だと思うからです。

それはお前が勝手に思うだけだと言われてもしかたないですけどね。


このことを知ればすべての苦悩から一気に解放され、「本当の自己」に対する多くの祝福が受けられます。

あなたという存在が、どれほど素晴らしいものなのか、一片の疑いもなく知る事ができます。

しかも、どこかの立派な人にだけ与えられるものではなく、どんな人にもそれを知る能力があるのです。



こんなおせっかいをすることだけが、やりたいことになってしまいました。



その次元に至る道標をこれからも伝えていきますが、この情報を待っている人が、まだまだたくさんいると思っています。

人気ランキングは効果的なので、もう少しお付き合いください。

あなたのワンクリックが、新しい人との出会いを作り出してくれています。

   




・・・・・・・・・・


阿雲の呼吸」も更新しました。

  


Posted by Toshiro Abe at 09:27Comments(69)

2010年07月16日

根本の解決

昨日のコメントを読んで感じたと思いますが、他者はみんなうまくいっているように見えるだけで、実際にはどこもかしこも大変です。

いまはウツという現象(専門医も実際のところよくわかっていない)が広がって、社会問題にまでなり、自殺者も増えて、いまが一番大変な時代に見えますが、いままでに人間社会が幸せであったことなどありません。

昔は良かったというノスタルジーは、いまの苦しみとは違う苦しみがあったことを忘れているだけで、人間は芯から幸せではありえないのです。


その原因は、ある種の錯覚です。

「自分が存在する」という錯覚が、すべての苦しみの元になっています。


文字情報の限界で、この言葉の真意が伝わらないまま反論を受けることもあり、書くのが億劫になるのですが(歳かも)、ここを理解しない限り、どんな改善策を講じようと枝葉の修復に過ぎず、また同じ苦しみを違った形で繰り返すことになります。

病んだ木は、根っこを治療するしかないのです。



その根っこにある病巣が「自我」です。

自我と言うと、自分勝手さと思われがちですが、他人を優先するのも自我であり、人に迷惑をかける粗雑な自我もあれば、洗練された尊敬に値する自我もあります。

自我とは自分が存在するという錯覚のことです。

この場合の自分とは、大いなる自己(すべての存在)のことではなく、個として分離した自己のことです。

分離という錯覚が、あらゆる苦しみの原因と言ってもいいと思います。



このようなことを伝えている僕自身も、一日の大半をこの分離意識の中で生きています。

しかしわずかな時間でも全体意識に戻れるおかげで、一般に言われるストレスはほとんど蓄積されていません。

またしてもわかり顔で話すことを許してほしいのですが、このブログでは、終始この根本的問題に取り組んでいたいと思っています。


ただ、この手の話は、頭で考えてもよく分からないはずです。

頭の考え自体が、自我の作用だからです。


したがって、理解する唯一の道は、頭の考え(思考)を静めて、自我を透明に見通せる感覚を持つことです。


自己が連続性を持った実体だというのは、絶え間ない混乱が見せている幻影です。

ちょうど暗闇の中で、火を持った手をグルグル回したとき、火の輪が実体に見えるのと同じです。


火を回す手のスピードを緩めていけば、真の姿が見えてきます。


そのためには瞑想が一番効果的です。

見よう見まねでもいいですから、一日にせめて十分間だけでも、目を閉じてくつろぐことです。

外の世界との関わりから全部手を引いて、社会で担っていたあらゆる役割を落とし、誰でもない人になって、ただ静かに坐るのです。

つかの間でも、人生からリタイヤしてみるのです。

そこに連続性へのギャップが生じ、リフレッシュすることができます。


やがては火の輪など存在していないことが、自我など存在していないことが見えてきます。

それが「無我」の体験です。


しかしそれもまだゴールではありません。


その「無我」を認識している者がいるからです。



次の段階において、その観照者が消えます。

それが全体意識です。


ここは極めて重要なポイントなので、これからもいろんな言い方で伝え続けていきます。

しかし大切なのは、知的に理解しようとするのではなく、実践することです。



ちょっと解りにくい文章だったかもしれませんが、わずかでも真意が伝われば幸いです。






このメッセージを必要としている人に届きますように。

今日もワンクリック運動にご協力ください。


   



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黒斎くんとのコラボブログ「阿雲の呼吸」、黒斎クンの返答が面白いですよ。

こちらの応援もよろしくお願いします。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:43Comments(118)

2010年07月15日

ストレス社会

昨日の講演会、楽しかったですよ。


さすが政府機関で、セキリュティーが厳しく、通行パスのようなものがあったり、駅改札みたいな通路があったり、さながら映画のようでした。


まずは控え室に通され、そこで待つこと30分。

その間に、担当者さんと2人きりになったので、いろんな話をうかがうことができました。

いままでは、専門知識を持ったスペシャリストが講演してきたのに、なぜ今回は僕なのかと質問しました。

すると、いま内部にはストレスが蔓延し、長期にわたり休む人の数が増えているので、お願いしたと言っていました。


そのストレスには、多くの理由があるとのことです。

国家公務員の人員削減が、錦の御旗のもとで進んでいますが、現場の仕事量は変わらないので、その分個人に割り当てられる仕事量が増え、過労が原因の人もいるようです。

また今回のように政権交代が起きたときは、政策が大きく変わり、何から何まで一新しなければならず、それも仕事量を増やしているそうです。

仕事量の問題に関しては、僕にはどうすることもできませんが、せめてそのような現場の悲鳴が外に聞こえるようにしなければと思いました。


それ以外にも、精神的な苦しみが蔓延しているとのことです。

たとえば、最近になって「説明責任」ということが多く言われだし、市町村やオンブズマンたちに、資料をもとにして、説明したりレクチャーしたりという場面が増えたそうです。

不信感や批判を胸に集まる人たちに対して、資料集めに忙殺され、ただでさえ人前でしゃべるのが苦手なタイプの人は、それだけで参ってしまうとのことです。

それ以外にも、お約束の人間関係の苦しみ、上司から過小評価されている苦しみ、反対に過大評価されている苦しみなどなど、まさに四苦八苦の中で働いている人が多いわけです。


そんな話を一通り伺っていたら、「先生、そろそろお時間です」と呼びに来た人がいて、

「先生?!うん、それじゃちょっと先生らしくしようかな」

なんて思って身支度を整えようとしても、ジーンズにうさとの服じゃ、どうにもならずに、そのまま会場横の控え室に入りました。

ペットボトルの水をグビグビ飲みながら、気軽にドアを開けて入ったら、そこは控え室じゃなくて、とても大きな会議室で、100くらいの人が背筋を正して僕が来るのを待っていたのです。



「あわわ」



「こりゃどうも」








そうやって始まった講演会でした。


僕の希望で講演者用に椅子を用意してくれていたのですが、聴衆と同じ高さの椅子で、舞台もないので、後ろの人には僕が見えません。

そこでいつもの「いまここ塾」みたいに、テーブルに腰掛けて話し始めました。


ずっとしゃべっていて、何かいつもと違うなと思ったら、ほぼ全員が男性なのです。

いつもは7割がた美しい女性なのにね(さりげなくヨイショ)。


絶対笑うと思って言ったジョークも、会場は「シーン」


なんだこの難易度の高さは・・・


「笑うところで笑ってくれないとやりにくい」

と言ったら、やっと笑いが起きました。


それもちょっと硬い笑いが(笑)


そこからはいつものペースでした。


やっていて思ったのですが、僕の話すような内容は、日常の知性や理性では捕まえ切れない話なので、最初はみんな戸惑っちゃうんですよね。

「いまここ塾」なら、みんなブログを読んでいたりして準備ができているけれど、いきなり招待された場では、まずは会場が和むことから始めなきゃと思いました。



演題は「気楽にいこうね」


ストレスは、過去や未来のことを考える頭の中から起きていて、「いまここ」にはそんなものはない。


そしていつだって「いまここ」だ。


結果を心配するのではなく、「いま」やることをやるという態度に徹する。


行為と行為者がひとつになるくらいに、「成りきる」ことが大切。


必ずなんとかなるから、なんとかならなきゃならないなりになんとかなるから、またそこからなんとかしていけばいいだけだから、心配要らないよ。


人生はどこにも向かっていなくて、いまどんな自分であるかがすべてなのだから、結果志向の生き方から、いま志向の生き方に変えてごらんよ。


どの道、起こることしか起きないんだから。


それでいいじゃない。



な~んてことを、しゃべりだしたら、あっという間に、持ち時間の1時間が終わってしまいました。

どれくらい受け取ってくれたかわからなかったけど、終了後に本がたくさん売れたところを見ると、何かを感じてくれたみたいでした。



めでたし、めでたし。





ちょっと長かったけど、最後まで読んでくれてありがとうございました。





多くの人に届きますように、ワンクリック運動にご協力を。

   



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ブログ4周年記念読者プレゼントに、たくさんのご応募ありがとうございます。

締め切りは7月18日です。
  


Posted by Toshiro Abe at 09:07Comments(60)

2010年07月14日

独り言

本当に4周年なんですね。

このブログの読者数も、いつの間にか2000人を超えました。

継続は力なりって言うけれど、本当にそうだと感じています。



それは沖縄いまここ塾も同じです。

よくもまあ、続けてきました。

毎回多くの人たちが詰め掛けてくれて、ただただ感謝です。



毎回違うことを話してきたけれど、言いたいことは一つだけ。

ところが、その一つが言葉にできないときている。

おそらく、この先無限に言葉を駆使してみても、直接的には何も言えないのだと思います。

だからこんなに続いてきたのかもしれません。



その一方で、もう言うことは言い尽くしたと感じている自分もいます。

後は、笑っちゃうなり、静かに瞑想するなり、「それ」を感じることを奨励するだけです。


そこからまた人生が始まりますが、それまでの人生とは大きく違います。

人生がどこかに向かう旅ではなくなります。

いままでも、そしてこれからも、向かう場所などなく、いつも「いまここ」があるだけだと知るのです。



どんなときも、いま目の前の現実に心をこめて生きるだけです。

結果は全体(神)が作っていきます。

そこはお任せしかありません。

だから気楽にいきましょう。




今日は内閣府のなんとかいう政府機関に、講演に行ってきます。

堅そう~ガ-ン


でもみんな僕らと同じ人間。

したがって演題は「気楽にいこうね」です。


みんなで優しい気持ちで生きられたらいいですね。




今日もここに来てくれてありがとうございました。



多くの人に届きますように、ワンクリック運動にご協力を。

   




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雲 黒斎くんとのコラボブログ、「阿雲の呼吸」も、久しぶりに更新しました。

ここからは「前世」について、彼とのやりとりが始まると思います。

面白そうでしょ?


あっちのブログのクリックもよろしくお願いします(^o^)/



今夜の「水曜の会」は那覇市てぃるる(866-9090)で、19時半からです。

誰でも気軽に入れます。  


Posted by Toshiro Abe at 08:40Comments(24)

2010年07月13日

4周年記念読者プレゼント

お待たせしました。

いまここブログ4周年記念読者プレゼントの公募を開始します。


みなさんの希望を反映して


いまここ塾講演会共通チケット  4名様


向禅師読経CD  4名様


「いまここ」(ダイヤモンド出版)  2名様


計10名様にプレゼントします。



お一人様ひとつ限り、どれか一つだけご応募ください。

(もし重複していた場合は、どちらも無効となりますのでご注意ください)



お申し込みフォームへは、下記プレゼント名をクリックしてください。

携帯からでも申し込めます。

締め切り7月18日




いまここ塾講演会共通チケット



向禅師読経CD



「いまここ」(ダイヤモンド出版)




たくさんのご参加お待ちしてます(^o^)





このブログが多くの人の目に留まりますように、ワンクリック運動にご協力を。

これを押すと、運がつき、当選確率が上がると雲 黒斎さんが申しておられました。

ホントかどうかは押してみてください(笑)

   



・・・・・・・・・・



今夜の「沖縄いまここ塾」は中城村で20時から。

5年間にわたり毎週開催してきた「沖縄いまここ塾」も、少し変化していく時かもしれません。

次回の中城村は9月中旬になります。
  


Posted by Toshiro Abe at 10:27Comments(26)

2010年07月12日

いま大切なこと

今日は母の家で目覚めました。

この2Fの部屋は、昔は僕の部屋で、ここで多くの気づきや、体験がありました。


あれからいろんな人生を生きてきて、で、いま思うことは、人間に一番大切なのは、優しい気持ちでいることだということです。

もしそうできないとしたら、何かのこだわりがあるのです。



優しく柔らかな気持ちでいれば、視野が広がっていきます。

すると、同じ目の前の現実に対して、いままで見えていなかった、さまざまな解釈の可能性が見えてきます。

それだけ、自由になります。


その自由さ、柔軟さの中に、ユーモアの感覚が育ってきます。

そしてその緩やかな空間に生ずる温かさを慈愛と言います。



慈愛や寛容のベースにあるのは、その人の気質や気性ではなく、広い視界から得られる「理解」なのです。


その理解を得る秘訣は、リラックスすること。


結局、そこにきます。





これから沖縄に帰ります。



今日もここに来てくれてありがとうございました。




ワンクリック運動にご参加ください。

     


Posted by Toshiro Abe at 10:19Comments(39)

2010年07月11日

続・夜明け前

昨日の記事を書いてよかった。

「あっ、それなら私も体験した事がある」

って書き込みも嬉しかった。



自分がした体験を解釈できずに、挙句の果ては「あれは自分の感覚が変だったんだ」で片付けてしまっている人もいると思います。


昨日のコメント読んでみると、子供のころにその体験をしている人もいて。



>マエピさん


今日のブログや目覚め経験者の方のコメント読んで、気が付きました。

もしかしたら、子供の頃に経験したあの感覚の事かなって?

確か、子供心に自分はおかしいのかなと思って、元に戻りましたが。

子供の頃のように無邪気・無心になって、自分を忘れるのが目覚めへの近道かも知れませんね。





まさにそのとおりです。

仏道を習うというは・・・・自己を忘るるなり



この感覚を体験をする資格がある人と、ない人がいるわけじゃなく、みんないつだって、その次元を垣間見る可能性を持っています。

なぜかと言えば、そこが僕たちの存在基盤だからです。


じれったいのは、自分の努力でその次元に行き着くことはできずに、忘れた頃にひょんなタイミングで起きることです。

為そうとすればそれが邪魔になります。

自分ではどうすることもできないのです。

したがって、「あなたに気づきの恩寵が訪れますように」としか言えないわけです。



昔は、ごく一部の突出した魂だけが見ることのできた真理を、いまや僕たちのような一介の市民が、こうして分かち合える時代になりました。

その波が来ていることは確かだと感じる毎日です。





多くの人の目に留まりますように。

ワンクリック運動にご協力ください。

     


Posted by Toshiro Abe at 11:15Comments(27)

2010年07月10日

夜明け前

昨夜は「随(かんながら)神」講演会にお越しいただき、ありがとうございました。

また多くの新しい出会いがあり、有意義な一日でした。


そのたびごとに、目覚めへ関心が高まっていることを実感します。

目覚め前夜の人たちが増えています。



目覚めとは、段階的なものではありません。

それは通常の睡眠と同じで、結局は起きているか眠っているかです。


それは突然変異のようなもの。

それまで自分が信じて疑わなかった外界の様相が、いきなり反転するような感じです。

「な~んだ、全部夢だったんだ」

「自分も世界も、ぜ~んぶ夢だったんだ」


あまりの開放感と喜びに、しばし浸っています。

そして存在のからくりの見事さに、感嘆します。

歓喜をうながすための、壮大な催眠術とトリック。


「神さまってスゲ~!」

「こんなに愛されていたんだ!!」

「こんな罪深い自分が、こんな取るに足らない自分が、こんなに祝福されていたんだ!!」

「ありがとう!!!!」

「ありがとう!!!!」



目覚めはまったく違う次元への移行ですが、行き着いてみればそこは、それまでの夢の世界と紙一重の場所で、あまりにも近すぎて見落としていたことがわかります。

だから次にこう思うんです。

「こんなに簡単にこの世界(目覚めの世界・超リアリティーの世界・高次の世界・ワンネスの世界)に戻って来れるなら、もう少し夢を見ていようかな」


と思った瞬間、またバ~ンと、この現象界が始まります。

そして「あれ?どうやってあそこに戻るんだっけ?」

となるんです(笑)


でもね、一度でも目覚めの体験をすれば、それからの夢の人生もずいぶんと色合いが変わってきます。

物事に対するユーモアの視点が育ち始めます。

深刻さが減るんです。


なにひとつ「こうあるべきだ」がなくなるし、人生の結果を求めなくなるし、気軽に生き始めます。

そのぶん、人にも寛大になり、絶え間なく繰り返していた他者への批判が減っていきます。


目覚めは一瞬でいいと思います。

もし世界中の人が、ある日突然、1秒間だけでも目覚めれば、つぎの瞬間から世界は変わることでしょう。


おそらくこの先に訪れる人類の意識変革とは、みんなで完全に目覚めきるのではなく、目覚めの感覚(ワンネスの感覚)と、夢の感覚(自我の感覚)を共存させた状態になるのだと思います。

肉体を所有している以上、完全に目覚めの中にい続けることはできないし、その必要もないと感じています。


昨日の講演会で話をしながら、そんなことを感じました。




多くの人に目覚めの恩恵が降り注ぎますように。



今日もここに来てくれてありがとうございました。





ワンネス・ワンクリック運動にご参加ください。

     


Posted by Toshiro Abe at 10:01Comments(47)